徳島市
とくしまし 徳島市 | |||
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国 | 日本 | ||
地方 | 四国地方 | ||
都道府県 | 徳島県 | ||
市町村コード | 36201-8 | ||
法人番号 | 6000020362018 | ||
面積 |
191.52km2 | ||
総人口 |
245,349人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||
人口密度 | 1,281人/km2 | ||
隣接自治体 |
小松島市 板野郡:松茂町、北島町、藍住町 名西郡:石井町、神山町 名東郡:佐那河内村 勝浦郡:勝浦町 | ||
市の木 | ホルトノキ | ||
市の花 | サクラ | ||
市長 | 原秀樹 | ||
徳島市役所 | |||
市長 | 遠藤彰良 | ||
所在地 |
〒770-8571 徳島県徳島市幸町二丁目5番地 | ||
外部リンク | 徳島市 | ||
ウィキプロジェクト |
徳島市(とくしまし)は、日本の四国北東部に位置する都市で、徳島県の県庁所在地である。旧名東郡[1]。キャッチフレーズは「心おどる水都・とくしま」。
概要
徳島市は江戸時代に徳島藩の城下町として栄え、幕末には藍産業の進展で国内で人口が上位10位に入る城下町となった。徳島県の政治・経済・文化の中心都市であり、四国地方でも最大規模の都市の一つである。
古来より近畿地方との繋がりが強く、現在でも神戸淡路鳴門自動車道や関西地方のテレビ、ラジオを通じて人的・物的・経済的な交流が盛んである。地理的には「四国三郎」と呼ばれる吉野川の河口に位置し、紀淡海峡に面している。
毎年8月のお盆期間に開催される当市の阿波おどりは日本の著名な伝統芸能の一つであり、阿波踊り期間中の4日間に日本国内外から約130万人の観光客が訪れる[2]。
地理
吉野川河口に位置し、その三角州上に発達した都市である。当市内には138の川が流れる。当市の大半は徳島平野に位置し平坦であるが、ほぼ中央には当市のシンボルである眉山がそびえ、風光明媚な景観を創り出している。南部は山林が広がる山間部となっている。
広袤(こうぼう)
国土地理院地理情報によると徳島市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは19.33km、南北の長さは19.44kmである。 |
主な山
山 | 標高 | 備考 |
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眉山 | 277m | 映画「眉山-びざん-」の舞台 |
城山 | 62m | 徳島城跡 |
中津峰山 | 773m | 当市内でもっとも高い |
西竜王山 | 495m | 山内には徳島県立神山森林公園がある |
東竜王山 | 408m | 西竜王山の東部に位置している |
弁天山 | 6.1m | 自然の山としては日本一低い |
平石山 | 648m | 当市と勝浦郡勝浦町の境界に位置する山 |
古田山 | 660m | 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山 |
負出山 | 346m | 当市と名東郡佐那河内村の境界に位置する山 |
日峰山 | 191m | 当市と小松島市の境界に位置する山 |
津田山 | 77m | 阿波狸合戦ゆかりの地 |
気延山 | 212m | 源義経ゆかりの地 |
辰ヶ山 | 197m | 旧名東郡国府町と名西郡入田村の境界に位置する山 |
向寺山 | 190m | 山内には徳島県立文化の森総合公園がある |
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眉山
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中津峰山
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弁天山
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日峯山
主な川
水系 | 本川 | 支流 |
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吉野川 | 鮎喰川 | 飯尾川、西大堀川、金治谷川 |
新町川 | 助任川、田宮川、佐古川、沖洲川、大岡川、興源寺川、住吉島川 | |
園瀬川 | 御座船入江川、冷田川、大松川、新川、多々羅川、千切山川、星河内谷川、長谷川 | |
今切川 | 榎瀬江湖川、宮島江湖川 | |
正法寺川 | ||
勝浦川 | 八多川 | 仕出川、金谷川 |
打樋川 | ||
廃河川 | 寺島川 |
その他
気候
徳島市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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市街地は瀬戸内海式気候と南海型太平洋側気候のちょうど境目に位置している。南海上の湿った気流による影響が大きい点から、南海型太平洋側気候に分類されることがある。ただ降水日数や年降水量の観点から見ると、瀬戸内海式気候が明瞭である。
渇水、空梅雨の年、台風襲来のない年は、瀬戸内側の他の地域と同様に降水量がかなり少なくなり、年降水量は1000mm前後になる。また夏から秋に梅雨、台風、秋雨などで雨量が集中すると、南海型太平洋側気候を示す地域と殆ど変わらない2000mm以上の年降水量になる。
典型的な海洋性気候で年間を通じて温暖であり、冬日(日最低気温0℃未満の日)はごく稀で、冬季の最低気温の平均は四国四県の県庁所在地中で一番高い。
また日照時間は全国的に見て長く、県庁所在地47地点中6位である。
年平年値(1981年 - 2010年平均)は、気温:16.6℃、降水量:1,453.8mm(最多雨月9月:210.0mm、最少雨月1月:38.9mm)、日照時間:2,092.9時間、1mm以上の降水日数:97.5日/年である[3]。
徳島市(1980年 - 2010年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 22.5 (72.5) |
23.2 (73.8) |
26.4 (79.5) |
29.2 (84.6) |
32.9 (91.2) |
34.6 (94.3) |
38.4 (101.1) |
37.1 (98.8) |
35.7 (96.3) |
33.4 (92.1) |
27.1 (80.8) |
23.6 (74.5) |
38.4 (101.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.8 (49.6) |
10.5 (50.9) |
13.8 (56.8) |
19.4 (66.9) |
23.6 (74.5) |
26.6 (79.9) |
30.3 (86.5) |
31.9 (89.4) |
28.3 (82.9) |
22.8 (73) |
17.5 (63.5) |
12.5 (54.5) |
20.6 (69.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.7 (36.9) |
2.8 (37) |
5.6 (42.1) |
10.5 (50.9) |
15.2 (59.4) |
19.6 (67.3) |
23.6 (74.5) |
24.6 (76.3) |
21.4 (70.5) |
15.4 (59.7) |
9.8 (49.6) |
4.9 (40.8) |
13.0 (55.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.4 (22.3) |
−6.0 (21.2) |
−3.6 (25.5) |
−0.7 (30.7) |
4.6 (40.3) |
9.7 (49.5) |
15.3 (59.5) |
16.6 (61.9) |
11.9 (53.4) |
4.5 (40.1) |
−1.3 (29.7) |
−4.3 (24.3) |
−6.0 (21.2) |
降水量 mm (inch) | 38.9 (1.531) |
52.8 (2.079) |
94.5 (3.72) |
108.2 (4.26) |
148.4 (5.843) |
190.8 (7.512) |
148.8 (5.858) |
172.9 (6.807) |
210.0 (8.268) |
146.2 (5.756) |
97.2 (3.827) |
45.2 (1.78) |
1,453.8 (57.236) |
平均月間日照時間 | 157.5 | 150.2 | 171.2 | 192.9 | 196.8 | 157.9 | 195.2 | 230.4 | 159.9 | 166.7 | 150.8 | 163.3 | 2,092.9 |
出典1:気象庁 [4] | |||||||||||||
出典2:気象庁 [5] |
人口
徳島市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
人口は約26万人と、四国の県庁所在地の中では最も少ないが、徳島都市圏の人口は約62万人(四国第3位)となっており、松山都市圏とほぼ同規模である。[6]。
歴史
江戸時代まで
明治維新から第二次世界大戦まで
- 1871年(明治 4年)(旧暦 8月29日 7月14日) - 廃藩置県で徳島県の県庁所在地となる。県名と県域の変遷については、徳島県#歴史を参照。
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)5月 - 市庁舎新築落成(現在の裁判所北側)。
- 1909年(明治42年)10月 - 開市20周年を記念して 9日市章制定(一般から募集した図案40余種の中から、東新町の真鍋勇次郎が作成した徳島藩の徽章(きしょう)であった子持筋の下に市の文字を配して円形にした作品を、市章として10月9日の市会で議決して制定)。
- 1912年(大正元年)9月22日 - 暴風雨により3000戸が浸水。[10]
- 1913年(大正 2年)4月 - ウェンセスラウ・デ・モラエス、徳島に来住(1929年没)。
- 1922年(大正11年)
- 1926年(大正15年)9月 - 上水道給水開始。
- 1928年(昭和 3年)12月 - 吉野川橋開通。
- 1929年(昭和3月 - 市営バス創業。 4年)
- 1933年(昭和 8年) 4月 - 市庁舎現在地に移転。
- 1939年(昭和13年) 3月 - 都市計画街路事業始まる。
- 1945年(昭和20年)7月 - 4日徳島大空襲。未明、米軍B-29爆撃機の襲撃を受け、市内(当時)の62%を焼失し、死者約1,000名・重軽傷者約2,000名を超える被害。
第二次世界大戦後(昭和後期)
- 1946年(昭和21年)11月 - 市戦災復興都市計画事業設計認可。
- 1947年(昭和22年) 4月 - 初の公選制による市長誕生。
- 1948年(昭和23年)6月 - 消防本部を設置し、常備消防を消防署とする。
- 1951年(昭和26年)4月 - 勝浦郡 1日多家良村・勝占村を編入。
- 1953年(昭和28年)10月 - 第8回国民体育大会を四国4県で開催。
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)
- 11月 - 市立動物園開園。
- 12月 - 眉山ロープウェイ開通。
- 1958年(昭和33年) 3月 - 徳島産業科学大博覧会開催。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年) 4月 - 中央下水処理場、汚水処理を開始。徳島市立高等学校開校。
- 1963年(昭和38年) 4月 - 徳島市立文化センター新築開館。
- 1964年(昭和39年) 1月 - 当市を中心とした4市11町村が「新産業都市」に指定される。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 国府町を編入。 1月 1日 - 名東郡
- 4月 - 市の花が「サクラ」と決まる。
- 1968年(昭和43年)10月 - 市民憲章制定。
- 1969年(昭和44年)10月 - ポルトガル共和国レイリア市と姉妹都市提携。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年) 7月 - 吉野川大橋開通。
- 1973年(昭和48年) 2月 - 徳島市中央卸売市場が開場する。
- 1976年(昭和51年) 9月 - 徳島陸上競技場が、南田宮に開場する。
- 1978年(昭和53年)10月 - 徳島市立体育館が完成。
- 1981年(昭和56年)
- 5月 - 市立図書館・中央公民館が移転。
- 10月 - 新市立葬斎場完成。
- 1982年(昭和57年) 8月 - 帯広市と産業文化姉妹都市提携。
- 1984年(昭和59年)
- 4月 - 市役所新庁舎が開庁。
- 9月 - 市民の木が「ホルトノキ」に決定する。
- 1986年(昭和61年) 3月 - 市役所新庁舎南館が完成。
平成以後
- 1989年(平成元年)
- 8月 - 新町川水際公園が完成。
- 9月 - 徳島中央公園に鷲の門再建。
- 10月 - 市制施行100周年記念式典開催。
- 1990年(平成 2年)11月 - 文化の森総合公園が開園。
- 1991年(平成 3年)
- 1992年(平成 4年)10月 - 徳島城博物館が開館。
- 1993年(平成 5年)
- 東四国国体開催。 9月〜10月 -
- 11月 - 全国身体障害者スポーツ大会開催。
- 1994年(平成 6年) 3月 - 阿波史跡公園(古代の邑)が完成。
- 1998年(平成10年)
- 4月 - とくしま動物園が開園。
- 11月 - 考古資料館が開館。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)1月23日 - 吉野川可動堰建設計画の賛否を問うための住民投票を実施し、反対多数となる。詳しくは、吉野川第十堰を参照[14]。
- 2001年(平成13年)
- 6月 - 「子育て支援都市・とくしま」を宣言。
- 11月 - ふれあい健康館が開館。
- 2002年(平成14年)
- 4月 - 天狗久資料館が開館。とくしま植物園が開園。
- 7月 - ポイ捨て及び犬のふん害の防止に関する条例を施行。
- 8月 - 住民基本台帳ネットワークシステムが稼働。
- 2004年(平成16年)
- 徳島市民活力開発センターオープン。 1月 -
- 3月 - 太陽光発電システムを導入。
- 7月 - 阿波踊り有料演舞場に2部入れ替え指定席制を導入。
- 10月20日 - 台風23号の大雨で市内の園瀬川が氾濫し、死者2名[15]のほか、上八万町を中心に約530世帯が床上浸水。
- 11月 - 市役所本庁舎がISO14001の認証を取得。
- 2006年(平成18年) - 徳島を題材とした『バルトの楽園』(松平健主演)『眉山』(作者さだまさし)が映画化され、市内各地で関連イベントが実施される。
行政
市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 井上高格 | 1889年(明治22年)11月11日 | 1890年(明治23年) 6月 3日 | |
2 | 坂部広織 | 1890年(明治23年)6月17日 | 1896年(明治29年)6月12日 | |
3 | 保富正三 | 1896年(明治29年)6月29日 | 1897年(明治30年)11月 2日 | |
4 | 高井幸雄 | 1898年(明治31年)1月31日 | 1902年(明治35年)10月27日 | |
5 | 桑村猪平 | 1902年(明治35年)12月 1日 | 1906年(明治39年)8月31日 | |
6- 9 | 一坂俊太郎 | 1907年(明治40年)4月13日 | 1922年(大正11年) 2月 3日 | |
10 | 武市影一 | 1922年(大正11年)4月18日 | 1925年(大正14年)11月14日 | |
11 | 矢野猪之八 | 1926年(大正15年) 6月 9日 | 1927年(昭和 2年) 5月 5日 | |
12 | 橋本菊太郎 | 1927年(昭和5月19日 | 2年)1931年(昭和 6年)5月18日 | |
13 | 坂本政五郎 | 1931年(昭和6月 5日 | 6年)1933年(昭和 8年)9月 6日 | |
14 | 藤岡直平衛 | 1933年(昭和9月 7日 | 8年)1937年(昭和12年) 9月 6日 | |
15 | 工藤隆治 | 1937年(昭和12年)12月 6日 | 1941年(昭和16年)12月 1日 | |
16 | 森六郎 | 1942年(昭和17年)3月27日 | 1945年(昭和20年)4月15日 | |
17 | 吉積文平 | 1945年(昭和20年)5月 8日 | 1946年(昭和21年)11月14日 | |
18 | 妹尾芳太郎 | 1947年(昭和22年)4月 7日 | 1948年(昭和23年)7月 1日 | |
19 | 原菊太郎 | 1948年(昭和23年)8月27日 | 1951年(昭和26年)3月30日 | |
20-21 | 長尾新九郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1959年(昭和34年) 5月 1日 | |
22-23 | 豊田幸太郎 | 1959年(昭和34年) 5月 2日 | 1967年(昭和42年) 5月 1日 | |
24-25 | 武市一夫 | 1967年(昭和42年) | 5月 2日1973年(昭和48年)1月31日 | |
26-28 | 山本潤造 | 1973年(昭和48年)3月 4日 | 1985年(昭和60年)3月 3日 | |
29-30 | 三木俊治 | 1985年(昭和60年) | 3月 4日1993年(平成 5年) 3月 3日 | |
31-33 | 小池正勝 | 1993年(平成 | 5年) 3月 4日2004年(平成16年)3月 5日 | |
34-35 | 原秀樹 | 2004年(平成16年)4月19日 | 現職(2期目) |
議会
市議会
定数は34人。
会派の構成
会派名 | 議席数 |
---|---|
市政同志会 | 9 |
朋友会 | 7 |
公明党徳島市議団 | 5 |
日本共産党徳島市議 | 5 |
創政会 | 3 |
民主市民クラブ | 2 |
みんなの党 | 2 |
無所属 | 1 |
合併構想
当市は、四国の県庁所在地の中では唯一平成の大合併を行っていないが、徳島県などが合併構想を持っており、徳島県市町村合併推進審議会の答申[16]では当市を含む合併構想について2つの案を示している。
1つ目の枠組み案は小松島市・勝浦町・上勝町・佐那河内村・石井町・神山町および板野郡の各町を含むもので、この枠組みでの人口は約45万人(四国第2位)となる。もう1つの枠組み案は、1つ目の枠組み案から板野郡を除いたもので、この枠組みでの人口は約35万人(四国第3位)となる。
また当市は「第4次徳島市総合計画[17]」などで合併に前向きな姿勢を示しており、40万人規模の中核市とすることを目標[18]にしている。しかし、周辺市町村の足並みが揃っていない[19]など合併には数多くの課題を抱えているため、当市は周辺市町村に呼び掛けて「徳島東部地域市長村長懇話会[20]」を設け、共通の行政課題や地域のあり方ついて話し合うことで将来的な合併に向けての足がかりを得ようとしている。
2010年(平成22年)、東部地域市町村町懇話会に参加する全市町村が参加した定住自立圏を形成し、当市が近く中心市宣言を行うことを発表した。
姉妹都市・提携都市
日本国内
日本国外
- サギノー市(アメリカ合衆国 ミシガン州) - 1961年(昭和36年)12月23日 姉妹都市提携
- レイリア(ポルトガル共和国 レイリア県) - 1969年(昭和44年)10月15日 姉妹都市提携
- 丹東市(中華人民共和国 遼寧省) - 1991年(平成 3年)10月 友好都市提携 1日
経済
産業
江戸時代より徳島県の経済の中心であり、四国でも県庁所在地の高松市、松山市、高知市と並び重要な位置を占めている。江戸時代から明治時代までは、藍の集散地として大いに栄え、全国でも有数の商都であった。
大正以後は、藍産業の衰退にともなって一時停滞を余儀なくされたが、藍商人が長年蓄積した富を資本にした金融機関の設立や、紡績、製紙、電力などの近代産業の発展が見られ、現在の経済の基盤が築かれた。
戦後は新産業都市の指定を受け、化学工業を中心に工場の誘致が進んだ。1998年(平成10年)の明石海峡大橋開通前後には、流通産業や、関西系企業を中心とした製造業の立地が進んだ。
年間商品販売額は、四国の市町村中で高松、松山、高知市に次いで第4位であり、年間製造品出荷額は第6位(県庁所在地中では第1位)である(2007年)。
商業
当市の年間商業販売額は約1兆円(9979億円・2007年)であり、徳島県全体の6割強を占める。この額は、鳴門市発祥で川内地区に主要生産、研究拠点を持つ大塚ホールディングスの年間売上高(9560億円・2009年3月期)とほぼ同額である。
年間商品販売額のうち、卸売販売額は約7000億円、小売販売額は約3000億円である。いずれも減少傾向にある。卸売業は県内向けの商品が主に取り扱われているが、本州から四国各地への商品の流通も明石海峡大橋の開通後増加している。
小売業は、徳島駅前に百貨店などの大型商業施設、郊外にロードサイド型の店舗が数多く立地し、徳島県内全域から集客がある。しかし、近年では近郊の板野郡北島町や藍住町などに大型商業施設が次々と進出したため、市外からの集客力は低下傾向にあり、当市民も市外で買い物することが増えている。さらに明石海峡大橋(1998年)、高松自動車道(2003年)の開通により、関西や香川県への消費流出も指摘されている[21]。
金融
徳島県に本社を持つ金融機関の多くが当市に本店を持っており、大手・地方銀行、証券会社、保険会社などの支店も集中している。
当市に初めてできた銀行は、地元藍商人の久次米兵次郎が1880年(明治13年)に設立した久次米銀行であり、全国第6番目の銀行であった。
- 阿波銀行#背景参照
市内に本店を置く金融機関
市内に支店を置く金融機関
- (第一)地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て支店を持つ。
- 四国銀行(高知市) - 大正時代に、当市にあった旧関西銀行(現在の関西アーバン銀行とは無関係)を合併した流れがあるため、支店ではなく「徳島営業部」と呼称するほか、徳島市内に他に8支店を持つ。
- 百十四銀行(高松市)
- 伊予銀行(松山市)
- 第二地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て支店を持つ。
- 四国労働金庫(高松市)
-
四国銀行徳島営業部
-
愛媛銀行徳島支店
市内に本社を置く主要企業
- 製造業
- 情報・通信業
- 交通・運輸業
- サービス業
等
事業所等を置く主要企業
百貨店
- そごう徳島店 - 徳島県内で唯一の百貨店であり、JR徳島駅前に立地する。1983年(昭和58年)に開店。店舗面積は約20,000m2。
- 詳細は「そごう徳島店#歴史」、「徳島駅前再開発ビルアミコビル#歴史」を参照
大型商業施設
市街地では、全てJR徳島駅前に集まっている。かつては東新町商店街にダイエー徳島店があったが、2004年(平成16年)に撤退した。万代町にサティがあったが、2008年(平成20年)に撤退した。
末広町にジャスコがあったが、2009年(平成21年)に撤退した。そのため、現在当市内に大手の大型スーパーは皆無となっている。
また、当市内に店舗面積が30,000m2を超える大型ショッピングセンターは立地していない。大型店は当市と鳴門市の中間にあり、用地取得の容易な吉野川北岸の北島町、藍住町などへの出店が増加しており、当市の小売業を衰退させる一要因となっている。
-
徳島クレメントプラザ
-
アミコ専門店街
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とくしまCITY
-
ショッピングプラザ タクト
スーパーマーケット
地元資本の勢力が強く、複数の地場スーパーがチェーン展開を行っている。かつてはダイエー、ジャスコ、サティもあったが相次いで撤退した。店舗数は増加しており、市街地や郊外を問わず市内一円に立地している。
競争が激化しているため、徳島県産の生鮮食料品の販売に力を入れたり24時間営業を行うなど、各店がさまざまなサービスを展開している。
商店街
徳島市の定義では、中心市街地は内町地区と新町地区から構成されており、主に次の商店街がある。かつては百貨店や大型スーパー、映画館、劇場が集まり、徳島県下はもとより四国でも最大の繁華街を形成し、最先端の流行、文化を得られる場所として賑わった。
しかし昭和50年代以降、モータリーゼーションの進展にともない郊外の大型店に客を奪われはじめ、さらに1983年(昭和58年)にそごうの入ったアミコビルが、1993年(平成5年)にクレメントプラザが徳島駅前に開業したことからさらに衰退し、大型商業施設や映画館は全て姿を消し、通行量も昭和40年代の5%ほどにまで減少している。
徳島市は藩政時代から商業都市として栄え、全国の10大都市として古くから市街地の規模も大きかった。中心市街地周辺にも、藩政時代からの歴史を持つ中小商店街がいくつも存在している。また、戦後開発された郊外型の商店街もある。
- 中心市街地の商店街
- その他の商店街
映画館
かつては新町地区を中心として30軒を超す映画館があり、県内一円からの集客を誇った。
しかし、2001年(平成13年)に隣接する北島町のフジグラン北島にシネマコンプレックスのシネマサンシャイン北島がオープンすると次々と閉館し、2006年(平成18年)に幸町の徳島ホールでの封切映画の上映を打ち切ったのを最後に、市内の映画館は全滅することとなった。
県庁所在地であるのもかかわらず、映画館が全くないという状況は、市民の間でも問題となり、前回2008年の徳島市長選挙では、原秀樹市長(現職)が、映画館の復活を公約に掲げほどであった。
その後、徳島市はアニメーション制作会社「ユーフォーテーブル」に依頼して、アニメ映画を中心とした映画館を東新町商店街に開館することを決め、2012年春にufotable CINEMAが完成した。
その他
- コンビニエンスストア
徳島駅前や市街地の主要道路沿い、郊外に多く立地している。店舗数は増加を続けており競争が激化している。差別化や新たな顧客獲得のため、野菜などの生鮮食料品を売る店や高齢者向けの小売品を販売する店が増えている。
- 徳島ラーメンの主な店舗
全国的に有名になった「徳島ラーメン」を中心に、さまざまなタイプのラーメン(中華そば・支那そば)店がある。
等
医療・福祉
当市は医師、歯科医師、薬剤師、看護師などの医療従事者が非常に多いことで知られており、人口当たりの病院・診療所数は全国の市町村中4位、医師数は同19位となっている[22]。
徳島県全体で医療従事者数は全国的に非常に多くなっているが、とりわけ当市に数が集中し、医師数で3分の2、医療施設で約6割を占めており、全国でも最高クラスの医療激戦区となっている[23]。
市内に医療従事者が多い理由としては、徳島大学の存在が言われている[24]。同大学は医学部、歯学部、薬学部が揃う四国で唯一の大学であり、長年にわたり多くの医療従事者を輩出している。
特に医学部は戦前の設立であり、1973年に愛媛大学に設置されるまで四国で唯一の医学部だった。歯学部、薬学部は現在でも四国の国立大学では徳島大学にしかない。
医療施設、従事者の集中とともに、製薬などの医療関連産業も発達しており、市内には大塚製薬といった大手製薬メーカーの工場や研究所が立地しているほか、関連地場産業の発展もみられる。徳島大学との産学連携事業が盛んである[25]。
主な公共医療施設
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徳島大学病院
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徳島県立中央病院
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徳島市民病院
教育
鳴門教育大学と徳島工業短期大学を除き、徳島県内の大学は全て本市に立地している。また、県内の高校のうち、2011年度現在で存続している私立高校は全て本市に集中している。
本市に大学が設置されたのは戦後に入ってからだが、戦前には徳島医学専門学校などの国立専門学校が集中して開校し、四国の高等教育の中枢を担った。現在でも、四国で医歯薬学部の揃った大学は徳島大学のみであり、また、同大工学部の学生数は中四国の大学で最多である。
1875年(明治8年)には、福澤諭吉の方針によって慶応義塾の支塾も開設された。同塾が支塾を開校したのは、全国で大阪、京都、徳島の3都市だけである。
大学・短期大学
- 徳島大学(蔵本キャンパス、常三島キャンパス)
- 徳島文理大学(徳島キャンパス)
- 徳島文理大学短期大学部
- 四国大学
- 四国大学短期大学部
高等学校
- 市立・県立
- 徳島市立高等学校
- 徳島県立徳島商業高等学校
- 徳島県立徳島科学技術高等学校
- 徳島県立城北高等学校
- 徳島県立城西高等学校
- 徳島県立城東高等学校
- 徳島県立城南高等学校
- 徳島県立城ノ内高等学校
- 徳島県立徳島北高等学校 - 飛び地により学校敷地のみが徳島市を住所とする、実際には板野郡北島町内(ごく一部藍住町)
- 徳島県立徳島中央高等学校
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徳島県立城東高等学校
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徳島県立徳島北高等学校
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徳島県立徳島科学技術高等学校
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徳島市立高等学校
- 私立
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香蘭高等学校
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生光学園高等学校
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徳島文理高等学校
中学校
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鳴門教育大学附属中学校
小学校
太字の学校には制服がある。
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鳴門教育大学附属小学校
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徳島文理小学校
保育所
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四国大学附属保育所
幼稚園
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鳴門教育大学附属幼稚園
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徳島文理大学附属幼稚園
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四国大学附属幼稚園
専門学校
- 徳島県立総合看護学校
- 徳島歯科学院専門学校
- 徳島県美容学校
- 徳島健祥会福祉専門学校
- 四国歯科衛生士学院専門学校
- 専門学校穴吹情報公務員カレッジ
- 専門学校穴吹デザインビューティカレッジ
- 専門学校穴吹福祉医療カレッジ
- ブレーメン愛犬クリエイティブ専門学校
- 平成調理師専門学校
- 龍昇経理情報専門学校
- 和晃編物ファッションビジネス専門学校
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徳島歯科学院専門学校
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徳島県美容学校
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穴吹デザインビューティーカレッジ
穴吹福祉医療カレッジ -
ブレーメン愛犬クリエイティブ専門学校
特殊学校
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鳴門教育大学附属特別支援学校
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徳島県立国府支援学校
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徳島県立聾学校
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徳島県立盲学校
児童養護施設
廃校
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徳島県立徳島東工業高等学校
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徳島県立看護専門学校
交通
市内に河川がきわめて多く、橋の建設に多額の費用と高い技術が必要となるため、道路、鉄道整備は遅れた。徳島市は、四国の県都の中で唯一私鉄が走っておらず、また、慢性的な渋滞が生じている。
私鉄が走っていない分、市内の公共交通はJR線や路線バスに頼る面が大きく、JR徳島駅の乗降客数はJR四国の駅の中で第2位となっている。
関西方面への公共交通機関は高速バスが担っている。かつては高速船や航空機も多数発着していたが、明石海峡大橋開通後に全廃された。
JR線は、徳島駅を起点として高徳線、徳島線、牟岐線、鳴門線の列車が発着し、通勤、通学を主体とした輸送が行われている。都市間連絡は高徳線に特急うずしおが高松駅(一部岡山駅)へ走り、香川、中国地方への連絡が図られ、また徳島線には特急剣山が阿波池田駅へ走り、高知方面への連絡が図られている。
関西・関東方面、ならびに松山方面には、所要時間、料金面からも高速バスが圧倒的に有利である。なお、市内に電化されている鉄道区間はない。
高速道路は、吉野川北岸を徳島自動車道が通っている。現在、徳島IC〜鳴門IC間の工事が進行しており、2015年に開通予定である。この開通により、関西、中部、関東から愛媛、高知方面へ向かう自動車、高速バスはほぼ全て徳島市を経由するようになる。
航空機は、隣の松茂町に徳島飛行場があり、東京、福岡便が発着している。 徳島市は、日本初の定期航空路線が開設された都市である。
カーフェリーについては、かつては阪神方面に多数航路が存在したが、現在は徳島港から和歌山港を結ぶ南海フェリーのみである。また、東京・北九州へオーシャン東九フェリ-が運航されており、これは四国と関東を結ぶ四国唯一のフェリー航路となっている。
市内交通は、マイカーと自転車に頼るところが大きい。とくに自転車は、雪が降らず、晴れの日が多いことや、坂道が少ないこと、公共交通機関が不便なことから、通勤通学や日常生活の足として欠かせないものとなっており、全国に先駆けて、昭和40年ごろには歩道に自転車専用レーンが整備[26]され、徳島市の交通機関に占める自転車の分担率は、全国の都道府県庁所在地で最高[27]となっている。道路については道路整備の遅れから朝夕の渋滞が慢性化しており、現在徳島環状道路の整備が進んでいる。
鉄道
当市内をはじめ、徳島県内全線全区間が非電化であり、電車はまったく走っていない。
関西、東京方面への移動は、瀬戸大橋を経由しなければならない鉄道よりも、明石海峡大橋を通る高速バスのほうが圧倒的に速く、料金も安いため、四国の他県都と違って同方面への需要はほぼ皆無である。
また、高知市、松山市への移動も鉄道より高速バスを利用する人が多いため、中・長距離移動で鉄道を利用する人はかなり少ない。これが当市の鉄道路線が電化されない理由の一つになっている。ただし、通勤・通学などの近距離輸送の需要は比較的高く、徳島駅の乗降客数は高松駅に次いで四国第2位になっている。
これは、市内の朝夕の道路渋滞が激しいことや、徳島駅前にそごうなどの大型商業施設が集中し、当市最大の繁華街が形成されていること、路線バス・高速バスがほぼ全て徳島駅を起点としており、鉄道との接続がスムーズであることなどが理由として挙げられる。しかし、少子化による通学需要の減少や、中心市街地の衰退に伴い、利用者は減少傾向にある。
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佐古駅
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吉成駅
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阿波富田駅
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二軒屋駅
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文化の森駅
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地蔵橋駅
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蔵本駅
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鮎喰駅
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府中駅
バス
路線バス
市内に私鉄や地下鉄が通っていないため、市街地内や市街地と郊外を結ぶ公共交通機関として重要な役割を果たしており、通勤通学や高齢者の買い物や通院の足となっている。ほぼすべての路線がJR徳島駅前を発着点にしており、JRや他のバス路線への乗り継ぎが分かりやすくなっている。
5分以内の間隔で運行されている区間が存在するなど、私鉄がない分多くのバスが運行されているものの、最終便が早く、大半の路線で21時台となっている。
全国の地方都市の路線バスと同じく利用者の減少に悩まされており、均一運賃の導入による料金体系の見直しや循環バスの運行、運転士のサービス改善といった対策が行われている。
2010年9月26日と10月31日の2日間、徳島市の「まちにいこうよ」事業の一環として、市内を発着する全ての路線バスの運賃を一律100円にする社会実験が行われた。
期間中、利用者が大幅に増加し好評だったことから、2011年3月までの間、各月の最終日曜日に継続して実施されることになった。実施日に合わせて、中心市街地でさまざまなイベントが開催されることになっている。
- 徳島市内を発着する路線バス企業
高速バス
全て当市内発着、または徳島市内のバスストップに停車する高速バス路線。大半はJR徳島駅発着である。関西方面へは、料金、時間ともに鉄道に対して圧倒的な優位性を持っており、同方面へ1日100往復を超える高速バスが運行されている。
しかし、高速道路料金の値下げによりマイカー利用者が増加したため、利用者は減少している。また、高速バスより価格が安く、目的地で終日自由行動できるツアーバスも運行されはじめ、手ごわいライバルになっている。とくに東京方面では片道5000〜6000円の格安ツアーバスがほぼ毎日運行されており、高速バスのみならず徳島空港発着の航空機の需要も奪いつつある。
- 大阪線(共同運行:阪急バス、阪神バス、南海バス)
- 枚方線(共同運行:京阪バス)
- 関空線(共同運行:南海バス、関西空港交通、本四海峡バス)
- 阿南大阪線(徳島バス単独運行)
- 三宮線(共同運行:神姫バス、山陽バス、阪神バス)
- 高松線(共同運行:大川バス)
- 広島線(共同運行:広交観光バス)
- 名古屋線【昼・夜行、季節運行】(共同運行:名鉄バス)
- 東京線【夜行】(共同運行:羽田京急バス)
- 岡山線(徳島バス単独運行)
- 阿波エクスプレス大阪号(共同運行:西日本ジェイアールバス、本四海峡バス)
- 阿波エクスプレス神戸号(共同運行:西日本ジェイアールバス、本四海峡バス)
- オリーブ松山号【夜行】(共同運行:ジェイアール東海バス)
- ドリーム高知号【夜行】(共同運行:ジェイアールバス関東)
- ドリーム徳島号【夜行】(共同運行:ジェイアールバス関東)
- 徳島バス・ジェイアール四国バス共同運行
- その他の路線
- 淡路・徳島線(淡路交通)
高速バスストップ
- 徳島大学前バスストップ(神戸線、阿南発着便、高松便のみ停車)
- 徳島駅バスストップ(阿南発着便・ドリーム高知号は経由しない)
- 工業団地前バスストップ(大阪線の数便、高松線のみ停車)
- 徳島マリンピア(JRバス徳島大阪線・徳島神戸線の一部のみ発着)
- 徳島文理大西口バスストップ(阿南発着便のみ停車)
- 鈴江バスストップ(高知線・松山線のみ停車)
- 加茂名バスストップ(東京線吉野川市発着便・大阪線石井発着便のみ停車)
道路
当市の主要幹線道路は、徳島本町交差点を中心として東西南北方向に走っているのが特徴で、吉野川、鮎喰川、勝浦川など多くの河川や眉山といった自然の障壁に阻まれて、徳島市を通過する自動車のほとんどが中心部に集中するようになっている。
交通量の増加に伴う道路整備は、自然の障壁の多さや用地買収の難航のため遅れており、朝夕の通勤時間帯には市街地やその周辺、吉野川にかかる橋付近で激しい渋滞が発生している。
高速道路
- 当市内にあるインターチェンジ:徳島自動車道徳島インターチェンジ
- 四国横断自動車道(鳴門 - 阿南)開通後は当市東沖洲付近に徳島東インターチェンジを設置予定。
一般国道
- 国道11号
- 当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から北へと延びる道路である。国道55号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は全線6車線で整備も行き届いているが、交通量の多さから川内町、吉野川大橋、徳島本町、県庁前などでは頻繁に渋滞が発生する。吉野川大橋付近の1日の平均交通量は80,000台を超え、徳島県内だけでなく四国で1位である[28][29]。朝のラッシュ時には徳島本町交差点を先頭に、吉野川大橋を越えて川内町付近まで3km近く渋滞する事もある。
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起点
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吉野川大橋
- 国道28号
- 当市から板野郡松茂町までは、国道11号と重複区間となっている。
- 国道55号
- 当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から南へと延びる道路である。国道11号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内はかちどき橋交差点から大野橋交差点までが6車線、大野橋交差点以南が4車線で、こちらも国道11号同様、頻繁に渋滞が発生する。主な渋滞発生場所は勝浦川橋、大野橋、南昭和町、県庁前など。沿線には国道55号を中心に大学や商業施設等の立地している沖浜地区があり、沖浜以南では農耕地の広がる地域を走る。
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かちどき橋
- 国道192号
- 当市徳島本町二丁目の徳島本町交差点から西へと延びる道路である。当市の中心部を通って、市内を東西に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は徳島本町交差点から上鮎喰橋までが4車線〜6車線、上鮎喰橋以西が2車線で、国府町、蔵本町、佐古、八百屋町、徳島本町などで頻繁に渋滞が発生する。特に、朝の蔵本公園前から中心部への渋滞は激しい。こうした渋滞を緩和する為に、現在国府町から上八万町、八万町を通って国道55号に抜けるバイパス(徳島南環状道路)が建設中である。
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上鮎喰橋
- 国道195号
- 当市から阿南市までは、国道55号と重複区間となっている。
- 国道318号
- 当市から吉野川市までは、国道192号と重複区間となっている。
- 国道438号
- 当市中心部から八万町、上八万町を通って名東郡佐那河内村へと続く道路である。八万町までは電線も地中化されている。市内の道は元町交差点から南二軒屋交差点までが4車線〜6車線、南二軒屋交差点以南が2車線〜1、5車線で、大木、園瀬橋、南二軒屋、大工町などでしばしば渋滞が発生する。
- 国道439号
- 当市から三好市東祖谷菅生までは、国道438号と重複区間となっている。
市内を走る主要県道
- 徳島県道・香川県道1号徳島引田線
- 徳島県道13号徳島停車場線
- 徳島県道15号徳島吉野線
- 徳島県道16号徳島上那賀線
- 徳島県道21号神山鮎喰線
- 徳島県道29号徳島環状線
- 徳島県道30号徳島鴨島線
- 徳島県道33号小松島佐那河内線
- 徳島県道38号沖ノ洲徳島本町線
- 徳島県道39号徳島鳴門線
- 徳島県道41号徳島北灘線
市内を通る一般県道
船舶
- 南海フェリー - 徳島港(沖洲埠頭)〜和歌山港
- オーシャン東九フェリー - 北九州市(新門司港)〜 徳島港(津田埠頭)〜東京(有明フェリー埠頭)
航空
- 乗り入れている航空会社
マスメディア
徳島市に新聞が創刊したのは1876年(明治8年)であり、戦前には徳島毎日新聞(徳毎)と徳島日日新報の2社が徳島県域(一部香川県)をエリアとして新聞発行を行なっていた。この2社は激しい報道合戦や購読者獲得競争を繰り広げたが、1941年(昭和16年)に新聞統制に基づき統合され、徳島新聞となった。
ラジオ放送は、大正末期にNHK大阪放送局開局により聴取が可能となり、1933年(昭和8年)、高知に次いで四国2番目の放送局として日本放送協会関西支部徳島支所(NHK徳島放送局)が開局した。
同局は、阿波踊りや、「阿波よしこの」の名手お鯉さんの歌を放送し、これらの全国的な知名度の向上に貢献した。戦後、1952年(昭和27年)には、四国放送が、中四国初となる民間ラジオ放送を開始した。
テレビ放送は、1959年(昭和34年)にNHKと四国放送が開始した。徳島県内は、ほぼ全域で近畿広域圏が受信できたため、民間放送はその後開局しなかった。しかし、地上デジタル放送は、電波が遠くまで飛ばないため、近畿広域圏は市内のほとんどの家庭で受信できない。
そのため、ケーブルテレビに加入することで視聴するようになっている。なお、ワンセグ放送で受信できるのはNHK、四国放送の3チャンネルのみとなっている。
市内に所在
- 新聞
- テレビ局
- ケーブルテレビ局
- ラジオ局
エリア外受信が可能な局
テレビ局
市内の大半の地域では、スピルオーバーによる近畿広域圏のテレビ放送を直接受信することが可能である。
さらに、近畿広域圏内の県域局や岡山県・香川県の放送が受信可能な地域がある一方、地上波デジタルテレビ放送は、海岸の一部地域で不安定な受信ができるにとどまる。
- 徳島市のほぼ全域で視聴可能な局
- 特定の地域で視聴可能な局
ラジオ局
徳島県域局以外である程度鮮明な音質での聴取が可能なのは以下の局であるが、ラジオ関西のほか深夜帯には東海ラジオやニッポン放送、九州朝日放送などもノイズ混じりながら、聴取可能である。
文化・観光
徳島市の観光客入り込み客数は、229万5,000人[30]である。1998年の明石海峡大橋の開通や、徳島を舞台にした映画『眉山』や『バルトの楽園』の上演によって増加傾向にある。
市内の主要な観光地としては、市のシンボルである眉山、徳島城跡、阿波踊り会館、徳島県文化の森総合公園、とくしま動物園、阿波十郎兵衛屋敷がある。また、市内には四国八十八箇所の札所のうち、13番大日寺から17番井戸寺までがある。いずれも市の郊外に位置している。
公共施設
- 徳島市総合動植物公園
- 徳島県文化の森総合公園
- 徳島市立図書館
- 徳島市立体育館
- 徳島市立文化センター
- 徳島県青少年センター
- 徳島県立中央武道館
- 徳島県立文学書道館
- 徳島県郷土文化会館
- 阿波木偶資料館
- 徳島市天狗久資料館(こくふ街角博物館)
- 徳島市立木工会館
- 徳島県立障害者交流プラザ
- 徳島市生涯福祉センター
名所・旧跡
- 徳島中央公園(徳島城跡)
- 一宮城
- 眉山
- ケンチョピア - ヨットハーバーなど。
- 新町川水際公園
- しんまちボードウォーク
- 藍場浜公園
- 阿波おどり会館
- 阿波木偶人形会館
- 阿波十郎兵衛屋敷
- 菘翁美術館
- 藍染工芸館
- 古庄染工場
- 渋野丸山古墳
- 阿波史跡公園
- アスティとくしま - 観光コンベンションセンター。
- 三河家住宅 - 国の重要文化財。
- 小松海岸
- 大神子海岸
- 日峯大神子広域公園
- 中津峰森林公園
- ポルトガル・レイリア大通り
社寺
- 忌部神社
- 春日神社
- 諏訪神社
- 三島神社
- 八幡神社
- 国瑞彦神社
- 宅宮神社(意富門麻比賣神社)
- 大麻比古神社
- 大御和神社
- 八倉比売神社
- 天佐自能和氣神社
- 雨降神社
- 宇母理比古神社
- 山方比古神社(金山神社)
- 朝立彦神社
- 丈六寺 - 阿波の法隆寺
- 丈六寺宝物館
- 瑞巌寺
- 瑞厳寺庭園
- 四国八十八箇所
- 興源寺
- 常慶院 - 薬師堂、観音堂などが残る。
- 以前はこの地に持明院があり江戸時代までに建立された薬師堂(本堂に相当)、三重塔、祇園社、仁王門などが残されていたが、1945年の徳島空襲で焼失した。
祭事・イベント
- えびす祭り
- はな・はる・フェスタ
- とくしまマラソン
- 吉野川フェスティバル
- 7月下旬に徳島市民吉野川運動広場にて行われ、花火大会等が行われる。
- 阿波踊り
- ふるさとカーニバル阿波の狸まつり
- 11月に藍場浜公園で開催。
- 徳島ジャズストリート
- 1988年から始まったジャズの祭典。
- とくしまマルシェ
- しんまちボードウォークにて毎月最終日曜日に開催されている市場。2010年12月26日に初開催された。
- 徳島わくわく日曜市
- 毎月最後の日曜日の午前中、紺屋町の歩道で開催。約40店舗が、徳島県産の野菜や果物および特産品を格安で販売している。
食文化
徳島藩は江戸時代中期より阿波和三盆糖の生産を開始し、薩摩(鹿児島県)、讃岐(香川県)と並ぶ砂糖の一大産地となった。
徳島市はその集散地として、全国でも最も早く、大量の砂糖を入手することができたため、阿波ういろなど、江戸時代から続く伝統菓子が存在する。また、古くから比較的安価に砂糖が得られたことから、庶民の間にも砂糖を使った料理や菓子が広がり、花嫁菓子といった風習も残っている。
- 銘菓
- 調味料
- 郷土料理、B級グルメ
- 酒造銘柄
- 勢玉、御殿桜、蘭玉、旭牡丹、南国一
スポーツチーム
- 徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグplus) - 本拠地は阿南市と当市内の徳島県営蔵本球場を併用する形で試合を行っている。
- 徳島野球倶楽部(社会人野球・徳島県野球連盟、日本野球連盟)
出身有名人
徳島市名誉市民
- 鳥居龍蔵(人類学者・考古学者)
- 原安三郎(日本化薬社長・元日本化学工業協会会長、元政府税制調査会会長)
- 武原はん(上方日本舞踊家。文化功労者)
- 瀬戸内寂聴(小説家・宗教家)
- 多田小餘綾(阿波よしこの)
政治・経済
- 蜂須賀斉裕(第13代徳島藩主。江戸幕府第11代将軍徳川家斉の子。幕府の陸軍総裁。)
- 蜂須賀茂韶(最後の徳島藩主。文部大臣、東京府知事、貴族院議長を歴任。)
- 中島錫胤(徳島藩士。元兵庫、山梨県知事。貴族院議員。)
- 井上高格(徳島藩士。初代徳島県知事。初代徳島市長。自由民権運動家で市内に「自助社」を結成。)
- 一坂俊太郎(元徳島市長。元衆議院議員。自由民権運動家。)
- 広岡謙二(警察官僚。元石川県知事、元警視総監)
- 山口安憲(元石川県知事)
- 原菊太郎(元徳島県知事)
- 三木俊治(元徳島市長、阿波製紙元社長)
- 仙谷由人(衆議院議員・元内閣官房長官)
- 原秀樹(現市長)
- 中谷智司(参議院議員、民主党)
- 吉川沙織(参議院議員、民主党)
- 梅林孝次(海軍大尉。戦闘機パイロット)
- 薩摩治郎八(実業家。「バロン薩摩」の名で知られる。晩年市内に居住、死去。)
- 久次米兵次郎(藍商)
- 美馬儀一郎(実業家)
- 中西敏二(元東京都議会議長)
- 金山良治(元西松建設社長)
- 近藤光(ufotable代表取締役)
- 橋本圭一郎(首都高速道路社長)
- 宮本雅史(旧スクウェア創業者)
- 猪子寿之(IT関連会社「チームラボ」社長)
学界
- 長井長義(薬学者。エフェドリンを発見。日本近代薬学の祖)
- 蜂須賀正氏(蜂須賀家当主、侯爵。貴族院議員、探検家、鳥類学者。ドードーの研究で有名。)
- 関寛斎(医学者。徳島藩典医)
- 林鶴一(数学者)
- 秦謹一(工学者)
- 林鼓浪(郷土史家。阿波踊りの名付け親。)
- 上田穣(天文学者)
- 遠藤博也(行政学者)
- 寒川賢治(生化学者。国立循環器病センター研究所所長。)
- 本田由紀(教育学者)
芸術
- 貫名菘翁(書家)
- 野口小蘋(日本画家)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス(ポルトガルの外交官、軍人、文筆家。市内に永住。)
- 野田雄一(ガラス工芸作家)
- 乾荘次郎(作家)
- 海野十三(作家)
- 野上彰(文学者)
- 山口敏太郎(作家・ライター)
- 篠原央憲(詩人、評論家)
- 鎌田敏夫(脚本家)
- 井上勤(翻訳家)
- 中野好夫(翻訳家)
- 鈴木漠(詩人)
- 佐野まもる(俳人)
- 松永周二(歌人)
- 竹宮惠子(漫画家)
- 柴門ふみ(漫画家)
- 東條仁(漫画家)
- 村生ミオ(漫画家)
- 南能衛(作曲家)
- 三木稔(作曲家)
- RYOJI.M(作曲家)
- 立木義浩(写真家)
- 三好和義(写真家)
- 新居猛(家具デザイナー)
- 板東孝明(グラフィックデザイナー)
- 江川悦子(特殊メイクアーティスト)
芸能・マスコミ
- 哀川翔(俳優)
- 高津住男(俳優)
- 中山美保(吉本新喜劇で活躍)
- 冨浦智嗣(俳優)
- 大塚ちひろ(女優)
- 藤田瞳(タレント)
- 武田真理子(モデル)
- 美馬寛子(モデル、2008年ミス・ユニバース・ジャパン優勝者)
- 山下リオ(女優)
- 瀬戸内美八(ダンサー。元宝塚歌劇団星組トップスター。出身は石井町。市内在住。)
- ディック・ミネ(歌手)
- 橋本絵莉子(ミュージシャン)
- 福岡晃子(ミュージシャン)
- 梶本貴史(コア、お笑い芸人)
- 田中陽子(元タレント)
- 皆谷尚美(ミュージシャン)
- 小泉真也(所属事務所が当市。シンガー・エンターテイナー)
- 佐藤タイジ(ミュージシャン)
- 小泉享亮(ミュージシャン)
- 住友真世(アナウンサー)
- 岡本和夫(四国放送アナウンサー)
- 島川未有(四国放送アナウンサー)
- 濱知美(東日本放送アナウンサー)
- 梅津龍太郎(ラジオパーソナリティー
- こやまきみこ(声優)
- 小西和人(編集者、週刊釣りサンデーを創刊。)
スポーツ
- 川上憲伸(アトランタブレーブス投手)
- 武田久(北海道日本ハムファイターズ投手)
- 寺本四郎(元プロ野球選手)
- 新崎人生(プロレスラー)
- アレクサンダー大塚(プロレスラー)
- 源純夏(元水泳選手)
- 福岡春菜(卓球選手)
- 板東英二(元プロ野球選手)
- 城福浩(サッカー指導者)
- 拳王(プロレスラー)
脚注
- ^ 現在の市域には、かつて板野郡・勝浦郡・名西郡であった地域も含む
- ^ a b 文教大学国際学部紀要 第16巻1号(PDF)
- ^ 徳島県 徳島 平年値(年・月ごとの値)(気象統計情報) - 気象庁
- ^ “平年値(年・月ごとの値)1981-2010”. 2012年1月26日閲覧。
- ^ “観測史上1~10位の値1981-2010”. 2012年1月26日閲覧。
- ^ 10%都市雇用圏の人口。四国他県の県庁所在地においては、高松都市圏が約84万人、松山都市圏が約64万人、高知都市圏が約55万人となっている。
- ^ 四国では高知県高知市の1889年4月1日に次ぎ2番目の市制施行。なお3番目は愛媛県松山市で同年12月15日。4番目は香川県高松市の1890年2月15日。
- ^ 1889年当時、世帯数14,607世帯、人口60,861人(男29,530人、女31,331人)。寄留簿人口による。
- ^ 1889年12月12日告示第1号により「来ル12月16日ヨリ徳島市大字徳島町物産蒐集場ニ於テ徳島市役所ヲ開ク」とされた。
- ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年)
- ^ 1998年12月23日から29日の署名簿縦覧を経て、第十堰住民投票の会が集めた有効署名数を、101,535筆(法定数の24.3倍、有権者の48.8%)に確定。
- ^ 賛成17名、反対22名(特別委員会での賛成4名、反対7名)。
- ^ 平成11年徳島市条例第30号。
- ^ 投票総数113,996票(当日有権者総数207,284人の54.995%、有効投票数112,116票 無効票1,863票(うち白紙1,135票))のうち、可動堰建設反対102,759票、賛成9,367票だった。なお、この投票は「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例(平成11年徳島市条例第30号)」第3条の規定により、「住民投票は,投票資格者の2分の1以上の者の投票により成立するものとする」とされ、投票率が50%に満たないときは開票そのものを行わないという異例なものであり、戦後の地方自治法のもとで行われた住民投票では初めてのことであった。その開票基準の適否を巡っても全国の新聞・放送局その他各界で激しく議論がなされた。
- ^ このほか徳島県内では、吉野川市で死者1名。
- ^ 自主的な合併の推進に関する構想(答申) - 徳島県市町村合併推進審議会(2007年7月)
- ^ 心おどる水都・とくしま 第4次徳島市総合計画 - 徳島市
- ^ 第4次徳島市総合計画 P.2
- ^ [http://www.topics.or.jp/special/122545429353.html 徳島新聞 まちの行く末 とくしま合併検証 第4部]
- ^ 徳島東部地域市町村長懇話会 - 徳島市
- ^ 徳島大学 - 徳島県における小売業と購買行動の変化
- ^ 東洋経済 都市データパック2008年度版より
- ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
- ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
- ^ 徳島経済研究所 徳島県の経済と産業2009年版
- ^ http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~motoda/dobokukeikakuaki09motoda4.pdf#search='徳島市 自転車 依存'
- ^ http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/soukou/soukou-magazine/rennraku7.1.pdf#search='自転車 分担率 交通機関 徳島市'
- ^ 徳島市広域道整備課 - 徳島外環状道路(南環状道路)周辺対策事業
- ^ 次の資料では「7万4千台」とある。国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所
- ^ 徳島市統計資料、平成19年度
- ^ 1975年以前は、むしろ現在の8月12日から15日には実施されない事が多く、8月初旬や8月下旬のほか、9月に実施されたこともあった。また、1934年や1935年は3日間の日程で実施された(出典:徳島市観光協会の1934年以降の告知ポスター)。なお、正式な期間と日程は「阿波おどり実行委員会」において毎年決定している。
関連項目
- 日本の音風景100選 - 阿波踊りが選定されている。
外部リンク
- 行政
- 観光