秋田県
あきたけん 秋田県 | |||||
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| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
団体コード | 05000-8 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-05 | ||||
面積 |
11,637.52km2 | ||||
総人口 |
896,225人[編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 77人/km2 | ||||
隣接都道府県 |
青森県 岩手県 宮城県 山形県 | ||||
県の木 | 秋田杉 | ||||
県の花 | フキノトウ | ||||
県の鳥 | ヤマドリ | ||||
県の魚 県の歌 マスコット |
ハタハタ 秋田県民歌、県民の歌 んだッチ | ||||
秋田県庁 | |||||
知事 | 佐竹敬久 | ||||
法人番号 | 1000020050008 | ||||
所在地 |
〒010-8570 秋田県秋田市山王四丁目1番1号(本庁) 北緯39度43分07秒 東経140度06分09秒 / 北緯39.7186度 東経140.1025度座標: 北緯39度43分07秒 東経140度06分09秒 / 北緯39.7186度 東経140.1025度 〒010-8572 秋田県秋田市山王三丁目1番1号(第二庁舎) | ||||
外部リンク | 美の国あきたネット | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/秋田県 | ||||
ウィキプロジェクト |
秋田県(あきたけん、旧字体・異体字:秋田縣・穐田縣・龝田縣[1])は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は秋田市。
地理・地域
[編集]位置
[編集]地形
[編集]- 山地:奥羽山脈(八幡平、秋田駒ヶ岳、栗駒山)、出羽山地、真昼山地(和賀山塊)、太平山地(太平山)、白神山地、笹森丘陵、(鳥海山)
- 平野:秋田平野、能代平野、本荘平野
- 盆地:大館盆地、鷹巣盆地、花輪盆地、横手盆地
- 半島:男鹿半島
- 河川:米代川、雄物川、子吉川
- 湖沼:十和田湖、田沢湖、八郎潟残存湖、太平湖
自然公園
[編集]- 国立公園:十和田八幡平国立公園
- 国定公園:男鹿国定公園、鳥海国定公園、栗駒国定公園
- 県立自然公園:真木真昼県立自然公園(大仙市、美郷町)、田代岳県立自然公園(大館市)、きみまち阪県立自然公園(能代市)、八森岩館県立自然公園(八峰町)、秋田白神県立自然公園(八峰町、藤里町)、田沢湖抱返り県立自然公園(仙北市)、森吉山県立自然公園(北秋田市)、太平山県立自然公園(秋田市、上小阿仁村、五城目町)
気候
[編集]秋田県は日本海に面しており、気候区分は日本海側気候に分類される。日本海側気候の中でも秋田県の特徴として沿岸部の冬季の降水量はそれほど多くないが、日照時間が極端に少ないことが挙げられる。
内陸部では低温のため、同じ日本海側の山形県や新潟県と同様に県内陸部のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい県である。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず(鹿角市と仙北市などの内陸部を除く)、特に日本海側沿岸部などは北関東よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、秋田沖付近に発生する暖流の突発的な大気潮汐によって生み出された寒冷渦や極低気圧からもたらされる暴風雪や「ドカ雪」と呼ばれる豪雪がしばし見られることもある。
一方で、夏季は高温多湿でどんよりとしており梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら、太平洋側から吹く季節風は奥羽山脈の山々に遮られ、フェーン現象が発生することがある。太平洋側に冷害をもたらすと言われるやませも高温乾燥した風となり、県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日や猛暑日になることもある。特に仙北市周辺では、この風が豊作をもたらすとして「宝風」と吟われる(生保内節)。
平年値 (月単位) |
日本海側沿岸部 | 北東部内陸 | |||||||||||||||
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八峰町 八森 |
能代 | 大潟 | 男鹿 | 五城目 | 秋田 | 秋田市 岩見三内 |
秋田市 雄和 |
秋田市 大正寺 |
由利本荘市 本荘 |
由利本荘市 矢島 |
にかほ市 象潟 |
北秋田市 鷹巣 |
北秋田市 脇神 |
北秋田市 阿仁合 |
大館 | ||
平均 気温 (℃) |
最暖月 | 23.9 (8月) |
24.1 (8月) |
23.6 (8月) |
23.5 (8月) |
23.7 (8月) |
24.5 (8月) |
23.7 (8月) |
23.6 (8月) |
24.1 (8月) |
24.5 (8月) |
24.9 (8月) |
23.5 (8月) |
23.0 (8月) |
23.2 (8月) | ||
最寒月 | 0.4 (1月) |
-0.2 (2月) |
-0.3 (1月) |
-0.5 (1月) |
-1.1 (1月) |
0.0 (1月) |
-1.5 (1月) |
-1.2 (1月) |
0.5 (1月) |
-0.4 (1月) |
2.1 (1,2月) |
-1.2 (1月) |
-2.4 (1月) |
-2.5 (1月) | |||
降水量 (mm) |
最多月 | 167.3 (7月) |
161.9 (6月) |
161.5 (8月) |
170.4 (8月) |
175.9 (8月) |
183.5 (11月) |
233.4 (7月) |
209.4 (11月) |
211.7 (12月) |
270.6 (11月) |
188.5 (7月) |
203.5 (7月) |
236.1 (8月) |
210.5 (7月) | ||
最少月 | 58.3 (2月) |
76.0 (3月) |
62.5 (2月) |
72.0 (2月) |
78.8 (3月) |
84.0 (2月) |
111.7 (3月) |
101.9 (3月) |
101.0 (3月) |
117.5 (5月) |
93.9 (3月) |
86.5 (2月) |
111.3 (3月) |
72.5 (2月) | |||
平年値 (月単位) |
北東部内陸 | 仙北・南東部内陸 | |||||||||||||||
鹿角 | 鹿角市 湯瀬 |
鹿角市 八幡平 |
仙北市 田沢湖 |
仙北市 角館 |
大仙市 大曲 |
横手 | 由利本荘市 東由利 |
湯沢 | 湯沢市 湯ノ岱 | ||||||||
平均 気温 (℃) |
最暖月 | 22.8 (8月) |
22.1 (8月) |
19.9 (8月) |
23.0 (8月) |
24.0 (8月) |
24.0 (8月) |
24.4 (8月) |
23.7 (8月) |
23.7 (8月) |
22.4 (8月) | ||||||
最寒月 | -3.1 (1月) |
-3.0 (2月) |
-5.1 (1月) |
-3.0 (1月) |
-2.0 (1月) |
-2.0 (1月) |
-1.8 (1月) |
-1.4 (1月) |
-1.8 (1月) |
-2.4 (1月) | |||||||
降水量 (mm) |
最多月 | 165.8 (7月) |
167.0 (8月) |
209.8 (8月) |
266.8 (7月) |
234.4 (7月) |
187.2 (11月) |
167.8 (12月) |
251.4 (12月) |
172.2 (8月) |
214.8 (8月) | ||||||
最少月 | 58.9 (2月) |
72.8 (3月) |
94.0 (2月) |
94.2 (2月) |
120.5 (3月) |
90.1 (3月) |
79.4 (3月) |
121.5 (4月) |
70.5 (3月) |
116.8 (3月) |
自治体
[編集]県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2024年10月1日現在。
- 秋田周辺地域(368,991人)
- 大曲・仙北地域(111,502人)
- 大館・北秋田地域(93,249人)
- 本荘・由利地域(91,829人)
- 横手・平鹿地域(78,916人)
- 市
- 能代・山本地域(67,833人)
- 湯沢・雄勝地域(53,285人)
- 鹿角地域(30,719人)
県内の消滅した郡の一覧
[編集]- 河辺郡(2005年(平成17年)1月11日、秋田市との合併で消滅)
- 由利郡(2005年(平成17年)3月22日の由利本荘市誕生、10月1日のにかほ市誕生にともなって消滅)
- 平鹿郡(2005年(平成17年)10月1日、旧横手市との合併で消滅。2015年9月30日までは、旧町村部は地域自治区として各地域局を置く)
都市圏
[編集]1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 |
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秋田 都市圏 38万4718人 |
秋田 都市圏 43万5144人 |
秋田 都市圏 45万0274人 |
秋田 都市圏 45万2316人 |
秋田 都市圏 42万9178人 |
秋田 都市圏 41万2968人 |
秋田 都市圏 39万7801人 |
大館 都市圏 9万5521人 |
能代 都市圏 10万2767人 |
横手 都市圏 11万1887人 |
横手 都市圏 10万8286人 |
大仙 都市圏 14万8258人 |
横手 都市圏 16万8880人 |
横手 都市圏 15万6739人 |
能代 都市圏 9万0847人 |
大館 都市圏 9万0069人 |
能代 都市圏 9万9720人 |
大曲 都市圏 10万4840人 |
由利本荘 都市圏 11万8527人 |
大仙 都市圏 13万9543人 |
大仙 都市圏 13万0585人 |
横手 都市圏 7万2708人 |
横手 都市圏 7万8822人 |
大館 都市圏 8万8231人 |
能代 都市圏 9万5578人 |
横手 都市圏 10万6832人 |
由利本荘 都市圏 11万2773人 |
由利本荘 都市圏 10万5251人 |
大曲 都市圏 6万9993人 |
大曲 都市圏 7万7328人 |
大曲 都市圏 8万7986人 |
本荘 都市圏 8万6256人 |
能代 都市圏 9万0887人 |
能代 都市圏 9万0028人 |
能代 都市圏 8万2476人 |
本荘 都市圏 6万7337人 |
本荘 都市圏 6万8446人 |
本荘 都市圏 8万2462人 |
大館 都市圏 8万6246人 |
大館 都市圏 8万2504人 |
大館 都市圏 7万8946人 |
大館 都市圏 7万9514人 |
湯沢 都市圏 4万9612人 |
湯沢 都市圏 6万8421人 |
湯沢 都市圏 8万1476人 |
湯沢 都市圏 7万7989人 |
湯沢 都市圏 7万3557人 |
- |
- 横手市で秋田自動車道と湯沢横手道路が接続する地形で横手市付近から奥羽山脈を越えて東北自動車道へと繋がる。2010年の横手都市圏は横手市と湯沢市を中心都市とする。
- 1991年(平成3年) - 秋田自動車道との供用が開始される。
- 1997年(平成9年) - ミニ新幹線の秋田新幹線が開業する。
地域圏(広域都市圏)
[編集]県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている(この区分では、いわゆる男鹿潟上南秋地区が、県北部の扱い)。
地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。
- 県北(沿岸北部・内陸北部)
- 鹿角地域振興局(鹿角地域[注釈 1]、鹿角広域都市圏) 42,885人
- 北秋田地域振興局(大館・北秋田地域、大館広域都市圏) 124,354人
- 山本地域振興局(能代・山本地域、能代広域都市圏) 95,491人
- 中央(沿岸中部・南部)
- 秋田地域振興局(秋田周辺地域、秋田広域都市圏) 429,987人
- 由利地域振興局(由利本荘・にかほ地域、本荘広域都市圏) 117,451人
- 県南(内陸中部・南部)
歴史
[編集]現在の秋田県は、令制国での出羽国と陸奥国の各一部(明治初年にそれぞれ分割されたうちの羽後国と陸中国の各一部)からなる。「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まる。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形から付けられたものだともいわれており、雄物川河口部の古地形のことを示している可能性がある[3]。
その後、天平5年12月26日(734年2月4日)に庄内地方にあったとされる出羽柵が高清水の岡に移し置かれ、後に天平宝字年間ごろには、「秋田城」と呼ばれるようになり、「秋田」の表記で定着した。中世後期には日本最古の海洋法規集「廻船式目(廻船大法)」には三津七湊の一つとして「秋田湊」と呼ばれ重要な湊の一つに数えられた。
先史時代
[編集]秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠として多くの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器が多数出土している。製作技術からナイフ形石器、細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。
遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1,000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている[4]。
今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。
西日本では、この縄文人に加え弥生時代ごろから弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。
古代
[編集]8世紀前半の奈良時代に出羽の秋田地域は、朝廷によって日本海沿岸の北辺地域の交易や征服などの拠点とされた。出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、天平5年12月26日(734年2月4日)、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田市寺内)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年ごろに秋田城に改称される。このころから「秋田」の表記で定着している。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。このころになると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀ごろの平安時代には太政官の命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。
元慶2年(878年)元慶の乱が起こった。これは重い税や労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、天慶2年に再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった[5]。
前九年の役と後三年の役
[編集]中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。
北上川中流以北に勢力を広げていた安部氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(永承6年(1051年) - 康平5年(1062年))である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。
しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年/寛治元年(1087年))である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた[6]。
中世
[編集]奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国に奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。
隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝が平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は文治5年(1189年)、19万の軍勢を率いて奥州合戦を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。
数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に鎌倉幕府の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人、地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。
その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に統一し最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏、前田氏、本堂氏、六郷氏、小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ、由利十二頭と呼ばれる勢力になった。
近世
[編集]慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7年から慶長8年の期間にかけてほとんどの大名が常陸国に転封され、鎌倉時代以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。
久保田藩
[編集]慶長7年(1602年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)などと入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹義宣が常陸国から転封され、久保田藩を立藩する。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移した。また、一国一城令の例外として、横手城・大館城が支城として存続した(檜山城・角館城などは破却)。組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった[7]。
常陸時代には54万石の大身大名であった佐竹氏は、明治まで表高20万石の久保田藩を治めることになった。実高は新田開発などで田地が増し、40万石くらいであったとされる。領内に存在した院内銀山や阿仁銅山などの諸鉱山、および全国的に著名な秋田杉なども久保田藩の収入源となったが、常陸時代以来の過大な家臣団が財政を圧迫し、幾度も財政改革を行う必要に迫られた。
久保田藩からは思想家の佐藤信淵・平田篤胤・安藤昌益や、秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦(曙山)・小田野直武らが出ている。「エレキテル」で知られる博物学者の平賀源内は、久保田藩の依頼で技術指導のため阿仁鉱山を訪れ、途中立ち寄った角館で小田野直武に遠近法を伝えたといわれる。享保年間には鈴木定行と加藤政貞の2名が古来の観音信仰にもとづき、秋田六郡三十三観音霊場の古跡をたずね、巡礼歌を添えた巡礼記をのこした。
由利郡諸藩
[編集]元和8年(1622年)、山形藩主最上氏が改易され、旧最上領は幕府領と中小の大名領に分割された。このうち由利郡には、関ヶ原の戦い後に転封ないし改易されていた六郷政乗(2万石)、岩城吉隆(2万石)、仁賀保挙誠(1万石)、打越光久(3,000石)などが入部し、それぞれ本荘藩、亀田藩、仁賀保藩、旗本になった。後に仁賀保氏と打越氏は改易され(仁賀保氏は分家2家が旗本として存続)、代わって讃岐国高松藩主だったがお家騒動で改易された生駒高俊(1万石)が転封され、矢島藩となっている。
本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉・雷電爲右エ門らがこの地を訪れている。文化元年(1804年)の象潟地震で隆起し、潟湖から陸地へ、そして農地へと変わったが、蚶満寺住職の覚林による自然保護運動により、かつての小島であり景観の基である丘が残された。
明治維新
[編集]明治維新時点で後の秋田県下に政庁を置いていた藩は以下の5つ(石高は戊辰戦争直前の値)。この他に盛岡藩領と旗本領(仁賀保二千石家・千石家=旧仁賀保藩主の分家、生駒伊勢居地家=矢島藩主の分家、六郷氏=本荘藩主の分家)があった。
- 久保田藩 - 藩主は佐竹右京大夫家(佐竹宗家)。205,800石。うち5,800石は下野国にあった飛び地の分。戊辰戦争後に賞典20,000石を下賜された。
- 岩崎藩 - 藩主は佐竹壱岐守家。20,000石。久保田藩の支藩で「久保田新田藩」と呼ばれ、江戸時代を通じて領地を持たず本藩から蔵米を支給されていた。幕末に河辺郡椿台付近を久保田藩から割譲され「椿台藩」を自称したが、直後に戊辰戦争が勃発し椿台付近は激戦地となったため、実際には領地支配はほとんどできなかった。終戦後、雄勝郡岩崎へ移転して岩崎藩と改称した。
- 本荘藩 - 藩主は六郷氏。20,000石(戊辰戦争後に賞典10,000石を下賜)。戦国時代には山本郡六郷付近を支配していた国人領主で、唯一中世から県下に由来を持つ大名である。
- 亀田藩 - 藩主は岩城氏。20,000石(戊辰戦争後に2,000石を減封)。当初は佐竹氏の親族で、検地など初期の藩政に久保田藩が協力していたが、その後も藩政干渉を受けたため久保田藩との関係は良くなかった。五代藩主の岩城隆韶と六代藩主の岩城隆恭は仙台藩伊達氏一門から迎えた養子であり、以後佐竹氏との血縁関係はなくなった。
- 矢島藩 - 藩主は生駒氏。8,000石。立藩時点では10,000石だったが、二代藩主生駒高清が弟の俊明に領地を分知したため大名と見なされなくなり、以後は江戸時代を通じて旗本。戊辰戦争後の明治元年(1868年)に15,200石へ高直しを受けて再度立藩、更に賞典1,000石を下賜された。
慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は朝敵扱いされた会津藩・庄内藩の赦免嘆願のため奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は新政府側へ転向したため(前後して久保田新田藩=後の岩崎藩、本荘藩、矢島藩および現山形県の新庄藩も転向)、他の奥州諸侯の標的とされて秋田戦争が勃発した。佐賀藩や鹿児島藩などの救援を受けて最終的に勝利したものの、大館城・横手城・本荘城と矢島陣屋・仁賀保陣屋は落城し、広範囲の土地が荒廃した。
また、亀田藩も久保田藩に同調して新政府軍へ転向したが、山口藩から派遣された監軍の横暴な振る舞いに堪えかね、新政府軍が本荘・亀田を見捨てた際に同盟軍へ再加入して久保田方面の新政府軍を攻撃した。しかし新政府軍の反撃で亀田城も焼失することになった。
近・現代の年表
[編集]明治初期の久保田藩・岩崎藩
[編集]明治初期の由利郡
[編集]明治初期の鹿角郡
[編集]明治(廃藩置県以後)
[編集]- 明治4年(1871年)
- 7月14日(8月29日) - 廃藩置県に伴い、秋田県・本荘県・岩崎県・亀田県・矢島県を設置(これを記念して8月29日は県の記念日となっている)。
- 11月2日(12月13日) - 第1次府県統合に伴い、上記5県と江刺県のうち鹿角郡全域、および由利郡の山形県管轄分を併せて秋田県(第2次)を設置。県令・権令の発令はなく、江刺県大参事の村上光雄が秋田県参事に任じられる[11]。
- 11月14日(12月21日) - 久保田藩の飛び地からそのまま秋田県管下となっていた、下野国河内郡の7ヶ村が宇都宮県へ、同都賀郡の4ヶ村が栃木県へ移管される。これにより、十和田湖上の境界未定箇所を除き現在の県域が確定(十和田湖上の確定は2008年)。
- 12月26日(1872年2月4日) - 初代秋田県権令に侍従の島義勇が就任。当面は東京築地新富町の秋田県支庁にて勤務[12]。
- 明治5年(1872年)
- 1873年(明治6年)
- 2月18日 - 秋田東根小屋町に秋田県初の公立小学校(変則小学校、後の日新学校)が設立される[16]。
- 5月? - 第3代秋田県権令に木更津県参事の国司仙吉が任命される[17]。
- 8月24日 - 県庁聴訟課より出火し庁舎全焼。下中城の渋江邸に県庁を移す[18][19]。
- 9月10日 - 日新学校内に洋学科を増設、洋学校(秋田県立秋田高等学校の前身)として開校。
- 10月1日 - 秋田上中城町に教員養成のための伝習学校(秋田大学教育文化学部の前身)を設立[16]。
- 11月27日 - 秋田長野町の空き官舎(旧佐竹北家邸、初代島権令の離任後は使われていなかった)を改築して県庁とする[15][18]。
- 12月 - 秋田五丁目横町に聴訟課監視掛付属屯所を設立し「巡邏逮捕之事務取扱」を発令。秋田中央警察署の起源とされる[20]。
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年) - 県庁内に警察署を、秋田町・大館町・横手町に警察出張所を、県内35か所に分屯所を設立[20]。
- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)
- 1878年(明治11年)
- 1879年(明治12年)
- 1880年(明治13年)4月19日 - 秋田土手長町に県庁新庁舎が落成。昭和32年に全焼するまで使用された[31]。
- 1889年(明治22年)
- 1895年(明治28年)5月3日 - 増田銀行(北都銀行の前身)が開業。
- 1898年(明治31年)9月20日 - 歩兵第17連隊が仙台から秋田への移駐を完了。
- 1899年(明治32年)6月21日 - 陣場駅・白沢駅(県内初の鉄道駅)が開業。
- 1901年(明治34年)11月14日 - 近江谷発電所が秋田市、南秋田郡土崎港町に電力供給を開始。
- 1902年(明治35年)10月21日 - 秋田駅が開業。
- 1905年(明治38年) - 和井内貞行がヒメマス養殖に成功。
- 1907年(明治40年)12月26日 - 秋田郵便局にて秋田市内電話交換業務を開始(加入数201名)。
- 1910年(明治43年)8月11日 - 大水害、死者25名。
- 1911年(明治44年)4月30日 - 秋田鉱山専門学校(秋田大学国際資源学部・理工学部の前身)が開校。
- 1912年(明治45年)1月28日 - 白瀬矗が南極に日章旗を掲揚。
大正
[編集]- 1912年(大正元年)9月23日 - 台風により死者23名。
- 1914年(大正3年)
- 1916年(大正5年)12月16日 - 船川軽便線(現在の男鹿線)全線開通。
- 1917年(大正6年)8月1日 - 日本銀行秋田支店を開設。
- 1919年(大正8年)8月24日 - 小坂鉱山労働争議。
- 1921年(大正10年)2月25日 - 『種蒔く人』発行。
- 1924年(大正13年)
- 1926年(大正15年)3月8日 - 小坂鉱山煙害賠償労働争議。
昭和
[編集]- 1928年(昭和3年)12月21日 - 県議会で公娼廃止決議案が可決[32]。
- 1929年(昭和4年)11月27日 - 前田村争議が和解。
- 1931年(昭和6年)10月17日 - 花輪線全線開通。
- 1932年(昭和7年)7月5日 - NHK秋田放送局が放送開始。
- 1935年(昭和10年)3月20日 - 日本鉱業八橋油田で上総式四号井が大噴油。
- 1936年(昭和11年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)5月1日 - 男鹿地震、死者26名。
- 1940年(昭和15年)9月26日 - 山本郡能代港町・東雲村・榊村が合併・市制施行し、能代市となる。
- 1941年(昭和16年)10月20日 - 秋田・第四十八・湯沢の各銀行が合併して秋田銀行となる。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)8月 - 昭和天皇が秋田県内を巡幸(昭和天皇の戦後巡幸)。佐竹邸に宿泊[33]。
- 1949年(昭和24年)5月31日 - 秋田師範学校、秋田青年師範学校および秋田鉱山専門学校を母体として、秋田大学が発足。
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)
- 1957年(昭和32年)8月12日 - 県庁全焼[31]。
- 1959年(昭和34年)12月 - 秋田市川尻町字八千刈(現在の山王四丁目)に新築した県庁新庁舎へ移転[31]。
- 1961年(昭和36年)
- 9月26日 - 秋田空港が開港。
- 10月8日-13日 - 第16回国民体育大会(秋田国体(民泊国体、まごころ国体))秋季大会を開催。
- 1964年(昭和39年)9月15日 - 八郎潟干陸式、大潟村発足。
- 1965年(昭和40年)11月1日 - 秋田湾地域を新産業都市に指定。
- 1966年(昭和41年)10月20日 - 田沢湖線全線開通。
- 1969年(昭和44年)8月 - 昭和天皇、香淳皇后が県内を行幸啓。秋田農業大博覧会会場、男鹿半島、八郎潟などを訪問[34]。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田大学に医学部を設置。
- 1972年(昭和47年)
- 1978年(昭和53年)11月15日 - 大沢郷郵便局および強首郵便局の電話交換業務廃止。秋田県内の電話通話が完全自動化。
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)8月4日 - 秋田市、河辺郡河辺町、雄和町がテクノポリス開発構想策定地域に指定。
- 1983年(昭和58年)5月26日 - 日本海中部地震が発生、県内で死者83名。
- 1984年(昭和59年)7月31日-8月20日 - 昭和59年度全国高校総合体育大会を開催。
- 1986年(昭和61年)
平成
[編集]- 1989年(平成元年)4月1日 - 秋田内陸線全線開通。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 羽後銀行と秋田あけぼの銀行が合併し、北都銀行が発足。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)7月18日 - 大館能代空港開港。
- 1999年(平成11年)7月9日 - 秋田港に定期フェリー便就航(新日本海フェリー:苫小牧 - 秋田 - 新潟 - 敦賀)。
- 2000年(平成12年)8月22日-25日 - 「2000年国連軍縮秋田会議」を開催。
- 2001年(平成13年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月21日 - 能代市と二ツ井町が合併し、新たに能代市となる。
- 2007年(平成19年)
- 1月27日-10月9日 - 第62回国民体育大会(秋田わか杉国体)を開催。
- 10月13日-15日 - 第7回全国障害者スポーツ大会(秋田わか杉大会)を開催。
- 2008年(平成20年)12月25日 - 廃藩置県以来境界未定のままであった、十和田湖上の秋田県・青森県境が確定する。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 県全体の推計人口が100万人を下回る。
人口
[編集] 増加 5.0 - 7.49 % 減少 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % 10.0 % 以上 |
※以下特記しないものは2018年
- 人口(2022年8月時点での推定) 93万2227人(38位)
- 人口増減率 -1.47%(47位)[37][38]
- 自然増減率 -1.03%(47位)
- 社会増減率 -0.44%(47位)
- 死亡率 人口1000対15.8人(1位)[39]
- 出生率 人口1000対5.2人(47位)[39]
- 合計特殊出生率 1.33(42位)[39]
- 周産期死亡率 1000対4.5人(3位)
- 乳児死亡率 1000対2.6人(2位)
- 高齢化率 36.4%(1位)[37][40]
- 75歳以上高齢化率 19.7%(1位)
- 年少人口比率 10.0%(47位)[40]
- 婚姻率 人口1000対3.1人(47位)[39]
秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)で、全国38位。人口増減率は6年連続全国最下位で[注釈 3]、全国的にも最も人口減少が進んでいる地域の一つである。出生から死亡を引いた自然増減率、転入者から転出者を引いた社会増減率共に全国最下位だった。
死亡率は7年連続全国1位と高い反面、出生率は24年連続全国最下位である。高齢化率が全国1位で、年少人口比率も全国最下位と、少子高齢化が進んでいる。婚姻率も19年連続最下位[41]、乳児死亡率は全国2位、周産期死亡率も全国3位[41]。自殺率も2017年は全国1位だったが、2018年は改善して1位を返上した。しかし、2019年には再び全国1位となっている。
1人の女性が生涯で産む子供の数を比較した合計特殊出生率は1.33で全国42位となっている[39]。この数値は通常都市部で低く、地方で高い傾向にあるが、秋田県はこれに当てはまっていない。大都市圏の大阪府、千葉県、埼玉県よりも低く、神奈川県に並んでいる[39]。秋田県の合計特殊出生率は複雑な経過を辿っており、1925年時点では6.12と全国トップレベルの高さだったが、高度経済成長期に急速に低下し、1970年には1.88と全国最下位に転落した(同年の東京都は1.96)[42]。その後1990年代には全国水準よりやや高い程度で安定したが、2000年代以降は全国的な回復傾向に乗れず、2010年に1.30と過去最低を記録し、全国40位となった。以後も低い状態が続いており、2015年は1.35で東京都と北海道に次いで低かった。2019年も1.33と低水準になっている[43]。
秋田県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 秋田県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 秋田県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
秋田県(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
秋田県人口動態
[編集]2024年8月1日現在の人口は898,197人で全国39位の規模となっている。1920年(大正9年)に行われた第1回国勢調査898,537人の人口を下回った。(現在の人口が第1回国勢調査人口を下回るのは、島根県・高知県に続き秋田県が3県目となった。)長い間人口減少に直面している秋田県だが平成に入ってからの低迷が大きく、1995年以降5回連続国勢調査人口増加率全国47位、県人口は1963年から1997年まで長年120万人台で推移したが1997年に120万人を割り込むと、2009年に110万人,2017年に100万人,2024年に90万人を下回っており人口減少が加速している。
実施年 | 人口(人) | 増減人口(人) | 人口増減率(%) | 国内増減率(%) | 増加率全国順位 |
---|---|---|---|---|---|
1960年 | 1,335,580 | - | - | - | - |
1965年 | 1,279,835 | 55,745 | 4.15 | 5.20 | 38位 |
1970年 | 1,241,376 | 38,459 | 3.00 | 5.54 | 41位 |
1975年 | 1,232,481 | 8,895 | 0.72 | 7.92 | 47位 |
1980年 | 1,256,745 | 24,264 | 1.97 | 4.57 | 46位 |
1985年 | 1,254,032 | 2,713 | 0.22 | 3.40 | 47位 |
1990年 | 1,227,478 | 26,554 | 2.12 | 2.12 | 46位 |
1995年 | 1,213,667 | 13,811 | 1.13 | 1.58 | 45位 |
2000年 | 1,189,279 | 24,388 | 2.01 | 1.08 | 47位 |
2005年 | 1,145,501 | 43,778 | 3.68 | 0.66 | 47位 |
2010年 | 1,085,997 | 59,504 | 5.19 | 0.23 | 47位 |
2015年 | 1,023,119 | 62,878 | 5.79 | 0.75 | 47位 |
2020年 | 959,502 | 63,617 | 6.22 | 0.75 | 47位 |
秋田市への一極集中問題
[編集]人口減少が進む秋田県内においても秋田市と他自治体では状況が大きく異なっており格差問題が課題となっている。2024年8月1日現在の秋田県の総人口は89.8万人であり,1975年国勢調査(約半世紀前)からは約33.5万人の人口減少となっている。秋田市以外の人口が35万人の大幅な減少の一方で,秋田市に限れば1.5万人の増加となっている。
秋田市以外の人口は,最盛期には現在の秋田県の総人口を超える、110万人を抱えていたが現在は60万人程度しかおらずほぼ半減している。一方で秋田市は中心市街地の空洞化の問題などはあるが、人口減少がそこまで大きな問題になっておらず秋田県と秋田市では人口減少対策に対する温度差も見受けられる。
1950年においては秋田県民の6人に1人が秋田市民であったが,2024年現在では秋田県民の3人に1人が秋田市民となっている。
実施年 | 秋田市人口(人) | 秋田市以外人口(人) | 秋田県人口(人) |
---|---|---|---|
1950年 | 200,525 | 1,108,506 | 1,309,031 |
1975年 | 281,408 | 951,073 | 1,232,481 |
2000年 | 336,646 | 852,633 | 1,189,279 |
2024年8月 | 296,515 | 601,682 | 898,197 |
1950年からの増減率 | +47.9% | -45.7% | -31.4% |
島根県・高知県との人口推移比較
[編集]1920年(大正9年)に行われた第1回国勢調査と2024年9月1日時点の推計人口を比較した上での秋田県の人口増加率は全国ワースト3位の-0.14%である。なお、ワースト1位は島根県、2位は高知県で、この3県は大正時代の人口規模を下回っている。
実施年 | 秋田県人口(人) | 島根県人口(人) | 高知県人口(人) | 秋田県増加率 | 島根県増加率 | 高知県増加率 |
---|---|---|---|---|---|---|
1920年 国勢調査 |
898,537 | 714,712 | 670,895 | - | - | - |
最盛期 | 1,349,936 (1956年) |
929,066 (1955年) |
894,119 (1954年) |
50.2 | 30.0 | 33.3 |
2024年 9月1日 |
897,286 | 641,903 | 656,390 | 33.5 | 30.9 | 26.6 |
このように秋田県の場合はこの2県とはやや異なる人口動向を辿っている。前述にもあるが20世紀前半の秋田県は非常に高い出生率を誇っており秋田県の人口は1920年から最盛期の1956年までわずか36年で1.5倍まで45万人近く増加したことが挙げられる。第1回国勢調査の人口を下回った島根県や高知県はこの期間に人口をあまり伸ばせなかった。
ただし、ピークの1956年には1,349,936人いた人口も2024年9月時点では897,286人(-33.5%)と最盛期の3分の2の規模まで落ち込んでいる[44]。最盛期からの人口減少率で見ると全国ワースト1位である。ちなみに2位は島根県(ピークは1955年で-30.9%)。中でも秋田県の場合は特に1970年以降の人口動態が非常に厳しく10度の国勢調査において7度人口増減率ワースト1位を記録している。直近5回1995年以降は全てワースト1位となっている。1970年以降の期間から2024年9月までの人口動態を当ててみると秋田県の人口はこの期間において-27.7%減少しており、島根県の-17.0%や高知県の-16.6%を大きく上回っており近年の秋田県の状況は非常に厳しいものとなっている。
実施年 | 秋田県人口(人) | 島根県人口(人) | 高知県人口(人) | 秋田県増加率 | 島根県増加率 | 高知県増加率 |
---|---|---|---|---|---|---|
1970年 国勢調査 |
1,241,376 | 773,575 | 786,882 | - | - | - |
2024年 9月1日 |
897,286 | 641,903 | 656,390 | 27.7 | 17.0 | 16.6 |
政治
[編集]県政
[編集]財政
[編集]- 平成19年度
- 財政力指数 0.29 - IVグループ(財政力指数0.3未満)6自治体中2位
- 平成18年度
- 財政力指数 0.28 - IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中6位
- 平成17年度
- 財政力指数 0.25 - IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中10位
- 平成16年度
- 財政力指数 0.24 - IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中11位
犯罪
[編集]人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の空洞化など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという[45]。また、高齢化の影響で人口10万人あたりの自殺率が平成7年から平成26年の19年間(1995年~2014年)で最下位の状態が続いていたが、県・市町村のレベルでそれぞれ対策を行った結果、平成26年度にワースト1位を脱却した[46]。
国政
[編集]司法
[編集]- 仙台高等裁判所秋田支部(秋田市)
- 秋田地方裁判所(秋田市)
- 秋田家庭裁判所(秋田市)
- 秋田簡易裁判所(秋田市)
- 大館簡易裁判所(大館市)
- 横手簡易裁判所(横手市)
- 仙台高等検察庁秋田支部(秋田市)
- 秋田地方検察庁(秋田市)
- 秋田刑務所(秋田市)
- 秋田少年鑑別所(秋田市)
- 秋田保護観察所(秋田市)
経済・産業
[編集]産業
[編集]携帯電話やPC、タブレットなどの通信機器に不可欠な固定コンデンサの出荷額は1712億円で全国1位[47]。あきたこまちの名産地であり、米の産出額は新潟県、北海道に次いで全国3位[48]。日本酒の生産高は、兵庫県、京都府、新潟県、埼玉県、愛知県に次いで全国6位である[49]。1人当たりの県民所得は全国34位(平成21年度)[50]。また、2020年代の今日ではエダマメの出荷量が全国1位になったり、風力発電を中心とした新エネルギー産業に力を入れている。
農業
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
畜産業
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
林業
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
樹齢200年をこえる天然秋田杉は木曽のヒノキ、津軽のヒバと並び、日本三大美林のひとつであり、木材生産量は全国4位。
1982年、首都圏における秋田杉の需要拡大を名目として秋田銀行、羽後銀行、秋田県木材産業協同組合連合会などと秋田県木造住宅株式会社を第三セクターとして設立、秋田県が25パーセントを出資し、副知事を取締役に据え県職員も出向させるなど実質的に支配した。ところが、千葉県を中心に分譲された住宅で地盤沈下により基礎が浮き上がったり秋田杉を建築材としてほとんど使用していないなど欠陥が頻発し、住人らから損害賠償請求訴訟を起こされ、最終的に170億円ほどの負債を抱えて破産した。住宅の販売に際しては当時の県知事である佐々木喜久治がパンフレットにコメントを寄せたり「秋田県庁が設立した第三セクターならではの質と価格」などと銘打っていた。
漁業
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- ハタハタ漁
第二次産業
[編集]秋田県に本社を置く主な企業
[編集]- 上場企業
- 主な県内企業
- 秋田魁新報社
- 秋田木工(家具製造。2006年(平成18年)末に大塚家具のグループ企業となった)
- 秋田製錬
- 小坂製錬
- イオン東北
- 佐野薬品
- 三傳商事
- ソユー
- たけや製パン
- TDKエレクトロニクスファクトリーズ
- 伏見屋ホールディングス
- 北都銀行
- ヤマダフーズ
- 伊徳ホールディングス
- タカヤナギ
- 光ガラス
- UMNファーマ
- リミックス
- 秋田テレビ
- 秋田放送
- 秋田マシナリー
- Meta Akita
金融機関
[編集]- 秋田県内に本店を置く金融機関
- 銀行
- その他
- 株式仲買人
- 県内に本拠を置く株式仲買人はない。荘内証券以外は秋田市に、荘内証券は横手市と由利本荘市に拠点がある。
生活・交通
[編集]警察
[編集]交通
[編集]
鉄道[編集]ほとんどの区間は単線であり、秋田市内の一部区間[注釈 4]を除いて毎時1本以下である。秋田市内の区間によっては並行している秋田中央交通の路線バスが本数的に圧倒的優位となっている。 かつて存在した鉄道[編集]路線バス[編集]かつては秋田市交通局も路線バスを運行していたが、秋田中央交通への移管により廃止された。 |
道路[編集]高速道路[編集]
一般国道[編集]
県道[編集]→「秋田県の県道一覧」を参照
空港[編集]
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医療・福祉
[編集]教育
[編集]私立
私立
国立
- 学校施設など
- 2004年(平成16年)から高等学校の一学区制が導入された。
- かつて私立高校だった秋田経済大学附属合川高等学校が組合立に移管され、北秋田市発足と同時に北秋田市立になる。2011年(平成23年)には秋田県に移管したあとに、北秋田市地区の4校を秋田県立秋田北鷹高等学校に統合した。
- 公立高校(県立・市立)は52校、私立高校は5校あり、私立のうち1校が女子校である。2000年代中盤より、他県では見られない『前期』『一般』『後期』の3つの選抜日程がある[55]。
- その他教育機関
- 職業能力開発短期大学校
マスメディア
[編集]新聞
[編集]- 地方紙
- ブロック紙
- 河北新報(本社 : 仙台市)も青森・岩手との北東北版で発行され、取材拠点もある。
- 全国紙
- ホームページで提供
テレビ局
[編集]デジタルテレビ・県域FM局・補完FM局の親局送信所は、いずれも秋田市の大森山に置かれている。
民間放送局の本社はいずれも秋田市に置かれている。
秋田県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われている都道府県の中で唯一JNN系列の放送対象地域外である。県境に近い地域で隣県の電波を受信できる地域、およびケーブルテレビの区域外再放送で隣県のJNN系列局を視聴している世帯がある。
NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国トップの94.6%であった。
※秋田県にはJNN系列局がないため、同県の同系列局による報道取材は主にIBC岩手放送[注釈 10]が行っている(かつて、取材拠点として秋田支局を設置していた)。IBCが対応できない場合、宮城県の東北放送(TBC)が対応する。
CATV局
[編集]各ケーブルテレビ局では地域密着の独自番組を放送しているほか、隣県のJNN系列を再送信している。
- 秋田ケーブルテレビ (CNA)(秋田市など)…IBC岩手放送の再送信
- 大館ケーブルテレビ(大館市)…青森テレビの再送信
- 由利本荘市CATVセンター (ONT)(由利本荘市)…テレビユー山形の再送信
ラジオ局
[編集]コミュニティ放送局
[編集]- FM765 秋田コミュニティー放送(秋田市)
- エフエム椿台(秋田市)
- FMゆーとぴあ(湯沢市)
- 横手かまくらFM(横手市)
- 鹿角きりたんぽFM(鹿角市)
- FMはなび(大仙市)
- ラジオおおだて(大館放送・大館市)
文化
[編集]方言
[編集]秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-東北方言-北奥羽方言に含められ、金田一春彦による案では、外輪方言に含められている[58]。
秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。
秋田方言の母音音素は、共通語より1つ多い、/a/ 、/i/ 、/u/ 、/e/ 、/ɛ/ 、/o/ の6つが認められる。子音音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる /k/ 、タ・テ・トにあたる /t/ 、チ・ツにあたる /c/ は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ [ɡ] 、[d] 、[z] と発音される。サ行にあたる /s/ やパ行にあたる /p/ は有声化しない。
食文化
[編集]米どころであり、酒どころである。特に日本酒の消費量が多く、酒の飲み過ぎが多い[59]。また雪国のため漬け物などの保存食が発達した一方、濃い味が好まれる影響もあり、ガンの死亡率は全国上位となっている[60]。
- きりたんぽは、もともと県北の食文化であるが、現在は秋田の代名詞として有名となり、全県で食べられるようになった。きりたんぽ鍋の出汁の多くは比内地鶏(天然記念物比内鶏の改良品種)で取っている。
- 魚はハタハタを大量に消費し、一時は絶滅寸前まで追い込んだが(1980年代後半ごろ - 2000年代前半ごろ)、禁漁や漁獲制限などを経て現在では資源が回復しつつあり、再び食卓に並ぶようになった。ハタハタの卵をブリコという。また、ハタハタの魚醤をしょっつるといい、鍋料理が有名。ハタハタをすしにした鰰寿司も祝の席などで食べられている。
- ほかに、とんぶりやじゅんさいなどの珍しい野菜も食べられている。一部の地域では納豆に砂糖を入れたり、赤飯にも多く砂糖を入れて作るなど甘みの多い味付けをする所もある(特に県南部で顕著である[要出典])。ひきわり納豆の消費も多い。イナゴを佃煮などにして食べる食習慣もある。
- だまこもち
- 稲庭うどん - 日本三大うどんの1つ。
- 金萬 - 蜂蜜と卵を使用した白あんのまんじゅう。「株式会社 金萬」が製造。(都まんじゅうを参照)
- ババヘラ - 主に露店販売される氷菓。夏になると、幹線道路沿いなどでババヘラの露店を多数見かけることができる。
- さしぼ - イタドリの新芽。山菜。水煮の缶詰も販売されている。
- さなづら
- もろこし
- バター餅
伝統工芸
[編集]- 伝統工芸品
民俗芸能
[編集]祭り
[編集]
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スポーツ
[編集]- ブラウブリッツ秋田 男子サッカー(Jリーグ)
- 秋田ノーザンハピネッツ 男子バスケットボール(Bリーグ)
- プレステージ・インターナショナル アランマーレ 女子バスケットボール(バスケットボール女子日本リーグ)
- 秋田ノーザンブレッツ ラグビー(トップイーストリーグ1部)
- 秋田ノーザンブレッツプレアデス 女子7人制ラグビー
- TDK硬式野球部
- 北都銀行女子バドミントン部
観光
[編集]有形文化財建造物
[編集]- 重要伝統的建造物群保存地区
対外関係
[編集]秋田県出身の人物
[編集]秋田県名誉県民
[編集]秋田県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月13日に制定された秋田県名誉県民条例(昭和56年3月13日秋田県条例第1号)に基づき、「秋田県の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)[63]。対象者は「政治経済の発展、学術文化の振興、地方自治の振興、社会福祉の向上その他県民の福祉の増進に広く貢献した者」であり(秋田県名誉県民条例施行規則第2条)[64]、秋田県知事が秋田県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)[63]。名誉県民に選定された者には、秋田県名誉県民称号記と秋田県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)[63]。
受賞者氏名 | 職業 | 選定年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
小畑勇二郎 | 政治家 | 1981年3月25日 | 元秋田県知事 | [65] |
山崎貞一 | 科学者・実業家 | 1989年9月25日 | 元TDK会長 | [65] |
日沼頼夫 | 医学者 | 1989年9月25日 | ウイルス研究での業績 | [65] |
明石康 | 国際連合職員 | 1993年9月30日 | 元国際連合事務次長 | [65] |
遠藤章 | 農芸化学者 | 2006年12月20日 | 文化功労者 | [65] |
秋田県県民栄誉章受章者
[編集]スポーツ・文化などの分野で顕著な業績をあげた個人・団体に秋田県県民栄誉章が贈られており、2018年10月までに19個人3団体が顕彰されている。
秋田県を舞台とした作品
[編集]文芸
[編集]- 青い山脈(著:石坂洋次郎)[要検証 ]
- 若い人(著:石坂洋次郎)
- 山と川のある町(著:石坂洋次郎)
- それぞれの終楽章(著:阿部牧郎)
- 秋田新幹線「こまち」殺人事件(著:西村京太郎)
- 医学生(著:南木佳士)
- 新幹線秋田「こまち」殺人事件(著:吉村達也)
- 秋田殺人事件(著:内田康夫)
- 鄙の記憶(著:内田康夫)
- こまち田沢湖殺人事件(著:中津文彦)
- 夢の碑(著:高井有一)
- 相剋の森(著:熊谷達也)
- 邂逅の森(著:熊谷達也)
- 黄色い牙(著:志茂田景樹)
映画
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ドラマ
[編集]- 雲のじゅうたん(1976年(昭和51年)、NHK、連続テレビ小説)
- まんさくの花(1981年(昭和56年)、NHK、連続テレビ小説)
- 炎立つ(1993年(平成5年)、NHK、大河ドラマ)
- ウルトラマンティガ(1997年(平成9年)、円谷プロダクション、毎日放送、第1話)
- 砂の器 (2004年(平成16年)、TBSテレビ、日曜劇場)
- 秋田県にTBS系列はないが、ABS(秋田放送)で放送された。
- 秋田県にTBS系列はないが、ABS(秋田放送)で放送された。
- アイリス(2009年(平成21年)、韓国ドラマ)主演:イ・ビョンホン
- ザ・ラスト・ショット(2014年〈平成26年〉、NHK BSプレミアム、秋田発地域ドラマ)
- 金色の海(2021年〈令和3年〉、NHK BSプレミアム、秋田発地域ドラマ)
歌謡
[編集]- リンゴの唄(1945年(昭和20年)、並木路子)
- 男鹿半島(1991年(平成3年)、大和さくら)
- 秋田は濡れて(1992年(平成4年)、栗本慎一郎)
- おばこ巡礼歌(1996年(平成8年)、藤あや子)
- きみまちざか(1999年(平成11年)、草飼洋幸&石成彩)
- 恋する城下町(2001年(平成13年)、小桜舞子)
- 大きな古時計(ZuZuバージョン)(2003年(平成15年)、伊藤秀志)
- 五能線(2005年(平成17年)、水森かおり)
- 豪石(ごうしゃく)! 超神ネイガー 〜見だが おめだぢ〜(2006年(平成18年)、水木一郎)
- 角館哀歌(2006年(平成18年)、水田竜子)
- 秋田ポンポン節(2007年(平成19年)、香西かおり)
- つばさのドンパン節(2007年(平成19年)、つばさ)
- 男鹿半島(2007年(平成19年)、北山たけし)
- 超神ネイガー 〜正義ノ稲穂〜(2009年(平成21年)、水木一郎)
- 秋田HATA☆HATA☆ROCK&SAMBA!!(2011年(平成23年)、渡部絢也)
- 竿燈カラー(2015年(平成27年)、臼澤みさき)
漫画
[編集]- 釣りキチ三平(1973年(昭和48年)-、矢口高雄)
- 「釣りキチ」少年三平が、日本中、世界中で様々な魚釣りに挑戦する姿を描いた作品。
- クレヨンしんちゃん(1990年(平成2年) - 、臼井儀人)
- 主要登場人物の野原ひろしが大曲市(現・大仙市)出身という設定。
- 雪の峠(1999年(平成11年)、岩明均)
- ザ・ワールド・イズ・マイン(1997年(平成9年) - 2001年(平成13年)、新井英樹)
- D-LIVE!!(2002年(平成14年) - 2006年(平成18年)、皆川亮二)
- いとしのムーコ(2011年(平成23年) - 、みずしな孝之)
- 秋田妹!えびなちゃん(2015年(平成27年) - 2017年(平成29年)、サンカクヘッド)
- 干物妹!うまるちゃんのサブキャラクターである海老名菜々を主人公にしたスピンオフ作品。
- めんけぇなぁ えみちゃん(2018年 - 2019年、沼ちよ子)
アニメ
[編集]- 「いとしのムーコ」シリーズ
- ※ 上記の3作品とも秋田テレビで放送した。
- ※ この作品は秋田放送で放送された。
ゲーム
[編集]- 1/2 summer - 田沢湖(仙北市)付近(旧田沢湖町)が舞台[要出典]
- North Wind - 能代市二ツ井が舞台[要出典]
- 秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花(2020年(令和2年)) - 秋田市と男鹿市が舞台。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 仙北市のうち八幡平頂上付近の県道などは、仙北地域振興局ではなく、鹿角地域振興局が管理する。
- ^ かつて明徳館の所在地だったことから教育と縁のある地として選ばれた。
- ^ それ以前も阪神・淡路大震災(特に兵庫県)や東日本大震災(特に福島県)の特殊事情がある県を除くと、人口増減率が全国最下位(46位)だった年がある。
- ^ 奥羽本線の秋田駅 - 追分駅は男鹿線の乗り入れもあるため日中は毎時2本程度。
- ^ ジェイエアによる運航便含む。
- ^ ANAウイングスによる運航便含む。
- ^ 全日本空輸とコードシェア
- ^ 日本航空及びデルタ航空とコードシェア。
- ^ 現在運休中。なお、再開の目処はたっていない。
- ^ 大館市は青森テレビ(ATV)が、由利本荘市はテレビユー山形(TUY)が担当する場合あり。
- ^ これらエピソードは共に、大仙市が舞台の中心(主に大曲駅周辺)となっている。
出典
[編集]- ^ 戦前の裁判書類に「龝田縣」および「穐田縣」の表記が確認できる。また、「秋」の本字体は左右を入れ替えた「秌」という字だが「秌田県」という表記はみられない。
- ^ 金本良嗣. “都市雇用圏-Urban Employment Area-”. 東京大学 空間情報科学研究センター. 2017年3月25日閲覧。
- ^ 平川南2014「古代交流の結節点・秋田」『第29回国民文化祭・あきた2014シンポジウム「古代秋田に集った人々」-古代交流の結節点・秋田-』第29回 国民文化祭 秋田市実行委員会シンポジウム「古代秋田に集った人々」企画委員会
- ^ 冨樫泰時「あきたのあけぼの」10-14ページ(塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月)
- ^ 『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』40頁 - 41頁 (地域批評シリーズ)
- ^ 『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』42頁 - 43頁 (地域批評シリーズ)
- ^ 『日本の特別地域 特別編集68 これでいいのか秋田県』pp.46-47 (地域批評シリーズ)
- ^ a b 「秋田市史 第四集」9頁。
- ^ 秋田県公文書館研究紀要 第八号 (PDF, 14.2 MiB)
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」7頁。
- ^ 「秋田市史 第四巻」8頁。
- ^ 「秋田市史 第四集」8頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四集」10頁。
- ^ 「秋田市史 第四集」81頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」107頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」84頁。
- ^ 「秋田市史 第四巻」11頁。
- ^ a b c 「秋田市史 第四巻」12頁。
- ^ 「秋田市史 第四巻」38頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」13頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」97頁
- ^ a b c 「秋田市史 第四巻」64頁
- ^ 「秋田市史 第四巻」102頁。
- ^ a b c d e 「秋田市史 第四巻」14頁
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」58頁。
- ^ a b c 「秋田市史 第四巻」61頁
- ^ a b c 「秋田市史 第四巻」98頁。
- ^ a b 「秋田市史 第四巻」118頁。
- ^ 「秋田市史 第四巻」35頁。
- ^ 「秋田市史 第四巻」119頁。
- ^ a b c 「秋田市史 第四巻」120頁。
- ^ 秋田県会も廃止建議案を可決『東京日日新聞』昭和3年12月22日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p602 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、96頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、134頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “【北朝鮮船漂着】かつては工作員が侵入繰り返す 秋田の海岸、蓮池薫さん拉致実行犯も(1/2ページ)”. 産経新聞. (2017年11月24日) 2018年11月22日閲覧。
- ^ “【戦後70年 東北の記憶】男鹿脇本事件(上)水際で捕まった北の工作員”. 産経新聞. (2015年7月7日) 2018年11月21日閲覧。
- ^ a b “人口推計 2018年(平成30年)10月1日現在 概要”. 総務省統計局 (平成31年4月12日公表). 2019年7月31日閲覧。
- ^ “秋田県 人口100万人割れ 減少率4年連続トップ”. 毎日新聞社 (2017年4月21日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ a b c d e f “平成30年(2018)人口動態統計月報年計(概数)の概況”. 厚生労働省人口動態・保健社会統計室 (2019年). 2019年7月31日閲覧。
- ^ a b https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2018np/index.html
- ^ a b “平成30年人口動態統計月報年計(概数)秋田県の概況”. 秋田県健康福祉部 (2019年6月7日). 2024年11月5日閲覧。
- ^ 都道府県別合計特殊出生率:1925~2002年(国立社会保障・人口問題研究所ホームページ)
- ^ 令和元年人口動態統計月報年計(概数) 秋田県の概況 | 美の国あきたネット "令和元年人口動態統計の概況(秋田県分).pdf"
- ^ “秋田県人口100万人割れ 東北6県で初、止まらぬ社会減”. 日本経済新聞社 (2017年4月22日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ 人口10万人あたり犯罪件数 最多の大阪は最少・秋田の5倍 - NEWSポストセブン(小学館) 2011年5月30日。
- ^ 産経ニュース
- ^ 『朝日小学生新聞』2011年2月7日
- ^ 平成25年農業産出額 - 農林水産省
- ^ http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/shiori-gaikyo/seishu/2010/pdf/18.pdf 製成・移出入数量および集中度(都道府県別)
- ^ 都道府県別1人当たり県民所得 - 内閣府
- ^ 秋田魁新報社(編)『秋田大百科事典』 秋田魁新報社、1981年9月、108頁。
- ^ 平成17年秋田県工業振興アクションプラン(秋田県公式サイト)
- ^ ビックあきたvol.302(財団法人あきた企業活性化センター)
- ^ シェールオイル、秋田で生産開始 石油資源開発(日本経済新聞)
- ^ “秋田県内の高等学校一覧”. 美の国あきたネット. 2021年9月16日閲覧。
- ^ 秋田県南日々新聞
- ^ あきた北新聞
- ^ 柴田武ほか編『岩波講座 日本語11 方言』岩波書店、1977年(昭和52年)、57-73頁。
- ^ 『47都道府県うんちく事典』265頁出版社-PHP文庫・執筆者-八幡和郎
- ^ がん登録・統計
- ^ “交流の経緯と概要(中国甘粛省)”. 美の国あきたネット. 2020年9月12日閲覧。
- ^ 美の国あきたネット
- ^ a b c 秋田県名誉県民条例 - 秋田県、2019年7月29日閲覧。
- ^ 秋田県名誉県民条例施行規則 - 秋田県、2019年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e 「秋田県名誉県民顕彰制度の概要」及び「これまでの名誉県民顕彰者」について - 秋田県、2019年7月29日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 秋田県に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ
- 秋田県公式サイト 美の国あきたネット
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