花輪ばやし

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花輪ばやし
花輪ばやしの屋台(谷地田町の屋台、2017年)
花輪ばやしの屋台(谷地田町の屋台、2017年)
イベントの種類 地域イベント
開催時期 毎年8月19日、20日
会場 JR花輪線鹿角花輪駅前ほか
主催 花輪ばやし祭典委員会
来場者数 26万人(2017年、秋田県観光統計)
最寄駅 JR花輪線 鹿角花輪駅
公式サイト
備考
花輪祭の屋台行事」として重要無形民俗文化財に指定

花輪ばやし(はなわばやし)は、秋田県鹿角市花輪の祭り。毎年8月19日20日に行われ、鹿角市の夏の終わりを告げる行事となっている。また、日本三大ばやしの一つに数えられている。

鹿角市の代表的な民俗芸能であり、1978年昭和53年)2月14日秋田県無形民俗文化財に指定された。さらに、2014年平成26年)3月10日には「花輪祭の屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されており、2016年(平成28年)11月30日には「山・鉾・屋台行事」(33件)のうちの1件としてユネスコ無形文化遺産に登録されている[1]

2017年(平成29年)の入れ込み客数は26万人(秋田県観光統計)。

由来・歴史[編集]

鹿角市の中心市街地である花輪地区の総鎮守、幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)の祭典であり、1204年元久元年)の創建時から続いていると伝わる[2][3]。ただし、幸稲荷神社は南部藩主により1470年文明2年)に再建されており、それ以前にあった火災で文献資料が焼失しているため、正確な起源や歴史的背景は不明である。囃子の起源は平安時代末にまずによる曲が形成され、後に太鼓三味線が加わったと考えられている。また、祭りが現在のような形となったのは神明社(六日町に鎮座)における御輿の購入記録より、江戸時代の末期(文化文政の頃)と考えられている[4]

現在は途絶えた『横丁の太神楽』は祭り屋台の巡行には必ず付くものだったが、1965年(昭和40年)の復活以来まったく行われていない。

花輪ばやしの起源[編集]

花輪ばやしの起源は定かではないが、以下の説が唱えられている。花輪ばやしの資料である『太神楽に関する記録』(横丁太神楽の記録、編纂:吉田豊治)から通説 1. の『花輪ばやしは京都から来たものである』が誕生した。

  1. 花輪ばやしの大部分は、1843年天保14年)に京都から移入したものである。
  2. 平泉の藤原文化の流れを汲むものである。
  3. 音楽の才能がある平安の貴人が、何らかの事情で鹿角に流されて、隠棲して創作し曲を作った。
  4. 鹿角盆地」に発生したものであり、鹿角人が創作した。

祭りの特徴[編集]

舟場元町、舟場町、新田町、六日町、谷地田町、大町、旭町、新町、横丁、組丁の10町内の屋台が参加して実施されている。祭典は8月16日、御輿が大太鼓と共に幸稲荷神社本殿を出発し、町内を一巡して「御旅所」に安置される時点から始まる。

日程[編集]

以下は8月19日〜20日未明にかけて行われる花輪ばやしの大まかな日程である。

一日目
19日午後5時半、御旅所に向かって各町内自慢の金箔、総漆塗りなどが施されている豪華絢爛な屋台が出発する。御旅所で祭り開始の挨拶が行われ、今度は駅前広場に向かって屋台が練り歩く駅前パレードとなる。屋台は続々と駅前広場へと入っていき、鹿角花輪駅駅前に全町内の屋台が揃うと円陣を組み、囃子の共演や審査が行われる。駅前での催しが全て終了するといったん、各町内に向けてパレードが行われた後、今度は20日午前0時から稲村橋及び枡形へと向かう朝詰パレード、枡形行事における神事と続き、明け方にかけて再び各町内に戻る。
またこの時、各町内が御神輿に向け、奉納演奏を行う。各町内の奉納曲は以下の通り。
  • 二本滝(新田町、旭町)
  • 羯鼓(新町)
  • 拳囃子(舟場町)
  • 霧囃子(大町)
  • 追い込み(谷地田町)
  • 宇現響(六日町、組丁)
  • 吉原格子(舟場元町)
  • 矢車(横丁)
かつてはその町内の「十八番」を鳴らして帰ってくることがあった。谷地田町の『追い込み』、六日町の『祇園』、大町の『霧囃子』などである。
二日目
日中の自主運行の後、同日午後7時からは赤鳥居詰パレードが行われ、再び駅前広場に屋台が集結する。その後、赤鳥居(組丁)へと進行して赤鳥居行事が催され、祭典の終了は21日午前3時頃と2日間ほとんど眠らずに行われる。

屋台[編集]

各屋台は「腰抜け屋台」といって屋台の底にがなく、演奏者は屋台の動きに合わせて歩きながら演奏している[注 1]。また、かつて豊作の年には腰抜け屋台の他に2階建ての本屋台も登場したが、現在は保存されていない。

この他、かつてはシャギリ屋台なるものが三年に一度出た。それは普通の屋台に高砂を飾り付け、これを六日町、谷地田町、大町の三町が持ち回りで担当していた。現在の谷地田町の屋台は、このシャギリ屋台を模したものと言われている。花輪ばやしの伝承曲の一つに「シャギリ」(地元での作曲)があり、これはこの屋台に付けられたものと考えられている。囃子連中は姿という、奇抜な屋台だが現在では演奏される機会は全く以てない。

囃子[編集]

花輪ばやしの代表曲は現在、以下の12曲が伝承されている。特に代表曲の本囃子は行進曲風で勇壮で聴く人を魅了する。また、各町内には得意曲もある。平安時代末期や江戸時代中期、幕末頃の三通りの時期に作られたものと考えられている[7](「#花輪ばやしの起源」も参照」)。

  • 本囃子(本ばやし、本屋台囃子)
  • 二本滝(かつては『二本瀧』と記した)
  • 羯鼓(鞨鼓、かつては『かつこう』)
  • 矢車
  • 宇現響(かつては『有弦京』と記した)
  • 霧囃子(霧ばやし、かつては『桐囃子』と記した)
  • 吉原格子(かつては『吉原越し』)
  • 不二田
  • 拳囃子(拳ばやし、『剣囃子』もある)
  • 祇園
  • 追込
  • シャギリ

この他にも『開化宇現響』(谷地田町だけの曲)と『籠丸』の2曲が伝承されている。

町境[編集]

各町内の町境(ちょうざかい)では両町内の外交部(外交の提灯を持った人)による挨拶(町境乗り込みの挨拶)が交わされ、これがパレードの進行方向にある燐の町内へと屋台が進む際の通行許可となる[8]。一方、町境では通常の挨拶以外にも様々な催しが行われている。近年では駅前へ集結するパレードが19日と20日の二日間行われているが、この際に花輪商店街通り(秋田県道66号)と鹿角花輪駅の駅前広場に向かう道との交差地点において大町、新町、旭町の三町の屋台が三つ巴に近接し、囃子の競演を行う様(お囃子合戦)は見所である。また、20日の午前0時頃に始まる朝詰パレードの際には、谷地田町と六日町の町境で実際に屋台をぶつけて押し合いどちらの屋台が町境を越えたか争う(けんか屋台)のが恒例となっている。

ギャラリー[編集]

交通アクセス[編集]

周辺の観光[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 以前は谷地田町の屋台のみ底部に金網が張ってあり演奏中歩行しなかった[5]が、2017年度に実施された同町内の屋台修理事業の際に金網が取り払われ、他町内と同じく「腰抜け屋台」となった[6]

出典[編集]

  1. ^ 「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産登録が決定しました(秋田県公式「美の国あきたネット」 2017年1月5日)
  2. ^ 祭りを楽しむ(あきた情報プラザ)
  3. ^ 花輪ばやしの紹介(花輪ばやし公式サイト)
  4. ^ 花輪ばやしの歴史(花輪ばやしガイド)
  5. ^ 花輪ばやしの歴史(谷地田町ホームページ)
  6. ^ 花輪ばやし 屋台修理事業 > 谷地田町:床を外し腰抜け屋台へ(平成29年5月10日)(花輪ばやし公式サイト)
  7. ^ 花輪ばやしの伝承曲(花輪ばやし若者頭協議会)
  8. ^ 町境の挨拶(花輪ばやしガイド)

関連書籍[編集]

  • 『大系日本 歴史と芸能 第十巻/都市の祝祭-かぶく民衆』(平凡社 1991年7月/編集委員: 網野善彦小沢昭一宮田登大隅和雄服部幸雄山路興造) - ビデオブック。「花輪ばやし」の映像と、編集部による解説つき。
  •  『花輪ばやし探訪』(小田切康人 1995年7月/編集『おだきり通信』編集部)- 自費出版。鹿角市の日刊新聞『米代新報』に掲載されたもの。「花輪ばやし」の大まかな日程、屋台などを掲載したものと、伝承曲『シャギリ』の考察を加えたもの。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]