秋葉原駅

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秋葉原駅
JR電気街入口
(2011年8月12日)
あきはばら
Akihabara
所在地 東京都千代田区
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細
東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細
首都圏新都市鉄道駅詳細
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秋葉原駅(あきはばらえき)は、東京都千代田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道である。

所在地は、JR東日本が外神田一丁目17番6号、東京メトロが神田佐久間町一丁目21番地(住居表示未実施)、首都圏新都市鉄道が神田佐久間町一丁目6番地10(住居表示未実施)である。

乗り入れ路線

JR東日本の各線(後述)、東京メトロの日比谷線、首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスの3社の路線が乗り入れ、接続駅となっている。日比谷線の駅には「H 15」、当駅を起点とするつくばエクスプレスの駅には「01」の駅番号がそれぞれ付与されている。

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線総武本線の2路線であり(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)、東北本線を所属線としており、東北本線上での所属線としては最初の駅である[1]。東北本線に関しては山手線電車と京浜東北線電車の2系統が停車し、旅客案内では「東北(本)線」とは案内されていない。総武本線に関しては「総武線」と案内されており、中央・総武線各駅停車の電車が停車するほか、新宿駅方面と千葉駅方面を直通する特急列車(「成田エクスプレス」を除く)やホームライナーの一部が停車する。また、特定都区市内における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。

駅構造

JR東日本

JR 秋葉原駅
JR電気街口(北側から)
(2010年11月20日)
あきはばら
Akihabara
所在地 東京都千代田区外神田一丁目17-6
北緯35度41分54秒 東経139度46分23秒 / 北緯35.69833度 東経139.77306度 / 35.69833; 139.77306 (JR 秋葉原駅)座標: 北緯35度41分54秒 東経139度46分23秒 / 北緯35.69833度 東経139.77306度 / 35.69833; 139.77306 (JR 秋葉原駅)
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 アキ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線(京浜東北線・山手線)
2面2線(総武線)
乗車人員
-統計年度-
226,646人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1890年明治23年)11月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 山手線
京浜東北線
(いずれも正式には東北本線
キロ程 2.0km(東京起点)
大宮から28.3 km
神田 (0.7 km)
(1.0 km) 御徒町
所属路線 総武線(各駅停車)
(正式には総武本線支線)
キロ程 3.4km(錦糸町起点)
千葉から36.7 km
浅草橋 (1.1 km)
(0.9 km) 御茶ノ水
備考 みどりの窓口
山区 東京山手線内東京都区内
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京浜東北線と山手線は島式ホーム2面4線、総武線は相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。そのため、京浜東北線・山手線から総武線に乗り換える時は、東京寄りの階段をのぼると新宿方面(5番線)に、上野寄りの階段をのぼると千葉方面(6番線)につながるが、もし途中で間違えたことに気付いた場合は一旦戻らないと目的のホームにたどり着くことができないので注意が必要である。

改札口は電気街口・昭和通り口・中央改札口・アトレ1改札口の4ヶ所である。また、電気街口と中央改札口の間に改札外の東西自由通路が設置されている。このうち、アトレ1改札口は総武線ホームと駅ビル「アトレ秋葉原1」を直接連絡する改札口である。これは、2006年12月31日まで存在した総武線ホームと旧駅ビル「アキハバラデパート」を直接連絡するデパート口改札と同じ場所に再設置されたものである。

京浜東北線・山手線、中距離電車の回送線や東北新幹線高架橋のさらに上を総武線の高架橋が直交して乗り越すオーバークロス構造になっている。なお、東北新幹線は当駅構内の上野方で地下に潜る。

以前は、電気街口、昭和通り口ともに改札内コンコースの途中に階段があり、バリアフリーに対応していない上、電気街口と京浜東北線及び山手線ホームのみ・昭和通り口と総武線ホーム・デパート口と総武線千葉方面6番線のみが直結されていて、直結されていない場所へはそれぞれ直結するホームを経由して乗り換え階段を利用するか、外からの利用であれば直結する改札口へ迂回する必要があるなど不便であったが、2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に合わせて構内通路の拡大などの駅改良工事が行われ、中央改札口と東西自由通路、並びにエレベーターなどが新設された。

のりば

JR秋葉原駅プラットホーム[2]
ホーム 路線 行先
1 京浜東北線 上野大宮方面
2 山手線 上野・池袋方面
3 山手線 東京品川方面
4 京浜東北線 東京・横浜方面
5 総武線 御茶ノ水新宿方面
6 総武線 船橋千葉方面
  • 総武線では各駅停車のほか、特急列車の一部が停車する。定期列車では新宿発着の「しおさい」が、臨時列車では「新宿さざなみ」「新宿わかしお」が停車する。また、平日は「ホームライナー千葉3号」が停車し、休日は房総方面の臨時快速列車なども停車する。したがって、駅構内の案内掲示板には”(各駅停車)”の表示がないものが多い。以前は千葉駅発着の「あずさ」も停車していたが、2002年12月までに183系から11両編成で運転されることのあるE257系へ全面置き換えされたことに伴い、ホームが10両分の長さしかない当駅には停車できなくなったため、通過となった(最末期の183系「あずさ」は千葉発着の列車のみだった)。
  • 1階コンコースには4店舗が入ったフードコートがあったが2009年末をもって閉鎖され、2010年4月28日に「Tokyo Food Bar」としてリニューアルオープンした。
  • かつては電気街口、昭和通り口がそれぞれ西口、東口という名称だったが、地元商店の要望で現在の名称に改められた。

バリアフリー設備

  • エスカレーター:総武線ホーム - 山手線・京浜東北線ホーム、改札口 - ホーム
  • エレベーター:コンコース - ホーム(総武線と山手線・京浜東北線ホームを結ぶエレベーターはない)
  • 多機能トイレ(中央改札・昭和通り口。但し2ヶ所とも施錠されており、係員に開けてもらわないと使えない。)

回送線・貨物線

京浜東北線南行線である4番線の隣には回送線が敷設されている。かつては東京駅まで繋がっていたため、東海道本線横須賀線へ直通が可能であったが、線路が分断された後は上野駅発着の常磐線列車等が留置されていた。東北縦貫線開業後は同線の線路に変更される予定であり、現在は工事のために線路が一時的に撤去されている。

この他にも貨物線が14本存在しており、西側から貨物1 - 6番線・上り本線・下り本線・貨物7 - 12番線となっていた。そのうち貨物1番線で単式ホーム1面、貨物2・5番線と貨物8・10番線で島式ホーム1面ずつ使用していたが、現在は4本になり、ホームも撤去されている。なお、この貨物線は東北新幹線建設により東京方面へは入線できなくなっている。また、この回送・貨物線は東京駅まで延伸されるまで「秋葉原線」と呼ばれていた。

東京メトロ

東京メトロ 秋葉原駅
あきはばら
Akihabara
H 14 小伝馬町 (0.9 km)
(1.0 km) 仲御徒町 H 16
所在地 東京都千代田区神田佐久間町一丁目21
駅番号 H 15
所属事業者 東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線 H 日比谷線
キロ程 6.8 km(北千住起点)
電報略号 アキ
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
120,826人/日
-2010年-
開業年月日 1962年昭和37年)5月31日
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JR線東側の昭和通りの真下に位置する相対式ホーム2面2線を有する地下駅

電気街などのJR線西側へは、神田川沿いの道路およびJR中央改札口前の東西自由通路にて連絡している。また、都営地下鉄新宿線岩本町駅小伝馬町寄りの改札口を出て神田川の和泉橋を渡った場所に存在する。2011年時点では、当駅と岩本町駅との連絡運輸(メトロ⇔都営地下鉄の乗り継ぎ割引適用)は行っていないが、2013年までに乗り継ぎ割引適用が予定されている[3]

仲御徒町寄りの改札口とホームの間にはエレベーター、つくばエクスプレス開業と同時期に改良された3番出入口と改札外コンコースの間にはエレベーターとエスカレーターが設置されている。1993年(平成5年)度に行われた改装工事で、ホーム側壁の駅名標上部に電気器具のイメージイラストが飾られるようになった。

のりば

東京メトロ秋葉原駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1 H 日比谷線 銀座中目黒菊名方面
2 H 日比谷線 上野・北千住東武動物公園方面
3番出入口(2006年12月20日) ホーム(2006年12月20日)
3番出入口(2006年12月20日)
ホーム(2006年12月20日)

首都圏新都市鉄道

首都圏新都市鉄道 秋葉原駅
ホーム(2008年1月6日)
あきはばら
Akihabara
(1.6km) 新御徒町 02►
東京都千代田区神田佐久間町一丁目6-10
駅番号 01
所属事業者 首都圏新都市鉄道
所属路線 TX つくばエクスプレス
キロ程 0.0 km(秋葉原起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
56,763人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 2005年平成17年)8月24日
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島式ホーム1面2線を有する地下駅。深夜に当駅で夜間滞泊する車両がある。将来、当駅から東京駅まで延伸される計画があるため、終端部はホームの少し先に設置されている。また、ホームの側壁には部分的につくばエクスプレスのロゴが存在する。駅務管理所所在駅で、秋葉原駅務管理所として当駅 - 南千住駅間を管理している。

JRの中央改札口付近に地上側出入口があり、電気街などのJR線西側へは東西自由通路が結んでいる。東京メトロ日比谷線への乗り換えは3番出入口まで道路を通ることになる。

利用者の増加に伴い、2006年(平成18年)11月24日より自動改札機の増設工事が行われ、翌12月26日に増設分4基の稼動を開始した。その後、利用者がさらに増加したため、改札外へのトイレの新設とエレベーター専用出入口、エスカレーターの増設工事などが行われている[4]。また、つくば国際会議場に向かう来賓のために「TXルーム」と称する特別待合室の設置構想がある。

当駅では、蓄熱システムを利用して施設の空調を管理している。

2008年(平成20年)4月17日には、駅ビルとして阪急阪神ホールディングスと共同でTX秋葉原阪急ビルAKIBA TOLIM・remm秋葉原)を開業した。

のりば

TX秋葉原駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1・2 TX つくばエクスプレス つくば方面

出口番号

  • 1 - 5(日比谷線)
  • A1 - A3(つくばエクスプレス)

利用状況

JR東日本における2010年度1日平均乗車人員は226,646人(JR東日本で9位)、東京メトロの2010年度1日平均乗降人員は120,826人である[5]。また、首都圏新都市鉄道の2009年度1日平均乗車人員は56,763人で[6]、前年と比べて1,467人の増加、同社の駅の中では第1位である。

各社の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。

年度 JR東日本 東京メトロ 首都圏
新都市鉄道
出典
1992年 132,699 74,441 - [7]
1993年 135,241 73,932 - [8]
1994年 135,268 72,964 - [9]
1995年 137,888 72,877 - [10]
1996年 140,378 71,981 - [11]
1997年 137,176 70,370 - [12]
1998年 137,375 69,362 - [13]
1999年 [1] 137,904 67,710 - [14]
2000年 [2] 137,736 66,767 - [15]
2001年 [3] 137,045 63,663 - [16]
2002年 [4] 145,157 62,192 - [17]
2003年 [5] 142,517 57,989 - [18]
2004年 [6] 141,963 56,455 - [19]
2005年 [7] 171,166 58,107 (8/24開業) [20]
2006年 [8] 200,025 60,518 43,342 [21]
2007年 [9] 217,237 63,511 49,434 [22]
2008年 [10] 224,084 62,989 [6] 53,764 [23]
2009年 [11] 224,608 [6] 55,296
2010年 226,646[12]

駅周辺

電気街口の駅前

JR線の西側には世界屈指の電気街である秋葉原電気街が存在する。また、当駅はかつて貨物の集積場であり、貨物駅や船溜まりが広がっていた。現在、それらの跡地はヨドバシAkibaやバスターミナルになっている。また、駅付近の留置線は貨物駅の名残であり、駅付近の公園は船溜まりに通じる運河の名残である。

総武線の北側にはアキハバラデパートがあり、総武線ホームに直結するデパート口改札が設置されていたため、駅の利用者に親しまれていたが、2006年12月31日をもって閉店した。その後、アキハバラデパートは解体されて建て替えや電気街口のリニューアル工事が行われ、2010年11月19日に新しく「アトレ秋葉原1」がオープンした。これに伴い、閉鎖されたデパート口改札もアトレ1改札口として再設置された。

最近では、電器店やパソコンハードウェアおよびソフトウェア無線機器販売店だけでなく、アニメ漫画、ゲーム、コスプレグッズなどを取扱う店舗やメイド喫茶などのサブカルチャー関連の店舗が増えている。現在では日本オタク文化の重要な発信源となっており、電気街にある秋葉原UDXなどでは大規模なイベントもしばしば開催されている。2000年代中頃よりマスメディアによって秋葉原電気街がオタクの聖地・アキバとして紹介されることも多くなった。また、映画化やドラマ化もされた小説『電車男』の主な舞台やアイドルグループAKB48の本拠地としても知られている。

JRの駅構内でもアニメキャラクターの絵を使用した店舗や企業の広告が数多く掲示されている(秋葉原電気街振興会)。

専門的な電子部品を取り扱っている小規模店舗も健在である。

総武本線は東西に、東北本線(山手線)は南北に通り、南側を神田川が東西に、東側を昭和通りが南北に通る。

西側の電気街にある中央通りの地下には東京地下鉄銀座線が通っているが、同線における電気街への最寄り駅は末広町駅とされる。電気街の中心地はおおよそ同駅と神田駅の中間付近となる。なお、1930年から1931年にかけてはこの付近に仮設駅の万世橋駅が存在していた。

旧国鉄中央本線ターミナル駅である旧万世橋駅は駅南西の神田川対岸にあった。跡地はその後交通博物館となったが、2006年5月14日に閉館し、埼玉県さいたま市大宮区2007年(平成19年)10月14日開館した鉄道博物館にその役割を譲った。交通博物館の跡地にはオフィスビルが建設される。なお、万世橋駅の開設以前にはその西側に昌平橋駅が存在していたこともあった。

電気街口

JR専用の改札・出入口である。中央改札口のある出入口およびつくばエクスプレスA1・A2出入口との間に東西自由通路がある他、山手線・京浜東北線高架下を通る道路経由でも行き来が容易である。

なお、秋葉原電気街の詳細は秋葉原を参照されたい。有名電器・パソコン店は店舗が複数ある。

千代田区外神田(電気街)方面

中央改札口

ヨドバシAkiba

つくばエクスプレスのA1 - A3出口前と同じエリアである。

千代田区神田花岡町(ヨドバシカメラ)、神田練塀町台東区秋葉原方面

昭和通り口

日比谷線の1 - 5出口前とおおよそ同じエリアで、1 - 3番が北寄り、4・5番出入口が南寄りである。

都営地下鉄新宿線岩本町駅がJRの昭和通り口および日比谷線の4・5番出口から昭和通りを南へ神田川を渡ったところにあり、徒歩2 - 3分の距離である。ただし両駅での連絡運輸は行っていないため、都営⇔東京メトロの乗継割引などは適用されない。このため、岩本町駅および日比谷線秋葉原駅の改札出口の案内サインには都営⇔東京メトロ連絡乗車券での乗り換えはできない旨の注意が表示されている(練馬駅都営大江戸線ホームにある案内サインにも同様の表示がされている。)。

千代田区神田花岡町、神田平河町神田松永町神田和泉町(凸版印刷・三井記念病院)、神田佐久間河岸、台東区台東一丁目方面

バス路線

交通広場(バスターミナル)
2005年8月まで都営バス秋26系統は電気街口前に乗り入れていた

中央改札口付近に設置された交通広場に都営バスや千代田区の地域福祉タクシー風ぐるま」、高速バスなどが乗り入れている。かつては成田空港佐原方面の高速バスも乗り入れていた。

2005年8月24日に現在地に駅前広場が完成する前までは、都営バスの秋26系統は電気街口前(副名称として「サトームセン前」が付与されていた)、東42乙系統は昭和通り上の停留所を使用していた。また、2000年12月11日まで運行した都営バスの秋76系統は、書泉ブックタワー前に「秋葉原駅東口」(現在は同じ位置に「風ぐるま」の和泉橋出張所バス停を設置している)、電気街口南側に「秋葉原駅前」の2つのバス停から発車していた。

東側交通広場

  • 1番乗り場
  • 東42乙 - 南千住車庫行(東武浅草駅経由)
  • 茶51 - 駒込駅南口行(御茶ノ水駅・本郷三丁目駅経由)
  • 2番乗り場
  • 和泉・麹町便

西側交通広場

  • 千代田区地域福祉タクシー「風ぐるま」(運行:日立自動車交通) - 停留所名は「秋葉原駅西側交通広場」
  • 四谷・あきば便

「秋葉原」の読み

秋葉原の名の由来は、元々この地にあって人々が秋葉社(あきばしゃ、あきはしゃ)と呼んだ神社であり、「秋葉社の原っぱ」が語源である。なお、同社は1890年明治23年)の駅開設に伴い台東区松が谷三丁目10番7号移転されている。この縁で、駅の西側にある神田明神のお祭りでは駅構内に神輿が巡幸する。また、秋葉社が当駅内に分祀されており、こちらの祭事はJRの駅長が行うことになっている。

地名としての秋葉原の読みは、駅の開業までは「あきばがはら」だった。古くは「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。

台東区秋葉原という町名が駅北側(本駅と御徒町駅の中間付近)に実在するが、由来は同じである。

歴史

掘割を跨いでいた佐久間橋跡
往年の秋葉原貨物駅(1960年頃)

当駅を建設した日本鉄道は、当初上野から北へ、後の東北本線高崎線に相当する路線を建設し、東京側では上野で旅客・貨物をともに取り扱う態勢で営業していた。鉄道の取り扱う旅客・貨物が伸びていくに連れて上野駅では逼迫するようになり、さらに同駅周辺の道路が狭隘で同駅へ向かう旅客・貨物を乗せた馬車が渋滞を起こすような状態となっていた。これに対応するために、旅客と貨物の分離が計画された。

同駅より南側は当時既に市街地となっていたが、当駅の存在する辺りは江戸時代火事対策として設けられた火除地となっており、空き地になっていた。また、上野駅とこの火除地の間に道路が存在していたため、これらの払い下げを受けて用地を確保し、貨物駅として1890年明治23年)に開設されることになった。当初はこの上野駅からの貨物線を「秋葉原線」と呼び、当駅は秋葉原貨物取扱所と呼ばれていた。

市街地を縦断して地上の線路を建設するため、東西方向の交通を遮断するとして沿線から敷設に対する強い反対運動が起きた。監督していた鉄道局では、交通を遮断しないようにするために高架化することを会社に指示したが、これを会社側は拒否し、後にこの線を東京駅新橋駅まで延伸して東海道本線と接続させる際には同区間の高架化を実施するとの会社側回答で妥結することになった。また、線路は両側を柵で囲い、踏切には番人を置いて列車通行時には柵で閉鎖し、さらに列車の運行時間帯と運行本数に関する制限が付けられた[24]。沿線住民はなお反対を続けたが、当局の意向を背景に建設が強行され、駅が開業した。

駅には神田川から掘割が引かれ、はしけを使って連絡運輸を行っており、東北信越からの貨物の東京の水上交通への窓口だった。掘割は国道4号線の西側から引き込まれ、道路の下を潜り、現在のヨドバシAkibaの位置に舟溜があった。終戦直後の航空写真でもそれが確認できる。舟溜は当駅構内では東西に長くなっており、上野駅から入線して来た貨車は、構内に設置された小型の貨車用転車台に載せられて直角に向きを変え、東西方向に舟溜の両側に敷設された線路に入って船との連絡をとる仕組みになっていた。この掘割は昭和30年代以降に埋め立てられた。なお、掘割の一部は現在公園になっている。書泉ブックタワーの隣から当駅に向かってつながっている公園がそれであり、道路脇には今でも橋の跡が残っている。

上野 - 東京間の連絡線は高架線で、1925年大正14年)11月1日に開通した。この高架線は3線からなり、うち2線を旅客線、1線を貨物線とすることになっていた。しかし、貨物取り扱い設備の高架上への移転工事が遅れ、貨物列車は引き続き地上を走っていた。高架貨物設備は第1期工事(西側貨物積卸場)が1928年昭和3年)4月1日に、第2期工事(東側貨物積卸場)が1932年(昭和7年)7月1日に完成して、この日に地上の貨物線が廃止となり、貨物列車の運転も高架上に移された。また、この日に総武本線御茶ノ水 - 両国間が開通し、三層立体構造の高架駅となった。

この時点で駅の西半分は旅客駅として使い、東半分を貨物駅としていた。この名残りで駅の北側(蔵前橋通りの辺り)で線路が若干曲がっている。また、この付近の線路沿いの道も東西で対称となっている。地上時代の貨物線は道路に戻されており、上野駅前ではマルイシティ上野店の東側の通りが貨物線の跡である。

高架貨物ホームは2面存在し、全長180メートル、幅9 - 12メートルであった。エレベーター24台、シューター、滑走機などを設置して、高架下との間での荷役を行っていた。田端操車場で入れ換えを行った後、小運転で当駅へ貨車を送り込む方式で運転が行われていた。

戦後は貨物輸送のコンテナ化が進行したが、狭小な立地に高架で貨物取り扱い設備を設けた当駅ではこれに対応することができなかった。このため、1911年時点で東京における貨物駅では隅田川駅に次ぐ第2位の貨物取り扱い量であった当駅は、1970年になると汐留駅小名木川駅越中島駅品川駅などに取り扱い量をはるかに引き離され、1911年時点での取り扱い量よりも減少している状態であった。こうした状況を受けて、1975年2月1日に当駅での貨物営業が廃止され、旅客専用駅となった。貨物駅跡地および、運輸会社の倉庫地区は解体された後もそのまま放置されていたが、2000年代初頭に旧倉庫地区がヨドバシカメラに売却され2005年にヨドバシAkibaが開店、貨物駅跡もつくばエクスプレス開業に合わせて中央改札口、駅前広場として整備された。

年表

  • 1890年明治23年)11月1日 - 日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 国有化。
  • 1925年大正14年)11月1日 - 東北本線上野 - 東京間の高架線が開業、旅客営業開始。東北本線は長らく東海道本線との乗り入れを行っていたが、上野 - 東京間の東北本線線路用地の一部を東北新幹線用に使用することが決定したため、連絡運転が停止された。
  • 1928年昭和3年)4月1日 - 高架貨物駅第1期工事(西側貨物積卸場)完成。
  • 1931年(昭和6年)10月1日 - 高架下のスペースを利用した貨物倉庫の営業開始。
  • 1932年(昭和7年)7月1日 - 総武本線、御茶ノ水 - 両国間が開業し、乗り換え駅となった。この時に3層構造の高架駅となった。高架線の総武線の開通によりエスカレーターが設置されたが、これは国鉄初のエスカレーターであった[25]。高架貨物駅第2期工事(東側貨物積卸場)が完成して、上野駅とを結ぶ地上の貨物線が廃止された。
  • 1945年(昭和20年)3月10日 - 太平洋戦争中に空襲東京大空襲)に遭い駅舎が全焼。留置していた客車14両と貨車50両が焼失。
  • 1951年(昭和26年)11月 - 現在の電気街口にアキハバラデパート開店。
  • 1962年(昭和37年)5月31日 - 営団地下鉄日比谷線秋葉原駅開業。
  • 1965年(昭和40年)11月 - 日本最長(当時)のエスカレーターが昭和通り口=総武線ホーム間に設置。
  • 1975年(昭和50年)2月1日 - 貨物営業廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
  • 2001年平成13年)11月18日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 営団地下鉄民営化。日比谷線は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
  • 2005年(平成17年)6月 - 昭和通り口にアトレヴィ秋葉原が開業。
  • 2005年(平成17年)8月17日 - 旧貨物駅跡地にJR駅の中央口改札を新設。
  • 2005年(平成17年)8月24日 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業。
  • 2006年(平成18年)12月31日 - アキハバラデパートが閉店。同時にデパート口改札を閉鎖。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - 東京メトロ・首都圏新都市鉄道でICカードPASMO供用開始。
  • 2010年(平成22年)11月19日 - アキハバラデパート跡地に新駅ビル完成、アトレ秋葉原1が開業。アトレヴィ秋葉原がアトレ秋葉原2に改称。旧デパート口改札をアトレ1改札口と改称して再設置。

かつて存在していた東京 - 上野間の東北本線線路は、東北新幹線建設に伴い神田駅付近で分断され、当駅構内の線路は現在留置線として利用されている。神田駅付近の東北新幹線の高架のさらに上層部に高架を建設することにより、2013年(平成25年)度完成を目処に再接続する計画がある(東北縦貫線計画)が、コスト面から、当駅にホームは設置されない予定である。

隣の駅

東日本旅客鉄道
山手線
神田駅 - 秋葉原駅 - 御徒町駅
京浜東北線
快速
東京駅 - 秋葉原駅 - 上野駅
各駅停車
神田駅 - 秋葉原駅 - 御徒町駅
総武線
各駅停車
浅草橋駅 - 秋葉原駅 - 御茶ノ水駅
東京地下鉄
H 日比谷線
小伝馬町駅 (H 14) - 秋葉原駅 (H 15) - 仲御徒町駅 (H 16)
首都圏新都市鉄道
TX つくばエクスプレス
快速・区間快速・普通
秋葉原駅 (01) - 新御徒町駅 (02)

脚注

参考文献

(著者・編者の五十音順)

  • 日本国有鉄道『日本国有鉄道百年写真史』交通協力会、1972年10月14日 発行。 (復刻版:『日本国有鉄道百年写真史』成山堂書店、2005年10月)。ISBN 978-4425301638 
  • 中川浩一「秋葉原貨物駅の記録」『鉄道ピクトリアル』No.808  2008年9月号、電気車研究会、pp. 18-23。 

関連項目

外部リンク