土崎港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本 > 東北地方 > 秋田県 > 秋田市 > 土崎港
セリオンタワー)より土崎港を望む
土崎神明社例祭(土崎港曳山まつり)
つちざきみなとまち
土崎港町
廃止日 1941年4月1日
廃止理由 編入合併
南秋田郡土崎港町寺内町広山田村
河辺郡新屋町秋田市
現在の自治体 秋田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
南秋田郡
面積 6.29km2.
総人口 19,291
(廃止時)
隣接自治体 南秋田郡寺内町飯島村
河辺郡新屋町
土崎港町役場
所在地 秋田県南秋田郡土崎港町小鴨町
 表示 ウィキプロジェクト
近江谷発電所跡地(土崎南小学校)
碑文「明治34年(1901)、近江谷栄次が近江谷発電所を開業し、この地に火力発電所を建設した。これが秋田の電気事業の始まりである。燃料は石炭を用い、60キロワットの電力供給を開始した。供給範囲は、土崎柳町新地、大工町、通町、茶町、大町など14町にわたったと伝えられている。」
土崎空襲の爪痕を今に残す「首無し地蔵」(秋田市飯島・雲祥院)
恋人の聖地」認定記念モニュメント「結び石」
(セリオンから港湾道路を挟んで向かい・「ベイパラダイス」横)

土崎港(つちざきみなと)は秋田県秋田市北部の地区。単に「土崎」(つちざき)とも呼ばれる。土崎港北一丁目 - 七丁目、土崎港中央一丁目 - 七丁目、土崎港西一丁目 - 五丁目、土崎港東一丁目 - 四丁目、土崎港南一丁目 - 三丁目、土崎港穀保町と、住居表示未実施の土崎港御蔵町、土崎港下浜町、土崎港相染町、土崎港古川町がある。人口は21,310人(2009年10月1日現在、住民基本台帳人口調査による)。

以降、本項では土崎と表記し、1941年4月1日に秋田市へ編入された旧南秋田郡土崎港町についても併せて解説する。

概要[編集]

秋田市の中心部から北西約7kmに位置し、市内では比較的人口が多い地区である。主に住宅街となっており、秋田市北部市民サービスセンターがある。また、重要港湾秋田港を擁し、中心にはJR奥羽本線のJR土崎駅(JR秋田駅から北へ1駅)と土崎神明社があり、西部にはセリオン(秋田市ポートタワー)、中心から南東すぐにはJR東日本秋田総合車両センター(旧名:土崎工場)がある。東には、陸上自衛隊秋田駐屯地が隣接する。東は将軍野、西は秋田運河を挟んで向浜、南は寺内、北は飯島と接する。

毎年7月に、土崎神明社の例祭であり国の重要無形民俗文化財に指定されている勇壮な祭り「土崎神明社例祭」(土崎港曳山まつり)が行われる。

歴史[編集]

土崎は雄物川の河口(現在は秋田運河)に位置する港町である。もともとは平安時代蝦夷討伐軍が拠点として築いた秋田城への物資の補給などに利用された港であった。これが元で昔から海運で栄え、室町時代には海の豪族とも言われる安東氏湊城を築き三津七湊の1つに数えられ、江戸時代佐竹氏久保田藩の藩港であり、北前船の寄港地でもあった。土崎地区の住所は「秋田市土崎港○○」であるが、これは1889年(明治22年)の町制施行時に土崎港町として登録していたことに由来している。現在の秋田港は、当時の土崎港とその周囲に建設された。

明治以後、秋田市とその周辺では油田開発が進んだ。昭和時代前半には特に八橋油田の産油量が多く、秋田だけで国内産油量の70%以上を誇っていた。そのため、八橋に近く、さらに鉄道でも船舶でも輸送が可能な土崎には、大規模な製油所が立ち並んでいた。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月14日には、100機以上のB-29からこの製油所の破壊を目的とした空襲土崎空襲)を受け、土崎地区を含めて250名以上の死者を出した。これは太平洋戦争最後の空襲とされている7市に対する空襲の1つである。八橋油田は戦後も開発が続き、昭和30年代に全盛期を迎えたが、現在の年間産油量は全盛期の1/10以下にまで落ち込んでいる。土崎にあった製油所は、秋田港に大型タンカーが接岸できないことや、消費地から遠いなどの理由により廃止された。

土崎港町は戦時中の1941年(昭和16年)4月1日に秋田市へ編入され、戦後は宅地開発が進んだ。特に国道5号(大正国道。現在は市道であり、旧国道と呼ばれている)のバイパスとして敷設された、土崎 - 山王を通る片側2車線の秋田天王線(通称:新国道)は、宅地の発展とともに秋田の大動脈道路となった。なお、現在は更に海側にバイパスが通り、そちらが国道7号になっている。

現在の土崎港地区は住居表示実施後の町名を基礎としたものになっているため、旧土崎港町全域を包含しているものの他地区であった地域も含んでいる[1]

年表[編集]

旧町名[編集]

土崎港地区内の旧町名と由来は以下の通りである。秋田市編入後は、これらすべてに「土崎港」が冠される。概ね北から順に並べているが、寺内字将軍野は南北を問わず土崎港地区の東一帯を占める。

旧町名は現在でも土崎港曳山まつりの町内名として残っている(記事「土崎神明社祭の曳山行事」の各年の奉納曳山 の項を参照)。

旧町名 よみ 旧町名の由来[12][13] 新住所名[14][15] 主なスポット
相染町 そうぜんまち、
あいそめまち、
そうぜんちょう
馬頭観音を祀った宗善社に由来するとされるが、穀丁村→湊相染村→宗善大谷地→相染村新田という変遷をたどっている。 北1・3 - 7丁目、相染町 サンデー秋田土崎店(ホームセンター
マルダイ土崎店(スーパー
マックスバリュ港北店
スーパードラッグメガ土崎店
ナムコプラボ秋田店(ゲームセンター
イエローハット秋田土崎店(カー用品
薬王堂秋田土崎店
中央5 - 7丁目、西1 - 5丁目 土崎駅 - 秋田港駅間線路の跨線橋(国道7号
および踏切(旧国道7号)
秋田信用金庫港北支店
藤田金物(ホームセンター)
新町 しんまち 昔「羽立」といったところで、戸数十五軒ほどしかなく、魚漁を業とし、生魚を売買していたところといわれている。延宝二年から三年にわたって戸数が増加し、新町の開設を許された。当時穀保町のことを新町と呼んでいたため,「下新町」と呼ばれていた。 中央5丁目 ナベシマ時計店
小林菓子舗
武蔵堂(剣道具
菻町 がつぎまち 昔、菻(マコモ)が繁茂していた湿地を開拓して出来た町だからと考えられる。 中央5丁目 あきたレディースクリニック安田
肴町 さかなまち 肴屋の町であり、藩から魚の専売権も与えられた。 中央3丁目、西1丁目 竹中商店(昆布
佐川商店(ふとん
壱騎町
(壹騎町)
いっきまち 秋田を支配していた安東氏の一騎当千(一人で千人を相手に戦えると思えるほど強い、の意)の家臣が住んでいたからだとされる。 中央3・5・6丁目 土崎駅
土崎神明社
小鴨町 おがもまち 昔、が多い湿地であったからだとされる。 中央3丁目、西3丁目 土崎郵便局
(古くは土崎港町役場あり)
加賀町 かがまち 加賀国からの移住者が商家となり町を開いた。 中央3丁目 秋田銀行土崎支店
舛屋薬局(江戸時代末期創業)
稲荷町 いなりまち 稲荷神社が祀られる。 西3丁目 ローソン秋田土崎港西三丁目店
永覚町 えいかくまち 永覚坊という名の修験者が住んでいたといわれる。 中央1丁目、西2丁目 北都銀行土崎支店
秋田信用金庫土崎支店
五十嵐記念病院
那波商店(酒蔵)
紳士服マスカット秋田土崎店
旭町 あさひまち 不詳(江戸末期に南隣の清水町とともに開発。) 中央1・3・4・6丁目 土崎港中央通り商店街
土崎小学校
土崎保育所
土崎病院
本山町 もとやまちょう 廻船問屋が別宅を建て「山屋敷」と呼ばれ、その後、新家持の屋敷となり「新規侍町」となる。それが「元山町」( = 元は山屋敷)と改められるが「本山町」と書かれるようになる。 中央4・6丁目 ナイス土崎店(スーパー)
秋田北税務署
古川町 ふるかわまち 雄物川の旧河跡(砂が堆積してできた河道)すなわち「古川」があったからだとされる。 中央3丁目、西2 - 4丁目 秋田臨港警察署
ホテルルートイン秋田土崎
下酒田町 しもさかたまち 庄内酒田(山形県酒田市)からの移住者によって開かれたからだとされる。 中央1丁目、西2丁目 東部ガスプラザ土崎店
上酒田町 かみさかたまち 中央1丁目、西2丁目 ホテル大和
清水町 しみずまち 不詳 中央1・2・4丁目 土崎港郵便局
新城町 しんじょうまち 佐竹氏久保田城下に移った住民の一部が、新たにこの地に作った町だからではないかと言われる。 中央1丁目、西1・2丁目、
南1丁目
国道7号と「新国道」の交差点(4つの角すべて)
愛宕町 あたごまち 愛宕社(至宝寺)に由来する。 中央1・2丁目、南1・2丁目 加賀英呉服店
新柳町 しんやなぎまち 不詳 中央1・2丁目、南1・2丁目 イオン土崎港店(正面入口)
秋田県信用組合土崎支店
洋服の青山秋田土崎店
御蔵町 おくらまち 久保田藩の大倉庫(米倉)があったことに由来する。 南1丁目
寺内字幕洗川 てらうち
あざまくあらいかわ
昔は川があり、坂上田村麻呂が戦いで汚れた幕を洗ったという伝説から。 中央2丁目、南1・2丁目 イオン土崎港店(店舗建物がある場所)
穀保町 こくぼちょう 秋田県東部の仙北地区の川下げ米に対応する蔵宿の町に由来するとも、藩主による命名とも言われる。 南1丁目 タイヤハウスまんぞくや秋田店
花園町 はなぞのまち 不詳 南1丁目
寺内字将軍野 てらうち
あざしょうぐんの
坂上田村麻呂(征夷大将軍)が陣を敷いたと伝えられる。 北1・3・4丁目 マックスバリュ東北本社
土崎中学校
港北小学校
自衛隊秋田駐屯地[16]
東1-4丁目[8] 土崎南小学校

行政機関[編集]

秋田市の機関[編集]

秋田県の機関[編集]

国の機関[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]

バス[編集]

港湾[編集]

学校[編集]

商業施設[編集]

出身者[編集]

参考文献[編集]

  • 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市史編集委員会、秋田市、2004年
  • 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」

関連文献[編集]

  • 『土崎港町史』 土崎港町、1941年NDLJP:1042082
  • 佐々木研吾「郷土土崎港はどのように發展したか」、『東北地理』第4巻第1号、東北地理学会、1951-1952、 49-51頁、 doi:10.5190/tga1948.4.49

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 住居表示新旧対照一覧(秋田市役所)住居表示旧新対照一覧(秋田市役所)
  2. ^ 「秋田市史 第四巻」pp.288-289。
  3. ^ 広報あきたオンライン
  4. ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」pp.430-431。
  5. ^ 広報あきた 1213号
  6. ^ 秋田市戦没者追悼式・平和祈念式典(総務省) Archived 2013年6月6日, at the Wayback Machine.平成22年度 穂積市長式辞
  7. ^ 秋田港湾事務所 キッズページ【秋田港】「軍艦が防波堤になりました」 Archived 2013年6月6日, at the Wayback Machine.
  8. ^ a b 旧土崎港寺内字将軍野を中心とした区域を将軍野西地区とする計画が、住民の署名活動により覆り、土崎港東地区となった(『土崎の史誌-土崎港町・秋田市合併五十周年記念誌』 土崎史談会、1992年)。
  9. ^ 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、96頁
  10. ^ mediajam2011年7月17日閲覧
  11. ^ 「土崎湊町恋のまち」が恋人の聖地に認定!!(秋田県企画振興部少子化対策局)
  12. ^ 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、24-25頁
  13. ^ 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、91頁
  14. ^ 住居表示旧新対照一覧 ツ(秋田市市民生活部生活総務課)
  15. ^ 住居表示新旧対照一覧 ツ(土崎港)(秋田市市民生活部生活総務課)
  16. ^ 一部が旧住所のまま

関連項目[編集]

外部リンク[編集]