福島 (徳島市)

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福島(ふくしま)は、徳島県徳島市町名。現行行政地名は福島一丁目及び福島二丁目。2018年7月現在の徳島市の調査による人口は2,066人、世帯数は1,077世帯。郵便番号は〒770-0868。

地理[編集]

徳島市中心街の東に位置し、渭東地区に属する。吉野川デルタ南部の一角をなし、南を新町川・西を福島川・北を住吉島川・東を沖洲川で囲まれた中州の北西部を占める。西半が一丁目・東半が二丁目である。

西は福島川(助任川下流)に面し、2本の橋で中心街のある内町地区と繋がる。北は住吉島川に面し、2つの橋で住吉と繋がる。南は福島新橋から伸びる市道新南福島と接している。

渭東地区の中心地で、地区内では新南福島大和町と並ぶ商工業地である。木工業の中心地として、かつて町屋だった福島川沿いに、鏡台などの家具工場・木工所が集中する。

かつての武家町の本丁を徳島県道38号沖ノ洲徳島本町線が東西に貫き、道沿いには商業地が形成されている。

河川[編集]

歴史[編集]

江戸時代には、西縁の福島川沿いに幅1街区で南北に伸びる細長いエリアが、町屋の福島町だった。その東には東西に伸びる武家町が広がっていた。のちの町名では

  • 北福島町 - 住吉島川沿い。
  • 福島本町 - 江戸時代は本丁。現 福島橋県道38号
  • 福島中町 - 福島橋と福島新橋の中間の通り。
  • 福島新橋
  • 南福島町 - 江戸時代は築地。新町川沿い、のちの南福島町、現 新南福島南部。

があり、本丁(のちの福島本町)南にあった水軍の総帥森甚五兵衛など高禄藩士の屋敷が連なった。福島中町の程吉屋敷跡では、1982年に改築されるまで長屋門が保存活用されていた。

福島川には1636年までに福島橋が架かり、これは1930年福島新橋が架かるまで福島(現 新南福島を含む)と徳島を結ぶ唯一の橋だった。住吉との間には住吉島橋がかかり、住吉から徳島へ行くには福島(または逆回りして常三島)を経由する必要があった。

北福島町には幕末に福島騎射馬場が開かれ、西洋式の軍事訓練がなされた。1870年までに練兵所に改名した。

1887年蜂須賀次郎が福島本町(現 福島2丁目)に蜂須賀牧場を開いて乳牛を飼い、牛乳を販売した。牧場はのちに人手に渡り、その後は森永乳業徳島営業所となり、2018年、株式会社あおの不動産となっている。

1906年、県初の孤児院阿波国慈恵院が福島本町(現 福島1丁目)に移転した。現在は社会福祉法人阿波国慈恵院で、阿波国慈恵院保育園を併設している。

福島川には河港の福島港があり、徳島の海の玄関口だった。中心街に近い中洲港が建設されると旅客航路はそちらに移ったが、その後も貨物港としてにぎわった。しかし1930年に福島新橋が架かると、跳ね橋だったものの港湾の利用には大きく制約がかかり、福島港は寂れた。

福島新橋が完成したころ以降は、福島町1~3三丁目・北福島町1~3丁目・福島本町1~3丁目・福島中町1~3丁目・福島新橋1~3丁目の北半・安宅町1~6丁目の各一部だったが、1966年に現在の町名となった。

交通[編集]

道路[編集]

バス[編集]

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住吉島川下流・上流・福島川上流・下流の順に反時計回り。

丁目 対岸 道路
福住橋 住吉島川 1・2丁目 住吉
住吉島橋 住吉島川 1丁目 住吉
福島橋 福島川 1丁目 徳島本町 徳島県道38号沖ノ洲徳島本町線
福島新橋 福島川 1丁目 新蔵町


施設[編集]

教育・文化施設
公園・スポーツ施設
  • 福島住吉緑地 - 通称「たこちゅう公園」。
  • テニスアリーナガーデン福島
市営住宅
  • 徳島市営福島高層団地
公共・金融機関
医療施設
  • 城東整形外科内科
  • メイプルクリニック高橋産婦人科
  • おかやま歯科
  • 今山歯科
  • 高橋歯科
  • 高岡消化器内科
  • 井上内科胃腸科
  • 木下クリニック
  • 渭東眼科クリニック
  • 吉崎医院
レストラン・カフェ施設
  • ふらんせ蔵
  • 蕎麦 堂真
  • サリサリカフェ
  • 味義
  • ムーンサルト
  • 我家
酒造
神社仏閣

商業施設[編集]

かつて存在した施設[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]