日仏関係

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日仏関係
日本とフランスの位置を示した地図

日本

フランス

日仏関係(にちふつかんけい、:Relations franco-japonaises)では、日本フランスの関係について概説する。

日仏関係の歴史は17世紀初頭にまで遡ることができ、このときローマに向かっていた日本の使節が南フランスに上陸したことに始まる。

およそ2世紀にわたる鎖国政策が解かれ、両国は19世紀後半以降、軍事経済法律芸術分野において重要な関係を築いていった。江戸幕府ジュール・ブリュネ軍事顧問団を通じて軍備の近代化を進め、またその後も日本はさまざまな分野、とくにルイ=エミール・ベルタン大日本帝国海軍の創設期において造船産業の発展に寄与し、また法令の整備などについてもギュスターヴ・エミール・ボアソナードなどフランスの支援を受けていた。

フランスは近代芸術において日本の美術、すなわちジャポニスムに感化されている点があり、また印象派などに影響を与えた。またフランスで繁栄した絹織物産業は日本の支援を受けていた。

日仏関係史[編集]

18世紀以前[編集]

17世紀にフランスを訪れた支倉常長

19世紀[編集]

セントヘレナで囚われの身のナポレオン(当時の日本の挿絵)
第1回遣欧使節(1862年)
1867年、第1回遣日フランス軍使節団が送られる。前列右から2人目がジュール・ブリュネ。
在フランス日本公使館の印(明治時代初期)
1898年、日本で初めて自動車パナール・ルヴァッソールが走る。

20世紀前半(1945年以前)[編集]

20世紀後半(1945年以降)[編集]

21世紀[編集]

現在の日仏関係[編集]

ジャック・シラク

近年のフランスは日本との通商面や文化面での交流を強めている。一部ではこの関係が強まったことは元フランス大統領ジャック・シラク親日家であったためとの見方を持っている。シラクは日本国外の指導者としては最多とされる40回以上の訪日経験を持ち、日本について精通している。フランスでは輸出奨励運動 Le Japon, c'est possible (ル・ジャポン・セ・ポシブル、日本語で「日本、それは可能である」)が行われ、また人材交流として外国語青年招致事業も盛んである。またパリ日本文化会館も開設されている。

ただし、シラクの日本への傾倒には反対派からの批判が強く、上記の秘密口座疑惑に加え、隠し子の存在も噂として流される事態となった。この反動もあり、保守派の国民運動連合から2007年フランス大統領選挙に勝利しながらシラクへの批判を続けていたニコラ・サルコジは2004年に「相撲は知的なスポーツではない」と語ったとして日本の平林博駐仏大使に釈明する事態を招き、同大統領選挙の決選投票で敗れたセゴレーヌ・ロワイヤルは日本のアニメに対し暴力的で性表現が多いという批判を続けるなど[4]、クレッソンの「アリ発言」に続いてフランス社会党の有力政治家による日本への厳しい姿勢が報じられた。一方、国民戦線のナンバー2(全国委員)を長く勤めたブルーノ・ゴルニッシュは日本留学を経験して日本人と結婚するなど、特にフランス政界での対日観は非常に多様で、時として上記のような舌禍も起こる不安定さをはらんでいる。また、日本の政財界でフランスへの留学・赴任経験を持つ人物は、特に第二次世界大戦後はアメリカやイギリスと比較すると少ない[5]

なお、パリ在住の文化史家である竹下節子はその著書のなかで、フランスは、日本が歴史上、主要国のなかで直接戦火をまじえていない国であることを指摘している[6]。ただし、実際には第二次世界大戦末期の明号作戦で日本軍がフランス領インドシナ軍と交戦し、これを制圧している他、フランス艦隊は下関戦争にも参加している。

分野別[編集]

国際協力[編集]

国際協力の分野では、フランスと日本は共同でジブチマダガスカルウガンダなどの国でのHIVや発育不全といった危機的な健康問題にも取り組んでいる。また、日本はフランスとの二国間関係だけではなく、フランスが大きな影響力を持つ欧州連合(EU)との関係強化の形でもフランスとの協力を深めている。

文化[編集]

日本とフランスでは相互に芸術料理の分野で価値観を共有している。日本ではテレビ番組「料理の鉄人」などに見られるように、フランス料理が日本の料理界に大きな位置を占めている。フランスではアニメが人気を集めているが、外国文化の流入に対し強い警戒心を持つフランスはスクリーンクォータの一種である「ブロードバンドクオータ」を実施し[7]、テレビ局での日本製アニメの放送時間はドイツなどと比較すると少ない[8]

また日本の娯楽においても中世ルネサンス期、ナポレオン時代、世界大戦期といったフランスの歴史的な人物や設定がモデルとなっていることもある。日本画浮世絵の純粋さと、フランスの視覚芸術の近代性と気品は、絵画という創作分野において融合されている。これは日本人にフランスへの関心や親近感を高め、その貢献を認められた池田理代子にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与された事もあった。

科学技術[編集]

科学技術の分野でも、両国は原子力エネルギー生成の分野において緊密な協力関係を構築している。2005年6月、フランスと日本はコンコルドの後継となる次世代型超音速商業飛行機の開発で協力することを発表した[9]。これらの協力関係の一方、世界各国への高速鉄道や原子力発電所の受注では激しい競争関係にあり[10]、ITERではフランスが誘致合戦に勝利した。

スポーツ[編集]

大相撲本場所では在日フランス大使館より日仏友好杯[11]が贈られる[12]

人物[編集]

日本に関係するフランス人[編集]

フランスに関係する日本人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 難波ちづる, 国立公文書館所蔵の「サイゴン裁判」関係資料について, 北の丸:第41号 (平成20年12月)
  2. ^ また、志賀は当用漢字現代仮名遣いには嫌悪感を示していた。阿川弘之「志賀直哉」下巻P196~、新潮文庫
  3. ^ フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議”. 参議院 (1953年2月6日). 2013年4月30日閲覧。
  4. ^ ただし、ロワイヤルは日本の社民党福島瑞穂党首との会談(両者とも女性)で「日本の女性は大変でしょう」と語り、クレッソンの人種差別主義とは一線を画した。
  5. ^ 留学例としては東京大学の助手からパリ大学の助手となり、フランスの政治・外交を研究した舛添要一が挙げられる。舛添はフランス人女性と結婚したが離婚し、帰国後に大蔵省からフランス国立行政学院(ENA)へ派遣留学の経験を持っていた片山さつきと再婚したが、その後再び離婚している。また、JR東日本会長となった山之内秀一郎は1969年に国鉄から国際鉄道連合(UIC)へ出向し、パリに在住した経験を持つ。
  6. ^ 竹下(2006)
  7. ^ これがロワイヤルによる日本アニメ批判にもつながる。なお、スクリーンクオータはアメリカ合衆国の映画ハリウッド映画)の上映を制限する保護主義政策。
  8. ^ 日本貿易振興機構(JETRO)市場開拓部輸出促進課 2005年3月 「フランスにおける日本アニメを中心とするコンテンツの浸透状況」
  9. ^ 日仏航空機産業による超音速旅客機に関する共同研究について 経済産業省 2005年6月14日(PDF形式)
  10. ^ 一例として、ベトナムにおける原子力発電所や高速鉄道計画での競争が挙げられる。出典:朝日新聞2010年1月17日付 ベトナム、原発導入急ぐ 東南アジア初、受注狙う日仏
  11. ^ 2000年、シラク大統領(当時)が「フランス共和国大統領杯」として創設したもの。
  12. ^ 横綱白鳳に日仏友好杯を贈呈 - 在日フランス大使館

参考文献[編集]

  • クリスチャン・ポラック 著\石塚里奈、伊藤直子他 訳『絹と光 知られざる日仏交流100年の歴史 江戸時代~1950年代』(アシェット婦人画報社、2002年) ISBN 4-573-06210-6
  • 立川京一『第二次世界大戦とフランス領インドシナ 「日仏協力」の研究』(彩流社、2000年) ISBN 4-88202-644-9
  • 竹下節子『アメリカに「NO」と言える国』(文春新書、2006年) ISBN 4-16-660491-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]