滋賀県

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しがけん ウィキデータを編集
滋賀県
満月寺浮御堂彦根城
滋賀県旗
滋賀県旗
日本の旗 日本
地方 近畿地方
団体コード 25000-7
ISO 3166-2:JP JP-25
面積 4,017.38km2
(境界未定部分あり)
総人口 1,400,910[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 349人/km2
隣接都道府県 京都府福井県岐阜県三重県
県の木 モミジ
県の花 シャクナゲ
県の鳥 カイツブリ
他のシンボル 県民の歌 - 滋賀県民の歌
シンボルマーク - Mother Lake
イメージキャラクター - うぉーたんキャッフィー
びわ湖の日 - 7月1日
滋賀県庁
知事 三日月大造
法人番号 7000020250007 ウィキデータを編集
所在地 520-8577
滋賀県大津市京町四丁目1番1号
滋賀県本庁舎
滋賀県本庁舎
外部リンク http://www.pref.shiga.jp 滋賀県
滋賀県の位置
特記事項

滋賀県行政区画図

― 市 / ― 町

ウィキポータル 日本の都道府県/滋賀県
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滋賀県の象徴琵琶湖航空撮影
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滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地大津市

概要

令制国近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」の語源については滋賀郡を参照。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く頭高型アクセントであるが、地元では「が」にアクセントを置く尾高型アクセントである(「滋賀県」とする場合は共通語も地元の方言も同じアクセント)。

「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、近隣府県約1,400万人の飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる(後述「#地域」参照)。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と、海に面する5府県より多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾大坂をつなぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道東山道中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となった。

交通利便のよさは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。[1]太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場が相次いで進出、近年はJR西日本アーバンネットワーク拡大に伴って京都府大阪府ベッドタウンとしても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた[2]。ただし開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、以前からあった北部との経済格差が広がる事態となっている。南部では住宅地が広がり、駅前にはマンションが建っているなど賑わいがある一方で、北部や西部は田が広がり、のどかな雰囲気がある。

滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に京都・大阪との結びつきが強いが、中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事近畿ブロック知事会中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博では中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画も進むなど、中部圏の一角としての発展も期待されている。

地理

周囲を山脈山地が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。大半が琵琶湖であるかのように思われがちだが、最も面積を占めるのは山林(総面積の約半分)であり、琵琶湖が占める面積は総面積の6分の1程度である。面積は全国で10番目に狭く、内陸県では奈良県埼玉県に次いで狭い。その狭い面積の半分以上を山地と琵琶湖が占めており、可住地面積大阪府よりも狭い。

地形

気候

滋賀県は複数の気候区分に跨っている。

全域が内陸性気候であるが、北部は北陸型の日本海側気候、南部は太平洋側気候および瀬戸内海式気候を併せ持つ。しかし、琵琶湖があるおかげで、他の盆地と比較すると冬の寒さは幾分穏やかである。北部や山間部には豪雪地帯が広がり、なかでも最北端の長浜市余呉地区(旧余呉町)は近畿地方で唯一の特別豪雪地帯に指定されている。1927年(昭和2年)に伊吹山山頂で積雪量11.82m(気象観測上、世界最深積雪記録)、1981年(昭和56年)に余呉町中河内で積雪量6m55cmを記録している[3]。また比良山地東麓では比良おろしという北西の局地風があり、3月下旬に吹くものは「比良八講荒れじまい」と呼ばれ、春の訪れを告げる風物詩となっている。

滋賀県内各地の平年値(統計期間:1979年 - 2000年[4]
平年値
(月単位)
湖北 湖東 近江西部 近江南部 東近江 甲賀
長浜市 伊吹山 彦根市 高島市
今津
大津市 近江八幡市 東近江市
蒲生
甲賀市
柳ヶ瀬 虎姫 南小松 大萱 信楽 土山
平均
気温
最暖月 25.9
(8月)
18.1
(8月)
26.7
(8月)
25.6
(8月)
26.3
(8月)
26.9
(8月)
25.8
(8月)
24.0
(8月)
24.7
(8月)
最寒月 2.6
(1月)
-5.2
(2月)
3.6
(1・2月)
2.5
(2月)
3.5
(2月)
4.0
(1・2月)
2.8
(1・2月)
1.3
(1月)
1.9
(1・2月)
降水量
(mm)
最多月 299.8
(12月)
189.9
(6月)
204.5
(6月)
215.8
(6月)
259.2
(6月)
244.5
(6月)
218.0
(6月)
205.9
(6月)
223.4
(6月)
221.4
(6月)
最少月 161.2
(8月)
96.2
(2月)
83.1
(12月)
106.0
(11月)
97.3
(12月)
41.1
(12月)
58.2
(12月)
51.9
(12月)
42.9
(12月)
46.2
(12月)
降水
日数
(日)
最多月 21.7
(1月)
17.2
(1月)
13.5
(1月)
19.1
(1月)
16.4
(2月)
12.9
(6月)
12.6
(6月)
12.6
(6月)
13.5
(6月)
14.0
(6月)
最少月 9.7
(8月)
7.8
(8月)
8.2
(8月)
8.7
(8月)
9.0
(8月)
6.8
(12月)
7.6
(8月)
8.5
(8月)
7.5
(12月)
9.0
(12月)

自然公園

総面積に対する自然公園面積の割合が37.6%で(平均14.5%)、1位である(2007年(平成19年)時点)。

県立自然公園
  • 三上・田上・信楽県立自然公園
  • 朽木・葛川県立自然公園
  • 湖東県立自然公園

歴史

滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わっている。白洲正子は随筆『近江山河抄』のなかで「近江は日本の楽屋裏」と評した。

延暦寺横川中堂
安土城大手道
近江八幡市新町通り重伝建
彦根城特別史跡
滋賀県最高峰伊吹山とJR東海東海道新幹線 (N700系)

古代から中世

国造が分立した時代には、滋賀県は淡海国造安国造の領域であった。都に近いために早い時期から開発が進められ、多くの渡来人が入植した。飛鳥時代には近江大津宮、奈良時代には紫香楽宮保良宮が置かれた。壬申の乱藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることも度々あった。

平安中期より佐々木氏が近江に起こった。佐々木氏は源頼朝関東地方で勃興するとこれに積極的に加わり、近江一国の守護職を得た。以降、六角氏京極氏に分かれながら、佐々木一族は戦国時代に至るまで近江国を支配した。南北朝期にはばさら大名で有名な佐々木道誉(高氏)が出て京極家の勢威を伸ばした。

本願寺蓮如の大布教が始まると、大津付近は一向宗色が強くなった。このため、これを喜ばない比叡山が度々攻撃を仕掛けた。比叡山東麓の坂本は一向宗の堅田と経済的にも対立していたことから、両者の抗争は頻繁であった。この後に蓮如は大津に一向宗拠点を構えた。

戦国時代

戦国時代に入ると、北部に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いによって1573年(天正元年)に滅んだ。

近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地安土城を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、北部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着が着けられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係もあり、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。石田三成もその1人である。そのことによって生じた近江閥と秀吉出身地の尾張閥の対立が関ヶ原の戦いを促したとも言われる[要出典]

また戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。

近世

徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩水口藩大溝藩西大路藩宮川藩山上藩三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍家光以降は上洛も途切れ御殿も次第に老朽化して、廃れていった。

また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡日野五個荘などから近江商人を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、日本経済の発展に寄与した。

近代

明治維新により幕府領旗本領大津県が設置された後、廃藩置県によって各藩は県に移行し、1871年11月22日、大津県(滋賀郡・蒲生郡以南)と長浜県(高島郡・神崎郡以北)に統合された。翌1872年、1月19日に大津県が滋賀県に、2月27日に長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、9月28日に両県が合併し、近江国と領域を同じくする滋賀県が改めて成立した。本庁舎は大津に置かれたが、南西に偏在しているため、近江国最大の城下町であった彦根も候補に上がった。1891年(明治24年)と1936年(昭和11年)の2度、大津から彦根への本庁舎移転運動が起こったことがある。1876年(明治9年)8月21日から1881年(明治14年)2月7日までの4年半には、現在の福井県嶺南地方を編入し、滋賀県が若狭湾に面していた時期もあった[5]

人口

2008年(平成20年)8月1日時点で、人口調査開始の1960年(昭和35年)以降初めて140万人を超えた。人口統計速報によると2009年(平成21年)9月1日現在、奈良県の人口を抜き、大阪府・兵庫県・京都府に続く近畿地方第4位となった。


滋賀県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

平成22年国勢調査によると、滋賀県の人口増加率は+2.20%で、全国5位。関西では滋賀県と大阪府だけが増加した。守山市の+8.10%、草津市の+8.00%、栗東市の+6.32%は全国トップ100に入っている。

平成23年の人口増加率は+0.31%で、沖縄、東京に次いで全国3位。

京都や大阪の通勤圏であるため住宅需要が高く、住宅開発が非常に活発である。2011年3月から南草津駅に新快速が停車するようになったほか、リチウムエナジージャパンやパナソニックが大規模な工場を増設したこともあり、人口増加にブレーキがかかっていない。

地域

以下の13市3郡6町がある(町はすべて「ちょう」と読む)。江戸時代には江南(現在の湖南)・江西(現在の湖西)・江東(現在の湖東・湖北)に3区分されていたが、明治時代以降、琵琶湖を中心に湖南・湖東・湖北・湖西に4区分するのが一般的となった[6]。この4区分以外に区分される場合もあり、例えば滋賀県では7地域に細分化している。各々に属する自治体は以下の通り。なお郡は、1878年(明治11年)の浅井郡の東西分割と1897年(明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた[7]

※ 人口は2024年4月1日現在

湖南(こなん)

国道1号,東海道が通る交通の要衝であり、平野部も多いため、古くから開発が進んだ。京阪とのつながりが強く、現在は通勤通学圏として「滋賀府民」の多い地域となっている。甲賀は忍者と製薬、信楽焼の里として有名。


大津地域[8] - 344,375人
南部地域[9] - 351,481人
甲賀地域 - 139,784人

湖東(ことう)

湖南地方とともに平野部が大きく開けており、穀倉地帯や交通の要衝として栄え、肉牛の飼育も盛ん。近江商人を最も多く輩出した地域でもある。

東近江地域[10] - 223,177人
湖東地域[11] - 152,431人

湖北(こほく)

京阪から最も遠い地方であり、関西文化圏の東端であるとともに北陸地方や東海地方との緩衝地帯である。近代には養蚕業が盛んであった。湖南地方などに比べて宅地開発や工場進出が遅れているが(いわゆる「南北格差」)、伝統的な文化や景観がよく保たれている。

湖北地域 - 145,680人

湖西(こせい)

畿内と若狭湾・北陸を結ぶ地で、湖南地方とともに京都とのつながりが強い。安曇川扇状地と石田川扇状地を除いて平野部が少なく、琵琶湖近くまで山地が迫る自然豊かな地方である。歴史・文化的には大津市北部も湖西に含まれる。

高島地域[12] - 43,982人

廃止自治体

合併により2004年(平成16年)以降に廃止になった自治体は下記のとおりである。

政治

国政

衆議院小選挙区が4。参議院では、全県で1区を構成。

県政

滋賀県本庁舎
(大津市)

2009年(平成21年)、約9,900万円にも及ぶ不適正経理が会計検査院の指摘などにより判明し、関係した職員60人が処分を受けた[13]

歴代知事

歴代知事(公選)を以下に抜粋
  • 初代 服部岩吉 (1947年4月12日 - 1954年11月8日、2期)
  • 2代 森幸太郎 (1954年12月7日 - 1958年12月6日、1期)、後に農林大臣
  • 3代 谷口久次郎 (1958年12月7日 - 1966年12月6日、2期)
  • 4代 野崎欣一郎 (1966年12月7日 - 1974年12月6日、2期)
  • 5代 武村正義 (1974年12月7日 - 1986年6月16日、3期)、後に大蔵大臣など
  • 6代 稲葉稔 (1986年7月20日 - 1998年7月19日、3期)
  • 7代 國松善次 (1998年7月20日 - 2006年7月19日、2期)
  • 8代 嘉田由紀子 (2006年7月20日 - 在任中、現在2期目)、滋賀県初の女性知事。全国では、2006年の初当選時で5人目。

財政

2007年度
  • 財政力指数 0.56 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中14位
2006年度
  • 財政力指数 0.51 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中15位
  • 標準財政規模 - 2798億9600万円
  • 経常収支比率 - 91.8% (都道府県平均は92.6%)
  • 実質収支比率 - 0.38% わずかに黒字である。
  • 人口1人当たり人件費・物件費等決算額 - 13万5,324円 (都道府県平均は12万4,759円であり、やや多い)
  • 人口100,000人当たり職員数 - 1,285.89人 (都道府県平均は1,173.11人であり、やや多い)
    • 職員数の定数全体のうち教職員・警察官で約75%を占める。
  • ラスパイレス指数 - 98.6
  • 実質公債費比率 - 13.6% (都道府県平均は14.7%)
  • 人口1人当たり地方債現在高 - 65万7,797円 (都道府県平均は62万2,416円)
    • 普通会計分の地方債残高のみである。

地方債の残高

  • 普通会計分の地方債現在高 - 9022億2,000万円
  • 上記以外の特別会計分の地方債現在高 - 1057億3,300万円
    • おもな内訳 流域下水道会計分 - 585億円 病院事業分 246億円 上水道供給事業分 182億円
  • 第3セクター等の債務状況(債務保証にかかわる債務残高等) - 616億6,700万円
    • おもな内訳 社団法人滋賀県造林公社分 106億円 財団法人びわ湖造林公社 - 337億円
  • 滋賀県の債務残高 - 1兆0696億2,000万円(連結会計)
  • 滋賀県民1人あたり債務残高 - 76万4,279円
2005年度
  • 財政力指数 0.45 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中6位
2004年度
  • 財政力指数 0.44 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中8位

文化

京都・大阪の文化圏に属し、滋賀県で話される方言近江弁)も京言葉との共通点が多い。食やファッションのトレンドでも、京都方面の影響が大きい。岐阜県関ケ原から滋賀県にかけては東西文化の境界線をなす(アホかタワケか雑煮が丸餅か角餅かなど)。湖北地方などは北陸や東海の文化との緩衝地帯でもあり、例えば中京地方のブロック紙である中日新聞は滋賀県でも配達されており、特に米原市では6割強のシェアを占める[14]

県民性としては、『角川日本地名大辞典』では「温和で、一徹ではなく、計数に明るく利害に敏感で、蓄財に長じている。文にたけるが武はそれほどでもない。」「地味で着実、おとなしく粘り強く努力する。」としている[15]。社寺(滋賀県には浄土真宗門徒が多い)を中心とする伝統的な地縁社会であることから、保守的・閉鎖的であるとの指摘もある[16]祖父江孝男は、滋賀県の県民性イメージは近江商人に関するステレオタイプから生み出された部分が大きいとしている[17]

文化財

石山寺
彦根城(国宝天守)

滋賀県では1件の世界文化遺産、55件の国宝、806件の重要文化財が指定されており、国宝の指定件数は京都府・東京都・奈良県・大阪府に次ぐ5位、重要文化財の指定件数は東京都・京都府・奈良県に次ぐ4位である(2009年(平成21年)7月1日時点)。

世界文化遺産
国宝
重要伝統的建造物群保存地区
有形文化財
重要文化的景観

教育

多くの大学が集まる京阪神に隣接するため、かつては大学の少ない県であった。しかし県が活発に大学を誘致した結果、2009年(平成21年)時点で10大学3短期大学が立地している[18]。小学校では京都府とともにランリック(ランリュック)がよく普及している。また児童の交通安全のための飛び出し坊やの設置が多く、飛び出し坊や愛好家のみうらじゅんからも注目されている[19]。滋賀県独自の教育事業として、小学校5年生などを対象に琵琶湖上で行われる滋賀県立びわ湖フローティングスクールがある。

スポーツ

滋賀県では突出して盛んなスポーツはなく、2008年(平成20年)にバスケットボールbjリーグ滋賀レイクスターズが設立されるまでは滋賀県に本拠地を置くプロスポーツチームは存在しなかった。高校野球でも近畿勢で唯一優勝経験がない(日本の高校野球#滋賀県参照)。一方で近年サッカーのレベルが向上しており、2005年(平成17年)に滋賀県立野洲高等学校全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たしている。滋賀県本拠地のサッカークラブとして、日本フットボールリーグ(JFL)に、強豪SAGAWA SHIGA FC(本拠:守山市)と、Jリーグ参入を目指すMIOびわこ滋賀(本拠:草津市)が存在する。他に、栗東市には日本中央競馬会栗東トレーニングセンターが所在する。

伝統芸能・祭礼

食文化

赤こんにゃく
彦根のちゃんぽん

経済

かつては京阪神に米などを供給する農業県であったが、現在では西日本有数の工業県であり[20]2004年(平成16年)度の工業生産出荷額は6兆1,909億円に達する。主要な工業生産品には近世からの伝統産業である日野・甲賀地方の医薬品(特に置き薬)があり、2004年(平成16年)度の医薬品生産額は2,150億円に達する[21]

滋賀県ではびわ湖環境ビジネスメッセや滋賀ビジネスパートナーといった経済イベントが開催されている。

本店を置く企業

滋賀県ゆかりの企業

滋賀県が発祥地だったり、創業者が近江商人だったりする著名な企業。

他多数。

伝統工芸

信楽焼

マスメディア

放送

その他、近畿広域圏を担う各社(MBSテレビABCテレビ関西テレビ読売テレビ)の中継局がある。中継局はないものの、ABCラジオMBSラジオラジオ大阪の放送対象区域である。また、地域によっては、本来放送対象区域ではない近隣府県の放送が視聴可能である。

新聞

地方紙・ブロック紙

2012年(平成24年)現在、日本新聞協会全国地方新聞社連合会などに所属する地方紙はなく、京都新聞と中日新聞滋賀版が事実上の県紙となっている。

かつて存在した新聞
  • 滋賀日日新聞 - 1922年(大正11年)に「江州日日新聞」として創刊。京都新聞の僚紙となった後、1978年(昭和53年)頃に休刊。休刊後は京都新聞滋賀本社に引き継がれた。
  • みんなの滋賀新聞 - 2005年(平成17年)4月にみんなで作る新聞社が創刊したが、同年9月に休刊。復刊の目途が立たないまま12月に自己破産を申請して倒産した。

全国紙

交通

鉄道路線

ファイル:Former Nagahama stn.jpg
旧長浜駅
米原駅に停車中の新快速電車
東海旅客鉄道(JR東海)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
近江鉄道
信楽高原鐵道
京阪電気鉄道
比叡山鉄道

道路

琵琶湖大橋
新名神高速道路(黄瀬跨道橋より大阪方面を望む)

主要な国道や県道でも高規格化整備が遅れており、至る所で渋滞が発生している。特に大津市京都市とを結ぶ国道1号は、交通集中のため慢性的に渋滞が発生する。

高速自動車国道
一般有料道路
一般国道

航路

長浜港

大津港や竹生島港を中心に琵琶湖汽船京阪グループ)とオーミマリン近江鉄道グループの近江トラベル運営)が観光遊覧船を開設しているほか、近江八幡市の沖島と堀切新港を結ぶ通船や沖島と長命寺港を結ぶ渡し船が存在する。以下、琵琶湖汽船とオーミマリンによる定期観光航路を挙げる。

ナンバープレート

滋賀県で登録された自動車ナンバープレートは全て「滋賀」で、守山市の滋賀運輸支局で交付される。他府県民から「ゲジナン」や「ゲジゲジ」、または「イナズマナンバー」と揶揄されることがあるが、これは「滋」の「幺幺」の部分から連想されたものである。西川貴教の呼びかけで2009年(平成21年)9月に草津市で開催された大型野外音楽ライブ「イナズマロックフェス 2009」の「イナズマ」は、ナンバープレートの俗称から命名された[23]

滋賀県出身の有名人

出身者以外で滋賀県にゆかりのある人物としては、大津宮を開いた天智天皇、粟津(現在の大津市)で斃れた源義仲、義仲が眠る大津市の義仲寺を墓所とした松尾芭蕉、近江八幡を活動拠点とし県内にも多くの名建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズなどがいる。

観光

琵琶湖には海津大崎など数々の景勝地があり、とりわけ近江八景は近世より日本有数の名勝として知られた。近年でも琵琶湖八景が設定され、景観の良さで内外に知られている。また、奈良や京都に近く中世から近世において交通における重要拠点であったことや、太平洋戦争の戦災や戦後の乱開発も比較的少なかったことなどから、社寺・城郭・伝統的景観などの歴史的観光資源も豊かである。

主な観光地としては、全国的にも比較的知名度の高い長浜彦根近江八幡信楽のほか、世界遺産(文化遺産)である比叡山延暦寺をはじめ多数の寺院・史跡が存在する。また、琵琶湖およびその周辺の自然環境では釣り・ボート・ヨット・スキー・登山・キャンプ・自転車ツーリングなどのアウトドア・レジャーが盛んであり、京阪神中京圏北陸圏などから多数の観光客が訪れている。滋賀県の年間延べ観光客数は4,000万人以上に達する[24]

近年、琵琶湖以外の自然環境では里山や田園、カバタなどがグリーンツーリズムエコツーリズムの観点から見直されつつある。また西日本最大級のオペラ拠点であるびわ湖ホールがあるほか、野外型大型ロックフェスの『イナズマロックフェス』や彦根市のゆるキャラひこにゃん」ブームに端を発したイベントである『ゆるキャラグランプリ』などの開催があり、これらの催事にも県外から多くの人が訪れる。

姉妹・友好都市

滋賀県を舞台にした作品

漫画
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脚注

  1. ^ 琵琶湖の鮎は琵琶湖に留まったままでは大きく成長しない。近江の商人もそれと同様に、近江から出ていった方が大成できるという意味。
  2. ^ 総務省の2010年(平成22年)国勢調査によると、2005年(平成17年)から2010年(平成22年)の人口増減率が47都道府県中5位(首都圏を除くと沖縄県に次いで2番目)
  3. ^ 「琵琶湖研究所所報(1986)」 流域を読む(姉川編)2 - 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター
  4. ^ 国土交通省気象庁・気象統計情報
  5. ^ http://www.pref.shiga.jp/b/kemmin-j/kenseishiryoshitsu/oupunkinen.pdf
  6. ^ 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』1979年、角川書店、24頁。
  7. ^ 1950年(昭和25年)4月1日の時点で大宝律令以来の郡と区域が異なっていたのは、浅井郡・伊香郡の変更のほか、神崎郡葉枝見村(現:彦根市)の愛知郡への移行(1896年)、坂田郡相撲庭(現:長浜市)の東浅井郡への移行(1889年(明治22年))、大津市(1898年(明治31年)に市制移行、滋賀郡離脱。1950年(昭和25年)時点では坂本以北と瀬田川以東を含まず)・彦根市(1937年(昭和12年)に市制移行、犬上郡離脱。1950年(昭和25年)時点では鳥居本・高宮と荒神山・河瀬以南含まず)・長浜市(1943年(昭和18年)に市制移行、坂田郡離脱。1950年(昭和25年)時点で平成の大合併直前の市域と同じ)の市制移行による郡からの離脱、栗太郡物部村(現:守山市)の野洲郡への移行(1921年(大正10年))など。
  8. ^ 以前の呼称は大津・志賀地域
  9. ^ 以前の呼称は湖南地域。
  10. ^ 以前の呼称は中部地域。
  11. ^ 湖北地域とともに東北部地域とされることもある。
  12. ^ 以前の呼称は湖西地域。
  13. ^ 産業経済新聞 2009年10月13日
  14. ^ 京都新聞による京都府・滋賀県の市郡別各紙朝刊部数データ京都府・滋賀県の新聞のシェアデータから、中日新聞(前者データの「その他」と後者データの「F紙」)の滋賀県および県内各市郡での部数・シェアがわかる。
  15. ^ 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』1979年、角川書店、25頁。
  16. ^ NHKが1996年に実施した「全国県民意識調査」によると、「『よそ者』というような言葉が、この地域ではまだ生きている。」という項目で2位。
  17. ^ 祖父江孝男「県民・日本人気質」河出書房新書編集・発行(木津川計『含羞都市へ』61-62頁)
  18. ^ 文部科学省の学校基本調査によると、1998年(平成10年)から2008年(平成20年)までの10年間の4年制大学の学部学生数の増加率が2位。
  19. ^ ほぼ日刊イトイ新聞みうらじゅんに訊け! ―この島国篇―、2008年6月15日、2010年6月20日閲覧。
  20. ^ 内閣府の2006年(平成18年)度県民経済計算によると、総生産に占める第2次産業の割合が46.7%で1位。
  21. ^ 滋賀県薬業協会 近年の滋賀の薬データ
  22. ^ 教育テレビ、第2放送は大阪放送局管轄。県内には教育テレビの中継局が所在する。第2放送は大阪府羽曳野市の送信所からの直接受信。
  23. ^ 滋賀ふるさと観光大使 西川貴教氏の大型野外フェス、タイトル、第二弾出演アーティスト発表!(県政eしんぶん)
  24. ^ 平成21年滋賀県観光入込客統計調査書 - 滋賀県(2011年12月16日付、2012年1月18日閲覧)※2000年以降の各年のバックナンバーは、上記サイトにリンクあり。

関連項目

外部リンク

行政
先代
大津県犬上県
行政区の変遷
1872年 -
(※正確には大津県を改称)
次代
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