1974年のテレビ (日本)

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1974年のテレビ(1974ねんのテレビ)では、1974年昭和49年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

世相[編集]

前年暮れの第4次中東戦争をきっかけとした第1次オイルショックの結果、石油価格が暴騰し国全体で「資源節約」が大きなテーマとなった。このため、テレビ放送は平日の日中・全日深夜の放送休止に追い込まれた。またこの動きは、前年NHK渋谷放送センターへの本部拠点集約を完了したNHKにとっても打撃となり、超緊縮予算によるリストラ決行という事態を招くこととなった。テレビジョン放送開始以来の懸案事項となっていた民放資本に関する東阪間の腸捻転状態解消に向け、まず東京で新聞社間による資本整理の動きが起こった時期もこの年であった。

番組関係の出来事[編集]

1月
2月
志村けん銅像
ザ・ドリフターズ荒井注が脱退、志村けんが加入(3月。写真は東村山駅前に建立された志村の銅像
3月
4月
7月
8月
  • 5日 - フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』が放送300回を記念して、大磯ロングビーチから特別公開生放送。
9月
  • 23日 - 東京12チャンネル(現・テレビ東京)で国際プロレス中継番組である『国際プロレスアワー』が放送開始。前述のTBSでの撤退から半年ぶりに国際プロレス中継が復活した( - 1981年3月28日)[注 9]
10月
12月

その他テレビに関する話題[編集]

テレビ和歌山(4月1日開局)
1月
  • 10日 - NHK教育テレビ、放送開始から15周年を迎えた。
  • 16日 - 電気事業法に基づき電力使用制限令が出されたことから、NHK総合・教育に加えて、当時東阪で行っていたUHF実験局で平日昼間と全日深夜(23時から翌6時まで)の放送休止に踏み切る[12]。民放各社もこれに準じて前後の時期に深夜の終了時間を早めた[13]
4月
9月
  • 09日 - NHK、平日日中の放送休止を取りやめ[15]
10月
11月
12月

開局[編集]

周年[編集]

番組[編集]

放送開始20周年
放送開始15周年
放送開始10周年
放送開始5周年

放送局・放送開始[編集]

1月1日
放送開始15周年 - 長崎放送テレビジョン
1月10日
放送開始15周年 - NHK東京教育テレビジョン (JOAB-TV)
2月1日
開局15周年 - 日本教育テレビ
3月1日
3月3日
開局15周年 - 日本海テレビジョン放送
4月1日
4月12日
開局10周年 - 東京12チャンネル
5月1日
開局5周年 - サンテレビジョン
9月1日
放送開始15周年 - 岩手放送テレビジョン
10月1日
11月1日
開局15周年 - 沖縄テレビ放送
12月1日
開局5周年 - 青森テレビテレビ岩手三重テレビ放送
12月10日
開局5周年 - テレビ愛媛
12月15日
放送開始15周年 - 山陰放送テレビジョン
12月20日
放送開始15周年 - 山梨放送テレビジョン

記念回[編集]

視聴率[編集]

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

ニュース・報道[編集]

  1. ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)- 46.6%
  2. ニュース(NHK総合、9月2日 7:00-7:20)- 46.1%
  3. 小野田さん帰国(NHK総合、3月12日 16:15-17:21)- 45.4%
  4. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)- 45.4%
  5. ニュース(NHK総合、7月8日 8:30-8:35)- 44.3%
  6. 首都圏交通スト情報(NHK総合、11月19日 8:01-8:11)- 44.0%
  7. カメラリポート(NHK総合、3月11日)- 43.5%
  8. 首都圏交通スト情報(NHK総合、4月10日 7:15-7:35)- 42.3%
  9. 日航機ハイジャック事件関連(NHK総合、3月12日 17:21-17:28)- 42.0%

スポーツ[編集]

  1. 火曜ワイドスペシャル 世界J・ミドル級タイトルマッチ「輪島功一×ミゲル・デ・オリベイラ」(フジテレビ、2月5日)- 47.5%
  2. ダイヤモンドグローブ プロボクシング世界J・ミドル級タイトルマッチ「輪島功一×ショットガン・アルバラード」(フジテレビ、6月4日)- 43.4%

バラエティ・歌番組[編集]

  1. 第25回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)- 74.8%
  2. '74新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)- 46.9%
  3. 1974年度輝く!日本レコード大賞(TBS、12月31日)- 45.7%
  4. '74輝け!日本歌謡大賞(NETテレビ、11月26日)- 45.3%
  5. 8時だョ!全員集合(TBS、1月12日)- 44.7%

ドラマ[編集]

  1. 連続テレビ小説 鳩子の海(NHK総合、11月30日)- 52.8%
  2. 連続テレビ小説 北の家族(NHK総合、3月1日)- 51.8%
  3. ありがとう・最終回(TBS、4月25日)- 40.7%
  4. 時間ですよ(TBS、10月16日)- 32.4%
  5. 太陽にほえろ!(日本テレビ、8月30日)- 32.1%

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK[編集]

日本テレビ[編集]

TBS系[編集]

フジテレビ系[編集]

NET系[編集]

東京12チャンネル[編集]

子供向けドラマ[編集]

TBS系[編集]

フジテレビ系[編集]

NET系[編集]

東京12チャンネル[編集]

テレビアニメ[編集]

日本テレビ
TBS
フジテレビ
NET
東京12チャンネル
その他

特撮番組[編集]

日本テレビ
TBS
フジテレビ
NET

報道・情報番組[編集]

バラエティ番組[編集]

クイズ番組[編集]

音楽番組[編集]

トーク番組[編集]

教養・ドキュメンタリー番組[編集]

料理番組[編集]

スポーツ番組[編集]

単発特別番組枠[編集]

特別番組[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ やらせリンチ事件による番組打ち切り
  2. ^ それから1年半後、1987年3月 - 10月に放送された『新・アフタヌーンショー』の司会も務めた。
  3. ^ 志村はそれまでドリフの付き人を務めていた他マックボンボンとして活動した時期もあり、当時のオープニングのクレジットには「見習い 志村けん」と記載されていた。
  4. ^ 朝丘は舞台公演の関係で出演できない日も多く、大抵は三波・芳村体制であった。
  5. ^ 番組終了から34年後の2015年4月18日よりBS-TBSで『Seiko presents Sound Inn "S"』として放送開始し、現在に至る。
  6. ^ 番組終了後の腸捻転解消とともに毎日放送から朝日放送(ABC、現:朝日放送テレビ)へ系列局が変わり、ABC制作且つ『イエス・ノー』と同じ東リ一社提供・児玉清司会で放送開始、その後提供スポンサーの増減(末期は複数社提供)や児玉の死去による司会交代(浦川泰幸谷原章介)を経て2021年まで続く長寿番組となる『パネルクイズ アタック25』へ継承。
  7. ^ 実写版では1980年度の『ウルトラマン80』まで5年ということになる。
  8. ^ 2015年より年末版は2回に分けて放送。また2010年代以降はバリエーション番組(例:夏期は『FNSうたの夏まつり』)も放送されている。
  9. ^ レギュラー放送開始前にも1974年6月・7月に不定期放送していた。1980年10月に土曜20時へ移動し、1981年4月以降は再度不定期放送となり、不定期放送も同年9月24日終了。
  10. ^ TBS系での放送期間は半年間のみ。腸捻転解消により1975年4月から9月の間は関西ローカルに降格。同年10月よりNET→テレビ朝日系列の水曜19時枠に移動し、ローカルセールスながら全国ネットを再開。
  11. ^ 1975年4月5日から最終回までは、腸捻転解消に伴いNET系列で放送。
  12. ^ 『欽ドン』は『オールスター90分』開始2週間前の9月21日に、テストケースとして土曜20時で『欽ちゃんのドンと行ってみよう! ドバドバ60分』を放送していた。
  13. ^ 以後1979年、1984年に担当した。
  14. ^ ただしフジテレビの火曜日は、20:00 - 21:25に『火曜ワイドスペシャル』を編成している関係上、19:30 - 21:25となる。
  15. ^ 北九州市の旧TNC本社社屋は同市に本社を置く釣具の量販店を運営する高宮諦商店(現・タカミヤ)が購入、同社の本社として使用されていた。2020年現在は跡地にタカミヤが運営するスポーツクラブ「さわらびF&Cクラブ」が所在する。
  16. ^ 1996年8月に福岡市早良区百道浜の現社屋に移転。
  17. ^ 北九州局のコールサインは2011年7月24日の地上アナログ放送終了まで使われた。地上デジタル放送では、総務省の取り決めにより中継局には独自のコールサインは付与されない。
  18. ^ 渡が急病で降板したため、松方に交代した。
  19. ^ 日本初の立体テレビ番組。
  20. ^ 勝の引退後(1995年没)、現在も次男で料理研究家の善晴が講師兼MCとして『おかずのクッキング』のタイトルで継続中。

出典[編集]

  1. ^ a b 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、82頁。ISBN 978-4426747015 
  2. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'74』日本放送出版協会、1974年、49頁。 
  3. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'74』日本放送出版協会、1974年、100頁。 
  4. ^ 日本放送協会(編)『20世紀放送史 下』日本放送出版協会、2001年、61頁。ISBN 4-14-007199-0 
  5. ^ 『NHK年鑑'74』, p. 134.
  6. ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、85頁。ISBN 978-4426747015 
  7. ^ 『NHK年鑑'75』, p. 15.
  8. ^ a b c d e f g h i j 日本民間放送連盟(編)「きびしい営業環境下に報道編成を漸増 テレビ」『月刊民放』第4巻第12号、日本民間放送連盟、1974年12月1日、24 - 26頁、NDLJP:3470904/13 
  9. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、186頁。 
  10. ^ a b 美空ひばり | BS朝日
  11. ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'75』千秋社、1975年、47頁。 
  12. ^ 『NHK年鑑'74』, p. 8-9,81-83.
  13. ^ 『NHK年鑑'74』, p. 9.
  14. ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'75』千秋社、1975年、29頁。 
  15. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'75』日本放送出版協会、1975年、6,67頁。 
  16. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(一九七四年四月)」『月刊民放』第4巻第7号、日本民間放送連盟、1974年7月1日、55頁、NDLJP:3470899/28 
  17. ^ 民間放送教育協会(編)『民教協20年の歩み:テレビで結ぶみんなの輪』1987年、178頁。 
  18. ^ 「放送デスクメモ(′74・11月~′75・1月)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第90号、日本マスコミ市民会議、1975年3月1日、54 - 57頁、NDLJP:3463751/29 
  19. ^ Nihon hōsō nenkan - Google Books