デロス同盟

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デロス同盟の勢力圏

デロス同盟(デロスどうめい)は、アケメネス朝ペルシアの脅威に備えて、紀元前478年に古代アテナイを中心として結成されたポリス間の軍事同盟。アテナイを盟主としてイオニア地方など主にエーゲ海の諸ポリスが参加した。

同盟結成まで[編集]

ペルシア戦争(第二次遠征)においては、紀元前480年サラミスの海戦および紀元前479年プラタイアの戦いによりペルシア軍が敗れて撤退し、ギリシアには(一時的に)平穏が訪れた。しかしペルシア軍の攻撃による被害の爪痕は各地に残り、ギリシアの人々の間にはペルシア軍の再来襲を危惧する懸念が広まっていた[1]

プラタイアの戦いで全ギリシア軍の総指揮を採っていたスパルタパウサニアスは傲慢なことで知られ、ギリシア諸国の多くは彼に反発することとなった[1]。他方で、その頃ペルシア軍の撃退で功績をあげていたアテナイの評価は高まっており、その結果ペルシアに対抗するための新同盟はアテナイを中心とするものとなった[1]

紀元前478年477年の冬にギリシア諸国の代表者がデロス島に集まり、そこでデロス同盟が正式に結成された[1]

概要[編集]

軍船をキオスサモスレスボスなどが拠出し、多くのポリスは資金を拠出した。当初はデロス島で開かれる代表会議で同盟に加わる各ポリスが意見を表明し、拠出された資産を同島におかれた金庫で共同管理していたが、ペルシアの軍事的脅威が薄れたのち、前454年に同盟の金庫はアテナイへ移転された。デロス島の会議も形骸化し、アテナイはデロス同盟の資金や海軍を勝手に流用するようになった。パルテノン神殿の建設といったアテナイの公共事業も、この同盟資金が用いられたと考えられている。

同盟から離脱しようとするポリスには見せしめとして壊滅的な打撃を与えることもあった。はやくから脱退を図ったナクソス島は武力で鎮圧され、タソス島の離脱もおさえられて制裁金が科された。こうして次第に同盟はアテナイが他の諸ポリスを支配する機関へと変貌していった。こうした状況を指して、「アテナイ海上帝国」と形容する歴史家もいる。

こうした「アテナイ海上帝国」の台頭に強い懸念を抱いたスパルタは、アテナイの専制的支配に対して離反するポリスが現れると、これを支援する姿勢をみせることもあった。こうしてスパルタ・アテナイ間の緊張が先鋭化し、紀元前431年には両者の対立は頂点に達し、ギリシアの諸ポリスによる深刻な内戦であるペロポネソス戦争が勃発した。紀元前404年、アテナイの敗北が決まるとデロス同盟は解散した。

関連項目[編集]

  • ^ a b c d 高畠純夫 『古代ギリシアの思想家たち——知の伝統と闘争』 山川出版社〈世界史リブレット人006〉、2014年、39頁。ISBN 978-4634350069