ジョニー・ベンチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョニー・ベンチ
Johnny Bench
2006年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州オクラホマシティ
生年月日 (1947-12-07) 1947年12月7日(76歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
208 lb =約94.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手三塁手一塁手外野手
初出場 1967年8月28日
最終出場 1983年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1989年
得票率 96.42%
選出方法 全米野球記者協会による投票

ジョン・リー・ベンチJohn Lee Bench, 1947年12月7日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティ出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。ニックネームは「Little General」。

1970年代にビッグレッドマシンと言われたシンシナティ・レッズの黄金時代を支えた。MLB史上最高の捕手とも称され[1][2]、捕手としては20世紀唯一となる本塁打王タイトルを獲得している[3]

経歴[編集]

アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティに3人兄弟の末っ子として誕生。父親はアメリカ先住民であるチョクトー族の血をひいている。1965年の第1回ドラフト会議でレッズに指名され、入団。

約2年のマイナーでのプレイを経て、1967年8月28日にメジャーデビューを果たした。その年はシーズン終盤26試合に出場し、打率.163に終わったが、1968年のスプリングキャンプの際に出会ったテッド・ウィリアムズがベンチのバッティングとフィールディングに非凡さを感じ、自らのサインを渡す際に「将来の野球殿堂入りが確実なジョニー・ベンチ君へ」と書き添えた逸話がある[4]。その1968年には初めてフルシーズンをメジャーで過ごし、154試合に出場して打率.275、15本塁打、82打点の活躍でナ・リーグ新人王に選ばれた。

1970年にはいずれも自己最多の45本塁打、148打点を記録し、本塁打王打点王の二冠に輝き、最優秀選手(MVP)を受賞。1972年にも40本塁打、125打点で再び二冠に輝き、MVPを受賞した。1974年は129打点で3度目の打点王を獲得。

1972年のワールドシリーズ第3戦の8回表、ランナーを2人置いてベンチに打席が回った。フルカウントになったところで、監督のディック・ウィリアムズとバッテリーが集まって話し合った。プレーが再開されると捕手のジーン・テナスが立ち上がって一塁を指差した。ベンチは敬遠されると思ってボールを待った。投手のローリー・フィンガーズが振りかぶると、テナスは突然座ってボールを待ち構えた。ベンチは騙され、見逃し三振に打ち取られてしまった。

レッズは名将スパーキー・アンダーソン監督の下、1975年1976年に2年連続でワールドシリーズを制し、ベンチはピート・ローズジョー・モーガンらとともにBig Red Machineと言われた1970年代最強チームの一つを牽引した。守備力にも優れ、ゴールドグラブ賞は1968年から10年連続で受賞。オールスターには通算14回出場した。他にも、1975年にはルー・ゲーリッグ賞、1976年にはワールドシリーズMVPとベーブ・ルース賞1981年にはハッチ賞を受賞。

1978年秋にはレッズ単独チームの一員として日米野球で来日。1981年以後は一塁手、そして三塁手にコンバートし、現役最後の3シーズンで捕手を務めたのは13試合のみであった。

1983年のシーズン途中に同年限りでの現役引退を発表。打撃三冠王経験者のカール・ヤストレムスキーボストン・レッドソックス)もシーズン後の引退を表明したため、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは2人の功績を称え、同年のオールスターゲーム出場枠を特別に1名ずつ増やして2人を出場させた。9月17日の本拠地リバーフロント・スタジアムの試合は「Johnny Bench Night」と銘打たれ、現役最後となる通算389号本塁打を放つ。

現レッズ本拠地グレート・アメリカン・ボール・パーク内にあるベンチの銅像。

多くの選手がフリーエージェント等で高給を求めて移籍する中、17シーズンをレッズ一筋に過ごし、通算389本塁打、1376打点を記録。打撃タイトルは延べ5回だが、捕手獲得タイトル数としては歴代1位[5]で捕手という負担の大きなポジションにあってその打力は特筆すべきものであった。通算389本塁打中、捕手としての本塁打は327本で当時のMLB記録たったが、後にカールトン・フィスク、更にマイク・ピアッツァに更新された。

ベンチの背番号「5」。
シンシナティ・レッズの永久欠番1984年指定。

引退の翌1984年にベンチの背番号5』はレッズの永久欠番に指定された。また、存命選手としてチーム初の永久欠番だった。

攻撃時、打席では耳当てのないヘルメットを被り、チェンジになると、被っていたヘルメットを前後逆さにし、キャッチャーマスクを被る仕草が有名。

1989年には資格初年度で96.42%という高い得票率で野球殿堂入りを果たし、21年前のウィリアムズの予言は現実のものとなった。1999年には捕手としては最高得票でMLBオールセンチュリーチームに選出された。

息子は高校で主にアメフトで活躍したが、父の後を追ってメジャーのトライアウトに2度挑戦したことがある。

野球以外での活躍[編集]

ベンチは現役最晩年の1982年から1985年にかけて、NBCテレビで放送された"The Baseball Bunch"という子ども向け教育番組で、当時人気のあったマスコットフェイマス・チキンと共に番組の進行役を務めている。また引退後には、ゴルフのチャンピオンズ・トーナメントに何度か出場したこともある。現在はテレビラジオの解説者を務めている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1967 CIN 26 93 86 7 14 3 1 1 22 6 0 1 1 1 5 0 0 19 4 .163 .207 .256 .462
1968 154 607 564 67 155 40 2 15 244 82 1 5 2 8 31 8 2 96 14 .275 .311 .433 .743
1969 148 592 532 83 156 23 1 26 259 90 6 6 0 7 49 7 4 86 7 .293 .353 .487 .840
1970 158 671 605 97 177 35 4 45 355 148 5 2 1 11 54 9 0 102 12 .293 .345 .587 .932
1971 149 613 562 80 134 19 2 27 238 61 2 1 0 2 49 7 0 83 20 .238 .299 .423 .722
1972 147 652 538 87 145 22 2 40 291 125 6 6 0 12 100 23 2 84 18 .270 .379 .541 .920
1973 152 651 557 83 141 17 3 25 239 104 4 1 1 10 83 14 0 83 22 .253 .345 .429 .774
1974 160 708 621 108 174 38 2 33 315 129 5 4 0 4 80 15 3 90 13 .280 .363 .507 .870
1975 142 605 530 83 150 39 1 28 275 110 11 0 0 8 65 12 2 108 12 .283 .359 .519 .878
1976 135 552 465 62 109 24 1 16 183 74 13 2 0 4 81 6 2 95 9 .234 .348 .394 .741
1977 142 560 494 67 136 34 2 31 267 109 2 4 0 7 58 8 1 95 10 .275 .348 .540 .889
1978 120 451 393 52 102 17 1 23 190 73 4 2 1 6 50 10 1 83 9 .260 .340 .483 .823
1979 130 538 464 73 128 19 0 22 213 80 4 2 3 4 67 8 0 73 11 .276 .364 .459 .824
1980 114 407 360 52 90 12 0 24 174 68 4 2 0 4 41 2 2 64 9 .250 .327 .483 .810
1981 52 196 178 14 55 8 0 8 87 25 0 2 1 0 17 3 0 21 4 .309 .369 .489 .858
1982 119 439 399 44 103 16 0 13 158 38 1 2 1 2 37 2 0 58 14 .258 .320 .396 .716
1983 110 334 310 32 79 15 2 12 134 54 0 1 0 0 24 1 0 38 13 .255 .308 .432 .741
MLB:17年 2158 8669 7658 1091 2048 381 24 389 3644 1376 68 43 11 90 891 135 19 1278 201 .267 .342 .476 .817
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

捕手守備


捕手(C)




















1967 CIN 26 175 16 1 0 .995 2 5 5 .500
1968 154 942 102 9 10 .991 18 49 44 .473
1969 147 793 76 7 10 .992 14 30 40 .571
1970 139 755 73 12 12 .986 9 32 30 .484
1971 141 687 59 9 9 .988 6 37 26 .413
1972 129 735 56 6 9 .992 2 24 31 .564
1973 134 693 61 4 7 .995 8 28 27 .491
1974 137 757 68 6 16 .993 3 37 35 .486
1975 121 568 51 7 9 .989 0 32 27 .458
1976 128 651 60 2 11 .997 5 57 42 .424
1977 135 705 66 10 10 .987 3 64 42 .396
1978 107 605 48 7 6 .989 12 49 35 .417
1979 126 619 68 10 11 .986 5 70 45 .391
1980 105 505 39 5 7 .991 6 83 34 .291
1981 7 41 5 1 0 .979 1 9 4 .308
1982 1 1 0 0 0 1.000 0 0 0 ----
1983 5 17 2 1 0 .950 0 4 2 .333
MLB 1742 9249 850 97 127 .990 94 610 469 .435
内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)
























1970 CIN 12 74 4 1 7 .987 1 1 0 0 0 1.000
1971 12 34 1 1 7 .972 3 2 6 0 0 1.000
1972 7 24 0 1 1 .960 4 2 7 1 0 .900
1973 4 29 0 0 3 1.000 1 0 2 0 0 1.000
1974 5 15 0 0 0 1.000 36 22 55 3 2 .963
1975 9 45 0 1 2 .978 -
1976 1 0 0 0 0 ---- -
1977 4 21 2 1 3 .958 1 0 1 1 0 .500
1978 11 75 5 2 7 .976 -
1979 2 13 1 0 1 1.000 -
1981 38 334 23 6 35 .983 -
1982 8 53 4 0 7 1.000 107 54 155 19 10 .917
1983 32 249 14 3 21 .989 42 26 58 6 5 .933
MLB 145 966 54 16 94 .985 195 107 284 30 17 .929
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1970 CIN 15 14 1 1 0 .938 2 3 0 0 0 1.000 7 8 0 1 0 .889
1971 10 9 1 0 0 1.000 - 3 2 0 0 0 1.000
1972 - - 17 30 0 2 0 .938
1973 - - 23 33 0 2 0 .943
1975 16 28 0 0 0 1.000 - 3 5 1 0 0 1.000
1976 5 4 0 2 0 .667 - -
1977 7 9 0 0 0 1.000 - 1 0 0 0 0 ----
1978 1 0 0 0 0 ---- - 1 0 0 0 0 ----
1983 1 0 0 0 0 ---- - -
MLB 55 64 2 3 0 .957 2 3 0 0 0 1.000 55 78 1 5 0 .940

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

脚注[編集]

  1. ^ All-Time #MLBRank: Counting down the list of greatest catchers” (英語). ESPN.com (2016年7月20日). 2017年1月21日閲覧。
  2. ^ Best catchers of all time” (英語). Fox Sports (2011年7月8日). 2017年1月21日閲覧。
  3. ^ 20世紀以降の捕手で本塁打王を獲得したのはベンチとサルバドール・ペレスのみ。19世紀にバック・ユーイングが本塁打王を獲得している
  4. ^ 福島良一『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社、1997年)ISBN 447896050X
  5. ^ 2位は3回のディーコン・ホワイトジョー・マウアー。4位は2回のアーニー・ロンバルディ

出典・外部リンク[編集]