公明党
公明党 Komeito | |
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代表 | 石井啓一 |
副代表 |
北側一雄 古屋範子 斉藤鉄夫 佐藤茂樹 赤羽一嘉 竹谷とし子 |
幹事長 | 西田実仁 |
参議院議員会長 | 谷合正明 |
成立年月日 | 1964年11月17日[注釈 1][2][3] |
前身政党 | 公明政治連盟[4] |
本部所在地 |
〒160-0012 東京都新宿区南元町17北緯35度40分44.4秒 東経139度43分16.9秒 / 北緯35.679000度 東経139.721361度 |
衆議院議席数 |
24 / 465 (5%) |
参議院議席数 |
27 / 248 (11%) |
都道府県議数 |
206 / 2,644 (8%) |
市区町村議数 |
2,667 / 29,135 (9%) |
党員・党友数 |
約450,000人 (2023年3月27日現在[6]) |
政治的思想・立場 |
中道[A] - 中道右派[11][注釈 2] 仏教民主主義[18][19][20] 仏教主義[21] リベラル[12][13] 「人間性社会主義」[22][23][24] 「地球民族主義」[23][25] 外国人参政権 草の根民主主義[25] 地方主権[25] 人間主義[25][26] 国連中心主義・国際主義[25][26] 平和主義[27] 政治改革・行財政改革[28] 生命の尊厳[25] 生活者優先[25] 大衆とともに[25] 庶民の党[25] 人間と自然の調和[25] |
機関紙 | 『公明新聞』[29][30] |
政党交付金 |
29億887万3000 円 (2024年1月1日[31]) |
8011105001478 | |
公式サイト | komei.or.jp |
創価学会第3代会長池田大作を創立者とする。創価学会を支持母体とする。 シンボルマーク「全ての人々に平等に降り注ぐ太陽[32]」 |
公明党 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2007年 - |
登録者数 | 19.4万人 |
総再生回数 | 78百万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年10月29日時点。 |
公明党(こうめいとう、英語: Komeito[注釈 3])は、日本の政党[4](宗教政党[34])。宗教団体の創価学会[35]を支持母体として中道政治の実現を目指して結成された[36]。
略称は公明[37]。1字表記の際は公[37]。現在の党キャッチコピーは、「希望の未来は、実現できる。」[38]。
1999年10月5日から2009年9月16日まで、および2012年12月26日から現在まで自由民主党と自公連立政権を構成している政権与党である[39][40][41][42]。
概説
[編集]1950年代に始まった創価学会による参議院議員選挙での政治活動を源流とし、1964年に国政政党として正式に結党する(同年に選挙管理委員会に届け出)。1965年の第7回参議院議員通常選挙、1967年の第31回衆議院議員総選挙において国会の議席を確保した。1993年、細川内閣において初の政権入りを果たす。1994年に解散した上で新進党に合流するも、その後離脱し、1998年に公明党を再結成した。1999年からは自民党との自公連立政権を成す。2009年の第45回衆議院議員総選挙後の民社国連立政権・民国連立政権では野党になったが、次の2012年の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権与党に復帰すると、再び連立を形成し、与党に復帰した。
支持母体は宗教法人の創価学会である[43][44][45][46][47][48]。党員・支持者は創価学会員であるとは限らず、「フレンド票」と呼ばれる創価学会員の友人[49]、創価学会員の配偶者や交際相手、神道の信者、伝統的な仏教の信者、かつて日本社会党や民社党の支持者だったキリスト教徒など多様である[50][51]。プロテスタントの信者であることを公表している作家・元外交官の佐藤優[52]や、無宗教を自任する有識者からも公明党を評価する声が上がっている[53]。
政教分離に関しては、1988年の国会議員からの質問主意書に対し、政党は憲法第二十条第一項後段の「政治上の権力」に当たらないとの回答が内閣から示されている[54][55]。2014年の質問主意書への回答でも、宗教団体が支援する政党の所属者が公職に就き国政を担っても「政治上の権力」の行使に当たらないとしている[56]。
歴史
[編集]中道・宗教政党としての結党
[編集]第二次世界大戦後、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会(1991年に日蓮正宗から破門)が宗教法人として規模を拡大させ、1954年(昭和29年)11月、政界進出を目的として創設した文化部が源流である。文化部は翌1955年(昭和30年)の第3回統一地方選挙で首都圏の自治体議会選挙に候補者を擁立し、合計で53議席を得た。
1956年(昭和31年)には国政進出を果たし、第4回参議院議員通常選挙(1956年)で3議席を、第31回衆議院議員総選挙(1967年)で25議席を獲得した[57]。
初期の政界進出の旗振り役となったのは創価学会第2代会長戸田城聖と後の第3代会長池田大作である。政界進出の動機としては以下が挙げられる。
- 国民生活を改善するには、密接にかかわっている政治を変革することが大事である。
- 政界に創価学会の人材を輩出しより良き社会を建設する。
- 住民のための、住民による政治[58]。
1960年(昭和35年)に池田が第三代会長に就任すると政界進出の動きは加速し、1961年(昭和36年)には政治局、同年11月には政治団体の公明政治連盟(こうめいせいじれんめい)へと改組し、メディアの発信や各界への人材輩出を強化した[59]。
1963年(昭和38年)の東京都議会議員選挙(都議選)では17議席を獲得し、55年体制の下、戦後しばらく日本の国政で二大政党制を構成した自由民主党・日本社会党に次いで第3党に躍進する。
1964年(昭和39年)に創価学会から公明政治連盟が切り離されて独立し、現在の日本の国政政党の公明党が誕生した。11月17日の結党大会は当時国内で最大級の規模を誇る施設であった日本大学講堂で挙行され、1万5000人の党員が集結した。結成大会にはニューヨーク・タイムズ含め外国メディア14社の記者が取材に訪れた[60]。
綱領は次のようなものであった。
- 一、宇宙時代にふさわしい世界観、恒久平和への新しい指導理念の確立が、今日ほど強く渇仰される時代はない。この待望の指導理念こそ、生命哲学の神髄、王仏冥合の大理念であると堅く信ずる(注:王仏冥合、読み:おうぶつみょうごう=王法とは政治を意味し、仏法とは思想であり生命哲学である。この王法と仏法を冥合させて、社会の繁栄と個人の幸福を一致させるという政治理念[61])。公明党は、王仏冥合の大理念を高く掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎を築くことを誓うものである。
- 二、資本主義、社会主義の両体制に共通する基本的欠陥は、人間疎外、人間性の抑圧である。公明党は、豊かなる人間性の尊重を基調とする人間性社会主義によって、個人の幸福と社会の繁栄が一致する大衆福祉の実現を確約するものである。
- 三、公明党は、国民大衆の中に仏法民主主義、すなわち人間性尊重を基調とした真実の民主主義の基盤をつくり、大衆とともに前進する真実の大衆政党である。言論、思想、信仰の自由等、基本的人権を尊重するはとうぜんである。われわれは大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいくことを誓うものである。
- 四、大衆をして政治不信のやむなきにいたらしめたのは、まったく既成政党の重大な責任といわねばならぬ。また政治の賄賂は、とくに選挙の腐敗に端を発する。公明党は、腐敗選挙を徹底的に追放し、腐敗政治と断固戦って、公明なる議会制民主政治を確立することを誓う。
その後、国政では1967年(昭和42年)に衆議院・参議院両院で45議席を獲得する大所帯となり、国会でも第三党の勢力を形成する程になる。この年の党大会では委員長に竹入義勝、書記長に矢野絢也が就任する。結党当初の公明党は国政・地方政治ともに行政当局との関係が希薄であったため、徹底した現場主義・調査主義に力を注いだ。公明党公式ホームページによると公明党参院議員の矢追秀彦がイタイイタイ病の公害病問題解決に尽力した[62]。
特に、安全保障面で在日米軍基地や米国統治下の沖縄の軍事基地問題については防衛施設庁(現在の防衛省の一部)以上の調査を行い、防衛施設庁から「大いに参考になる」とのコメントが発表されるほどであった[要出典]。
公明党の行動は即物的なものが多く、同じ野党でもイデオロギーに基づく抽象的議論を行っていた日本社会党や日本共産党とは対照をなした[63]。
言論出版妨害事件と政教分離
[編集]1969年末、創価学会を批判する藤原弘達の著書『創価学会を斬る』の出版中止を、公明党が自民党幹事長田中角栄に働きかけていたことが公になる(「言論出版妨害事件」)。
翌1970年にかけて、創価学会が同様の行為を常習的に行っていたことが露見し、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的な批判を受けた。これを発見した不破哲三と日本共産党は国会で徹底追及を行い、藤原に取材も行い、池田の証人喚問まで要求したが、当時の佐藤栄作政権は野党分断を狙って要求をかわし続け、池田の喚問は回避された。以降しばらく、公明党は自民党に対する事実上の閣外協力を余儀なくされる[64]。
1970年5月3日、創価学会総会で池田が事件を謝罪し、創価学会と公明党との間の体質の改革を宣言する。具体的には「政教分離」の徹底で、
- 創価学会幹部の議員兼職を廃する。池田自身も、今後とも政界進出はしない。
- 公明党の自立性を高め、創価学会は党の支持団体の立場に徹する。選挙などの政治活動はあくまで党として行い、創価学会は支持団体としての応援に留まる。
- 「国立戒壇」構想は国教化を意味するものではなく、以降、この言葉を一切使わない。
- 創価学会会員の活動で問題を起こした時には、厳正に処罰する。
などといった方針が打ち出された。
6月25日、党大会で新しい綱領が制定され、綱領からは宗教用語が全て削除された[65]。
伯仲国会と野党連携の模索
[編集]1970年、前年の総選挙で大敗した日本社会党では、右派の江田三郎の主導で「社公民路線」が提唱され、江田は西欧型の社会民主主義を目指す「江田ビジョン」を提唱するが、マルクス・レーニン主義を唱える左派との論争で劣勢を強いられる。それでも1972年の第33回衆議院議員総選挙では、社公民三党で選挙協力を行ったが、公明党は言論出版妨害事件のイメージなどが原因で大敗を喫す。民社党も議席を減らし、復調した日本社会党との連携がうまくゆかずに、社公民路線は頓挫した[66]。
1974年の第10回参議院議員通常選挙では、野党各党は表向きは全野党結集の方針を掲げ、公明党も日米安保条約の即時破棄を訴えるなど、史上最も革新寄りの主張で選挙に臨む。結果、狂乱物価によって自民党が議席を減らして伯仲国会を実現させたものの、選挙後には一転して野党間で対立が起こった。
翌年にかけて、創価学会と共産党との間で相互理解などの交渉が行われ、1975年7月、創共協定が成立する。しかし、公明党の支持者である創価学会員は、もともと革新的な日本共産党のイデオロギーとは相反し、党組織の末端では協定に対する動揺が広がった。党執行部は、創価学会による頭越しの協定締結に反発し、協定の解釈を巡って日本共産党との批判合戦が巻き起こる。創価学会もこの論争に加勢せざるを得ず、あっという間に協定は死文化してしまう。公明党は10月の党大会で革新色を打ち消し、日本共産党とは完全に袂を分かった[67]。
1976年、第34回衆議院議員総選挙で自民党が過半数割れとなって以降、自民党からは中道政党に対して秋波が送られるようになる。1978年の公明党大会で、竹入は自衛隊容認の考えを表明し、政治路線については保守勢力との連携に含みを持たせた。1979年の四十日抗争では自民党主流派の大平正芳から竹入に対して連立の呼びかけもあったという。11月の首班指名選挙では大平陣営から決選投票前に大平へ首班投票するよう依頼されるが、公明党は決選投票を棄権した[68]。
一方で日本社会党は、右派の指導者であった江田の離党・死去により左傾化と弱体化の兆しを見せており、1980年、社公民路線で臨む夏の参院選に向けて社公連合政権構想が締結された。ところがハプニング解散により、衆参同日選挙が執行されることとなり、連携の前提が崩れた上、解散当初は主流派と反主流派で分裂選挙の様相を見せていた自民党が、大平の急死により対立を解消する。選挙では自民党が圧勝し、伯仲国会は終わりを告げた。選挙後、新たな政権構想では政権の特徴として「反自民政権」を削除し、本格的に自公民路線へと舵を切った[69]。
自民党接近と連立政権への参加
[編集]1984年、自民党が二階堂擁立構想で揺れた際には、竹入は鈴木善幸と密に連絡を取り、二階堂が首相になった場合には三党で連立を組む構想も練られた。二階堂の擁立は不発に終わったが、竹入は「次の機会には上着を脱ぎ捨ててでも入っていく」と話した。1986年の衆参同日選挙で自民党が圧勝すると、竹入に代わって矢野が委員長に就任する。一方、社会党では左派の土井たか子が委員長に就任したため、公明党と社会党の距離はますます離れ、公明、民社両党は競って自民党との連携をアピールするようになる[70]。
1990年前後、政界ではリクルート事件などの汚職事件が相次いだが、公明党でも関与を疑われる議員が相次ぐ。1989年5月、矢野が自身のスキャンダルで引責辞任し、石田幸四郎が後任の委員長に就任する。7月の第15回参議院議員通常選挙では社会党の一人勝ちで自民党は大敗し、公明党も議席を減らした。ねじれ国会となったため野党各党は政権構想を相次いで発表し、公明党は「石田見解」で社会党に対して大胆な路線変更を求めた。
しかし社会党の「土井構想」は相変わらず安全保障に否定的で、民社党の「永末ビジョン」は社会党の党是を真っ向から否定する事実上の「門前払い」であったため、連合政権構想はまとまらなかった。1990年の第39回衆議院議員総選挙では自民党が安定多数を確保し、野党では社会党が独り勝ちとなったため、野党間での話し合いの空気は消えた。石田は連合政権協議の頓挫について社会党を批判し、自民・社会・中道の三極体制で国会に臨むことを宣言する[71]。
参議院で過半数を失っていた自民党にとっては、参議院の公明党の議席が政権運営にとって非常に重要であった。自民党幹事長の小沢一郎は社会党と絶縁した公明党に接近し、連立政権をも暗に持ちかけてきた。小沢のカウンターパートである公明党幹事長の市川雄一が、後に「キャスティング・ボートを握ったことが、公明党を変えた」と述懐しているように、公明党は個別の法案の賛否をその都度判断する立場をとる。
1991年、創価学会が日蓮正宗から破門を受け、池田大作が除名処分を受ける。湾岸戦争に際しては、翌1992年のPKO法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)審議で自公民三党による交渉を続け、「宮澤内閣信任決議」案に野党ながら公明、民社両党が賛成して可決の上で、PKO法案成立にこぎ着けた。この過程で市川と小沢の仲はより親密なものとなり、この時点で市川は政界再編・公明党解体にすらも踏み込んだ発言を始めていた[72]。
1993年、小沢らの造反により宮澤内閣の不信任案が可決し、自民党は分裂する。第40回衆議院議員総選挙で自民党は半数を大きく割り込み、社会党は新党に埋没してやはり大敗を喫す。選挙後、非自民・非共産野党による細川内閣が発足する。公明党は結党29年にして初めて与党に参画し、委員長の石田以下4人が閣僚に就任した。市川は小沢とともに与党間の政策協議を主導したが、小沢の運営手法の荒さが原因で軋轢が生じ、1年足らずで連立政権は崩壊した[73]。
分党と新進党への参加
[編集]政治改革の過程で衆議院の選出が小選挙区比例代表並立制に移行していたため、反自民連合の旧与党による新党が結成される必要が生じた。しかし各党派の中でも公明党は大量の党職員と地方議員を抱えており、地方議会の多くでは自民党と連立を組んでいたため、直ちに丸ごと新党に合流できない事情があった。そこで、改選の近い衆議院議員と1995年改選の参議院議員が先行して新党に加わることとなり、1994年12月5日、公明党は先行参加組による暫定的な政党「公明新党」と後発組「公明」に分党される。公明新党は10日に解散し、同日結成の新進党に合流した。地方議員は党職員とともに「公明」に残って事実上の公明党の身分で活動し、機関紙も「公明」が発行され続けた[74]。
新進党は1995年の第17回参議院議員通常選挙で自民党に肉薄する戦績を残す。その要因は自民党と社会党が手を結んだことに加え、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件の対応に不満を持つ無党派層の得票に学会票による票の上積みがプラスされたことであり、総選挙でもこの連携に加えて無党派層を取り込めれば政権交代は確実という見方もあった[注釈 4]。これに危機感を抱いた自民党は、学会・公明党と新進党との離反を図る。参院選後の国会ではオウム真理教事件を受けて宗教法人法改正案が審議されたが、審議の過程で自民党は学会名誉会長である池田の参考人招致を要求する(その後、会長秋谷栄之助の参考人聴取で決着する)。この法改正自体はオウム事件の後を受けたものであり、輿論の支持も高かった。「学会が法改正に反対している」というイメージを除くために、新進党側は法案審議を前にして政務会長の市川らを党の要職から外した。市川らはこれに反発し、市川らと幹事長である小沢との間に亀裂が生じた。その後も自民党は政教分離原則に絡めて公明党を揺さぶりつつ、創価学会と近い竹下派が公明グループの新進党からの離脱を働きかける[75]。
旧公明党は徐々に新進党から離反し始め、1996年の地方選挙では学会員が新進党候補を応援せずに自主投票としたり、あるいは自民党の候補をあからさまに応援するなど分裂選挙化した。第41回衆議院議員総選挙では公明党や創価学会の選挙協力が万全に進まず、一部選挙区では創価学会が人物本位のもと対立候補の自民党や民主党の候補者へ投票するなど票が分裂した。さらに新進党が無党派層の票を集めることができずに政権交代に失敗したため、選挙直後から議員の離党が相次ぐようになる[注釈 5]。
公明は新進党小沢執行部から要請を受ける形で党内結束のため、段階的に新進党への合流を模索し、1998年の第18回参議院議員通常選挙の立候補予定者として内定した浜四津敏子(東京都選挙区)、山下栄一(大阪府選挙区)、横尾和伸(福岡県選挙区)の3名を先行して1997年8月末に新進党に移籍させる動きも見られた[76]。しかし、東京都議会などでは公明は自民党との関係が近いこともあり、公明の地方組織内においては自民党との接近を求める意見もあった[注釈 6]ことや、これに前後して小沢執行部とそれに反するグループ(鹿野道彦、石井一など)との内紛も表面化して新進党内の混乱に拍車がかかったこともあり、1997年11月に「公明」は新進党への合流を見送り、翌1998年の参院選は独自で戦うことを決定する[77]。この決定は新進党解党へ向けての事実上のトリガーとなり[78]、公明は当時、参議院で「平成会」として新進党と統一会派を組んでいたがこれについても離脱が決定し、さらに同年12月の新進党党首選でも、新進党内の公明党グループ「公友会」内で、親小沢グループと反小沢グループとの意見集約ができず「自主投票」となるなど、グループ内の結束にも影響を来した[79]。党首選を制して引き続き新進党党首となった小沢は純化路線をとることを決断し、新進党は同年末に解党し6党に分党する形で、完全消滅した[80]。
旧新進党の公明党グループに属する衆議院議員は「新党平和」、参議院議員は「黎明クラブ」を結成。また小沢に近い一部の議員は自由党に所属した(公明グループで唯一、広中和歌子は鹿野グループの国民の声に所属した)。
新党平和に参加 | |||||||||||
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衆議院議員 | |||||||||||
近江巳記夫 | 石田幸四郎 | 草川昭三 | 市川雄一 | 宮地正介 | 坂口力 | 遠藤和良 | 神崎武法 | 冬柴鐵三 | 長内順一 | 大野由利子 | 北側一雄 |
河上覃雄 | 遠藤乙彦 | 平田米男 | 倉田栄喜 | 若松謙維 | 大口善徳 | 田端正広 | 福島豊 | 赤羽一嘉 | 井上義久 | 青山二三 | 福留泰蔵 |
上田勇 | 富田茂之 | 遠藤乙彦 | 太田昭宏 | 河合正智 | 赤松正雄 | 斉藤鉄夫 | 桝屋敬悟 | 白保台一 | 丸谷佳織 | 漆原良夫 | 池坊保子 |
旭道山和泰 | |||||||||||
黎明クラブに参加 | |||||||||||
参議院議員 | |||||||||||
白浜一良 | 木庭健太郎 | 浜四津敏子 | 山下栄一 | 横尾和伸 | 牛嶋正 | 續訓弘 | 高野博師 | 松あきら | 魚住裕一郎 | 山本保 | 大森礼子 |
益田洋介 | 加藤修一 | 海野義孝 | 但馬久美 | 福本潤一 | 渡辺孝男 | ||||||
自由党(小沢自由党)に参加 | |||||||||||
衆議院議員(公明党グループのみ記載) | |||||||||||
二見伸明 | 権藤恒夫 | 東祥三 | 久保哲司 | 谷口隆義 | 西博義 | 佐藤茂樹 | 石垣一夫 |
なお、自由党参加組のうち、二見・権藤・東を除き、後に公明党が再結成された際には自由党を離党して、公明党に戻っている。
以後、公明党がこの分党・新進党合流について言及することはほとんどなかったが、1999年の党大会では「出自の違う複数の政党が強引に二大政党をつくったために上手くゆかなかった」との総括が打ち出されている[81]。
自公連立政権
[編集]新進党分裂後、小沢が率いた自由党を除く党派は民主党に結集したが、公明党との合流については創価学会との相性がネックになって合流話は持ちかけられなかった。分党時に新党平和および黎明クラブを結成した旧公明党グループの双方(さらに自由党所属の公明党グループ5名を含む)は再び公明に合流し、1998年11月7日に「公明党」として再結成を果たす。再結成時の代表は神崎武法が就いた。この時期の公明党に秋波を送っていたのは自民党で、1998年4月28日、自民党は機関紙『自由新報』にかつて掲載した池田と学会員との内紛に関する記事について謝罪文を掲載した[82]。
7月の第18回参議院議員通常選挙で自民党が大敗し、ねじれ国会下で再び公明党がキャスティング・ボートを握った。同年秋の臨時国会では自民党は法案ごとに各党の協力を得ながら乗り切る。こうした背景から自民党と公明党の連立構想が沸き上がるが、公明党は以前自民党と鋭く対立していた手前、いきなり二党のみによる連立には反対であった。そこで、野党の中で孤立しつつあった自由党を交えた三党での連立交渉を始める。こうして1999年1月にまず成立したのが自自連立である。
公明党内部では、連立政権参加に対する反対論がくすぶっていたが、自自両党による衆議院比例区の定数削減議論に参加するため、公明党は7月に連立参加を決定し、10月5日に小渕恵三第2次改造内閣が発足する。しかし翌2000年2月に定数削減の法案が成立して以降、小沢は自自両党の合流を巡って小渕と対立し、自由党は連立を離脱する。その後、自由党の連立離脱反対派が結成した保守党が2003年に自民党へ合流するに至り、自公二党の連立政権(自公連立政権)が誕生するに至った[83]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では10議席減の21議席で惨敗、1955年の結党以来初めて衆議院第1党を失った自民党とともに、公明党としては10年ぶりに再び下野した。代表の太田昭宏も落選したため、後任の代表には参議院議員の山口那津男が就任した。2012年の第46回衆議院議員総選挙では31議席を獲得し、圧勝した自民党とともに再度政権与党に返り咲き、第2次安倍内閣より自公連立政権が復活した。2010年の第22回参議院議員通常選挙では比例区の得票数・獲得議員数がみんなの党を下回ったが、2013年の第23回参議院議員通常選挙では比例区の得票数が全政党中2位に浮上。2014年の第47回衆議院議員総選挙では小選挙区で全員が当選するなどして現行制度下で最多の35議席を獲得。
2016年の第24回参議院議員通常選挙では選挙区7人が当選、参院選における選挙区で獲得した議席として、結党以来歴代最多の圧勝をおさめ、衆参両院で自公をはじめとする改憲勢力が、日本国憲法改憲の発議が可能な、圧倒的多数となる3分の2を確保することに大きく貢献するなど、現在も国会でキャスティング・ボートを握る政党のひとつである。
しかしながら、2017年の第48回衆議院議員総選挙では、自公両党で319議席を獲得し圧勝したものの、公明党自体は総選挙直前に誕生した旧民主党・民進党系の立憲民主党と希望の党の新党の間に埋没する形となったことも影響し、下野した第45回衆議院議員総選挙以来8年ぶりに、小選挙区(神奈川県第6区)で落選者が発生し小選挙区8議席、比例代表も定数削減のあおりを受け特に北関東ブロック・南関東ブロックを中心に得票を減らし21議席に終わり、合計29議席となり、目標としていた公示前議席維持の35議席を下回った[84]。
2019年7月の第25回参院選では、公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)において、前回に続き全勝。比例でも7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得。これは前回・2016年に並ぶ最多議席となった。自公連立政権の与党は併せて改選定数124の過半数(63)を超える計71議席を獲得したが、改選議席(77)からは6減らした。非改選議員を含めた参院全体では自民・公明の連立与党、それに改憲に前向きな野党の日本維新の会と無所属を加えた「改憲勢力」の非改選議席は79と参議院における全議席の3分の2である85議席を超えず、日本国憲法改憲の発議が可能な圧倒的多数となる3分の2を確保できなかった[85]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では、小選挙区の公認候補9名全員と比例区23名の当選を果たし、公示前から3議席増の32議席を獲得した(比例代表:得票数 7,114,282、得票率 12.38%)。自由民主党(261議席)、立憲民主党(96議席)、日本維新の会(41議席)に次ぐ第4党となり、自公両党では過半数の293議席を獲得して圧勝した。
2022年7月の第26回参議院議員通常選挙では、選挙区の公認候補7名全員と比例区6名の当選を果たし、公示前から1議席減の13議席を獲得した(比例代表:得票数 6,181,431.938、得票率 11.66%)。非改選との合計で27議席となり、自由民主党(119議席)、立憲民主党(39議席)に次ぐ第3党となった。自公両党では76議席を獲得して圧勝した。しかし、比例獲得票が目標の800万票を大幅に下回る618万票になるなど、支持層の高齢化による組織力の衰えも指摘された[86]。
2023年4月の第20回統一地方選挙では、現在の公明党が再結成された1998年以降で最多となる12人の落選者を出した。山口は選挙結果について「日本維新の会の新人が積極的に立候補し、大量得票した。一方で投票率がそれほど上がっているわけではなく、既存の勢力が割を食った」と述べた[87]。特に練馬区議会議員選挙では前回選と同じ11人を擁立したが、当落線上に公明候補7人が並び、うち4人が落選した。合計得票は3万5000票弱で、前回から約5000票減っており、支持層の高齢化による組織力の弱まりが改めて指摘された[88]。
2024年9月、8期務めた山口那津男が代表を退任し、幹事長の石井啓一が新たな代表に就いた。党代表の交代は15年ぶりであり、執行部に中堅・若手議員を登用し、党内の新陳代謝を図る[89]。
しかし、同年10月の第50回衆議院議員総選挙では自公連立与党に対する逆風が直撃し、公明党は公示前から8議席を失う24議席の獲得に留まり、埼玉14区から立候補した石井啓一も落選する事態となった。現職の公明党代表が落選したのは2009年の衆院選以来となる。また、これまで確保していた大阪府内の小選挙区4議席も日本維新の会に議席を奪われてすべて失ったうえ、比例区でも票が伸び悩み、この選挙で躍進した国民民主党に比較第4党の座を奪われた[90]。投開票日翌日の同月28日、石井は大敗の責任をとって代表を辞任する意向を固め[91]、同月31日の中央幹事会で正式に辞任を表明した。石井の後任代表は任期途中での辞任のため、党規約により代表選は実施せず、11月7日の中央幹事会での推薦により決定され、同月9日の臨時党大会で承認される[92]。
一方で選挙翌日に石井代表は、同じく選挙で大敗した自民党総裁石破茂と会談し、自公連立政権の維持を目指すことを確認している[93]。
略年表
[編集]1950年代
[編集]- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 11月 第3回統一地方選挙に文化部の会員が出馬。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 6月27日 理事長小泉隆が参議院大阪府選挙区の第3回補欠選挙において買収行為を行なったとされ大阪府警察に逮捕される。また同年7月4日には渉外部長だった池田が会員に戸別訪問および買収を指示したとの嫌疑で逮捕、起訴された。
- 1959年(昭和34年)
- 6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。
1960年代
[編集]- 1961年(昭和36年)
- 11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。
- 1962年(昭和37年)
- 7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の議席数は15議席に。自由民主党、社会党に次ぐ第3党となる。
- 1963年(昭和38年)
- 1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援[94]。
- 1964年(昭和39年)
- 11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。
- 池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースにした政治論を訴える[94]。
- 1965年(昭和40年)
- 7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の議席数は20議席に。
- 1967年(昭和42年)
- 衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」「大衆福祉」「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表[94]。
- 1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝と矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
- 1968年(昭和43年)
- 7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが、支持母体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
- 1969年(昭和44年)
- 12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
- 12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に。
1970年代
[編集]- 1970年(昭和45年)
- 5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明[94]。
- 矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
- 1971年(昭和46年)
- 6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は1議席減の22議席に。
- 第一次訪中団を派遣[94]。日中復交五原則を提案。
- 1972年(昭和47年)
- 6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたことを取り上げた[96]。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 第10回参議院議員通常選挙において14人が当選、参議院の議席数は24議席に。
- 10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
- 1977年(昭和52年)
- 第11回参議院議員通常選挙において14人当選。議席は25議席に。
- 1979年(昭和54年)
- 民社党との公民連合政権構想に合意。
- 10月の衆院選において、公明党は57議席を獲得。日本社会党・民社党・社民連・新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。
- 12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意[94]。
1980年代
[編集]- 1980年(昭和55年)
- 1月 社会党と「連合政権構想」で合意[94]。
- 6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の議席数は26議席になったが衆議院では票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)
- 6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の議席数は27議席に。
- 12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)
- 再び衆参同日選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。
- 12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任[94]。
- 1989年(平成元年)
- 委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任[94]。第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党1党のみへ流れたため獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選挙では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る[注釈 7]。
1990年代
[編集]- 1990年(平成2年)
- 第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党1党のみへ流れたため公明党は45議席へと議席を減らす。
- 4月 「4野党連合政権協議」を凍結[94]。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 6月 PKO協力法成立に協力[94]。
- 7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう。また議席は24議席へ。
- 1993年(平成5年)
- 8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民・非共産連立政権である細川内閣に参画し、結党以来初の与党入りを果たす。総務庁長官として委員長の石田が、郵政大臣として神崎武法が、労働大臣として坂口力が、環境庁長官として広中和歌子がそれぞれ入閣。
- 1994年(平成6年)
- 4月 羽田孜前副総理を首班とした非自民・非社会・非共産の羽田連立政権に参画。石田が再任され、他3人に代わり、運輸大臣として二見伸明が、郵政大臣として日笠勝之が、建設大臣として森本晃司が、科学技術庁長官として近江巳記夫が、環境庁長官として浜四津敏子がそれぞれ入閣。
- 6月 総理大臣指名選挙で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣(自社さ連立政権)の成立により野党に転落。
- 12月4日 自民党が参議院特別委員会に池田大作名誉会長の参考人招致を画策、公明党員が委員長室前でピケを行い抵抗。その後、池田の招致は見送られ、創価学会第5代会長の秋谷栄之助が参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる[97]。
- 12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。
- 12月10日 公明新党が新進党へ合流。
- 1995年(平成7年)
- 1995年東京都知事選挙で石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北
- 7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第1党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
- 1996年(平成8年)
- 1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む[98]。
- 1997年(平成9年)
- 5月 旧・公明党系議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立[99]。
- 8月29日 翌年の第18回参議院議員通常選挙を見据え、公認が決定した公明所属の浜四津敏子、山下栄一、横尾和伸が先行して新進党に移籍。
- 11月 新進党内の内紛状態が悪化したため、公明所属者の新進党合流予定を取りやめ。翌年の参院選は「公明」単体で臨む事を決定したため、新進党解党へ向けての事実上のトリガーとなった。
- 12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
- 1998年(平成10年)
- 1月4日 新進党から分党して新党平和(公明系の衆議院議員が所属)、黎明クラブ(公明系の参議院議員が所属)が発足した。
- 1月6日 新進党の存続政党・(小沢)自由党に公明系議員のうち8人が参加。
- 1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。
- 7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し参議院では小渕恵三自民党総裁を破る。
- 11月7日 「公明」と「新党平和」が合流、さらに(小沢)自由党に参加していた一部議員も加わり「公明党」が再び結成される。
- 1998年沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
- 1999年(平成11年)
- 1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦するも、石原慎太郎に完敗。
- 10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(第2次小渕改造内閣)が成立、5年ぶりに与党復帰。続訓弘が総務庁長官として入閣。
2000年代
[編集]- 2000年(平成12年)
- 4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる。また同日、小渕が病に倒れる。
- 4月5日 第1次森内閣が成立。続が再任。
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持
- 7月4日 第2次森内閣が成立。続が再任。
- 12月5日 第2次森改造内閣が成立。続に代わり、坂口が厚生大臣兼労働大臣(2001年1月6日の中央省庁再編以降は厚生労働大臣)として入閣。
- 2001年(平成13年)
- 4月26日 第1次小泉内閣成立。坂口が再任。
- 7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
- 2003年(平成15年)
- 11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。
- 11月19日 第2次小泉内閣が成立。坂口が再任。また、保守新党解散に伴い、この日以降麻生内閣まで自公連立政権となる。
- 2004年(平成16年)
- 7月11日 第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる。
- 9月27日 第2次小泉改造内閣が成立。坂口に代わり、北側一雄が国土交通大臣として入閣。
- 2005年(平成17年)
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
- 9月21日 第3次小泉内閣が成立。北側が再任。
- 2006年(平成18年)
- 9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。
- 9月26日 第1次安倍内閣が成立。北側に代わり、冬柴鐵三が国土交通大臣として入閣。
- 9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表に太田昭宏が無投票当選、幹事長に北側が就任。
- 10月11日 党代表の太田が、週刊文春が報じた安倍と池田との会談について「全く承知していない」と語り、安倍も国会で池田との面会の事実を全面否定した[100][101]。
- 12月 目黒ショック
- 2007年(平成19年)
- 2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚[102]、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。
- 7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる[注釈 8]。
- 9月26日 福田康夫内閣成立。冬柴が再任。
- 2008年(平成20年)
- 1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたと報じられる[103]、翌日、太田が事実を認め謝罪[104]。
- 8月2日 福田康夫改造内閣が成立。冬柴に代わり、斉藤鉄夫が環境大臣として入閣。
- 9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選[105]。
- 9月24日 麻生内閣成立。斉藤が再任。
- 2009年(平成21年)
- 8月30日 第45回衆議院議員総選挙では、民主党による政権交代の風を受けて、代表の太田、幹事長の北側など小選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。連立を組織する自民党も119議席と大敗。
- 9月8日 臨時全国代表者会議で参議院議員山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。
- 9月16日 民主党中心の民社国連立政権である鳩山由紀夫内閣が誕生し、約10年間続いた政権与党の座から下野。自公連立を解消。
- 12月5日 第34回公明党全国県代表協議会において、この年代表に就任した山口が「山口ビジョン」を発表。「福祉の党」「教育の党」「平和の党」として、日本の将来を展望する3つの挑戦を掲げた[106]。
2010年代
[編集]- 2010年(平成22年)
- 7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数獲得は阻止。
- 2012年(平成24年)
- 6月15日 公明党が議員立法として提出した違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案(親告罪適用)が可決[107]。
- 6月18日 民主・自民との消費税増税を基本とした三党合意を党として了承[108]。
- 12月16日 第46回衆議院議員総選挙で31議席を獲得。自公政権が復活し、3年3か月ぶりに与党復帰。また、同日投開票の2012年東京都知事選挙では推薦候補の猪瀬直樹が圧倒的多数の得票数で当選を果たした。
- 12月26日 第2次安倍内閣が成立。太田前代表が国土交通大臣として入閣。
- 2013年(平成25年)
- 7月21日 第23回参議院議員通常選挙で11議席を獲得。非改選議席を含めると20議席となった。
- 2014年(平成26年)
- 2月9日 2014年東京都知事選挙で都本部の推薦候補・舛添要一が当選。
- 6月24日 憲法解釈変更による集団的自衛権の行使を限定容認。
- 9月21日 党全国大会で党の執行体制、議決体制を明確化。中央幹事会と常任役員会の役割を立て分け、中央幹事会を常設の議決機関に、常任役員会を最高執行機関にそれぞれ変更した[109]。
- 12月14日 第47回衆議院議員総選挙で35議席を獲得。
- 12月24日 第3次安倍内閣が成立。太田が再任。
- 2015年(平成27年)
- 10月7日 第3次安倍第1次改造内閣が成立。太田に代わり、石井啓一が国土交通大臣として入閣。
- 2016年(平成28年)
- 4月24日 前期補欠選挙投開票(北海道5区・京都3区)[110][111]。このうち、北海道5区では自民党の公認候補・和田義明を支援し[112]、無所属で民進・共産らが支援する野党統一候補との接戦の末、約12000票差で当選[113]。
- 7月10日 第24回参議院議員通常選挙において公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)で全勝。これは、公明党が参院選選挙区で獲得した議席として歴代最多である。また比例では7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得した[114]。これにより非改選議席と合計して、25議席となる。
- 7月31日 2016年東京都知事選挙で自民党や日本のこころを大切にする党と共に増田寛也を推薦したが、増田は小池百合子に大差で敗北した。
- 10月23日 2016年後期補欠選挙投開票(福岡6区・東京10区)[115]。このうち、東京10区補欠選挙で推薦した若狭勝が、民進党公認候補と諸派の候補の2名を破って当選[116]。
- 12月14日 東京都議会の会派・都議会公明党が、1979年から続いてきた自民党会派(東京都議会自由民主党)との連携を見直し、事実上の連立解消を表明[117]。
- 2017年(平成29年)
- 3月13日 - 小池百合子東京都知事率いる地域政党・都民ファーストの会と公明党東京都本部は、7月開催の2017年東京都議会議員選挙に向け、相互に候補を推薦するなど選挙協力を行うことを発表[118]。また、都民ファーストの会と都議会における公明党の会派「都議会公明党」と政策合意を締結したことも併せて発表。
- 7月2日 - 東京都議選投開票。都民ファーストの会との選挙協力の甲斐もあり、公認候補者全員の23人が当選[119]。
- 10月22日 - 第48回衆議院議員総選挙投開票。自民・公明の連立与党では、全議席の3分の2となる310議席を獲得する大勝。しかしながら、公明党自体は選挙前は35議席を目指していたが9年ぶりに小選挙区で落選者が発生し、小選挙区8議席。比例代表も定数削減の影響を受け21議席の計29議席に終わった[120]。
- 11月14日 - 都議会公明党は都民ファーストの会との関係解消を示した[121]。また、都議会自民党との関係修復を目指す考えも示した[121]。
- 2019年(令和元年)
- 7月21日 第25回参議院議員通常選挙において公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)で全勝。比例では7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得した。これにより非改選議席と合計して、28議席となる。
- 9月11日 - 第4次安倍第2次改造内閣が成立。石井に代わり、赤羽一嘉が国土交通大臣として入閣。
2020年代
[編集]- 2020年(令和2年)
- 9月16日 - 菅義偉内閣が成立。赤羽一嘉が、国土交通大臣として再任。
- 2021年(令和3年)
- 7月4日 - 東京都議選投開票。自民党との選挙協力を行い、公認候補者全員の23人が当選。
- 10月4日 - 第1次岸田内閣が成立。赤羽に代わり、斉藤鉄夫が国土交通大臣として入閣。
- 10月31日 - 第49回衆議院議員総選挙投開票。小選挙区の公認候補9名全員と比例区23名が当選。公示前から3議席増の32議席を獲得した(比例代表:得票数 7,114,282、得票率 12.38%)。自由民主党(261議席)、立憲民主党(96議席)、日本維新の会(41議席)に次ぐ第4党となり、自公両党では過半数の293議席を獲得して圧勝した。
- 11月10日 - 第2次岸田内閣が成立。斉藤が、国土交通大臣に再任。
- 2022年(令和4年)
- 7月10日 - 第26回参議院議員通常選挙投開票。選挙区の公認候補7名全員と比例区6名が当選。公示前から1議席減の13議席を獲得した(比例代表:得票数 6,181,431.938、得票率 11.66%)。非改選との合計で27議席となり、自由民主党(119議席)、立憲民主党(39議席)に次ぐ第3党となった。自公両党では76議席を獲得して圧勝した。
- 8月10日 - 第2次岸田第1次改造内閣が成立。斉藤が、国土交通大臣に留任。
- 12月15日 - ハラスメント防止や法令遵守に向けた政治倫理規範を改訂。対象を議員だけでなく秘書や職員にも拡大した上で、新たに「国民の模範となるよう、高い倫理観をもって、自覚と責任感ある言動に徹し、法令や社会的ルールを遵守する」などの文言を盛り込んだ。政治倫理規範は2005年に策定され、「常に大衆の代弁者として立党の精神を体現する」「党勢拡大に取り組む」など計7条から構成されている。また、インターネットでの適切な情報発信などを求めるガイドラインも策定した[122]。
- 2023年(令和5年)
- 9月13日 - 第2次岸田第2次改造内閣が成立。斉藤が、国土交通大臣に留任。
- 2024年(令和6年)
- 9月10日 - 山口那津男代表が次期公明党代表選に立候補せず、任期限りで退任することを表明。15年ぶりの党代表交代となり、山口の党代表在任期間は竹入義勝に次ぐ2番目の長さとなった[123]。
- 9月18日 - 党代表選挙が告示され、幹事長の石井啓一のみ立候補を届け出たため、無投票での当選が決定(28日に党大会で就任予定)[124]。
- 9月28日 - 党大会において、石井啓一を新代表とすることが承認され、正式に就任。新執行部も発足[125][126]。
- 10月27日 - 第50回衆議院議員総選挙投開票。公示前勢力から8議席減の24議席獲得にとどまり、大阪府内の小選挙区議席をすべて失ったほか、代表の石井も落選する大敗となった。自公両党でも公認候補を合わせても公示前から64議席減の215議席となり、過半数を割り込んだ[127]。石井はこの大敗の引責による代表を辞意する意向を示した。
政策
[編集]憲法・皇室典範
[編集]- 憲法改正論議について、党内には改正論と慎重論の2つがある。自民党や民主党とは異なり、改正ではなく時代の進展に伴い提起されている新たな理念・条文を加えて現行憲法を補強していく「加憲」という独自の立場をとる[128]。
- 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、憲法上、オンラインでの国会審議は、一定の条件下で許されるとの考えを示している。特に、憲法56条が定める議員の「出席」の解釈については、感染症の蔓延や巨大地震の発生で甚大な被害が発生した場合など、「一定の要件、条件の下」で「例外的にオンラインを活用し、決議することは憲法上も許容される」との見解をまとめている[129]。
- 「加憲」にあたって議論の対象としてきた「環境権」を巡っては、個人が快適な環境を享受する権利を守るという観点ではなく、脱炭素社会の実現に向けて、国や国民が環境を保全する責務を規定する方向で議論を深めることとしている[130]。
外交
[編集]- 公明党代表の山口那津男は「新しい中道」という政治指針を唱えている。「新しい中道」とはポスト冷戦の「東西陣営と左右の対立が見えにくくなった時代」に「あるべき価値を見据え、一方に偏ったり、切り捨てたりせずに合意を形成していくこと」であると説明した[131]。
- 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、代表の山口那津男らは、同年9月29日、首相の岸田文雄に対し、ウクライナへの支援強化に関する提言を渡した。暖房など避難民への支援強化や2023年に広島市で開催されるG7サミットに合わせたウクライナの復興支援国会合の開催等を求めている模様[132]。
安全保障
[編集]- 2012年(平成24年)12月、自民党総裁安倍晋三の意向を踏まえて打ち出された「憲法改正で自衛隊を『国防軍』と明記する」という自民党の政権公約について、公明党代表の山口那津男は「定着した名称をことさら変える必要性はない」と述べ、反対する考えを示した[133]。
- 2014年(平成26年)6月、自民党との与党協議の結果、日本国憲法の解釈を変更し、他国を武力で守る効果を持つ集団的自衛権の行使を限定容認することで大筋合意した[134]。公明党代表の山口那津男は「新しい3要件で自衛権の行使の範囲を厳格にして歯止めをかけた」「他国を防衛すること自体を目的にする、いわゆる集団的自衛権は認めないことが今回の閣議決定だ」と説明している[135]。公明党本部前では同時期に集団的自衛権行使容認反対デモが発生した[136]。
- 非核三原則については、公明党が1967年(昭和42年)12月8日の衆議院本会議において、「(米国からの)小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と取り上げたことで、国会の会議録に初めて残った[3]。
日米関係
[編集]- 日米安全保障条約をめぐっては、公明党結成時の1964年(昭和39年)には「発展的解消」を主張し、昭和40年代には「段階的解消」「早期解消」を主張していた。「創共協定」締結直前の1974年(昭和49年)1月の中央委員会では「即時解消」を主張した。「創共協定」が党内の反対を受けて空文化し始めた1975年(昭和50年)10月には事実上の存続を認める「合意廃棄」と軟化し、1981年(昭和56年)1月の公明党大会で、日米安保、自衛隊、原子力発電を容認することを表明した[137]。
- イラク戦争では自衛隊イラク派遣に賛成し、2007年(平成19年)6月には改正イラク特措法(期限を2年間延長)の成立にも賛成した。
- 2007年(平成19年)3月、公明党代表の太田昭宏は憲法改正について「自民党の改正案は集団的自衛権の行使を認めることが裏にあるが、われわれは集団的自衛権を認めない」と強調した[138]。
- 2008年(平成20年)1月、衆議院の再議決を経て成立したアフガニスタン駐留米軍への自衛隊による給油支援を定めたテロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(補給支援特措法)に賛成した。
日中関係
[編集]- 日中善隣友好協力関係の発展を重視しており、日中関係は最も重要な2国間関係であるとしている[139]。
- 2021年6月14日、中華人民共和国によるジェノサイドについて、対中非難決議は公明党の反対で見送られた[140]。
- 2022年2月1日、衆議院本会議で、中国による新疆ウイグル自治区などでの人権問題に関して「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に関する決議」が賛成多数で採択された。北京冬季オリンピック開幕前に人権を重視する姿勢を示した形だが、盛り込む予定だった「人権侵害」や「非難」の文言は公明党の要請を受けて削除され、中国を明示することも避けた[141]。
経済
[編集]- 2008年(平成20年)後半から深刻な状態になった日本経済に対して、ゼロ金利や量的緩和も視野に入れた金融政策や、大規模な財政出動など政策を総動員していく必要性を強調した[142]。
- 2022年の参議院議員選挙の公約として、「人への投資を強化し持続的な賃金上昇を実現」、「短時間制社員制度の導入拡大など働き方を自由に選べる社会」等の経済政策を公表した。特に、持続的な賃上げを実現するため、有識者による第三者委員会を設置し、賃上げの実施状況や企業間格差などを検証するなどと発表した。このほか、女性デジタル人材の育成や、科学技術イノベーション、エネルギー安全保障と2050年カーボンニュートラルの両立、デジタル基盤の整備促進とイノベーションの創出を掲げている[143]。
- ロシアによるウクライナ侵攻に伴う物価高に対応する措置がないとして、公明党代表の山口那津男は、2022年3月22日、補正予算も視野に検討する必要があると名言。その後も断続的に、補正予算の編成を求める発言を繰り返していたが、自民党は慎重な姿勢を示していた[144]。4月19日には、自公の幹事長、政調会長で協議がなされたが、協議は継続した[145]。19日の協議から2日後の21日、最終的に両党は、物価の上昇を踏まえた緊急対策の財源をめぐり、今年度予算の予備費を活用するとともに、予備費の積み増しなどのため、補正予算案を編成し、今の国会に提出するよう政府に求めることで合意した[146]。
- 幹事長の石井啓一と政調会長の高木陽介が、首相の岸田文雄に対し、2022年10月にもまとめる総合経済対策に関する提言を手渡した[147]。その場で、石井は「電気・ガス料金の高騰対策をしっかりやってほしい」と要請。岸田は「提言をしっかりと受け止める」と述べた上で、特に電気料金について「大事なポイントだ」と語った。公明党は電気料金に関し、具体策の構築が難しくもどかしさを感じていたが、国民・事業者から大変重荷になっているとの声を受け、要請に踏み切ったとされる[148]。一方、ガス料金については明確な返答がなかったため、第210回国会(臨時会)において、代表の山口那津男が電気代のみならず、ガス代についても負担軽減策をとるべきだと重ねて訴えた。同年10月11日に行われた自公の党首会談においても、「ガス代も併せてやらないと公平性が保たれない」と岸田に要請[149]。3日後の14日に改めて党首会談を行い、両氏は電気や都市ガスの価格上昇の負担軽減策を導入する方針を確認した。電気料金については、2023年1月にも負担軽減策を実施するとした[150]。
福祉
[編集]- 結党以来、福祉に力を入れてきた側面があり、「福祉の党」と呼ばれることがある[151][152]。
- 児童手当は、都議会公明党の働きかけにより、1969年に東京都独自の制度が創設された [153] 。国においては68年に公明党が児童手当法案を国会へ提出、72年に国の制度が創設された [154]。その後、99年に公明党が参加する自公連立政権が発足し、2000年度には3歳未満から義務教育就学前まで対象を拡大、01年度には所得制限を緩和、04年度には小学校3学年終了前まで対象を拡大、06年度には小学校6学年終了前まで対象を拡大し所得制限も緩和[155]。09年に発足した民主党政権の厚生労働大臣や総理大臣からは、児童手当に関する公明党のそれまでの取り組みに対し、「本当に社会的に大きな役割を果たした」「この功績は大きい」等と複数回答弁されている[156] [157] [158] [159] 。
- 公明党は2023年の統一地方選挙における重点政策において、児童手当の所得制限を撤廃し、18歳まで対象を広げることを掲げた。その他に子育て支援策として、医療費の無償化を高校3年生まで拡大することや、0〜2歳児の保育料無償化の要件緩和、専業主婦家庭も利用できる保育制度などを掲げた。女性や若者向けの政策としては、給付型奨学金や授業料減免について理工農系学生のうち中間所得層まで対象を拡大することや、女性が休暇を取りやすい環境整備を掲げた。物価高対策では、電気・ガス料金の負担を軽減するため、予備費などを活用して機動的に対応するとした[160]。
- 1999年(平成11年)、小渕内閣に「地域振興券」の発行を強く迫り実現させる[138]。
- 2003年(平成15年)、党のマニフェストで、少子高齢化が進んでも現役世代の平均収入の50%以上を保証する「年金100年安心プラン」を発表する。
- 2005年(平成17年)、自民党とともに、介助や援助を必要としている障害者に対して、福祉サービス利用料として一律1割の負担を求める障害者自立支援法を成立させる。
- 2010年(平成22年)7月に行われる予定の参院選に向けて発表したマニフェストで、うつ病や児童虐待など、日本が抱える新しい福祉問題(「新しい福祉」)の解決に重点的に取り組む姿勢を示す。また、民間・公共住宅の空家をリフォームし、非正規労働者や年金生活者などの住宅困窮者に低家賃で提供する「セーフティネット住宅100万戸供給作戦」の実施を明言する[161]。
- 地方行政においては公明党が与党入りすることも珍しくないため、支援者のために生活保護の受給を行うよう市の職員に要請することも多い。[要出典]2004年(平成16年)、宮城県多賀城市議会議員根本朝栄が自身の母親の生活保護申請を行うため市職員に圧力をかけたとの疑惑が浮かび、多賀城市では該当者の生活保護受給を打ち切り、根本や親族に対して生活保護の返還命令が出された[162]。
- 不妊治療の保険適用は、2020年の自民党総裁選で菅義偉氏が訴えたことで注目された。だが、公明党も「福祉の党」を掲げ、1998年に不妊治療の保険適用を基本政策大綱に盛り込み、2000年には党女性委員会が人工授精や体外受精への保険適用を求める約55万人分の署名を政府に提出したとされる[163][164]。
- 子ども家庭庁の設置に向けては、2021年5月31日に、公明党政務調査会長の竹内譲らが、行政の縦割りを排した司令塔機能を担う「子ども家庭庁」創設等を首相の菅義偉(当時)に提言している[165]。当時は、自民党の自見英子らが「こども庁」という名称で設置を進める動きもあったが、現在は、「こども家庭庁」という名称で設置する方向のようだ。
- 2022年10月14日、代表の山口那津男は、首相の岸田文雄に対し、子供・子育て支援について、支援が手薄な0歳から2歳の低年齢期に焦点を当てて、妊娠時から出産・子育てまでの伴走型の相談支援と経済的な支援を充実させ、継続的に実施することや、来年度当初予算によって、出産育児一時金の大幅な増額を行うことを要請。両氏は、同月末に取りまとめる「総合経済対策」に、これらの内容を盛り込むことについて確認した[166]。これを受け、政府が同月28日に閣議決定した総合経済対策には、妊娠時から出産・子育てまで一貫した伴走型相談支援と経済的支援(妊娠届出時と出生届時を通じて計10万円)を一体的に実施する事業を創設・継続することや、2023年度当初予算により出産育児一時金を大幅に増額することが盛り込まれた [167] 。
- 政務調査会長の高木陽介は、第210回国会の予算委員会において、結婚から妊娠・出産・子育てまでのライフステージや、子どもの年齢等に応じた支援の拡充を主張。首相の岸田文雄から、2023年に策定する骨太の方針に、「将来的に倍増を目指していくうえでの当面の方針、すなわち倍増への道筋について示していきたい」との答弁を引き出した[168][169]。
- 党代表の山口那津男は2022年11月8日、子育て支援に関する予算を大幅に拡充し、結婚や出産から高等教育までの子育て支援策を一体的に充実させる「子育て応援トータルプラン」を発表した [170] 。若者が希望をもって将来を展望できるよう雇用環境を整備し、経済的基盤を安定させるとともに、0歳から2歳までの保育の無償化、児童手当の対象を18歳まで拡大、子どもの医療費を高校3年生まで無償化などを盛り込んだ [171] 。
- 公明党は、2023年3月14日、政府が月内にもとりまとめる追加の物価高騰対策に対する党提言の概要を発表し、翌15日に、首相の岸田文雄に提言した。提言では、住民税非課税対象など低所得の子育て世帯に対し、子ども1人につき5万円を支給することや、自治体が自由に使うことができる地方創生臨時交付金を積み増し、LPガス料金などの負担軽減を図ることなどを要請[172]。これを受け、岸田は「低所得層に1世帯当たり3万円の給付を行い、そしてひとり親を含む低所得の子育て世帯には児童1人当たり5万円の給付金を支給することを検討する」と表明した。なお、自民党も同日、岸田に追加の物価高対策を提言している[173]。
- 公明党は2023年3月28日、少子化対策の強化に向けた政策提言を岸田総理大臣へ申し入れた。少子化の現状を「社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際」だと指摘し、政府が「緊急事態宣言」を発令して今後3年間を「集中期間」と位置づけ、児童手当の対象年齢を18歳まで引き上げることや、所得制限の撤廃、多子世帯への加算に優先的に取り組むよう求めた。また、高校3年生までの医療費や高校・大学、給食等の無償化の拡大、雇用形態に関わらず育児休業を取得できるようにすることや、奨学金返還の負担軽減等を求めた。岸田総理は「しっかり受け止めて、たたき台に反映できるよう努力していきたい」と応じた[174]。
- 政務調査会長の高木陽介らは2023年5月29日、2030年までに子育て関連の予算を倍増させることなどを首相の岸田文雄に提言した。児童手当は2024年度から所得制限を撤廃し、支給期間を高校卒業まで延長するほか、第3子以降は1万5千円の支給額を倍の3万円に増額することを求めた。また、大学などの授業料の減免について、現在の低所得層から多子世帯の中間所得層などにも拡大すべきと訴えた。必要な財源については、徹底した歳出改革により国民に安易な追加負担を求めないよう要請。岸田は「与党の意見も反映して政府案を最終決定したい」と応じた[175][176]。
男女共同参画
[編集]- 男女共同参画を強く推進している。内閣府男女共同参画局や各自治体男女共同参画課による施策の予算獲得に関して主導的な役割を果たしており、自公連立政権以降は男女共同参画関連予算増額などを求める[177]。
- 2006年、公明党厚生労働部会と女性委員会男女共同参画・人権擁護推進プロジェクトチームが合同会議を開き、女性医師の出産・育児と仕事の両立、就業支援のあり方をめぐって議論を行った。この際、代表代行の浜四津敏子は「女性医師が就労を継続できる環境を整備するため、男女共同参画社会の形成に粘り強く取り組んでいく」と決意を述べている[178]。
- 夫婦の各個人の姓を同じ姓にするか改姓せずに済むようにするか選択可能にする選択的夫婦別姓制度の法制化を推進している[179]。2015年(平成27年)2月には、「党として法改正の検討に着手する」と政調会長の石井啓一が表明した[180]。同年12月には参議院会長の魚住裕一郎が「国会で議論をまきおこしたい」とも述べ[181]、2016年(平成28年)1月には代表の山口那津男も「国会で議論を深め、時代に応じた立法政策を決めていくのが政治の責任だ」と述べている[182]。一方、2015年(平成27年)12月には「連立政権の足並みの乱れを生じさせたくないため、この問題について連立を組む自民党を積極的に説得していない」とも報道された[181]。
税制
[編集]- 特別会計の廃止を含めた合理化を提唱する[183]。
- 野田内閣下において民主党・自由民主党と三党合意を結び、消費税増税に賛成の立場をとるが、弱者への配慮から消費税への「軽減税率」導入を政策の柱の一つとしている。軽減税率の制度については、2012年6月13日の衆議院の公聴会でSAPジャパンのコラムニストであった田淵隆明が制度設計を提案して話題となった。公明党は田淵の意見を軽減税率の制度設計に取り入れた[108]。
- 公明党が自民党に対して軽減税率の対象に新聞を含めるよう強固に主張した理由について、実業家の堀江貴文はTOKYO MX『5時に夢中!』で「公明党がなんでそんなに言ってるかっていうと、支持母体の聖教新聞(にかかる消費税)が8%から10%になったら、激減すると思うんですよ、契約が」と私見を述べた。司会者から軽減税率は食品が中心ではないかと指摘されると、堀江はさらに「新聞が本命なんですよ、絶対にそうだと思う」と持論を繰り返した[184]。
- 2020年度税制改正では、公明党の主張で配偶者と離婚・死別したひとり親世帯を対象に年間で最大35万円を所得控除する「寡婦(夫)控除」を未婚のひとり親にも適用することが決まった。当時、自民党は伝統的な家族観と異なると反対してきたが、多様な家族の形も尊重するとして賛成に回った。また、自民党幹事長代行の稲田朋美など伝統的な家族観を重視する保守系女性議員の支持もあり、未婚のひとり親に対する「寡婦(夫)控除」が盛り込まれたと言われている[185][186]。
行政
[編集]- 国と地方の公務員の1割削減や予算の重点化・効率化による公共事業費の縮減、国家公務員の天下り管理、退職金の受給制限などを提案していた。一方、自公連立政権で国土交通大臣を務めた冬柴鐵三は大臣時代、独立行政法人の改革を推進する自民党所属の行政改革担当大臣渡辺喜美と意見が対立し、野党や公明党内から冬柴に厳しい意見が出た[187]。
- 外国人参政権付与に賛成する[188]。
- 公明党は参議院の「法務委員長」のポストを40年以上に渡り独占している[注釈 9][189]。
治安
[編集]- 「共謀罪」法案成立に賛成の立場をとる。2006年(平成18年)5月19日、自民党と共に衆議院法務委員会で「共謀罪」法案を強行採決する姿勢を見せていたが、採決は見送られた。2017年(平成29年)、「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」に賛成した。
- 2013年(平成25年)12月、特定秘密保護法に賛成した。
- 警察のキャリア支援と地域の防犯パトロールの政策に関与している[190][191][192][193][194][195][196][197][198][199][200][201][202][203][204][205][206][207][208][209][210][211][212]。
消費者政策
[編集]- 公明党は消費者問題への対策について、消費者庁の設置[213]をはじめ、消費者団体訴訟制度の導入[214]、加工食品へのアレルギー原因物質の表示義務化[215]などを、国会での質問等を通じて推進し実現してきた。また、偽造・盗難キャッシュカードによる不正引き出しについて金融機関が原則的に被害額を全額補償する「預貯金者保護法」[216]や、国民運動として食品ロスの削減を推進する「食品ロス削減推進法」[217]を、それぞれ議員立法により成立させた。
- 党政務調査会長の高木陽介は、令和4年10月17日の衆議院予算委員会において「旧統一教会をめぐる問題について、悪質な寄附の要請を規制する新たな立法の検討を含め、被害の防止に万全を期していくことが必要」と主張。岸田総理から「寄附について法制的対応の是非を検討する」旨の答弁を引き出した[218]。その後、宗教法人に限らず、法人等による不当な寄附の勧誘を禁止する新法 [219] と、霊感等による告知を用いた勧誘に対する取消権の範囲拡大・行使期間延長を盛り込んだ消費者契約法等改正法 [220] が、同年秋の臨時国会へ提出され、12月に成立した[221]。
教育
[編集]- 結党当初から、教育を理念の一つとして掲げている。1963年3月13日、参議院議員の柏原ヤス(当時、公明会)が、参議院本会議において、義務教育の教科書代に充てる予算を削減している政府の消極的な姿勢や教科書無償配布の将来の見通しなどについて質問した。この質問の答弁に立った総理の池田勇人(当時)は、「おそくとも四十一年度までには義務教育の教科書を全部(無償で)出したいという考え」を表明したことで教科書の無償配布が前進した[4]。
- 2006年には、幼児教育の無償化を重点政策に、2017年の衆議院総選挙では、私立高校の実質無償化や大学等の教育費負担の軽減を公約に掲げている[5]。
- その後、幼児教育については、2019年10月より、3歳から5歳までのすべての子供たちの幼稚園、保育所、認定こども園の費用が無償化となる。(住民税非課税世帯の0〜2歳児についても無償化)2020年4月からは、全国で私立高校の授業料の実質無償化がスタートしたことに加え、大学生などへの「給付型奨学金」と「授業料減免」の対象範囲と金額も広がった[6]。
- 子育て支援と教育を国家戦略と位置付け、全世代型社会保障の構築や、誰も取り残されない教育立国を目指し、出産育児一時金の増額、高校3年生までの子ども医療費無償化、孤独・孤立対策の交付金新設、ヤングケアラーの支援拡充、給付型奨学金の所得制限緩和等に取り組むことを2022年の参議院議員選挙の重点政策に掲げている[222]。
- 教育基本法の改正案に「愛国心」という言葉を盛り込むことに反対した。自民党案の「郷土と国を愛し」という文言について「戦前の国粋主義を連想させる」と反対し、代わりに「郷土と国を大切にし」との表現を盛り込ませた[223]。
人権
[編集]- 2003年、公明党女性局として女性専門外来の設置を求める署名運動を全国で展開。党石川県本部女性局も同年に署名運動を実施し、石川県知事の谷本正憲に対して約4万人の署名簿を提出した。この結果、石川県立中央病院に女性専用外来(女性内科)が開設され、2018年にはその専用外来が全国初の「エリア」に発展した[224]。
- 特定の民族や人種に対する差別や憎悪をあおるヘイトスピーチへの対応について、衆議院議員の国重徹が2015年2月23日の予算委員会において法整備の必要性を指摘。首相の安倍晋三から「各党における検討や国民的な議論の深まりを踏まえて考えていきたい」との答弁を引き出した[225]。さらに、国重は被害の実態調査や学校での人権教育の強化など、ヘイトスピーチを含む人種差別についての根絶に向けた対策の強化を要請。安倍は「教育や啓発活動の充実など、さまざまな施策の推進に努めて」いくと応じた。これらの議論を経て、2016年6月3日にヘイトスピーチ解消法が成立した[226]。
- 2016年11月に参議院議員の佐々木さやかを座長として「AV出演強要問題対策プロジェクトチーム(PT)」を設置した[227]。2017年、内閣官房長官の菅義偉に過激なポルノの流通規制などを盛り込んだ提言を申し入れる[228]。2022年、超党派の実務者会合を通じて自民党・立憲民主党・日本維新の会・国民民主党・有志の会とAV出演被害防止・救済法案を共同提出し、衆参両院の内閣委員会における採決で賛成した[229]。
性的マイノリティの権利
[編集]- 性的マイノリティへの支援について、代表代行の浜四津敏子は、2002年11月7日の参議院法務委員会において、性同一性障害者が戸籍の性別を変更できるように特別立法を設ける必要性を指摘[230]。政府から「真剣に検討をしていきたい」との答弁を引き出した[231]。その後各政党も賛同し、2003年7月に性同一性障害者特例法が成立した[232]。こうした浜四津の取り組みは、当事者団体から「これを契機としていろいろな対応が一気に進んだ」「与党の一角である公明党の代表代行という重要な地位にある浜四津議員がこの問題に興味をもたれ、取り組まれたことは大きな意味があったといえる」と評価されている[233]。
- 渋谷区では、2015年3月に同性カップルに対して「結婚に相当する関係」とする証明書(パートナーシップ証明書)を出す条例を制定。審査過程で公明党などが賛成した。条例が採決されたことについて、渋谷区長の桑原敏武は「(条例案が)理解されたことは、大変ありがたいこと」と述べた[234]。
- 2015年3月、国会で自民党や公明党、民主党などの超党派による「LGBTに関する課題を考える議員連盟」が発足[235]。公明党では参議院議員の谷合正明が中心となり、「性的指向と性自認に関する政策推進」を官房長官の菅義偉に提言するなど、性的マイノリティへの支援に取り組んでいる[236]。
- 2021年には議員連盟で「LGBT理解増進法案」をまとめたが、自民党の保守系議員の反発で頓挫した[237]。2023年2月の首相秘書官の差別発言を受けて再び「LGBT理解増進法案」が注目されると、衆議院議員の鰐淵洋子は、同年5月のG7広島サミット前に法律を制定するよう首相の岸田文雄に直談判した[238]。代表の山口那津男も「できればG7のサミット、首脳会議をする前に日本としての意思を明確に示すべきだ」と述べ、G7広島サミット前の法案成立を目指す考えを示した[239]。
- 同性婚について、2019年に党の「性的指向と性自認に関するプロジェクトチーム(PT)」で議論を開始[240]。2022年の参議院選挙政策集では「国民的議論を深めるとともに、国による具体的な実態調査を進め、必要な法整備に取り組みます」としている[241]。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と規定している日本国憲法第24条の解釈をめぐっては、首相の安倍晋三が2015年2月の参院本会議で「現行憲法の下では同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されていない」と答弁したが、衆議院法制局は2021年2月25日に「日本国憲法は、同性婚を法制化することを禁止はしていない、すなわち、認めているとの許容説は十分に成り立ち得る」との見解を示した[242]。副代表の北側一雄も、2023年2月9日の記者会見で、同性婚は憲法を改正しなくても現在の憲法のもとで可能だという認識を示した[243]。さらに北側は、同年2月22日の記者会見において、同性婚の法制化について党内で検討していく考えを示した[244]。
組織
[編集]党員
[編集]1970年(昭和45年)以前の創価学会文化部時代は、創価学会員でなおかつ文化部員としての手続きをしなければ党活動に参加することができなかった。言論出版妨害事件以後の組織分離により学会員以外にも門戸が開放され、現在は党規約4条に「党の綱領及び規約を守り政策および諸決議を実現するために党活動に参加しようとする18歳以上の人は国籍を問わず」党員として入党することができると定められている。
入党の手続きは地元の党所属議員を経由する方法のほか、創価学会員であれば支部・地区・区本部といった末端組織を通じて紹介を受けることができる。学会員であるからという理由で強制的に入党させられることはない。入党希望者は既存党員2名の紹介を付けた所定の入党申込書に本人が自筆で記入し、初年度の党費を添えて支部または総支部長に提出する。支部長はこれを都道府県本部に送り、都道府県代表の承認を受けることにより手続きが完了する。
年額3,000円の党費支払いの他に、機関紙を購読することが規約7条で推奨されている[245]。
なお『公明新聞』『月刊公明』『公明グラフ』の配達と集金は聖教新聞販売店に委託されており、聖教新聞と公明新聞の両方を購読している党員にはそれぞれ別々の領収証が発行される。
創設者の池田大作はこれまで党役員はもとより党員にもなったことはない[137]。
本部
[編集]党本部は東京都新宿区南元町にあり、党本部に近い別のビルに公明新聞編集局が所在する。
議員団
[編集]公明党所属の国会議員は衆議院・参議院両院でそれぞれ、地方議会議員は各議会ごとに議員団を編成する。これら組織の連絡機関として、全国議員団会議[246] および全国地方議員団会議[247] が存在する。
中央組織
[編集]- 最高議決機関は2年に一度開催される党大会であり、代議員によって公明党代表を選出し、活動方針、重要政策、綱領および規約の改正、予算決算など重要案件を決定する。ただし、結党以来、委員長・代表などの交代の際に対立候補が出馬したことはこれまで一度もない[248]。
- 党大会が開かれていない間は全国代表者会議が大会の権限を代行する体制であったが、2014年9月の党大会で廃止され、常任役員会が次の党大会まで責任を持つ最高執行機関と位置づけされた。2014年9月まで党の最高執行機関であった中央幹事会は常設の議決機関に変更となった。
- 国会議員は両院議員総会を作る。代表以外の主要役員は代表が指名してから大会の承認を得ることになっており、より下級の役員は上からの指名によるので、規約上は代表の権限が強い。
- 「言論出版妨害事件」以降、党組織の一定の改革もなされ、中央幹部会を議決機関の中央委員会と執行機関の中央執行委員会への分離と党大会代議員の下部からの選出などが行われた。
地方組織
[編集]公明党の地方組織は、ブロックに相当する方面本部(ほうめんほんぶ)[249]、都道府県本部[250]、総支部[251]、支部[252] の4段階からなる。
方面本部
[編集]「方面」は創価学会の制度に準じたもので、他の政党にない公明党独自の地域概念である。関東地方は東京方面(東京都および山梨県)、東海道方面(神奈川県と静岡県)、関東方面(東京・東海道両方面に属しない関東5県、埼玉県・千葉県・群馬県・栃木県・茨城県)の3つに分けられ、福井県が関西方面に属し、沖縄県は九州の他の県と違って単独で方面を持つなど全部で13の方面本部があり、衆議院比例代表選挙のブロック分けとも異なる。
党所属の国会議員は、出身または活動拠点としている都道府県が属する方面に関与することを義務付けられる[253]。
都道府県本部
[編集]自民党の都道府県支部連合会、民主党の総支部連合会に相当する組織が、この都道府県本部となる。必要に応じて、傘下に選挙区連合会や総支部連合会、支部連合会といった中間組織を設けることもできる。
総支部
[編集]公明党の総支部は、国会議員の選挙区を基本とする旧民主党のそれとは異なり、むしろ日本共産党の地区委員会に近いものと位置付けられる。
このため東京23区では各区ごとに設置されているが、他の政令指定都市では複数の行政区を統括している場合もある。都道府県・政令市・東京23区の区議会議員は基本的には総支部を拠点とする。
支部
[編集]党内最末端組織となる支部は、自民党の地域支部、民主党の行政区支部に近いとされる。一般市ないしは町村議会の議員は支部を基本として活動する。
内規による定年制
[編集]党の内規では「任期中に66歳を迎えない」ことを選挙における公認条件とし、事実上の66歳定年制を設けていた。ただし、藤井富雄(引退時81歳)、坂口力(引退時78歳)、池坊保子(引退時70歳)、草川昭三(引退時84歳)など例外も存在した。
その後、所属議員の高齢化に伴い、2013年12月の党中央幹事会で定年を66歳から69歳に引き上げた[254][255]。
また、この際に在職制限(次の任期中に在職24年を超えない)も導入された。年齢制限と在職制限については、「余人をもって代えがたい」「地元からの強い続投要請」「その人物が党運営に今後も必要」の3条件をすべて満たした場合、慣例的に例外とすることが可能とされている。2020年時点ではリクルート事件を契機とした1990年代の世代交代で誕生した「第2世代」と呼ばれる議員らが党の中核を担っており、この「第2世代」の大半が年齢制限か在職制限に該当するため、どこまで例外を適用するかが党の課題となっていると報じられた[256]。
役職
[編集]常任役員会代表(党代表)
[編集]中央幹事会
[編集]常任役員会
[編集]役職 | 人物 |
---|---|
代表 | 石井啓一 |
副代表 | 北側一雄 古屋範子 斉藤鉄夫 佐藤茂樹 赤羽一嘉 竹谷とし子 |
幹事長 | 西田実仁 |
中央幹事会会長 | 佐藤茂樹 |
政務調査会長 | 岡本三成 |
参議院議員会長 | 谷合正明 |
参議院幹事長 | 石川博崇 |
幹事長代行 | 空席 |
女性委員長 | 竹谷とし子 |
選挙対策委員長 | 三浦信祐 |
国会対策委員長 | 佐藤英道 |
総務委員長 | 高鍋博之 |
機関紙委員長 | 吉本正史 |
広報委員長 | 伊佐進一 |
全国議員団会議
[編集]- 2023年10月1日現在
役職 | 人物 |
---|---|
議長 | 不明 |
常任顧問・顧問
[編集]- 2024年9月28日現在
役職 | 人物 |
---|---|
常任顧問 | 太田昭宏 井上義久 山口那津男 |
顧問 | 空席 |
アドバイザー | 石田祝稔 桝屋敬悟 高木美智代 浜田昌良 |
閣僚経験者
[編集]内閣 | 公明党閣僚 |
---|---|
細川内閣 | 郵政大臣:神崎武法 労働大臣:坂口力 総務庁長官:石田幸四郎 環境庁長官:広中和歌子 |
羽田内閣 | 運輸大臣:二見伸明 郵政大臣:日笠勝之 建設大臣: 森本晃司 総務庁長官:石田幸四郎 科学技術庁長官:近江巳記夫 環境庁長官:浜四津敏子 |
小渕内閣 (第2次改造) | 総務庁長官:続訓弘 |
第1次森内閣 | |
第2次森内閣 | |
第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前) |
厚生大臣兼労働大臣:坂口力 |
第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後) |
厚生労働大臣:坂口力 |
第1次小泉内閣 | |
第1次小泉内閣 (第1次改造) | |
第1次小泉内閣 (第2次改造) | |
第2次小泉内閣 | |
第2次小泉内閣 (改造) | 国土交通大臣 兼 首都機能移転担当 兼 観光立国担当:北側一雄 |
第3次小泉内閣 | |
第3次小泉内閣 (改造) | |
第1次安倍内閣 | 国土交通大臣 兼 観光立国担当 兼 海洋政策担当:冬柴鐵三 |
第1次安倍内閣 (改造) | |
福田康夫内閣 | |
福田康夫内閣 (改造) | 環境大臣:斉藤鉄夫 |
麻生内閣 | |
第2次安倍内閣 | 国土交通大臣 兼 水循環政策担当 (2014年5月20日任命):太田昭宏 |
第2次安倍内閣 (改造) | |
第3次安倍内閣 | |
第3次安倍内閣 (第1次改造) | 国土交通大臣 兼 水循環政策担当:石井啓一 |
第3次安倍内閣 (第2次改造) | |
第3次安倍内閣 (第3次改造) | |
第4次安倍内閣 | |
第4次安倍内閣 (第1次改造) | |
第4次安倍内閣 (第2次改造) | 国土交通大臣 兼 水循環政策担当:赤羽一嘉 |
菅義偉内閣 | |
第1次岸田内閣 | 国土交通大臣 兼 水循環政策担当:斉藤鉄夫 |
第2次岸田内閣 | |
第2次岸田内閣 (改造) | 国土交通大臣 兼 水循環政策担当 兼 国際園芸博覧会担当:斉藤鉄夫 |
第2次岸田内閣 (第2次改造) | |
石破内閣 |
論議のある問題
[編集]創価学会との関係、政教分離問題
[編集]公明党は公式ホームページにおいて創価学会の仏法の理念に基づいて活動してきたことを明記している[257]。
公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや、創価学会と一体となった活動が行われた経緯から、「憲法に定められた政教分離原則に反する」「公明党と創価学会は政教一致」という批判がマスコミや有権者から上がったことがある。1970年(昭和45年)の「言論出版妨害事件」に端を発した公明党と創価学会との「政教一致」批判に対し、制度的分離を明確化して以降(詳細後述)も同様の批判はある[要出典]。一方で、日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたものであり、宗教団体の政治活動を否定したものではないということには留意を要する[258]。
- 「政教分離」を明言した1970年(昭和45年)5月3日の党創立者・池田大作の講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく」「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない」「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする」などの方針が明らかにされた。同年の公明党大会では「政教一致」を意味すると見られてきた「王仏冥合」という宗教用語を公明党綱領から削除して宗教色を薄めた。
- 1993年(平成5年)、細川内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと池田が発言したことで、池田が細川内閣の人事に影響力を及ぼしているのではないかと衆議院予算委員会で自民党の委員が問題視したことがある。当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨の説明をした[97]。
- 公明党元委員長であり、学歴詐称問題などで同党から最高顧問職解任、除名をされている[259]竹入義勝は1998年(平成10年)9月、『朝日新聞』に連載した回顧録『秘話・55年体制のはざまで』で、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う」「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた」「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた」などと述べた。この連載の直後、公明党の機関紙『公明新聞』では『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載が始まり、竹入の主張に対する反論が展開された。
- 羽田内閣で総務庁長官を務めた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、「公明党の最高人事は池田の意向、指示で決まるのか」との質問に「公明党の人事は公明党でやっており、(池田からの)指示はない」「人事、政策というのは党大会を通して決める」と答弁した[260]。
- 1997年、内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない」との旨を答弁している[261]。
- 選挙期間になると、「創価学会の施設」を「全面的にフル動員して活用して」いることに対し、衆議院予算委員会で自民党の委員が問題視したことがある[262]。自民党の委員の質問に対し、公明党委員長の石田幸四郎は「もしそれが憲法に触れる問題となるのであれば、特定の政党に対して特定の宗教団体が支援・支持をすることについてもまた同じ疑点が出てくる」と答弁し、内閣総理大臣の細川護煕も「公明党も信教の自由を大綱の中で謳っているのだから、その方針に沿って政治活動をしていると理解している」と答弁した[262]。
- 2007年(平成19年)10月16日の参議院予算委員会で、民主党の石井一が「公明党と創価学会は表裏一体ではないか」「元公明党所属の議員から得た情報によると、国政選挙で公明党議員が当選した場合に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金がなされ、その献金がどこへ入ったかは不明になっている」と主張した。石井は「公明党議員などからの創価学会への献金(P献金)の存在」も主張するとともに、公明党の歴代代表が結党以来40年以上に渡って無投票で選出されてきたことについても言及した。また、創価学会の関連施設で「法敵菅直人が来た」などという政治的活動が行われていたとも主張し、証拠となる録音テープを予算委員長に提出した。公明党の山口那津男は質問に抗議し、公明党に所属する国土交通大臣の冬柴鐵三も「P献金」「創価学会関連施設での政治的活動」をともに否定した[263]。
- 2014年(平成26年)6月、内閣官房参与飯島勲は、公明党と創価学会の関係が憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、(公明党と創価学会は)『政教一致』が出てきてもおかしくない」と述べ、従来の政府見解が変更される可能性に言及した[264][265]。
- 日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」によると、公明党の中央委員と党福井県本部長であったAは創価学会福井池田文化会館に呼び出され、十人の学会幹部から「党県本部長として今やらなければならないことは日顕を徹底して攻撃することだ。党の政策なんかどうでもいい」と吊るし上げられ「脱会していった元学会員をあらゆる手を使っていじめぬけ、追い詰めろ」と強要された[266]。Aは「創価学会から私にはどうしてもできない二つのことをやれと命じられた。世間の常識からも憲法の上からも絶対にできないことであり、離党を決意せざるをえなかった」と語り、創価学会を脱会、公明党を離党した[266]。
選挙
[編集]- 山田直樹によると、自公選挙協力の中、自民党候補者の後援会名簿が創価学会側に渡ったという事実が明るみとなり、自民党選挙対策関係者や支持者はショックを受けたという[267]。
大阪事件
[編集]1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者らに候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして、幹部の小泉隆、池田大作を含む創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕された。池田は無罪となったが45人に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。
新宿替え玉事件
[編集]1968年(昭和43年)に行われた参議院議員選挙で不在者投票を悪用し、本人になりすまして投票が行われたとされる選挙違反事件があった。創価学会員14人が逮捕され、14人全員に有罪判決が下された。
投票所襲撃事件
[編集]1969年(昭和44年)7月に行われた東京都議会議員選挙において、投票時間が過ぎたため投票不可を選挙管理委員会から通達された公明党支持者が逆上し、大勢が投票所を取り囲んで襲撃した上、女性・高齢者を含む投票立会人4人に集団暴行を加えて流血させた。後に1名が逮捕・起訴された。1970年(昭和45年)5月、共産党の青柳盛雄は、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会でこの事件について政府見解を求めた[268]。詳細は「練馬区投票所襲撃事件」参照のこと。
住民票異動に関するデマ
[編集]創価学会員が組織的に選挙前に住民票を異動し公明党候補へ投票しているという噂が出たことがある。これらの噂はいずれも根拠が確認されておらず、発言者もデマであることを認めている(地方選挙の場合、3ヶ月1日前から居住していないと選挙権は得られない)。
- 1963年(昭和38年)の統一地方選に関し、社会党の島上善五郎は国会質問で「創価学会が集団的に移動をして」と話したが、島上はのちに「集団移動の事実は、つかんでいなかった」と自らの誤りを認め、発言を撤回している。
- 1967年(昭和42年)の衆議院選挙に関し、自治大臣の赤沢正道は夕刊紙に「住民票異動云々」の発言をしたが、これも「根拠は何もない。恐縮している」と撤回し、謝罪している。
- 1981年(昭和56年)に行われた沖縄県那覇市議会議員選挙では那覇市の選挙権を持った市民が那覇市に在住しておらず居住実態がなかったことから調査が開始された。調査により浦添市民の11名が選挙前になると那覇市と浦添市の間で住民票の異動を繰り返していたが、実際那覇市には一度も居住していなかったとして、那覇市の選挙管理委員会は対象の11名を選挙人名簿から削除した[269]。沖縄タイムス、琉球新報は紙面で創価学会の行動として厳しく非難した[270][271] が、のちの調査で、11人のうち10人が保守系候補の支持者、1人が仕事上の都合での異動であることが分かった[272]。
2001年(平成13年)参議院選挙
[編集]2001年(平成13年)の参議院選挙で逮捕者が出て、地方新聞に掲載された[273]。佐賀新聞の報道によると、逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で「公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある」などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを佐賀警察署の署員が聞いていたという。埼玉新聞の報道によると、羽生市の介護福祉士が自身の勤める老人介護施設の利用者に公明党の埼玉選挙区と比例代表の特定候補者2人の名前を記したメモを持たせて投票させ、投票に干渉した疑いで逮捕されたことを報じた[274]。ただし、自民党や民主党の支援者も同様の行為を行い、逮捕されている[275]。
2003年(平成15年)衆議院総選挙
[編集]2003年(平成15年)の衆議院選挙で、神奈川県内に住む創価学会の女性幹部3名が重度の知的障害をもつ女性とともに投票所に現れ、あたかも知的障害をもつ女性が公明党に投票意思があるように見せかけ投票しようとしたとして公職選挙法違反で逮捕された[276][277]。
2010年(平成22年)参議院選挙
[編集]2010年(平成22年)の参議院選挙で、宮崎県の女性3人が知人の複数の高齢者の手の平に「選挙区の自民候補と比例代表の公明候補の名前をペンで書き投票を誘導した疑い」を持たれた[278]。
2012年(平成24年)衆議院総選挙
[編集]2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙で、愛媛県の公明党支持者が「比例代表は公明党、選挙区は塩崎恭久氏(愛媛1区、自民党)」というメモを判断能力に欠けた高齢女性(認知症患者)に持たせて投票させた容疑で検挙された[279]。
信者が投票を指示したという具体的な物的証拠が少なく、判断能力の低下した認知症などに罹患した高齢者が標的にされているケースも多く、犯行の証言を得ることが難しいからである。投票所の監視を強化してもイタチごっこであると、警察など捜査関係者は頭を悩ませている[280]。もっとも、投票の依頼は公職選挙法で認められており[281]、「投票を指示」されても実際の投票行動は本人次第である。また、「投票干渉」公明党は以前から支持母体創価学会の会員が中心となり友人、知人に対し公明党への電話による投票依頼を行なっており(「F票獲得工作」という)、選挙前の風物詩とさえ言われたが[282]、近年ではインターネットの普及により電話での投票依頼はあたかも学会員が選挙違反をしている印象を与えかねず、(電話で投票依頼した行為を)面白おかしくネット上に書き込まれることを危惧する学会幹部がいるため、最近では学会員に選挙期間中の家庭訪問や電話での投票依頼を控えさせているという。最近では通信費用がかからないLINEで「投票に行く」事実のみを伝えるよう指示を出す幹部もいる。それは投票依頼をLINEで行った場合、学会を嫌う層からメッセージをスクリーンショットで保存されネット上に拡散される恐れがある。しかし、学会婦人部からはソフト路線とも取れる学会の変化に不満の声が出ているという[283]。ただ、創価学会の会員が必ずしも公明党を支持し、投票をしているわけではない。どこの政党を支持し投票をするかについては会員の自由となっている。
なお、選挙期間中の電話による投票依頼は公職選挙法で認められている[284]。
生活保護不正受給の口利き問題
[編集]生活保護の受給に関し公明党の市議が口利きを行っていた事実がある。その中では不正受給も認定されている。例として1999年(平成11年)5月から2003年(平成15年)6月にかけて公明党市議の母親が生活実態がないにもかかわらず、生活保護を申請し生活保護費を不正に受給していた。本件では申請を行う際、公明党市議が自ら市職員に口利きを行ったことが確認され、受給後市の担当者が、公明党市議の母親の1年問の水道や電気の使用量を調べた結果、一般的な一人暮らしの数か月分しかなかったため不正受給とみなし多賀城市議会は、公明党市議や親族に対して生活保護を打ち切った上で、市議会において返還請求訴訟を起こすことを賛成多数で可決した[285]。全議員22名のうち反対は公明党議員2名だけだった[162]。また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている[162]。
北朝鮮問題
[編集]週刊文春の増元照明へのインタビュー記事(2002年11月28日)によると、まず、増元照明の父・正一、姉・るみ子、るみ子と一緒に拉致された市川修一が創価学会員であることを明かし、増元るみ子と市川修一は創価学会青年部の勉強会で知り合って交際を始めたことを明らかにした[286]。さらに自身について「信仰心は無いが、名簿上は創価学会員として登録されている」と思うとし、「姉が行方不明になった時は、必死に拝んだ」と告白した[286]。
公明党に対しては(自民党との連立政権で与党となった)1999年に浜四津敏子が鹿児島県に訪問した時に父・正一が拉致問題解決の協力を求め、浜四津は「分かりました」と発言したが、以後、連絡が来ることはなかった[286]。また、増元照明は公明党本部にメールで姉が創価学会員であることを書いて「拉致問題に対する公明党の対応を教えて欲しい」と頼んだが、「メールありがとうございました。ご意見は検討させていただきます。」との定型メールが返ってきただけであった[286]。また、増元照明は公明党参議院議員で外務省出身の山本香苗にもメールを送ったが山本からは返事すら返ってこなかった[286]。
また、1997年、横田滋と蓮池透が都議会で「拉致事件の早期解決を国に要請する意見書」を採択してもらうよう都議会各党に頼んだが、公明党が反対し全会一致が得られず、意見書の採択ができなかったという[286]。
韓国大統領選挙介入疑惑
[編集]朝鮮日報社の『月刊朝鮮』は、1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙前に新政治国民会議の金大中候補が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、韓国創価学会から支持を得られるように依頼し、友人を通じて公明党幹部が了承していたと報道した[287]。大統領選挙では金候補がハンナラ党の李会昌候補に約30万票の僅差で勝利したが、当時の韓国創価学会の有権者は60万人から80万人程であり、創価学会の応援要請が事実なら韓国大統領が日本の公明党の協力で誕生したことになると『月刊朝鮮』は締めくくっている。
沖縄県在日米軍基地問題
[編集]公明党は、党中央では辺野古移設に賛成の立場だが、党沖縄県本部は反対の立場である[288]。沖縄戦の経験から沖縄の創価学会では伝統的に反戦意識が強いと言われてきた[289]。
2014年沖縄県知事選挙では、党沖縄県本部が辺野古移設に反対して自主投票になり、移設反対の翁長雄志が自民推薦で移設賛成の仲井眞弘多を破り当選した[289][290]。この選挙では、公明支持者の8割以上が翁長に投票したと見られている[290]。
2018年2月、辺野古を抱える名護市の市長選挙では、辺野古移設容認の自民系候補・渡具知武豊を党沖縄県本部も推薦し、勝利に貢献したが、内心“苦渋の選択”を迫られた学会員も多かった[288][291][292]。
2018年沖縄県知事選挙では、8月に急逝した翁長の路線を引き継いだ玉城デニーが、自民・公明・維新・希望が推薦した佐喜眞淳ら3氏を破り初当選した[293]。この選挙では玉城は辺野古移設反対を言明していたが、佐喜眞は最後まで辺野古移設の賛否を明かさなかった[293]。公明陣営では県外から大量の学会員が来て人海戦術をとったが、肝心の沖縄の学会員の動きは鈍く、3割近い票が玉城へと流れたとされる[288]。また9月に琉球新報社が沖縄テレビ放送、JX通信社と合同で行った世論調査によると、翁長が辺野古新基地建設に伴う埋め立て承認を撤回したことについて、沖縄県全体では翁長支持が不支持を大きく上回っていたが、公明党支持者の中でも翁長支持が不支持を上回っていたというデータが出ていた[294]。
2019年沖縄県民投票では、全体では辺野古移設のための埋め立て工事に賛成18.99%、反対71.74%、どちらでもない8.70%となった[295]。朝日新聞の出口調査によると公明支持者では賛成30%、反対55%、どちらでもない16%となった(無回答や四捨五入のため合計が100%にならない)[296]。
役人の天下りへの対処
[編集]公明党は以前からマニフェストで斡旋やわたりを年内に廃止し、早期退職慣行の廃止など天下りを3年で根絶し行政の無駄追放を行う要旨を発表した[297]。しかし、2007年に行政改革担当大臣渡辺喜美から、独立行政法人の改革をめぐり、所管法人の廃止・民営化などで協力を求められた際、国土交通大臣だった公明党の冬柴は渡辺に対し法人組織の民営化を拒否するなど「ゼロ回答」を行った[298]。マニフェストと違う回答に身内の公明党や支持母体創価学会から激しい批判が寄せられ、衆議院予算委員会で同じ公明党の富田茂之が冬柴に「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい」などと指摘、冬柴も支持者から抗議の手紙が届いたことを答弁した[299]。その後も公明党は選挙のマニフェストで天下りの根絶を謳い、2017年2月6日の衆議院予算委員会でも高木美智代が天下りの根絶を訴えたが、2017年の衆議院総選挙で公明党はそれまでの方針を転換し、従来の「天下りの根絶」との文言をマニフェストから削除した[300]。
国の借金は1998年(平成10年)には約408兆円だったのに対し、2008年(平成20年)には約607兆円と約1.5倍に膨れ上がった[301]。財源を確保するため、2003年に健康保険の本人負担増(2割→3割)を実施させ[302]、ホワイトカラーエグゼンプションへの支持[303] を表明した。
池田大作に対する配慮
[編集]『週刊実話』によれば、公明党内では、創価学会名誉会長池田大作が日本国内の勲章を授与されていないことから、公明党所属の国会議員(党首経験者や閣僚経験者含む)は旭日大綬章など勲章の受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していたという[304]。 ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年・旭日大綬章)や矢野絢也(2010年・旭日大綬章)は受章している。『週刊実話』によると、竹入や矢野の受章に対して創価学会から「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっているというが、その客観的根拠は示されていない。
1995年(平成7年)11月27日の参議院「宗教法人等に関する特別委員会」で、自民党の関根則之は、当時の創価学会事務総長原田稔(後の創価学会会長)が外務省官房長の小和田恒(皇太子徳仁親王妃雅子の父)に宛てて「本年1月末より2月中旬にかけて、池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにASEAN3か国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約2週間に渡り、(下記の日程で)訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます」といった内容の手紙を送り、外務省が創価学会や池田に配慮や便宜を図ったのではないかと主張した。関根は池田大作および長男の池田博正の証人喚問を要求し、理事会で審議されたが、外務省、宮内庁、創価学会ともに「根拠のない」話であるとして否定した上、池田の証人喚問は見送られた。
しんぶん赤旗によると、公明党から創価学会への報告書は宛先が書かれているが、池田大作名誉会長宛の報告書だけは宛先を空欄にするように徹底されている[305]。万が一の時、池田に責任が及ばないようにするためである[305]。報告書が公明党に戻ってくる時、赤でレ点がついていることもあるがそれは池田が「見た」という印であり、意見が書いてあることもある[305]。党の国対で決めたことが報告書を見た池田のひと声で変わることもある[305]。
後藤田正晴の主張
[編集]元警察庁長官で後に内閣官房長官を長期に務めた後藤田正晴は、1998年に講談社から出版した回顧録『情と理―後藤田正晴回顧録』で警察官僚時代を振り返り、日本社会党と民社党は警察庁のマークの対象外だったとし、「社会党ほどダラ幹(堕落した幹部)の党はない。民社党は記憶にない。あれは何をしておったのだろう。危ないと思うのは、共産党と公明党だ。この国への忠誠心がない政党は危ない。共産党は前から徹底的にマークしているからいいが、公明党はちょっと危ない」と述べている[306]。この聞き取りを行った御厨貴が後に公明党代表の山口に話したところ、いやな顔をしたと述べている。一方、2005年8月にTBS系列の討論番組『時事放談』に出演した際には、公明党に対して「福祉と平和の立党の精神、これをいつまでも守ってもらいたい」と期待を寄せている[307]。
参議院議員通常選挙の選挙区候補者擁立
[編集]一人区と二人区は自民党の候補者を推薦し、党公認の候補者は擁立しない。
三人区は兵庫県と福岡県は党公認の候補者を擁立するが、北海道と千葉県は自民党の候補者を推薦し、党公認の候補者は擁立しない。
四人区(埼玉県、神奈川県、愛知県、大阪府)と六人区(東京都)は党公認の候補者を擁立する。
政党交付金
[編集]- 2009年(平成21年) - 26億1871万円
- 2010年(平成22年) - 23億8900万円
- 2011年(平成23年) - 22億7534万円
- 2012年(平成24年) - 22億7916万円
- 2020年(令和2年) - 30億2932万5千円[308]
支持者
[編集]支援団体
[編集]カテゴリー | 団体 |
---|---|
宗教団体 |
|
高齢化の影響
[編集]創価学会員のボリュームゾーンが団塊世代にあたることから、支持者の高齢化による党勢の陰りが指摘されている。団塊世代の創価学会員は2022年時点で後期高齢者であり[317]、「新規入会者」のほとんどは「親が創価学会員だから」という理由の宗教2世や3世で、創価学会の活動にあまり熱心ではないことが背景とされる[独自研究?]。
公明党の比例得票数は2005年の第44回衆議院議員総選挙をピークに減少を続け、2017年の第48回衆議院議員総選挙では697万票に留まった。以後も2回連続で700万票を割り、第44回衆議院議員総選挙時との比較では14年間で240万以上の票(約30%)が減少している計算になる[318]。
2021年の第49回衆議院議員総選挙では比例区で前回より約14万票を増やして700万票台を回復したものの、目標であった800万票獲得には及ばなかった。朝日新聞は、支持層の高齢化による比例区の得票数減少傾向から公明党の将来に懸念が生じていると報じた[319]。2022年の第26回参議院議員通常選挙における比例区でも約618万票(6議席)の獲得に留まり、目標の800万票(7議席)には届かなかった。こうした情勢を受け、毎日新聞は、支持層の高齢化による集票力低下を食い止めるためには公明党の世代交代が必要だと指摘している[320]。
党勢の推移
[編集]衆議院
[編集]選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時:1964年) | 0/- | 467 | |
第31回総選挙(1967年) | 25/32 | 486 | |
第32回総選挙(1969年) | 47/76 | 486 | |
第33回総選挙(1972年) | 29/59 | 491 | |
第34回総選挙(1976年) | 55/84 | 511 | 追加公認+1 |
第35回総選挙(1979年) | 57/64 | 511 | 追加公認+1 |
第36回総選挙(1980年) | 33/64 | 511 | 追加公認+1 |
第37回総選挙(1983年) | 58/59 | 511 | 追加公認+1 |
第38回総選挙(1986年) | 56/61 | 512 | 追加公認+1 |
第39回総選挙(1990年) | 45/58 | 512 | 追加公認+1 |
第40回総選挙(1993年) | 51/54 | 511 | 追加公認+1 |
第41回総選挙(1996年) | 42/51 | 500 | 新進党での選挙 |
第42回総選挙(2000年) | 31/74 | 480 | 自由民主党との自公連立政権で与党となって初めての解散総選挙。 |
第43回総選挙(2003年) | 34/55 | 480 | |
第44回総選挙(2005年) | 31/52 | 480 | |
第45回総選挙(2009年) | 21/51 | 480 | 自由民主党とともに下野、民社国連立への政権交代。 太田昭宏党代表落選、後任に山口那津男参議院議員が就任。 |
第46回総選挙(2012年) | 31/54 | 480 | 自公連立、政権復帰。 |
第47回総選挙(2014年) | 35/51 | 475 | |
第48回総選挙(2017年) | 29/53 | 465 | |
第49回総選挙(2021年) | 32/53 | 465 |
参議院
[編集]選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第4回通常選挙(1956年) | 3/6 | - | 250 | |
第5回通常選挙(1959年) | 6/6 | 3 | 250 | |
第6回通常選挙(1962年) | 9/9 | 6 | 250 | |
(結党時:1964年) | 15/- | - | 250 | 公明党改称時 |
第7回通常選挙(1965年) | 11/14 | 9 | 250 | |
第8回通常選挙(1968年) | 13/14 | 11 | 250 | |
第9回通常選挙(1971年) | 10/10 | 13 | 252 | |
第10回通常選挙(1974年) | 14/45 | 10 | 252 | |
第11回通常選挙(1977年) | 14/15 | 11 | 252 | |
第12回通常選挙(1980年) | 12/14 | 14 | 252 | 追加公認+1 |
第13回通常選挙(1983年) | 14/23 | 13 | 252 | |
第14回通常選挙(1986年) | 10/21 | 14 | 252 | 追加公認+1 |
第15回通常選挙(1989年) | 10/22 | 11 | 252 | |
第16回通常選挙(1992年) | 14/23 | 10 | 252 | |
第17回通常選挙(1995年) | 13/0 | 11 | 252 | (新進党57と統一会派で同改選期を議席維持) |
第18回通常選挙(1998年) | 9/20 | 13 | 252 | 公明、追加公認+2 |
第19回通常選挙(2001年) | 13/22 | 10 | 247 | (改革クラブ1と統一会派) |
第20回通常選挙(2004年) | 11/20 | 13 | 242 | |
第21回通常選挙(2007年) | 9/24 | 11 | 242 | (後に繰り上げ当選により+1) |
第22回通常選挙(2010年) | 9/24 | 11 | 242 | |
第23回通常選挙(2013年) | 11/21 | 9 | 242 | |
第24回通常選挙(2016年) | 14/24 | 11 | 242 | |
第25回通常選挙(2019年) | 14/24 | 14 | 245 | |
第26回通常選挙(2022年) | 13/24 | 14 | 248 |
(参考文献:石川真澄〈一部山口二郎による加筆〉『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 第4回、5回参議院通常選挙は、結党前で創価学会組織内無所属の実績。
- 第6回参議院通常選挙は、「公明政治連盟」の実績。
- 第17回、18回参議院通常選挙は、「公明」の実績。
- 『戦後政治史』にない追加公認は 2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)[321](衆議院、2003年(平成15年)まで)1 各会派所属議員数及び役員一覧[322](衆議院、2005年(平成17年))、(2) 参議院[323](2002年(平成14年)まで)(2) 参議院[324](2004年(平成16年)まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。
所属国会議員
[編集]地方政治
[編集]- 所属議員:2,891人[325]
- 都道府県議会:197人
- 政令市議会:199人
- 特別区議会:172人
- 一般市議会:1,909人
- 町村議会:414人
県 | 県議会 | 市区議会 |
---|---|---|
北海道 | 8 / 100 |
91 / 712 |
青森県 | 2 / 48 |
18 / 226 |
岩手県 | 1 / 48 |
21 / 315 |
宮城県 | 4 / 59 |
33 / 332 |
秋田県 | 1 / 41 |
19 / 274 |
山形県 | 1 / 43 |
19 / 262 |
福島県 | 4 / 58 |
26 / 330 |
茨城県 | 4 / 63 |
72 / 662 |
栃木県 | 3 / 50 |
33 / 335 |
群馬県 | 3 / 50 |
28 / 286 |
埼玉県 | 9 / 93 |
168 / 967 |
千葉県 | 8 / 95 |
135 / 925 |
神奈川県 | 8 / 105 |
93 / 585 |
東京都 | 23 / 127 |
288 / 1,548 |
山梨県 | 1 / 37 |
22 / 245 |
新潟県 | 2 / 53 |
30 / 452 |
富山県 | 1 / 40 |
10 / 205 |
石川県 | 2 / 43 |
10 / 204 |
福井県 | 1 / 37 |
13 / 108 |
長野県 | 5 / 57 |
39 / 404 |
岐阜県 | 2 / 46 |
34 / 402 |
静岡県 | 5 / 68 |
46 / 515 |
愛知県 | 5 / 102 |
107 / 933 |
三重県 | 2 / 48 |
33 / 308 |
滋賀県 | 2 / 44 |
26 / 289 |
京都府 | 5 / 60 |
46 / 363 |
大阪府 | 14 / 79 |
173 / 797 |
兵庫県 | 13 / 86 |
103 / 697 |
奈良県 | 3 / 43 |
29 / 225 |
和歌山県 | 3 / 42 |
24 / 172 |
鳥取県 | 3 / 35 |
13 / 90 |
島根県 | 2 / 36 |
14 / 179 |
岡山県 | 6 / 55 |
37 / 340 |
広島県 | 5 / 64 |
41 / 358 |
山口県 | 5 / 47 |
34 / 309 |
徳島県 | 2 / 38 |
13 / 173 |
香川県 | 2 / 41 |
18 / 180 |
愛媛県 | 3 / 47 |
26 / 261 |
高知県 | 3 / 37 |
20 / 191 |
福岡県 | 10 / 87 |
88 / 640 |
佐賀県 | 2 / 37 |
14 / 212 |
長崎県 | 3 / 46 |
23 / 286 |
熊本県 | 3 / 49 |
23 / 309 |
大分県 | 3 / 43 |
21 / 297 |
宮崎県 | 4 / 39 |
21 / 198 |
鹿児島県 | 3 / 51 |
25 / 393 |
沖縄県 | 4 / 48 |
27 / 288 |
計 | 208 / 2,663 |
2,247 / 18,862 |
- 推薦議員8人[325]
- 政党支部数:431
政党収入額
[編集]- 2010年(平成22年) - 212億6,127万円
- 2015年(平成27年) - 197億8,401万円
- 2016年(平成28年) - 207億7,677万円
- 2017年(平成29年) - 192億2,708万円
- 2019年(平成31年/令和元年) - 205億181万円[326]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1998年11月7日に再結成(後述)[1]。1994年に公明新党と公明に分かれた後、前者は新進党に合流。
- ^ 文献やメディアによって中道左派[12][13]や右派[14] · [15] · [16] · [17]とされることがある。
- ^ 英語表記は、結党時の1964年(昭和39年)から新進党合流時の1994年(平成6年)までは「Komeito」だったが、1998年(平成10年)の公明党再結成時に「New Komeito」に改められた。2014年(平成26年)9月25日、公明党結党50年を機に「Komeito」との英語表記を復活させた[33]。
- ^ ただし、一部では民主党が誕生したことで無党派層の反自民票分散を危惧する声もあった。
- ^ 中には自民党幹事長加藤紘一の説得に応じて自民党入りした新進党議員もいた。
- ^ 一方で大阪府連の様に新進党との合流に積極的で「参院選は新進党として戦うべき」という意見もあるなど、合流へ向けての意見の一致ができなかった事が一因とされる。
- ^ 日本国憲法における衆議院の優越により最終的に総理は海部俊樹に決まる。
- ^ 後に松あきら議員が繰り上げ当選する。
- ^ 2003年(平成15年)に自由党(当時)の平野貞夫が問題であると主張した。
出典
[編集]- ^ 藤井正, 五十嵐仁. 日本大百科全書(ニッポニカ) - 公明党 #沿革 コトバンク. 2018年12月12日閲覧。
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