雄琴温泉

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Hot springs 001.svg雄琴温泉(おごと温泉)
Yumotokan-Ogoto onsen & Ogoto port.jpg
1929年 湯元館が最初の旅館を創業。
温泉情報
所在地 滋賀県大津市
交通 鉄道:JR湖西線おごと温泉駅下車
他の交通機関については#交通の項を参照
泉質 単純温泉
泉温 30.0
pH 8.58
液性の分類 アルカリ性
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 10軒
年間浴客数 489,487 人
統計年度 2011 年度
外部リンク おごと温泉観光協会
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雄琴温泉(おごとおんせん)は、滋賀県大津市(旧国近江国)の琵琶湖西岸にある温泉最澄によって開かれたと伝えられる。県最大の温泉地であり、2000年以降、地元観光協会などでは平仮名表記の「おごと温泉」を標榜している(後述)。

かつて歓楽温泉のイメージが強かったが、近年各旅館経営者の改善努力によって特に変化著しい温泉地の一つであり、着実に宿泊客が増えている[1][2]2006年10月27日に第1回「地域ブランド」(地域団体商標)として認定されている。

泉質[編集]

適応症[編集]

温泉街[編集]

湯元館屋上から見る温泉街

1929年昭和4年)創業の老舗湯元館をはじめとして旅館ホテルが10軒ほどが国道161号線を挟んで点在する。比良山地の山麓沿いに建てられているため、琵琶湖など眺望に優れる。周辺には比叡山延暦寺とその門前町坂本日吉大社堅田浮御堂園城寺(三井寺)、紫式部で有名な石山寺など歴史ゆかりの文化財が多く、観光拠点として適している。名物料理として料理や近江牛料理などがあり、特に鴨鍋は冬の琵琶湖を代表する味覚である。

その一方で歓楽温泉としても発展した背景があり、昭和30年代以降に温泉街の南側、苗鹿3丁目の一角に風俗街(特殊浴場群。いわゆるソープランド街)はが相次いで進出した(この特殊浴場に雄琴温泉の源泉は引かれておらず、温泉としての関連性は皆無である)。これらは、温泉街とは明確に隔離されている。

最寄り駅の雄琴駅は地元の働きかけにより2008年3月15日、「おごと温泉駅」に改称された。

2011年2月1日、観光施設として大津市立おごと温泉観光公園がオープンした[3][4]

歴史[編集]

雄琴温泉で最初に創業した湯元館大衆浴場大正13年

今から約1200年前に最澄が開いた湯といわれるが、次のようなエピソードもある。昔はこの近くに八つの頭を持つ大蛇が棲んでいたといわれ、その大蛇の棲む谷には北国海道を少し西に入ったあたりの法光寺境内の北端、字蛇ヶ谷に念仏池という池があった。この池は病気に効くというので、村人は念仏を唱えながら賽銭を投げ入れていたという。この池が雄琴温泉の由来だという[5]。雄琴という地名は、平安時代の貴族今雄宿禰の荘園があり、その邸からよく琴の音が聞こえたことから、姓の「雄」と「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになった。

雄琴の南の苗鹿1丁目にある法光寺天台宗)は最澄開祖と伝わる古刹で、先述の念仏池と呼ばれる池があり、現在は法光寺に移されているが最澄が刻んだとされる坂本六地蔵のひとつである苗鹿地蔵が祀られていた。 伝聞によるとこの水を飲むと、難病はたちどころに癒え、念仏池の泥を塗ると皮膚病、汗疹やにも特効のある霊水だったとされる。1918年(大正8年)頃に、この霊水に着目した地元の田中宗吉により成分が分析され、ラジューム鉱泉であることが判明。温泉として浴場と茶店を兼ね備えた建物ができる。1923年(大正12年)4月、江若鉄道が雄琴駅まで開通し利便性が高まると、温泉開発が本格的に始まる。大正12年1月の雄琴村議会では、温泉開発の問題が議案になる。温泉のある土地の地上権を村が借り受け、その土地を開発業者に賃借するという議案で、村長は「温泉場設置計画ニ付大津市奥村房吉ヨリ交渉ノ次第之有、本村発展上有望ノ事業ニ付各員ニモ屡々協議ヲ煩ハシ今日茲ニ提出シタルモノナリ」と説明している[6]。 それまでに目だった産業もない農村だった雄琴村にとっては、鉄道の開通と温泉の開発という2本柱は、新たな可能性を秘めた魅力的な事業だった[7]

1990年代後半から各温泉旅館が改装に乗りだす。全室露天風呂付きの客室の新館や別館を併設したり、趣向を凝らした露天風呂などを新設(写真は老舗旅館「湯元舘湯幻逍遥

第二次世界大戦後、交通アクセスの良さから関西の奥座敷として発展した。前半から、国鉄(当時)湖西線の開通もあって団体旅行客が増加し、特に1970年には大阪万博の特需に湧き、開催地から近隣の雄琴温泉は連日、満員御礼の盛況となった。その後、1971年(昭和46年)、雄琴初のトルコ風呂(当時の名称)「花影」を皮切りに、大規模な風俗街も作られていった[8](同業態は1971年3月に京都府で禁止されたことから、生き残りをかけて隣接県の当地に多数流入したと見られる[要出典])。この風俗店の流入によって雄琴のイメージは著しく悪化し、風俗街のレッテルを貼られた雄琴は家族連れや女性個人客などから敬遠された。1980年代から1990年代の旅行書、温泉ガイドブックには雄琴の名はろくに記載されず、1990年代に発行された、旅行読売出版社による全国の温泉地を網羅した全国温泉大事典にも”戦後、歓楽温泉として発展”と書かれるのみでほとんど温泉地の中身を採り上げないなど、専門家からも温泉地としての評価を大いに下げていた。

バブル景気崩壊後は主な得意客だった職場団体客が激減し、近隣旅館の廃業が目立ち始めた。そのため、生き残りを図るために旅館組合の8名が『雄琴青経塾』を立ち上げ、これまでの体制や慣習を抜本的に見直し、1990年代後半から各温泉旅館が一致団結で改装に乗りだした。各々の旅館がこぞって全室露天風呂付きの客室の新館や別館を併設したり、趣向を凝らした露天風呂などをしつらえたりしている。それと並行して、接客、サービス改善に努めたり、創作料理を提供してみたりと、ハード面・ソフト面双方の改善を旅館同士で切磋琢磨した。時代に似つかわしくないと旅館名の変更も相次いでおり、「雄琴国際ホテルきくのや」は「暖灯館きくのや」に、「國華荘」は「びわ湖花街道」に、「ロイヤルホテル雄山荘」は「里湯昔話雄山荘」に、「芳月楼」は「びわこ緑水亭」に改称している。一方、「湯元館」、「琵琶湖グランドホテル」は個人客需要をにらみ別館を新たに併設するなどしている。こうした旅館組合ぐるみによる旅館同士の競争が相乗効果を生み、着実にリピーターや新規顧客を増加させ安定した成長を続け、日帰り施設なども作られ、年間50万人弱が利用する一大温泉地となった。また、こうした運動が認められ、京都方面への修学旅行客受け入れ先としても機能を果たすようになるなど社会信用、信頼も大きく回復を遂げている。

交通[編集]

おごと温泉港(琵琶湖汽船が使用している桟橋)

周辺観光[編集]

脚注[編集]

  1. ^ おごと温泉 にぎわい復活 レジャー多彩、食事に近江牛 - 日本経済新聞(2012年2月25日閲覧)
  2. ^ 「温泉地」をアピール 客層拡大“不況知らず” - 読売新聞(2011年1月1日閲覧)
  3. ^ 大津市立おごと温泉観光公園 - 大津市(2011年2月16日閲覧)
  4. ^ 足湯気持ちいい~ おごと温泉観光公園が完成 - 中日新聞(2011年1月29日付、同年2月16日閲覧)
  5. ^ おごと温泉 湯元舘公式サイト
  6. ^ 雄琴村会決議録会議録編冊
  7. ^ 大津歴史博物館(学芸員 和田光生) 第29回 開発当時の雄琴温泉絵葉書
  8. ^ 『戦後性風俗大系』p.245 -
  9. ^ a b 交通とお天気 - おごと温泉旅館協同組合・おごと温泉観光協会(2011年2月16日閲覧)
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]