タソス島

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タソス島
Θάσος
リメナス港
リメナス港
地理
GR Thassos.PNG
座標 北緯40度43分 東経24度46分 / 北緯40.717度 東経24.767度 / 40.717; 24.767 
諸島 北エーゲ諸島(エーゲ海諸島
面積 379 km² (146 sq.mi.)
行政
ギリシャの旗 ギリシャ
地方 東マケドニア・トラキア
中心地 タソス  (Thasos (town)
統計
人口 13,765人 (2001現在)
人口密度 36 /km² (94 /sq.mi.)

タソス島ギリシア語: Θάσος / Thasos, Thassos)は、エーゲ海の最北部にあるギリシャ領の島。トルコ語ではタショズ島Taşoz)と呼ばれる。

目次

[編集] 地理

トラキアの沿岸とメスタ川平野に近接するが、地理学的にはマケドニアに属する。中心の町は、北岸にあるタソス(通称はリメナス)。農業(はちみつ、オリーブ、ワインを生産する)、牧畜(ヒツジ、ヤギの飼育)、漁業が行われている。

[編集] 歴史

最初の定住者はフェニキア人で、島には金鉱があったとされる。紀元前8世紀頃、パロス島の植民地となる。その後、ローマ帝国東ローマ帝国の支配を経て、1462年からオスマン帝国に支配された。1820年代、当時のスルタンマフムト2世からエジプト支配者ムハンマド・アリーへ、ギリシャ独立戦争の際にエジプトが干渉を行ったことに対する褒美として、私的な封土として与えられた。エジプトによる支配は、概して穏やかで、島は繁栄を続けた(ムハンマド・アリーが、タソス島の対岸の都市カヴァラの出身であったため)。1908年、トルコに青年トルコ人革命が起こり軍政が敷かれてから、タソス島を取り巻く情勢に暗雲がたちこめた。第一次バルカン戦争中の1912年10月、ギリシャ王国海軍はタソスをギリシャの一部として要求。タソスはギリシャへ復帰する。

第二次世界大戦中の1941年、枢軸国側についていたブルガリアがタソス島を攻略。同じく東マケドニア・トラキア地域を支配下においた。ブルガリア支配時代、人々は飢えに苦しみ、若い男性たちは強制労働へかり出された。ブルガリアはトラキアを併合しようと企み、最初の段階として学校からブルガリア化を進めた。この時代、タソスはブルガリア語でTacocと呼ばれていた。タソス島の山岳高原地帯は、小規模なレジスタンス運動の舞台となった。戦後、ギリシャ内戦では共産ゲリラによって1950年まで攻撃された。

[編集] 行政区画

[編集] タソス県

タソス県Περιφερειακή ενότητα Θάσου)は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、広域自治体(ノモス)であったカヴァラ県の県域を分割して設置された行政区(ペリフェリアキ・エノティタ)である。タソス県はタソス市1市のみから成る。

[編集] 自治体(ディモス)

タソス市Δήμος Θάσου)は、東マケドニア・トラキア地方タソス県に属する基礎自治体ディモス)である。タソス島全体をその市域とする。

[編集] 外部リンク


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