両国橋 (徳島市)

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両国橋
新町川に架かる両国橋
基本情報
日本
所在地 徳島市
交差物件 新町川
建設 1965年
座標 北緯34度4分8秒
東経134度33分3秒
座標: 北緯34度4分8秒 東経134度33分3秒
構造諸元
材料 鉄筋コンクリート
全長 46m
20.3m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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両国橋(りょうごくばし)

  1. 徳島県徳島市を流れる新町川に架かる橋である。
  2. 徳島県徳島市の町名。新町地区に属している。郵便番号は〒770-0917。

歴史[編集]

1872年、徳島市街に流れる新町川の両岸(現・両国橋)の街の賑わいにもかかわらず渡船場もなく、橋がなかったことに着目した藤本幸平が、徳島県の許可を得て渡し舟を開業する。しかし、両岸には道もない葦原であったため利用者は1日20人程度と少なかった。そこで、1877年に自己資本で両岸に道路を完成させたことから利用者が増加、船場町濱側に住宅を建設した。1881年には渡し舟の利用者が1日1000人を超す盛況となる。利用者の増加に伴い、渡し舟を利用できない人も発生しはじめたことから、新町川の両岸を架橋する橋のニーズが高まるようになった[1]。藤本幸平が徳島県当局に架橋の陳情を続けた結果、自費(藤本幸平の個人出資)の私橋としての架橋という条件で、徳島県から15年間の利用を許され[2]1882年、通行料を取る賃取橋として架橋された[3]。2つの小区を結ぶため、両合区橋と呼ばれた。1892年徳島市に寄付された後、1908年には木橋に改修された。

1927年に長さ53.1m,幅7.7mの曲弦トラス型式鉄筋コンクリート橋に架け替えられた際、両国橋に改称したという[3]1965年には再び架け替えて拡幅された。この架け替えは1962年に着工、1963年8月には一部を、同年末には全部を完成させる予定であったが、着工後に地盤が想定より軟弱であることが判明し、工事が遅延した。翌年の阿波踊りにも間に合わず[4]、部分開通は1964年11月に、全部が完成したのは1965年7月28日となった[5]。1991年から1992年まで実施された改装工事では、橋の欄干の端の所に阿波踊り銅像が設置された。2012年にはこの像に反射材付きのたすきが取り付けられ、交通安全の啓発活動に利用された[6]。この道は、バス通りで交通量も比較的多い。

また、橋の南北にある「両国橋」と「両国本町」の町名は、それぞれ1942年1975年から使用されている[3]光の八十八ヶ所めぐりに選定されている。

両国橋(町名)[編集]

町名としての両国橋は、本橋の南岸に位置しており、新町地区に属している。郵便番号は〒770-0917。

  • 人口:78人(2009年12月。徳島市の調査より)
  • 世帯数:40世帯(同上)

地理・概要[編集]

吉野川の支流である新町川中流に架かる両国橋の南岸に位置し、中央に両国橋南商店街が広がっている。この商店街の通る道は「両国橋通り」とも呼ばれており、徳島市の主要繁華街となっている。新町川沿いにはしんまちボードウォーク新町川水際公園等の親水公園が存在し、毎年阿波踊り阿波の狸まつりの時期になると両国橋一帯が非常に賑わう。

施設[編集]

公園
商店街
その他

交通[編集]

道路[編集]

都道府県道

バス[編集]

徳島バス徳島市営バス
  • 両国橋

隣の橋梁[編集]

(上流) - ふれあい橋 - 両国橋 - 富田橋 - (下流)

参考文献[編集]

  • 「御大典記念 阿波人物鑑」 徳島日日新報社、1928年。
  • 「徳島県人名事典」徳島新聞社、1994年。

脚注[編集]

  1. ^ 『御大典記念 阿波人物鑑』、徳島日日新報社1928年
  2. ^ 『徳島県人名事典』、徳島新聞社1994年
  3. ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(36.徳島県)』、角川書店1986年
  4. ^ 「いつになったらできる両国橋 〝阿波踊り〟にはムリ 地盤軟弱で見込み違い」『朝日新聞』1964年8月14日付大阪本社朝刊16面(徳島)
  5. ^ 「二十八日やっと開通 徳島 四年がかりの両国橋」『朝日新聞』1965年7月13日付大阪本社朝刊14面(徳島)
  6. ^ 「十字路」『産経新聞』2012年12月10日付大阪本社夕刊11面。

外部リンク[編集]