勝浦郡

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徳島県勝浦郡の位置(1.勝浦町 2.上勝町 水色:後に他郡から編入した区域)

勝浦郡(かつうらぐん)は徳島県阿波国)の

人口6,498人、面積179.46km²、人口密度36.2人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。

  • 小松島市の大部分(坂野町・和田島町・和田津開町・間新田町・豊浦町・大林町・赤石町・立江町・櫛淵町を除く)
  • 徳島市の一部(大原町・論田町・雑賀町・大松町・西須賀町・大谷町・北山町・方上町・勝占町・丈六町・渋野町・八多町・飯谷町・多家良町および三軒屋町の一部)

歴史[編集]

古代[編集]

平家物語[1]源平盛衰記では、勝浦と書いて「かつら」と発音していたことや、舎人親王が浦で勝ったから勝浦となったという起源が紹介されている。

式内社[編集]

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
勝浦郡 8座(並小)
勝占神社 カツタノ
カツウラノ
勝占神社 徳島県徳島市勝占町
事代主神社 コトシロヌシノ 生夷神社 徳島県勝浦郡勝浦町沼江
山方比古神社 ヤマカタノ- (論)山方比古神社(金山神社) 徳島県徳島市多家良町
(論)立岩神社 徳島県徳島市多家良町 金山神社境内社
宇母理比古神社 ウモリ- 宇母理比古神社 徳島県徳島市八多町
阿佐多知比古神社 アサタチ- 朝立彦神社 徳島県徳島市飯谷町
速雨神社 ハヤアメノ 速雨神社 徳島県徳島市八多町
御県神社 ミアカタノ 御縣神社 徳島県小松島市中田町 豊國神社境内社
建嶋女祖命神社 タケシマ- 建嶋女祖命神社 徳島県小松島市中田町
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近世以降の沿革[編集]

渋野村、本庄村、宮井村、飯谷村、沼江村、中角村、森村、鶴敷地村、星谷村、久国村、棚野村、中山村、横瀬村、与川内村、坂本村、黄檗村、福川村、藤川村、傍示村、瀬津村、福原村、野尻村、久保村、樫原村、田野々村、市宇村、八重地村、大谷村、方上村、西須賀村、大松村、論田浦、大原浦[2]、鶴岡新田、江田村、田浦村、新居見村、日開野村、中田村、中郷村、小松島浦、金磯新田村、田野村、芝生村、八多村、前原村
  • 明治4年
  • 明治9年(1876年)(33村3浦)
    • 8月21日 - 第2次府県統合により高知県の管轄となる。
    • 森村・鶴敷地村が合併して生名村となる。
    • 中山村・横瀬村・与川内村が合併して三渓村となる。
    • 福川村・藤川村が合併して正木村となる。
    • 瀬津村・野尻村・久保村・樫原村が合併して生実村となる。
    • 田野々村・市宇村・八重地村が合併して旭村となる。
    • 黄檗村が坂本村に合併。
  • 明治12年(1879年1月4日[3] - 郡区町村編制法の高知県での施行により行政区画としての勝浦郡が発足。「勝浦名東郡役所」が名東郡徳島寺島町に設置され、同郡とともに管轄。
  • 明治13年(1880年3月2日 - 徳島県(第2次)の管轄となる。

町村制以降の沿革[編集]

1.小松島村 2.勝占村 3.多家良村 4.生比奈村 5.棚野村 6.高鉾村 7.福原村(紫:徳島市 桃:小松島市 赤:勝浦町 橙:上勝町)
  • 明治22年(1889年10月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(7村)
    • 小松島村 ← 小松島浦、日開野村、金磯新田村、芝生村、田野村、中郷村、中田村、江田村、前原村、田浦村、新居見村(現・小松島市)
    • 勝占村 ← 西須賀村、方上村、大谷村、大松村、大原浦、論田浦、鶴岡新田(現・徳島市)
    • 多家良村 ← 渋野村、八多村、宮井村、飯谷村、本庄村(現・徳島市)
    • 生比奈村 ← 沼江村、中角村、生名村、星谷村(現・勝浦町)
    • 棚野村 ← 三渓村、久国村、棚野村、坂本村(現・勝浦町)
    • 高鉾村 ← 正木村、傍示村(現・上勝町)
    • 福原村 ← 福原村、生実村、旭村(現・上勝町)
  • 明治24年(1891年4月1日 - 郡制を施行。郡役所が小松島村に設置。
  • 明治40年(1907年11月1日 - 小松島村が町制施行して小松島町となる。(1町6村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年2月11日 - 棚野村が町制施行・改称して横瀬町となる。(2町5村)
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和26年(1951年
  • 昭和30年(1955年

変遷表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 長門本のみ。[1]

    判官これをば何といふ所ぞと尋ね給へば、

    勝浦と申候、 軍に吉例とおもひて、汝は色代を申か、 さは候はず、御室御領五ヶ庄内、下臈はかつらと申候べとも、 字には勝浦と書て候、昔崇道尽敬天皇異賊を平らげ給ひしに、 軍かち給しよりして、勝浦と申伝へたりとぞ申、 判官大に悦てこれきき給へ殿原、

    軍しに来る義経が勝うらに着たる不思議さよ、
  2. ^ 記載は大原村。
  3. ^ 布達は前年12月6日だが、本項では実施日とした。

参考文献[編集]

関連項目[編集]