沢田泰司

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沢田泰司
基本情報
出生名 沢田泰司
別名 TAIJI
沢田大司
TAIちゃん
出生 1966年7月12日(43歳)
血液型 A型
出身地 千葉県市川市
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
職業 ギタリスト
ベーシスト
作曲家
アレンジャー
担当楽器 ベースギター
ギター
共同作業者 X
LOUDNESS
D.T.R
Kings
Cloud Nine
音風
影響 ディープ・パープル
レインボー
LOUDNESS
レッド・ツェッペリン
ANTHEM
公式サイト TAIJI Official Web Site
  

沢田 泰司(さわだ たいじ、1966年7月12日 -)は千葉県市川市出身のミュージシャン。愛称は「TAIJI」、「TAIちゃん」。

目次

[編集] 概要

XLOUDNESSD.T.RCloud Nineベーシストギタリストアレンジャー作曲家。実妹に魔法戦隊マジレンジャーのED主題歌等を唄ったSister MAYOがいる。

日本のロック界に多大な影響を及ぼしたバンド、Xでメジャーデビューしたベーシスト。またベースのみならずギターもプレイし、X在籍時からアコースティックギターによる楽曲も数多く残している。現在の活動については後述する。

芸名については、ディメンシア時代は「Ray」、X時代は「TAIJI」と名乗り、LOUDNESS加入以降は本名で活動している。D.T.Rでは一時期、芸名を「沢田大司」(読みは本名と同じ)と変更していた頃もあったが、これはメンバーに同名の藤本泰司がいたためである(現在では再び本名の「泰司」に戻している)。近年はX時代の「TAIJI」表記を使用する事もある。

結婚歴があり、一男一女をもうけたが、後に離婚し、現在は独身である。

ファンクラブは「ガソリン・カウボーイ」。元々は沢田の個人ファンクラブだったが、後にD.T.Rのファンクラブとしても活動し始めた。現在は解散。

[編集] 来歴

  • 1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。兄弟は他に兄と妹が一人ずつ。2歳の時、親がやっていた工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。
  • 1974年、小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3ヶ月後のクラス会で初ステージ。曲は「禁じられた遊び(正確には映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」)」だった。
  • 1978年-、中学生になると家庭の事情(両親が離婚し、母親が再婚したらしい)もあって、非行にはしる。本人曰く「中学3年までにケンカ、バイク、シンナー、女の類は全部やった」とのこと。初めて買ったレコードジョン・デンバーの『スウイート・サレンダー』と自称していたが、実際は西城秀樹の『薔薇の鎖』であるとのこと。
  • 1982年千葉明徳高等学校に進学して、エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになる。同時にバンドも組み、アイアン・メイデンレインボーディープ・パープルキッスモーターヘッドLOUDNESS子供ばんどなどのコピーにいそしむ。プロのミュージシャンになるため僅か一年で中退。この時、「トラッシュ」というバンドを結成(当時はギタリスト)。沢田の作ったオリジナルの曲でコンテストを勝ち抜いた。またベスト・ギタリスト賞も受賞。
  • 1985年、友人のバンド「ディメンシア」でベースをプレイした事がきっかけで、ベーシストへ転向。ディメンシア時代はRayという名を名乗っていた。その後、ディメンシア脱退後はプローラーに加入するも、リーダーのセイブン (Vo)と反りが合わずライブを一度も行うことなく脱退。また家も勘当され、一時期渋谷のラブホテルで住み込みのアルバイトをして暮らしていた(Xのメジャーデビュー後のライヴに両親を招待し、和解したらしい)。
  • 1986年、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入。当時沢田はXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、音楽性を変えることを条件にXに加入することになったと語っている(1992年に雑誌「Fool's Mate」でのインタビューから)。その後一度脱退しているが、また戻ってきている。この時のXは、インディーズの頃からメンバーに課せられる出費が大きく、とてもアルバイトでは追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまでお金を用意していた。ひどい時は電気を止められ、食べる物を買うお金がなくなり、コンビニエンスストアでパンを盗んで飢えをしのいでいた。
  • 1989年、Xメジャーデビュー。1991年頃からスタジオミュージシャンとしての契約になる。
  • 1992年1月31日、X脱退(実質的には解雇)。ラストステージは1月7日東京ドーム3days。原因は、Xの中で有るルールを守ら中ったのと、収入格差に文句を言ったのとYOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になってYOSHIKIとの間に軋轢が生じたからではないかと沢田自身は自伝にて述べている。Xからの公式な発表では音楽性とファッションの違いとされていたが、YOSHIKI自伝「佳樹」の中で「TAIJIのベースはXに必要だったが、YOSHIKIとTAIJIの間での約束をいとも簡単に破ったこと」が原因として挙げられた。
  • 1992年4月頃、親交のあったLOUDNESSに前任ベーシスト山下昌良の推薦で加入。芸名をTAIJIから本名の沢田泰司に改める。
  • 1993年11月、LOUDNESS脱退。この年LOUDNESSは契約上のトラブルで解散状態になっていた。その後リーダーの樋口宗孝よりLOUDNESS再始動の呼びかけがあったものの、解散状態であった時期にLOUDNESSの活動を諦め、ソロアルバムの制作(後のD.T.R)を決めていた為にタイミング的に再集結を辞退し、脱退せざるを得なかった。再始動を呼び掛けたリーダーの樋口自身もその直後に脱退。以後高崎以外のオリジナルメンバーを全て失ったLOUDNESSは2000年のオリジナルメンバー復活まで高崎晃プロジェクトに近い形で活動を行う事になる。
  • 1994年7月、自身がリーダーを務めるDirty Trash Roadを結成。バンドと同名のアルバム「Dirty Trash Road」とそのアレンジ違いの「Dirty Trash Road~Acoustic」を二枚同時発売する。
  • 1995年、芸名を本名から沢田大司に改名、またバンド名を略称のD.T.Rを正式名称に変更。D.T.Rの2ndアルバム「Daring Tribal Roar」をリリース。またNIGHT HAWKSの青木秀一の呼びかけで聖飢魔IISgt.Luke篁III世参謀(現・CANTAルーク篁)、44MAGNUMZIGGY宮脇“JOE”知史らと共にKingsを結成。アルバムをリリースする。
  • 1996年頃、D.T.R事実上の活動休止。ほぼ同時期に経済的な理由で妻とは離婚。以降、約2年に渡って放浪生活を送る。この頃は、ホームレス状態だったという。ホームレス状態の時喧嘩をし前歯を折られるなどの被害に遭う。      
  • 1998年5月、hideの葬儀に出席し、久々に旧友たちと再会を果たす。その後、彼らの支援によって活動を再開する。この頃に芸名を本名の沢田泰司に再び戻す。やがてCloud Nineを結成するも、Cloud Nineでは出来ないアコースティックな音楽も志向しているという理由で間もなく脱退。(しかしメンバーとは良好な関係を続けていた。)その後音風を結成してギターとベース・ギターを兼任で在籍。音風には、ボーカリストとして実妹のMASAYOも在籍。
  • 2005年、バイク事故を起こし足の靭帯を切断するほどの大怪我を負う。手術費用工面のため、フェンダーのベースをインターネットオークションに出品する事になる。
  • 2006年1月8日にMASAYOの脱退が音風公式サイトで発表された。また、同年7月30日より再びD.T.Rの活動を再開、個人としては初となるオフィシャルサイトがオープン。そして、シルバーアクセサリーブランド「DTROCKERS」を立ち上げる。
  • 2007年6月13日、HOLIDAY SHINJUKUにて開催された元COLORのMARRYの追悼GIG「6.14 Memorial LIVE TOKYO」にゲスト出演。RAPESの新谷の呼びかけによるものである事をブログで明かしている。ステージで「何故ここに来たかと言うとMARRYは友達だから。MARRYの事が好きだから」とMCをした。
  • 2007年10月、Cloud Nineより、ベーシストのMARUが脱退したため、Cloud Nineに期間限定で電撃復帰。期間限定とはいつまでなのかは詳しいリリースがない為、現時点では定かではない。その前後でD.T.Rサイトのリンクから沢田泰司公式ページへのリンクが削除された(メンバーページには沢田の名前写真が残っている)為、D.T.Rでの活動の行方も定かではない。
  • 2008年7月公開の映画「attitude」で音楽監督を務める。自身のブログでは大仁田厚へ楽曲提供を行うことも発表された。
  • 2008年9月、持病のてんかん脳梗塞が悪化、左足大腿骨頭壊死による人工股関節が外れ緊急手術。歩行困難となり、12月2日に転倒事故で胸と喉を強打し入院したことが自身のブログで(スタッフによって)明らかにされた。
  • 2009年7月、80年代に「東のX、西のCOLOR」として一世を風靡した、元COLORのボーカリストダイナマイト・トミーらとともにバンド「The Killing Red Addiction(KRA)」を結成。ロサンゼルスのWhisky A GoGoという、ロックバンドの聖地的なライブハウスでお披露目ライブを開催した。

[編集] 参加作品

[編集] プレイスタイル

[編集] ベーシストとして

  • キャリアのほとんどのバンドがいわゆる「ヘヴィメタル」や「ハードロック」と呼ばれるような音楽であるが、ベースプレイにおいては固定観念に縛られない幅広いアプローチを得意とする。また沢田はバンドの支えであるベースが乱れていてはバンド自体が成り立たないということで、自分は誰よりも練習していたと語っている。
  • テクニックとしては、ピックで弾くピック弾き人差し指中指の2本で弾くアポヤンド奏法ツーフィンガー・ピッキングとも。ただし、人差し指と中指を用いる一般的なやり方ではなく、沢田は人差し指と薬指の2本を使うという変則的なスタイル。これは幼少時に負った怪我が原因だとロッキンf上で本人が語っている)、右手の親指で弦を叩くように弾くスラップ奏法チョッパー)が中心。ベースソロには速弾きライトハンドまたは両手タッピング(ボスハンド奏法)、スラップをふんだんに使ったテクニカルなソロを展開している。
  • 楽器としては最も一般的な4弦エレキベースを中心に、5弦ベースフレットレスベース、更にはベースとギターのダブルネックも使う。
  • 彼のプレイスタイルをLOUDNESSの樋口宗孝は、即興で叩いたドラミングに合わせて沢田が弾いたベースフレーズを絶賛したり、また、樋口がLOUDNESSを脱退した直後にも沢田に「泰司とはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と声を掛けたりしていたそうで、滅多にミュージシャンを褒めない事で有名な樋口にとってもかなりお気に入りのベーシストであるらしい。また、ふとしたことから沢田とステージに立つ機会があったセッションドラマーのそうる透にも「光ってるベーシストに今まで何人も会ったけど、泰司は僕の探してるドラゴンボールの1つのようなベーシストだ」と絶賛されている。
  • X在籍時には、ライトハンドタッピングやスラップ奏法(チョッパー)によるベースソロを導入したり、アルペジオによって独特の演出を施したりしている。
  • LOUDNESS在籍時には、ギターとのユニゾンプレイによる重厚なアンサンブルを作り出す事に徹底している。高崎晃との高速リフにおけるユニゾンはもちろん、「ジャック・オフ・ビブラート」と呼ばれるテクニックまで揃える。そして各所で盛り込まれる流麗なフレーズや、かつてのLOUDNESSには見られなかったスラップ奏法によるベースソロをフィーチャーしている。
  • D.T.R在籍時には、あえて音数を少なくして贅肉を削ぎ落とす事で、アンサンブルの中でより存在感の際だつラインが増える。またベースソロと呼べるような場面も少なくなっており、派手さはないもののどっしりとした貫禄すら感じさせるスタイルになっている。
  • Cloud Nine在籍時には、ベースのチューニングを極端に下げた超低音を繰り出すサウンドで、音数を減らしてうねりを出しつつも、要所要所で高速ユニゾンやスラップ奏法も取り入れるなど、エクストリーム・ヘヴィ・ミュージックの固定観念にとらわれないオリジナリティ溢れるスタイルだった。
  • 音風では、他にベーシストが在籍していた事もあって沢田本人がベースをプレイする機会は少なかった。が、ライヴでは沢田がベースソロをやるための時間が設けられており、時にはエフェクターを多用したテクニカルなベースソロを披露した。

[編集] ギタリストとして

  • X~D.T.R在籍時には、ベーシストでありながら同時にアコースティックギターをプレイする機会も多かった。アマチュア時代には元々ギタリストとしてスタートしている事もあって、その技術力は高い。特徴としては、ピッキングする際の右手の位置を、ギターのブリッジに近い所へ固定して弦をはじくというもので、これによって通常よりも輪郭のはっきりとした、アタック感の強い音を出している。
  • X在籍時の大作「VOICELESS SCREAMING」(JEALOUSY収録)はギターを沢田自らがプレイしているが、その楽曲はギター担当のHIDEが「難しくて弾けない」と言っている。
  • LOUDNESS加入時にギターの腕を披露する機会が有り、その実力に高崎晃をも唸らせたらしい事から演奏力の高さは相当である。またHIDEはソロデビュー曲「Eyes Love You」のギターソロのタッピングは「TAIJIに教えてもらった」と語っている。
  • 音風では、アコースティックギターのみならずエレクトリックギターもプレイしている。

[編集] 作風

  • バンドサウンドにおける作風は、X在籍時はベーシックなハードロックに、起伏のあるドラマチックな展開を持たせて仕上げているものが多い。特に前期3枚のアルバムにおけるアレンジメントは、ギタリストであるHIDEと沢田との共同作業で行われている事もあって、実に幅が広く緻密で、Xというバンドの持つ音楽的中核を担うものとなっている。
  • D.T.R在籍時は、よりラフで隙間の多い'70年代的なバンドサウンドを標榜しつつ、演奏力やアレンジでは同時代的のものを聴かせるという、ある意味でモダンな作風だった。特にギタリストである藤本泰司とのコンビネーションによって生み出される楽曲はまさに、いい意味で国籍・年代不明のもので、日本のロックバンドでは他に類を見ないオリジナリティを感じさせるものである。
  • アコースティックサウンドにおける作風は、X~D.T.Rの頃まで、展開が多く曲時間も長い、いわゆる大作と呼べるものが多い。一方でギター1本でやる短編的なインストゥルメンタルナンバーや、弾き語り的な作風の曲もある。
  • 音風では、キーボードをふんだんにフィーチャーし、なおかつ女性ヴォーカルである事もあって、非常に聴きやすいキャッチーな作風となっている。ジャンル分けするとすれば元気の良いロックンロールや沢田お得意のアコースティックギターによるバラードという事になるだろう。幾多の困難を乗り越えた末にたどり着いたバンドという事もあり、全く力みも見られず、自然体で音楽を作り出している事がよく伝わって来るものとなっている。特にアコースティックギターによる楽曲は、沢田自身が放浪生活を送っていた頃に生み出されたアイディアが基になっているものもあり、これまで以上に沢田の内面をストレートに表現している。

[編集] 使用機材

ブランド モデル
キラー KB-CRIMINAL Signature "クリミナル・シグネイチャー" X在籍時から現在に至るまで七色に光るフェニックスが特徴の沢田が愛用しているベース。「ブレイスホール」と呼ばれる7つのダクトが通っており、これによって高音と中音のミックスがよくなる。沢田はこのクリミナルにスラップ時に指が入りすぎるのを防ぐためにクリアーピックガードや指弾きしやすいようにフィンガーレストを取り付けたりして色々と改造されている。なお、シグネイチャーモデルには当初は本人仕様の証として出荷前に沢田本人が手にとった上でヘッド裏にサインを記していたが、1995年からインレタ塗装による印刷となっている。
キラー KB-CRIMINAL twinJB "クリミナルベース・ツインJB" D.T.R時代からのメインベース。クリミナルの2号機で特徴としてはジャズベース用のシングルのリアピックアップが2つ搭載され、ハムバッカーとなっている。現在は1シングルになっている。
キラー KB-CRIMINAL camouflage "クリミナル・カムフラージュ" LOUDNESS時代に一時期使用していたベース。クリミナルの迷彩バージョン。最初はフレッテッドであったが、後にフレットレスに改造してある。
キラー KB-CRIMINAL Pro "クリミナル・プロ" 市販されているクリミナル・プロと同じモデル。音風のレコーディングの時にできたフェニックスとD.T.Rの再開に伴って沢田の元へ届けられた3トーンサンバーストカラー。
キラー KB-DESPERADO "デスペラード" X時代中期とクラウド・ナインにおいて使われていたベース。ギブソンレスポールと同じ構造らしい。D.T.R時にはレコーディングにも使用されていた。歪んだ荒々しいサウンドが特徴。
キラー KB-IMPULSS "インパルス" X時代初期〜中期に愛用していたベース。2タイプあり、24フレットと26フレットがある。ミディアムスケールでテクニカルなプレイをサポートしている。なお、26フレットの方は「ROSE OF PAIN」中盤のライトハンドをするために通常のモデルでは困難と判断した沢田がキラーに作らせている。
キラー KB-IMPULSS Black Rose "インパルス・ブラックローズ" X時代初期に愛用されていたベース。こちらはショートスケールとなっている。通常スケールが短くなると音の質が落ちると言われているが、それでも沢田がこのベースを使用しつづけたのは弾きやすかったからだとされている。
キラー KB-VULTURE FRETLESS "ヴォルチャー" Dir en greyToshiyaモデルとして有名だが、キラーのラインナップに加えられたのは1995年。当時はまだまだ調整中でレコーディングやライブには未使用だった。
キラー Killer W-NECK "ヴォルチャーウィング" D.T.Rの「APOCAL YPSE」という曲で使用されるギターとベースが一体化したモデル。特注のため市販はされてない。
フェンダー ジャズベース 「Jealousy」のレコーディングの際にアメリカで手に入れた71年製のベース。時価。
フェンダー ジャズベース フレットレス 元は有名なミュージシャンが弾いていたらしい。
ミュージックマン スティングレイ 同じく「Jealousy」のレコーディングで手に入れたベース。「Standing Sex」などのレコーディングで使用。
フェルナンデス ワーロック インディーズ時代に使用していたもの。沢田がディメンシアに加入したとき、友人から譲り受けたものらしい。沢田後任のHEATHも同メーカーのワーロックを使用しているが、沢田は"FERNANDES"名義の市販モデルでHEATHは"Burny"名義のオリジナルモデルである。
オベーション Ovation 沢田お気に入りのエレアコ。
キラー KG-YOKE ドロップDチューニング用にエクストラ・ロングスケールとなっている。沢田オフィシャルサイトで流れているギターサウンドは全てこの音。
キラー Killer Proto Type 音風のライブで使用されたギター。外見はテレキャスターに似ている。

[編集] 趣味

  • プライベートでは実に多趣味でその1つである料理は相当な腕前。沢田は小学生の頃から、「レストラン泰司」という名前で週末になると数種類の料理を用意して友人に振る舞ったり、ミュージシャンになってからでもレコーディング期間中は自ら料理を作ってバンドのメンバーやスタッフにご馳走したりしていた。最終的にはかなりの技術を身に付けたようで、「しまいには懐石料理まで作れるようになり、その時ばかりはさすがに音楽をやめて、料理人になろうかとまで考えた」とは本人の言葉。無名時代、YOSHIKIと一緒に暮らしていた頃も沢田が料理を作っていたらしい。
  • 中学生の頃から釣りにも凝っており、ある時父親が「ウナギなら一尾500円で買う」と言うので、本気になって一晩で10尾を釣り上げたことがある。他にも様々な種類の雑技に優れていたが、最後までやりたいと思ったのが音楽だったという(自伝「伝説のバンドXの生と死」から)。

[編集] エピソード

  • 子どもの頃からスポーツ万能で、サッカー野球卓球など様々なスポーツに熱中していた。中でも野球はリトルリーグ時代に千葉県大会優勝(小学6年生時)、卓球では市川市大会2位(中学3年生時)という成績を収めている。サッカーは小、中学校つづけてやるが坊主になるのが嫌でやめる。
  • Xのメンバーの衣装を製作していたのも沢田である。浅草橋問屋街へ出掛けては使えそうな小物やアーティスティックな物を買って来て、オリジナルの衣装を作り上げていた。
  • LOUDNESSに加入した当時、Xという一見他のヘヴィメタルファンからは色物ともコミックバンドとも思えるバンド(この頃のXは『天く思わないLOUDNESSファンがステージに立った沢田にブーイングを発したことがある。沢田自身に対する不信感だけでなく、Xから流れてきた沢田ファ才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのバラエティ番組のレギュラーで、番組内での位置づけは【お笑い】担当であった)から来た沢田を快ンの場の空気を無視した「TAIJI」コールも反感を買う元であった。しかし、沢田のプレイが認められるようになると多くのLOUDNESSファンにも支持されるようになり、LOUDNESSとしての人気が一番盛り上がる時期となった。LOUDNESSはそれまでファンの中心層は男性であり、女性ファンはそれに比べると少なかったが、沢田が加入した事によりライヴに女性のファンも多く獲得した。
  • X脱退後から順風満帆とは言い難くなっていたが、特にD.T.Rの活動休止前後からは沢田の人生は坂道を転げ落ちていくように墜ちていく一方になっていった。仕事もプライベートも上手くいかず、精神的にもすさみ、荒れた生活を送るようになった。妻からも離婚を突きつけられ、家を出た沢田は上野でホームレスとして生活するまでになった事は有名である。その後、ずっと疎遠であった実母から援助を受け安アパートで新たな生活を始めるが、自殺未遂を図るなど精神的に不安定な状態が続いていた。
  • その後も酒の飲み過ぎで肝臓を壊したり、精神的な病にかかり入院するなど不安定な状態が続く。その後しばらくは精神的な不安定さはほとんど見られなかったようだが、今度はバイク事故を起こし、一生松葉杖を使い続ける覚悟をしなければならない様な大怪我を負い、心身ともに満身創痍の状態に陥る。だが、今はやっと立った状態で演奏出来るまでに回復し、体に負担を掛けないようにマイペースで音楽活動を続けている。
  • 1998年hideの訃報の際には自身の生活もままならない中で葬儀に駆けつけた。その際、ケンカで折られた歯をYOSHIKIに見られ、後日YOSHIKIから200万円ほどの金を渡されたとのこと。[1]
  • X時代の名曲、「WEEK END」のアレンジの際にベースラインにANTHEMの代表曲「WILD ANTHEM」のベースラインにヒントを得てアレンジをしたと2006年発売のロッキンfでの柴田直人との対談で新事実を明かした。
  • デッド・ワイヤー時代、当時SAVER TIGER(現・横須賀サーベルタイガー)のメンバーだったhideがドラムのTETSU(現D'ERLANGER)を強引に引き抜いてしまい、バンドは解散、二人の仲は険悪になってしまった。しかし、hideがXに加わった頃には、和解した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 「伝説のバンド「X」の生と死―宇宙を翔ける友へ」徳間書店 (2000/04)に記載