野洲郡

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滋賀県野洲郡の位置(黄:明治期 水色:後に他郡から編入した区域)

野洲郡(やすぐん)は、滋賀県近江国)にあった

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 野洲市の全域
  • 守山市の大部分(浮気町・勝部町・勝部・梅田町・今宿町・今宿・焔魔堂町・阿村町・伊勢町・二町町・古高町・大門町・横江町・千代町を除く)
  • 近江八幡市の一部(江頭町・十王町・小田町・野村町・佐波江町・丸の内町)

歴史[編集]

近世以降の沿革[編集]

  • 慶応4年
  • 明治3年
  • 明治4年
  • 明治初年 - 今浜新田が今浜村に合併。(96村)
  • 明治5年(93村)
    • 1月19日(1872年2月27日) - 大津県が改称して滋賀県となる。
    • 立花村・戸田村が合併して立田村となる。
    • 冨波沢村・冨波新田村が合併して冨波村となる。
    • 木浜新田が木浜村に合併。
  • 明治7年(1874年)(79村)
    • 上永原村・紺屋町村が合併して上屋村となる。
    • 杉江新田が杉江村に、山賀新田が山賀村に、野田新田が野田村に、須原新田が須原村に、吉川新田・菖蒲新田・喜合新田が吉川村に、小浜新田が小浜村に、水保新田が水保村に、幸津川新田が幸津川村に、山脇村・桜生村が小篠原村にそれぞれ合併。
    • 同年から明治12年の間に末吉新田が野村に合併。
  • 明治8年(1875年)(77村)
    • 吉川村の一部が分立して菖蒲村となる。
    • 野村新田・井狩新田が合併して佐波江村となる。
    • 赤野井新田が赤野井村に、川崎新田が洲本村にそれぞれ合併。
    • 開発村が改称して洲本村となる。
  • 明治11年(1878年) - 吉川村の一部が分立して喜合新田となる。(78村)
  • 明治12年(1879年)(77村)
    • 5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての野洲郡が発足。「栗太野洲郡役所」が栗太郡草津村に設置され、同郡とともに管轄。
    • 中畑村・行合村が合併して行畑村となる。
  • 明治16年(1883年) - 乙窪村・小比江村の各一部が分立して北比江村となる。(78村)

町村制以降の沿革[編集]

1.守山村 2.小津村 3.玉津村 4.河西村 5.野洲村 6.速野村 7.中洲村 8.兵主村 9.中里村 10.北里村 11.篠原村 12.義王村 13.三上村(紫:近江八幡市 赤:守山市 桃:野洲市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(13村)
    • 守山村 ← 守山村、吉身村、岡村、立入村(現・守山市)
    • 小津村 ← 金森村、三宅村、大林村、欲賀村、森川原村、山賀村、杉江村(現・守山市)
    • 玉津村 ← 赤野井村、石田村、十二里村、矢島村(現・守山市)
    • 河西村 ← 播磨田村、小島村、川田村[川田・喜多・田中]、中村、笠原村、今市村、荒見村(現・守山市)
    • 野洲村 ← 野洲村、市三宅村、行畑村、小篠原村、久野部村、川田村[竹生](現・野洲市)
    • 速野村 ← 水保村、今浜村、木浜村、洲本村(現・守山市)
    • 中洲村 ← 新庄村、服部村、立田村、幸津川村、小浜村(現・守山市)、吉川村、菖蒲村、喜合新田(現・野洲市)
    • 兵主村 ← 五条村、野田村、六条村、安治村、須原村、堤村、井口村(現・野洲市)
    • 中里村 ← 西河原村、比江村、小比江村、北比江村、乙窪村、吉地村、比留田村、木部村、八夫村、虫生村(現・野洲市)
    • 北里村 ← 江頭村、十王町村、小田村、野村、佐波江村(現・近江八幡市)
    • 篠原村 ← 大篠原村、小堤村、入町村、長島村、高木村、小南村(現・野洲市)
    • 義王村 ← 永原村、中北村、上屋村、辻町村、冨波村、五之里村、北村(現・野洲市)
    • 三上村 ← 三上村、妙光寺村、南桜村、北桜村(現・野洲市)
  • 明治27年(1894年8月22日 - 義王村が改称して祇王村となる。
  • 明治31年(1898年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所を野洲村に設置。
  • 明治37年(1904年2月1日 - 守山村が町制施行して守山町となる。(1町12村)
  • 明治44年(1911年10月17日 - 野洲村が町制施行して野洲町となる。(2町11村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和16年(1941年7月10日 - 守山町が栗太郡物部村と合併し、改めて守山町が発足。(2町11村)
  • 昭和17年(1942年5月20日 - 野洲町・三上村が合併し、改めて野洲町が発足。(2町10村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月15日 - 守山町・小津村・玉津村・河西村・速野村が合併し、改めて守山町が発足。(2町6村)
    • 3月3日 - 北里村が近江八幡市に編入。(2町5村)
    • 4月1日(3町1村)
      • 兵主村・中里村が合併して中主町が発足。
      • 篠原村・祇王村・野洲町が合併し、改めて野洲町が発足。
  • 昭和32年(1957年3月1日 - 中洲村が分割され、一部(吉川・菖蒲・喜合)が中主町に、残部(新庄・服部・立田・幸津川・小浜)が守山町にそれぞれ編入。(3町)
  • 昭和45年(1970年)7月1日 - 守山町が市制施行して守山市となり、郡より離脱。(2町)
  • 平成16年(2004年10月1日 - 中主町・野洲町が合併して野洲市が発足し、郡より離脱。同日野洲郡消滅。

変遷表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  2. ^ 江頭村・江頭新田に分かれて記載。
  3. ^ ○開発西村・○開発東中村に分かれて記載。
  4. ^ a b c d e f 寺社除地は後に大津県が管轄。
  5. ^ 「旧高旧領取調帳」の記載は大津県。本項では「角川日本地名大辞典」の記述による。
  6. ^ 豊臣秀吉の上臈使だった中島の後家領。
  7. ^ 記載は新町村。
  8. ^ 狭山藩は明治2年12月26日(1870年1月27日)に廃藩。
  9. ^ 大溝藩は明治4年6月3日(1871年4月16日)に廃藩。

参考文献[編集]

関連項目[編集]