薬師丸ひろ子
やくしまる ひろこ 薬師丸 ひろ子 | |||||||||||||||
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本名 | 薬師丸 博子 | ||||||||||||||
生年月日 | 1964年6月9日(59歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・東京都渋谷区 | ||||||||||||||
身長 | 155 cm | ||||||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||||||
職業 | 女優・歌手 | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||||||||||||
活動期間 | 1978年 - | ||||||||||||||
活動内容 |
1978年:女優デビュー 1981年:歌手デビュー | ||||||||||||||
配偶者 |
玉置浩二 (1992年 - 1998年) | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『野性の証明』 『翔んだカップル』 『セーラー服と機関銃』 『探偵物語』 『里見八犬伝』 『Wの悲劇』 『病院へ行こう』 『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ 『今度は愛妻家』 テレビドラマ 『ミセスシンデレラ』 『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』 『木更津キャッツアイ』 『1リットルの涙』 『Q10』 『泣くな、はらちゃん』 『あまちゃん』 代表曲 「セーラー服と機関銃」 「探偵物語」 / 「すこしだけやさしく」 「メイン・テーマ」 / 「元気を出して」 「Woman "Wの悲劇"より」 「あなたを・もっと・知りたくて」 「ステキな恋の忘れ方」 「ささやきのステップ」 / 「紳士同盟」 「胸の振子」 / 「終楽章」 / 「時代」 「語りつぐ愛に」 | |||||||||||||||
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薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ、本名:薬師丸 博子(読み同じ)、1964年6月9日 - )は、東京都港区北青山出身の女優、歌手。東京都立八潮高等学校、玉川大学文学部英米文学科卒業。
概要
薬師丸が中学1年生の時に角川映画『野性の証明』(1978年)の長井頼子役オーディションで選ばれ、スクリーン・デビュー。1981年、『翔んだカップル』(1980年、キティ・フィルム)の相米慎二監督と再度コンビを組んだ主演映画『セーラー服と機関銃』が大ヒットする[注 1]。また、同名主題歌を歌い、歌手デビューする。主演映画ばかりでなく[注 2]、映画の主題歌「セーラー服と機関銃」「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman "Wの悲劇"より」も大ヒットを記録する[注 3]。特に、映画『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)では演技も評価され、主演女優賞を獲得した。
1985年に角川春樹事務所から独立する。その後も、映画女優として『野蛮人のように』、『紳士同盟』、『ダウンタウン・ヒーローズ』、『病院へ行こう』、『タスマニア物語』などに出演する。また、民営化直後のNTTのCMソング「あなたを・もっと・知りたくて」や映画主題歌「紳士同盟」などのシングルだけでなく[注 4]、オリジナル・アルバムのリリース、コンサートと歌手としても活躍する。しかし、1991年に安全地帯のリーダーの玉置浩二と結婚後は、歌手活動や映画の世界から遠ざかる(玉置とは1998年に離婚を発表)。オリコンチャートによると、薬師丸のシングルの累計売上は396万枚を記録し[3]、アルバムは189万枚[4]、シングルとアルバムの合計の売上は585万枚となっている。1997年に18年ぶりのドラマ『ミセスシンデレラ』に主演してからは、テレビドラマの世界にも活躍の場を広げる。
2000年代に入り、ドラマ『木更津キャッツアイ』(宮藤官九郎脚本)や『1リットルの涙』、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(山崎貴監督)などに出演し、日本を代表する女優の1人として評価されている[5][6][注 5]。
2010年代、木皿泉脚本のドラマや舞台、NHK連続テレビ小説への初出演(『あまちゃん』)などの女優活動の一方で、CDシングルやアルバムのリリース、35周年記念コンサートと、歌手活動にも取り組んでいる。2013年の多方面での活躍と長年の放送文化に対する功績が評価され、放送ウーマン賞2013を受賞した[9]。審査員やゲスト出演はあったが、正式に歌手として『第65回紅白』(2014年)に初出場する。
女優
角川映画(1978年2月 - 1985年3月)
偶然、薬師丸の写真を撮った人が、本人には内緒で角川映画『野性の証明』長井頼子役オーディション( - 1978年2月)に応募していた。頼子役の8歳という設定に対し薬師丸は既に13歳、想定される身長よりも高かった。さらに、演技経験もなかったので、必ず落選すると本人は信じていた[注 6]。しかし、条件に合致した候補者と接戦になったものの、薬師丸の将来性を見抜いた審査員の角川春樹が強く推したことで合格してしまう[注 7][注 8]。決め手となったのは、非常に印象的な目だったと角川は結果発表時に述べている[12][注 9]。『野性の証明』(1978年)は角川映画として初めて邦画年間興行ランキング1位になった映画であると同時に、映画史には「薬師丸ひろ子のデビュー作」として記録されている[13]。
薬師丸は引退も考えていたが、角川春樹事務所はTBS系の単発ドラマ『装いの街』(1979年)や実相寺昭雄が監督した資生堂のコマーシャル「色」、雑誌『バラエティ』での写真モデルの仕事を入れることで薬師丸が芸能界から引退するという選択肢を奪った[14]。その一方で、角川社長や側近の人たちは、本当に〔俳優の仕事が〕嫌になったら辞めさせてあげると薬師丸の気持ちを尊重してもいた[15]。
ドラマ『装いの街』への出演交渉を受けた時、薬師丸はマネージャーなしで1人、プロデューサーの石井ふく子を訪ね、台本の疑問点の確認をする[16]。そのことに石井は感心したという逸話がある[16]。『装いの街』は薬師丸が休業中だった1982年7月に『セーラー服と機関銃 完璧版』の併映作として劇場公開もされた[17]。2012年のドラマ『妻が夫をおくるとき』では、石井ふく子プロデューサーの役を薬師丸が演じている[18]。
1979年、中学三年生だった薬師丸は高校受験のため女優業は休止[19]。1979年夏の角川文庫「時間がないんだ青春は」キャンペーンのポスターやチラシの仕事だけはしていた[19]。
同年、キティ・フィルム代表多賀英典が薬師丸本人に直接映画『翔んだカップル』(相米慎二監督)への出演交渉を行った[20][注 10]。当初、薬師丸は出演を固辞していたが高倉健のアドバイスもあり、最終的には出演を了承した[20]。薬師丸が『翔んだカップル』に出演する意欲を見せたので、事務所は東宝に薬師丸を貸し出すことになった[21]。当時、事務所も薬師丸の今後の展望を持っていなかったので、気楽に貸し出したと薬師丸は話している[22]。この映画で第2回ヨコハマ映画祭主演女優賞と第4回日本アカデミー賞話題賞俳優部門を受賞した。
宮本治雄によれば、ドル箱だった山口百恵を結婚引退で失った東宝はポスト百恵として薬師丸の2作品『翔んだカップル』(1980年)・『ねらわれた学園』(1981年)を配給した[23][注 11]。
初主演映画『翔んだカップル』は大ヒットとはならなかったが[注 12]、キティ・フィルムは相米慎二監督&薬師丸主演第二弾として『セーラー服と機関銃』(1981年)を予定していた。角川春樹事務所に薬師丸の出演交渉を行うが、他社映画への出演に難色を示した。しかし、薬師丸が角川春樹を説得し、キティ・フィルムと角川春樹事務所提携作品として映画が製作されることになった[20]。
映画『セーラー服と機関銃』の中で機関銃を乱射するシーンで有名な「カイ・・・カン」のセリフは薬師丸のアドリブであると言われていたが、薬師丸は台本であると断言した[25][注 13]。このシーンの撮影で割れたビンの破片が薬師丸の左頬に当たり少し出血する事故が起きるが[27]、そのまま演技を続け映画の本編で使われている[28][注 14]。傷は長さ1cm弱で浅かったが、対応した医師は傷痕は残ると宣告する[28]。
『セーラー服と機関銃』の公開2日目(1981年12月20日)、大阪・梅田東映ほかでの舞台挨拶を予定していたが、徹夜組を含めた約8000人[注 15] のファンが上映3館に殺到したため、放水車[12] を伴う機動隊まで出動し、舞台挨拶も上映も中止となった[20][30]。その騒動は翌日のスポーツ新聞のみならず、一般新聞の社会面トップ記事にもなった[30]。舞台挨拶を見られなかったファンは薬師丸を追って大阪空港へ殺到し、空港もパニックになる。空港を回避し新大阪駅に向かったが、そこにもファンがいて、結局、名古屋までタクシーで移動し東京に戻った[31]。その後、薬師丸が大阪を訪問するには、何年かの間、警察の許可が必要だった[12][31]。同月25日、「翌年(1982年)は大学受験のために仕事を控える」と休業宣言をする[32]。休業期間は1年半だった[33]。
1982年4月18日、第2の薬師丸ひろ子を発掘するために『角川・東映大型女優一般募集』オーディションが開催される[34][33]。グランプリは渡辺典子、特別賞に原田知世[35]。この後、原田知世・渡辺典子と共に「角川三人娘」と呼ばれる[36]。同月21日、薬師丸主演の過去作のサントラとナレーションからなるアルバム『ひろ子 青春のメモワール』が発売される[37]。同月29日、上映時間が16分長くなった『翔んだカップル オリジナル版』が公開される。
1982年6月、前年(1981年)に舞台挨拶中止となった大阪で『セーラー服と機関銃 完璧版』の試写会挨拶を行い、『完璧版』は7月にミニシアター系で封切られる[37]。
休業中の1982年11月、次作『探偵物語』が薬師丸の受験の合否に関係なく撮影されることが発表される[38]。原作は前作と同じ赤川次郎で、書き下ろす前から薬師丸主演で映画化されることが決まっていた[39]。1983年7月に公開された『探偵物語』(共演:松田優作、併映は原田知世主演『時をかける少女』)は薬師丸が出演した角川映画の中で最高の興行成績、配給収入28億円、興行収入51億円を記録する[40][41]。その後、同年12月公開『里見八犬伝』(深作欣二監督)、1984年7月公開『メイン・テーマ』(森田芳光監督)に主演する。
澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984年)は興行的な成功とともに映画の評価も高く、薬師丸の代表作となった[42]。ブルーリボン主演女優賞の表彰式で、「この映画で燃えつきたので、(女優を)やめようと思った。でも、この賞は私にガンバレという励ましの意味でいただけたと思います」とスピーチ[43]。澤井監督「役のつかみ方に天性のものがあって、方向さえきちんと示せば確実にできる子だと思いました」、澤井監督の師匠マキノ雅弘監督「普通はどんな上手い子でも数カットは作ったような間違った表情をするものだけど、この子にはそれが全くない」と賞賛している[42]。
主演映画のヒットは続いていたが、内心ではずっと女優を辞めたいと思ってた[21]。角川社長の「いつ辞めてもいい。でも、もったいないぞ」の言葉にその都度なだめられ、7年間、その気持ちを抑えていたが、二十歳の時、ユーミンの苗場のコンサートに遊びに行ったことを契機に[注 16]、所属事務所を辞める決心をする[21]。直接、社長に掛け合うと「分かった。でも、もったいないぞ。やりたくなったら、またいつでも始めろよ」と許可され[21]、1985年3月、角川春樹事務所から独立する[44]。引退の報道をうけ、大勢の取材陣が家に直接殺到することに困り[注 17]、同月、個人事務所オフィス・メルを設立した[21][44]。
『セーラー服と機関銃』の原作者である赤川次郎は、『翔んだカップル』・『セーラー服と機関銃』を監督した相米慎二と『Wの悲劇』を監督した澤井信一郎の2人が薬師丸の魅力を引き出したと評価している[46]。
1980年代は角川映画とフジテレビが邦画を興行面で牽引し、その角川映画ブームの中心的存在が薬師丸だったと相良智弘は解説している[47]。角川時代の出演映画の配給収入の詳細は角川映画#配給収入を参照。
独立以後(1985年4月 - 現在)
1980年の日本映画解禁後、台湾で一番ヒットした日本映画は『里見八犬伝』(1986年台湾公開)だった[48][注 18]。同年、主演の薬師丸が映画宣伝のために台湾を訪れると連日マスコミを賑わした[48]。ただし、日本語の使用に関しては規制が残っていたので、薬師丸はインタビューや歌の披露には英語を使用した[48]。
2005年のインタビューで薬師丸は、独立後の2本の正月映画『野蛮人のように』(1985年)、『紳士同盟』(1986年)は模索していた時期の映画と回顧している[49]。1988年は山田洋次監督の『ダウンタウン・ヒーローズ』、1989年に桃井かおりと再共演となった『レディ! レディ READY! LADY』に出演する。
1989年、冷戦終結に伴い外国人も立ち入ることが可能になったサハリン(樺太)を訪れた『薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ』(フジテレビ)に出演している。この番組は第7回ATP賞優秀賞ノンフィクション部門を受賞している。後に、このドキュメンタリーで「故郷」を歌ったことに薬師丸は触れている[50]。1992年には続編『薬師丸ひろ子が見た!サハリン感動の47年』も放送される。
滝田洋二郎監督の『病院へ行こう』(1990年)には、〔共演者にもスポットが当たり〕自分だけにスポットが当たっていないことの面白さ、自分が主役でなくても成立する作品自体の面白さがあり、そういう点に引き込まれていったと答えている[49]。『病院へ行こう』とオーストラリアのタスマニア島の自然を舞台にした『タスマニア物語』(1990年)によって、第14回日本アカデミー賞話題賞俳優部門を受賞する。同性愛の夫とアル中の妻、そして夫の彼氏の3角関係を描いた『きらきらひかる』(1992年)では、大人の女性の演技が評価される[7]。
1997年、『装いの街』(1979年)以来18年ぶりにテレビの連続ドラマ『ミセスシンデレラ』に出演した[注 19]。デビュー以来、映画に特化して出演する女優、映画女優として芝居のキャリアを重ねてきた薬師丸を"銀幕女優"・"最後の映画女優"と呼ぶこともある[51][52]。テレビドラマへの出演がなかったのは、映画に関わり続けたかったことや〔映画と比較して〕慣れていないテレビの早いサイクルに少し臆病になっていたことを理由に挙げている[49][53]。〔撮影開始時に〕脚本が最終回分までは用意されていないことに戸惑ったとも答えている[54]。
同年のNHKドラマ『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』は多数の賞に輝いた作品だが、薬師丸も演技が評価され、第24回放送文化基金賞女優演技賞を受賞した[55][56]。
2000年、『キネマ旬報』誌上の「映画を愛する74人の著名人が選んだ20世紀の映画スター 女優編」で日本女優第14位[57]。同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では日本女優第10位[58]。さらに、「映画館をいっぱいにしたマネーメイキング・スターは誰だ!」日本篇では、渥美清、西田敏行に次いで第3位[59]。2014年に刊行された『オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100』では京マチ子・杉村春子・倍賞美津子らと並び日本映画女優の第11位にランクインした[60]。
2002年、宮藤官九郎脚本の『木更津キャッツアイ』に浅田美礼(美礼先生)役として出演する。俳優の宮藤とNHKドラマ『コウノトリなぜ紅い』(2001年)で共演していなかったら、"学校に狸の置物の爆弾を仕掛けるような奇抜な役"は引き受けなかった可能性もあったが、共演して知った朴訥とした人柄の彼の書く脚本ならと8割ぐらい安心して出演を決断した[61]。現場では周りを見る余裕もあり、演じることの楽しさを教えられた作品だったと振り返っている[61]。このドラマの後、宮藤作品へは、2本の映画版『木更津キャッツアイ』、ドラマ『タイガー&ドラゴン』、『うぬぼれ刑事』、『あまちゃん』、舞台『七人の恋人』(ナレーションのみ)に参加している。宮藤が作る薬師丸の役には、いつも心躍らされるともインタビューに答えている[62]。〔母親役の出演オファーが多い中、〕宮藤ワールドでは、結婚していない・子供もいない・殺人者でもない役が割り振られることに大変感謝している[63]。言わせられる際どいセリフも宮藤の品性が目も当てられない下品にはならないようにしていると信じ、宮藤には一生ついていこうと全幅の信頼を寄せている[63]。
『ナースコール』(1993年)以後の10年間には、『マグニチュード 明日への架け橋』(1997年)と『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(2003年)の2本しか映画出演していない[62]。その間はドラマやミュージカル『雨に唄えば』(1996年)・『シュガー』(1998年)などをしていて、良い経験・修行の期間、試練だったと薬師丸は答えている[62]。
2005年『ALWAYS 三丁目の夕日』や『1リットルの涙』の母親役の演技で数多くの映画賞やテレビの賞を受賞した[64]。母親役は見ている人にとって身近なので「こんな母親いない」と判断されやすく、さらに、自分に子供がいないので母親役に不安もあった[65]。経験のない分を街中の人間観察や想像で補っていると答えている[66]。薬師丸は2005年キネマ旬報助演女優賞受賞に際し、20歳の時の『Wの悲劇』を評価していただいて以来20年ぶりと振り返り、受賞の理由を自分のキャラクターと役がうまくマッチした結果と想像するが、それよりも〔受賞対象となった〕素敵な映画や役に巡り会えたこと、それらの映画を観てくださった方々が強く感じてくれたことに感謝し、きっと映画のマジック、映画の奇蹟に出会えたと述べている[67]。薬師丸は『ALWAYS 三丁目の夕日』の2本の続編『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)・『ALWAYS 三丁目の夕日'64』(2012年)でも鈴木トモエを演じている。また、2007年には連続ドラマ『1リットルの涙』の続編として、スペシャルドラマ『1リットルの涙 特別編〜追憶〜』が放送された。
日本郵便が2006年10月10日に発行した特殊切手「日本映画II」(現代の名作)(1980年 - 2000年代公開)は、代表的な日本映画10作品を選定しているが、その1本に薬師丸主演の映画『セーラー服と機関銃』が選ばれた[68]。
2009年9月12日放送の土曜プレミアム『戦場のメロディ〜108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌〜』(渡辺はま子の実話を基にしたドラマ)において、主役の渡辺はま子役を演じ、1か月の歌のレッスンをした上でドラマの中で「ああモンテンルパの夜は更けて」などのはま子の歌を歌唱した[7][69]。この歌唱が『今度は愛妻家』(2010年)の公開記念イベントのコンサート開催へと繋がった[7]。また、『今度は愛妻家』で第34回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞する。
2012年、木皿泉作品に出演する機会があるのならば、それが舞台であろうと構わないと、14年ぶりに舞台『すうねるところ』に主演する[70]。木皿作品の魅力を心臓をぎゅっと掴まれるようなセリフ、キラキラしたセリフで構成されていると表現している[70]。木皿作品へはドラマ『Q10』、『世の中を忘れたやうな蚊帳の中』[注 20]、『おやじの背中』 第5話 「ドブコ」、『富士ファミリー』、舞台『すうねるところ』、『ハルナガニ』に出演している。木皿泉から見た薬師丸評は「SF風の意味不明なセリフでも、ものすごくリアルに言うことができる」「非常にぶっ飛んだセリフを書いても安心できる」[71]、「消費されない存在感のある女優」[72]。
初の朝ドラ『あまちゃん』(2013年4月 - 9月)の出演依頼は断るつもりだったが[注 21]、プロデューサーから渡された台本を読み出演を決める[75][注 22]。しかし、懸念が1つあり、それは薬師丸が演じる鈴鹿ひろ美の大女優という役柄だった[注 23]。また、鈴鹿には"音痴"という設定もあったが、それは、視聴者の世代によって受け止め方が違った[注 24]。30代から下の世代には本当に下手だと思っていた人もいた[79][注 25]。しかし、ドラマの最終週で本来の歌唱力を披露すると大反響となった[80][注 26]。薬師丸が演じた鈴鹿ひろ美役は抜群の存在感だったと評価された[9]。薬師丸は、(35周年記念)コンサートもアルバムも『あまちゃん』より前に決まっていたけれど[82]、「潮騒のメモリー」を歌わせてもらったことは、私にとって大きかったと振り返っている[83]。
2003年から始まった、薬師丸がナレーションを担当する紀行・料理番組『食彩の王国』(テレビ朝日系)は2013年に10周年、放送回数も500回を超えた。
歌手
リリースリスト | ||
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↙スタジオ・アルバム | 9 | |
↙ライブ・アルバム | 1 | |
↙ベスト・アルバム | 4 | |
↙シングル | 21 | |
↙映像作品 | 6 | |
↙サウンドトラック | 16 | |
↙カバー・アルバム | 1 | |
↙他アーティスト作品への参加 | 15 | |
↙非公式ベストアルバム | 14 |
歌手活動(1981年11月 - 1999年)
デビュー直後や映画『ねらわれた学園』(1981年7月)出演時には、所属事務所から歌手デビューを提案されたが[注 27]、薬師丸は辞退した[12][注 28][85]。そのため、〔1978年のスクリーンデビューから1981年11月の歌手デビューまでの3年間には〕"歌わない(最後の)アイドル"と形容されることもあった[86][注 29]。歌手デビューに至った詳細はセーラー服と機関銃 (曲)#経緯を参照。
角川映画時代にリリースしたシングル「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語」(1983年)、「メイン・テーマ」(1984年)、「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)は、すべて主演映画の主題歌である。「メイン・テーマ」が最高位2位だったため、シングル連続首位記録は途切れたが、他の3曲はオリコン1位を獲得している[2]。
セカンド・シングル「探偵物語」の両A面である「すこしだけやさしく」(1983年)は、TBS系『わくわく動物ランド』のエンディングテーマになっている。
薬師丸の代表曲の1つである「元気を出して」は、竹内まりやが薬師丸のために書き下ろした。47.7万枚の売上を記録したファースト・アルバム『古今集』(1984年)に収録されているが、これまで、シングルカットされたことはない。その後、1987年に竹内まりやがアルバム『REQUEST』でセルフカバーした時に、山下達郎とともにコーラスに参加している。2人のコーラスは絶品と竹内まりやは賞賛している[88]。
角川春樹事務所から独立した1985年には、シングル3枚「あなたを・もっと・知りたくて」・「天に星.地に花.」・「ステキな恋の忘れ方」とセカンド・アルバム『夢十話』をリリースしている。
「あなたを・もっと・知りたくて」は民営化直後のNTTのCMソングで、薬師丸自身がCMに出演すると同時にCMソングも歌っている。「ささやきのステップ」(1986年)、「瞳で話して」(1986年)、「風に乗って」(1991年)もNTTのCMソング[89][90]。
「ステキな恋の忘れ方」は映画『野蛮人のように』の主題歌で、映画関連としては1986年の「紳士同盟」(同名映画『紳士同盟』の主題歌)、1988年の「時代」(『ダウンタウン・ヒーローズ』のイメージソング)がある。
1986年には『花図鑑』、1987年『星紀行』と、『古今集』(1984年)以来、毎年1枚のオリジナル・アルバムのリリースがルーチンとなっていた。
1987年7月・ 8月にファースト・コンサート『星紀行』を行った。コンサートは1988年に『SENTENCE』、1990年に『ハート・デリバリー』を開催している。
1987年10月、玉置浩二作曲の「胸の振子」をリリースしている。玉置作品は他に「交叉点 〜そう それがそう〜」(1997年)がある。
1988年3月のフジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』ではマンスリーゲストを務め、特に卒業式前日の3月9日には同番組内でミニ・コンサート(服部克久指揮)を実施した[91]。
1988年7月にリリースした「時代」は中島みゆきのカバー。薬師丸の愛唱歌だったが、当時、中島がコンサートでは歌っていないので残念に思い、アルバム『Sincerely Yours』(1988年)の1曲とした[92]。「時代」はフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマにもなっている。
1989年の「語りつぐ愛に」は「セーラー服と機関銃」と同じ来生たかお・来生えつこ姉弟の作品で、しかも、「セーラー服と機関銃」以来の競作曲となっている。「語りつぐ愛に」は日本テレビ系『水曜グランドロマン』の主題歌になっているが、薬師丸自身は『水曜グランドロマン』には出演していない。
1989年に6枚目のアルバム『LOVER'S CONCERTO』、1990年に7枚目『Heart's Delivery』、1991年3月に8枚目の『PRIMAVERA』をリリースする。
玉置との結婚中には、玉置のアルバム『カリント工場の煙突の上に』(1993年)に収録の「西棟(にしとう)午前六時半」でのデュエットや『Act Against AIDS '94』(1994年)に2人で参加している。
1997年6月に、「風に乗って」(1991年)から6年ぶりのシングル「交叉点 〜そう それがそう〜」、12月に「恋文 〜哀愁篇〜」をリリースする。
1998年2月に『PRIMAVERA』(1991年)から7年ぶり9枚目のオリジナル・アルバム『-恋文-LOVE LETTER』を発表する。同年4月にはシングル「smile スマイル smile」(作詞:薬師丸)をリリースする。
歌手活動(2000年 - 現在)
2000年2月、テレビ朝日系主演ドラマ『恋愛中毒』の主題歌「Love holic」(作詞:松本隆)をリリースする。
2001年、松本隆は一連の薬師丸作品に関して、ビジネスライクではなく、流行を狙うような俗っぽいものとは違うものを作ろうとしたと薬師丸との対談で語っている[93]。
2006年3月、音楽番組NHK『音楽・夢くらぶ』へ出演[94]。「セーラー服と機関銃」・「探偵物語」などのヒット曲を披露した[94]。
2008年9月放送のNHK『SONGS』に出演し代表曲を披露する[95]。『SONGS』には2011年、2013年にも出演している。
2010年出演映画『今度は愛妻家』の公開記念イベントの一環として、1990年以来20年ぶりとなるコンサートを東京(1月7日)と大阪(1月12日)で開催。またコンサートの中で、同映画の監督行定勲と夫役の豊川悦司を交えてのトークショーも行なわれた[96]。
2011年3月、主演映画『わさお』が公開され、主題歌「僕の宝物」も自らが担当。主演映画の主題歌を歌うのは22年ぶりとなる[97]。「僕の宝物」は2013年11月のTBS系のドラマ『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』の主題歌にもなっている。2011年12月放送の『2011 FNS歌謡祭』で平井堅と「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットする。『FNS歌謡祭』には2013年にも出演しデュエットを含め3曲「セーラー服と機関銃」・「元気を出して」・「時代」を披露している。
2012年11月にリリースされたケルティック・ウーマンのアルバム『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス』のボーナス・トラック曲「ユー・レイズ・ミー・アップ〜 祈りヴァージョンfeat.薬師丸ひろ子」でコラボレーションした[98]。
2013年10月に芸能活動35周年記念コンサートを東京・大阪で開催した[99][注 30]。1990年の『ハート・デリバリー』以来23年ぶりの単独コンサートとなった[101]。コンサートのパンフレットには、井上陽水、竹内まりや、中島みゆき、松任谷由実(掲載順)からの祝福のメッセージが掲載されている[90]。このコンサートを観た先輩達から「もっと歌っていきなさい」と言われたことで、2014年12月のライブ『Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜』を自ら企画した[102]。ライブは2013年12月にリリースした初のカバー・アルバム『時の扉』の曲を中心に構成され、アルバムの編曲を担当した吉俣良がアレンジャー兼サポートミュージシャンとして参加している[103]。
2015年10月に行われた『薬師丸ひろ子 コンサート2015』では、薬師丸のヒット曲やカバー曲だけでなく、自身が声優として参加した劇場アニメ『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』(2015年)の劇中歌「わたりどり」も披露された[104][注 31]。
2013年末に急逝した大瀧詠一を追悼する『SONGS』(2016年3月)に出演し、ナレーションと大瀧作曲の「探偵物語」を披露しただけでなく、生前の大瀧のボーカル・トラックと鈴木雅之が共演する「夢で逢えたら」にも参加した[105][106]。
角川時代のプロモーション
映画の公開前キャンペーンの一貫としての歌番組出演だったため、〔映画公開前に〕音楽番組の『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』などに1、2回出演し、〔映画が公開された後は〕出演依頼を断ることが圧倒的に多かった[33][注 32]。通常、〔所属する歌手の出演を放送局に〕お願いする立場のレコード会社には難しい仕事だったため、歌番組との窓口は映画会社の東映が担当した[33]。主演女優の宣伝は映画公開初日までという映画界の慣習を出演辞退の理由として活用した[107]。歌番組への出演を控えた理由として、当時東映の宣伝担当だった遠藤茂行は、角川側が映画公開直前以外は薬師丸を世間に露出せずファンの飢餓感をあおる戦略を取っていたことや薬師丸が学業優先としていたこと、音楽活動が映画主題歌に限定されていたことを挙げている[33]。
アイドル
薬師丸にとってのアイドルはユーミン[75]。子供の頃、よくピアノでユーミンの弾き語りの真似をしていた。そんな憧れの人が主題歌を担当したり(『ねらわれた学園』の「守ってあげたい」)、憧れの人から曲を提供をされる(「Woman "Wの悲劇"より」)という幸運に恵まれる[108]。1985年3月の苗場のコンサートや2013年1月のユーミン40周年記念イベントに参加している[61][109]。2011年4月放送のフジテレビ『僕らの音楽』で松任谷由実と共演し、「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットした[110]。
音楽雑誌『レコード・コレクターズ』(2014年11月号)の特集「80年代女性アイドル・ソング・ベスト100」では薬師丸の曲が4曲選ばれた[111]。5位「セーラー服と機関銃」、13位「探偵物語」、17位「Woman "Wの悲劇"より」、20位「あなたを・もっと・知りたくて」[111]。
紅白歌合戦
『セーラー服と機関銃』は映画・主題歌いずれも1980年代を代表する大ヒットとなったが、当時は薬師丸が大学受験のため休業中だったので1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』を辞退、「セーラー服と機関銃」は薬師丸の代わりに桜田淳子によって披露された[112]。薬師丸は2005年の『第56回紅白』にゲスト審査員、2007年の『第58回紅白』に応援ゲストと2回出演した後、特別出演した2013年の『第64回紅白』で『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美に扮し「潮騒のメモリー」を歌唱した[113][114]。翌2014年の『第65回紅白』では正式出場枠に初選出され、松任谷正隆によるピアノ伴奏で「Woman "Wの悲劇"より」を披露した[112][115]。
歌手としての評価
歌唱力に関しては、アイドル風でなく、合唱団風と揶揄されることもあったが、「角川映画の主題歌の歌っていた当時から歌唱力は抜群。歌い方は正統派。基本に忠実な歌い方で、声も透き通る伸びやかな高音が魅力。これまでの人生経験で培われた彼女の人間としての魅力や女優としての経験が加わって歌の表現がより豊かになっている」と音楽評論家の富澤一誠は評価している[116]。歌手としても希有な才能の持ち主で、同世代の女子アイドルがぶりっ子キャラや歌唱力の拙さをアピールポイントとしていたのとは正反対のポジションで清楚で礼儀正しい歌唱が個性的だったと久保田泰平は解説している[51]。内田正樹は、アイドル時代から定評のある歌唱力、譜面に忠実で歌詞が明瞭に聴き取れる生真面目なファルセットは独特な包容力を持ち、女優特有の細やかなニュアンスの表現力を有していると評価する[78]。
歌声について、竹内まりやは「爽やかな声」、武部聡志は「透明感があり、鈴を転がすような暖かい声」と形容している。偶然にも二人が共通する表現は「(ボーカリストとしても)希有な声」[88][117]。松任谷由実は「クリスタル・ボイス、水晶のような硬質な透明感」と表現している[118]。小西康陽は「天使の賛美歌」[119]。
早稲田大学の学園祭で、ある学生から透明度の高い歌声は機械で作った音だと誤解される一幕もあった[33]。
人物
デビュー作の『野性の証明』(1978年)は大ヒットしたが[注 33]、この1作で芸能界引退も考えていた[12]。理由は、進学することが当然と思っていたのに、映画の撮影等で53日間の長期欠席を余儀なくされ、学業が遅れてしまったからである[12][120]。そのため、所属の角川春樹事務所に対して、学校を欠席する必要のないことを仕事の条件として要求した[12][注 34]。結果、2作目の『戦国自衛隊』(1979年)は学業に支障がない祝日、体育の日だけの撮影となった[12]。その後、映画撮影は学校の春夏の休暇を利用し[23][121]、大学を卒業するまで仕事を理由に学校を欠席することはなかった[12][120]。
薬師丸は祖母には芸能界入りを反対され、母親とは『野性の証明』だけで芸能界を辞めると約束もしていたので[122][23]、撮影後、お世話になったキャスト・スタッフにギャラの大半から買い求めたプレゼントにお礼の手紙を付けて贈っていた[23]。この世界で長く仕事を続けていくと薬師丸自身も思っていなかったし、共演の高倉健やスタッフも同じように思っていたので薬師丸に対して優しかったのではないかと想像している[121]。
薬師丸に芸能界への志向がなかったのは、青山という出身地が大きく関係していると答えている[120]。スターを実際に目撃することも多く、友達の父親がアイドルのディレクターだったり、芸能界に関係する人が周囲に大勢いたので[120][121]、とても自分には向いていないと考えていた[120]。出身地の環境とのギャップを感じていた薬師丸は、本来の自分の姿を「都会の田舎育ち」と形容している[123]。『翔んだカップル』(1980年)の出演交渉の時、地味で、はしゃぐのが苦手なので、役者よりも映画のスタッフ(スクリプター)になりたいと将来の希望を話していた[20]。『セーラー服と機関銃』の撮影時、昼でも夜でも「おはようございます」といった業界の挨拶ではなく、夜なら「こんばんは」と日常的な普通の挨拶で目上のスタッフや役者に対しても押し通した[124][注 35]。2013年時点でも、華やかな芸能界には、なじめないし、なじまないと答えている[123]。
高校の恩師は、学校を休むな、〔薬師丸は芸能人なので〕休むのが当然と思われたら本当の学生生活を送っているとは言えないというのが持論だった[121][123]。その先生のおかげで、普通の高校生活が送れ、良い友達にも恵まれた[121][123]。
休業中の1982年12月に薬師丸の玉川大学の推薦入試に合格したことがマスコミに漏れ、角川春樹事務所から公表される[126]。1983年4月、玉川大学英米文学科に入学する[127][128]。
『里見八犬伝』(1983年)の撮影中、次作の『メイン・テーマ』(1984年)の撮影で自動車運転免許が必要になり教習所に通った[129]。同時期同じ教習所に竹内まりやが通っていた[130]。マネージャーなしの1人で、薬師丸が教習所近くの中華料理店で居合わせたサラリーマンと相席で餃子定食を食べてきた話をした時、竹内は薬師丸と友達になれると思ったと対談で答えている[130]。薬師丸は運転の中では特に車庫入れが得意で、それを見かけたタクシー運転手に褒められたこともある[121]。生まれも育ちも東京なので〔都内の〕道に詳しく、道に不案内なドライバーの助手席はストレスが溜まると話している[121]。
『野性の証明』で共演した高倉健から言われた「チャラチャラするなよ」を自らの原点として守ってきた[123][131]。大学や仕事の話をすると高倉は薬師丸を褒めるのが常だった[132][123]。高倉から褒められれば、薬師丸には頑張ることしか選択の余地がなく、ありがたい言葉であると同時に、一番厳しい、怖い言葉でもあった[123]。
『Wの悲劇』(1984年)の出演後、一時は引退も考えた薬師丸は、撮影現場で「飽きない、冷めない、慣れない」の三原則を自らに課し、女優として生きていくことを決意する[23]。
大学4年生の頃、薬師丸だと気付いてない男子大学生に「可愛い」と言われたと、自分の友達に触れまわったことがあった。そんな普通の女子大生の生活を過ごした[133]。昼食に大学の友達と学食で220円のラーメンを食べていることが写真週刊誌の記事になることもあった[134]。1年生の時に病気のために休学したため、5年間の大学生活を過ごし、1988年3月に玉川大学を卒業する[135][136]。
1991年1月、安全地帯の玉置浩二とハワイのマウイ島にある教会で挙式する[137]。結婚生活は7年半で[138]、1998年6月5日に開かれた薬師丸の誕生パーティーの席で玉置との離婚を発表する[139][140]。離婚は2人が幸せを掴むためのスタートラインに再度立つことだと述べている[138]。
体調不良で医者に運動をするように言われた時、高倉健から勧められ同じジムに入った[141]。しばらくして高倉に毎日ジム通いしてることを伝えると、「ジムに毎日来る奴に、幸せな奴はいないんだ」と言われる[141]。
1998年のインタビューで、薬師丸は精神的にバランスを崩している時には現実逃避の旅に出ると答えている[56]。5年連用日記を付けていると、毎年同じ時期に、現実逃避の旅に出ているか、または、〔旅に出られない時は〕東京にいて深く悩んでいて、そんな自分の精神状態の周期性に驚かされると話している[56]。日記を読み返すと、「人生はこんなものだ」と自分に言い聞かすことができるとも薬師丸は答えている[141][注 36]。2005年のインタビューでは10年分が一覧できる日記を付けているが、毎年季節の変わり目には感傷的になるという同じパターンを繰り返していると話している[138]。
30代半ば、女優を続けて行くか悩んでいた頃、渡米しカウンセリングを受けた[142][143][144]。自身の俳優への適性を相談すると、先生から俳優を何年しているか聞かれ薬師丸が答えると、「あなた、もう20年以上も俳優を続けてきたのでしょう? そんなに続けられたのに向いてないわけないでしょう。もういいんじゃないの、悩まなくても」と言われた[142][143][144]。その言葉で目が覚め、自分は好きだからこの仕事(俳優)をしているんだと再確認し、人に望まれる限り女優を続けたいと話している[144][注 37]。それからは、自分の演じたい役や表現したいことに出会った時に、それを体現できるようになってればいいと思うようになった[143]。
2001年、キネマ旬報の相米慎二追悼特集で、実際には服を着ていても、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟がカメラ前に立つには必要であること、演じることの厳しさ、恐さを相米監督から教わったと薬師丸は話している[145][146]。そして、あの時期があったからこそ、薬師丸は女優を続けられているとも述べている[145]。
〔薬師丸主演の『セーラー服と機関銃』(1981年)などの〕その頃の邦画を学生時代に見た、同世代の監督やスタッフと映画やテレビの仕事ができることに感謝している[147]。『今度は愛妻家』(2010年)を監督した行定勲は『セーラー服と機関銃』を観て映画に興味を持ったと話している[148]。また、 薬師丸が初主演したドラマ『ミセスシンデレラ』(1997年、フジテレビ)のプロデューサーで、薬師丸をテレビに担ぎ出した小岩井宏悦は、この業界に入ったきっかけとして映画『Wの悲劇』(1984年)を挙げている[149]。〔現場のスタッフから〕球場で薬師丸さんが野球しているのを見に行きましたなどと話をされると、無駄づかいさせてすみませんと謝ることもある[150]。
2011年11月、高倉健の遺作となった『あなたへ』の撮影現場を訪ねている[151]。薬師丸は、この訪問で俳優高倉健の姿を目に焼き付けられたことが、今後の人生の糧になると発言している[152][153]。1979年6月9日にも薬師丸は高倉主演『動乱』の撮影現場を訪問し対談をしている[154]。
『あまちゃん』(2013年)での鈴鹿ひろ美(演・薬師丸)が天野アキ(演・能年玲奈)に向けて言ったセリフの「続けていくのも才能よ」「向いてないけど、続けるっていうのも才能よ」は薬師丸自身を励ます言葉のように感じている[142][146][155]。
放送ウーマン賞2013の授賞式で、芸能生活35年は混沌として計画的なものではなかったと回顧し、「子供の時から地味で社交性がなかった私が、みなさんのおかげで表舞台に立たせていただいて、35年間この仕事を続けることができた」と感謝の言葉を述べた[156]。また、早めの失敗があったから頑張れたとも話した[157]。
2014年11月、映画共演は『野性の証明』だけだったが、その後も公私で関わりのあった高倉健の訃報を聞いて、体から魂が抜けていった感じがしたとラジオで語った[152][153]。12月、ラジオの高倉健追悼特別番組のパーソナリティを務める[158]。同月の『第65回紅白』では「今年色々な出会いや別れがありましたが、紅白という晴れやかな舞台で、目に見えない遠くまで歌が届くといいなと思います」と述べた[159]。
エピソード
- デビュー時のキャッチ・コピーは、「ひろ子という字何度ノートに書いたっけ」であった[160]。
- 映画の『翔んだカップル』や『レイクサイド マーダーケース』で共演した鶴見辰吾は幼稚園・小学校の同級生[161][120]。
- 薬師丸は1981年にコンサートと映画『フラッシュ・ゴードン』の宣伝のために4度目の来日をしたクイーンにインタビューをしている[162]。
- 薬師丸の形態模写を持ちネタとした芸能人としては『オレたちひょうきん族』でのあめくみちこがいる[163]。
- 写真週刊誌の『FLASH』は薬師丸のホクロが消えたのは1994年5月から1995年12月の間だと推理している[164]。
- 『あまちゃん』の天野アキが鈴鹿ひろ美に憧れていたように、能年玲奈はデビュー後の演技指導で薬師丸を参考にするように言われて『野性の証明』・『探偵物語』・『Wの悲劇』などを視聴し[165][166]、『あまちゃん』の出演者オーディションでは「憧れのアイドル」に薬師丸の名前を書いていた[167][注 38]。
- 『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美と天野春子の設定は、薬師丸が出演したミュージカル「雨に唄えば」を観ていた番組プロデューサーがオマージュとして設定したと語っている[169]。
年表
- 1964年(昭和39年)6月9日、東京都渋谷区にある日赤病院で生まれる[注 39]。
- 1978年(昭和53年)
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)12月、主演映画『Wの悲劇』公開。第27回ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞。(20歳)
- 1985年(昭和60年)3月、角川春樹事務所から独立[44]。(20歳)
- 1988年(昭和63年)3月、玉川大学を卒業[135][136]。(23歳)
- 1991年(平成3年)1月、玉置浩二とハワイで挙式[137]。(26歳)
- 1997年(平成9年)4月 - 6月、 フジテレビ木曜劇場『ミセスシンデレラ』に主演。(32歳)
- 1998年(平成10年)6月、玉置との離婚を発表[139][140]。(33歳)
- 2002年(平成14年)1月 - 3月、TBSテレビ『木更津キャッツアイ』に出演。(37歳)
- 2005年(平成17年)
- 10月 - 12月、フジテレビ系ドラマ『1リットルの涙』に出演。(41歳)
- 11月、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』公開。第29回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを受賞。(41歳)
- 2011年(平成23年)3月、歌手活動30周年を記念したアルバム『歌物語』をリリース。
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 3月、放送ウーマン賞2013を受賞[9]。
- 12月、第65回NHK紅白歌合戦に初出場[115]。
出演
映画
♪は主題歌も担当。
- 野性の証明(1978年10月7日公開、日本ヘラルド映画、東映)- 長井頼子 役※デビュー作品、角川映画
- 戦国自衛隊(1979年12月15日公開、東宝、※1シーンの出演) - 子供のような武士 役、角川映画
- 翔んだカップル(1980年7月26日公開、東宝)- 主演・山葉圭 役
- 翔んだカップル オリジナル版 (1982年、東宝)
- ねらわれた学園(1981年7月11日公開、東宝) - 主演・三田村由香 役、角川映画
- セーラー服と機関銃(1981年12月19日公開、東映) - 主演・星泉 役、♪主題歌「セーラー服と機関銃」、角川映画
- セーラー服と機関銃・完璧版(1982年公開、東映)角川映画
- 装いの街(1982年公開、東映)[173]
- 探偵物語(1983年、東映) - 主演・新井直美 役、♪主題歌「探偵物語」、角川映画
- 里見八犬伝(1983年12月10日公開、東映) - 主演・静姫 役、角川映画
- メイン・テーマ(1984年7月14日公開、東映) - 主演・小笠原しぶき 役、♪主題歌「メイン・テーマ」、角川映画
- Wの悲劇(1984年12月15日公開、東映) - 主演・三田静香 役 ♪主題歌「Woman "Wの悲劇"より」、角川映画
- 野蛮人のように(1985年12月14日公開、東映) - 主演・有栖川珠子 役 ♪主題歌「ステキな恋の忘れ方」
- キャバレー(1986年4月26日公開、東宝) - ウエイトレス 役※ゲスト出演、角川映画
- 紳士同盟(1986年12月13日公開、東映) - 主演・樹里野悦子 役、♪主題歌「紳士同盟」
- ダウンタウン・ヒーローズ(1988年8月6日公開、松竹) - 主演・中原房子 役、♪イメージソング「時代」
- レディ! レディ READY! LADY(1989年、アルゴ・プロジェクト) - 主演・高橋亮子 役 ♪主題歌「Windy Boy」
- 病院へ行こう(1990年4月7日公開、東映)- 主演・吉川みどり 役
- タスマニア物語(1990年7月21日公開、東宝)- 平島直子 役
- きらきらひかる (1992年10月24日公開、日本ヘラルド映画) - 主演・岸田笑子 役
- ナースコール(1993年、東宝) - 主演・五十嵐梢 役
- マグニチュード 明日への架け橋(1997年、東宝)- 日置陽子(教諭) 役
- 木更津キャッツアイ 日本シリーズ(2003年11月1日公開、アスミック・エース エンタテインメント)- 美礼先生(浅田美礼) 役
- 木更津キャッツアイ ワールドシリーズ(2006年10月28日公開)
- レイクサイド マーダーケース(2005年1月22日公開、東宝)- 並木美菜子 役
- オペレッタ狸御殿(2005年5月28日公開、松竹)- お萩の局 役
- 鉄人28号(2005年3月19日公開、松竹) - 金田陽子 役
- ALWAYS 三丁目の夕日(2005年11月5日公開、東宝)- 鈴木トモエ 役
- ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007年11月3日公開)
- ALWAYS 三丁目の夕日'64(2012年1月21日公開)
- あおげば尊し(2006年1月21日公開)- 峰岸麻理 役
- ありがとう(2006年11月25日公開、東映)- 飯田美子 役
- バブルへGO!! タイムマシンはドラム式(2007年2月10日公開、東宝)- 田中真理子 役
- めがね(2007年9月22日公開、日活※1シーンの出演) - 森下 役
- うた魂♪(2008年4月5日公開、日活) - 瀬沼裕子 役
- ヘブンズ・ドア(2009年2月7日公開、アスミック・エース) - 春海の母・鞠子 役
- 今度は愛妻家(2010年1月16日公開、東映) - 北見さくら 役
- ハナミズキ(2010年8月21日公開、東宝)- 平沢良子 役
- わさお(2011年3月5日公開、東映)- 主演・菊谷セツ子 役、♪主題歌「僕の宝物」
劇場アニメ
- 地球(テラ)へ…(1980年4月26日公開、東映)- ジョナ=マツカ 役
- シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島(2015年7月4日公開、イオンエンターテイメント) - ラティーファ 役[174]
テレビドラマ
- 敵か?味方か?3対3(1978年5月25日 - 7月6日、テレビ朝日・ナショナルゴールデン劇場、名義:薬師丸博子) - 妻側の三女 役
- 装いの街(1979年1月21日、TBS・東芝日曜劇場、1982年に『セーラー服と機関銃・完璧版』の併映で劇場公開)[16] - 加代子 役
- ミセスシンデレラ(1997年4月17日 - 6月26日、フジテレビ、木曜劇場) - 主演・香山みずほ 役
- 熱の島で〜ヒートアイランド東京〜(1997年11月29日、NHK総合)[175][176][177][注 40] - 主演・琴子 役
- サンタはあなたの味方です(1998年12月23日、NHK-BS2)[178] - 主演・サンタクロース 役
- バカヤロー!1999 ニッポン人の怒り爆裂 ストレス解消3連発(1999年、日本テレビ)[179] - オムニバス構成「小銭がない」主演・小銭の持ち合わせがない子持ち主婦 役
- 恋愛中毒(2000年1月20日 - 3月16日、テレビ朝日・木曜ドラマ) - 主演・水無月美雨 役
- アフリカポレポレ(2000年5月13日 - 5月27日、NHK・土曜特集)[180] - 菜穂子 役
- コウノトリなぜ紅い(2001年11月27日、NHK・ハイビジョンサスペンス)[181][注 41]- 主演・美山史子 役
- 木更津キャッツアイ(2002年1月18日 - 3月15日、TBS) - 美礼先生(浅田美礼) 役
- 香港明星迷(ほんこんみょうじょうめい)(2002年9月4日、テレビ東京、【ゲスト出演:イーキン・チェン】)[182] - 主演・工藤里美 役
- ママの遺伝子(2002年10月11日 - 12月13日、TBS・金曜ドラマ) - 主演・藤木七海 役
- ブラックジャックによろしく 〜涙のがん病棟編〜(2004年1月3日、TBS) - 辻本良枝 役
- にんげんだもの〜相田みつを物語〜(2004年12月11日、TBS) - 相田千江 役
- タイガー&ドラゴン「第6話 明烏の回」(2005年5月20日、TBS) - 白石克子 役
- 1リットルの涙(2005年10月11日 - 12月20日、フジテレビ) - 池内潮香 役
- 1リットルの涙 特別編〜追憶〜(2007年4月5日)
- ウメ子(2005年12月5日、TBS、ドラマスペシャル)[183] - 河合桃子 役
- 白虎隊(2007年1月6・7日、テレビ朝日) - 酒井しげ 役
- パパの涙で子は育つ(2007年6月15日、フジテレビ・父の日スペシャル)[184] - 川村ふみか 役
- 愛馬物語(2008年5月3日、フジテレビ、土曜プレミアム) - 野添幸子 役
- ホームレス中学生(2008年7月12日、フジテレビ・土曜プレミアム)- 田村恵子 役
- ホームレス中学生2(2009年4月12日、フジテレビ)
- 千の風になって ドラマスペシャル「なでしこ隊〜少女達だけが見た特攻隊・封印された23日間〜」(2008年9月20日、フジテレビ・土曜プレミアム) - 鳥濱トメ 役
- あるがままの君でいて(2008年11月24日、TBS・パナソニックドラマスペシャル) - 榎本由香 役
- さくら道(2009年3月17日、日本テレビ) - 佐藤光代 役
- 戦場のメロディ(2009年9月12日、フジテレビ・土曜プレミアム) - 主演・渡辺はま子 役
- うぬぼれ刑事「第5話 甘党」(2010年8月6日、TBS) - 前原信子 役
- 外科医 須磨久善(2010年9月5日、テレビ朝日) - 須磨千代子 役
- Q10 (2010年10月-12月、日本テレビ) - 柳栗子 役
- 全開ガール(2011年7月11日 - 9月19日、フジテレビ) - 桜川昇子 役
- 世の中を忘れたやうな蚊帳の中[注 20](2011年11月12日、NHK-BSプレミアム) - 木皿泉脚本
- 橋田壽賀子ドラマスペシャル 妻が夫をおくるとき(2012年7月23日、TBS)[18] - 石井ふく子 役
- 車イスで僕は空を飛ぶ(2012年8月25日、日本テレビ・24時間テレビ 「愛は地球を救う」) - 長谷部はる子 役
- 泣くな、はらちゃん(2013年1月-3月、日本テレビ) - 矢口百合子 役
- あまちゃん(2013年4月 -9月、NHK総合テレビ・連続テレビ小説) - 鈴鹿ひろ美 役
- テレビ未来遺産 ドラマ特別企画 こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜[注 42](2013年11月25日、TBS) - 主演・安田裕美子 役
- 弱くても勝てます 〜青志先生とへっぽこ高校球児の野望〜(2014年4月 - 6月、日本テレビ) - 樽見楓 役
- おやじの背中「第5話 ドブコ」(2014年8月10日、TBS) - 丸井弓子 役
- ど根性ガエル(2015年7月 - 9月、日本テレビ) - ヒロシの母 役
- 赤めだか(2015年12月28日、TBS) - ナレーション[187]
- 富士ファミリー(2016年1月2日、NHK総合テレビ) - 主演・鷹子 役[188][189]
- 百合子さんの絵本〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜(2016年夏、NHK総合テレビ) - 主演・小野寺百合子 役[190]
舞台
- 東京交響楽団 特別演奏会「アンネの日記」(1994年4月11日・サントリーホール) - 朗読。 マイケル・ティルソン・トーマス「アンネの日記」より
- 東京交響楽団 第18回 95少年少女のための夏休みコンサート「平和への願い」 薬師丸ひろ子の「アンネの日記」(1995年7月29日・東京芸術劇場)
- ミュージカル 雨に唄えば(1996年5月4日 - 26日・日生劇場、1996年5月31日 - 6月2日・名古屋国際会議場センチュリーホール) - 主演・キャシー・セルダン 役
- ミュージカル シュガー(1998年9月5日 - 28日・日生劇場) - 主演・シュガー 役。『シュガー』は映画『お熱いのがお好き』をミュージカルにしたもの。
- ウーマンリブ Vol.9「七人の恋人」(2005年10月)(宮藤官九郎作・演出) - ナレーション
- すうねるところ(2012年8月27日 - 9月9日・シアタートラム)(木皿泉脚本・内藤裕敬演出) - 主演・アザミ(吸血鬼) 役
- ハルナガニ(2014年4月7日 - 4月27日・シアタートラム)(木皿泉脚本・内藤裕敬演出) - 主演・久里子 役
ドキュメンタリー
- テレビシティ特別企画 薬師丸ひろ子 セーラー服を脱いで・・・(1983年4月6日21:00-22:24、TBSテレビ)
- 薬師丸ひろ子 19歳・夏[注 43](1983年7月10日 15:30-17:00、日本テレビ)
- オール・ザット・薬師丸ひろ子[注 44](1984年12月9日 16:00-17:00、日本テレビ)
- 薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ[注 45][注 46](1989年5月19日、フジテレビ)、放送ライブラリー 番組ID:004504
- 薬師丸ひろ子が見た!サハリン感動の47年(1992年4月24日、フジテレビ)
- 消えた中国皇帝の秘宝(1998年9月23日、TBSテレビ)
- 故宮大長征 中国皇帝の秘宝10000キロの旅(1999年1月1日、TBSテレビ)、放送ライブラリー 番組ID:010765
- ルネサンス時空の旅人・奇跡の都ベネチア物語[注 47](2000年11月3日、日本テレビ)
- 中国謎のヴィーナス〜薬師丸ひろ子・幻の遣唐使ロード3000キロをゆく〜(2000年11月5日、テレビ朝日)
- ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜[注 48](2013年4月29日、NHK BSプレミアム)
- ガウディの迷宮〜サグラダ・ファミリア100年の夢〜(2016年3月5日、NHK BSプレミアム)
ナレーション
- 野坂昭如の戦争童話集『青いオウムと痩せた男の子の話』(1996年、NHK-BS2)[193] - 語り
- 新日本探訪(1996年、NHK総合)
- 食彩の王国(2003年 -、テレビ朝日)
- にんげんドキュメント(2005・2006年、NHK総合)
- SONGS(2009・21013年、NHK総合) - 井上陽水の回、中島みゆきの「時代」の回
- わんにゃん茶館(2010・2011年、NHK-BS2)
- 世界ふれあい街歩き(2010年、NHK総合)
- 特別展「みちのくの仏像」(2015年、東京国立博物館)[194]
- ETV特集「小さき命のバトン」(2015年、NHK Eテレ) - 熊本市にある慈恵病院での「赤ちゃん縁組み」の記録
ラジオ番組
- 薬師丸ひろ子 ひろ子探偵局〜薬師丸ひろ子 ほほえみ通信(ニッポン放送、1983年5月〜終了時期不明)
- 20歳のバースデー・パーティー〜薬師丸ひろ子のオールナイトニッポン〜(ニッポン放送、1984年6月9日)
- 薬師丸ひろ子 あなたに・愛・わいわい!(ニッポン放送、1985年4月 - 1987年4月)
- AMAZING STORY(J-WAVE)
- 高倉健 1996 旅の途中で(ニッポン放送、1996年7月22日)、放送ライブラリー 番組ID:R01018
- キック・ザ・カンクロー(TBSラジオ、2006年10月22日)
- サントリー・サタデー・ウェイティング・バー(TOKYO FM、2007年2月10日)[121] - 盗み聞き大賞2007[グランプリ]薬師丸ひろ子『車の運転』の話[195]
- サウンドミュージアム〜竹内まりや特集〜(NHK-FM放送、2007年6月24日) - 小説『午前10時に竹内まりや。』のラジオ・ドラマ[196]
- 岡田惠和 今宵、ロックバーで〜ドラマな人々の音楽談義〜(NHKラジオ第1放送・NHK-FM放送、2013年4月6日)
- 薬師丸ひろ子 ハート・デリバリー (ニッポン放送、2011年4月17日-)
- オールナイトニッポンGOLDスペシャル 高倉健 旅の途中で… (ニッポン放送、2014年12月8日) - 高倉健追悼特別番組。パーソナリティ。
CM
- NTT
- グリコ
- ライオン「ソフトインワン」(ちゃん・リン・シャン)
- 資生堂
- 東芝「テレビ、ビデオデッキ等」
- サントリー
- 「これがリッチな缶ビール」(SUNTORY CANビール)
- 「妻、曰く。」(和膳。和食がおいしくなるビール)
- 角川書店
- カルピス「白くはじけるカルピスソーダ」[注 50]
- テクニクス「ハートの歌が聴こえるか」
- 雪印乳業「ヴィンテージ」
- 本田技研工業「ラクーン」
- 大塚製薬「SOYJOY」
- 花王「セグレタ(ハリ・つやシリーズ)」
音楽
シングル
No. | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | c/w |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1981年11月21日 | セーラー服と機関銃 | 来生えつこ | 来生たかお | 星勝 | あたりまえの虹 |
2 | 1983年5月25日 | 探偵物語 | 松本隆 | 大瀧詠一 | 井上鑑 | すこしだけ やさしく |
3 | 1984年5月16日 | メイン・テーマ | 松本隆 | 南佳孝 | 大村雅朗 | スロー・バラード |
4 | 1984年10月24日 | Woman "Wの悲劇"より | 松本隆 | 呉田軽穂 | 松任谷正隆 | 冬のバラ |
5 | 1985年7月3日 | あなたを・もっと・知りたくて | 松本隆 | 筒美京平 | 武部聡志 | 天に星.地に花. |
6 | 1985年9月6日 | [注 51] | 天に星、地に花松本隆 | 筒美京平 | 新川博 | [注 52] | あなたを・もっと・知りたくて
7 | 1985年11月1日 | ステキな恋の忘れ方 | 井上陽水 | 井上陽水 | 武部聡志 | 不思議よセ・ラ・ヴィ |
8 | 1986年10月19日 | ささやきのステップ | 松本隆 | 佐藤健 | 船山基紀 | 瞳で話して |
9 | 1986年11月24日 | 紳士同盟 | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 武部聡志 | ハードデイズ ラグ |
10 | 1987年10月10日 | 胸の振子 | 伊達歩 | 玉置浩二 | 萩田光雄 | 二人の帰る場所 |
11 | 1988年3月30日 | 終楽章 | 竹内まりや | 竹内まりや | 新川博 | DISTANCE |
12 | 1988年7月29日 | 時代 | 中島みゆき | 中島みゆき | 船山基紀 | 花のささやき |
13 | 1989年1月25日 | 語りつぐ愛に | 来生えつこ | 来生たかお | 武部聡志 | アンフィニ |
14 | 1989年10月4日 | Windy Boy | 高見沢俊彦 | 高見沢俊彦 | 江口信夫 | スイート・セレナーデ |
15 | 1990年5月9日 | 手をつないでいて | 風堂美起 | 楠瀬誠志郎 | 萩田光男(萩田光雄) | 空飛ぶ列車 |
16 | 1991年1月30日 | 風に乗って | 上田知華 | 上田知華 | 清水信之 | 夕暮れを止めて |
17 | 1997年6月21日 | 交叉点 〜そう それがそう〜 | 阿久悠 | 玉置浩二 | 有賀啓雄 | Heaven's Song 〜愛の繭〜 |
18 | 1997年12月3日 | 恋文 〜哀愁篇〜 | 阿久悠 | 勝木ゆかり | 澤近泰輔 | 再会橋 |
19 | 1998年4月21日 | smile スマイル smile | 薬師丸ひろ子 | 佐孝康夫 | 池上智庸、佐孝康夫 | 消えた年月 |
20 | 2000年2月23日 | Love holic | 松本隆 | 宇徳敬子 | 西平彰 | [注 53] | 未完成
21 | 2011年3月2日 | 僕の宝物 | 玉城千春 | 海田庄吾 | 井上鑑 | 映画『わさお』サウンドトラック組曲 |
オリジナルアルバム
No. | 発売日 | タイトル | チャート 最高順位 |
レーベル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1984年2月14日 | 古今集 | 1 | 東芝EMI・イーストワールド | 竹内まりや作詞作曲の「元気を出して」を収録。 2013年7月24日に2005年盤を高音質SHM-CDで再発売 |
2 | 1985年8月8日 | 夢十話 | 2 | 2014年2月5日に高音質SHM-CDで再発売 | |
3 | 1986年6月9日 | 花図鑑 | 2 | ||
4 | 1987年7月6日 | 星紀行 | 3(LP・CD) 8(CT) | ||
5 | 1988年4月6日 | Sincerely Yours | 8 | ||
6 | 1989年2月15日 | LOVER'S CONCERTO | 2 | ||
7 | 1990年3月28日 | Heart's Delivery | 3 | ||
8 | 1991年3月13日 | PRIMAVERA | 13 | ||
9 | 1998年2月4日 | -恋文-LOVE LETTER | - | BMGファンハウス | |
"-"はオリコンチャートに載らなかったことを示す。 |
その他のアルバム
『薬師丸ひろ子 35th Anniversary Concert 2013』 パンフレットのディスコグラフィによる。
type | 発売日 | タイトル | チャート 最高順位 |
レーベル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
ベスト | 1986年12月6日 | 薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション[注 54] | 7(LP・CT) 4(CD) |
東芝EMI・イーストワールド | 新曲として「2×2 (two by two)」を初収録 |
ライブ | 1987年12月25日 | '87 薬師丸ひろ子ファーストライヴ 星紀行 | 94 | ||
ベスト | 1988年8月5日 | SENTENCE〜セ・ン・テ・ン・ス〜 | 18 | 2012年12月12日に高音質SHM-CDで再発売 | |
ベスト | 2000年4月19日 | Love Collection | - | BMGファンハウス | 薬師丸ひろ子自身による選曲 |
ベスト | 2011年3月2日 | 歌物語 | 43 | EMIミュージック・ジャパン | 本人による選曲・監修の歌手活動30周年記念アルバム |
カバー | 2013年12月4日 | 時の扉 | 24 | 女優デビュー35周年記念。 本人選曲による国内外スタンダード曲のカバー・アルバム | |
"-"はオリコンチャートに載らなかったことを示す。 |
映像作品
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
---|---|---|---|
1987年 | 9月25日星紀行 〜二人の帰る場所〜 | VHS:TT90-1198HI, LD:L070-1100 | |
1987年10月26日 | 星紀行 | CDV:CTV24-103 | |
1988年 | 6月25日Tea Party-卒業記念- | VHS:TT48-1283HI, LD:LO48-1124 | |
1990年 | 6月27日Heart's Delivery ハート・デリバリー | VHS:TOVF-1061, LD:TOLF-1061 | |
2007年 | 3月14日星紀行 〜二人の帰る場所〜 | DVD:TOBF-91122 | 再発売 |
2007年 | 3月14日Heart's Delivery ハート・デリバリー | DVD:TOBF-91123 | 再発売 |
2014年 | 1月29日- 時の扉 - 35th Anniversary Concert | BD:TYXT-10030 ,DVD:TYBT-10030 | |
2015年10月 | 7日Premium Acoustic Night 時の扉〜Look For A Star〜 | BD:UPXY-6130 ,DVD:UPBY-5130 |
非公式ベストアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番・備考 |
---|---|---|
1987年11月25日 | オリジナルツイン・シリーズ ザ・名盤 古今集/夢十話 | CT22-5052〜CT22-5053 |
1988年7月6日 | 薬師丸ひろ子 Selection20 | XT15-5016 |
1988年12月4日 | 薬師丸ひろ子 マイ・コレクション | CT16-5364 |
1989年6月7日 | 薬師丸ひろ子 CD BOX | CT25-5477〜CT25-5481 |
1990年9月13日 | 薬師丸ひろ子 ベストナウ[注 55] | CT33-9053 |
1991年9月27日 | 薬師丸ひろ子 ベストナウ2 | TOCT-6265 |
1998年3月28日 | 薬師丸ひろ子 ツイン・ベスト | TOCT-10240〜TOCT-10241 |
1999年3月17日 | 薬師丸ひろ子・シングルズ | TOCT-24106〜TOCT-24107 |
2000年5月24日 | 薬師丸ひろ子・ベスト《2000(ミレニアム) BEST》 | TOCT-24354 |
2002年11月20日 | 薬師丸ひろ子 ゴールデン☆ベスト | TOCT-10875 |
2003年 | Best Selection Original 薬師丸ひろ子 | BSCD-0032 |
2003年12月5日 | 薬師丸ひろ子 ピュア・スウィート | CD6枚組+DVDのボックスセット GSD12101〜GSD12106、BVD-1039 |
2005年 | 薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション | FECL41715 |
2007年8月22日 | エッセンシャル・ベスト 薬師丸ひろ子 | TOCT-26317 |
他アーティスト作品への参加
発売日 | アーティスト | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1987年8月12日 | 竹内まりや | album『REQUEST』 | コーラス:「元気を出して」 |
1991年2月20日 | Various Artist | 朗読CD『音楽物語 星の王子さま』 | 曲「星の王子さま」[注 56] 1998年11月6日再発売 |
1993年9月22日 | 玉置浩二 | album『カリント工場の煙突の上に』 | デュエット:「西棟午前六時半」 |
1994年7月25日 | 竹内まりや | album『Impressions』 | コーラス:「元気を出して」 |
1997年3月19日 | Various Artist | album『またまた・マザー・グース』 | 曲「小さな星よキラキラキラ」 |
1998年9月23日 | S.E.N.S.of Y[注 57] | single『Opura-Upulai-Lai/金色の麦畑』 | 曲「Opura-Upulai-Lai」「金色の麦畑」 |
1998年12月16日 | S.E.N.S.of Y[注 57] | album『TerraFarma』 | |
2000年10月21日 | 来生たかお | single『地上のスピード』 | デュエット:「夢の途中」 |
2000年11月10日 | 来生たかお | album『Dear my company』 | デュエット:「夢の途中」 |
2008年5月21日 | 竹内まりや | single『幸せのものさし/うれしくてさみしい日』 | コーラス:「元気を出して」 |
2008年10月1日 | 竹内まりや | album『Expressions』 | コーラス:「元気を出して」 |
2012年11月7日 | ケルティック・ウーマン | album『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス』 | 曲「ユー・レイズ・ミー・アップ〜 祈りヴァージョン feat. 薬師丸ひろ子」 |
2013年12月4日 | Various Artist | album『Mariya's Songbook』 | 曲「元気を出して」,「終楽章」 |
2013年12月18日 | Various Artist | album『Tribute to Taeko Onuki』 | 曲「色彩都市」[199] |
2015年6月24日 | Various Artist | album『風街であひませう』完全生産限定盤 | 朗読「あなたを・もっと・知りたくて」[200] |
サウンドトラック
発売日 | タイトル | 規格品番 |
---|---|---|
1982年4月21日 | ひろ子 青春のメモワール[注 58][注 59] | COCA-12499 |
1983年7月16日 | 探偵物語 オリジナル・サウンドトラック | CA35-1036 |
1984年8月1日 | メイン・テーマ オリジナル・サウンドトラック | CA35-1084 |
1984年12月21日 | Wの悲劇 オリジナル・サウンドトラック | CA35-1098 |
1985年7月20日 | 角川春樹事務所創立10周年記念 角川映画スペシャル | CA32-1144 |
1985年12月25日 | 野蛮人のように オリジナル・サウンドトラック | CA32-1210 |
1986年8月25日 | セーラー服と機関銃 オリジナル・サウンドトラック | H33K20053 |
1986年12月6日 | 紳士同盟 オリジナル・サウンドトラック | CA32-1341 |
1989年11月1日 | READY! LADY オリジナル・サウンドトラック | TOCT-5585 |
1998年7月25日 | Wの悲劇 オリジナル・サウンドトラック | CPC8-3006 |
1998年11月26日 | 角川映画 女優ヴォーカル セレクション | CPC8-3010 |
2002年8月21日 | Kiss your dreams〜NHK「地球!ふしぎ大自然」サウンドトラック〜 | PICL-1259 |
2005年5月11日 | オペレッタ狸御殿 オリジナル・サウンドトラック | MTCA-1020 |
2007年9月5日 | 少年隊PLAYZONE2007 Change2Chance-第1幕-オリジナル・サウンドトラック[注 60] | JECN-0144 |
2011年1月26日 | 角川映画主題歌集 | TOCT-27036 |
2011年1月26日 | 角川映画主題歌集〜デラックス[Limited Edition] | TOCT-27034〜35 |
タイアップ
曲名 | タイアップ |
---|---|
セーラー服と機関銃 | 同名映画主題歌 |
探偵物語 | 同名映画主題歌 |
すこしだけ やさしく | TBS系『わくわく動物ランド』エンディング曲 |
メイン・テーマ | 同名映画主題歌 |
Woman "Wの悲劇"より | 映画『Wの悲劇』主題歌 |
資生堂『ポーセリア』CMソング | |
あなたを・もっと・知りたくて | NTT『TALK ON THE PHONE』イメージソング |
天に星.地に花. | 資生堂『ポーセリア』CMソング |
ステキな恋の忘れ方 | 映画『野蛮人のように』主題歌 |
東芝テレビCMソング | |
ささやきのステップ | NTT『19(トーク)の日』キャンペーンソング |
瞳で話して | NTT『19(トーク)の日』キャンペーンソング |
紳士同盟 | 同名映画主題歌 |
ハードデイズ ラグ | 映画『紳士同盟』挿入歌 |
胸の振子 | 東芝テレビCMソング |
時代 | 映画『ダウンタウン・ヒーローズ』イメージソング |
フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』エンディングテーマ | |
語りつぐ愛に | 日本テレビ『水曜グランドロマン』主題歌 |
Windy Boy | 映画『READY!LADY!』主題歌 |
手をつないでいて | TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディング曲[注 61] |
風に乗って | NTT『パジャマ・コール』CMソング |
星の王子さま | 青森テレビの局名告知BGM[注 62] |
交叉点 〜そう それがそう〜 | フジテレビ『知ってるつもり?!』エンディング曲[注 63] |
smile スマイル smile | テレビ朝日『グルメな冒険 お願い!リストランテ』エンディング曲 |
Opura-Uplai-Lai(オプラ ウプライ ライ) [注 64] | TBS系「大発見! 消えた中国皇帝の秘宝」挿入歌 |
金色の麦畑[注 64] | TBS系「大発見! 消えた中国皇帝の秘宝」エンディングテーマ |
Love holic | テレビ朝日ドラマ『恋愛中毒』主題歌 |
Kiss your dreams | NHK総合のドキュメンタリー番組『地球!ふしぎ大自然』エンディング・テーマ |
僕の宝物 | 映画『わさお』主題歌 |
TBSドラマ『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』主題歌 |
劇中歌
曲名 | 歌手 | 映画・ドラマ名 |
---|---|---|
異邦人 | 久保田早紀 | 翔んだカップル |
カスバの女 | エト邦枝 | セーラー服と機関銃 |
こぶたぬきつねこ | 童謡 | メイン・テーマ |
人は病 | 映画オリジナル | オペレッタ狸御殿 |
思い下りますな | ||
OH MY LITTLE GIRL | 尾崎豊 | うた魂♪ |
ああモンテンルパの夜は更けて | 渡辺はま子 | 戦場のメロディ |
支那の夜 | ||
蘇州夜曲 | ||
桑港のチャイナタウン (サンフランシスコのチャイナタウン) | ||
夢の中へ | 井上陽水 | 今度は愛妻家 |
潮騒のメモリー[注 65] | 天野春子(小泉今日子) | あまちゃん |
わたりどり | 映画オリジナル | シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島 |
ど根性ガエル | アニメ主題歌 | ど根性ガエル |
十九の春 | 田端義夫 |
音楽番組
NHK
NHK紅白歌合戦
- 第64回NHK紅白歌合戦(2013年) - 企画コーナー出演。「あまちゃん特別編」に出演して鈴鹿ひろ美役を演じ、同名義で「潮騒のメモリー」を歌う。
- 第65回NHK紅白歌合戦(2014年) - 初出場[202]。「Woman "Wの悲劇"より」を歌う。
- その他紅白への出演
- 第56回NHK紅白歌合戦(2005年) - 審査員
- 第58回NHK紅白歌合戦(2007年) - 応援ゲスト
日本テレビ
- ザ・トップテン
- THE MUSIC DAY (2015年)
テレビ朝日
TBSテレビ
フジテレビ
オリコン記録
- デビュー曲からのシングル連続首位記録(ソロ歌手)[注 69] - 2作「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語/すこしだけやさしく」(1983年)
- デビュー作からのシングル連続首位記録(女性アーティスト部門)歴代3位[203] - 2作「セーラー服と機関銃」(1981年)、「探偵物語/すこしだけやさしく」(1983年)
- 女性アーティストによるデビュー年から3年連続の首位獲得[204] - 1981年〜
- オリコンLPチャート・CTチャートの週間推定売上最多枚数:『古今集』[205]
ライブ
コンサート
No. | 開始日 | 最終日 | タイトル | 公演数 |
---|---|---|---|---|
1 | 1987年 | 7月 9日1987年 | 8月17日
トーク・ファーストツアー「星紀行」元気を出して!コンサート |
21 |
2 | 1988年 | 8月30日1988年10月 | 3日
1988コンサートツアー“SENTENCE” |
18 |
3 | 1990年 | 3月29日1990年 | 4月28日NTTサウンドトークコンサート ハート・デリバリー 薬師丸ひろ子 '90 | 17 |
4 | 2013年10月 | 1日2013年10月11日 | 薬師丸ひろ子35周年記念コンサート[206][注 70] | 4 |
5 | 2014年12月16日 | 2014年12月17日 | 薬師丸ひろ子 Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜[207] | 4 |
6 | 2015年10月12日 | 2015年10月15日 | 薬師丸ひろ子 コンサート2015[208] | 3 |
海外公演
No. | 開始日 | 最終日 | 国・都市 |
---|---|---|---|
1 | 1988年10月15日 | 1988年10月16日 | 台湾・台北 |
主なイベント
年 | タイトル |
---|---|
1981年 | 「セーラー服と機関銃」ヒロコDEデート[注 71] |
1984年 | ひろ子20thフェスティバル |
1984年 | サンチェーンスペシャルイベント薬師丸ひろ子&原田知世ジョイントコンサート[209] |
1994年 | Act Against AIDS '94 |
2010年 | 薬師丸ひろ子「Songs 2010」〜映画「今度は愛妻家」公開記念[注 72] |
2013年 | Anniversary For Yuming〜Golden Circle Vol.17〜 |
書籍・雑誌
写真集
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール』(1979年、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part2)』(1980年、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part3)』(1982年、富士見書房)
- 『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』(1983年、角川書店)
- 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part4)』(1984年、富士見書房)
- 『薬師丸ひろ子Visual message 21才の旅立ち』(1985年、扶桑社)
- 『「野蛮人のように」写真集』(1986年、 集英社)
対談集
- 『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』(1983年、角川書店)
- 『「映画愛」 俳優編 武藤起一インタヴュー集』(1993年、大栄出版)1992年11月17日のインタビュー収録
- 松本隆対談集『KAZEMACHI CAFE』 (2005年、ぴあ)2001年9月12日の対談収録[注 73]
雑誌
- 『バラエティ』(1978年 - 、角川書店)
- 『週刊朝日』(1979年11月23日号、朝日新聞社)表紙[210]
- 『週刊ザテレビジョン』(1982年9月22日創刊号、角川書店)創刊号を含め表紙登場回数は12回(2002年3月1日号時点)[54]
- 『キネマ旬報』キネマ旬報社
- 山際淳司「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』1981年(昭和56年)12月下旬号、キネマ旬報社、1981年、52-53頁。
- 内海陽子「ひろ子の軌跡」『キネマ旬報』1983年(昭和58年)7月下旬号、キネマ旬報社、1983年、49-53頁。
- 野村正昭「アイドル誕生 - 薬師丸ひろ子の場合」『キネマ旬報』1983年(昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、44-46頁。
- 中岡徹尚「薬師丸ひろ子論」『キネマ旬報』1986年(昭和61年)2月上旬号、キネマ旬報社、1986年、105-107頁。
- 「薬師丸ひろ子の証明」『キネマ旬報』1992年(平成4年)10月下旬号、キネマ旬報社、1992年、15-34頁。
- 尾形敏朗「素晴らしき映画女優(7)薬師丸ひろ子 - 映画におかえりなさい!」『キネマ旬報』2005年(平成17年)11月上旬号、キネマ旬報社、2005年、121-129頁。
- 薬師丸ひろ子「薬師丸ひろ子 映画のマジック、映画の奇蹟に出会えた2005年」『キネマ旬報』2006年(平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社、2006年、48 - 49頁。
- 金澤誠「薬師丸ひろ子インタビュー」『キネマ旬報』2007年(平成19年)11月上旬号、キネマ旬報社、2007年、31- 33頁。
- 薬師丸ひろ子「独占インタビュー 五年連用日記で私の心を覗く」『婦人公論』1998年(平成10年)10月7日号、中央公論新社、1998年、58-61頁。
- 「阿川佐和子のこの人に会いたい(610)二十歳のとき、「泣き方は私が決める」と思って、一度辞める決心をしました 女優 薬師丸ひろ子」『週刊文春』2005年12月8日号、文藝春秋、2005年、146 - 150頁。
- 林真理子「マリコのここまで聞いていいのかな(300)ゲスト 薬師丸ひろ子 女優」『週刊朝日』2006年2月3日号、朝日新聞出版、2006年、48 - 52頁。
受賞歴
- 第話題賞『 4回(1980年度)日本アカデミー賞翔んだカップル』
- 第ヨコハマ映画祭主演女優賞『翔んだカップル』 2回(1980年度)
- 第話題賞『 5回(1981年度)日本アカデミー賞セーラー服と機関銃』
- 第15回(1982年度)日本レコードセールス大賞女性新人賞[211]
- 第ゴールデングロス賞マネーメイキングスター賞 1回(1983年度)
- 第話題賞『 8回(1984年度)日本アカデミー賞Wの悲劇』
- 第27回(1984年度)ブルーリボン賞主演女優賞 『Wの悲劇』
- 第 3回(1985年度)ゴールデングロス賞マネーメイキングスター賞
- 第優秀主演女優賞『Wの悲劇』 9回(1985年度)日本アカデミー賞
- 第14回(1990年度)日本アカデミー賞話題賞[注 74]『タスマニア物語』『病院へ行こう』
- 第24回(1997年度)放送文化基金賞 女優演技賞『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』
- 第29回(2005年度)日本アカデミー賞最優秀助演女優賞『ALWAYS 三丁目の夕日』
- 第48回(2005年度)ブルーリボン賞助演女優賞[注 75] 『ALWAYS 三丁目の夕日』『オペレッタ狸御殿』
- 第79回(2005年度)キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞『ALWAYS 三丁目の夕日』『オペレッタ狸御殿』『レイクサイド マーダーケース』『鉄人28号』
- 第30回(2005年度)報知映画賞助演女優賞『ALWAYS 三丁目の夕日』
- 第18回(2005年度)日刊スポーツ映画大賞助演女優賞『ALWAYS 三丁目の夕日』
- 第27回(2005年度)ヨコハマ映画祭助演女優賞『ALWAYS 三丁目の夕日』『オペレッタ狸御殿』『レイクサイド マーダーケース』『鉄人28号』
- 第1リットルの涙』[212] 9回(2005年度)日刊スポーツ・ドラマグランプリ助演女優賞『
- 第TVnaviドラマ・オブ・ザ・イヤー2005 助演女優賞『1リットルの涙』 2回(2005年度)
- 第31回(2007年度)日本アカデミー賞優秀助演女優賞『ALWAYS 続・三丁目の夕日』
- 第34回(2010年度)日本アカデミー賞優秀主演女優賞『今度は愛妻家』
- 放送ウーマン賞2013[213]
脚注
注釈
- ^ 1982年度邦画興行収入1位[1]。
- ^ ゴールデングロス賞のマネーメイキングスター賞受賞2回。角川時代の主演映画『ねらわれた学園』から『Wの悲劇』までの配給収入合計は約120.7億円。
- ^ 「セーラー服と機関銃」・「探偵物語」・「Woman "Wの悲劇"より」はオリコン週間1位、「メイン・テーマ」はオリコン週間2位[2]。
- ^ どちらもオリコン週間2位[2]。
- ^ 特に、『ALWAYS 三丁目の夕日』の演技で2005年度の国内主要映画賞の助演女優賞を独り占めにした[7][8]。受賞歴も参照。
- ^ 2次審査通過後、角川事務所に呼ばれた際に、今回のオーディションは年齢が障害となって不合格だが、今後芸能活動する気持ちはないかと角川春樹社長から尋ねられる[10]。芸能界入りを望んでいなかった薬師丸は、落選する保証を社長から貰ったと思い込み最終審査に臨んだ[10]。
- ^ 角川以外にも薬師丸を強く推したと言う人が多く、誰の話が真実なのか本人にも分からない。
- ^ 角川春樹は、つかこうへいに対して、薬師丸に投票するように頼んだ[11]。
- ^ オーディションの内容の一部が『ひろ子 青春のメモワール』に音声として残っている。オーディションでは岩崎宏美の「思秋期」を歌った。
- ^ FLASH誌上でキティ・フィルム代表多賀英典は、出演交渉した時、薬師丸は何処の芸能事務所にも所属していなかったと証言している。
- ^ しかし、薬師丸人気が大きく爆発するのは東宝ではなく東映で配給する次作になる[23]。
- ^ 目標とした興行成績を達成し、一応の成功をおさめている[24]。
- ^ 第2稿の脚本では、星泉「(ニコッ)快感」と書かれている[26]。
- ^ 映画撮影終了後に撮影された主題歌のレコードジャケット写真では、メイクによってこの出血が再現されている[29]。
- ^ 大阪府警発表は1万人。スポーツ新聞には6000人とも。
- ^ 足を折っても構わないとスキーをすることで開放感を味わったことを理由に挙げている
- ^ 母親は本職のマネージャーなら一言で断れる用件を様々なことに気を遣いすぎて1時間かけて断ったり、父親が写真週刊誌に載ったり、姉は薬師丸と間違えられて駅までカメラマンに追いかけられたりした[45]。
- ^ 〔引用者註〕出典の先頭の「2016年4月1日、」は誤植と思われる。
- ^ 連続ドラマに限定すれば1978年の『敵か?味方か?3対3』以来19年ぶり。
- ^ a b ドキュメンタリー番組『しあわせのカタチ 脚本家・木皿泉 創作の「世界」』内の書き下ろしドラマ[185]。
- ^ 「セリフ覚えるの大変」、「凄く時間に追われる」ことを懸念していた[73][74]。
- ^ 「主役じゃなければそんなに大変じゃありませんよ」と言われたことも[73][74]。
- ^ 台本通りに演じることで、宮藤官九郎さんの考えられる大女優像を演じ、台本のせいにして乗り切って行きたいと抱負を述べた[75][76]。
- ^ 山形新聞「実はちゃんと歌える薬師丸ひろ子が音痴な役を演じ」[77]。内田正樹「本来歌の上手い薬師丸が究極の"音痴"を演じたこと」[78]。
- ^ 〔引用者注〕本文の団塊世代は団塊ジュニア世代の誤りであると思われる。
- ^ ドラマとして芝居を撮影しながら、生で音楽も歌声も「一発録りする」という異例な収録だった[81]。
- ^ 歌手デビューの日付も決定していた[84]。
- ^ 理由は歌手活動は学業との両立が時間的に難しいことと、マスコミへの露出が増えることへの不安。当時、薬師丸は学校や仕事場へ、自分一人で電車通学・通勤していた。
- ^ 事務所は薬師丸を"歌わないアイドル"として売り出す方針だった[87]。
- ^ 薬師丸は大瀧作品の「夢で逢えたら」・「探偵物語」・「すこしだけやさしく」を客席の大瀧詠一(2013年12月30日歿)の前で披露した[100]。
- ^ 吉俣良は『Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜』に引き続き、今回も参加している。
- ^ 〔引用者註〕出典では『歌のトップテン』になっているが、放送期間を考慮し、『ザ・トップテン』に修正した。
- ^ 配給収入21.8億円。1978年度邦画1位。
- ^ この要求は両親でなく、薬師丸本人がしている。
- ^ 映画業界の挨拶を教えたキャメラマンの仙元誠三は、最初は頭にきたが、真っ直ぐなお嬢さんといった人柄を知るにつれ、可愛く思うようになったと話している[124]。2014年に仙元が文化庁から表彰された時、薬師丸は御祝いに駆け付けている[125]。
- ^ 「あの日は楽しかったのに、今日は悲しい」、「1年前は辛かったけれど、今はこんなに元気だ」、「誰にも会いたくないと思ったけれど、10日後には友達と外食をしている」[141]。
- ^ 薬師丸「だって私、好きなんだもん」[144]。
- ^ 薬師丸が同作品に出演する事が発表される前[168]。
- ^ 出生地に関して、渋谷区[170][44] と港区[7][171]の2通りの資料があるが、渋谷区日赤病院と記述のある渋谷区の方が信頼性が高いと判断した[172]。
- ^ 1997年度放送文化基金賞受賞本賞、女優演技賞(薬師丸ひろ子)受賞作品。第35回ギャラクシー選奨受賞作品。第37回日本テレビ技術賞受賞(録音)作品
- ^ 役者として宮藤官九郎が出演し、薬師丸と共演している。
- ^ 2013年度(平成25年度)第68回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門の優秀賞を受賞[186]。
- ^ 映画『探偵物語』のメイキング。
- ^ 映画『Wの悲劇』のメイキング。
- ^ 第7回(1990年)ATP賞優秀賞ノンフィクション部門受賞。
- ^ サハリン州#歴史
- ^ DVD化された。薬師丸ひろ子 (25 September 2003). ルネサンス時空の旅人『奇跡の都ベネチア物語』 (DVD). バップ. 該当時間: 80分. ASIN B0000AVTHS。
- ^ 第30回ATP賞情報・バラエティー部門最優秀賞を受賞[191]。第40回放送文化基金賞テレビエンターテインメント番組優秀賞を受賞[192]。
- ^ YouTubeなどでは「初恋」や「初恋編」の名称で紹介されている。
- ^ ラジオCMでは、本人の17歳の誕生日前にもかかわらず、「ひろ子、17歳…」という本人のナレーションが放送された時期があった。
- ^ ニュー・リミックス・ロングヴァージョン。12inch Single。「天に星.地に花.」と表記されることもある。
- ^ ニュー・リミックス。
- ^ アルバム『星紀行』(1987年)に収録された「未完成」(中島みゆき作詞作曲)をセルフカバーしている。
- ^ オリコンチャートのLPチャートの登場週数は12週、チャート最高順位は週間7位、累計8.1万枚のセールスを記録。CTチャートの登場週数は15週、 チャート最高順位は週間7位、累計3.8万本。CDチャートの登場週数は13週、チャート最高順位は週間4位、累計7.9万枚[4]。LP・CT・CD合算のセールスは19.8万枚となっている。
- ^ オリコンチャートの登場週数は6週、チャート最高順位は週間56位、累計1.8万枚のセールスを記録した[4]。
- ^ 自身のアルバム『PRIMAVERA』にも収録。
- ^ a b センス、薬師丸ひろ子からなるユニット。
- ^ 映画『野性の証明』オーディション、映画『野性の証明』『ねらわれた学園』。
- ^ オリコンチャートのLPチャートの登場週数は10週、チャート最高順位は週間1位、累計14.3万枚のセールスを記録。CTチャートの登場週数は12週、チャート最高順位は週間2位、累計7.4万本[4]。LP・CT合算のセールスは21.8万枚となっている。
- ^ 曲「愛しいあなた」。
- ^ 日立 世界・ふしぎ発見!#エンディング
- ^ 青森テレビ#オープニング・クロージングについて
- ^ 知ってるつもり?!#テーマ曲
- ^ a b S.E.N.S.of Y 名義。
- ^ 「セーラー服と機関銃」の歌詞とリンクしているという指摘もある[201]。
- ^ ミュージックステーションに出演したアーティスト#1987年
- ^ ザ・ベストテン登場歌手一覧
- ^ 夜のヒットスタジオ出演歌手一覧#芳村真理・井上順時代後期(1981,4 - 1985,9)
- ^ オリコンチャート#オリコンシングルチャートの各種記録
- ^ 音楽監督は武部聡志。
- ^ 新宿アルタ#新宿アルタ
- ^ 音楽監督は井上鑑。
- ^ 前日に起こったアメリカ同時多発テロ事件と3日前に亡くなった相米慎二監督のことを話している。
- ^ 2013年12月現在、話題賞4回は最多受賞記録
- ^ 主演と助演の両賞受賞は、山田五十鈴、望月優子、乙羽信子、桃井かおり、田中裕子、三田佳子、秋吉久美子、宮沢りえ(達成順)に続き9人目。達成に要した期間21年は乙羽信子の13年を越え最長。
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- 薬師丸ひろ子『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』角川書店、1983年。
- 薬師丸ひろ子「独占インタビュー 五年連用日記で私の心を覗く」『婦人公論』1998年(平成10年)10月7日号、中央公論新社、1998年、58-61頁。
関連項目
外部リンク
- “薬師丸ひろ子 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN”. 2013年10月16日閲覧。
- 薬師丸ひろ子 〜タレント名鑑〜 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
- 薬師丸ひろ子 - KINENOTE
- 薬師丸ひろ子 - テレビドラマデータベース
- 薬師丸ひろ子 - オリコン
- 薬師丸ひろ子 - NHKテレビ番組放送記録一覧
- 薬師丸ひろ子 - IMDb(英語)