武豊駅

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武豊駅
駅舎(2008年1月)
駅舎(2008年1月)
たけとよ - Taketoyo
東成岩 (3.0km)
所在地 愛知県知多郡武豊町字金下
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 武豊線
キロ程 19.3km(大府起点)
電報略号 タト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
710人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1886年明治19年)3月1日
備考 駅員無配置駅
ホーム(2007年)

武豊駅(たけとよえき)は、愛知県知多郡武豊町字金下にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線である。

概要[編集]

武豊駅は、東海道本線大府駅から南方へ伸びる武豊線の終着駅である。武豊町内ではJR線唯一の駅で、町内の市街地に位置している。とはいえ駅の西約500メートルの場所にある名古屋鉄道(名鉄)河和線知多武豊駅のほうが、乗車人員ベースで4倍近く利用客が多い。

開業は1886年明治19年)で、愛知県下で最も古い駅の一つ。名古屋市熱田駅へと伸びる、県内最初の鉄道の起点であった。当初は現在よりも南方の臨海部にあったが、開業6年後の1892年(明治25年)に現在地に移転した。移転前の旧駅はその後貨物駅武豊港駅として開業したが、1965年昭和40年)に廃止されている。

歴史[編集]

武豊線は関東地方近畿地方を結ぶ幹線鉄道への資材運搬線として建設された経緯があるが、当初その起点である武豊駅付近には長さ約140m・幅約5.5mの木製桟橋が建設され、資材の陸揚げ基地とされていた[1]。開業当初は武豊港に面した武豊町字里中にあったが、その後現在地に移転している。旧駅の跡地にあたる国道247号の里中交差点には「武豊停車場跡地」の記念碑が建つ。

貨物営業[編集]

武豊駅では1886年(明治19年)の開業時から貨物の取り扱いが行われていたが、国鉄時代の1984年(昭和59年)1月10日に廃止されている。1974年(昭和49年)の制度改正以降ここでは車扱貨物のみを取り扱っていたが、1975年(昭和50年)11月15日専用線発着のみを取り扱うように縮小されていた[2]。なお、武豊線の他の駅では同日付で貨物営業を廃止しているので、武豊駅は武豊線内で最後まで貨物を取り扱う駅となっていた。

武豊駅に接続する専用線は、1970年(昭和45年)の専用線一覧表[8]によれば、駅の南方に工場を置く豊醤油(現・ユタカフーズ)専用線、町内に工場を持つ日本油脂(元・帝国火薬工業、現・日油)専用鉄道、同じく町内に工場を持つ中山製鋼所専用鉄道および専用線(ただし使用休止中)があった。

日本油脂専用鉄道[編集]

上記のうち日本油脂専用鉄道は、駅から駅付近にある同社第一工場(現・衣浦工場)を経て駅から2km以上離れた第三工場(現・武豊工場)までを結んでいた。途中には、名鉄河和線や南知多道路との立体交差(どちらも専用鉄道が下を潜る)もあった。1923年(大正12年)に運輸を開始し、1986年(昭和61年)3月に廃止された[9]

同線は直流550V電化されており、貨物列車電気機関車で牽引され、さらに従業員輸送用の電車も運行されていた[10][9]。1979年(昭和54年)時点で、従業員輸送電車は朝夕に2往復、貨物列車はその間に6往復運行されていた[10]

1979年(昭和54年)時点で使用されていた車両は以下のとおり[10]

駅構造[編集]

武豊駅は、ホームが地面に接する地上駅という形態をとる。ホームは単式ホーム1面であり、片側(ここでは西側)のみに線路が接する。ホームに面する線路は1本しかないが、1番線の番号が振られている。ホームに接さない留置線も2本ある[11]。現在は3本のいずれもが構内南方(大府方の反対側)の車止めで行き止まりとなっている[11]が、以前は全ての留置線が分岐器で1番線とつながっており、機回しが可能であった。また、線路の短縮に伴い、駅南方にあった踏切も廃止されている。駅舎は構内東側、ホームに接して設置されている[11]

大府駅管理の無人駅。かつては、業務委託の駅員が配置されている有人駅業務委託駅)でみどりの窓口も設置されていたが[12][13]、JR東海は2013年10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム」を導入し、自動券売機自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになり、無人化された[6][7]

利用状況[編集]

旅客[編集]

2011年度(平成23年度)の乗車人員は、1日平均710人であった[14]。この数値は、武豊線の9駅(大府駅を除く)の中では東成岩駅尾張森岡駅に次いで3番目に少ない。

1950年(昭和25年)時点で1日平均881人であった乗車人員はその後増加し、1960年度(昭和35年度)には1日平均1,354人に達した。しかしこの数値をピークに以降徐々に減少していき、1987年度(昭和62年度)に1950年度以降の最低値である1日平均390人を記録した。その後の増加傾向で2倍近くまで持ち直しているが、1960年度前後の水準には達していない。

1日平均の乗車人員の推移
年度 乗車人員 出典・備考
1950年度 881人 [15]
1951年度 1,055人 [16]
1952年度 1,112人 [17]
1953年度 1,090人 [18]
1954年度 1,156人 [19]
1955年度 1,091人 [20]
1956年度 1,186人 [21]
1957年度 1,127人 [22]
1958年度 1,148人 [23]
1959年度 1,262人 [24]
1960年度 1,354人 1950年度以降最大値[25]
1961年度 1,160人 [26]
1962年度 1,049人 [27]
1963年度 1,009人 [28]
1964年度 996人 [29]
1965年度 1,047人 [30]
1966年度 986人 [31]
1967年度 957人 [32]
1968年度 926人 [33]
1969年度 848人 [34]
1970年度 811人 [35]
1971年度 740人 [36]
1972年度 683人 [37]
1973年度 686人 [38]
1974年度 760人 [39]
1975年度 765人 [40]
1976年度 689人 [41]
1977年度 582人 [42]
1978年度 501人 [43]
1979年度 513人 [44]
1980年度 501人 [45]
1981年度 452人 [46]
1982年度 438人 [47]
1983年度 442人 [48]
1984年度 411人 [49]
1985年度 434人 [50]
1986年度 433人 [51]
1987年度 390人 1950年度以降最低値[52]
1988年度 404人 [53]
1989年度 420人 [54]
1990年度 466人 [55]
1991年度 486人 [56]
1992年度 526人 [57]
1993年度 556人 [58][59]
1994年度 525人 [60][59]
1995年度 534人 [61][59]
1996年度 543人 [62][63]
1997年度 537人 [64][63]
1998年度 550人 [65][66]
1999年度 553人 [67][68]
2000年度 637人 [68]
2001年度 684人 [68]
2002年度 718人 [69]
2003年度 709人 [69]
2004年度 734人 [69]
2005年度 765人 [70]
2006年度 775人 [70]
2007年度 768人 [70]
2008年度 759人 [71]
2009年度 742人 [71]
2010年度 727人 [71]
2011年度 710人 [14]

貨物・荷物[編集]

1950年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。どちらの取扱量も、武豊線内では半田駅に次ぐ2番目の多さである。

貨物取扱量・荷物取扱量の推移
年度 貨物 荷物
発送 到着 発送 到着
1950年度 42,055t 43,986t
1951年度 40,459t 44,869t
1952年度 43,704t 52,106t
1953年度 82,632t 55,817t
1954年度 88,650t 75,386t
1955年度 77,590t 32,411t
1956年度 97,068t 35,474t
1957年度 94,415t 36,081t
1958年度 85,402t 32,297t
1959年度 79,453t 38,279t
1960年度 82,452t 40,123t
1961年度 75,044t 43,176t
1962年度 77,015t 38,209t
1963年度 88,991t 38,779t
1964年度 88,038t 43,602t
1965年度 83,666t 45,452t
1966年度 85,459t 37,336t
1967年度 96,151t 38,659t
1968年度 109,320t 43,004t
1969年度 114,674t 45,298t
1970年度 110,332t 61,793t
1971年度 104,588t 77,855t
1972年度 106,933t 77,688t 16,655個 8,342個
1973年度 116,918t 70,274t 14,917個 7,957個
1974年度 87,528t 54,287t 15,591個 8,354個
1975年度 58,754t 34,878t 14,623個 8,728個
1976年度 10,184t 12,462t 12,873個 11,931個
1977年度 10,109t 10,813t 11,762個 9,780個
1978年度 8,637t 9,749t 11,197個 10,839個
1979年度 8,441t 8,920t 1,110個 10,019個
1980年度 7,666t 7,800t 9,713個 10,463個
1981年度 5,489t 6,113t 7,666個 9,230個
1982年度 4,334 6,064t 4,691個 8,956個
1983年度 2,565 3,388t 1,866個 7,184個
※出典は乗車人員の推移に同じ。

停車列車[編集]

武豊駅には、武豊線で運行されている普通列車東海道本線名古屋駅直通の区間快速(武豊線内では各駅停車)および快速列車の3種類がすべて停車する。武豊線では途中駅で折り返す列車がないため、武豊線の全列車がこの駅を起点ないし終点としている。列車の頻度は概ね1時間に2本(ラッシュ時は3本)である。

駅周辺[編集]

バス路線[編集]

駅前に「JR武豊駅」バス停留所(バス停)があり、武豊町が2010年(平成22年)7月から運営する「武豊町コミュニティバス」が発着する。同バスには名鉄の知多武豊駅を中心として町内を循環する4つの路線(ルート)があるが、そのうち3つの路線がこのバス停を経由している。

高橋煕君之像[編集]

武豊駅頭に立つ
高橋煕の胸像

1953年(昭和28年)9月25日に襲来した台風13号の影響で発生した高潮により、武豊 - 東成岩駅間の線路が流失した。この異変を武豊駅に向かって進行中の武豊行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手・高橋煕(さとし)が発炎筒を手に、東成岩駅方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、非常停止した後、東成岩駅まで後退し、列車の乗客乗員約100名は難を逃れる事ができた。しかしながら高橋駅手は武豊駅に戻れず翌日、捜索隊により、線路際で殉職した彼の姿が見つかった。

この事柄は全国に報道され、高橋の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、日本全国の国鉄職員と小中学生の募金を主に、銅像が建立された。

隣の駅[編集]

東海旅客鉄道(JR東海)
武豊線
快速・ 区間快速・普通
東成岩駅 - 武豊駅

かつて存在した路線[編集]

日本国有鉄道
武豊線貨物支線
武豊駅 - 武豊港駅

脚注[編集]

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  1. ^ 『武豊町誌』、481-489頁
  2. ^ a b c d e f 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、116頁
  3. ^ 『武豊町誌』資料編三、600頁
  4. ^ 『JR時刻表』1992年11月号と12月号の比較から
  5. ^ 『武豊線物語』、1頁
  6. ^ a b 武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2012年11月15日
  7. ^ a b 武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2013年8月22日
  8. ^ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
  9. ^ a b 『武豊線物語』、146・147頁
  10. ^ a b c 「日本油脂専用線近況」『鉄道ファン』通巻215号、130・131頁
  11. ^ a b c 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、26・47頁
  12. ^ 「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」、『鉄道ジャーナル』通巻469号、78頁
  13. ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
  14. ^ a b 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
  15. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
  16. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
  17. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
  18. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、306頁
  19. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、304頁
  20. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
  21. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
  22. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
  23. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
  24. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
  25. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
  26. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
  27. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
  28. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
  29. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
  30. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
  31. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
  32. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
  33. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
  34. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
  35. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
  36. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
  37. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
  38. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
  39. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
  40. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
  41. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
  42. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
  43. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
  44. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
  45. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
  46. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
  47. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
  48. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
  49. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
  50. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
  51. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
  52. ^ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
  53. ^ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
  54. ^ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
  55. ^ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
  56. ^ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
  57. ^ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
  58. ^ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
  59. ^ a b c 『知多半島の統計』平成9年版、47頁
  60. ^ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
  61. ^ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
  62. ^ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
  63. ^ a b 『知多半島の統計』平成11年版、47頁
  64. ^ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
  65. ^ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
  66. ^ 『知多半島の統計』平成12年版、47頁
  67. ^ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
  68. ^ a b c 『知多半島の統計』平成15年版、47頁
  69. ^ a b c 『知多半島の統計』平成18年版、115頁
  70. ^ a b c 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
  71. ^ a b c 『知多半島の統計』平成24年版、43頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]