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*[[2007年]] これまで会長CEOだったサミー出身の里見治が社長CEO兼COO(6月19日)に就任、社長COOであったセガ出身の小口は副社長に。[[セガカラ]]を運営していたセガ・ミュージック・ネットワークスを[[BMB]]に売却
*[[2007年]] これまで会長CEOだったサミー出身の里見治が社長CEO兼COO(6月19日)に就任、社長COOであったセガ出身の小口は副社長に。[[セガカラ]]を運営していたセガ・ミュージック・ネットワークスを[[BMB]]に売却
*[[2008年]] 業務用汎用CGボード[[RING (アーケードゲーム基板)|RING]]シリーズ (RINGEDGE, RINGWIDE) 発表。セガ出身で[[ナイキ]]ジャパン統括本部長、[[日本マクドナルド]]COOを経た[[臼井興胤]]が社長COOに就任、里見治は会長CEOに
*[[2008年]] 業務用汎用CGボード[[RING (アーケードゲーム基板)|RING]]シリーズ (RINGEDGE, RINGWIDE) 発表。セガ出身で[[ナイキ]]ジャパン統括本部長、[[日本マクドナルド]]COOを経た[[臼井興胤]]が社長COOに就任、里見治は会長CEOに
*[[2009年]] アミューズメント施設運営部門の一部を株式会社ES1として分社化し、ES1全株式を[[スクウェア・エニックス・ホールディングス]]へ譲渡(後の[[タイトー]]〈3代〉)<ref>[http://sega-games.co.jp/ir/pdf/20090618.pdf 平成21年3月期決算公告]セガ</ref>
*[[2012年]] 本社を羽田から東品川のカナルサイドビルへ移転(登記上の本店は羽田のまま)。ソーシャルゲーム部門をセガネットワークスとして分社化。アミューズメント施設事業をセガ ビーリンクから商号変更した[[セガ エンタテインメント]]へ移管
*[[2012年]] 本社を羽田から東品川のカナルサイドビルへ移転(登記上の本店は羽田のまま)。ソーシャルゲーム部門をセガネットワークスとして分社化。アミューズメント施設事業をセガ ビーリンクから商号変更した[[セガ エンタテインメント]]へ移管
*[[2013年]] [[インデックス (1995年設立の企業)|インデックス]]の民事再生スポンサーとなる。11月に旧:インデックスから100%子会社の[[インデックス (2014年設立の企業)|インデックス]](旧:セガドリーム)へ旧:インデックスの全事業を譲受。12月にインデックスのアミューズメント事業をセガ本体へ統合<ref name="sega20131202">[http://sega.jp/corp/release/2013/1202/ 株式会社インデックスのアミューズメント事業のグループ内移管について]セガプレスリリース 2013年12月2日</ref>
*[[2013年]] [[インデックス (1995年設立の企業)|インデックス]]の民事再生スポンサーとなる。11月に旧:インデックスから100%子会社の[[インデックス (2014年設立の企業)|インデックス]](旧:セガドリーム)へ旧:インデックスの全事業を譲受。12月にインデックスのアミューズメント事業をセガ本体へ統合<ref name="sega20131202">[http://sega.jp/corp/release/2013/1202/ 株式会社インデックスのアミューズメント事業のグループ内移管について]セガプレスリリース 2013年12月2日</ref>

2015年11月29日 (日) 10:08時点における版

株式会社セガゲームス
SEGA Games Co., Ltd.
セガのロゴ
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7964
1990年10月1日 - 2004年9月27日
東証2部 7964
1988年4月12日 - 1990年9月30日
店頭公開 7964
1986年4月 - 1988年4月11日
略称 SEGA(ブランド)
本社所在地 日本の旗 日本
140-8583
東京都品川区東品川1丁目39番9号
カナルサイドビル
本店所在地 144-8531
東京都大田区羽田1丁目2番12号
北緯35度33分5.9秒 東経139度44分36.3秒 / 北緯35.551639度 東経139.743417度 / 35.551639; 139.743417座標: 北緯35度33分5.9秒 東経139度44分36.3秒 / 北緯35.551639度 東経139.743417度 / 35.551639; 139.743417
設立 1960年6月3日(創業1951年4月
業種 その他製品
法人番号 4010801006141 ウィキデータを編集
事業内容 コンシューマーゲームの開発・製造・販売
代表者 代表取締役会長 岡村秀樹
代表取締役社長CEO 里見治紀
資本金 1億円(2015年4月1日現在)
売上高 単独:793億7400万円
2015年3月期)
営業利益 単独:△52億7100万円
(2015年3月期)
純利益 単独:△34億500万円
(2015年3月期)
純資産 単独:398億9900万円
(2015年3月31日現在)
総資産 単独:1154億9800万円
(2015年3月31日現在)
従業員数 967名(2015年4月1日現在)[1]
決算期 3月31日(年1回)
主要株主 (株)セガホールディングス 100%
主要子会社 (株)アトラス 100%
(株)ウェーブマスター 100%
関係する人物 名越稔洋(取締役兼開発統括本部統括本部長)
外部リンク http://sega-games.co.jp
特記事項:2015年4月1日に株式会社セガから現社名へ商号変更。
2015年3月期決算は、セガホールディングスセガ・インタラクティブセガ・ライブクリエイションへ移管された事業も含む。
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株式会社セガゲームスSEGA Games Co., Ltd.)は、家庭用ゲームソフト開発製造販売を行うセガサミーホールディングスグループ企業で、株式会社セガホールディングスの100%子会社。

本稿では株式会社セガ時代の家庭用ゲームや経営についても述べる。

概要

1951年に外資系ジュークボックスの納入・メンテナンス会社として創業(ただし、現在のセガゲームスは1960年に分社化された際の片方、日本娯楽物産が母体となっている。また、1984年のCSKグループの資本参加の際に民族資本となっている)。1983年にコンシューマーゲームに進出。

社名の頭文字であるセガの由来は、日本娯楽物産が1960年に発売して大ヒットした国産初のジュークボックス「セガ1000」にちなむ。日本娯楽物産の前身「サービスゲームズジャパン」の「SERVICE GAMES」から命名されたものであり、近年では頭文字にセガが付くグループ企業も含めて簡略化して後者のみ紹介される場合が多い。

2015年2月12日にセガサミーグループの再編が発表され、株式会社セガは同年4月1日付で株式会社セガゲームスに商号変更の上コンシューマゲーム部門を手掛ける会社となり、セガから新設分割で設立された中間持株会社セガホールディングスの子会社となった[2][3][4][5][6]

セガ時代にはコンシューマーゲーム事業以外にも、アーケードゲーム事業やアミューズメント施設などの各種事業を行っていた(後述)。

社歌は「若い力」(作詞:セガ社員〈元社員 高橋栄一〉 / 作曲:若草恵)。

実績

セガ時代に手掛けていた家庭用ゲームハード事業では、SG-1000セガ・マークIIIメガドライブセガサターンドリームキャストなどをリリースしており、セガサターン・ドリームキャストは任天堂ソニー・コンピュータエンタテインメントの2社と共に家庭用ゲームハード3大メーカーとして鎬を削るも、どちらも販売戦略の失敗で他の2社の後塵を拝する結果となった。宣伝でセガサターンでは藤岡弘、演じるせがた三四郎を起用。ドリームキャストではプロデューサーの秋元康を社外取締役に招聘し、広告宣伝費に約130億円を投じて当時の役員湯川英一を起用したCMを放映するなど大々的に宣伝した。

1999年に携帯ゲーム機に限り初めて他社プラットフォームのサードパーティー参加を表明。ワンダースワンゲームボーイネオジオポケットにタイトルを供給した。

2001年1月31日に家庭用ゲームハード製造事業からの撤退および他社据置型ゲーム機プラットフォーム(SCE・任天堂・マイクロソフトXbox)へのソフト供給を「構造改革プラン」として発表。以後、他社プラットフォーム向けのソフトウェア供給に専念している。『ソニックシリーズ』、『バーチャファイターシリーズ』、『サクラ大戦シリーズ』等の人気シリーズも他社ハードへ移行した。

経営破綻したゲームメーカーからタイトルの版権や各種権利を譲受することもあり、1998年3月に和議を申請したコンパイル(2003年11月に破産)から、和議申請と同時に『ぷよぷよ』の知的財産権を、コンパイルにおける『ぷよぷよ』の商標使用権が切れた直後の2003年には『ぷよぷよ』の販売権をそれぞれ譲受している。アトラスブランドを保有していたインデックスが2013年6月に民事再生手続を申請し(旧:インデックスは2014年4月に民事再生手続廃止の上、同年7月に破産)、2013年9月にセガがインデックスの再生スポンサーとなったと同時に、セガは事業引受会社となる100%子会社のセガドリームを設立した[7][8][9][10]。同年11月にインデックスの新旧分離とこれに伴うアトラスの全権利を譲受したと同時に、セガドリームの社名はインデックスに変更され、[11][12][13]、アトラスブランドは2014年4月の新:インデックスの会社分割によりアトラス(2代)へ継承された。これによりセガは子会社を通じてではあるものの、アトラスの人気シリーズである『真・女神転生』シリーズ(『ペルソナ』シリーズ含む)、『世界樹の迷宮』シリーズなどのアトラスの全権利を手に入れることとなった。

事業所

  • 本社、コンシューマ・オンライン カンパニー:東京都品川区東品川1丁目39番9号(カナルサイドビル)
  • セガネットワークス カンパニー:東京都港区六本木1丁目6番1号(泉ガーデンタワー7階)
  • 羽田1・2号館:東京都大田区羽田1丁目2番12号(登記上の本店)
  • TRC羽田ビル:東京都大田区東糀谷2丁目13番1号(TRC羽田ビル)

経営

1984年に大川功率いるCSKが、セガの親会社であったアメリカのガルフ&ウエスタン(過去にパラマウント映画スタックス・レコードなどを保有した、金融・不動産系コングロマリット)から株式を買収し、CSKグループ入りした。その後、バブル景気到来による娯楽の拡大から業績は堅調に推移し、キョクイチの買収など事業を拡大した。

1980年代末頃、家庭用ゲーム機で自身の特許知的財産権)を侵害されたとしてアメリカの発明家 ジャン・コイルがセガと任天堂に対して訴訟を起こした。任天堂はライセンス料を支払う形で和解するも、セガは最高裁判所まで争い、1992年に57億円の支払いを命ずる判決が下される結果となった(ジャン・コイル事件)。

1994年末に発売したセガサターンが、ソニー・コンピュータエンタテインメントPlayStationや1996年発売のニンテンドー64との間でシェア争い(→日本におけるゲーム機戦争)が起こり、特にPlayStationに大きく水をあけられ苦戦することになった。

1997年1月23日エニックス(現:スクウェア・エニックス)がPlayStation用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作発表を行った同日に、セガとバンダイは「1997年10月1日付でバンダイ(現在はナムコと経営統合し バンダイナムコホールディングスの一部)と合併し、新社名をセガバンダイとする」と発表した。
これはバンダイ側が1997年3月期決算で上場以来初の赤字見通しとなった事が関係しているとされる。バンダイはキャラクタービジネスに強みを持っていたが創業者一族による叩き上げの同族経営で発展した玩具メーカー、セガはアミューズメント事業とコンシューマー事業の2本柱でバンダイを大きく上回る(2倍以上の売上高)規模で事業展開を行う大手娯楽企業といった社風に大きな違いがあった。また、同年3月頃より前年発売の『たまごっち』が大ヒットした事(諸説)もあり、同年5月27日、バンダイからの申し入れにより合併合意は解消となった。

セガバンダイの破談後、大川功CSK代表取締役会長がセガ代表取締役会長にも就任(兼任)したことで実効的に経営参画し、CSKとセガ、アスキー(後のメディアリーヴス)、大川功個人の4者間で株式の持ち合いを強化した。また、1998年に中興の祖であった中山隼雄代表取締役社長が退任し、後任には本田技研工業出身の入交昭一郎副社長が昇格した。

1998年11月に社運を賭けて発売したドリームキャストがPlayStationの牙城を崩すことはできず売上不振が続いた事で、2000年3月期まで3期連続で約350-430億円の赤字を計上する。1999年に海外でも発売し好調な売れ行きを見せたが、PlayStation 2の登場により2000年後半以降全世界で売上が失速する。2000年6月に入交昭一郎代表取締役社長が同副社長に降格、秋元康が社外取締役を退任し、大川功会長が代表取締役社長を兼務する役員体制とした。同時にアーケードゲーム製造事業も不採算事業となり、2000年12月にアーケード機器最終組立工場であった矢口事業所(千葉県印旛郡栄町)を閉鎖し(現在はセガ・ロジスティクスサービス矢口事業所として存続)[14]、アーケード機器組立を外注化した。また、アミューズメント施設事業を地域5社へ分社化(後にセガ アミューズメントへ統合)し、全国各地にあった支店・営業所・出張所[15][16]を段階的に閉鎖した。

2001年1月31日、経営再建策「構造改革プラン」として、家庭用ゲーム機ハード事業(ドリームキャスト)からの撤退と他社家庭用ゲーム機プラットフォームへのソフト供給を発表。約815億円の特別損失を計上し、経営破綻寸前に陥った。しかし翌日に大川功が約850億円の私財寄付という形で損失補填を表明したことで経営危機は回避されたが、大川功は同年3月に鬼籍に入った。この経営再建策から2002年3月期以降、業績は回復基調へ移った。

サミーとの経営統合

2003年2月13日にセガはパチスロメーカーのサミーとの経営統合を発表。この合併劇は大川亡き後のCSK青園雅紘社長(当時)主導で纏められ、発表当時は寝耳に水とされた。CSKは保有するセガ株の下落により約500億円の減損処理を強いられ株主資本を毀損する情勢となったことから、サミーへの持株売却による資本撤退を狙ったものとされている[17]

しかしながら、2001年9月にアミューズメント事業で業務提携していたナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)が2002年より経営統合の申し入れを行っていた事を2003年4月17日にナムコ側が正式発表を行い、同時期にゲーム開発部門をコナミ(後のコナミホールディングス)と合併する話も表面化した。しかし、サミーとの経営統合が決定したこともあり自然消滅している。また、ドリームキャストの不振による経営危機が囁かれた2000年12月27日には任天堂がセガを買収するとニューヨークタイムズが報じたが、セガと任天堂双方で事実無根である旨をニュースリリースで公表したり、マイクロソフト本社がXbox立ち上げの際にセガの買収を内部で検討していたことが2013年2月に元役員のインタビューから明らかとなっている。

2003年12月、当初発表通りサミーがCSKの保有するセガ株22.4%を453億3400万円で買収し筆頭株主となり、セガは事実上サミーの傘下に入った。また2004年10月1日付けで事業持株会社 セガサミーホールディングス(セガサミーHD)を設立し、セガはサミーと共にセガサミーHDの100%子会社となり経営統合した。

2004年に作家の清水一行がセガバンダイ合併構想からサミーによる買収までの一連のM&A騒動を、セガをモチーフにしたゲーム会社の総務社員が親会社創業者の令によって合併交渉に奔走する様を描いた経済小説「ITの踊り」を上梓している。

セガグループ再編

セガサミーホールディングスは2015年1月30日に、ソーシャルゲーム並びにオンラインゲームを成長分野として位置づける一方で、2014年3月期決算で営業損益の約7割を占め、2015年3月期も赤字予想となっていたアーケードゲーム事業を中心に製品ラインナップの絞り込みや、一部サービスから撤退することを柱にしたセガにおける構造改革を発表[18]。同年2月12日に、セガグループをコンシューマ事業、アミューズメント事業、TOY・映像事業、アミューズメント施設事業の4事業に再編し、同年4月1日付でセガをセガネットワークスを吸収合併した上でセガゲームスへ商号変更する、中間持株会社であるセガホールディングス、アーケードゲームを手掛ける新会社となるセガ・インタラクティブジョイポリスOrbi Yokohamaの運営を行う新会社となるセガ・ライブクリエイションの3社をセガから新設分割で設立することを発表。同年3月26日にセガが経済産業省に提出していた産業競争力強化法に基づく事業再編計画が経済産業省から認定され[19]、セガ本体は同年4月1日付でセガネットワークスを吸収合併してセガゲームスへ商号変更した上でコンシューマーゲーム事業並びにソーシャルゲーム事業のみを行う会社となり、同じくコンシューマーゲーム及びソーシャルゲーム事業を手掛けているサミーネットワークス、セガゲームスの子会社となったアトラス共々セガグループのコンシューマ事業に組み入れられた。

同時に、子会社管理などのコーポレート部門、IP(知的財産権)管理部門、ITインフラ部門をセガホールディングスへ、日本娯楽物産時代から手掛けていたアーケードゲーム事業やそれに付帯する事業をセガ・インタラクティブへ、ジョイポリスOrbi Yokohamaなどのエンタテイメントパーク事業の一部をセガ・ライブクリエイションへ同年4月1日付でそれぞれ承継させた。

これに伴い、セガやサミーが開発したゲームのIP(知的財産権)やソニック・ザ・ヘッジホッグなどのセガのキャラクターの版権はセガホールディングスが保有することになった他、セガゲームス並びに、セガ・インタラクティブやセガ エンタテインメント、サミーネットワークスなどは、セガサミーホールディングスの連結子会社となったセガ・ライブクリエイションを除き、セガから新設分割で設立されたセガホールディングスの子会社もしくは孫会社となった[2][3][4][5][6]

セガゲームスは従来からの家庭用ゲームやPCゲームを手掛けるコンシューマ・オンラインカンパニーと、旧セガネットワークスが行ってきたスマートフォンタブレット端末向けコンテンツ配信を行うセガネットワークス カンパニーの社内カンパニー制を採用する。但し、セガ第一研究開発本部が開発を担当していた『チェインクロニクル』シリーズ並びに『封印勇者!マイン島と空の迷宮』の開発は、セガ・インタラクティブの研究・開発組織となったセガ・インタラクティブ第一研究開発本部が引き続き行う。

同業他社との関係

ドリームキャストの製造中止を発表した2001年以降はコラボレーションによるソフト開発や、アーケードゲーム基板「Triforce」の共同開発などで、かつての競合他社である任天堂に急接近している。当初はゲームキューブ向け新作タイトルの供給に注力した他、後年にはWiiバーチャルコンソール向けメガドライブソフトを提供したり、自社の代表的キャラクターであるソニックが任天堂のゲームに登場したり、アーケード版のリズム天国を共同開発したりと、その提携には拍車がかかりつつある。

レベルファイブが開発したニンテンドーDSソフトイナズマイレブンシリーズが、セガのペンなどによって画面にタッチしキャラクターを操作するシステムの特許を侵害しているとして、2012年10月22日、レベルファイブに対しイナズマイレブンシリーズ8作品の販売差し止め・廃棄並びに約9億円の損害賠償(特許使用料として入る見込みだった金額)の支払いを求め東京地裁に提起した(現在係争中)[20]

会社沿革

株式会社セガ

株式会社セガゲームス

  • 2015年 セガサミーグループの再編を行い、商号を株式会社セガから、セガネットワークスを吸収合併の上で株式会社セガゲームスへ変更(ただし英語では1950年代の名称のようにゲームズと濁る)。セガからコーポレート部門、IP管理部門、ITインフラ部門を株式会社セガホールディングスへ、アーケードゲーム事業を株式会社セガ・インタラクティブへ、ジョイポリスなどのエンタテイメントパーク事業を株式会社セガ・ライブクリエイションへそれぞれ新設分割で設立かつ移管。セガゲームスはセガホールディングスの子会社となる[2][3][4][5][6]

近年の動向

  • 2005年に日本で開始されたMMORPGの『RF online』で、開始当初に急遽サーバの増設を行うほどの集客を獲得したものの、限定アイテムの配布時期の延期、データは既に存在しているマップの実装を長期間見送る、規約違反者への対処が甘いなど、運営上の不手際が多々あり人離れがしばしば見かけられ、2007年の2月、わずか1年半足らずでサービス終了となる事態を招いた。
  • 2007年5月31日に中華人民共和国でのオンラインゲーム(MMORPG)事業を展開するSega Networks(China) Co.,Ltdを解散し、同事業から撤退した[28]。この影響から中国市場向けに先行テストサービスが予定されていたMMORPG版『シェンムーオンライン』・『サクラ大戦オンライン』・『聖闘士星矢オンライン』・『三国志大戦オンライン』の開発が事実上中断されている(聖闘士星矢―と三国志大戦―は2011年に中国・香港のゲーム会社とライセンス供与契約を締結した[29])。
  • 2008年頃から2009年頃までコンシューマー事業や当時手がけていたアミューズメント施設事業やが芳しくない状態が続き、2009年に約560人の希望退職を行うことを発表した。
  • 2015年4月25日に発生したネパール地震を受け、セガゲームスは同年5月31日までの『ファンタシースターオンライン2』、同年5月1日から5月3日までの『ぷよぷよ!!クエスト』・『チェインクロニクル〜絆の新大陸〜』・『オルタンシア・サーガ -蒼の騎士団-』の4タイトルの課金アイテムの全売り上げを日本赤十字社を通じて寄付することを発表した[30]

製品

家庭用ゲーム機

いずれもセガ・エンタープライゼス時代のもの。

知育エンターテインメントサービス

コンシューマゲーム作品

コンシューマゲーム作品のみ記載。アーケードゲーム作品はセガ・インタラクティブへ移管。
  • 各ジャンル毎に五十音順に並んでいる。

アクションゲーム

アクションアドベンチャーゲーム

アドベンチャーゲーム

音楽ゲーム

オンラインゲーム

シューティングゲーム

シミュレーションゲーム

スポーツゲーム

ソーシャル&モバイルゲーム

対戦型格闘ゲーム

テーブルゲーム

パズルゲーム

パドルとボールゲーム

レースゲーム

ロールプレイングゲーム

ミリオンセラーとなったソフト

セガより発売されたゲームソフトで、日本国内での売り上げ本数100万本を突破したものは、現時点では1995年セガサターン用『バーチャファイター2』と2006年ニンテンドーDS用『オシャレ魔女ラブandベリー DSコレクション』の2本のみである(『ソニックアドベンチャー』、『ソニックアドベンチャー2』については、リメイク作品の『ソニックアドベンチャーデラックス』、『ソニックアドベンチャー2バトル』を含めると100万本を突破している)。

国外ではジェネシス(国外版メガドライブ)、ドリームキャストゲームボーイアドバンスニンテンドーゲームキューブなどでの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ / ソニックアドバンス / ソニックアドベンチャーシリーズ』や、スポーツゲームではESPNブランドもしくはSega Sportsブランドでの北米3大スポーツ「NBA / NFL / NHL」シリーズなどでミリオンセラーを連発しており、また、ドリームキャスト用ソフト「シェンムー」や「クレイジータクシー」、PlayStation 2版「バーチャファイター4」などは日本国内、海外を含めた全世界累計での販売本数がミリオンセラーを記録している。

任天堂との共同開発(海外ではセガの販売)である「マリオ&ソニック AT 北京オリンピック」「マリオ&ソニック AT バンクーバーオリンピック」は2作あわせて1,900万本(全世界)の大ヒットとなっている[31]

実写作品

セガ時代に手掛けていた事業

家庭用ゲームハード事業は除く。

アーケードゲーム事業

コンシューマゲーム進出前からの主力事業で、1964年に進出。アーケードゲームやゴルフ製品の開発・生産・販売、ALL.Net、セガプライズ・SEGAラッキーくじなどの関連事業を手掛けていたが、2015年4月1日にセガから新設分割で設立された株式会社セガ・インタラクティブへ事業移管[2][3][4][5][6]。同時に「セガ第一研究開発本部」並びに「セガ第二研究開発本部」(旧:SEGA-AM2)も、「セガ・インタラクティブ第一研究開発本部」並びに「セガ・インタラクティブ第二研究開発本部」となった。

アミューズメント施設事業

「セガワールド」「セガアリーナ」「ハイテクランドセガ」「クラブセガ(CLUB SEGA)」「ギーゴ(GIGO)」「岡山ジョイポリス」「サミーズレグノ」「サミーズストリート」などを直営もしくは前述の地域子会社が運営していたが[24]、2012年10月1日に株式会社AGスクエアを吸収合併して株式会社セガ ビーリンクから商号変更した株式会社セガ エンタテインメントへ事業移管。

玩具事業

1980年代に玩具事業を立ち上げ、ピッチングマシン玩具の「ロボピッチャ」(湯川英一がテレビCMに出演)や、光線銃(テレビアニメとのタイアップに伴い「ジリオン」に改称)などの製品をリリースした。1994年5月にセガが株式会社ヨネザワ(後の株式会社セガトイズ)を買収し、統合する形でセガトイズへ玩具事業を完全に移管した。

エンタテインメントパーク事業

1994年7月に開業した横浜ジョイポリスを皮切りに各地エンタテインメントパークであるジョイポリスを各地に開業させ、2013年8月に「Orbi Yokohama」を開業させてセガ直営で運営してきたが、東京ジョイポリス・梅田ジョイポリス・Orbi Yokohamaの3施設は2015年4月1日にセガから新設分割で設立された株式会社セガ・ライブクリエイションへ事業移管[2][3][4][5][6]

業務用カラオケ事業

1994年にセガが子会社のセガ・ミュージック・ネットワークスを設立し、「セガカラ」の名で業務用カラオケ事業に参入したが、後の不振により、2007年9月1日にセガ・ミュージック・ネットワークスの全株式を株式会社BMB(後に株式会社エクシングへ吸収合併)へ譲渡し業務用カラオケ事業から撤退。

自動車教習所向けドライビングシミュレーター事業

かつては自動車教習所向けのドライビングシミュレーターもセガからリリースしていたが(『免許の鉄人』としてアーケード化)、現在はセガ・ロジスティクスサービスが開発・製造・販売を行っている。

不祥事・事故

パワーハラスメント
1999年にセガは、配属先の決まらない社員を私物の持ち込みは禁止とし、人事部の許可がなければ外出することが出来ない、なしの部屋に待機させていたことが発覚した。この部屋に入れられ、会社の退職勧告拒否解雇された元社員の1人が不当解雇撤回などの仮処分を申し立て、東京地裁解雇権の乱用としてセガに賃金仮払いを命じたが、セガはこれを不服として提訴した。また、2001年4月1日にもセガは、子会社への転籍指示に従わなかった社員12人をパソナルーム(自己研修部屋)と呼ばれる人事調整室の一室に出勤させ、仕事を与えず午前9時から午後5時45分の退社時刻まで何もせず待機するように命じる辞令を社員に通知、自己都合退職に追い込む事を目的としたパワーハラスメントではないかと波紋を広げた[32]。このことに関し、労働問題に詳しい弁護士は「退職勧奨のレベルを超え典型的な退職強要だ。野放しにしておけば世に横行しかねない。転籍は事前に本人の同意が必要なことは判例でも確立している。一片の業務命令でやれるものではない」と発言している[32]
Googleマップ経由でのアルバイト応募者の個人情報漏洩
2008年11月3日家庭用ゲームソフトデバッグ調査業務アルバイトへの応募者合計115名分の氏名年齢住所本籍地生年月日電話番号などの個人情報3月19日から11月3日までの間にGoogle マップ経由でインターネット上の外部に漏洩していたことが発覚した[33]
外部からの不正アクセスによる欧州子会社の個人情報漏洩
2011年6月19日に欧州子会社のSEGA EUROPEのホームページが外部からの不正アクセスにより、129万755人分のサービス利用者の氏名、生年月日、メールアドレスパスワードが漏洩した[34]
セガ公式Twitterでの不適切な発言
2013年10月1日、セガ公式Twitterにて「「増税→消費を絞るしかない→嗜好品終了のお知ら」とかワロス。まず削るのは衣食住だろJKww」と不適切な内容の発言をし[35]、その後発言が削除され謝罪が掲載された[36]
不正アクセス
2014年5月12日、セガ公式サイトが不正アクセスを受けたため、一部を除きほとんどのセガのサイトが一時的な閉鎖に追い込まれた[37](2014年7月28日現在はほとんどのサイトが復旧している)。また、ソニックシリーズのポータルサイト『ソニックチャンネル』の一時閉鎖に伴い、同サイトのコンテンツであるファンアートの応募も7月のテーマの募集を中止したうえで6月のテーマの応募期間を延長した[38]

関連作品

セガのゲームソフトから派生した作品及び提供した番組を掲げる。

アニメ作品

いずれもセガ時代のものである。

提供番組

全てセガ時代に提供した番組。

他多数

関連会社

脚注

  1. ^ 認定事業再編計画の内容の公表 経済産業省
  2. ^ a b c d e セガグループの再編及び新会社設立のお知らせセガプレスリリース 2015年2月12日
  3. ^ a b c d e グループ内組織再編とそれに伴う一部子会社の名称変更に関するお知らせセガサミーホールディングス 2015年2月12日
  4. ^ a b c d e セガグループ再編により,セガを分社化して新会社3社を設立。コンシューマ事業部門はセガネットワークスを吸収合併してセガゲームスへ4Gamer.net 2015年2月12日
  5. ^ a b c d e セガサミーHDグループ再編 トムスは中間持株会社セガHDの子会社にアニメ!アニメ!ビズ 2015年2月14日
  6. ^ a b c d e 新生セガグループ営業開始のお知らせセガホールディングス 2015年4月1日
  7. ^ スポンサーの選定及び事業譲渡契約締結のお知らせインデックス(旧法人)2013年9月18日
  8. ^ 株式会社インデックスの事業譲受けに関する契約締結についてセガサミーホールディングス 9月18日
  9. ^ セガサミー、インデックス買収を正式発表・・・「アトラス」ほか事業の大半を取得INSIDE 2013年9月18日(同日閲覧)
  10. ^ セガサミー、インデックスの事業譲受けを決定GAMEWatch 2013年9月18日(2013年9月19日閲覧)
  11. ^ セガドリームがインデックスに社名を変更ファミ通.com 2013年11月1日(同日閲覧)
  12. ^ 当社子会社の事業譲受に関するお知らせセガプレスリリース 2013年11月1日
  13. ^ インデックス : 新旧分離でセガ傘下に 「アトラス」ブランドも継続まんたんウェブ 2013年11月1日
  14. ^ 矢口事業所の閉鎖ならびに希望退職募集についてセガプレスリリース 2000年10月30日
  15. ^ 事業所セガ・エンタープライゼス(1998年12月6日のキャッシュ)
  16. ^ 営業所・出張所セガ・エンタープライゼス(1997年2月15日のキャッシュ)
  17. ^ セガとサミーの唐突な合併、思惑外れた青園CSK社長 - 2003年2月25日 日経BPnet
  18. ^ 株式会社セガにおける構造改革の実施に関するお知らせセガサミーホールディングス 2015年1月30日
  19. ^ 株式会社セガの産業競争力強化法に基づく事業再編計画を認定しました経済産業省 2015年3月26日
  20. ^ 「イナズマイレブン」が特許侵害? セガ、東京地裁にレベルファイブを提訴 2012年12月11日 ITmedia
  21. ^ セガとバンダイ、10月1日に合併することを発表、新社名は「セガバンダイ」”. PC Watch (1997年1月23日). 2012年8月20日閲覧。
  22. ^ アミューズメント施設運営子会社の統合に関するお知らせ2002年1月30日
  23. ^ 当社子会社間のアミューズメント・コンシューマ関連事業における発売元 / 販売元変更に関するお知らせセガサミーホールディングス 2004年12月28日
  24. ^ a b セガサミーグループの各事業分野別再編に伴う子会社の合併(アミューズメント施設事業)についてセガサミーホールディングス 2005年1月28日
  25. ^ 平成21年3月期決算公告セガ
  26. ^ 株式会社インデックスのアミューズメント事業のグループ内移管についてセガプレスリリース 2013年12月2日
  27. ^ セガが減資…資本金が599億円減少し1億円にSosial Game Info 2014年8月18日
  28. ^ セガ、中国におけるオンラインゲーム事業から撤退--現地化ができなかったのが原因か 2007年6月7日 4Gamer.net
  29. ^ 2011年に中国企業へのライセンス供与契約を締結し、開発中とされている。セガ、ライセンス契約を締結 2011年5月20日 Game Watch
  30. ^ ネパールで発生した大地震被害に対する支援についてセガゲームス 2015年4月28日
  31. ^ "ゲームソフト『マリオ&ソニック AT ロンドンオリンピック™(仮称)』発売決定!" (Press release). セガ、任天堂. 22 April 2011. 2011年7月17日閲覧
  32. ^ a b <特報・リストラ>転籍拒否なら「隔離部屋」セガが12人に辞令”. 毎日新聞 (2007年9月14日). 2012年1月12日閲覧。
  33. ^ セガ、デバッグアルバイト応募者の個人情報がGoogleマップ流出 INTERNET Watch ニュース
  34. ^ セガ、欧州子会社で個人情報のべ129万人分漏洩を確認 クレジットカード情報などはなし GAME Watch ニュース
  35. ^ セガ公式Twitter「増税で嗜好品終了とかワロス。まず削るのは衣食住だろww」→「誤った投稿でした」と謝罪 2013年10月1日 ガジェット通信
  36. ^ Twitter - SEGA OFFICIAL 2013年10月1日 セガ公式アカウント
  37. ^ 不正アクセスによる一部公式サイト停止のお知らせ | トピックス | セガ 製品情報
  38. ^ ソニックチャンネル スタッフコラム:ソニックチャンネル ファンアートに関するお知らせ

外部リンク