イスタンブル

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イスタンブル市街の衛星写真。左がヨーロッパ、右がアジアで、両者の間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南がマルマラ海で、北が黒海。マルマラ海の北岸、ヨーロッパ側に見える三角形の半島がイスタンブル旧市街で、海峡から旧市街に切れ込んだ海が金角湾。この写真から、旧市街から城壁や海を越えて市街地が拡大していることがよくわかる。
イスタンブル市街の衛星写真。左がヨーロッパ、右がアジアで、両者の間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南がマルマラ海で、北が黒海。マルマラ海の北岸、ヨーロッパ側に見える三角形の半島がイスタンブル旧市街で、海峡から旧市街に切れ込んだ海が金角湾。この写真から、旧市街から城壁や海を越えて市街地が拡大していることがよくわかる。

イスタンブル市トルコ語İstanbul )は、トルコ共和国西部に位置する都市。ボスポラス海峡をはさんでアジアアナトリア半島)側とヨーロッパトラキア地方)側の両方に拡がっており、2大陸にまたがる大都市である。首都アンカラを上回る同国最大の都市であり、文化・経済の中心となっている。イスタンブル県県都でもある。2000年の人口は約880万人で、イスタンブル県全体では1000万人を越える。モスクワロンドンルール地方パリに並ぶヨーロッパ屈指の人口規模をもつ。その歴史は長く、かつてのローマ帝国東ローマ帝国ラテン帝国オスマン帝国の首都が置かれていた。イスタンブール歴史地区世界遺産に登録されている。北緯41度1分7秒、東経28度57分53秒。日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多いが、この呼称は正確とは言えない(後述)。

目次

[編集] 名称

日本語ではしばしば「イスタンブール」と表記されるが、標準トルコ語の発音では最後の音節は長母音化されないので、発音により忠実に「イスタンブル」と表記されることも多い(高等学校世界史はその代表例で、「イスタンブール」という表記は一切使われない)。もっとも、トルコ語の口語では母音調和化して、日本語母語話者の耳には「ウスタンブル」と聞き取れるような発音になることも多いようである。

イスタンブルは、古代のビュザンティオン(ビザンティオン)、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と同じ町である。

イスタンブルの名は、東ローマ帝国時代からスラブ人らが旧市街を指して呼んでいたスタンブルという地名がトルコ人にも取り入れられたものと考えられる。この名前は、一説にはギリシャ語の "(eis) stin poli" (「都市に」)から取られ、ギリシャ人がコンスタンティノポリスを「都市の中の都市」と呼んだことに由来するという。あるいは、Constantinopolisがつづまったstanpolという形を語源に想定する説もある。

トルコ人に先立ってコンスタンティノポリスに接触したイスラム教徒たちの書いた史料では、9世紀にはこの町の名称として、アラビア語で「クスタンティン(コンスタンティノス)の町」を意味する「クスタンティニーヤ قسطنطنية (Qusṭanṭiniyya)」あるいは「クスタンティーナ قسطنطينه (Qusṭanṭīna)」が一般化されていた。「スタンブル」「イスタンブル」という名称がイスラム教圏でいつ頃から広く用いられるようになったかは定かではない。しかし、アナトリアのトルコ化がかなり進んでいた14世紀初頭に編纂されたペルシア語歴史書では、コンスタティノポリスについては「クスタンティーナ」が一般的に使用されている一方で、「イスタンブール (استنبول Istanbūl)」がその異称として用いられている例が見られ、少なくとも当時のアナトリア方面の人々の間では「コンスタンティノポリス」の異称として「イスタンブル」という名称が使用されていたことが伺える。

日本の歴史叙述では、オスマン朝がこの町を征服した1453年を境にして「コンスタンティノープル」から「イスタンブル」と言い換えるのが通例である。しかし当のオスマン朝の人々が用いた文章語であるオスマン語の上では、この町の名前は「イスラームが広まった」を意味する اسلامبول İslâmbol と綴られたり、Āstāne-ye Sa‘ādat/Asitane-i Saadet(「幸福の宮居」)、Ummu 'd-Dunyā/Ümm-i Dünya(「世界の母」)、Dāru s-Salṭanat/Darü’s-Saltanat (「王権の館」)などとペルシア語・アラビア語で様々に美称されており、また貨幣の刻印などでは正式な都市の名称としてコスタンティニーヤのオスマン語・トルコ語形である「コスタンティニエ (قسطنطنية Kostantiniyye)」が長く使われ続けていた。

この都市の正式名称がイスタンブルに改められ、国際的にもコンスタンティノープルではなくイスタンブールと呼ばれるようになるのは、トルコ革命後の1930年のことである。なお、ギリシア語では現在、「コンスタンディヌーポリ」と呼ばれている。ラテン語由来の名であるコンスタンティノポリスに基くが、綴りに若干の変化があり、読みも現代ギリシャ語のものとなっている。

[編集] 歴史

古代、中世のイスタンブルはそれぞれビュザンティオンコンスタンティノポリスも参照。

ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿

現在「旧市街」と呼ばれる、マルマラ海金角湾に囲まれた、ヨーロッパ大陸から突き出した半島の先端に設けられた古代ギリシアの植民都市ビュザンティオンが、イスタンブルの起源である。ローマ帝国末期330年コンスタンティヌス1世がここに遷都、ビュザンティオンをコンスタンティノポリスと改名した。以来1100年以上に渡り、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として、1453年コンスタンティノポリス陥落までキリスト教徒の都であった。

1453年にこの町を征服したオスマン帝国メフメト2世はただちにエディルネから遷都し、イスタンブルは引き続き東地中海を支配する帝国の首都となった。コンスタンティノープルはイスラムの支配下に入り、聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)をはじめとする多くのキリスト教の教会が強制的に接収されモスクになった。

メフメト2世はモスクと病院、学校などをくみあわせた複合施設群を設立し、ローマ帝国の引いた水道(ローマ水道)を補修し、後のグランドバザールの前身となる屋根付きバザールを始めとする商業施設を建設して都市インフラを再興した。さらに、被征服者のキリスト教徒ズィンミー(公認された異教徒)として一定程度の人権を保障して新都にそのまま住まわせる一方、アナトリア半島の諸都市からムスリム(イスラム教徒)の富裕者を強制的に移住させる政策をとったので、15世紀後半の50年間にイスタンブールはビザンツ帝国の末期には激減していた人口を大きく上回る大都市となった。

各街区には君主や大臣などの有力者が設立したモスクがつくられ、イスラム都市の伝統にのっとったモスクと公共施設が整備された。また、イスラーム教徒による差別と抑圧はあったものの東方正教アルメニア正教教会ユダヤ教シナゴーグも数多く維持され、ムスリムのトルコ人のみならず、ギリシャ人アルメニア人ユダヤ人、そして西ヨーロッパ諸国からやってきた商人・使節など、様々な人々が住む多文化都市、東西交易の中心都市でもあった。

近代には旧市街のみならず、新市街と呼ばれるガラタ地区、ベイオール地区やアジア側のウスクダルなどを取り込んで大都市へと発展する。とくに、ベイオール地区ではペラ大通り(現在のイスティクラル通り)に沿ってヨーロッパ各国の大使館や多国籍のホテル、レストラン、商店が立ち並び、ヨーロッパから移植された西欧文化のショーウインドウとなった。

1923年、前年にスルタンを廃止してオスマン帝国を消滅させ、首都機能をアンカラに移したアンカラのトルコ大国民議会は、トルコ共和国の建国を宣言。これによって、イスタンブルはコンスタンティヌス1世の遷都以来、約1600年続いた帝国の首都としての地位を失った。しかし、共和国期も依然としてトルコの社会・経済・文化の中心都市として繁栄し、市域はさらに拡大を続けてボスポラス海峡の沿岸全域とマルマラ海沿岸の広い地域を含む大都市となった。

[編集] 交通

ヨーロッパ側とアジア側にそれぞれ国際特急の発着する鉄道駅高速バスターミナル、国際空港があり、トルコ各地や諸外国と繋がっている。

それらの中でも、海外からの主要な玄関口となるのはヨーロッパ側のイェシルキョイ (Yeşilköy) にあるアタテュルク国際空港である。空港と市街地は空港バス (HAVAŞ) と、地下鉄 (Metro) で繋がっており、イスタンブル市路面電車・地下鉄運営局 (İETT) 経営の地下鉄は観光名所の多い旧市街中心部に乗り入れる路面電車 (Tramvay) と郊外のゼイティンブルヌ (Zeytinburnu) 駅で接続している。

新市街側ではイスティクラル通りの北の終点であるタクスィムから北の住宅街に向けて地下鉄が走っている。新市街と旧市街の地下鉄は将来的に金角湾を渡って接続することが計画されている。

鉄道以外ではバスや、ドルムシュ (Dolmuş) と呼ばれる乗合タクシーが広く市民の足として使われており、市内を細かくカバーする路線網がひかれている。また、海峡をまたいでアジアとヨーロッパに分かれた町であることから海上交通網も発達しており、大小数多くの定期船(公営)が、両岸に設置された多くの桟橋の間を行き交う。さらに現在、ボスポラス海峡を貫通する地下路線の工事が進行中である。この路線が開通すれば、国鉄 (TCDD) のヨーロッパ側路線とアジア側路線が相互乗り入れ可能となり、広大なイスタンブル市の東西が鈍行列車でも2時間で接続される見込みである。

[編集] 道路

ヨーロッパトルコを結ぶ2本の高速道路が走っている。E5と呼ばれる古い方は都市内交通として機能しており、TEM(Trans European Motorway)と呼ばれる新しい方は主に大陸間移動の通過交通に利用されている。E5のボスポラス橋とTEMの第二ボスポラス橋、2本の橋梁がボスポラス海峡のヨーロッパ側とアジア側をつないでいる。

[編集] 観光

これらはユネスコ世界文化遺産イスタンブール歴史地域を構成する歴史的建造物群である。

[編集] 姉妹都市

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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