浜田マキ子

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はまだ まきこ
浜田 マキ子
生誕 藤井 麻記子
(1942-03-19) 1942年3月19日(74歳)
日本の旗 日本東京都文京区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部東洋史学科
職業 実業家
政治運動家
エッセイスト
親戚 植竹春彦(叔父)
植竹繁雄(従兄)

浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年3月19日 - )は日本の実業家政治運動家エッセイスト。本名:濱田 麻記子[1]、旧姓は藤井。 夫は元衆議院議員参議院議員弁護士浜田卓二郎。叔父は元参議院議員・郵政大臣植竹春彦、従兄は元衆議院議員・外務副大臣植竹繁雄

来歴[編集]

東京都文京区出身。父親は実業家の娘に生まれる。清明学園初等学校を経て森村学園初等科、中等科、高等科卒業。 1960年4月、日本航空に入社し、国際線スチュワーデスとなる[2]。翌1961年2月、10か月で日本航空を退社し、東京大学に入学。1965年3月、東京大学文学部東洋史学科を卒業後、植竹の秘書となるが、同年大蔵省に勤務していた卓二郎と結婚。長男をもうける。

1973年花嫁学校「芝アカデミー[3]」を設立し学長に就任。以後、2008年秋まで貿易や人材育成コンサルティング関連など複数の会社を経営しながら、1990年、ハーバード大学外交センターのフェローになる。著作出版、月刊『ぺるそーな』の発行、ワイドショーコメンテーター、講演活動を行って来た。

2008年10月10日付で、同じ大学の先輩で勉強会仲間であった日本ラッドの大塚隆一から依頼され、DHCシアター(株式会社シアター・テレビジョン)の代表取締役社長に就任[4]

政治活動[編集]

エピソード[編集]

  • 東大時代は美人女子学生として学内でも有名人であった。ただ東洋史専攻であったにも拘らず肝心の漢文の知識が不足しており、ある時ゼミの先輩学生に「あなたこんなものは大漢和辞典で調べれば分かるでしょ」と指導された。するとマキ子はその日のうちに図書館から大漢和辞典全巻を借り出し、大学にタクシーを呼んで自宅に持ち帰ってしまったという。[要出典]
  • 政治信条は概ね保守的であり、自分は主婦であると強調している。また既存のフェミニズム運動やウーマン・リブ運動には否定的である。しかし、自身の政界入りや社会の指導者・変革者になろうとする願望は強く、その考え方をシアターテレビジョンの社長就任以降の番組編成にも影響している。[要出典]
  • 2014年にスーパーハカーにメールアドレスをハックされて世界中の友人に迷惑をかけて以来、メール恐怖症となった事を香山リカツイッター乗っ取り発言に絡めて言及。自身への個人的な意見はFAXにて行うようにと2015年5月2日に自身のブログでFAX番号とともに告知した。[要出典]

番組出演[編集]

テレビ[編集]

著書[編集]

  • 『普通の女 駄目なものは駄目、いいものはいい』(世界文化社 1991年
  • 『女はみんなジャンヌ・ダルク』(コスモの本 1991年
  • 『「楽勉」のすすめ 受験生をもつお母さんへ』(経済界 1994年
  • 『キレイはマネからおしゃれは勇気』(DHC 2005年

脚注[編集]

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  1. ^ 旧名は浜田 槙子
  2. ^ 第15回右脳インタビュー”. 知財問屋 片岡秀太郎商店 (2007年2月1日). 2016年1月29日閲覧。
  3. ^ 名誉学長:岸信介、理事長:植竹
  4. ^ 日刊ゲンダイ 2009年6月19日付
  5. ^ 但し、出馬時には自民党の党籍を有していた
  6. ^ 事実、埼玉5区は1976年の第34回衆議院議員総選挙を機に埼玉1区から分割設置された経緯がある。
  7. ^ この時は自民党の公認を得ていて、しかも夫と同じ宏池会の支援を受けていた。

外部リンク[編集]