沿海地方

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沿海地方
ロシア語: Приморский край
沿海地方の旗 沿海地方の紋章
沿海地方旗 沿海地方紋章
沿海地方の位置
公用語 ロシア語
首府 ウラジオストク
沿海地方知事 ウラジーミル・ミクルシェフスキー
構成体種別 地方
連邦管区 極東
経済地区 極東
面積
 - 総計
国内第23位
165,900km2
人口(2002年国勢調査)
 - 総計
 - 人口密度
 - 都市/地方比率
国内第26位
2,071,210人
12.5人/km2
78.3% : 21.7%
時間帯 UTC +11(DST: なし)
ウラジオストク時間
ISO 3166-2:RU
番号
ウェブサイト [1]

沿海地方(えんかいちほう、Примо́рский край)は、ロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつで、極東ロシアの東南端に位置する日本海沿岸にある地方(クライ)。極東連邦管区に属する。面積は165,900km²で、人口は約200万人。州都はウラジオストク。元のロシア語からプリモルスキー地方とも呼ばれる。ソ連崩壊後の人口流出は依然として続いており、年率約1%の割合で減少している(1992年230万人→2005年202万人)。

1938年以来、この地域には行政体としてプリモルスキー・クライ(プリモルスキーは「沿海地、海岸地」を意味するプリモーリエ(Приморье)の形容詞形)となっており、クライは普通、「地方」と訳されるロシアの地方行政区分の一種であるため、沿海地方と訳されるようになった。なお、沿海地方を含む極東ロシアの広い地域にはかつてロシア帝国によってプリモルスキー州が置かれており、その訳語であった沿海州が現在も地理的な用語として使われることがある。

地理[編集]

東南に日本海に面し、おおよそアムール川を北限、ウスリー川を西限とする。北はロシア領のハバロフスク地方で、西に中国、南に北朝鮮と国境を接する。東は日本海を挟んでサハリン州樺太千島列島歯舞群島色丹島)がある。また中部ウラジオストクから北の中国との国境にはハンカ湖(興凱湖)がある。日本海沿岸にはシホテアリニ山脈がそびえ、豊かな自然が残っており世界遺産に登録されている。沿海地方の74%が森林地帯で、なども生息している。沿海地方南部のピョートル大帝湾は日本海でも最大級の湾で、この湾内にナホトカウラジオストクなどの大きな港湾が集中する。

海を挟んで隣接する日本韓国を含め、東アジアの諸国と近接した関係にあるため、地政学的に重要視される地域であり、ロシア極東の中では経済的に優位にある。

産業[編集]

漁業、水産加工品の食品業、林業非鉄金属が中心で機械工業や海上輸送も発達している。

食品業は全産業の50%以上を占める。沿海地方は、年間100万tの魚介類を生産し、ロシア全体の15%を占める。主な魚介類は、カニエビイカタコウニニシンカレイコマイスケトウダラ等。

鉱業52万t(世界6位)、鉱石86t(世界8位)、ニッケル27万t(世界1位)、タングステン3,000t(世界2位)、亜鉛ボロンホウ素)等を生産する。

農産物としては、沿海地方の気候は全体的に湿度の高いモンスーン気候(夏季の気温と湿度が高い)であるので、ロシアの他地域とは異なり、温暖地域で生産される大豆ブドウなどが栽培されている。

民族[編集]

ロシア人をはじめとするスラブ民族が最も多いが、近年隣接する中国から流入した漢民族が顕著に増加している。元来はウデヘ人ナナイ人オロチ人などのツングース系民族の居住地であり、清の領土だった時代から住んでいる中国人もいる。朝鮮民族高麗人)の多くはソ連時代に中央アジアに強制移住させられているが、一部が沿海地方に帰還している。この他にも、ツングース系住民が漢民族の言語と風習を取り入れて成立したターズという集団も存在する。

歴史[編集]

沿海地方は歴史的にはツングース系などの北方諸民族が活動してきた地域で、渤海などの統治下に置かれた。またツングース系の満州人が建国したの故地・満州の一部で、中国人などの入植は規制されていた。この地方は多くの毛皮が採れるほか、この地を通じた山丹貿易樺太アイヌのもたらす毛皮も多く、清にとっては毛皮の産地として重要であった。西洋人には満州民族の居住地、満州の一部(外満州)として知られる。19世紀には清の入植規制が緩み、李氏朝鮮の圧政を逃れてきた朝鮮民族も定住した。

1860年北京条約においてアロー戦争仲介の代償だとして割譲を要求したロシア帝国の領有となり、ロシアはこの地にサハリン島(現在のサハリン州)を加えた行政区として沿海州(プリモルスキー州)を置いた。沿海州の南部である現在の沿海地方には軍港ウラジオストクが建設され、ロシアの太平洋への出口となった。またシベリア鉄道の終点でもあり、ロシアにとってアジアへの進出拠点というその存在意義は大きいものとなっていった。逆にその後の中国にとって日本海への出口を失ったことになる。ロシアはここからさらに満州全体、朝鮮へと勢力を伸ばし、全満州を勢力圏に置いたが、日本と衝突して日露戦争となった。

ロシア革命に対抗する日本シベリア出兵の際には、日本軍が全域を占領し、1918年9月アレクサンドル・コルチャーク白軍を主体とした臨時全ロシア政府(Provisional All-Russian Government。沿海州共和国としても知られる)を建国したが、連合国の介入は失敗に終わり、赤軍によって極東共和国ソビエト連邦(ソ連)に併合された。なお、日本はグリゴリー・セミョーノフと繋がりがあったとされる。なお、ウラジオストクで新聞を発行していたアナトリー・グートマン(アー・ヤー・グットマン。ru:Гутман, Анатолий Яковлевич)は、1920年から日本で露字新聞「デイロ、ロシー」(Дело России)の邦文翻訳号を出版して、この時の状況を日本に伝えている[1]

1938年、ソ連は沿海州を分割し、現在の沿海地方とその西に位置するハバロフスク地方が初めて設置された。

第二次世界大戦が勃発すると、当時朝鮮民族は日本国民だったため、この地に住む朝鮮民族(「高麗人」と呼ばれる)はソ連書記長ヨシフ・スターリンによって、中央アジアに強制移住させられた。

冷戦が始まると太平洋艦隊の置かれる軍港ウラジオストクは民間人統制区域(閉鎖都市)となり、外国人の立ち入りは原則禁止となった。

行政区画[編集]

地区[編集]

地区 (район) 中心地
アヌチノ地区 (Ану́чинский) アヌチノ村 (с. Анучино)
ダリネレチェンスク地区 (Дальнере́ченский) ダリネレチェンスク市 (г. Дальнереченск)
カヴァレーロヴォ地区 (Кавалеровский) カヴァレーロヴォ町 (пос. Кавалерово)
キーロフスキー地区 (Ки́ровский) キーロフスキー町 (пос. Кировка)
クラスノアルメイスキー地区 (Красноарме́йский) ノヴォポクロフカ村 (с. Новопокровка)
ラゾ地区 (Лазо́вский) ラゾ村 (с. Лазо)
レソザヴォーツク地区 (Лесозаво́дский) レソザヴォーツク市 (г. Лесозаводск)
ミハイロフカ地区 (Миха́йловский) ミハイロフカ村 (с. Михайловка)
ナジェジジンスコエ地区 (Наде́ждинский) ヴォリノ=ナジェジジンスコエ村 (с. Вольно-Надеждинское)
オクチャブリスキー地区 (Октя́брьский) ポクロフカ村 (с. Покровка)
オリガ地区 (О́льгинский) オリガ町 (пос. Ольга)
パルチザンスク地区 (Партиза́нский) ヴラジーミロ=アレクサンドロフスコエ村 (с. Владимиро-Александровское)
ポグラニーチヌイ地区 (Пограни́чный) ポグラニーチヌイ町 (пос. Пограничный)
ポジャルスキー地区 (Пожа́рский) ルチェゴルスク町 (пос. Лучегорск)
スパースク地区 (Спа́сский) スパッスク=ダリニー市 (г. Спасск-Дальний)
テルネイ地区 (Терне́йский) テルネイ町 (Терней)
ウスリースク地区 (Уссури́йский) ウスリースク市 (г. Уссурийск)
ハンカ地区 (Ханка́йский) カメニ=ルイボロフ村 (пос. Камень-Рыболов)
ハサン地区 (Хаса́нский) スラヴャンカ町 (пос. Славянка)
ホロリ地区 (Хоро́льский) ホロリ村 (с. Хороль)
チェルニゴフカ地区 (Черни́говский) チェルニゴフカ村 (с. Черниговка)
チュグエフカ地区 (Чугу́евский) チュグエフカ村 (с. Чугуевка)
シコトヴォ地区 (Шко́товский) ボリショイ・カーメニ市 (г. Большой Камень)
ヤコヴレフカ地区 (Я́ковлевский) ヤコヴレフカ村 (с. Яковлевка)

主な都市[編集]

標準時[編集]

Map of Russia - Vladivostok time zone.svg

この地域は、ウラジオストク時間帯標準時を使用している。時差はUTC+11時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+10で夏時間がUTC+11時間であった)

出典[編集]

  1. ^ 6.露字新聞「デーロ、ロシー」発刊/1 大正9年3月12日から大正9年9月6日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040699800、新聞雑誌発刊計画雑件(B-1-3-1-117)(外務省外交史料館)」

外部リンク[編集]