乙川駅
| 乙川駅 | |
|---|---|
駅舎(2011年1月5日)
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| おっかわ - Okkawa | |
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◄亀崎 (2.6km)
(1.8km) 半田►
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| 所在地 | 愛知県半田市乙川町112番地 |
| 所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
| 所属路線 | 武豊線 |
| キロ程 | 12.8km(大府起点) |
| 電報略号 | ツワ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面2線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
1,069人/日(降車客含まず) -2010年- |
| 開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月7日 |
| 備考 | 駅員無配置駅 |
乙川駅(おっかわえき)は、愛知県半田市乙川町にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線の駅である。
大府駅と武豊駅を結ぶ武豊線の中間駅(途中駅)の一つで、半田市中部の乙川地区に位置する。1933年(昭和8年)に開設された。
目次 |
構造 [編集]
乙川駅は、ホームが地面に接する地上駅という形態をとる。ホームは2面あり、2本の線路を挟んで配置されている[1](相対式ホーム)。南北2つある乗り場のうち、北側が上り列車(大府方面行き)が発着する1番線、南側が下り列車(武豊方面行き)が発着する2番線である。単線の武豊線上にある交換駅であり、列車の交換が可能である。
駅舎は上りホーム側(1番線)にあり、2つのホームを結ぶ跨線橋が設置されている[1]。無人駅(駅員無配置駅)[2]であり、駅舎には自動券売機などの設備はなく待合室のみの簡単な構造となっている。なお、駅長配置駅(管理駅)である半田駅に管理されている[2]。
トイレは駅構内外に無い
歴史 [編集]
乙川駅は、1886年(明治19年)の武豊線開通から40年以上経った1933年(昭和8年)12月に開業した。1930年代前半に開通した知多鉄道(現・名鉄河和線)への対抗策として実施された気動車列車の運転開始・列車増便(1933年8月実施)にあわせて新設された駅の一つである[3]。
同時に開業した他の駅と同じく旅客専用の駅であったが、1944年(昭和19年)から貨物や荷物の取り扱いを開始した。しかし他の武豊線の駅と同様に、1975年(昭和50年)に貨物、1984年(昭和59年)には荷物の取り扱いを終了し、開業時と同様の旅客専用の駅となったまま1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化を迎え、JR東海に継承されている。
年表 [編集]
- 1933年(昭和8年)12月7日 - 国有鉄道武豊線の駅として、亀崎・半田間に開業。旅客のみを取り扱い、荷物(手荷物・小荷物)や貨物は取り扱わなかった[4]。
- 1939年(昭和14年)7月21日 - 上記各駅に加え、中央本線大曽根駅・千種駅・鶴舞駅を発着する旅客の取り扱いも開始[4]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 貨物と手荷物の取り扱いを開始、同時に旅客の取り扱い制限を廃止[4]。同月に駅舎を新設[5]。
- 1952年(昭和27年)11月1日 - 小荷物の取り扱いを開始[4]。
- 1975年(昭和50年)11月15日 - 貨物の取り扱いを廃止[4]。
- 1980年(昭和55年)5月1日 - 業務委託駅となる[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が継承[4]。
- 1989年(平成元年)3月10日 - 無人駅化[5]。
- 2006年(平成18年)3月 - 駅舎を改築[5]。
- 2006年(平成18年)11月25日 - TOICAの利用が可能となる。
- 2013年(平成25年)秋:自動改札機導入予定。
貨物営業 [編集]
乙川駅は1933年の開業時は貨物を取り扱っていなかったが、上記の通り1944年4月1日より取り扱いを開始した。ただし全種別を取り扱うのではなく、専用線発着の車扱貨物に限定していた[4]。周囲の武豊線の駅と同じように、1975年11月15日に貨物の取り扱いを終了している。
駅に接続する専用線は、駅の南側に工場がある輸送機工業のものがあった。専用線は同社が前身の中島飛行機半田製作所であった1944年に敷設された[6]。同線は1970年の専用線一覧表[7]によれば、作業キロが0.7km、総延長キロが2.0kmであった。
利用状況 [編集]
旅客 [編集]
2010年度の乗車人員は、1日平均1,069人であった[8]。この数値は、武豊線の9駅(大府駅を除く)の中では亀崎駅・東浦駅・半田駅・緒川駅に次いで5番目に多い。
1950年以降乗車人員は増加し、1967年度には1日平均1,202人に達した。しかしこの数値を頂点として(一時期を除いて)減少していき、1989年度に1950年度以降の最低値である1日平均480人を記録した。次年度からは増加に転じ、2006年度からは1日平均1,000人を超えて1960年代の水準を回復している。
| 1日平均の乗車人員の推移 | ||
|---|---|---|
| 年度 | 乗車人員 | 出典・備考 |
| 1950年度 | 769人 | [9] |
| 1951年度 | 948人 | [10] |
| 1952年度 | 910人 | [11] |
| 1953年度 | 954人 | [12] |
| 1954年度 | 920人 | [13] |
| 1955年度 | 880人 | [14] |
| 1956年度 | 948人 | [15] |
| 1957年度 | 993人 | [16] |
| 1958年度 | 989人 | [17] |
| 1959年度 | 1,025人 | [18] |
| 1960年度 | 1,150人 | [19] |
| 1961年度 | 1,093人 | [20] |
| 1962年度 | 1,054人 | [21] |
| 1963年度 | 1,133人 | [22] |
| 1964年度 | 1,117人 | [23] |
| 1965年度 | 1,164人 | [24] |
| 1966年度 | 1,148人 | [25] |
| 1967年度 | 1,202人 | 1950年度以降最大値[26] |
| 1968年度 | 1,148人 | [27] |
| 1969年度 | 1,009人 | [28] |
| 1970年度 | 910人 | [29] |
| 1971年度 | 853人 | [30] |
| 1972年度 | 814人 | [31] |
| 1973年度 | 803人 | [32] |
| 1974年度 | 848人 | [33] |
| 1975年度 | 854人 | [34] |
| 1976年度 | 870人 | [35] |
| 1977年度 | 806人 | [36] |
| 1978年度 | 768人 | [37] |
| 1979年度 | 753人 | [38] |
| 1980年度 | 667人 | [39] |
| 1981年度 | 616人 | [40] |
| 1982年度 | 584人 | [41] |
| 1983年度 | 542人 | [42] |
| 1984年度 | 508人 | [43] |
| 1985年度 | 513人 | [44] |
| 1986年度 | 482人 | [45] |
| 1987年度 | 509人 | [46] |
| 1988年度 | 535人 | [47] |
| 1989年度 | 480人 | 1950年度以降最低値[48] |
| 1990年度 | 644人 | [49] |
| 1991年度 | 694人 | [50] |
| 1992年度 | 765人 | [51] |
| 1993年度 | 805人 | [52][53] |
| 1994年度 | 885人 | [54][53] |
| 1995年度 | 882人 | [55][53] |
| 1996年度 | 814人 | [56][57] |
| 1997年度 | 798人 | [58][57] |
| 1998年度 | 767人 | [59][60] |
| 1999年度 | 771人 | [61][62] |
| 2000年度 | 773人 | [62] |
| 2001年度 | 820人 | [62] |
| 2002年度 | 837人 | [63] |
| 2003年度 | 860人 | [63] |
| 2004年度 | 870人 | [63] |
| 2005年度 | 921人 | [64] |
| 2006年度 | 1,002人 | [64] |
| 2007年度 | 1,079人 | [64] |
| 2008年度 | 1,102人 | [8] |
| 2009年度 | 1,049人 | [8] |
| 2010年度 | 1,069人 | [8] |
貨物・荷物 [編集]
1950年度から1975年度(1975年11月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。
| 貨物取扱量・荷物取扱量の推移 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | 貨物 | 荷物 | ||
| 発送 | 到着 | 発送 | 到着 | |
| 1950年度 | 3,728t | 4,285t | ||
| 1951年度 | 4,031t | 10,304t | ||
| 1952年度 | 1,797t | 4,513t | ||
| 1953年度 | 2,602t | 9,689t | ||
| 1954年度 | 3,571t | 9,623t | ||
| 1955年度 | 2,008t | 5,060t | ||
| 1956年度 | 6,743t | 6,215t | ||
| 1957年度 | 5,454t | 10,001t | ||
| 1958年度 | 2,999t | 5,145t | ||
| 1959年度 | 3,571t | 8,485t | ||
| 1960年度 | 5,097t | 3,959t | ||
| 1961年度 | 2,782t | 2,231t | ||
| 1962年度 | 4,202t | 2,625t | ||
| 1963年度 | 5,299t | 1,254t | ||
| 1964年度 | 4,718t | 862t | ||
| 1965年度 | 3,288t | 410t | ||
| 1966年度 | 6,064t | 817t | ||
| 1967年度 | 5,549t | 1,739t | ||
| 1968年度 | 5,897t | 1,571t | ||
| 1969年度 | 2,475t | 1,723t | ||
| 1970年度 | 598t | 281t | ||
| 1971年度 | 6,272t | 384t | ||
| 1972年度 | 679t | 1,760t | 5,747個 | 2,833個 |
| 1973年度 | 6,638t | 338t | 5,512個 | 2,849個 |
| 1974年度 | 6,867t | 231t | 5,149個 | 2,878個 |
| 1975年度 | 2,825t | 102t | 3,717個 | 2,722個 |
| 1976年度 | 3,319個 | 2,553個 | ||
| 1977年度 | 3,359個 | 2,527個 | ||
| 1978年度 | 3,156個 | 2,475個 | ||
| 1979年度 | 2,814個 | 2,800個 | ||
| 1980年度 | 2,604個 | 2,606個 | ||
| 1981年度 | 1,822個 | 2,653個 | ||
| 1982年度 | 1,193個 | 2,521個 | ||
| 1983年度 | 316個 | 2,010個 | ||
| ※出典は乗車人員の推移に同じ。 | ||||
停車列車 [編集]
「武豊線#運行形態」も参照
乙川駅には、武豊線で運行されている普通列車と東海道本線名古屋駅直通の区間快速(武豊線内では各駅停車)の2種類の旅客列車が停車し、概ね1時間に2本(ラッシュ時は3本)の頻度で列車が発着する。朝時間帯に運行されている快速列車は停車しない。
駅周辺 [編集]
- カインズホーム半田店
- ニトリ半田店
- ジョーシン 半田店
- しまむら半田店
- カーマ半田乙川店
- 乙川八幡社
- 若宮八幡宮
- 乙川天神社
- 半田市立乙川小学校
- 三洋堂書店乙川店
- ヤマダ電機テックランド半田店
- 輸送機工業工場・富士重工業半田西工場
- 豊田自動織機TMHGトレーニングセンター
- パワードーム半田
バス路線 [編集]
駅北西側の乙川新町交差点付近に「乙川新町」、駅北東側交差点付近に「乙川駅前」というバス停留所(バス停)があり、半田市中心部にある名古屋鉄道(名鉄)の知多半田駅と市北部を結ぶ知多乗合(知多バス)の路線バスが両停留所を経由している。路線と主な行き先は以下の通り。
- 有脇線:知多リハビリ病院前方面東浦駅行き、半田駅前方面知多半田駅行き
- 上池線:一ノ草病院前・半田東高校前方面緑ヶ丘行き、市役所前方面知多半田駅行き
- 亀崎線:亀崎駅前方面県社前行き、市役所前方面知多半田駅行き
その他 [編集]
2駅南側にある武豊線東成岩駅から衣浦港中央埠頭にある半田埠頭駅へ至る衣浦臨海鉄道半田線は1975年(昭和50年)に開業したが、当初の計画ではこの乙川駅から中央埠頭を経て東成岩駅へ接続し、実際に開業した新半田駅と半田埠頭駅に加えて「新乙川駅」を開設する予定であった[65]。
隣の駅 [編集]
脚注 [編集]
- ^ a b 『東海道ライン全線・全駅・全配線』、26・47頁
- ^ a b 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
- ^ 『新修半田市誌』本文篇中巻、353-358頁
- ^ a b c d e f g h i 『停車場変遷大事典』2、115頁
- ^ a b c d 『武豊線物語』、23-25・185頁
- ^ 『武豊線物語』
- ^ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
- ^ a b c d 『知多半島の統計』平成24年版、43頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、305頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、303頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成9年版、46頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
- ^ a b 『知多半島の統計』平成11年版、46頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
- ^ 『知多半島の統計』平成12年版、46頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成15年版、46頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成18年版、114頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
- ^ 『新修 半田市誌』本文篇中巻、538頁
関連項目 [編集]
参考文献 [編集]
- 半田市 『新修 半田市誌』本文篇中巻、半田市、1989年。
- 名取紀之・滝沢隆久(編) 『トワイライトゾーンMANUAL』12、ネコ・パブリッシング、2003年。ISBN 978-4-7770-0048-7。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 東海旅客鉄道 『東海旅客鉄道20年史』 東海旅客鉄道、2007年。
- 川島令三 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 河合由平 『武豊線物語』 交通新聞社、2009年。ISBN 978-4-330-04609-9。
- 愛知県編 『愛知県統計年鑑』各年度版
- 知多統計研究協議会編 『知多半島の統計』各年版
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