菅義偉

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菅 義偉
すが よしひで
内閣広報室より公表された肖像
(2021年 撮影)
生年月日 (1948-12-06) 1948年12月6日(75歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県雄勝郡秋ノ宮村
(後の旧雄勝町、現湯沢市
出身校 法政大学法学部第一部政治学科卒業[注 1]
前職
現職
所属政党 自由民主党
小渕派古賀派→無派閥)
称号 法学士(法政大学・1973年)
配偶者 菅真理子[4]
親族 菅和三郎(父)
公式サイト すが義偉

内閣 菅義偉内閣
在任期間 2020年9月16日 - 現職
天皇 徳仁

日本の旗 第79・80・81代 内閣官房長官
内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2020年9月16日

日本の旗 第7代 総務大臣
内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年8月27日

内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年12月15日 - 2007年8月27日

選挙区 神奈川2区
当選回数 8回
在任期間 1996年10月21日 - 現職

その他の職歴
横浜市の旗 横浜市会議員
1987年 - 1995年
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菅 義偉(すが よしひで、1948年昭和23年〉12月6日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第99代)、自由民主党総裁(第26代)である。

横浜市会議員(2期)、総務副大臣第3次小泉改造内閣)、総務大臣第7代)、内閣府特命担当大臣地方分権改革)、郵政民営化担当大臣第3代)、自由民主党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官第79代第80代第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任した。

来歴

生い立ち、政治進出するまで

秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後に雄勝町秋ノ宮を経て現・湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿いに実家があった教員一家で、イチゴ農家の長男として生まれる[5]。現住所は神奈川県横浜市神奈川区金港町1丁目[6]。家族は父、母、姉2人、弟1人。父親である菅和三郎第二次世界大戦末期、南満州鉄道職員として当時満州国(現在の中国東北部)の首都だった通化市日本の降伏を迎えた。引き揚げ後、郷里の秋ノ宮で農耕に従事。「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任。2010年(平成22年)に93歳で死去すると、旭日単光章を叙勲されている[7]。母や叔父、叔母は元学校教員であり、2人の姉も高等学校教員となった[8][9][10][11][12]

雄勝町立秋ノ宮小学校(現・湯沢市立雄勝小学校)卒業後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現・湯沢市立雄勝中学校)に進学する。中学卒業後は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学し、第3学年では進学組に所属した。後に、『フライデー』から「特に目立った成績ではなく、姉が進学した北海道教育大学を受験したが不合格となった」と報道されたが、森功の取材では菅本人は当時「教員にだけはなりたくない」と考えており、北海道教育大の受験はしていないと述べている。父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後上京する。「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京したが、秋田時代と変わらぬ日々を東京都板橋区の段ボール製造工場(社名未詳)での勤務をして過ごし、現実の厳しさを痛感して2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学に入学するまでの経緯については、報道によって食い違いが見られる。朝日新聞記者の大鹿靖明2009年に菅の両親に取材を行った際の記録によれば、工場を退職した菅は秋田の実家に戻り、大学進学を目指して受験勉強を始めた。その傍ら、役内川アユ釣り大会で優勝し、秋田県知事から竿を贈られている[13]。一方、一部週刊誌では、菅は東京に留まり、朝は築地市場、夜は新宿区飲食店アルバイトをして生活し、その合間に受験勉強をしていたとされている[14]

上京から2年後に「授業料が最も安かった」という理由で法政大学法学部政治学科へ進学する[14][15]。しかし、私立大学より学費の安い国立大学である東京大学などを含めた全ての選択肢から法政大学を選択したわけではなく、学力上の制約があったと考えられる[要出典]。なお、複数の週刊誌等で第二部(夜間学部)の出身であると報じられることがあるが、菅本人が2016年のインタビューで「メディアで二つくらい、法政の夜間卒だと書いているのがありましたが、昼です」と述べており[3]、実際には第一部(昼間)の出身である[16]。法大在学中には実家から仕送りも受けつつ[17]警備員新聞社カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。一方で、大学の空手道部に4年間所属し、三段の段位を取得している[14][18]1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。

1975年政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。以後11年にわたり秘書を務めた[8][要出典]1983年、小此木の通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官を務める[19]

横浜市会議員

1987年神奈川県横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選。その後市議を2期務めた。横浜市政に大きな影響力を持っていた小此木の死後、当選回数わずか2回にも関わらず、小此木の事実上の代役として、秘書時代に培った政財官の人脈を活かして辣腕を振るい、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなど、「影の横浜市長」と呼ばれた[8]

衆議院議員

1996年第41回衆議院議員総選挙神奈川2区から自由民主党公認で出馬し、新進党公認・公明党推薦の上田晃弘旧民主党公認の新人大出彰らを破り、初当選した[20]

1998年自由民主党総裁選挙では所属していた平成研究会会長の小渕恵三(1989年1月7日、昭和天皇の崩御及び皇太子明仁親王の皇位継承に伴い改元する際、昭和に代わる元号「平成」を発表した時の内閣官房長官:竹下改造内閣)ではなく、師と仰ぐ梶山静六を支持し、同派閥を退会[21]。その後宏池会に入会した。2000年第2次森内閣不信任決議をめぐる「加藤の乱」では、加藤紘一らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の小里派(会長:小里貞利)ではなく、反加藤グループの堀内派(会長:堀内光雄)に参加した[21]

総務副大臣

2006年9月19日東京都渋谷区での自由民主党総裁選挙の応援演説にて参議院議員山本一太(左から1人目)、衆議院議員片山さつき(右から1人目)らと

竹中平蔵総務大臣第3次小泉改造内閣)の下、総務副大臣情報通信郵政担当[22])として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使した[23]

総務大臣

2007年1月、インドネシア共和国大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ

2006年10月、NHK短波ラジオ国際放送への放送命令に定義されている放送事項に、「北朝鮮による日本人拉致問題」という具体的な内容を加える方針を示した。日本の放送法第33条には「国際放送等の実施の命令等」という項目があり、そこには「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある(2007年12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された)。

11月10日には、放送事項に「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令をNHKに出した[24]。一方で「報道の自由は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した[24]。放送法44条には「編集権」に関して「放送番組の編集等」という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。また、当時海外から放送していた、短波放送しおかぜ』に対して、無線局免許状を交付し、日本国内からの放送に道を開いた(放送局の免許は全て本省決裁で、免許者は総務大臣)。

2007年に発覚した年金記録問題では、厚生労働大臣柳澤伯夫を差し置き、総務大臣の菅が検証を担当した[25]

日本郵政公社総裁生田正治と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には、三井住友銀行出身の西川善文が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない[26][27]

2006年再チャレンジ支援議員連盟の創設に参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する2006年自由民主党総裁選挙に、安倍晋三を擁立する原動力になった[28]。結果[要出典]、総裁選で安倍は勝利する。同年9月に発足した第1次安倍内閣では当選わずか4回で総務大臣郵政民営化担当大臣を兼務)に任命され、初入閣する。同年12月、内閣府特命担当大臣地方分権改革)の補職辞令を受けた。

2007年第21回参議院議員通常選挙での自民党敗北を受けた内閣改造第1次安倍改造内閣発足)では、自民党選挙対策総局長に就任した。

同年9月、安倍の首相退陣に伴い行われた2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持する宏池会の方針に反して麻生太郎を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選挙対策総局長を格上げした選挙対策委員長古賀誠が就任すると、古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。[要出典]

2009年7月、古賀が東京都議会議員選挙敗北の責任を取る形で辞任。麻生の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる[要出典]

菅は自民党選挙対策副委員長だった2009年当時、同じ叩き上げの古賀誠・選挙対策委員長の下で、世襲制限を導入しようとした。具体的には衆院選マニフェスト(政権公約)に「3親等以内の親族らの同一選挙区からの立候補を(次期衆院選から)禁ずる」旨が明記された。しかし、党内の世襲議員から反発や抵抗を受け、なし崩し的に公約から姿を消した[29]

麻生太郎首相の自民党が敗北し民主党(鳩山由紀夫内閣)への政権交代が起きた同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川2区で民主党三村和也の猛追を受けるも548票の僅差で三村を破り、5選(三村は比例復活)。野党となった自民党の2009年総裁選挙にて、宏池会を退会した[30]

2010年谷垣禎一党総裁の下で自民党国会対策副委員長及び広報本部長代理に就任。2011年、自民党組織運動本部長に就任。

2012年4月、民主党政権の野田第1次改造内閣野田佳彦首相)での郵政民営化法改正案の採決で、賛成する自民党の方針に反して反対した[31]

2012年自由民主党総裁選挙に先立ち、甘利明に呼びかけて安倍晋三の総裁復帰を画策し、麻生太郎を引き入れて安倍を返り咲きさせた[32]

同年9月、谷垣禎一に代わる安倍晋三の自由民主党総裁就任に伴い、自民党幹事長代行に起用された。自民党が3年ぶりに政権を奪還し安倍が首相に再就任した同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、三村を比例復活も許さずに破り6選。

内閣官房長官

2013年2月4日撮影
アメリカ合衆国通商代表マイケル・フロマンと
2019年4月1日総理大臣官邸にて新元号「令和(れいわ)」を発表

2012年12月26日、野田第3次改造内閣野田佳彦首相)総辞職及び第2次安倍内閣自公連立政権安倍晋三首相)の発足に伴い、内閣官房長官に任命される。

2013年郵政民営化の考えにそぐわないとして、日本郵政社長坂篤郎を就任わずか6か月で退任させ、顧問職からも解任した。同年に発生したアルジェリア人質事件では、防衛省の反対を押し切り、前例のない日本国政府専用機の派遣を行った[8][9]

2014年5月、内閣人事局の局長人事を主導し、局長に内定していた杉田和博に代わり加藤勝信(のち厚生労働大臣、自身の政権下での内閣官房長官)を任命したとされる[33]。元内閣参事官高橋洋一によると、局長人事を機に官僚を統制下に置き「歴代官房長官の中でも屈指の情報収集能力」を持つようになったという[33]。同年7月、自らが出演したNHKクローズアップ現代』の放送内容について、放送後のNHKに官邸を通じて間接的に圧力をかけたと報じられたが、事実では無いと、自身の関与を否定した[34]。さらに、同年11月には衆議院解散による第47回衆議院議員総選挙執行を安倍に進言した[35]

2016年7月7日、内閣官房長官の在職期間が1,290日となり、歴代1位の在職日数を記録した[36]

2019年4月1日、天皇明仁上皇)の退位(譲位)及び皇太子徳仁親王(今上天皇)の第126代天皇即位(明仁から徳仁への皇位継承)による改元に伴い同年5月1日より施行される新元号について、元号を改める政令(平成31年政令第143号)が同日に公布されたことにより、総理大臣官邸での記者会見にて「新しい元号は令和(れいわ)であります」と発表した。

同年5月9日-11日、内閣官房長官に就任してからは初となるアメリカ合衆国訪問。初日からマイク・ポンペオ国務長官パトリック・シャナハン国防長官代行(直後に国防長官に指名)、10日にはマイク・ペンス副大統領と会談した。ドナルド・トランプ大統領との面会はなかったとはいえ、政権を動かしている実務畑の3人と会談できたことは異例の厚遇として報道されている。ニューヨークへ移動してからは、S&P グローバルバンク・オブ・アメリカを訪問し、アメリカ経済界のトップらとの交流をもったほか、国際連合本部で開かれていたシンポジウムで基調演説も行った[37]

同年6月には菅に近い自民党無派閥議員13人による政策勉強会「令和の会」が発足、同月20日に菅を招いて初会合が開かれた[38][39]

2020年7月に発売された「月刊Hanada 2020年9月号」で安倍首相から菅について「(ポスト安倍の)有力な候補者の一人であることは間違いない」と指摘した上で「ただ、菅総理には菅官房長官がいないという問題がありますが」とも付け加えられ、官房長官としての力量評価及び菅にとって代わる官房長官候補の不在について言及したものとされた。

2020年8月29日、党総裁と内閣総理大臣の辞任を表明した安倍晋三に代わる新たな総裁を決める自民党総裁選挙に出馬する意向を党幹事長である二階俊博に伝えた[40][41][42]。後の9月2日夕方に、正式に記者会見を開き、出馬を表明した[43][44][45]

内閣総理大臣・自由民主党総裁

2020年9月16日、衆議院にて内閣総理大臣の指名を受ける菅義偉
2021年1月7日緊急事態宣言発出に際して会見

2020年9月14日、両院議員総会による自由民主党総裁選挙が執行され、岸田文雄(89票)、石破茂(68票)を破り377票を得た菅義偉が選出された。国会議員職の世襲ではない自民党総裁としては森喜朗以来であり、選挙地盤を世襲していない自民党総裁としては海部俊樹以来である。その2日後の9月16日の内閣総理大臣指名選挙により総理大臣に指名された[46]。同日午後6時17分に皇居宮殿での天皇徳仁による初の内閣総理大臣任命式を終え、第99代内閣総理大臣に就任し、菅義偉内閣が発足した[47]。菅の後任として内閣官房長官には、横滑りで厚生労働大臣の加藤勝信が就任した(厚労相には、田村憲久が就任)。

憲政史上(前身の内閣書記官長含め)、内閣官房長官経験者で首相に就任したのは、鳩山一郎佐藤栄作大平正芳鈴木善幸竹下登宮澤喜一小渕恵三福田康夫安倍晋三に続いて10人目となる。

2020年9月16日、総理大臣官邸での就任時記者会見において、キャッチフレーズとして「自助・共助・公助、そして絆」を掲げ、「国民のために働く内閣」として、内政では、ポストコロナ社会を見据えたデジタル庁新設や全世代型社会保障制度の構築など、外交・安全保障面では、自由で開かれたインド太平洋の推進(→自由と繁栄の弧)などを、主要政策として掲げた[48]

9月20日以降、国際連合総会でのビデオ演説、各国首脳との電話会談を実施、「菅外交」を始動させ[49]10月18日に首相就任後初の外遊先であるベトナムを訪問してグエン・スアン・フック首相と会談し[50]防衛装備品移転協定の締結などで合意した[51]10月20日には、インドネシアジャカルタを訪問した。菅総理は、ジョコ・ウィドド大統領と会談し、新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大による経済への影響を踏まえて500億円の円借款を供与する方針を表明した[52]

2021年1月7日新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大をうけて、小池百合子東京都知事、大野元裕埼玉県知事、森田健作千葉県知事、黒岩祐治神奈川県知事の要請に応じ、東京都神奈川県埼玉県千葉県の1都3県を対象に翌1月8日から2月7日までの期間で、(安倍前政権以来)緊急事態宣言を再発令することを発表した[53]

同月14日、大阪府兵庫県京都府愛知県岐阜県福岡県栃木県の計七府県を宣言に追加することを決定した。

政策

経済

2020年12月14日Go To トラベル一時停止について会見
  • 「私は農家の長男だが、地方では農業が衰退しており集約化が必要だ。都市農業は相続税など税制で支援すべき。日本は資源のない島国雇用をつくるのが政治家の仕事だ」として日本のTPP参加に賛成[58]
  • 「世界に内向き志向がみられる中、自由貿易の推進がより一層重要だ」としてRCEPの署名に参加した[59]
  • リーマンショックが発生した際は、「100年に1度の危機には、100年に1度の対応が必要だ」として、無利子国債の発行に賛成していた[60]。同時に、政府紙幣の発行も求めていた[61]
  • 東日本大震災からの復興に向けた財源について、増税ではなく、日本銀行による復興国債の全額買い切りオペで調達することを求める声明文の署名に参加した[62]
  • 民主党自由民主党公明党の三党間において取り決められた、社会保障と税の一体改革に関する合意(三党合意)の破棄を求める強硬派に分類されていた[63]

人物

評価

  • 2014年産経新聞社FNNの合同世論調査によると、「第2次安倍晋三内閣で最も評価する閣僚」の1位となった[64](2位は安倍晋三[注 2])。
  • 安倍晋三は総理退任後に行われた日本経済新聞のインタビューで、菅のことを「秋田県から出てきて、横浜市という浮動票の多い都市部の小選挙区で勝ち続けてきた人だ。人々が何を考えているのか、気持ちをすくい取るのが非常にうまい」と評価している[65]
  • 枝野幸男は、「(政治的な)駆け引きにおいて、菅さんは天才です。その調整力を国民のために使ってくれたらいいのですが……」「二世でも世襲でもないから、政治の世界で苦労してきたことは間違いありません。でも、努力して成功した人は、自己責任で上り詰めているので、自分の力ではうまくいかなかった人への共感度が低いことがある。(…)『勝ち組』でない人、切り捨てられた側に寄り添う視点は足りない気がします」と評している[66]

エピソード

  • 好物はパンケーキで、大の甘党である[67]
  • 酒は飲まず(いわゆる下戸)、タバコも吸わない[67]。朝に身体を動かしたり、情報収集したり、様々な人と会ったりする「朝活」を日課としている。平日は午前5時頃に起床し、柔軟運動や100回の腹筋運動の後、新聞朝刊各紙や『NHKニュースおはよう日本』でニュースを整理しながら、東京・赤坂議員宿舎から40分ほど散歩をしつつ、総理大臣官邸近くのホテルに向かう。ここで野菜果物ヨーグルトドリンクなど一汁一菜の軽い朝食をとりつつ、政治家や官僚、企業人らと話して世間の動きなどを情報収集する。外国人材の受け入れ拡大を図る出入国管理及び難民認定法改正に向け動いたのも、この場で介護業界の深刻な人手不足を聞いたことがきっかけであった[68]
  • 「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ[69]第1次安倍内閣が閣僚のスキャンダルや問題発言などで混乱する中、存在感を増していった[70]地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、ふるさと納税の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置を行うなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮した。2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙に際しては早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった内閣官房長官に抜擢された[71][72]
  • 菅の先輩に当たる平沼赳夫が自民党に復党した際に、平沼の安保法案に関する賛同について評価した上で「自民党としてさまざまな問題の中で判断され、復党が認められたと思う」と述べた[73]
  • 地元の事務所の車のナンバーは「548」。これは、自民党に大逆風が吹いた2009年の総選挙の際に2位に548票差まで迫られ辛勝したことから、選挙の厳しさを忘れないため[74]
  • 自著「政治家の覚悟」には“政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為”と記しているが、2017年8月8日の記者会見で朝日新聞の南彰にこれを「誰の何という本の内容か知っているか」と質された際、「知らない」と答えた[75]。その後、2020年10月20日発売の改訂版で上記の記述は削除された[76]
  • 2019年にアメリカを訪問した際にも、米国側の警護員を牽き連れる形でニューヨーク市内で日課の散歩を行った[77]
  • 2019年11月27日の記者会見では桜を見る会反社会的勢力の人物を招待していた事実を認めた答弁を翻し、反社会的勢力の「一義的定義は定まっていない」と答えた[78][79]。この発言について、2007年に政府が示した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」[80]との矛盾が大きく批判された。

交友関係

性格

  • 平沢勝栄によると、菅は自ら表に出ることは少なく、人と話すときもあまり喋らずに聞き役に徹するタイプであるという。高校の同級生だった十文字町(現・秋田県横手市)元町長の小川健吉も、菅の父とは異なり、菅はあまり目立たない生徒で、自分の殻に閉じこもっているような印象を持っていたとする。また菅自身、自らを地味で真面目な性格で、特にパフォーマンスが苦手だという[9][10]
  • 2016年4月1日の定例記者会見において、エイプリルフールに因んだ冗談はあったのかと記者に問われた際、「私は非常に堅物で、ユーモアのない、一つ一つ着実な発言ばかり」であるとした上で、官房長官の立場もあり嘘や冗談は控えていると答えている[89][90]
  • 趣味は渓流釣りゴルフ海外旅行である[67]
  • 座右の銘は「意志あれば道あり」[67]

ニックネーム

菅義偉はニックネームが多く、代表的なものとして名字の「すが」をひっくり返した「ガースー」がある。内閣官房長官時代に記者からの質問に冷静に答える姿勢からネット上で「安定のガースー」「鉄壁のガースー」[91]などと呼ばれており、2017年8月にBSフジの番組でこの呼び名について知っているか問われた菅は「『ガースー』と呼ばれていることは知っている」と述べた[92]。2020年9月の自民党総裁選では、自身のあだ名について「嫌な気なんか全然しないですよ。ガースー、公認ですよ」と述べ笑いを誘った[93]。同月に発足した菅義偉内閣では、平井卓也デジタル改革担当大臣が設立を目指す「デジタル庁」について、「スローガンはガバメント・アズ・ア・スタートアップ。(頭文字をとると)結果的に(菅義偉首相の愛称と同じ)GaaSu(ガースー)となる」と述べ笑いを誘うなど、当初はネットスラングであった「ガースー」は政界でも認知度が上がっている[94]。菅は同年12月11日にインターネット番組に出演した際にも「皆さんこんにちは。ガースーです」と自己紹介した[95]が、当時新型コロナウイルスの感染が拡大する中であったことから、SNS上や野党から「無神経だ」などと批判があがり、河野太郎行政改革担当大臣が「何か問題があるのか。揚げ足取りに近いようなことはあまり気にする必要はない」と菅を擁護するなど波紋が広がった[96][97]

2019年(平成31年)4月1日に、内閣官房長官(第4次安倍第1次改造内閣)として同年5月1日施行の新元号令和(れいわ)」を発表したことから、「令和おじさん」の愛称もある[98][99]。菅は自身が「令和おじさん」と呼ばれていることに対して「自分でもびっくりしている」と述べた[100]

官房長官時代には各省庁の幹部人事を実質的に掌握していることから、官僚の間ではダース・ベイダーになぞらえ「ガース・ベーダー」ともささやかれた[101]。また、菅に批判的なSNSユーザーなどからは、人事などが強権的であるとしてヨシフ・スターリンになぞらえ「スガーリン」という呼び名もあり、菅の首相就任後は役所などでもこの呼び名が使われている事もあると報じられている[102]

政治資金

所有ビルの事務所費

菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の政治資金収支報告書に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている[103][104]塩田潮によると、この報道により、第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている[9]

総務大臣在任時の政治資金パーティー

第1次安倍内閣の総務大臣任期中に開催したパーティによる収入約3180万円が、政治資金収支報告書に記載されていることが報じられている[105][注 3]。 菅が代表を務める政党支部が、農林水産省の補助金の交付決定を受けた横浜市南区の造園会社から2011年~2013年に計29万円の献金を受けていたことが明らかになったことが報じられている[106][注 4]。 また、同支部は2014年の衆院選公示直前、国の公共工事を受注していた横浜市の業者から15万円の献金を受けていたと報じられた[107]

白紙領収書への後日金額記入

他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。

政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は「領収書作成方法の規定はない。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」との見解を示している[108]。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている[109]

2016年10月11日、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう、通達を行った[110][111]

所属団体・議員連盟

著書

  • 政治家の覚悟 ―官僚を動かせ―(文藝春秋企画出版部、2012年3月12日、ISBN 978-4160087422

論文

脚注

注釈

  1. ^ 週刊誌などの一部マスメディアで第二部(夜間)卒業と報じられることがあるが[1][2]2016年に菅本人がそれらの報道を否定しており、第一部(昼間)卒業であると述べている[3]
  2. ^ 産経ニュースは安倍が2位となったことについて、"「最も評価する閣僚は」と質問したためか"としている[64]
  3. ^ 大臣規範では、大規模な政治資金パーティを自粛すると定めている[105]
  4. ^ 政治資金規正法は、国から補助金交付決定の通知を受けた企業に対し、その後1年間は政党(支部を含む)や資金管理団体への政治献金を禁じている[106]

出典

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関連項目

外部リンク

公職
先代
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日本の旗 内閣総理大臣
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