日本とインドネシアの関係

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日本とインドネシアの関係
インドネシアと日本の位置を示した地図

インドネシア

日本

日本とインドネシアの関係は、第二次世界大戦後、歴史的、経済的、政治的つながりは特に緊密なものに成長した。日本はインドネシアの最大輸出相手国であり、また、国際協力機構(JICA)を通じて、インドネシアへの開発援助の主要な供与国である。日本にとって、インドネシアは液化天然ガスなどの天然資源の死活的に重要な供給国である。両国はともにG20APECの加盟国である。今日、インドネシアで働く日本人は11000人にのぼる一方、日本では約24000人のインドネシア人が働いたり訓練を受けたりしている。インドネシアは東京大使館を、大阪領事館を設置している。日本はジャカルタに大使館を、メダンデンパサールスラバヤマカッサルに領事館を設けている。

両国の比較[編集]

インドネシアの旗 インドネシア 日本の旗 日本
人口 2億2996万5,000人 1億2738万人
面積 191万9440 km² (735,355 sq mi ) 37万7873 km2 (145,883 sq mi)
人口密度 119.8人/km² (312.7/sq mi) 337.6人/km2 (874.4/sq mi)
首都 ジャカルタ 東京
最大都市 ジャカルタ - 850万人 東京 – 1278万3000人 (首都圏は3245万人)
政府 単一国家大統領制立憲共和制 単一国家議会内閣制立憲君主制
公用語 インドネシア語 日本語 (事実上)
主な宗教 イスラム教86.1%、キリスト教8.7%、ヒンドゥー教1.8%、仏教1%、その他2.4% 神道83.9%、仏教71.4%、キリスト教2%、その他0.6%
(日本では神道と仏教を両方信仰することが広く行われているため、合計した数字は100%を超える) [1]
民族 Ethnic Groups of Indonesiaを参照。 日本人98.5%、その他0.6%、韓国人0.5%、中国人0.4%
GDP (名目) 5117億6500万ドル (1人当たり2,246米ドル) 5兆1000億ドル (1人当たり38,559米ドル)
軍事費 474万米ドル 488億6000万米ドル (2008年度) [2]

歴史[編集]

植民地時代の関係[編集]

17世紀初頭、オランダ領東インド(現在のインドネシア)に初めての日本人の移住者が住み着いていたことが記録されている。より大きな波は17世紀に到来し、朱印船は東南アジアで交易を開始した。1898年のオランダ領東インドの植民地の記録には614人の日本人が住んでいたという記録がある(男166人、女448人)[3]。日本人の人口が増えたため、1909年、日本はバタビアに領事館を設置したが、最初の数年間の人口統計はむしろいい加減なものだった[4]。1920年代、沖縄の漁師が北スラウェシに定住し始めた。マナドには日本人のための小学校があり、1939年には18人の生徒がいた[5]。1938年、合計で6349人の日本人がインドネシアに住んでいた[6]

1942年、大日本帝国は東南アジアに侵攻した。日本はオランダ軍を破り、現地のジャワ人の預言者(en:List of fulfilled prophecies#Liberation of Indonesia)によれば、解放のためにやってきた英雄としてインドネシア人に歓迎された。日本はまた、末期のオランダ領東インドのボルネオ島ジャワ島スマトラ島、オランダ領ニューギニア(高価値の銅山がある現在のインドネシアのパプア州)の重要な油田地帯を占領した。日本人はインドネシア人の民族意識の覚醒を促した。これはインドネシアの独立支援という利他的な動機というよりは、日本の政治的動機によって行われていたが、この支援は新しいインドネシア人の団体とスカルノのような政治指導者を生み出すきっかけになった。インドネシア人の国家主義的な指導者の登用を通じて、日本はインドネシアへの支援とインドネシア人の日本の戦争への徴用を続けようとした。日本による占領の経験は自らが占める地位と社会的環境に甘んじていたインドネシア人にかなりの影響を与えた。この地域に住んでいた多くの人々が拷問慰安婦、令状によらない逮捕、処刑や他の戦争犯罪の犠牲になったと考えられている。何千人もの人々がインドネシアから強制的に「労務者」として日本の軍事作戦に徴用された。

西側の連合国軍との戦争でインドネシアの人々から軍事的支援を受けるため、日本は自主的に集まって結成された郷土防衛義勇軍(PETA)を含め、インドネシアの若者に軍事的訓練と武器を与え、インドネシア人による国家主義運動の促進を始めた。日本によるインドネシアの若者の軍事訓練は、もともとは敗戦による大日本帝国の統治機構の崩壊時に現地の支持を得続けることを企図したものだった。しかしながら、後にこの軍事訓練は、1945年から1949年の独立戦争を経て、インドネシア共和国建国への大きな財産となった。

1945年、日本は敗戦の危機に瀕し、オランダはインドネシアに植民地政権を再び建設しようとし、日本陸軍にインドネシアの「法と秩序を保つ」ために協力を求めた[7]。オランダ人にとっては残念なことだったが、日本人は自らの政権を樹立するための準備をしていた国家主義的なインドネシア人を応援することを望んだ。1944年9月7日、日本は戦況が悪化するなか、小磯国昭首相は、首相がこの約束を果たすことはできなかったが、インドネシアの独立を約束した[8]。1945年4月29日、日本の占領軍は、インドネシアが独立を果たすために日本人が組織した委員会であるインドネシア独立準備調査会を組織した。この組織は1945年4月29日、第16軍の司令官である原田熊吉中将によって創設されたものである。この組織を通じてインドネシアの独立会議が準備され、日本の公式な支援を得ることなく、1945年8月17日、スカルノ、ハッタとインドネシアの若者によってインドネシアは独立を宣言した

インドネシア共和国時代の関係[編集]

1942年から1945年までの日本によるインドネシアの占領期の終結後、武器の引き渡しを巡って対立が生じ、スマラン事件が起こった。その後、約3000人の大日本帝国陸軍軍人はインドネシアに残ることを選び、現地の人々とともにオランダの植民地主義者たちとインドネシア独立戦争を戦った。そのうち約3分の1は戦死し、その多くはカリバタ英雄墓地に埋葬され、生き残った者は戦争が終わった後もインドネシアに残ることを選び、彼らの一部はインドネシア独立の英雄として顕彰されている[9][10]。日本とインドネシアは1958年に平和条約を締結し、国交を樹立した[11]

1970年代、日本の製造業者、そのなかでも特に電機部門、はインドネシアに工場の建設を開始し、このことは新しい日本人移民、主に日本企業の管理者や技術者、の波を奨励した[12]日本の自動車業界もまた、インドネシア市場への展開を開始し、現在、日本の自動車業界はインドネシア市場で最大の割合を占めている。同時に、日本の消費者製品もインドネシア市場への展開を始めた。

しかしながら、日本経済のインドネシア支配は反対運動の盛り上がりにつながり、1974年の1月14日から17日にかけて田中角栄首相がジャカルタを訪問していた1974年1月15日、日本や他の国々からの投資活動に反対する暴動事件であるマラリ事件(1月15日の悲劇)が発生した。

1980年代から21世紀にかけて、日本企業のインドネシアに対する投資は着実に増加した。

経済的関係[編集]

日本はインドネシアへの投資を、特に自動車、電機部品、エネルギーと採掘部門において、何十年も続けてきた。インドネシア共和国の建国以前から、日本はインドネシアを天然資源の重要な供給源としてみていた。日本は天然資源を必要としていたことは、第二次世界大戦に至ることになる南進をせざるを得なかった理由のひとつでもあった。現在、日本にとってインドネシアは、天然ゴム、液化天然ガス、石炭鉱物、紙パルプ、エビマグロなどの海産物とコーヒー豆の主な供給国である。伝統的に、インドネシアは日本の自動車と電機機器の主要な市場とみなされていた。日本企業にとって、インドネシアは様々な天然資源の源であるとともに、人件費を低く抑えながら製造するための人材の源でもあった。1200社以上[13][14]の日本企業がインドネシアで活動しており、約30万人の現地人が雇用されている[15]。主な日本企業の工場はジャカルタ市東部に集中しており、そのなかでもブカシ、シカラング、カラワングと西ジャワ州に特に集中している。

インドネシアに対する日本企業の直接投資の新しい傾向は、収入、人口、消費者製品の消費の増加となって表れている。日本企業の直接投資はもはや伝統的な分野だけでなく、小売やメディア、日用品の分野にも及んでいる。近年、日本の大戸屋吉野家、えびすカレーなどのレストランチェーン、セブンイレブンファミリーマート[16]などのコンビニエンスストア、そごう無印良品ユニクロ[17]などのファッション、小売、百貨店および紀伊國屋書店などが次々とインドネシアに出店した。大正製薬は最近、ブリストル・マイヤーズ・スクイブのインドネシア法人を買収した。より多くの日本企業がインドネシア市場に参入するための投資を準備している。これらの企業による新たな投資によっていくつかの日本企業は成功を収めている。味の素は5000万ドルをかけてインドネシアに新しい工場を建設することを計画している。

日本との貿易(通関ベース)(100万ドル)
日本の輸出(A) 日本の輸入(B) 収支(A-B)
2006 7,376 24,123 ▲16,747
2007 9,065 26,480 ▲17,415
2008 12,607 32,555 ▲19,948
2009 9,334 21,825 ▲12,491
2010 15,859 28,149 ▲12,290
2011 17,731 33,970 ▲16,239

文化交流と観光[編集]

そのユニークさのため、日本文化はインドネシアで人気を博している。日本の伝統的な文化である着物生花折り紙などを始め、若者たちの間ではJ-pop漫画アニメビデオゲームなどのサブカルチャー、家族や子供にはドラえもんなどが広く楽しまれている。一方、日本人はインドネシアの伝統的な文化であるバティックガムラン、ダンスなどに興味を持っており、バリ島ボロブドゥール遺跡は日本人の人気の観光地である[18]

インドネシアでは2009年現在71.6万人が日本語を学んでおり、日本語教育機関は1,988機関ある[19][20]。これは韓国、中国に次いで3位の規模である。このきっかけとなったのは1980年代の日本企業の進出、日本人観光客の増加によるものであり、インドネシア人労働者にとって日本語の理解は大きな価値を持つようになった。

ジャカルタのGrand Wijaya CenterとBlok Mは日本食レストランや日本の輸入食材を扱うスーパーマーケットがあり、特にBlok Mは居酒屋も多く[21]、周辺にも日本色の強い店舗が集結しておりリトル・トーキョーとして知られている[22]

日本からの開発支援[編集]

日本はインドネシアに対して多額の開発支援を行なっている。開発支援は国際協力機構(JICA)を通して行われ、東南アジア諸国連合(ASEAN)の中では最大の支援を受けている[23]

日本のインドネシアに対する経済協力実績額[24](単位:100万ドル)
有償資金協力 無償資金協力 技術協力 合計
2000 945.66 52.07 144.60 1,142.33
2001 702.83 45.16 117.27 865.26
2002 441.59 63.54 126.46 631.59
2003 946.77 82.36 120.66 1,149.79
2004 452.52 25.47 105.96 583.95
2005 1,072.18 172.21 98.40 1,342.79
2006 882.83 60.67 91.11 1,034.61
累積 24,690.06 1,939.16 2,907.49 29,597.35

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ Asia Times Online
  3. ^ Shiraishi & Shiraishi 1993, p. 8
  4. ^ Murayama 1993, p. 89
  5. ^ Meguro 2005, p. 65
  6. ^ Fukihara 2007, p. 27
  7. ^ Charles Bidien (5 December 1945). “Independence the Issue”. Far Eastern Survey 14 (24): 345–348. doi:10.1525/as.1945.14.24.01p17062. JSTOR 3023219. 
  8. ^ Ricklefs (1991), page 207
  9. ^ Hatakeyama & Hosaka 2004, pp. 676–677
  10. ^ “秋篠宮ご夫妻、英雄墓地に献花 ジャカルタ”, Sankei Shimbun, (2008-01-19), http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080119/imp0801191209001-n1.htm 2010年4月21日閲覧。 
  11. ^ 日本国とインドネシア共和国との間の平和条約
  12. ^ “Changing Faces”, The Jakarta Post, (2008-03-28), http://www.thejakartapost.com/news/2008/03/28/changing-faces.html 2010年4月23日閲覧。 
  13. ^ インドネシア進出の日本企業は 1266社 帝国データバンク
  14. ^ JETRO
  15. ^ Huge opportunity from Japanese investment
  16. ^ “ファミマ、インドネシアに進出 5年で500店”, 日本経済新聞, (2012-10-10), http://www.nikkei.com/article/DGXNZO47076810Z01C12A0TJ1000/ 2013年2月21日閲覧。 
  17. ^ “ファストリ、「ユニクロ」インドネシア進出 三菱商と共同出資会社”, 日本経済新聞, (2013-02-13), http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL130AY_T10C13A2000000/ 2013年2月21日閲覧。 
  18. ^ 2012年のインドネシアへの外国人訪問数はシンガポール、マレーシア、オーストラリア、中国に継ぐ5位で61.8万人。そのうちの31.7万人がバリ島を訪れている。インドネシア共和国観光クリエイティブエコノミー省
  19. ^ 54,016名(1998年)、85,221年(2003年)、272,719名(2006年)、716,353名(2009年)と推移しており、2006年に中等教育のカリキュラムの変更があり、全普通高校と宗教高校の高校生が3年継続して第2外国語(日・中・仏・独・アラビア)、技術・家庭科のいずれかを履修することが必須となったため。
  20. ^ 国際交流基金 海外日本語教育機関調査
  21. ^ Hara, Chisato (2008-04-23), “Exploring 'izakaya' in Blok M”, The Jakarta Post, http://web.archive.org/web/20080423060317/old.thejakartapost.com/community/japan3.asp 2010年4月23日閲覧。 
  22. ^ Little Tokyo
  23. ^ JICA Indonesia Office
  24. ^ 在インドネシア日本大使館

外部リンク[編集]