エラズー

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エラズーの位置
街の風景

エラズーElâzığ)は、東アナトリア地方にあるトルコの街であり、エラズー県の県都である。2010年の国勢調査では、人口は33万1479人であった。街が広がる平野は、標高1067mにある。

エラズーは、歴史上の都市であるカーバード(Harput)から発展したものである。この都市は丘の上に位置し、冬季は近づくのが難しい場所にあった。

名前[編集]

古代の都市で要塞でもあったカーバードは、アルメニア語で「焦げた要塞」を意味し、現在のエラズーから5km程離れた位置にあった。中世には、ビザンチン風のというCharpeteΧάρπετε)という名前でも知られた。

19世紀、マフムト2世の治世下で、レシッド・メフメド・パシャは、カーバードより下の平野に位置する郊外の都市メズレへの遠征を開始した。スルタンアブデュルアズィズ時代には、兵舎、病院、官舎等が整備された。1866年にアブデュルアズィズの即位5周年を記念して街は、"Mamuretülaziz"と改名され、このころから、発音しやすいエラズィズ("Elâzîz")とも呼ばれるようになった。1937年11月17日、大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、この街の名前を"Elazık"と改名したが、トルコ語では発音しにくかったため、同年12月10日に元の"Elâzığ"という名前に戻された。

歴史[編集]

エラズーは、かつてカーバードの城があった丘の裾に建設された。文献の記録によると、カーバードの住人の多くは、紀元前2000年頃からこの地に定住していたフルリ人であった。

カーバード及びその周りの地域は、ウラルトゥが最大領土であった時代には、その一部であった[1]

アルメニア語で「岩の砦」という意味のカーバードは、初代アルメニア王によって建設された。しかし、この街に関する当時の文献は、今日にはほとんど残っていない。

ギヨーム・ド・ティールは、コートニーエデッサ伯ジョセリン1世エルサレム王ボードゥアン2世がカーバード城の牢屋に囚われ、アルメニア軍に救出されたと記している。ギヨームは、この場所をQuart PiertまたはPierreと呼んでいる。

カーバードとその近郊は、1071年8月のマラズギルトの戦いの結果、トルコの支配下に置かれた[2]

カーバードには現在も居住者がいるが、標高が高く水が得にくいため、徐々に人口は減っており、多くの住人がエラズーに移住している。現在のカーバードの人口は数千人である。

キリスト教コミュニティ[編集]

伝承によると、カーバードで最初の教会は、紀元179年に建てられたシリア正教会のMart Maryam Churchである。

カーバードは、11世紀からシリア正教会の司祭の居住地であり、その教区は、当初Hisn Ziyadと呼ばれ、後にカーバードとなった。カーバードの最後のシリア正教会司祭であるは、1915年のアルメニア人虐殺及びアッシリア人虐殺の際に、街の多数のキリスト教徒とともに殺害された。

アルメニアカトリック教会は、1850年にカーバード教区を創設した。

トルコ共和国下でのエラズー[編集]

人口
1914 10,000 - 12,000
1927 20,052
1940 25,465
1945 23,695
1950 29,317
1955 41,667
1960 60,289
1965 78,605
1970 107,364
1975 131,415
2008 389,774

その設立から第二次世界大戦終結まで、その街の発展は普通ではなかった。第一次世界大戦前には、この街には恐らく1万人から1万2000千人の人口であったが、1927年にトルコ共和国で初めて行われた国勢調査では、2万52人であった。この数字はその後も上昇し続け、1940年の調査では2万5465人になったが、第二次世界大戦で人口は流出し、2万3635人にまで減少した。その後は順調に人口が増え続け、そのうちに、単独で約2000人の人口を持つカーバードは、エラズーとは独立した自治体となった。

経済[編集]

1970年代以降のエラズーの発展に影響を与えた最大の要因は、街から45kmの距離に作られたケバンダム及び587万1000kwh/年の出力を持つ水力発電所の建設である。その貯水は6万8000ヘクタールに及ぶものであり、100の村を飲み込み、また他の100人が農地の大部分を失った。また約2万人がダムの建設にかりだされた。

セメント等、ダムの建設に関連する産業も街の発展に寄与し、AyalonやSharonが指摘するように、労働者が流入して男女比が不均衡化し、男性の人数が女性を8000人も上回る状況が1970年代の間続いた。

ダム建設に伴って流入してきた人々は、エラズーの中心部に住むことを選択し、エラズーの家庭には、政府による保障が支払われた。しかし、ケバンダムは、3万人以上の人々と少なくとも212の村に影響を与えた。ケバンダムの影響を受ける範囲にある80%以上の家庭は土地を持たない小作人であり、保障を受ける資格がないか、ほんのわずかな金を受け取るだけであった(Koyunlu 1982: 250)。

エラズーの地域は鉱物資源に富み、健康的な気候で、豊かな土壌である。クロムの採掘が重要な鉱業であった。

ダム、その関連産業、鉱業によって、この地域では東アナトリア地域の平均を上回る急速な都市化が進んだ(1970年で42.7%)。

農業では、ワイン用のブドウの栽培が中心で、エラズーはその他の産品も含めた商業の中心であった。エラズーにある国営のブドウ園は、フルボディの赤ワイン用であるブズバーの生産で有名である。

今日のエラズーはエラズー県の県都であり、大学、工場がある一方、歴史的な記念物等は多くない。例外はもちろん北に少し離れた位置にある古代カーバードの砦であり、今日のエラズーの発展に大きく貢献した。エラズーの人口は、トルコ人クルド人アゼルバイジャン人で構成されている。

地理[編集]

エラズーは、地元で"Uluova"(大きな谷)として知られる長さ30マイルの谷の北西の角に位置する。この地域をアルメニア人は"Vosgetashd"(黄金の平原)と呼ぶ。標高は約3300フィートであり、緯度と経度はそれぞれ北緯38°41′東経39°14′である。エラズー県の北側はユーフラテス川であり、ケバンダムの完成後は県の面積(8455km2)の約10%(826km2)を占める。隣接する自治体は、トゥンジェリ県(北)、エルズィンジャン県(北西)、ビンギョル県(東)、ディヤルバクル県(南)、マラティヤ県(西)である。

気候[編集]

エラズーは大陸性気候ケッペンの気候区分ではDsa)であり、冬季は寒く雪が降り、夏は暑く乾燥する。しかし、街の周りの天然及び人工の池の存在により、地域ごとの変動は大きい[3]

エラズーの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 12.4
(54.3)
17.3
(63.1)
26.4
(79.5)
32.2
(90)
34.4
(93.9)
38.4
(101.1)
42.2
(108)
41.2
(106.2)
37.8
(100)
31.7
(89.1)
21.8
(71.2)
19.6
(67.3)
42.2
(108)
平均最高気温 °C (°F) 2.8
(37)
5.0
(41)
11.3
(52.3)
17.8
(64)
23.6
(74.5)
29.6
(85.3)
34.3
(93.7)
34.1
(93.4)
29.4
(84.9)
21.7
(71.1)
12.4
(54.3)
5.3
(41.5)
18.94
(66.08)
平均最低気温 °C (°F) −4.0
(24.8)
−3.1
(26.4)
1.1
(34)
6.4
(43.5)
10.5
(50.9)
15.0
(59)
19.3
(66.7)
18.9
(66)
14.2
(57.6)
8.9
(48)
2.7
(36.9)
−1.3
(29.7)
7.38
(45.29)
最低気温記録 °C (°F) −16.5
(2.3)
−19.4
(−2.9)
−17.0
(1.4)
−5.8
(21.6)
0
(32)
6.7
(44.1)
6.7
(44.1)
11.0
(51.8)
1.0
(33.8)
−1.5
(29.3)
−15.2
(4.6)
−17.7
(0.1)
−19.4
(−2.9)
降水量 mm (inch) 37.4
(1.472)
39.1
(1.539)
50.7
(1.996)
64.9
(2.555)
49.5
(1.949)
12.9
(0.508)
3.3
(0.13)
1.2
(0.047)
8.6
(0.339)
44.4
(1.748)
46.1
(1.815)
42.2
(1.661)
400.3
(15.759)
平均降雨日数 11.5 11.4 12.0 12.4 10.7 4.2 1.2 0.7 2.2 7.4 9.3 11.6 94.6
平均月間日照時間 89.9 112 173.6 207 288.3 354 387.5 365.8 300 223.2 144 77.5 2,722.8
出典: Devlet Meteoroloji İşleri Genel Müdürlüğü [2]

出典[編集]

 この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed (1911). Encyclopædia Britannica (11 ed.). Cambridge University Press. 

  • David Ayalon, Moshe Sharon (1986) (). Studies in Islamic History and Civilization; Article: Ma'mûrat al-Aziz, p. 342 ISBN 978-0-510-03200-5. Brill Publishers. 
  • Alpaslan Koyunlu (1982) (). Keban Project 1974-1975 Excavations; Article: The Village Settlement of Mumzuroğlu – Observations on Housing. M.E.T.U.. 
  • Fiey, J. M., Pour un Oriens Christianus novus; répertoire des diocèses Syriaques orientaux et occidentaux (Beirut, 1993)

外部リンク[編集]