ブルーノ・ゴルニッシュ

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ブルーノ・ゴルニッシュ(2014年)

ブルーノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch、1950年1月28日 - )は、フランス学者政治家。フランスの極右政党国民戦線のナンバー2である全国代表。欧州議会議員、院内会派アイデンティティ、伝統、国家主権共同代表、ローヌ=アルプ地方圏議会議員、リヨン市議会議員。ゴルニッシュは、彼の思想と国民戦線における位置によってフランスで論議を呼ぶ人物のひとりである。

生い立ち、日本との関わり[編集]

ブルーノ・ゴルニッシュ、2006年1月

1950年1月28日パリヌイイ=シュル=セーヌに生まれる。当初、外交官を志望し法律政治学、北東アジアの諸言語を学んだ。ナンテール大学在学中にジャン=マリー・ルペンに出会う。また、フランス海軍予備役将校となっている。

1971年フランス国立東洋言語文化研究所日本語マレーシア語および、インドネシア語の学位を取得した。1973年パリ政治学院で政治学の学位と公共法における修士号を取得する。1974年京都大学に留学し法哲学を中心に学ぶ。京都留学中は、三畳一間のボロアパートで、銭湯に通ったという。また、万葉集源氏物語平家物語などの古典から三島由紀夫川端康成芥川龍之介まで日本文学を渉猟した。帰国後、1978年に、パリで法学博士号を取得した。1980年以降パリの法曹協会で弁護士登録し、法律顧問、弁護士として活動した。専門は東アジア諸国の法律である。

メス大学法学部助教授を経て、1981年リヨン第三大学教授となり日本語と日本文化論を教えた(現在は停職中)。

夫人は日本人で、三人の子供がいる。

政治経歴[編集]

1986年3月から1988年6月まで国民議会議員を務めた。 1986年3月に初当選して以来、ローヌ=アルプ地方圏議会議員を務めている。 1989年6月18日に初当選して以来、欧州議会議員を務めている。 1995年3月に初当選して以来、リヨン市議会議員を務めている。

国民戦線内の経歴[編集]

1983年に国民戦線に入党。 1984年春に同党ローヌ県書記長に就く。 1986年に党中央委員会の委員に選出される。 1994年に副党首に就任する。 1996年10月に同党ナンバー3の全国書記に任命される。 1999年11月22日に同党ナンバー2の全国代表に就任する。ルペン党首との対立を激化させたブルーノ・メグレの後任人事である。

ホロコーストに関する論争[編集]

2007年1月ゴルニッシュはリヨン軽罪裁判所から1990年制定のゲソー法 Gayssot Actで禁止された人道に関する罪に対する論争, [1]," の罪を問われ、執行猶予三ヶ月の禁固刑と、罰金5万5000ユーロを宣告された。2004年10月11日ゴルニッシュは、以下の発言を行った。:

今やまともな歴史家でニュルンベルク裁判の結論を全面的に認めるものはいない。強制収容所があったことを私は疑問に付すものではないが、死者の数について歴史家が議論できてもいいはずだ。ガス室の存在についていえば、どういう判断をするかはそれぞれの歴史家の自由だ。 [2]

ゴルニッシュは、その後も発言を繰り返したが、ゴルニッシュのホロコースト否定とも取れる主張は、時期的にアウシュヴィッツ強制収容所解放60周年を間近に控えていたこともあり、センセーショナルなものとなった。リヨン大学の学長は、国民教育省に対してゴルニッシュを停職とする懲戒処分を検討していることを報告した。

12月26日リヨン大学学長は、ゴルニッシュを30日間の停職処分とすることを発表した。すでに12月2日には大学当局はトラブルを防止するため大学構内にゴルニッシュが入ることを禁止した。もっともこの決定は2005年1月14日国務院(コンセイユデタ)によって取り消された。 [1]

2月2日ゴルニッシュはリヨン第三大学における講座を再開した。しかし、今度は左翼およびユダヤ系学生によって教室への学生の入室が妨害しようとし、これに対抗して国民戦線側の学生は反対派を対峙し、乱闘騒ぎを起こし警官隊によって多くの学生が逮捕される始末であった。

2006年11月7日裁判の冒頭、口頭弁論でゴルニッシュはナチスによるユダヤ人の組織的殺害の有無にかかわらず、ユダヤ人への迫害そのものが人道に対する犯罪であったことを認めるかどうか尋ねられ、そのとおりであると答えた。[3].

関連項目[編集]

  1. ^ Bruno Gollnisch condamné pour ses propos sur l'Holocauste, REUTERS cable published by L'Express on January 18, 2007 — URL accessed on January 18, 2007 (フランス語) délit de contestation de l'existence de crime contre l'humanité par paroles
  2. ^ NEGATIONNISME: Lyon III demande la suspension de Bruno Gollnisch, Le Nouvel Observateur, October 13, 2004 (フランス語)
  3. ^ Bruno Gollnisch a reconnu l'existence des chambres à gaz à l'ouverture de son procès, Le Monde, November 8, 2006 (フランス語)

参考文献[編集]

  • 『パリの移民・外国人 欧州統合時代の共生社会』  本間圭一(著) 高文研
  • 『フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼』  畑山敏夫(著) 国際書院
  • 『現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢』  畑山敏夫(著) 法律文化社
  • 『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』  及川健二(著) 花伝社

外部リンク[編集]