市川市

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いちかわし ウィキデータを編集
市川市
市川市旗
市川市章
1937年3月16日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
市町村コード 12203-3
法人番号 6000020122033 ウィキデータを編集
面積 57.44km2
(境界未定部分あり)
総人口 498,654[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 8,681人/km2
隣接自治体 浦安市船橋市松戸市鎌ケ谷市
東京都江戸川区
市の木 黒松
市の花 バラ
他のシンボル 市の鳥 : ウグイス
市の虫 : スズムシ
市の歌 : 市川市歌、
市川賛歌 透明の芯の芯
市川市役所
市長 田中甲
所在地 272-8501
千葉県市川市八幡一丁目1番1号
北緯35度43分18.9秒 東経139度55分51.8秒 / 北緯35.721917度 東経139.931056度 / 35.721917; 139.931056
市川市役所
外部リンク 市川市

市川市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 河原地区が江戸川区との境界未定
ウィキプロジェクト
黒松の茂る街並(菅野)
江戸川(国府台)

市川市(いちかわし)は、千葉県北西部の葛南地域に位置する都市。旧東葛飾郡葛飾郡)。千葉市船橋市松戸市に次いで千葉県では人口第4位。東京都特別区部への通勤率は46.5%(平成22年国勢調査)。

概要

市川市は、江戸川および旧江戸川をはさんで東京都の隣、都心から15km-20km圏内に位置し、首都圏ベッドタウンとして発展している。

南部は新興住宅地としてひらけているが、北部から東部にかけては傾斜地等には豊かな自然が斜面林などとして残っている。市中央部の市川真間菅野新田平田八幡などは市の木であるクロマツも多く静かなたたずまいであり、これらの地区は戦前から東京都心(神田・日本橋・京橋等)、東京下町(本所、深川、柳橋、浅草橋等)の富豪が別荘を構え、戦後もお屋敷街を形成する高級住宅地となっている[1]。過去には永井荷風幸田露伴(次女の幸田文、孫の青木玉も同居)、北原白秋など数多くの文人が好んで住み、市川に関する記述がある作品も多く、これら文人の足跡が市民団体や市などの手で「市川文学の散歩道」として残されている。歴史のある町なので古刹なども数多く残されている。

しかしながら、近年は大邸宅も相続等の関係で切り売りされたり、マンションや駐車場に変わってしまい少なくなっている。また、社会となり路地が狭く入り組んでいる等、不都合ともなっている箇所も多く、人口の増加や開発も進み閑静な風情も薄れつつある。

地理

千葉県の北西部にあり、市の西部は江戸川と旧江戸川を挟んで東京都江戸川区と接している。北部は松戸市、東部は船橋市、北東部は鎌ケ谷市と接し、南部は浦安市、東京湾と接する。市の南部は海抜2m程度の平野で、北部は海抜20m程度のなだらかな台地となっている。最高点は国府台地先、里見公園内で30.1m。最低点は福栄地先で0.1mとなっており、一部で海抜ゼロメートル地帯が広がる。

  • 地質学において東北日本と西南日本の境目とされるフォッサマグナ東縁の柏崎千葉構造線が北西-南東走向に貫いている。
    • 市川市と船橋市の境界付近から東京湾沿いに千葉市中央区付近まで延びる長さ約22kmの東京湾北縁断層の存在が推定されていたが、調査の結果、推定されていた位置を含め調査した範囲内には活断層は確認されなかった。(千葉県の見解)
    • 1992年(平成4年)度の県の調査結果に加え、国の地震調査研究推進本部地震調査委員会においても、2001年(平成13年)11月に、「東京湾北縁断層は活断層ではない」との評価を公表した。

市域

  • 広袤(こうぼう):東西8.2 km 南北13.4 km

自然

歴史

市川・真間・菅野・八幡・鬼越近辺は、国道14号線より山側に、旧別荘地から近郊住宅地に変貌したが、黒松のある高級住宅地地域がある。

市川市域は、縄文時代の昔より栄えた地域で、市内には堀之内貝塚姥山貝塚曽谷貝塚等多数の貝塚があり、その集中度は国内最大級である。また、律令時代には市域に下総国国府が置かれた。市内の真間に手児奈という絶世の美少女がいたという伝説があり、そのうわさは遠く都にまでとどき万葉集に詠まれるほど有名で、当時は東国(関東)を代表する地域だった。

市川の地に人が住みはじめた歴史は古く、市内北部の台地上には、旧石器時代の遺跡がいくつかある(丸山遺跡、権現原遺跡、今島田遺跡等)。また、貝塚等縄文時代の遺跡は約60箇所にのぼる。さらに、弥生時代の遺跡も何箇所かある(須和田、杉ノ木台、小塚山、宮久保、国府台等)。

市川市の中でも、国府台より広がる高台は、常に市川一帯の歴史を担ってきた。古墳時代初めには小集落ができた(北根、前原、鳴神山、杉ノ木台)。古墳はこのときはまだない。その後、この高台上にも多くの古墳が築かれた。法皇塚古墳(東京医科歯科大構内)、弘法寺古墳(真間山弘法寺敷地内)、明戸古墳(里見公園内)の3基の前方後円墳のほか、国府台近辺だけで約30箇所の古墳があったと推定されている(国府台古墳群)。

その後、国府台に律令制により国府が置かれ、下総国の中枢となった。10世紀には平将門の乱に巻き込まれ、12世紀には石橋山の合戦に敗れて安房国に落ち延びた源頼朝が、上総広常と下総国府で合流して軍勢を立て直した。15世紀には太田道灌が国府台に仮陣を置き、その弟の太田資忠国府台城を築城した。16世紀には、国府台城は、里見義堯里見氏後北条氏との間で2度にわたり戦われた国府台合戦の舞台となった。

戊辰戦争の際には、江戸を脱出した大鳥圭介が率いる旧幕府陸軍が、国府台に集結した。これに土方歳三らの新撰組も合流した。すぐに大鳥・土方らは宇都宮を経て日光へ向かったが、その後、別の旧幕府軍(撤兵隊)と官軍の戦いが、この台地下の市川から船橋にかけて戦われた(市川・船橋戦争)。

幕末、国府台地区は勝海舟によって国会議事堂の選定地として考慮に入れられたこともある[要出典]

また、1875年(明治8年)には、教育機関の最高学府として国府台大学校計画(この計画は岩倉使節団 に随行して欧米諸国の大学校を調査してきた田中不二麿を中心に「欧米二通ズ真ノ高等大学校」の実現を目指して計画されたもので、現在の東京大学とは別の教育機関として構想されたものだった。)が持ち上がり、具体的なもまとまり、土地の買収も進められていたが諸事情により実現しなかった。

さらに1885年(明治18年)には都心からのアクセスがよく、渡河訓練をはじめ、各種訓練に適した立地に恵まれていたことから、大学校用地跡に陸軍教導団が置かれた。教導団は1899年(明治32年)に廃止されたが、その後、陸軍の野砲兵連隊・国府台陸軍病院などが置かれ、市川は軍都として栄えた。

終戦後、陸軍の広大な土地は、国立国際医療研究センター国府台病院(旧・国府台陸軍病院)、国府台スポーツセンター、東京医科歯科大学千葉商科大学和洋女子大学筑波大学附属聴覚特別支援学校千葉県立国府台高等学校市川市立第一中学校、千葉県血清研究所の各施設に変わった。

国府台以外の地区についていえば、中山地区は、中山法華経寺の門前町として発展した。行徳地区は成田街道の宿場町として、また江戸川水運の中心地として発展した。また、近世における行徳地区の製塩業は有名である。

年表

市川市の由来

市川町、八幡町、中山町、国分村の3町1村の合併の際、協議案として市名には旧町村名を使用しないこととして、「江東市」、「東葛市」、「下総市」、「北総市」、「総府市」などの候補が挙げられたが[2]、名称が決まらず、業を煮やした市川町代表が大反対。総武線秋葉原駅には「両国市川千葉方面」という案内があり、市川という地名が既に一般の人々に馴染み深く、縦と横に「市川市」と書き、どこから読んでも市川市でわかりやすいという語呂の良さから「市川市」を提案したが市川町以外の反対にあい、話し合いが縺れて一時は合併話が一度暗礁に乗りかけるも、各町村間で何度も何度も協議を重ねた末、1934年9月に市名が「市川市」に決定し、「各町村の要望の実現に努める」といった条件で市役所等市の中枢施設は地理的中心の旧八幡町に置かれた[3]

市川の名称は市西端に流れる江戸川が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に川舟が集まり定期的に市が開かれていたことに由来するという説の2つが有力で、市川の地名が初めて登場するのは『義経記』。石橋山の戦いで敗れ安房で再起した源頼朝が、軍勢を率いて下総の松戸庄市河に達するという記述がある。

人口


市川市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政

  • 財政は豊かであり、地方交付税のうち財源不足の自治体に交付される普通交付税の交付を受けていない。
  • 職員給与が国家公務員よりも高く、平成23年の地方公務員給与実態調査の結果によると全国の自治体の中で6位であり、ラスパイレス指数103.8(全国平均は98.9)。平成22年は104.0で全国3位。(この指数は、国家公務員の給与を100とした場合の地方公務員の給与水準)
  • 職員の採用試験を有料とし、申込みに際して受験料を徴収している。こうした職員採用試験の受験料の徴収について総務省は「自治体が自治体職員採用試験で受験者から受験料を取るのは、地方自治法の規定に違反する。」という見解を出している。地方自治法第二百二十七条は、住民票交付など住民に利益を与える事務では手数料を徴収できると規定しているが、総務省は「自治体職員の採用試験は、自治体のための事務であり徴収はできない。」としている。
  • 人事院勧告に従い、市役所職員採用の年齢学歴などによる制限を事実上撤廃し、59歳まで出願可能とした。
  • 1997年(平成9年)から行政サービス向上の一環として全国初の仕組み、あらかじめ市役所電話住民票を申請し、午前中申請なら同日午後4時以降、自分の近所の公共施設消防署コンビニエンスストア、市内の商店などで住民票が受け取れる「取次所」を設けている。受け取りの際、認め印と受取人を確認する4桁の暗証番号が必要となる。
  • 個人市民税納税者等が納める税のうち、その1%の相当額を自ら任意に希望指名して地域づくりの主体であるボランティア団体やNPOなど、市民の自主的な活動に対してその団体の事業費(運営費を除く)に当てるよう要請することができるという、全国初の1%支援制度(市民活動団体支援制)がある。2005年(平成17年)度に開始され、2007年(平成19年)から3団体まで支援できる団体数を拡大し、納税者以外が地域ポイントも振り当てられるよう条例改正をした。NHKでテレビ放送されたEUハンガリー国のパーセント法がヒントとなっている[4]
  • 地方自治法第252条の22第1項に定める政令による中核市になる要件を満たしているが、今のところ中核市にはなっていない。
  • 日本で最初に「駅前放置自転車対策条例」(平成4年(1992年(平成4年))12月条例第27号)を施行した。
  • 健康都市推進協議会(2003年(平成15年)12月24日発足)により市民(委託された健康都市推進員などによる)と協働で2004年(平成16年)11月WHO健康都市を宣言し取り組んでいる。2008年(平成20年)10月健康都市連合国際大会が開催され、「健康都市市川宣言」[5] を採択した。
  • 市内を南北に貫く東京外環自動車道の建設が計画されており、一部着工されている。市は推進の立場をとっているが、市内の自然史跡を傷つける、大気を汚染する、市の東西の交通障害となる、住み慣れた土地をなぜ離れるのか等の理由から、環境保護運動その他いくつかの住民団体による反対運動も長期間に渡り続けられている。本道路市川部分の開通は2017年度(平成29年度)である。
  • 2007年(平成19年)4月27日 - 同年2月の議会での「政令指定都市検討促進決議」を受け、市川市、船橋市松戸市鎌ケ谷市が、この圏域の将来的な選択肢の一つとして、合併政令指定都市への移行に関する共同研究を目的とした「東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会」[6](2008年9月1日現在の4市推計人口1,649,569人)を設立した。同研究会は2009年3月研究報告書を出した。この研究報告により合併のメリットがさほど見いだせないことがわかり、中央においても合併論が下火になったこともあり、合併推進論は全く語られなくなった。
  • 2008年(平成20年)10月26日 - 市で初めての還暦式が行われた。地方自治体が催す式典としては先陣の一つとされる。
  • 2009年(平成21年)9月11日 - 市議会市民の意見も参考に条例改正を可決し、2010年(平成22年)4月から路上などのの放置や不始末と空き缶ポイ捨て過料2,000円を科すとした。これらの過料日本で初めてとされる[7]
  • 2010年(平成22年)10月23日-24日 - 市政戦略会議は公募市民を12人含む30人の委員により20事業25項目を対象とした初めての事業仕分けを行った[8]

市長

歴代市長[10]
氏名 就任日 退任日 備考
官選市川市長
1 - 3 浮谷竹次郎 1934年(昭和9年)12月6日 1940年(昭和15年)4月28日
4 稲内精二 1940年(昭和15年)6月11日 1941年(昭和16年)10月7日
5 林幸司 1942年(昭和17年)7月1日 1943年(昭和18年)12月5日
6 高橋統閭 1944年(昭和19年)3月5日 1946年(昭和21年)11月11日
公選市川市長
7 - 8 浮谷竹次郎 1947年(昭和22年)4月9日 1955年(昭和30年)5月1日
9 織田智 1955年(昭和30年)5月2日 1956年(昭和31年)2月15日
10 - 12 浮谷竹次郎 1956年(昭和31年)3月25日 1964年(昭和39年)12月15日
13 浮谷元吉 1965年(昭和40年)1月31日 1965年(昭和40年)12月12日
14 - 15 富川進 1966年(昭和41年)1月30日 1974年(昭和49年)1月29日
16 鈴木忠兵衛 1974年(昭和49年)1月30日 1977年(昭和52年)12月11日
17 - 21 高橋國雄 1977年(昭和52年)12月25日 1997年(平成9年)12月24日
22 - 24 千葉光行 1997年(平成9年)12月25日 2009年(平成21年)12月24日
25 - 26 大久保博 2009年(平成21年)12月25日 現職

警察

消防

国の機関

立法

市議会

  • 定数:42名
  • 任期:2015年(平成27年)5月2日~2015年(平成31年)5月1日
  • 議長:岩井清郎(みらい、7期)
  • 副議長:松永鉄兵(緑風会、3期)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
創生市川 10 ◎加藤武央、鈴木雅斗、小泉文人、田中幸太郎、松永鉄兵 、稲葉健二、荒木詩郎、松永修巳、金子正、岩井清郎
公明党 8 ◎堀越優、久保川隆志、中村よしお西村敦、浅野さち、宮本均、大場諭、松葉雅浩
自由民主党 5 ◎佐藤ゆきのり、ほそだ伸一、青山ひろかず、中山幸紀、かいづ勉
日本共産党 5 ◎金子貞作、髙坂進、清水みな子、廣田德子、桜井雅人
無所属の会 5 ◎越川雅史、長友正徳、増田好秀、湯浅止子、松本のり子
民主連合社民 4 ◎守屋貴子、石原よしのり、かつまた竜大、佐藤義一
清風会 3 ◎竹内清海、石原みさ子、松井努
維新の党・花の会 2 ◎三浦一成、片岡きょうこ

※2015年5月22日現在。

千葉県議会(市川市選挙区)

  • 定数:6名
  • 任期:2015年(平成27年)4月30日~2019年(平成31年)4月29日
氏名 会派名 当選回数
赤間正明 公明党千葉県議会議員団 5
坂下しげき 自由民主党千葉県議会議員会 2
守屋貴子 民主党千葉県議会議員会 1
岡田幸子 日本共産党千葉県議会議員団 3
鈴木衛 自由民主党千葉県議会議員会 3
プリティ長嶋 千葉県民の声 2

※2015年4月30日現在。

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
千葉県第5区(市川市の一部、浦安市 薗浦健太郎 自由民主党 3 選挙区
千葉県第6区(市川市の一部、松戸市 渡辺博道 自由民主党 6 選挙区

経済

産業

  • 主な産業
    • 農業: 1993年(平成5年)時点で地理学者の森本健弘によれば、市川市は不耕作農地率が関東地方の大都市周辺部では高いが、集約的な農業的土地利用がなされている[11]2006年(平成18年)の千葉県青果物生産出荷統計によれば、の生産高・産出額は千葉県内第一位[12]。千葉県における梨栽培発祥の地(1769年に川上善六が創始)でもある[13]。「市川のなし」と「市川の梨」が2007年(平成19年)8月地域団体商標に登録された。
  • 臨海部(埋立地)、江戸川沿い(田尻など)が工場の多い地域である。

主な企業

再開発事業

本八幡駅北口地区

  • 1999年(平成11年)11月:本八幡キャピタルタワー竣工、地上24階、地下2階。市川市初の高層ビル。
  • 2003年(平成15年)2月:プリームスクエア本八幡竣工。地上24階、地下2階
  • 2009年(平成21年)3月:ガレリア・サーラ竣工。地上34階、地下2階。市川市初の優良建築物等整備事業[14]
  • 2013年(平成25年)5月:グランドターミナルタワー本八幡竣工。地上40階、地下2階[15]

市川駅南口地区

I-linkタウンいちかわも参照

  • 2009年(平成21年)1月:西地区、ザ・タワーズ・ウエスト竣工。地上45階、地下2階。
  • 2008年(平成20年)7月:東地区、ザ・タワーズ・イースト竣工。地上37階、地下2階。

漁業

  • 市川漁港
  • 行徳漁港

姉妹都市・提携都市

地域

都市合併

市川市や船橋市、松戸市、鎌ケ谷市などが、合併や政令指定都市移行に関する研究をしていたが、2009年(平成21年)3月研究報告書を出した。上記、行政参照。

住宅団地

  • 市川真間団地(市川 市街地住宅 賃貸51、1963年(昭和38年))
  • 市川中山団地(旧日本住宅公団、1965年(昭和40年))
  • 二俣団地
  • 姫宮団地

交通

道路

路線バス

鉄道路線

※市役所の最寄り駅は京成八幡駅、本八幡駅だが、JTB時刻表では市川駅が中心駅と記載されている。

港湾

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

史跡

  • 堀之内貝塚 - 国の史跡
  • 姥山貝塚 - 国の史跡
  • 曽谷貝塚 - 国の史跡
  • 八幡の藪知らず - 「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名で、慣用句にもなっている。
  • 里見公園 - 国府台城の跡地
  • 千葉県血清研究所建物跡 2008年12月県議会での議員の質問等から、市川市が県に跡地の買い取りを要望していることがわかったが、その後市は取りやめた。ここには、明治37年以前の建設と推測される旧陸軍の赤レンガの建物が残っている。この建物は建築史的にも価値のあるものであるとして、市民や学者などから保存を求める運動が起こっている。しかし、県及び市の保存に向けた動きはにぶい。現在のところ、一般公開は年1回程度、地元の市民団体「赤レンガを守る会」が県に働きかけて実施している。

社寺

動物園・植物園・図書館・博物館・科学館

スポーツ施設

その他

文化財

番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 典籍 観心本尊抄 附 添状1巻 春日山蒔絵筥 1合 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和27年3月29日 文永十年卯月廿五日奥書
1 立正安国論 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和27年3月29日 文永六年十二月八日書写奥書
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 建造物 法華経寺五重塔 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 元和8年建立
2 法華経寺法華堂 附 棟札5枚 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 室町時代後期
3 法華経寺四足門 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 室町時代後期
4 法華経寺祖師堂 附 棟札11枚 中山二丁目10番1号 法華経寺 大正5年5月24日 延宝6年建立
5 絵画 絹本著色十六羅漢 中山二丁目10番1号 法華経寺 明治37年2月18日 時代
6 絹本著色日蓮聖人像 中山三丁目10番4号 浄光院 昭和27年7月19日 鎌倉時代
7 古文書 日蓮自筆遺文 附 蒔絵聖教箱2合 中山二丁目10番1号 法華経寺 昭和42年6月15日 鎌倉時代
  • 市内の史跡(国指定)一覧
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 指定年月日 備考
1 史跡 堀之内貝塚 堀之内二丁目2899番地他 市川市・他 昭和39年7月6日 縄文時代後期・晩期。馬蹄形貝塚。
2 姥山貝塚 柏井町1195番地他 市川市 昭和42年8月17日 縄文時代中期及び後期。
3 下総国分寺 国分三丁目20番1号他 国分寺・他 昭和42年12月27日 法隆寺式伽藍配置
4 下総国分尼寺 国分四丁目17番1号他 市川市・他 昭和42年12月27日 無し
5 曽谷貝塚 曽谷二丁目438番地1他 市川市・他 昭和54年12月22日 縄文時代後期。大規模な馬蹄形貝塚。
番号 種別 名称 所在地 所有者又は管理者 登録年月日 備考
1 建造物 西洋館倶楽部(渡辺家住宅) 新田 個人 平成11年7月8日 昭和2年竣工。木造3階建。

文化

市の歌

市川市歌

1949年(昭和24年)制定。歌詞は公募による。

市川賛歌

市歌の詞に描かれた風景と実情が時代とともに変化してきたことから、1999年(平成11年)に市川賛歌制作市民委員会の要請により作曲された。

  • 題名:透明の芯の芯
  • 副題:市川賛歌
  • 作詞:宗左近
  • 作曲:三善晃
  • 作曲年:1999年(平成11年)
  • 初演日:1999年(平成11年)11月4日

作詞家・作曲家とも日本を代表する重鎮だが、詞中にある言葉のユニークさから2ちゃんねるをはじめとする一部のネットコミュニティで爆発的に受け、同じ顔ぶれの作詞作曲による福島県立清陵情報高等学校校歌とともに有名となった。

出身著名人

市川に由縁がある著名人

その他

市内の学校

大学

高等学校

中学校

小学校

関連項目

脚注

  1. ^ 千葉県市川市
  2. ^ 市川市勢総攬
  3. ^ 「広報いちかわ」1500号より
  4. ^ 茶野順子. “パーセント法基礎講座”. 笹川平和財団. 2009年10月13日閲覧。
  5. ^ 健康都市市川宣言” (PDF). 市川市 (2008年10月25日). 2008年12月22日閲覧。
  6. ^ 東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会”. 2008年12月22日閲覧。
  7. ^ 読売新聞2009年9月12日13S版31面
  8. ^ 広報いちかわ2010年12月18日No.1407、4・5面
  9. ^ いちかわケーブルネットワークの株式取得のお知らせ、ジャパンケーブルネット株式会社。
  10. ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。『朝日新聞』。
  11. ^ 森本健弘(1993年)"千葉県市川市柏井町四丁目における不耕作農地の形成と農業経営"地理学評論Ser. A(日本地理学会).66(9):515-539.(517ページより)
  12. ^ 林容史"東京新聞:放射性物質未検出「市川の梨」出荷へ 吉報に市長ら初物味わう"東京新聞、2011年7月30日(2011年8月8日閲覧。)
  13. ^ 千葉県"梨「ちば旬鮮図鑑」"(2011年8月8日閲覧。)
  14. ^ 優良建築物等整備事業とは国土交通省
  15. ^ 地上41階建てで約370戸の住宅が入る共同施設の建設(平成20年度着工予定) 店舗、業務、住宅の用途
  16. ^ 文学の散歩道
  17. ^ 2012年8月24日発売『前田敦子 AKB48卒業記念フォトブック『あっちゃん』』(講談社)P.18。

外部リンク

行政
観光