田渕久美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
田渕 久美子
たぶち くみこ
プロフィール
誕生日 1959年6月28日(52歳)
出身地 日本の旗 日本 島根県益田市
主な作品
テレビドラマ 篤姫
受賞
第11回橋田賞(2003年)
第31回放送文化基金賞 テレビ作品賞(2005年)
その他
益田市名誉市民受章(2009年)

田渕 久美子(たぶち くみこ、1959年6月28日 - )は、日本脚本家島根県益田市出身。島根県立益田高等学校共立女子短期大学卒業。アイアンキャンドル→ 株式会社矢島聰子事務所所属。

目次

[編集] 経歴

プログラマーとして働きながら、シナリオ作家協会のスクールに入る。その卒業作品「緑」が新藤兼人に評価される。その直後、一色伸幸からテレビアニメ「ミームいろいろ夢の旅」の依頼をうけ、これがデビュー作となった。

[編集] エピソード

  • 脚本家を目指したきっかけは、山田太一の脚本したドラマ「想い出づくり。」のテロップ「脚本 山田太一」の部分が自分の名前に見えたことから[1]
  • 自分の作品は基本的に見ない。本人曰く「勝手に台詞の言い回しが変えられていると腹が立つ。精神安定のためになるべく見ないようにしている」[1]
  • パソコンのファイル整理が苦手で、使っているパソコンの画面はアイコンだらけである。取材で来ていた安住紳一郎曰く「新しいスクリーンセーバーかと思った」[1]
  • 2008年、大河ドラマ「篤姫」の記者会見のために、注文したとされる着物の代金を巡り、呉服店・事務所社長の泰葉の間で金銭トラブルが発生した。「着物を買った認識はない」と主張する田渕側を、呉服店側が訴える訴訟に発展した。
  • 福島第一原発事故発生後に、原発を礼賛した記事が『婦人公論』で掲載された。
  • WEBマガジンエッセーの中で、自分は物忘れが激しく、ついさっき会った人の顔や、自分で書いたドラマの登場人物の名前、ドラマで取り扱った幕末や戦国時代の歴史的事実もすっかり忘れてしまうと書いている[2]

[編集] 家族

  • 離婚歴があり、1992年に結婚した最初の夫と、1999年のクリスマスイブに“仕事のために”離婚したが、その後3年間は同居していた。2006年に再婚した2番目の夫とは、『篤姫』放送中の2008年10月に死別した。
  • 前夫との間にもうけた1男1女の母である。
  • 最初の夫との離婚の原因は、長女出産直後にあるドラマの打ち合わせの際、プロデューサーから「育児をしながら脚本が書けますか」と言われたためという。また離婚の際も夫に、籍を入れたまま別居か、離婚して同居かの2択を提示し、夫は後者を選択、田渕は寛大な夫に感謝したという[1]
  • 『篤姫』脚本執筆の際、田渕に歴史のことを教えるなど多大な協力をした2番目の夫は、『篤姫』が放送されて3ヵ月後に体の不調をきたすが、大丈夫と言い張り病院に行かなかった。その後、夫の体調は悪化し、『篤姫』終了後に末期の大腸癌と診断された。夫の手術の日は『篤姫』の打ち上げパーティーがあり、功労者である田渕はどうしても抜けることが出来ず、パーティー終了後すぐに駆けつけた。術後は筆談でやりとりをするようになり、最後は「愛しているよ」の言葉を残し、夫は亡くなった[1]
  • 田渕の長男は、田渕が執筆中で忙しい時には家事を替わりにやる。また長女を可愛がっており、長女を呼び出してはいじくり回して解放するという[1]

[編集] ゴーストライター疑惑

NHKの大河ドラマ『篤姫』の脚本を担当したが、「脚本協力」としてクレジットされている、コピーライターで兄の田渕高志が脚本のほとんどを書いていたという証言がある[3]

[編集] 作品

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] 出演

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] 著書

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 2009年1月23日放送『中居正広の金曜日のスマたちへ』 (TBS
  2. ^ Webマガジン幻冬舎: 田渕久美子 毎日が大河 第6回「忘却とは忘れ去ることなり」
  3. ^ NHK大河ドラマ脚本家、「替え玉」だった - Ameba News 2011年5月18日
  4. ^ 同23日も出演予定であったが、田渕のインフルエンザ発症のためキャンセル
  5. ^ 田渕脚本の大河ドラマ連動企画で、2011年10月までの予定。「江」のあらすじ・見所を自らが語る

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス