オウム真理教事件
オウム真理教事件(オウムしんりきょうじけん)とは、1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした事件の総称である。
目次
概要[編集]
オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)が救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で、外国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。
一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名[1][2])負傷者は6000人を超えた。
特に注目される事件として、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人[3]の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件が挙げられる。毎日新聞ではこれら3つの事件に対してオウム「3大事件」(オウムさんだいじけん)[4]と表現している。
被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」とされている。これらの事件がなぜ実行されたかについて、田原総一朗は麻原の3女松本麗華との対談の中で「日本は空気の国だ。空気を乱すことが一番悪い。大手銀行が暴力団に融資していた事件があったが、誰一人として行内でやめましょうと言えなかった。大東亜戦争でも日本が負けるに決まっているのにやめようとはだれも言えなかった。オウム真理教事件と大東亜戦争は似ている。昭和天皇が独白録であのとき戦争をやめようと言ったなら、自分が殺されるか幽閉され周囲が殺されそれでも日本は戦争へと突き進んだろう、と証言している」とし、「太平洋戦争をだれも止められなかったのと同じ力学がオウム事件でも働いている」と述べた。なぜオウム真理教内で事件が止められなかったかについて、松本麗華は「教団内では確認をするということがなかった。何となく知った気になって皆が動く。皆の動きと違う動きができない」雰囲気があったためと証言した[5]。
2011年12月、それまでに起訴された全ての刑事裁判が終結し、189人[6]が起訴され、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定した[7]。2011年12月31日には16年以上にわたり逃亡を続けてきた平田信が警視庁に出頭し、翌2012年1月1日に逮捕され、平田を匿って逃亡に協力していた元女性出家信者も同年1月10日に逮捕、両者とも起訴された。同年6月3日には同じく逃亡していた菊地直子が潜伏先で逮捕され、同月15日には同じく逃亡を続けていた高橋克也が、東京都大田区西蒲田の漫画喫茶で身柄を確保され、同日逮捕された。これで警察庁からオウム真理教事件に関する特別指名手配を受けていた3人は、すべて逮捕・起訴された。
地下鉄サリン事件以降の流れ[編集]
強制捜査と教団幹部逮捕[編集]
1995年3月20日の地下鉄サリン事件発生から2日後の3月22日、オウムの活動拠点である山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)など25の施設へ、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件実行犯の逮捕を目的に強制捜査が開始される。その後もオウム関連施設への強制捜査が続けられ、オウム事件の解明が進む。
その後、岐部哲也(4月6日逮捕)、越川真一(4月6日逮捕)、林郁夫(4月8日逮捕)、石川公一(4月8日逮捕)、新実智光(4月12日逮捕)、早川紀代秀(4月20日逮捕)、遠藤誠一(4月26日逮捕)、土谷正実(4月26日逮捕)、青山吉伸(5月4日逮捕)、井上嘉浩(5月15日逮捕)と教団幹部が続々と逮捕され、取調べを受けて、事件解明が進められた。
麻原教祖を逮捕[編集]
5月16日、麻原を逮捕するため、第6サティアン一帯の強制捜査が始まった。この際に指揮を執ったのは警視庁の井上幸彦警視総監と寺尾正大捜査一課長、現場前線での指揮は山田正治理事官が執った。陸上自衛隊から貸し出しを受けた迷彩仕様の化学防護服に身を包み、完全武装した数百名に及ぶ警視庁捜査員、山梨県警察捜査員、また警察の中に化学防護服の扱いに慣れている者が少なかったため、応援としてかけつけた自衛官が一斉に上九一色村に入り、即座に付近一帯を全面封鎖。付近住民を避難させ、カナリアを入れた鳥かごを持つ捜査員を先頭にサティアン内の捜索を開始。信者の確保、証拠品押収にも全力を注いだが、何よりも麻原の確保を最優先に考え、麻原逮捕に全力を傾けた。
事前の警察への匿名による密告情報では、「麻原はサティアン内の中二階に引き篭もっている」ということだったので、サティアン内へ捜査員を潜入させ、内部の重点捜索を行った。捜索から数時間後、事前の密告情報による中二階は存在しないことが判明し、捜査撹乱を狙った密告であったと判断した山田に焦りの色が見え始め、一斉捜索打ち切りの時刻が迫っていた。
入手した機動捜査隊回報〔H7.5.18 NO10-5.16Xデ-におけるオウム真理教代表者麻原彰晃の逮捕-〕によると、早朝から始まった捜索から既に4時間が経過…「第六サティアンの中には麻原はいないのではないか…」担当捜索隊員も諦めかけていたとき、別働隊として参加していたA班長指揮の当隊員C捜索班[8]が、「よし、我々の手でもう一度探してみよう」と自発的に第六サティアン内に入って麻原教祖の捜索に当たった。
その結果、隊員の一人が所持していたスチールパイプ柄のハンマーで中二階の側壁を叩き割ったところ、紅紫の法衣を身に纏い、仰向け状態で瞑想している口髭ボウボウ姿の麻原を発見したのである。その際、隊員は「麻原だな!何をしている。出てこい!」と呼びかけると「瞑想している。わかりました。」と答えたため、さらに付近のラスボードを破壊し、麻原を引きずり出したものである。機動捜査隊回報には、4分駐所の名前の他に功労者として8名の氏名が記載されているが、この中には牛島氏の氏名は見当たらない。この機動捜査隊は警視庁刑事部に設置されており、昼夜を問わず重要事件の初動捜査に当たる機動捜査プロ集団〔刑事〕である。これらの機動捜査隊員らによる粘り強い信念と綿密な捜索活動が遂に麻原の逮捕に結びついたのである。
麻原の発見報告を受けた山田が教祖を確認したところ、麻原は髭は伸び放題で着衣も薄汚れ、目は虚ろで極度のアルコール中毒患者か廃人のようであったという。当時の麻原は尿失禁もしていた。捜査員が踏み込んだ際は逃亡する気配すら無く横たわったままほとんど身動きしなかったので重度の身体障害があるのかとも思われたが、現場へ赴いた山田が「麻原か?」と尋ねると「はい…」と弱々しく答えて自認したため、その場から別室へ移動し、この部屋で警察嘱託の医師によって身体の異常の有無を診察された後、「特に異常無し」との医師の所見であったことから、同室で山田から逮捕状の執行を下命された前述の機動捜査隊副隊長Bが東京地方裁判所の裁判官から発布された逮捕状〔甲〕記載の別紙「被疑事実の要旨」を麻原に読み聞かせ又は示して、9時45分、麻原を地下鉄サリン事件の被疑者として殺人及び殺人未遂の罪で通常逮捕したものである.捜査第一課管理官ら複数の捜査員による監視移動の中、第六サティアンの別室から施設外に出された麻原はそのまま待機していた警察警備車両〔紺色のニッサン・キャラバン〕に逮捕捜査員と共に乗車させられた。連行途中での麻原の奪還や不測の事態に備えるため麻原を乗せたワゴン車とカムフラージュ用ワゴン車両がそれぞれ周到に準備され、その前後を4、5台のパトカーに先導護衛され又麻原を乗せたワゴン車の両サイドを機動捜査隊の捜査車両が厳重警護しながら、警視庁〔捜査第一課〕へ護送連行されたものである〔当初、護送は警視庁が保有していたV-107大型輸送ヘリコプターで行われる予定だったが、当日悪天候の為ヘリコプターが飛べず、警察車両での護送に変更された。-これについては、確かに当日、降雨で天候がよくなかったが、確証情報は得られていない-〕。
警視庁・山梨県警察[編集]
当時の上九一色村の第6サティアンは、毒ガステロを引き起こした犯罪組織の本拠地ということで、サリン等の毒ガス使用も懸念された。そのため、強制捜査にあたる捜査員全員に化学防護服の着用が命令され、銃撃戦の恐れもあるとして捜査員全員が拳銃携帯にてサティアン捜索に臨んだ。日本の警察による犯罪捜査において捜査員全員が拳銃携帯で犯罪者の確保にあたることは実に稀なことで、いつも大半の捜査員は拳銃を持たずに捜査を行っているのだが、捜査員の生命の安全を考え全員武装での捜査となった。通常、拳銃を携帯しても予備の弾薬まで携行することはないのだが、本件では予備の弾薬を携行して行った捜査員もいる。
当時の上九一色村は山梨県内にあるので本来は山梨県警察の管轄事件だが、今回のケースは警視庁管内で発生した事件と同一犯であったこと[9]に加え、事件の規模があまりにも大きかったため、警視庁主導での合同捜査が展開された。山梨県警察からも大量の捜査員が派遣され、警視庁捜査員と合流し隊列を組んで上九一色村へ向かった。これら大多数の捜査員の後を追って多数のマスコミ取材班も現場へ派遣されている。
機動隊[編集]
テロ事件ということで警視庁刑事部の他に警備部も動員され、警視庁管轄下の機動隊員(警視庁および山梨県警察を含む関東管区警察局管内の機動隊員ら)が大多数動員され山梨県上九一色村のオウム真理教第6サティアンへ派遣された。
警視庁刑事部捜査一課と山梨県警察から動員された数百名の捜査員に加わり、現場での捜索活動及び後方支援を展開。信者からの銃撃が想定されたため、機動隊員もガスマスクと拳銃を装備し厳重警戒態勢にて現地入りした。
防衛庁・自衛隊[編集]
防衛庁(現・防衛省)は、オウム真理教が海外で軍事訓練なども行っている武装集団であり、強制捜査時に於ける組織的な武力抵抗により、警察力での対処が困難な場合の治安出動の可能性を考慮し、陸上自衛隊東部方面隊に対し第三種非常勤務態勢を発令していた。また第一空挺団の普通科群1個中隊が富士駐屯地に訓練名目で移動して待機していたとされる[10]。
オウム裁判[編集]
その後も、中川智正(5月17日逮捕)、松本知子(6月26日逮捕)、岡崎一明(9月6日逮捕、後に宮前に改姓)、上祐史浩(10月7日逮捕)など教団幹部の逮捕は続いた。地下鉄サリン事件以降484人の信者が逮捕され、1998年までに189人が起訴された。
オウム事件の裁判では麻原教祖をはじめとした教団幹部が裁判にかけられた。弁護側は麻原について「全て弟子の責任」として無罪を主張し、麻原以外の教団幹部について「麻原にマインドコントロールされていた」として減刑を主張した。また、麻原公判など一部の刑事公判では弁護士解任による公判延期や弁護士側の並行審理拒否や審理のボイコット、検察側が提出した申請証拠の不同意と法廷での直接尋問などの要求、被告人に訴訟能力はないとして控訴趣意書の提出を拒否したことなどは一部からは裁判の遅延行為と非難された。そのため、検察が松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を大幅に減らす訴因変更や被害者がいない事件の起訴を取り下げたりと、異例の裁判となった。
2011年11月21日に最後の上告審判決が言い渡され、同年12月12日にこれに対する判決訂正の申立てが却下されたことから、13人への死刑判決・5人への無期懲役判決が確定し、逃亡犯を除く全ての裁判が一旦終結した。
またオウム裁判の傍聴希望者は麻原彰晃第1審初公判(1万2292人)、麻原彰晃第1審2回公判(5856人)、麻原彰晃第1審判決公判(4658人)、中川智正第1審初公判(4158人)、青山吉伸第1審初公判(3076人)と多く、世間の関心の高さを物語った。
オウム逃亡犯[編集]
重大事件に関与しつつも逃亡したオウム信者もいる。警察庁は重大事件に関与したオウム信者19人をオウム真理教関係特別手配被疑者として全国指名手配にした。1996年1月時点で7人のオウム真理教関係特別手配被疑者がいたが、1996年11月14日には北村浩一と八木澤善次が逮捕され、同月24日に松下悟史が逮捕され、12月3日には林泰男(後に小池に改姓)が逮捕された。また特別手配ではないが教団初期の殺人事件に関与しながらも国外にいた大内利裕が外国から日本に強制送還された1998年に逮捕された。1998年までに逮捕された一連のオウム事件の逃亡犯については2011年までに裁判で刑が確定した。
1996年12月4日以降から約16年の長期にわたって平田信、高橋克也、菊地直子が逃亡中であったため、オウム真理教関係特別手配被疑者といえばこの3人が世間では一般的に知られていた。2012年1月1日に平田が、2012年6月3日には菊地が、同月15日には最後のオウム逃亡犯であった高橋が逮捕された。
刑事訴訟法第254条2項により、オウム逃亡犯は共犯者の公判中は公訴時効の進行が停止し、また2010年4月27日をもって刑法と刑事訴訟法の改正(即日公布、施行)によって高橋と菊地の指名手配容疑であった地下鉄サリン事件については殺人罪の公訴時効が廃止となり(殺人未遂罪の公訴時効は15年のまま)、平田の指名手配容疑であった公証人役場事務長逮捕監禁致死事件については逮捕監禁致死罪の公訴時効が20年に延長となり、公訴時効が停止・廃止・延長となっていた。また、2010年以降は捜査特別報奨金制度の対象事件にも指定されていた。
13人の死刑囚の現状[編集]
現在、死刑を宣告された13人は、東京拘置所に収容されている。通常、3人以上の共犯死刑囚が存在する場合は同日に死刑執行されるのが原則であるが、同日に同じ刑場で3人以上の死刑を執行するのは困難であるため、1つの施設あたり2人以下になるよう全国7か所の刑場のある拘置所・拘置支所へ死刑囚の分散が図られる[11]。オウム事件の死刑囚13人については、2012年の春に刑場のある7施設への分散の予定があったが、2011年末に逃亡共犯者が出頭したために移送が立ち消えになった旨の報道があった[12]。
なお、オウム真理教の逃亡犯3人の裁判員裁判に、2013年から2015年にかけて、井上嘉浩、中川智正、新實智光、林泰男、廣瀬健一の5名が出廷している。この出廷に関しては、検察側は死刑囚の心情の安定の問題、死刑囚に危害が加えられる可能性など、移送に伴う混乱は必至であるとし、「裁判所に呼ぶのはリスクしかない」と反対した[13]。これは、死刑囚13名を全国7箇所の拘置所・拘置支所へ分散しようと計画していたこととは大きな矛盾であった。一方で、拘置所で行なった死刑囚の出廷の予行演習の情報は外部へ漏れ、テレビで放映された。実際の死刑囚の出廷は厳戒態勢のもと行われ、事なきを得た。
事件が与えた影響とその後[編集]
1995年3月20日の地下鉄サリン事件以降、オウム真理教は上層部の人物をテレビに出演させるプロパガンダ戦略をおこなった。それにより「オウム特番」等連日連夜繰り広げられたオウム報道によって社会現象となり、報道のワイドショー化が一層進んだ。特に1995年5月16日の麻原逮捕までは毎晩どこかの局で2時間程度(日によって異なるが場合によっては3~4時間の場合も)のオウム真理教に関する報道特別番組が組まれていた。その影響で1995年4月~6月クールの連続ドラマの視聴率が低下した(21時から特番を組んだ事もあり、その影響で休止になったり繰り下げとなることも多かったためである)。また、オウム報道が集中していた1995年3月から5月にかけて、世界ではオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(4月19日)、31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガー野茂英雄のメジャーリーグデビュー(5月2日)、台湾出身の歌手テレサ・テン死去(5月8日)などのニュースがあったが、日本における報道の扱いは小さかった。
「オウム真理教を扱った番組は簡単に視聴率が取れる」として、『オウムの法則』(オームの法則と掛けたパロディとも思われる)なる用語まで登場した[14]。実際、1995年の年間視聴率(ビデオリサーチ調べ)の上位50本の中に、オウム真理教関連の番組は関東地区で16本、関西地区では10本登場している。ちなみに、この年発生した阪神・淡路大震災関連の番組は関東地区で2本、関西地区でも7本だった[15]。20年経過した2015年にも特番が製作されており、コンテンツとしてでの人気は根強い。
TBS『ブロードキャスター』のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」によると、1995年の1年間にワイドショーがオウム真理教関連の話題を報じた時間数は延べ1272時間19分5秒。2位の阪神・淡路大震災の126時間8分53秒に約10倍の差をつけての首位だった[16] 。
1995年に週刊新潮が発表した「今年を代表する男」の読者アンケートで、麻原彰晃が野茂英雄に次いで2位を獲得。また上位10人には麻原以外にも坂本堤・村井秀夫・上祐史浩とオウム事件の関係者が4人ランクインした。
あまりにも前代未聞な事件だったこと、オウム報道によって犯罪報道の比重が高まったために、犯罪が特に増えているわけでもないのに、体感治安では治安の悪化を感じる国民が増加し、厳罰化など以後の刑事政策に影響を与えた。犯罪被害者の救済制度が主張され、2008年12月には通院1日以上の健康被害を受けた人に給付金が支払われる「オウム真理教犯罪被害者救済法」が施行された。
島薗進は、事件以降、「宗教嫌い」の傾向が強まる社会的影響が見られたことについて、実際の宗教知識を踏まえたものではなく、作られたイメージを鵜呑みにした結果であるとしている[17]。 特に巨額の寄付・献金を要求したり、信者の離脱を許さなかったりなど、信者を抑圧しているとされる団体に対しては、情報の公開を求める動きが広がった。白装束で話題になったパナウェーブ問題への対応などにも影響を与えている。
森達也は『ご臨終メディア-質問しないマスコミと一人で考えない日本人』で、報道機関が視聴者・読者から教団を擁護していると非難されることを恐れるあまり、教団を排斥する運動の不当性や、別件や微罪による信者の不当逮捕を報道することすらタブーになっていると指摘している。森は、事件後に成立した「組織犯罪対策法」等の中に、社会の治安維持上の必要がある場合に個人の私権を制限したりプライバシーを侵害する事を認めるような条項が盛り込まれたことについて、報道機関の運動に乗せられた結果の行き過ぎではないかと主張している。
2000年に上祐史浩が出所し教団代表についたが、上祐代表を中心とする「代表派」(少数派)と、麻原回帰を強める非代表派(多数派)が分裂した。代表派によれば、代表派と非代表派の会計規模は1:5とされている。2007年5月に上祐らは独立して新宗教団体ひかりの輪を結成した。
フランスにも影響を与え、セクト(カルト)団体対策の推進の理由のひとつとなり(他にスイスにおける集団自殺、フランス国内でのセクト被害報告の増加もある)、各省庁が連携してのセクト対策が立てられ、フランスはセクト団体対策の先進例の1つとなった。1995年、1999年にフランスは、国内で活動中で犯罪の多い団体のリストを作成した。当然フランスに於いてもオウムは特に危険な団体として取り扱われたが、オウムはフランスに支部を持っていなかったのでセクトのリストからは漏れている。
主な事件一覧[編集]
| 発生年月日 | 事件名 | 死者 (人) |
負傷者 (人) |
動機 |
|---|---|---|---|---|
| 1988年9月22日 | 在家信者死亡事件 | 1 | 0 | 修行中の事故とその隠蔽 |
| 1989年2月10日 | 男性信者殺害事件 | 1 | 0 | 教団に反発した信者の殺害 |
| 1989年11月 | 坂本堤弁護士一家殺害事件 | 3 | 0 | 教団と敵対する弁護士の殺害 |
| 1992年9月14日 | オカムラ鉄工乗っ取り事件 | 0 | 0 | 教団の武装化 |
| 1993年11月以降 | サリンプラント建設事件 | 0 | 0 | 不特定多数の殺害を目的としたサリンの生成 |
| 1993年6月6日 | 逆さ吊り死亡事件 | 1 | 0 | 修行中の事故とその隠蔽 |
| 1993年12月18日 | 池田大作サリン襲撃未遂事件 | 0 | 数名 [注 1] |
創価学会最高実力者の殺害 |
| 1994年1月30日 | 薬剤師リンチ殺人事件 | 1 | 0 | 教団から脱退させようとした人物の殺害 |
| 1994年5月9日 | 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件 | 0 | 1 | 教団と敵対する弁護士の殺害 |
| 1994年6月以降 | 自動小銃密造事件 (オカムラ鉄工乗っ取り事件に関連) |
0 | 0 | 教団の武装化 |
| 1994年6月27日 | 松本サリン事件 | 7 [注 2] |
660 | 教団松本支部立ち退きを担当する判事の殺害、サリンの実験 |
| 1994年7月10日 | 男性現役信者リンチ殺人事件 | 1 | 0 | スパイを疑われた信者の殺害 |
| 1994年12月2日 | 駐車場経営者VX襲撃事件 | 0 | 1 | 教団を脱走した信者を匿った駐車場経営者の殺害 |
| 1994年12月12日 | 会社員VX殺害事件 | 1 | 0 | スパイを疑われた信者の殺害 |
| 1995年1月4日 | 被害者の会会長VX襲撃事件 | 0 | 1 | 教団を告発した被害者の会会長の殺害 |
| 1995年2月28日 | 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件 | 1 | 0 | 多額の布施を見込める信者の奪還 |
| 1995年3月20日 | 地下鉄サリン事件 | 12 [注 3] |
6,300 (概数)[18] |
教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱 |
| 1995年4月-5月 | 新宿駅青酸ガス事件 | 0 | 0 | 教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱 |
| 1995年5月16日 | 東京都庁小包爆弾事件 | 0 | 1 | 教団解散権限を持つ都知事への妨害と教団への捜査の攪乱 |
※ 死者は刑事裁判で認定された死者数。
犯人[編集]
事件名の下に●が付いている事件は死亡事件。
| 男性信者殺害事件 | 坂本堤弁護士一家殺害事件 | サリンプラント建設事件 | 薬剤師リンチ殺人事件 | 滝本弁護士サリン襲撃事件 | オ カ ム ラ 鉄 工 乗 っ 取 り 事 件 |
自動小銃密造事件 | 松本サリン事件 | 男性現役信者リンチ殺人事件 | 駐車場経営者V X襲撃事件 |
会社員V X殺害事件 |
被害者の会会長V X襲撃事件 |
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件 | 地下鉄サリン事件 | 新宿駅青酸ガス事件 | 東京都庁小包爆弾事件 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 麻原彰晃 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 死刑 | ||
| 松本知子 | ○ | 1995年6月26日 | 懲役6年 | |||||||||||||||
| 村井秀夫 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | (村井秀夫刺殺事件) | ||||||||
| 早川紀代秀 | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年4月20日 | 死刑 | ||||||||||||
| 井上嘉浩 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年5月15日 | 死刑(一審は無期懲役判決) | ||||||||
| 新実智光 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年4月12日 | 死刑 | |||||||
| 岡崎一明[20] | ○ | ○ | 1995年9月6日 | 死刑 | ||||||||||||||
| 中川智正 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年5月17日 | 死刑 | |||||
| 青山吉伸 | ○ | 1995年5月4日 | 懲役12年 | |||||||||||||||
| 林郁夫 | ○ | ○ | 1995年4月8日 | 無期懲役 | ||||||||||||||
| 遠藤誠一 | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年4月26日 | 死刑 | ||||||||||||
| 土谷正実 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年4月26日 | 死刑 | |||||||||||
| 越川真一 | ○ | 1995年4月6日 | 懲役10年 | |||||||||||||||
| 飯田エリ子 | ○ | 1995年5月29日 | 懲役6年6ヶ月 | |||||||||||||||
| 横山真人 | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 死刑 | ||||||||||||||
| 北村浩一 | ○ | ○ | 1996年11月14日 | 無期懲役 | ||||||||||||||
| 外崎清隆 | ○ | 1995年4月7日 | 無期懲役 | |||||||||||||||
| 林泰男[21] | ○ | ○ | ○ | 1996年12月3日 | 死刑 | |||||||||||||
| 豊田亨 | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年5月15日 | 死刑 | ||||||||||||
| 広瀬健一 | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 死刑 | ||||||||||||||
| 杉本繁郎 | ○ | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 無期懲役 | |||||||||||||
| 渡部和実 | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 懲役14年 | ||||||||||||||
| 中村昇 | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年7月9日 | 無期懲役(求刑死刑) | ||||||||||||
| 平田悟 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 1995年10月19日 | 懲役15年 | |||||||||||
| 大内利裕 | ○ | 1998年4月19日 | 懲役8年 | |||||||||||||||
| 富田隆 | ○ | ○ | 1995年6月16日 | 懲役17年 | ||||||||||||||
| 端本悟 | ○ | ○ | ○ | 1995年7月9日 | 死刑 | |||||||||||||
| 富永昌宏 | ○ | ○ | ○ | 1995年10月8日 | 懲役15年 | |||||||||||||
| 山形明 | ○ | ○ | ○ | 1995年5月4日 | 懲役20年 | |||||||||||||
| 松下悟史 | ○ | 1996年11月24日 | 懲役4年2ヶ月 | |||||||||||||||
| 八木澤善次 | ○ | 1996年11月14日 | 懲役4年 | |||||||||||||||
| 滝沢和義 | ○ | 1995年5月16日 | 懲役8年 | |||||||||||||||
| 藤永孝三 | ○ | 1995年4月24日 | 懲役10年 | |||||||||||||||
| 高橋昌也 | ○ | ○ | 1995年5月16日 | 懲役9年 | ||||||||||||||
| 後藤誠 | ○ | 1995年5月17日 | 懲役10年 | |||||||||||||||
| 丸山美智麿 | ○ | ○ | 1995年7月9日 | 懲役7年 | ||||||||||||||
| 富樫若清夫 | ○ | 1995年5月17日 | 懲役8年 | |||||||||||||||
| 井田喜広 | ○ | 1995年6月16日 | 懲役6年 | |||||||||||||||
| 松本剛 | ○ | 1995年5月18日 | 懲役4年 | |||||||||||||||
| 平田信 | ○ | 2012年1月1日 | 懲役9年 | |||||||||||||||
| 高橋克也 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 2012年6月15日 | 無期懲役(一・二審判決、被告側上告中) | |||||||||||
| 菊地直子 | ○ | 2012年6月3日 | 無罪(二審判決)、検察側上告中 |
謎[編集]
オウム真理教に絡むとされる事件において、複数の事件で謎が残っている。
- 1995年4月23日の村井秀夫刺殺事件では実行犯徐裕行の裁判では暴力団幹部の指示により決行したとして有罪確定したが、指示したとして起訴された暴力団幹部の裁判では無罪となり、オウム幹部殺害の背後関係がわからないままになっている。なお、上祐史浩は村井秀夫刺殺事件は、オウム真理教の自作自演の可能性が高いと述べていたが、2013年に徐と対談してからは単独犯説を主張するようになった。
- 1995年3月30日の国松警察庁長官銃撃事件では、銃を発砲したと自白して犯行現場にいた証拠がいくつか存在する元オウム信者の警察官の存在、事件直後にテレビ局にオウムの捜査をやめるように脅迫電話をかけたとされる教団幹部の存在など、オウム真理教による犯行を強く匂わせる証拠がありながら、元警察官の供述と物的証拠に矛盾点が多く、最終的には不起訴処分となった。ザ・スクープが独自に取材し検証した結果では元警察官や周りの供述、物的証拠から逮捕された元警察官が実行犯である可能性は低いとしている。さらには事件から数年後、別の容疑で逮捕された容疑者が狙撃事件の実行犯と名乗り出たが、名乗り出た男の供述も矛盾点が多く実行は不可能との結果が出た。そのため事件の真相が明らかにならないまま、2010年に時効が成立した。
関連項目[編集]
- オウム真理教の国家転覆計画
- 内乱罪
- 警察庁広域重要指定事件
- オウム20年目の真実〜暴走の原点と幻の核武装計画〜 - (テレビ朝日 2015年2月21日放送)
- 未解決事件 (NHKスペシャル) - (NHK 2012年5月26日、27日放送分)
- 地下鉄サリン事件 15年目の闘い〜あの日、霞ヶ関で何が起こったのか〜
- 日本テレビ長官狙撃自白報道
- TBSビデオ問題
- 井の頭公園バラバラ殺人事件 ※直接関係はないが担当していた警視庁捜査1課の捜査員が本事件に招集され捜査本部も解散してしまいそのまま未解決になってしまうという不遇を受ける。
脚注[編集]
- ^ 地下鉄サリン事件発生直後に入浴し溺死した人物
- ^ 松本サリン事件で意識不明になり、2008年8月5日に死亡した人物
- ^ 刑事訴訟としては12人。オウム被害者救済法としては13人。
- ^ オウム全公判終結(2011年11月) 毎日新聞
- ^ 【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチャリーが語る 聞き手:田原総一朗
- ^ アレフ発足以後の逮捕者を除く
- ^ あれから16年余 オウム裁判終結 遠藤誠一被告の死刑確定へ スポーツニッポン
- ^ 捜索班の一員だった牛島寛昭巡査(警視庁本田警察署所属)の証言では、牛島巡査が以前、信者が以前2階と3階の間の外壁の空気穴をカバーで隠していたことを思い出し、牛島巡査以下数名の機動捜査隊員が自発的に第六サティアン内に入って麻原教祖の捜索に当たることになった。
- ^ このように別の都道府県警察が合同で捜査を行う場合は警察庁広域重要指定事件に指定される場合が多いが、これらの事件は指定されていない。ただし指定の明確な定義は無い。
- ^ 作家麻生幾著書「極秘捜査――警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」(文藝春秋、1997年 / 文春文庫、2000年)」
- ^ 『死刑廃止国際条約の批准を求める フォーラム90』 vol.147 p8
- ^ 「オウム死刑囚13人、分散収容を検討、法務省、昨年末に。」『日本経済新聞』2012年10月07日付朝刊
- ^ 「オウム3死刑囚の証人採用 心情への影響、警備の混乱…懸念多く」 『産経新聞』 2013年3月30日
- ^ 『朝日年鑑 1996』 朝日新聞社 1996年 219頁 ISBN 4-02-220096-0
- ^ 引田惣弥 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』 講談社 2004年 199頁 ISBN 978-4-06-212222-1
- ^ 特に1995年5月第3週は4位以下が測定不能という状態になった
- ^ 島薗進 2001, p. 18.
- ^ a b “地下鉄サリン死傷者6300人に 救済法の認定作業で調査”. 47NEWS/共同通信. (2010年3月11日) 2012年6月18日閲覧。
- ^ オウム真理教の代表的事件である1995年3月20日の地下鉄サリン事件以降の身柄拘束日について記載。1995年3月20日以前の国土利用計画法違反事件での身柄拘束については記載しない。
- ^ 逮捕後に宮前に改姓。
- ^ 逮捕後に小池に改姓。
外部リンク[編集]
- オウム真理教 反社会的な本質とその実態 - 警察庁
- オウム問題(記事更新終了) - 読売新聞[リンク切れ]
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