前田健太

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前田 健太
Kenta Maeda
ロサンゼルス・ドジャース #18
広島東洋カープ時代
(2015年4月15日、松山中央公園野球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉北郡忠岡町
生年月日 (1988-04-11) 1988年4月11日(36歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 NPB / 2008年4月5日
MLB / 2016年4月6日
年俸 $3,000,000(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年
プレミア12 2015年

前田 健太(まえだ けんた、1988年4月11日 - )は、MLBロサンゼルス・ドジャースに所属するプロ野球選手投手)。

代理人はワッシャーマン・メディア・グループ。メディア方面のマネジメント契約はアワーソングスクリエイティブ

経歴

プロ入り前

子供の頃から勉強を強いられたことはなく、むしろ外に遊びに行くように言われていたという[1]。小学3年生の時に近所の幼なじみの影響で地元の野球チーム「岸和田イーグレッツ」で野球を始め、6年生の時に西日本優勝を果たすなど実に31個のタイトルを獲得。小学生の間は野球以外にもサッカー水泳などにも取り組んでおり[2]、特に2歳の時から習っていた水泳では西日本大会優勝の実績を持つ[3]。中学では「忠岡ボーイズ」に所属し、西日本大会で優勝した[4]。日本選抜では世界大会に出場。優勝に貢献し、MVPに選出された。また忠岡ボーイズ時代には「宝塚ボーイズ」と度々対戦し、この時捕手を務めていた田中将大をよく覚えているという[1]

プロ入りを念頭にPL学園高校に進学し、1年の夏からベンチ入り。大阪府大会では大阪桐蔭高校との大会史上初の決勝再試合で先発し、完投勝利を挙げた。第86回夏の甲子園では、初戦の日大三高戦で先発登板する。しかし、2回途中の守備で右足つけ根付近に打球を受けるアクシデントに見舞われるなど、5回を投げ被安打8、3失点で途中降板となり、5-8で敗れた。

1年夏同様、2年夏にも大阪桐蔭と地区予選で対戦し、1学年上の平田良介辻内崇伸、1学年下の中田翔らと対戦した。この年は打席で辻内の速球を右肘に受け、直後の投球で平田に逆転2ランを喫する。最終回に辻内から本塁打を放つが及ばず、2-4で敗れた。2年秋、コーチに相談し、一人で黙々と走りこみを行った結果、冬を越すと球速は10km/h上昇し、140km/h終盤を計測するようになった[5]

3年春には近畿代表として第78回センバツ出場を果たした。1回戦の真岡工業高校戦で16奪三振完投勝利をあげた他、2回戦の愛知啓成高校戦では完封勝利を記録。準々決勝の秋田商業戦では本盗も見せた。準決勝で清峰高校に6失点で途中降板し、無念の敗退となった。3年夏は4番エースを務め、最速148km/hを計測[6]、高校通算27本塁打を放った[7]ものの、府大会の準々決勝で敗退。これによって春の甲子園の記憶が消えてしまったが、一方でプロに入って見返す気持ちに切り替えられたという[1]

9月25日高校生ドラフト会議で、広島東洋カープから単独1位指名を受ける。10月13日に契約金8000万、年俸800万(金額は推定)で仮契約を結んだ[4]。担当スカウトは宮本洋二郎。背番号は34となった。

広島時代

2007年
入団当初は球団の方針により二軍キャンプスタートだったものの、ほぼ完成された投球フォームから繰り出す伸びのあるストレートや縦に割れるカーブが評価され、2月20日に一軍キャンプに合流した。一軍での登板は無かったが、同シーズンは開幕から二軍の先発ローテーションを任された。春先は新しい変化球の習得を兼ねていた事もあり結果が出なかったが、徐々に安定感を増していった。その安定感が評価され、フレッシュオールスターにも出場し、後半戦前のオールスター休みには一軍の練習にも参加した。最終的には共にウエスタン・リーグ最多の118被安打、8敗(5勝0S)で一軍での登板はならなかったものの、投球回数103回2/3はチーム最多だった。また打撃では.364の高打率を残している。
2008年
前年限りで引退した佐々岡真司から、エースナンバーである背番号18番を受け継いだ。当時、一度も1軍で出場したことがなくプロとして全く実績がなかった前田がエースナンバーを受け継ぐことにはファンだけでなく前田自身も驚くばかりであったが、これは裏を返せば球団からの前田に対するとてつもない期待の表れでもあった。4月5日の対横浜ベイスターズ戦で初登板初先発し、5回3失点の結果を残した。6月18日の対北海道日本ハムファイターズ戦で8回を2安打無失点4奪三振の好投(7回までは無安打)でプロ初勝利を飾り、9月20日の中日戦では102球を投げ被安打4で初完封(無四球)も記録した。9月28日旧広島市民球場の最後の公式戦(対ヤクルト21回戦)では、川島亮からプロ初本塁打を記録。この試合では勝利投手にもなり、旧市民球場最後の勝利投手となった。オールスター戦以降はローテーションに定着し、クライマックスシリーズ進出争いを繰り広げた9月と10月で4勝を記録。コルビー・ルイスに次ぐチーム2位タイの9勝(2敗)を挙げ、開幕前に自身が目標としたシーズン5勝を大幅に上回った。オフの契約更改では、およそ3倍増となる2,500万円で更改した[8]
2009年
開幕2試合目の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に先発し、シーズン初登板初勝利を挙げた。21歳の誕生日となった4月11日の対中日ドラゴンズ戦では、開場して2試合目となったMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で自身2度目の無四球完封勝利を果たし、チームを新球場初勝利に導いた。しかし、それ以降は登板5連敗と7連敗を1度ずつ記録するなど大きく負けが先行してしまい、最終的に8勝14敗という低調な成績に終わった。
29試合の登板のうち22試合でクオリティ・スタート(先発で6回以上を投げ3失点以内)を記録したにもかかわらず、その22試合のうちで勝利投手になったのはわずか7試合だった。このことからも、広島が前田の登板試合で点を取れなかったことは明らかだった。
前田の14敗はほとんどが接戦によるものであり、その原因を「勝ちきれない自分の弱さ」と「相手に投げ負けたこと」と分析。更に、試合全体ではなく勝負どころを抑えることが重要と考えてその後の投球に生かした。またポジティブな性格が、結果が出ない中でもプレッシャーに負けない気持ちを維持できた要因だと語っている[1]。この年の巨人・中日・ヤクルトの上位3チームとの対戦では、防御率が全て2点台(先発では前田のみ)ながら4勝9敗と負け越した。しかし、それでも年間を通じてローテーションを守り切り、チームトップ・リーグ3位の193投球回を記録。5回を持たずに降板した試合は僅か1試合のみだった。被本塁打は倍増したが、リーグ4位の147奪三振、四球はわずか29個、WHIPも前年より向上させ常に安定した投球を見せた。球団も前田の投球内容を高く評価していたため、オフの契約更改では、倍増に近い4,800万円で更改した。
2010年
3月26日の対中日戦(ナゴヤドーム)、開幕戦を託される見込みであった大竹寛がケガにより出遅れたため自身初の開幕投手を務め、8回を1失点に抑えて勝利投手となった。前年に続き得点援護率はリーグワースト2位の3.38と打線の無援護に悩まされたが、スライダーの曲がり、ストレートの球速ともに向上し、投球の安定性が格段に向上。開幕から防御率1点台を保って順調に勝ち星を積み重ね、セ・パ交流戦では、12球団トップの防御率1.05を記録した。前半戦だけで自身初の2桁勝利を達成し、オールスターゲームにファン投票両リーグ最多得票及び選手間投票選出で初出場を果たして第1戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)にて球宴初登板先発勝利を挙げた。5月15日の日本ハム戦(マツダスタジアム)ではダルビッシュ有と白熱の投手戦を繰り広げ、ダルビッシュは8回無失点、前田は9回無失点の完封。9回裏に赤松真人のヒットで広島が1-0でサヨナラ勝ちし、日本球界のエースとの激しい投げ合いを制した前田が勝利投手になった。この試合後にダルビッシュが自身のブログで前田の名前を出して称賛しエールを送る内容を綴ったことが話題となった。
最終成績は15勝8敗、防御率2.21、奪三振174でセ・リーグ11年ぶり、史上最年少、球団史上初の投手三冠のタイトルと、セ・リーグの投手としては6年ぶりとなる沢村賞を初受賞した[9]。0.98とただ一人1.00を切ったWHIPと投球回215回2/3は12球団トップの記録となった。前田自身は飛躍へのターニングポイントとして、4月8日の対ヤクルト戦の3回裏に田中浩康を見逃し三振に打ち取った一球を挙げている[10]
2011年
2年連続で開幕投手を務めたが、前年の活躍からくる他球団からの研究が進んだことや近年の勤続疲労のせいからか前半戦は不安定な投球が目立ったが、その後は徐々に調子を取り戻し、投球回数は自己最高の216回を記録し、2年連続となる最多奪三振のタイトル(192個)を獲得した。シーズン最終登板となった10月25日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)では9回1死までノーヒットノーランを続けていたが、1死から藤本敦士に初安打を許すと、畠山和洋の二ゴロで1-1の同点とされ、さらに続く福地寿樹にサヨナラ打を打たれて敗戦投手となった[11]
2012年
4月6日の横浜DeNA戦(横浜スタジアム)で打者29人に対し122球2四球6奪三振に抑え、ノーヒットノーランを達成した[12]。日本プロ野球でのノーヒットノーラン2006年山本昌以来6年ぶり74人目(85回目)、セリーグ35人目(38度目)の快挙であった。また、広島の投手としては1999年佐々岡真司以来13年ぶりの快挙達成となった。
オールスターゲームにファン投票選出され第2戦(松山中央公園野球場)で先発して3回を1安打無失点に抑え勝利投手となり初のMVPを受賞。投手のMVP受賞は2004年第1戦の松坂大輔以来8年ぶり、広島の投手では1980年第3戦の江夏豊以来32年ぶりであった。
9月8日の横浜戦(マツダスタジアム)で完封勝利。またシーズン最終戦となった横浜戦(横浜スタジアム)では9回を1失点完投で14勝目を挙げた。
最終的にこの年は自己最高の防御率1.53を記録し、1955年の長谷川良平を抜く、球団史上最高の防御率を樹立し、自身二度目の最優秀防御率のタイトルを獲得した。
オフの12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[13]候補入りした[14]
2013年
2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[15]代表入りした[16][17]。背番号は「20」。田中将大とともにダブルエースとして期待されたものの、例年のシーズンオフよりも早く調整しなければならないため、大会前は右肩のケガなどで不調に陥り心配されたが、大会が始まると中国、オランダプエルトリコを相手に3試合に先発登板。合計15回を投げ2勝1敗、防御率0.80、18奪三振の成績で大会公式ベストナインに選出された[18]東京スポーツによると、その制球力の高さから米メディアではグレッグ・マダックスをもじって“マエダックス”とも称された[19]
ペナントレースではWBCの影響もあり、開幕投手はブライアン・バリントンに譲ったものの、開幕から好調を維持し、一時は防御率0.30という驚異的な成績であったが、先発予定だった4月20日の巨人戦の試合開始前に右上腕三頭筋筋膜炎で登板を回避。翌21日に登録を抹消。その後の交流戦までの間、右脇腹の違和感なども加わり登録抹消と復帰を繰り返し、5回を投げきれずに負傷降板することも重なって防御率も2点台後半にまで落ち込んだ。交流戦が終わってリーグが再開し、自らヒットを放った6月23日のヤクルト戦(マツダスタジアム)では堂林翔太の逆転サヨナラホームランで敗戦投手を逃れると、6月30日の阪神戦(阪神甲子園球場)ではプロ入り後初のノーワインドアップで投球し9回無四球9奪三振で通算9度目の完封勝利(無四球での完封は4年ぶり3度目)。自身35日ぶりの勝利となった。広島平和記念日である8月6日、本拠地での阪神戦に中5日で先発し7回111球無失点6奪三振の力投をみせ、9回裏の丸佳浩の犠牲フライによる1-0の劇的なサヨナラ勝利を演出した。広島が8月6日に本拠地で勝利するのは55年ぶりであった。8月は4試合に登板しわずか1失点で月間防御率は0.30という好成績を残した。
チーム初のクライマックスシリーズでは、ファーストステージ第1戦の阪神戦に登板し7回1失点の好投で勝利投手となったが、セカンドステージ第2戦の巨人戦では寺内崇幸に痛恨のスリーランホームランを喫して3失点で敗戦投手となった。
オフの契約更改では年俸2億8000万円の単年契約でサインし、将来的なメジャー挑戦志向があることを明らかにした[20]
2014年
通算4回目の開幕投手を任される。開幕から4月までの防御率が1.36と快調なスタートを切ったが、8月は防御率4.65と調子を崩した。9、10月は6試合に登板して防御率2.20、WHIP0.96、クオリティ・スタート5回と一気に持ち直した。しかし、その間の援護率が僅か2.15と打線の援護に恵まれず、1勝しか挙げられなかった。シーズン防御率は2.60と悪い数字ではなかったが、11勝9敗でレギュラーシーズンを終えた。
10月11日の阪神タイガースとのクライマックスシリーズファーストステージ第1戦は、福留孝介のソロホームランのみの6回1失点と好投を見せるが打線が沈黙、敗戦投手となった。翌日の試合でチームは引き分け、ファーストステージ敗退となった。
オフの10月9日に、日米野球2014日本代表に選出された事が発表された[21]。12月24日、年俸3億円で契約更改し、セ・リーグの投手では最年少での3億円到達となった。
2015年
マツダスタジアム移転後初のシーズン開幕戦となった3月27日のヤクルト戦で通算5回目の開幕投手を任され、7回2失点と好投したが打線の援護がなく、その後チームが同点に追いついたため勝敗はつかなかったが、延長戦の末敗れ本拠地開幕戦を勝利で飾れなかった[22]。6月19日の横浜DeNA戦(横浜スタジアム)で1失点完投勝利を収め、球団の通算4000勝達成に貢献した。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された[23]。8月27日の阪神戦(マツダスタジアム)で8回無失点の好投で6年連続2桁勝利となる10勝目を挙げた[24]。なお6年連続2桁勝利を挙げたのは2011年の日本ハムダルビッシュ有以来となる。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された[25]。10月9日に、最終ロースター28名に選出された事が発表された[26]。10月2日の中日戦(マツダスタジアム)では3回裏に自身プロ入り2本目の2点本塁打を放つと、これが決勝点となり7回1失点で15勝目を挙げた。最終的には15勝8敗、175奪三振、5完投、防御率2.09、206.1投球回、29登板、勝率.652[27]と、沢村賞選考基準の15勝、150奪三振、10完投、防御率2.50、200投球回、25登板、勝率6割の7項目のうち、完投数を除く6項目をクリアし、10月26日に自身2度目、セ・リーグの投手では2010年の自身以来5年ぶりの沢村賞に選ばれた[28]
オフにポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦意思を球団に伝え、12月4日に譲渡金設定2000万ドルでポスティングが球団より容認された[29][30]

ドジャース時代

2016年
1月7日(日本時間8日)にロサンゼルス・ドジャースとの契約が発表された[31]。契約内容は8年総額2500万ドル+先発数とイニング数に応じて最大1億620万ドルに達する出来高と報じられ[32][33]、基本給が低い一方で多額の出来高が盛り込まれ、そうした長期契約ながら契約途中のオプトアウトでFAとなれる条項もないことが話題となった[34]。背番号は広島時代と同じ、18となった。

選手としての特徴

(動画) 広島東洋カープの前田健太

スリークォーターから平均球速約146km/h[35]、最速153km/h[36]ストレートと、落差のある110km/h台のドロップ、数種類のスライダー[37]サークルチェンジツーシームシュートと表記するメディアもあるが、本人はツーシームとして意識しているという[37])を投げ分ける。NPBでの通算与四球率1.90と抜群の制球力も武器とする[38]。そのプレイスタイルは高校の先輩に当たる桑田真澄と似通っており、「桑田二世」と呼ばれる[39]。プロ入り当初のスライダーは直球と球速差があり、変化も大きかったが、1年目のオフに佐々岡真司から握りを伝授されると[40]、小さな変化で130km/h前後を記録するようになり、変化の大小や緩急、縦横の軌道を使い分けることができるようになったという[37]

前田の投球フォーム
(2011年4月19日、横浜スタジアム)

2010年に飛躍を遂げてからは山田久志与田剛から「今、セントラル・リーグでエースと呼べるのはマエケンしかいない」と評されていた[41][42]。また、フィールディングにも優れ、広島時代には5度のゴールデングラブ賞を受賞しており、特にバント処理に定評がある[43]。打撃では広島時代に本塁打を二本放っている。

投げ込みはあまり好きではなく、「投げ込みたいという人もいるし、それぞれの意見もあると思うが、自分の場合は投げない方がシーズンにうまく入れる。特に投げ込まなくても肩のスタミナには自信があるし、オフで1、2カ月空いたくらいでフォームを忘れるとか、何百球を投げないと思いだせないような、やわなフォームはしていない。調整する方が大事だと思うから投げ込む必要はないと思っている」と語っている[44]

マエケン体操

試合の合間やウォーミングアップで、マエケン体操[45]マエケンダンス)と呼ばれている独特のウォームアップ体操を行う。この体操は前屈気味の状態でクロールのような腕回転を高速で十数回まわし、締めに手を前で合わせつつ肘を背中側に激しく突き上げる動きを五回行う。この運動を行った後にキャッチボールなどのウォームアップを行う。この体操はPL学園時代(2004~06)に阪堺病院でトレーニングを担当していた荒木和樹(元千葉ロッテマリーンズ理学療法士)から教わったもので、肩甲骨をほぐし投げるためのシグナルを送る為に行う準備運動だという。実はこの体操、手塚一志(上達屋代表・パフォーマンスコーディネーター)が1995年に考案した「サークル・スクラッチ[46]」である。サークルスクラッチは『スポーツトレーニングが変わる本(1996年 宝島社発行)』で公表され、当時手塚が製作を手がけたビデオ映像やセミナー等を介して多くの野球チームやトレーナーが採用していた。なお、荒木が前田に指導したのは、手塚が最初に公表した初期型のもの。2006年に改良がなされ、現在では肩甲骨だけでなく骨盤との連動性を重視した新型が広まっている。

人物

愛称は「マエケン」。非常に負けず嫌いな性格で、広島のトレーナーには「マエケンより『マケヘン』の方が合っている」と評された[47]。また、ニューヨーク・ヤンキース田中将大が、東北楽天ゴールデンイーグルス所属時に先に一軍で活躍していることに悔しい思いをしていたが、一方で刺激にもなったという[1]

中学時代は遅刻や授業中の居眠りが多く、高校では教師に敬語を使わなかったために叱られたこともあったというが、プロ入りしたことで人間的に成長。2009年8月6日、それまで広島へ原爆が投下された日を知らなかったが、その日初めて原爆ドームに行き黙祷したことをブログで報告。プロ野球選手として良い影響を与えることができれば嬉しいと綴っている[1]

苦手な打者として坂本勇人を挙げているが、ともに関西出身ということもありプライベートでは交流が深い。

2012年1月1日に東海テレビ放送出身のフリーアナウンサー成嶋早穂と入籍し、同年12月9日に結婚披露宴を行なった。2013年9月に第一子となる女児が誕生した。

尊敬している選手はテキサス・レンジャーズダルビッシュ有と公言している。2011年シーズンが本人並びに周囲の期待に反して不本意な成績で終わった事について、両足の太ももの裏や内転筋の故障を抱えてそれをチームメイト他周囲に隠しながら登板していたが、それをただ一人ダルビッシュに気づかれたことを明かした[48]。嫌いだったウエイトトレーニングもダルビッシュの影響で2012年キャンプから積極的に取り組むようになったという。2010年5月のセ・パ交流戦の対北海道日本ハムファイターズ戦にて対戦した際、ダルビッシュは前田の打席の際に殆どの変化球を投げその軌道を体感させるという計らいを見せた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 広島 19 18 1 1 1 9 2 0 0 .818 462 109.2 103 10 35 1 3 55 0 1 43 39 3.20 1.26
2009 29 29 3 1 1 8 14 0 0 .364 795 193.0 194 22 29 1 3 147 2 0 82 72 3.36 1.16
2010 28 28 6 2 1 15 8 0 0 .652 848 215.2 166 15 46 3 7 174 2 0 55 53 2.21 0.98
2011 31 31 4 2 0 10 12 0 0 .455 864 216.0 178 14 43 0 6 192 4 0 61 59 2.46 1.02
2012 29 29 5 2 0 14 7 0 0 .667 820 206.1 161 6 44 1 9 171 2 0 46 35 1.53 0.99
2013 26 26 3 1 1 15 7 0 0 .682 690 175.2 129 13 40 1 2 158 1 0 46 41 2.10 0.96
2014 27 27 1 1 0 11 9 0 0 .550 746 187.0 164 12 41 1 2 161 4 1 61 54 2.60 1.10
2015 29 29 5 0 0 15 8 0 0 .652 821 206.1 168 5 41 0 6 175 3 0 49 48 2.09 1.01
NPB:8年 218 217 28 10 4 97 67 0 0 .591 6046 1509.2 1263 97 319 8 38 1233 18 2 443 401 2.39 1.05
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB

表彰

NPB
日本代表

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録
MLB投手記録
MLB打撃記録
  • 初安打・初本塁打・初打点:2016年4月6日(現地時間)、対サンディエゴ・パドレス3回戦(ペトコ・パーク)、4回表にアンドリュー・キャッシュナーから左越ソロ

背番号

  • 34 (2007年)
  • 18 (2008年 - )

なお、2015WBSCプレミア12では18番を使用

登場曲

代表歴

関連情報

著書

自著
監修

関連書籍

  • 橋本清『前田健太「感謝!」:オフィシャルBOOK』(徳間書店、2011年3月、ISBN 9784198631352
  • 節丸裕一『最強世代1988:田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』(講談社、2011年)

脚注

  1. ^ a b c d e f 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太……11人の告白』講談社、2011年3月11日。ISBN 978-4062950664 
  2. ^ 五反田康彦 (2010年10月16日). “マエケン エースへの道<上>スポーツ万能少年” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010160079.html 2010年11月6日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ 田口真一郎 (2006年4月2日). “前田が本盗!PL7年ぶり4強/センバツ” (日本語). 日刊スポーツ大阪版. http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp0-20060402-14243.html 2010年11月6日閲覧。 [リンク切れ]
  4. ^ a b 2008年度広島東洋カープ年鑑”. Sponich Annex. 2009年7月20日閲覧。
  5. ^ 五反田康彦 (2010年10月17日). “マエケン エースへの道<中>走り込み” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201010170044.html 2010年11月6日閲覧。 [リンク切れ]
  6. ^ “桑田超え”を誓う若鯉の星高校生ドラフトリポート~PL学園高・前田健太 (20060730). “前田満塁弾もPL学園敗退/高校野球” (日本語). 日刊スポーツ大阪版 
  7. ^ 田口真一郎 (2006年7月30日). “前田満塁弾もPL学園敗退/高校野球” (日本語). 日刊スポーツ大阪版. http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp0-20060730-68254.html 2010年11月6日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ “広島・前田健が笑顔で一発更改 大幅増に大満足” (日本語). Sponichi Annex 大阪 まるごと広島. (2008年11月27日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser2/200811/27/ser2217727.html 2010年11月6日閲覧。 
  9. ^ 山本修 (2010年11月2日). “マエケンが沢村賞、球団6人目” (日本語). 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201011020093.html 2010年11月7日閲覧。 [リンク切れ]
  10. ^ 黒田史夫 (2011年3月18日). “マエケンを飛躍させた“運命の一球”” (日本語). 論スポ. http://sports.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/2012/columndtl/201103130001-spnavi 
  11. ^ 石田敦子球場ラヴァーズ~私が野球に行く理由~ 5巻少年画報社、2012年。ISBN 978-4-7859-3850-5 
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関連項目

外部リンク