レイ・シャーク
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | イリノイ州ハーヴェル |
| 生年月日 | 1892年8月12日 |
| 没年月日 | 1970年5月19日(満77歳没) |
| 身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 165 lb =約74.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1912年 |
| 初出場 | 1912年8月11日 |
| 最終出場 | 1929年9月15日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 1955年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
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この表について
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レイ・シャーク(Ray Schalk, 本名:Raymond William Schalk, 1892年8月12日 - 1970年5月19日) は、1910~1920年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは捕手。イリノイ州ハーベル生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Cracker"(クラッカー)。投手のリードと守備力に優れ、ホワイトソックスを2度のリーグ制覇に導いた。
目次 |
経歴 [編集]
1912年に、マイナーのミルウォーキー球団からホワイトソックスに入団、175cm/75kgと小柄な選手だったが、守備能力の高さを買われ2年目から正捕手の座に着く。当時打力の弱かったホワイトソックスにおいて、シャークはレッド・フェイバー、エディ・シーコット、レブ・ラッセル、レフティ・ウィリアムズら投手陣をまとめる役割を果たした。1913年オフには「世界周遊野球チーム」のメンバーとして来日、日本でも試合を行っている。
ホワイトソックスは1914年以降徐々に上位に躍進し、1917年にレギュラーシーズンで100勝を挙げリーグを制覇する。この年のチームの防御率は2.16にまで下がっていた。また走塁面では、1916年に捕手としてのシーズン最多となる30盗塁を記録する。この記録が破られたのは66年後の1982年のことである。
1919年には2度目のワールドシリーズ出場を果たし、23打数7安打、打率.304の成績を残す。しかし翌年、チームはブラックソックス事件により多くの永久追放者を出すことになる。シャークはその後1927年から2年間ホワイトソックスの監督を兼任し、1929年にニューヨーク・ジャイアンツで現役を引退する。引退後はパデュー大学の打撃コーチやボウリング場の経営などをしていた。
1955年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1970年にシカゴで死去。
通算成績 [編集]
打撃成績 [編集]
※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1762 | 5306 | 1345 | 199 | 49 | 11 | 579 | 594 | 176 | 355* | 638 | 59 | 214 | .253 | .340 | .316 | .656 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- ワールドシリーズ出場:2回 (1917,1919年)
- 通算補殺数(捕手):1811(歴代1位)
- 捕手最高守備率:6回 (1915-1917,1920-1922年)
- サイクル安打:1回 (1922年6月27日)
- 捕手のシーズン最多盗塁:30 (1916年)
- ※ジョン・ワザン捕手が1982年に更新 (36盗塁) した。
監督としての戦績 [編集]
- 所属:シカゴ・ホワイトソックス (1927,1928年)
- 戦績:102勝125敗、勝率.449、リーグ最高順位:5位
関連項目 [編集]
出典・外部リンク [編集]
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 1913年来日メンバー
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