1991年東京都知事選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
1991年東京都知事選挙
東京都
1987年 ←
1991年4月7日 (1991-04-07)
→ 1995年

投票率 51.56%
 
候補者 鈴木俊一 いそむら尚徳 畑田重夫
政党 無所属 無所属 無所属
得票数 2,292,846 1,437,233 421,775
得票率 49.94% 31.31% 9.19%

選挙前知事

鈴木俊一
無所属

選出知事

鈴木俊一
無所属

BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

1991年東京都知事選挙(1991ねんとうきょうとちじせんきょ)は、1991年4月7日に執行された東京都知事選挙第12回統一地方選挙の一環として実施された。

概説[編集]

主な争点は現職鈴木の高齢と多選(4期目)への是非であった。また首長選挙にもかかわらず、湾岸戦争への自衛隊海外派遣の是非も争点化した。

盟友の丹下健三に手掛けさせた巨大な新都庁舎に代表される箱物行政と、多選批判が高まった現職の鈴木俊一を自民党都連が引き続き支持。鈴木は4選をめざし立候補した。一方、中央の意のままにならぬ大物の鈴木に引導を渡したい自民党本部は、公明党民社党と相乗り(自公民路線)でNHK報道局長の磯村尚徳を擁立した。

社公民路線が破綻したにも拘らず革新勢は社共共闘の復活もできず、日本社会党では内部抗争から候補者擁立に出遅れた前回都知事選の反省から、都知事候補選定委員会を設置し合議を諮ったが、土井たか子委員長社会民主連合江田五月菅直人岡野加穂留明治大学教授と異論百出して纏まらず、結局、中央大学教授大原光憲を口説き落として選挙戦を闘ったが、社民連の田英夫は鈴木を支援し、大原も共産党推薦で再出馬した畑田重夫の後塵を拝するなど、足並みが乱れた。

加えて公明党系の浜田マキ子無所属で立ったため、既成政党のほとんどが分裂選挙になる様相を呈した。

抜群の支持率を誇るスポーツ平和党参議院議員アントニオ猪木が一旦は出馬表明したが、格闘家として支援を受けていた清和研の創始者福田赳夫や同事務総長三塚博、同政策委員長森喜朗の説得で断念し、磯村と政策協定を結び公示直前に撤退した。そんな中、ロック歌手で抜群の知名度を誇る内田裕也が猪木の断念を受けて急遽立候補を決意し、選挙運動を宇崎竜童監督の実録映画『魚からダイオキシン!!』に纏めた。

1955年から9回連続で立候補し続けた赤尾敏が前年に死去し、1971年を除き6回連続の深作清次郎も姿を消して、常連候補の一角が欠けた代わりに、ミニ政党の推薦を束ねた中松義郎無所属で初挑戦したのを始め、16候補が出馬する活況を呈した。

立候補者[編集]

16名、届け出順。

立候補者名 年齢 新旧 党派 肩書き
中松義郎
(なかまつ よしろう)
62 無所属
新自由クラブサラリーマン新党新政クラブ、環境党、
主権在民党、UFO党新文明党新民主党 推薦)
国際発明家協会会長
いそむら尚徳
(いそむら ひさのり)
61 無所属
自民党本部、公明党民社党本部、スポーツ平和党 推薦)
NHK特別主幹
東郷健
(とうごう けん)
58 雑民党 雑誌編集長
浜田マキ子
(はまだ まきこ)
49 無所属 貿易会社社長、元スチュワーデス
対馬テツ子
(つしま てつこ)
38 緑の党 緑の党党首、元中学校教諭
鈴木俊一
(すずき しゅんいち)
80 無所属(創ろうみんなの東京の会)
自民党都連、民社党都連 推薦)
東京都知事全国知事会会長、元自治省事務次官
福田拓泉
(ふくだ たくせん)
63 大日本誠流社
(北方領土返還推進連盟 推薦)
政治団体役員
大原みつのり
(おおはら みつのり)
64 無所属(東京に新しい政治と文化をつくる会)
社会党 推薦)
中央大学法学部教授
橘高明
(きったか あきら)
58 アジア建国党 アジア建国党事務局長
畑田重夫
(はただ しげお)
65 無所属(ふたたび革新都政をめざす会
共産党 推薦)
国際政治学者、元名古屋大学助教授
岡田三男
(おかだ みつお)
67 全日本ドライバーズクラブ 外車平行輸入業、著述業
しらいサカエ
(しらい さかえ)
54 国民党 国民党代表、貿易会社社長
南俊夫
(みなみ としお)
79 世界連邦創設委員会 世界連邦政府創設委員会役員
三井理峯
(みつい りほう)
79 無所属 無職
内田裕也
(うちだ ゆうや)
51 無所属 ロック歌手、俳優
マスダシン一
(ますだ しんいち)
67 政事公団太平会 政事公団太平会同人(代表)

選挙結果[編集]

各候補の得票率(得票数の多かった順)

投票率は51.56%で、前回1987年の43.19%を大きく上回った(前回比 +8.37%)[1]

候補者別の得票数の順位、得票数[2]、得票率、惜敗率、供託金没収概況は以下のようになった。供託金欄のうち「没収」とある候補者は、有効投票総数の10%を下回ったため全額没収された。得票率と惜敗率は未発表のため暫定計算とした(小数3位以下四捨五入)。

  順位 候補者名 党派 新旧 得票数 得票率 惜敗率 供託金
当選 1 鈴木俊一 無所属 2,292,846 49.94% ----
  2 いそむら尚徳 無所属 1,437,233 31.31% 62.68%
  3 畑田重夫 無所属 421,775 9.19% 18.40% 没収
  4 大原みつのり 無所属 290,435 6.33% 12.67% 没収
  5 内田裕也 無所属 54,654 1.19% 2.38% 没収
  6 浜田マキ子 無所属 45,247 0.99% 1.97% 没収
  7 中松義郎 無所属 27,145 0.59% 1.18% 没収
  8 岡田三男 全日本ドライバーズクラブ 7,374 0.16% 0.32% 没収
  9 対馬テツ子 緑の党 5,691 0.12% 0.25% 没収
  10 東郷健 雑民党 2,254 0.05% 0.10% 没収
  11 しらいサカエ 国民党 1,643 0.04% 0.07% 没収
  12 南俊夫 世界連邦創設委員会 1,245 0.03% 0.05% 没収
  13 福田拓泉 大日本誠流社 1,190 0.03% 0.05% 没収
  14 三井理峯 無所属 829 0.02% 0.04% 没収
  15 マスダシン一 政治公団太平会 740 0.02% 0.03% 没収
  16 橘高明 アジア建国党 451 0.01% 0.02% 没収

パリ仕込みの「キザ」が看板で有力候補の一人であった磯村は、下町の銭湯で年寄の背中を流すパフォーマンスを報道陣に公開するなど、庶民派をアピールして成り振り構わぬ選挙戦を展開。しかし、中央による押し付け候補という図式への反感から鈴木に票が流れ、更に当初の「多選・高齢・箱物」批判の図式が霞んだこと、批判票の候補乱立による分散もあり、鈴木が悠々と4選を果たした。

革新勢の一人、社会党推薦の大原は、共産党が推す勤労者通信大学学長の畑田重夫(2回連続2度目)すら下回って供託金を没収される惨敗を喫した。大原は埼玉県所沢市の住民で、この選挙に立候補はできるが自分に投票する権利を有していない、という立場であった。選挙後、大原は体調を崩し、翌年7月に没した。

今回の統一地方選全体では勝利した自民党だが、幹事長小沢一郎はこの都知事選での失敗を理由に自ら申し出て辞任する。このことは分裂選挙に巻き込んだ公明党に対する小沢の義理立てともなり、小沢と公明党の関係強化につながった。また無役となった小沢は所属する経世会の会長代行に就任し、後の政界再編へと動く契機になった。

脚注[編集]

  1. ^ 各種選挙における投票率 -投票率(東京都)- - 東京都選挙管理委員会
  2. ^ 東京都知事選 - 過去の選挙 朝日新聞デジタル

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 大川豊『日本インディーズ候補列伝』