トルコ国鉄

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トルコ国鉄
Türkiye Cumhuriyeti Devlet Demiryolları
路線地図
トルコ国鉄路線図
Ankara Express Turkey 2006.jpg
E43型電気機関車牽引の列車
報告記号 TCDD
路線範囲 トルコ全土
運行 1927–現役
前身 Oriental Railway
Oriental Railway Company
Smyrna Cassaba Railway
Anatolian Railway
Bursa Mudanya Railway
Transcaucasus Railway
Cenup Railway
軌間 1,435 mm (4 ft 8 12 in)
電化 交流電化 25,000V 50Hz
架空電車線方式
全長 10,991キロメートル (6,829 mi)[1]
本社 トルコ、アンカラ
公式サイト Turkish State Railways

トルコ国鉄(トルコこくてつ、トルコ語: Türkiye Cumhuriyeti Devlet Demiryolları, TCDD)は、トルコの公共鉄道システムを運営する国営鉄道である。1927年に創立され、オスマン帝国崩壊後トルコ共和国内に残された私営の会社により運営されていた鉄道の運行を引き継いだ。

総延長10991kmを超える鉄道路線を運営し、インターレイルパスの一員となっている。

国内・国外の発着を含め、トルコ国鉄はトルコ全体の鉄道運営者として、すべての旅客・貨物・郊外鉄道を運営する。以前はトラキアアナトリア、2つの鉄道網はイスタンブルのボスポラス鉄道フェリーを利用してのみ接続されていたが、マルマライボスポラス海峡の海底鉄道トンネル)の開通により地下鉄での接続が可能になった。

運行[編集]

イスタンブルのヨーロッパ側にあるシルケジ駅オリエント急行のターミナル駅として1890年に開業した。
イスタンブルのアジア側であるハイダルパシャ駅バグダード鉄道ヒジャーズ鉄道のターミナル駅として1908年に開業した。

国際的な接続[編集]

ヨーロッパ方面[編集]

中東方面[編集]

郊外鉄道[編集]

トルコには、イスタンブルに2つ、アンカラに1つ、イズミルに1つ、計4系統のトルコ国鉄が運営するコミューターサービスが存在する。すべての系統で、E8000系電車またはE14000系電車、あるいはその両方が使用されている。最短15分間隔で運行されているが、各都市の他の都市鉄道システムとはそれほどよく連携している訳ではない。

歴史[編集]

オスマン帝国時代[編集]

トルコの鉄道の歴史は1856年にさかのぼる。トルコにおける最初の鉄道線は、イギリスの会社に任せられた 130km のイズミル - アイドゥン線であった。この区間が選ばれたのは偶然ではなく、イズミル - アイドゥン間の路線に商業上の高い潜在性が認められたためである。また、別の理由としては、イギリスの産業に必要な原材料がこの地域にあったことが挙げられる。この地域は中東をコントロールするために地政学上重要だったこともあり、イギリスが最初に鉄道敷設の免許を受けたのに続いて、フランスドイツがその影響力が行使されるそれぞれ異なった場所で鉄道の建設を始めた。これらの国々は自国の産業のために必要な、オスマン帝国から購入した物資をできるだけ速くへ運ぼうとした。鉄道は、この目的にとってできるだけ効率的になるように建設され、戦略的に、例えば鉱山の約 20km 以内に建設された。そのためトルコにおける鉄道は、それら外国の政策に従って敷設された。

1856年から1922年にかけて以下の路線がオスマン帝国の領内で建設された。

計 9,919km

トルコで共和国の建国宣言後、国内には外国の会社により建設された鉄道路線の4,000kmだけが残された。より具体的に言うと、新生トルコ共和国がオスマン帝国から継承したのは、外国の会社が所有していた2,282km の標準軌線と 70km の狭軌線、そしてオスマン帝国自らが所有し運営していた1,378km の標準軌線であった。

共和国建国後[編集]

1923年から1950年まで[編集]

共和国成立前、鉄道路線は外国の会社の利益のために建設が宣言されていたが、共和国の成立後は、自国のための鉄道路線が建設された。これは鉄や石炭などを基礎とした1932年から1936年までの間に公表された工業化計画に明確に見ることができる。これらの鉱石などを輸送する最も安価で最も効率的な方法が鉄道建設であった。この間交通に関する財政上の資産は鉄道に向けられた。

期間が短かったため鉄道建設はハイスピードで続けられた。第二次世界大戦の間は建設のスピードが低下した。1923年から1950年までの間に3,578kmが建設されたが、そのうちの3,208kmは1940年以前に完成した。

そうした頃に鉄道は国民経済計画に組み込まれた。鉄道建設の目的は以下のように表明されている。

  • 潜在的な生産拠点と天然資源を結びつけること。
  • 生産拠点と消費地、特に港とを結びつけ、農村部とのコミュニケーションを円滑にすること。
  • 国の経済発展の速度を上げるため、商業的に未開発の地域を接続すること。この政策により、1927年にカイセリ、1930年にスィヴァス、1931年にマラティア、1933年にニーデ、1934年にエラズー、1935年にディヤルバクル、1939年にエルズルムが鉄道網に接続された。
  • 国の安全度を高めること。したがって、鉄道を含めた国内の総合的なコミュニケーション網を作り出すこと。

これらの目的を達成するため、鉄道政策は2段階に集約された。

  1. 財政的問題にもかかわらず、外国の会社にされていた鉄道は買収されて国有化された。その一部は合意の上で行われた。
  2. それまでの鉄道路線のほとんどがトルコ西部に集中していたため、中央部と東部を貿易拠点や海岸に接続することが目的となった。この期間に新たに建設された区間は、アンカラ - カイセリ - スィヴァス, スィヴァス - エルズルム(コーカサスルート)、サムスン - カルン(スィヴァスルート)、ウルマック - フィリヨス(ゾングルダク石炭ルート)、アダナ - フェヴズィパシャ - ディヤルバクル(ルート)、スィヴァス - チェティンカヤルート)である。共和国成立以前は、アンカラ - コンヤ間より西側に全体の70%の線路網が広がっていたが、成立後の建設区間は東側が78.6%を占め東西間比率は54%:46%に達した。

1935年から1945年の間にそれらの鉄道が結ばれ、それらが結合されたことにより環状部分が形成され、例えばアンカラ - ディヤルバクル間の距離は1,324kmから1,116kmへ短縮された。

1950年以降[編集]

オスマン帝国より残された道路網は、全長13,885kmの荒廃した道路と全長4,450kmのそうでない道路、計18,335kmの道路と94の橋であった。1950年まで道路網は鉄道網を助けるものとして見られていた。しかし、マーシャルプランにより鉄道網を強化する代わりに自動車道が広げられた。

1960年以降でさえ鉄道の延伸を目的とする対象は存在したものの、財政上の資産のほとんどは道路に振り向けられた。これらの政策のため、1950年から1980年までの間、鉄道は年平均で30kmしか建設されなかった。

1980年代半ば、トルコにおけるモータリゼーションはアウトバーンの建設で始まった。アウトバーンプロジェクトは南東アナトリアプロジェクト (GAP)と観光事業プロジェクトの次の第3の巨大プロジェクトであった。これらのプロジェクトのために、1990年代半ばまでに約20億USDが投資された。この間鉄道への投資はなされず、何の計画も開始されなかった。ほとんどの鉄道(それらのほとんどは建設後50年以上経過していた)はどうにもならないかのような不運が残されていた。

トルコでは、物資の94%は道路で運ばれ、鉄道では4%しか運ばれていない。物資輸送の鉄道シェアは50年間で60%減少した。

電化[編集]

トルコは伝統的な25 kV、50 Hzの交流電化を選択した。トルコ国内で最初に電化されたのは、1955年12月4日で、イスタンブルのヨーロッパ側の郊外路線のシルケジ - ソウックス間であった。同時に、E8000系電車の使用が開始された。イスタンブルのアジア側の郊外路線では、1969年ハイダルパシャ - ゲブゼ間が電化された。アンカラの郊外路線では1972年にスィンジャン(en:Sincan) - カヤシュ(Kayaş) 間が電化された。

1977年2月6日には、ゲブゼ - アダパザル間が複線電化され、電力で走る編成が幹線で運行されるようになった。1989年には更にアダパザルの付近のアリフィエとエスキシェヒールの間が、1993年にはシンジャンまで電化され、イスタンブル - アンカラ間で電化区間が繋がった。1994年には、イスタンブルからエディルネ - カプクレブルガリア国境)間のヨーロッパ線も電化された。同年、中部のディヴリーイ (en:Divriği) - イスケンデルン(en:Iskenderun)間が他の電化ネットワークとは孤立した形で電化された。2006年にはイズミルの郊外路線も電化された。

マルマライ[編集]

マルマライはボスポラス海峡の下でイスタンブルのヨーロッパ側とアジア側を鉄道路線で接続する地下トンネルシステムである。2004年5月24日に着工したが、工事現場から遺物が多く出土し完成予定は延び延びになっていた。2013年8月4日、試験運転が行われ[2]、トルコ共和国宣言記念日の同年10月29日に開業した[3]。開業すると中東とアジアの鉄道網がヨーロッパの鉄道網に接続される。さらに、市内交通における重要な役割も持ち、多くの人々が住んでいるイスタンブル都市圏の東西の鉄道路線を形成することになっている。公共交通における鉄道利用が3.6%から27.7%に上昇することにより、公共交通問題を軽減させることが見込まれている。そのように上昇すれば、公共輸送機関の利用に関してイスタンブルは東京 (60%) 、ニューヨーク (31%) に次いで世界第3位になるとされている。

鉄道建設の年表[編集]

トルコ国鉄の沿革について以下に記載する[4]

共和国建国前[編集]

現在も運行中[編集]

経路 開業年 距離 (m)
イズミル - アイドゥン鉄道
シリンイェル - ブジャ 1860 2,452
イズミル - ストラッチ 1860 356,505
トルバル - ティレ 1883 47,541
ガズィエミル - セイディキョイ 1886 1,088
アラシェヒル - ウシャク 1887 117,810
チャタル - オデミシュ 1888 26,452
ゴンジャル - デニズリ 1889 9,430
スュトラチ - チヴリル 1889 30,224
オルタクラル - ソョケ 1890 22,012
スュトラチ - エイルディル 1912 113,795
イズミル - トゥルグトル鉄道
バスマネ駅(イズミル) - メネメン 1865 31,680
ハルカプナル - ボルノヴァ 1865 4,878
メネメン - マニサ - トゥルグトル 1865 61,500
トゥルグトル - アラシェヒル 1875 75,790
ウシャク - アフィヨン 1890 134,946
マニサ - クルクアーチ 1890 80,853
クルクアーチ – バンドゥルマ 1912 195,244
東方鉄道
シルケジ駅 - イェニカプ 1872 4,756
イェニカプ - フロリヤ 1871 16,372
フロリヤ - ハドゥムキョイ 1872 30,325
ハドゥムキョイ - チャタルジャ 1873 19,610
チャタルジャ - 国境 1873 209,899
カラアーチ[5] - 国境 1873 7,137
マンドゥラ - クルクラーレリ 1912 45,594
アナトリア鉄道
ハイダルパシャ駅 - フェネルヨル 1872 5,088
フェネルヨル - ペンディク 1872 21,162
ペンディク - ゲブゼ 1873 19,681
ゲブゼ - イズミト 1873 47,096
イズミト - ビュユクデルベント 1890 18,312
ビュユクデルベント - メケジェ 1891 71,709
メケジェ - ヴェズィルハン 1891 32,831
ヴェズィルハン - イニョニュ 1892 65,980
イニョニュ - アープナル 1892 55,823
アープナル - ヤルンル 1892 54,954
ヤルンル - サズラル 1892 61,902
サズラル - ベイリキョプリュ 1892 14,317
ベイリキョプリュ - アンカラ 1892 109,516
エスキシェヒール - キュタヒヤ 1894 76,984
アラユント - チョウルレル 1895 19,631
チョウルレル - アフィヨン 1895 74,615
アフィヨン - アクシェヒル 1895 98,128
アクシェヒル - ウルグン 1896 57,641
ウルグン - コンヤ 1896 116,796
アリフィエ - アダパザル 1899 8,491
バグダード鉄道
コンヤ - ブルグルル 1904 198,892
ブルグルル - ウルクシュラ 1911 38,733
ウルクシュラ - ドゥラク 1912 90,469
ドゥラク - イェニジェ 1912 17,915
南方鉄道
フェヴズィパシャ - メイダンエクベズ 1912 35,411
シリア国境 - チョバンキョイ - ヌサイビン 1917 382,106
デルベスィエ - マルディン 1917 24,340
トプラッカレ - イスケンデルン 1912 59,220
メルシン-タルスス-アダナ鉄道
メルスィン - イェニジェ 1882 43,209
イェニジェ - アダナ 1886 23,949
サルカムシュ-カルス-国境鉄道
サルカムシュ - カルス - ロシア(現アルメニア)国境
(広軌、後に標準軌へ改軌)
1913
幹線 3,714,280
支線 844,995
総計 4,559,275


廃止された狭軌路線[編集]

区間 距離 (m)
ムダニヤ – ブルサ 41,110
ウルジャ - パラムトルク 28,391
サムスン - チャルシャンバ 39,465
マーデン - サルカムシュ 231,940
総延長 340,906


進行中の計画[編集]

高速化計画[編集]

スペインのCAFに発注した高速鉄道用車両

アンカラ・イスタンブル高速線[編集]

エスキシェヒール経由でアンカライスタンブルを結ぶトルコ最初の高速鉄道である。イスタンブルからアンカラへは約3時間(最高速度 250km/h)で到着する。この区間用の車両はスペインのCAFに発注している。

アンカラ・コンヤ高速線[編集]

この新線はポラトル(en:Polatlı)でアンカラ・イスタンブル高速線と接続し、アンカラ - コンヤ間を70分に短縮する予定である。アンカラ・イスタンブル高速線と同種の車両が使用される。

将来の構想路線[編集]

  • 「アンカラ・イズミル高速線」
アンカラ - アフィヨン - ウシャク - イズミル(ポラトルの約25km南でアンカラ・コンヤ高速線に接続。)
  • 「アンカラ・スィヴァス高速線」
アンカラ - ヨズガト - スィヴァス
シェファアトリでアンカラ・スィヴァス高速線に接続。
  • 「イスタンブル・ブルサ / アンカラ・ブルサ高速線」
オスマネリでアンカラ・イスタンブル高速線に接続。
  • 「スィヴァス・カルス高速線」
スィヴァス - エルズィンジャン - エルズルム - カルス
  • 「エスキシェヒール・アンタルヤ高速線」
エスキシェヒール - アンタルヤ
  • 「コンヤ・メルスィン高速線」
コンヤ - メルスィン( - アダナ方面)
  • 「イスタンブル・エディルネ高速線」
イスタンブル - エディルネ県カプクレ( - ブルガリアソフィア方面)

参考[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Invest in Turkey: Transportation and logistics
  2. ^ 小佐野カゲトシ (2013年8月8日). “トルコ・イスタンブールで海底鉄道トンネルの試運転始まる…アジアと欧州つなぐ”. Response. 2013年11月2日閲覧。
  3. ^ 小佐野カゲトシ (2013年11月1日). “欧州とアジアを結ぶトルコの海底トンネル開業…開業早々トラブルも”. Response. 2013年11月2日閲覧。
  4. ^ 出典:トルコ共和国成立以前の鉄道” (トルコ語). 2006年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月22日閲覧。
  5. ^ 現在は経路変更に伴い廃駅。

外部リンク[編集]