中村悠平
東京ヤクルトスワローズ #27 | |
---|---|
2021年10月10日 明治神宮野球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福井県大野市 |
生年月日 | 1990年6月17日(34歳) |
身長 体重 |
176 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト3位 |
初出場 | 2009年10月2日 |
年俸 |
1億7000万円+出来高(2024年)[1] ※2022年から3年契約[2] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2023年 |
プレミア12 | 2015年 |
この表について
|
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
日本 | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
金 | 2023 | |
WBSCプレミア12 | ||
銅 | 2015 |
中村 悠平(なかむら ゆうへい、1990年6月17日 - )は、福井県大野市出身のプロ野球選手(捕手)[3]。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。
ヤクルトでは正捕手として3度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝、日本代表では1度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献[4]。2023年のWBCでは、正捕手として日本代表に貢献した[5]。
エイベックス・スポーツとマネジメント契約を結んでいる。
弟は横浜DeNAベイスターズの打撃投手兼デスクの中村辰哉[6]。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学5年生の時に友人から誘われ、野球を始める[7]。最初の守備位置は左翼手で、その後内野も一通り経験し、小5の夏から捕手になった[7]。中学3年時に県選抜チームの「福井クラブ」で第22回全日本少年軟式野球大会に出場した[8]。
福井県立福井商業高等学校では、強肩強打を武器に1年秋から正捕手となり、2年連続の夏の甲子園出場に貢献した。2007年夏の甲子園は初戦敗退。翌2008年夏の甲子園では初戦で酒田南を破り2回戦に進出したものの、橋本到を擁する仙台育英に惜敗し、ベスト16入りはならなかった。
2008年度ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズの3巡目指名を受け、契約金4500万円、年俸480万円(金額は推定[8])で入団した。背番号は「52」。福井商業高校からヤクルト及びその前身球団に入団した初の選手となった。その後中村は、契約金の一部から母校にピッチングマシンを贈っている[9]。
ヤクルト時代
[編集]2009年の春季キャンプは二軍スタートながら、2月21日の対起亜タイガース戦(練習試合)で逆転2点本塁打を打つ活躍をみせた。3月29日の対埼玉西武ライオンズ戦(オープン戦)で途中出場し、アレックス・グラマンと対戦して三振に倒れる。開幕も二軍で迎えたが試合では先発出場が多く、5月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦(イースタン・リーグ)では星野八千穂から自身公式戦初の本塁打を打った。6月に故障で離脱するも、7月上旬に復帰。7月23日のフレッシュオールスターゲームでは6回表に登場して適時打を打つと、その裏から赤川克紀とバッテリーを組んで2回を無失点に抑える活躍を見せた。イースタン・リーグでは最終的に打率.301、2本塁打、22打点、2盗塁、守備率.991の好成績を残した。9月29日、負傷によって抹消された正捕手の相川亮二と入れ替わりで初昇格し、10月2日の対広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)で7回裏に代走としてプロ初出場。10月6日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)では5回表に由規の代打でプロ初打席に立つと、その裏から一軍公式戦で初めて捕手として守備に就いて後続を無失点に抑え、高田繁監督や初バッテリーを組んだ松井光介から賞賛を受けた[10]。最終的に安打は生まれなかったものの、守備に就いた3試合・合計10回2/3を無失点で切り抜け、チームも3試合共に逆転勝ちを収めている。10月12日の対読売ジャイアンツ戦(神宮)では、鈴木尚広の二盗を刺して初の盗塁阻止も記録した。
2010年は2年目ながら一軍春季キャンプに参加し、視察に訪れた古田敦也から好評価を得た[11]。紅白戦では飯原誉士の二盗を阻止するなど、首脳陣から高評価を得ている。この年に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選ばれた。
2011年、第3捕手として一軍にいる期間が長くなり13試合に出場。イースタンでもチーム捕手最多の56試合に出場した[12]。出場こそなかったが、クライマックスシリーズにも初めてベンチ入りを果たした[13]。
2012年は、怪我により登録抹消された相川に代わり捕手を務めることが増え、6月29日の阪神タイガース戦ではプロ初本塁打を能見篤史から記録した。CSのマスクこそ譲るがこの年は出場数が相川を上回り、オフの11月6日には「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され代表入りするなど頭角を表した[14]。
2013年は、相川がWBCに出場したことにより中村がオープン戦からマスクを被り続け、プロ入り初の開幕スタメンを迎える[15]。8月13日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)でプロ初めてのサヨナラ打を打った[16]。しかし、シーズン通しては前年に比べて成績を落とし、出場数も84試合と僅かに減少。正捕手の座を掴むことはできなかった。
2014年は開幕から打撃好調を維持し、監督推薦でオールスターゲームへの初出場も果たした[17]。シーズン閉幕まで一度も離脱することなく、自己最多の99試合に出場、規定打席には届かなかったが.298と3割に迫る打率を記録した。
2015年は正捕手として定着し、2年連続でオールスターゲームにも出場。7月16日には、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[18]。9月15日のDeNA戦(明治神宮野球場)では2年ぶりとなるサヨナラ打を放った[19]。打撃成績は前年より落ちたものの、過去最高の136試合に出場しチームの14年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献した。また、ベストナインやゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞も初めて受賞した[20][21][22]。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された[23]。
2016年、開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された[24]。シーズンでは106試合出場で、打率.187に終わった。オフには球団から背番号「28」への変更を打診されるが、憧れている古田敦也と同じ「27」を自分の力で取れるようになりたいとの思いから固辞する[11][25]。
2017年はファウルチップによる怪我の離脱もあったが[26]、127試合に出場し打率.243、4本塁打、34打点を記録した[27]。2018年からは選手会長に就任する[28]。小川淳司監督から直々にキャプテンにも指名された[29]。
2018年は、正捕手として123試合に出場したがシーズン終盤では井野卓との併用が増え、試合途中での交代も多くなった[30]。2019年1月8日、3600万円増の年俸9000万円の3年契約で契約更改した[31]。
2019年は、126試合出場で打率.269と近年と比べて打撃成績が向上。一方、8月下旬から右肘に違和感を覚え、9月22日に出場登録を抹消された。シーズンオフの10月3日に右肘のクリーニング手術を受けた[32]。
2020年、東北楽天ゴールデンイーグルスから移籍してきた嶋基宏らとの争いを制し、開幕前日に先発出場が発表されていたが[33]、開幕日である6月19日の試合前練習で上半身を痛めスタメンを嶋に譲り、翌6月20日に出場登録を抹消された[34]。その後復帰するも交錯したことにより負傷交代するなど[35]不運が相次ぎ29試合の出場に終わった。
2021年は、「小さいことから自分を見つめ直す。挑戦したい」との思いから自ら背番号を「2」に変更した[36]。キャンプ中に古田敦也から直々に指導を受けた[37]。3月31日からは戦線離脱した青木宣親に代わり2番打者に定着するなど、攻守でチームに貢献した。4月15日の対DeNA戦で2年ぶりの本塁打を打った[38]。7月16日のマイナビオールスターゲーム2021に監督推薦によって出場が決まると[39]、第1戦で9回の無死一・二塁からオールスターゲームでは30年ぶりとなる犠打を決め(1991年第2戦の伊東勤以来)、全セに勝利を呼び込んだ[40]。青木が復帰後も状態が戻らないこともありしばらく2番を担っていたが、青木が復調後はドミンゴ・サンタナ、ホセ・オスナの間に入る6番打者として出塁率リーグ9位の.360を記録するなど繋ぎの打撃で打線を牽引した。守備面ではキャンプ中臨時コーチを務めた古田敦也のアドバイスから新たな引出しを駆使した好リードを見せ[41]、打者有利の本拠地でチーム防御率3位になった投手陣を支えるなど、攻守ともに優勝の大きな歯車になった[42]。古田からは技術面の指導だけでなく「お前がその気になれ」という言葉をもらい、それも優勝への原動力となった[43]。オリックス・バファローズとの日本シリーズではシリーズ通して打率.318を記録、守備面ではチーム防御率2.09と好調だった投手陣を支えるなど攻守に貢献し[44][45]、日本シリーズMVPに選出された[46]。シリーズ終了後には手記も寄せている[47]。2018年オフに結んだ複数年契約が満了し、取得していたFA権を行使できるタイミングになったが、シーズン終了後のファン感謝デーで行使せずにヤクルトに残留することを表明した[48]。2022年1月6日に、8000万円増となる推定年俸1億7000万円+出来高払いの3年契約で契約を更改し[2]、背番号をかつて大矢明彦、古田敦也といった名捕手がつけ、古田の退団後は準永久欠番となっていた「27」に変更することが発表された[49][50]。
2022年は3月に下半身の張りを訴え、開幕を二軍で迎えた[51]が、5月1日に一軍に合流する[52]。同月3日の阪神戦(甲子園球場)で先発出場に復帰し、開幕から白星のなかった小川泰弘の完封勝利をリードした[53]。同月8日の東京ドームの巨人戦では1点ビハインドの9回表に一死走者無しから代打で登場し、抑えの翁田大勢から今シーズン初安打となる二塁打を放つ。その後チームは山崎晃大朗の適時打で逆転勝利。6月22日の対中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では1回二死満塁の打席で3点適時二塁打、7回二死一・二塁の打席で2点適時二塁打を放ち、自己最多の1試合5打点を記録した[54]。同月24日の対巨人戦(明治神宮野球場)では菅野智之から初回にシーズン初本塁打となる3点本塁打を放つ。3回にも同じく菅野から2点本塁打を放ち、2打席連続本塁打を達成した[55]。7月3日の対DeNA戦でも1試合2本の本塁打を記録した[56]。8月30日の対巨人戦(京セラドーム大阪)では延長11回二死一・二塁の打席で今村信貴から決勝2点適時三塁打を放つ[57]など、チームの2年連続優勝に貢献した。シーズン通算では86試合に出場、打率.263、5本塁打、28打点[51]。守備面では守備率10割、盗塁阻止率.364の成績で2年連続3度目のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した[58][51]。オフの11月22日の契約更改では3年契約2年目で現状維持の推定年俸1億7000万円プラス出来高払いでサインした[59]。
2023年、4月19日までは打率.128と苦しんでいたが、同月20日の対中日戦(明治神宮野球場)で延長10回の守備から途中出場。2-2の同点で迎えた延長11回一死二塁の打席で山本拓実からサヨナラ安打を放った[60]。5月11日に体調不良のため、特例2023で出場選手登録を抹消[61]。同月18日に一軍に復帰する[62]と、7月15日の対巨人戦(明治神宮野球場)で1-1の同点で迎えた4回一死二・三塁の打席で井上温大から決勝スクイズ[63]、翌16日の対巨人戦(明治神宮野球場)では1点を追う4回一死一・三塁の打席でヨアンダー・メンデスから逆転3点本塁打を放ち、2試合連続でお立ち台に上がった[64]。シーズン通算では106試合に出場、打率.226、4本塁打、33打点という成績であった[65]。オフの11月28日の契約更改では3年契約の最終年で現状維持の推定年俸1億7000万円でサインした[65]。
選手としての特徴
[編集]守備
[編集]強気なリード[66]と強肩が武器。高校時代は捕球してから投げるまでのタイムは1.78秒、遠投110mを記録している[67]。
打撃
[編集]右方向への打撃を得意としており[68]、勝負強さも誇る[69]。
人物
[編集]湖池屋のスナック菓子・カラムーチョが好物なことから、ニックネームは「ムーチョ」[70]。2015年にヤクルトの優勝の際には、湖池屋から大量にプレゼントしてもらった[71]。ニックネームの由来としては、中村が食べているところをブルペン捕手の大塚淳に目撃されてからその名がついたという[72]。しかし、中村は「カラムーチョは1番好きなわけではないんですよ」と語っている。中村曰く、「1番好きなのは (カルビー) の『堅あげポテト』かな?ブラックペッパー味が好き」とのことである[72]。Twitter上で「ムーチョ」がトレンド入りするなど、ファンからも親しまれている[73]。
真面目な性格で、中学時代には生徒会長を務めていた[6]。優しい性格に見られ厳しいこともあまり口にするタイプではなかったが、チームを引っ張る立場になってからは心を鬼にし厳しいことも口にするようになった[74]。
高い身体能力を持っており、スポーツ用品メーカーが高校球児を対象に行っている体力測定では過去数人しか記録していない最高レベルを記録したことがある[75]。
ミットはフィット感を重視し、他の捕手よりもサイズが小さめのZETTのものを使用している。若手時代に元捕手の小野公誠に借りたミットがベースとなっており、それにアレンジを加えてずっと使い続けている[76]。
新人時代から憧れの選手にOBの古田敦也を挙げており、古田の投げ方を真似したこともある[7]。2021年オフに古田がつけていた背番号「27」に変更が決まった際は直々に報告し、古田からエールが送られている[77]。高校1年次から3年までの2年間、テレビ中継で谷繁元信や矢野燿大を参考に記録したリード研究用のノートはおよそ10冊を超えたという[78]。プロ入り当時、ヤクルトの正捕手だった相川亮二からはレギュラーになる前から様々なアドバイスをもらい、影響を受けた捕手に挙げている[79]。
ピッチャーに対して愛情を感じるリードをし、野球解説者の野村弘樹も投手目線から「あの表情や動きや雰囲気を見ていると安心して投げれる気がする」、「たとえ失点しても彼の場合はキャッチャーのせいにしたくなくなるタイプ」と語っている[80]。
5歳年下の弟の中村辰哉も野球選手で、ポジションも悠平と同じく捕手[6][81]。2018年と2019年にBCリーグ・福井ミラクルエレファンツに所属した。現在は横浜DeNAベイスターズの打撃投手兼デスクを務めている[6][82]。
2014年に結婚[83]、二児(長男と長女)の父[84][85][86]。
2023年、福井県栄誉賞を受賞[87]。9月20日、神宮球場に来場した杉本達治県知事から、賞状と記念の盾が贈られた[88][89]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | ヤクルト | 5 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | .200 | .000 | .200 |
2010 | 3 | 6 | 6 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .333 | .333 | .500 | .833 | |
2011 | 13 | 6 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 | |
2012 | 91 | 249 | 209 | 19 | 53 | 5 | 0 | 1 | 61 | 15 | 1 | 1 | 8 | 2 | 28 | 4 | 2 | 31 | 10 | .254 | .344 | .292 | .636 | |
2013 | 84 | 286 | 239 | 17 | 56 | 5 | 2 | 4 | 77 | 24 | 1 | 1 | 12 | 2 | 30 | 2 | 3 | 37 | 8 | .234 | .325 | .322 | .647 | |
2014 | 99 | 365 | 325 | 26 | 97 | 9 | 1 | 5 | 123 | 41 | 0 | 0 | 7 | 3 | 26 | 0 | 4 | 51 | 8 | .298 | .355 | .378 | .733 | |
2015 | 136 | 502 | 442 | 36 | 102 | 14 | 0 | 2 | 122 | 33 | 3 | 2 | 14 | 2 | 40 | 1 | 4 | 80 | 9 | .231 | .299 | .276 | .575 | |
2016 | 106 | 378 | 321 | 24 | 60 | 14 | 0 | 3 | 83 | 37 | 2 | 0 | 14 | 6 | 31 | 4 | 6 | 47 | 9 | .187 | .266 | .259 | .525 | |
2017 | 127 | 486 | 419 | 42 | 102 | 14 | 4 | 4 | 136 | 34 | 2 | 1 | 11 | 4 | 42 | 0 | 10 | 65 | 14 | .243 | .324 | .325 | .649 | |
2018 | 123 | 401 | 341 | 32 | 72 | 9 | 1 | 5 | 98 | 26 | 2 | 0 | 22 | 2 | 31 | 3 | 5 | 39 | 7 | .211 | .285 | .287 | .572 | |
2019 | 126 | 450 | 372 | 42 | 100 | 24 | 2 | 5 | 143 | 36 | 1 | 4 | 13 | 2 | 53 | 3 | 10 | 64 | 11 | .269 | .373 | .384 | .757 | |
2020 | 29 | 92 | 80 | 10 | 14 | 2 | 0 | 0 | 16 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 9 | 0 | 0 | 14 | 2 | .175 | .256 | .200 | .456 | |
2021 | 123 | 445 | 377 | 47 | 105 | 24 | 0 | 2 | 135 | 36 | 0 | 3 | 14 | 4 | 46 | 0 | 4 | 66 | 10 | .279 | .360 | .358 | .718 | |
2022 | 86 | 307 | 266 | 23 | 70 | 9 | 1 | 5 | 96 | 28 | 0 | 0 | 8 | 3 | 26 | 0 | 4 | 36 | 10 | .263 | .334 | .361 | .695 | |
2023 | 106 | 376 | 310 | 24 | 70 | 14 | 0 | 4 | 96 | 33 | 0 | 1 | 21 | 4 | 33 | 0 | 8 | 59 | 6 | .226 | .313 | .310 | .622 | |
2024 | 96 | 353 | 291 | 16 | 69 | 9 | 0 | 0 | 78 | 23 | 0 | 0 | 26 | 2 | 30 | 5 | 4 | 54 | 7 | .237 | .315 | .268 | .583 | |
通算:16年 | 1353 | 4707 | 4008 | 361 | 974 | 153 | 11 | 40 | 1269 | 370 | 12 | 14 | 172 | 37 | 425 | 22 | 65 | 647 | 111 | .243 | .323 | .317 | .640 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBSCプレミア12での打撃成績
[編集]年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 日本 | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | .500 | .000 | .500 |
WBCでの打撃成績
[編集]年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2023 | 日本 | 5 | 12 | 7 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | .429 | .636 | .714 | 1.351 |
- 太字は大会最高
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
2009 | ヤクルト | 3 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
2010 | 3 | 11 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 3 | 1 | 2 | .667 | |
2011 | 8 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | |
2012 | 90 | 433 | 47 | 4 | 9 | .992 | 2 | 30 | 16 | 14 | .467 | |
2013 | 84 | 515 | 42 | 9 | 6 | .984 | 2 | 60 | 46 | 14 | .233 | |
2014 | 97 | 608 | 57 | 2 | 7 | .997 | 2 | 65 | 48 | 17 | .262 | |
2015 | 136 | 890 | 72 | 5 | 14 | .995 | 3 | 73 | 50 | 23 | .315 | |
2016 | 106 | 640 | 59 | 3 | 8 | .996 | 6 | 83 | 61 | 22 | .265 | |
2017 | 126 | 878 | 78 | 1 | 8 | .999 | 6 | 83 | 55 | 28 | .337 | |
2018 | 123 | 790 | 64 | 7 | 7 | .992 | 2 | 66 | 47 | 19 | .288 | |
2019 | 123 | 804 | 77 | 4 | 13 | .995 | 4 | 86 | 59 | 27 | .314 | |
2020 | 29 | 199 | 21 | 1 | 2 | .995 | 0 | 21 | 17 | 4 | .190 | |
2021 | 117 | 843 | 76 | 2 | 9 | .9978[注 1] | 2 | 55 | 41 | 14 | .255 | |
2022 | 80 | 502 | 62 | 0 | 9 | 1.000 | 1 | 55 | 35 | 20 | .364 | |
2023 | 104 | 633 | 68 | 0 | 6 | 1.000 | 4 | 59 | 35 | 24 | .407 | |
通算 | 1229 | 7765 | 728 | 38 | 98 | .996 | 35 | 741 | 512 | 229 | .309 |
表彰
[編集]- ベストナイン:3回(捕手部門:2015年[20]、2021年[90]、2022年[58])
- ゴールデングラブ賞:3回(捕手部門:2015年[21]、2021年[91]、2022年[51])
- 日本シリーズMVP:1回(2021年)
- 最優秀バッテリー賞:1回(2015年 投手:石川雅規[22])
- 月間サヨナラ賞:1回(2015年9月)
記録
[編集]- 初記録
- 初出場:2009年10月2日、対広島東洋カープ24回戦(明治神宮野球場)、7回裏に畠山和洋の代走で出場
- 初打席:2009年10月6日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、5回表に桑原謙太朗から遊撃ゴロ
- 初先発出場:2010年4月14日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8番・捕手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、2回表に齊藤悠葵から中前適時打
- 初本塁打:2012年6月29日、対阪神タイガース6回戦(明治神宮野球場)、5回裏に能見篤史から左越ソロ
- 初盗塁:2013年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(明治神宮野球場)、5回裏に二盗(投手:成瀬善久、捕手:金澤岳)
- 節目の記録
- 1000試合出場:2021年6月23日、対広島東洋カープ9回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6番・捕手で先発出場 ※史上512人目[92]
- その他の記録
- 捕手2年連続シーズン無失策:2022年 - 2023年 ※規定到達者では史上3人目、セ・リーグ史上初[93]
- 捕手1892守備機会連続無失策:2021年5月19日 - 継続中 ※史上最長(2023年度シーズン終了時)[93]
- オールスターゲーム出場:7回(2014年、2015年、2016年、2018年、2019年、2021年、2022年)
背番号
[編集]- 52(2009年 - 2020年)
- 2(2021年)
- 27(2022年 - )
登場曲
[編集]- 「恋してムーチョ」TUBE(2015年) - 奇数打席のみ
- 「ルパン・ザ・ファイヤー」SEAMO(2015年) - 偶数打席のみ
- 「ありがとう」SMAP(2016年 - 同年8月)
- 「Don't Mind」Kent Jones(2016年8月 - 同年終了)
- 「虹」AAA(2017年)
- 「Yell」AAA(2017年)
- 「やってみよう」WANIMA(2018年)
- 「輝きだして走ってく」サンボマスター(2019年)
- 「飛行艇」King Gnu(2020年 - )
- 「青と夏」Mrs. GREEN APPLE(2021年 - )
- 「夜に駆ける」YOASOBI(2021年 - )
- 「もう少しだけ」YOASOBI(2021年 - )
- 「Butter」BTS(2021年 - )
- 「Bling-Bang-Bang-Born」Creepy Nuts(2024年 - )
代表歴
[編集]著書
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「ヤクルト - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2023年11月29日閲覧。
- ^ a b 「ヤクルト中村悠平8000万増+出来高の3年契約、背番古田氏の「27」に」『日刊スポーツ』2022年1月6日。2022年1月6日閲覧。
- ^ 「ヤクルト優勝、福井県出身の捕手・中村悠平が攻守に活躍 プロ野球セ・リーグ」『福井新聞ONLINE』2021年10月26日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「日本シリーズMVPは中村悠平 巧打&好リード「ピッチャー陣ありがとう!」」『BASEBALL KING』2021年11月27日。2021年11月27日閲覧。
- ^ 「「バカじゃない」酷評され続けた中村悠平。“世界一の捕手”へと飛躍でファン感涙!「ノムさんも褒めてくれるかな」【WBC】」『THE DIGEST』2023年3月22日。2023年3月22日閲覧。
- ^ a b c d 「日本一&MVPの兄には負けん!“ベイスターズのむーちょ”・中村辰哉さんは来季もチームのために腕を振る」『Yahoo!ニュース』2021年12月17日。2021年12月17日閲覧。
- ^ a b c 2009年1月27日公式サイト「ルーキーの素顔★中村選手、日高投手、新田選手編」2009年7月26日閲覧。
- ^ a b 「NPB選手名鑑(2009年)」『Sponichi Annex』。2009年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月17日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村選手が母校に恩返し 福井商にピッチングマシン」『中日新聞』2009年4月2日。2009年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月2日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】1年生捕手の中村を監督絶賛」『日刊スポーツ』2009年10月6日。2009年10月12日閲覧。
- ^ a b 「高卒2年目ヤクルト中村を古田氏が絶賛」『日刊スポーツ』2010年2月7日。2021年7月18日閲覧。
- ^ YoungPower『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/6, 58-59頁。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平 ここであきらめるわけにはいかない「ここで自分がつまずいたら描いている夢にも近づけない」」『週刊ベースボールONLINE』2017年2月8日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「日本代表メンバー」『日本野球機構』2012年11月6日。2015年4月14日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平捕手「一番思い出があるのは、やっぱり一発目のあのゲーム」」『週刊ベースボールONLINE』2017年3月30日。2021年12月14日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村プロ入り初サヨナラ打」『日刊スポーツ』2013年8月13日。2021年6月24日閲覧。
- ^ 「セ監督推薦喜びの声 ヤク中村「160キロを体感したい」」『スポーツニッポン』2014年7月4日。2021年7月17日閲覧。
- ^ 「トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2015年7月16日。2015年8月4日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村「腹くくりました」首位守るサヨナラ打」『日刊スポーツ』2015年9月15日。2021年6月24日閲覧。
- ^ a b 「ベストナイン発表!優勝したヤクルトから4人受賞」『BASEBALL KING』フロムワン、2015年11月24日。2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 「ゴールデングラブ賞発表 マエケン4年連続5回目受賞、燕中村が最多227票」『Full-Count』Creative2、2015年11月10日。2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 「バッテリー賞決定 パは大谷―大野、セは石川―中村 全員初受賞」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2015年10月20日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!!」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2015年10月9日。2015年10月9日閲覧。
- ^ 「3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表!」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2016年2月15日。2016年2月17日閲覧。
- ^ 「【球界ここだけの話(777)】汚名返上に燃えるヤクルト・中村 背番号変更を固辞して「執念深くやっていく」」『SANSPO.COM』2017年1月5日。2021年4月17日閲覧。
- ^ 「燕また離脱…正捕手・中村、右大腿骨の骨挫傷で登録抹消」『サンケイスポーツ』2017年6月15日。2021年6月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村、300万円増の5400万円で更改「もっと高いところを目指したい」」『SANSPO.COM』2017年12月15日。2018年1月10日閲覧。
- ^ 「扇の要がチームの要!ヤクルト・中村、新選手会長就任へ」『サンケイスポーツ』2017年10月10日。2021年6月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村、キャプテンに“不安”も「変わらなければ」」『ショウアップナイター』2018年1月20日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村「途中で代えられるようでは」課題探る」『日刊スポーツ』2018年11月1日。2019年1月12日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村悠平3年契約「すぐにハンコを押した」」『日刊スポーツ』2019年1月8日。2019年1月10日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村、右肘のクリーニング手術へ」『サンケイスポーツ』2019年10月2日。2020年2月2日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・高津監督が開幕スタメン発表!「全力で戦う姿を応燕してください」」『BASEBALL KING』2020年6月18日。2021年7月17日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が出場選手登録抹消 上半身のコンディション不良」『スポーツ報知』2020年6月20日。2021年7月17日閲覧。
- ^ 「ヤクルトの中村悠平が負傷交代 捕手陣に暗雲」『デイリースポーツ online』2020年9月9日。2021年6月4日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村、本気の今季へ背番号「2」志願の変更 燕捕手は相川以来7年ぶり」『サンスポ』2021年6月4日。2021年6月4日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平 “古田塾”で得た極意を生かせ/待ち遠しかった開幕 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2021年3月29日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村、今季1号ソロ「なんとかシーズン通して見返してやりたい」」『日刊スポーツ』2021年4月15日。2021年6月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト 清水昇、中村悠平、マクガフが監督推薦で球宴出場 清水は初出場」『日刊スポーツ』2021年7月5日。2021年7月16日閲覧。
- ^ 「【データ】球宴30年ぶり!セ中村悠平犠打 近本光司敬遠は23年ぶり」『日刊スポーツ』2021年7月16日。2021年7月16日閲覧。
- ^ 「「捕手で勝つ」古田敦也氏から注入された“覚悟” 中村悠平が好投引き出す」『日刊スポーツ』2021年10月26日。2021年10月26日閲覧。
- ^ 「ヤクルト優勝「積み上げてきたものがあった」 中村悠平捕手が手記」『毎日新聞』2021年10月26日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村悠平「古田さんから、お前がその気になれと」Vの裏に“金言”」『日刊スポーツ』2021年10月26日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「個性解き放ったヤクルト中村悠平“らしさ”の先に日本一、結果の裏に遊び心」『日刊スポーツ』2021年11月27日。2021年11月28日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村悠平が涙のシリーズMVP「精魂尽き果てました…最後のご褒美なのかな」 攻守にけん引」『スポニチ Sponichi Annex』2021年11月27日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「日本シリーズのMVPにヤクルト中村悠平「1年間頑張ってきて最後ご褒美なのかな」」『Full-Count』2021年11月27日。2021年11月27日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】日本シリーズMVPの中村悠平が独占手記「常勝軍団と呼ばれるチームを作らなきゃいけない」」『スポーツ報知』2021年11月28日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村悠平、ファンの前で残留宣言「来年もお世話になります」」『日刊スポーツ』2021年12月5日。2021年12月9日閲覧。
- ^ 「中村悠平がヤクルト15年ぶり「27」復活、歴代名捕手の背番号の系譜」『SPAIA』2021年12月20日。2021年12月26日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村悠平が背番号「27」に変更 OB古田敦也氏ら背負った正捕手の代名詞」『Full-Count』2022年1月6日。2022年1月6日閲覧。
- ^ a b c d 「ヤクルト・中村悠平が現状維持の1億7000万円でサイン 3年契約2年目の来季もGG賞狙う「大きな勲章」」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2022年11月22日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が1軍登録 古田敦也氏の背番号「27」、下半身の張りで2軍調整から復帰」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年5月3日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】“開幕戦”勝利飾った中村悠平「不安な面もあった」内山壮ら若手の奮闘に刺激」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年5月3日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が自己最多の5打点「向こうのいい流れを止めるには上回るものがないと」」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年6月22日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平 14年目でプロ初2打席連発「入ってくれて良かった」早くも5打点」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2022年6月24日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平「覚醒モード入ってる」人生初から9日後に再び1試合2HR」『日テレNEWS NNN』日本テレビ放送網、2022年7月3日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「ヤクルト 中村で4連勝、延長11回に2点V三塁打 9月1日にも優勝マジック「19」再々点灯」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2022年8月31日。2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 「ヤクルト・中村悠平は2年連続3度目のベストナイン 「来年は今年以上の成績を残したい」」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2022年11月24日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平1・7億円現状維持、攻守でリーグ連覇貢献 来季抱負は「日本一奪還」」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年11月22日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が試合決めるサヨナラ打!高津監督「いいバッティングだった」と賛辞」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2023年4月20日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が抹消「体調不良のためコロナ特例」前夜は石川の22年連続勝利アシスト」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年5月11日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「DeNAオースティンが今季初昇格 燕は中村、梅野が特例2023で1軍復帰…18日の公示」『Full-Count』Creative2、2023年5月18日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平「顔に当ててでも前に転がしてやろう」バットと一体化し決勝スクイズ決める」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年7月15日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平、前夜に父克彦さん社員旅行で観戦「いい報告ができた」逆転4号決勝3ラン」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年7月16日。2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 「【ヤクルト】中村悠平は現状維持1億7000万円「もっとうまくなりたい」3年契約最終年来季へ」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年11月28日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「侍ジャパンの正捕手はオレだ― 中村悠平が見せた闘志と希望」『日本通運「侍ジャパン」応援特設サイト』2016年3月6日。2021年4月17日閲覧。
- ^ 「中村 悠平(福井商) | 選手名鑑」『高校野球ドットコム』2008年10月1日。2021年4月17日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平が打撃好調な理由 | ショウアップナイター」『BASEBALL KING』2017年3月18日。2021年4月17日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平 自覚を持って取り組んだ1年/チームリーダーの2018年 | 野球コラム」『週刊ベースボールONLINE』2018年11月5日。2021年4月17日閲覧。
- ^ 「ヤクルト爆勝10得点!相川代役“ムーチョ”中村打った」『スポニチ Sponichi Annex』2012年4月15日。2012年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月2日閲覧。
- ^ 「燕・中村、辛口リードでヒーヒー言わせる!湖池屋からV差し入れ」『サンスポ』2015年10月8日。2022年4月24日閲覧。
- ^ a b 「ヤクルト・中村が一番好きなお菓子は?」『サンスポ』2017年2月7日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「「山本からムーチョが打ったぞ!」ツイッターで「ムーチョ」がトレンド入り」『日刊スポーツ』2021年11月20日。2022年4月24日閲覧。
- ^ 「連敗中に中村悠平が見せたリーダーシップ 〜燕軍戦記2017〜」『スポーツナビ』2017年7月25日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 『報知高校野球』による。
- ^ 「ポジション別巧者のグラブ2 捕手・中村悠平 同じモデルで10年以上戦う 何万球ものボールを受けるミット」『週刊ベースボールONLINE』2021年9月4日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「ヤクルト 古田敦也氏「27に変更したいとご報告頂きました」中村悠平との写真投稿」『デイリースポーツ online』2021年12月15日。2022年1月2日閲覧。
- ^ 2008年8月8日「デイリースポーツ」による。
- ^ 「石田雄太コラム「攻めるって何? 中村悠平のリード」」『週刊ベースボールONLINE』2021年12月12日。2021年12月28日閲覧。
- ^ 「野村弘樹(プロ野球解説者)<後編>「3戦目の先発が一番重要」」『SPORTS COMMUNICATIONS』2016年5月26日。2022年1月27日閲覧。
- ^ 「顔似てる?ヤクルト中村がBC福井の弟と自主トレ」『日刊スポーツ』2019年1月11日。2020年2月4日閲覧。
- ^ 「そっくり!DeNAキャンプにムーチョ弟登場 打撃投手のテスト挑戦」『Sponichi Annex』2020年2月1日。2020年2月4日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村捕手が挙式 「活躍することが恩返しに」」『産経フォト』2014年12月20日。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「ヤクルト中村パパの喜び オジギソウに「やまだ、がんばれ!」5歳息子の成長を見守る」『スポニチ Sponichi Annex』2021年6月20日。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村、優しい表情で子供たちとふれ合う「こういう経験も大切」」『サンスポ』2016年12月15日。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村悠平、妻・◯◯さんの乳がん闘病を告白「勇気を与えたい」 1月に発覚…覚悟の'24シーズン「野球で結果残す」」『サンケイスポーツ』産経デジタル、2024年3月27日。2024年3月27日閲覧。
- ^ 「報道発表資料」『福井県ホームページ』。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平が「福井県栄誉賞」を受賞 始球式には同県出身のAKB48の坂川陽香が登場」『スポーツ報知』2023年9月20日。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「ヤクルト公式戦で福井PR 新幹線県内開業機運盛り上げ 中村選手に県栄誉賞授与 :日刊県民福井Web」『中日新聞Web』2023年9月21日。2023年9月21日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】中村悠平、山田哲人、村上宗隆、塩見泰隆がベストナイン受賞」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年12月14日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「【ゴールデン・グラブ賞】ヤクルト中村悠平「投手野手協力」6年ぶり2度目」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2021年12月2日。2024年4月7日閲覧。
- ^ 「ヤクルト・中村が史上512人目の通算1000試合出場達成 記念ボード掲げる」『サンケイスポーツ』2021年6月23日。2022年5月1日閲覧。
- ^ a b 「【ヤクルト】村上宗隆に「3冠王の呪い」 3冠王12人中8人が翌年成績ダウン…記録2023」『スポーツ報知』2023年12月20日。2023年12月24日閲覧。
- ^ 「証言 WBC2023 侍ジャパン激闘の舞台裏」『宝島社の通販 宝島チャンネル』。2024年6月22日閲覧。
参考文献
[編集]- ベースボール・マガジン社(編)、2021年『ベースボール・レコード・ブック』2022日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社。ISBN 978-4-583-11429-3。 52ページ参照。
- ベースボール・マガジン社(編)、2022年『ベースボール・レコード・ブック』2023日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社。ISBN 978-4-583-11546-7。 296ページ参照。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中村悠平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手名鑑 - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 中村悠平オフィシャルブログ「日々是好日」 - Ameba Blog
- 中村悠平 (@yuuhei52) - X(旧Twitter)
- 中村 悠平 (Yuhei Nakamura) |avex sports|エイベックス・スポーツ株式会社