1975年のテレビ (日本)

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1975年のテレビ(1975ねんのテレビ)では、1975年昭和50年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

番組関係の出来事[編集]

1月[編集]

2月[編集]

  • 2日 - フジテレビ系アニメ『サザエさん』でこの日から3月2日までの5週にわたって「サザエさん放送6周年傑作選」と銘打ち、これまでに放送された作品から厳選して再放送した。その後レギュラー放送と並行して、4月1日より火曜19:00枠で再放送『まんが名作劇場 サザエさん』を開始。レギュラー版と異なるオープニング・エンディングを採用し、1997年11月18日まで放送される人気番組となる。

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

  • 5日 - 9月13日 - TBS系の公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』で、ザ・ドリフターズの「修行」という理由により公開生放送を一時中止。この間は「夏休み傑作特集」と銘打ち、これまでのコントの傑作選を放送した[注 15]
  • 28日 - NET系で特別番組『ちびっこものまね紅白歌合戦』を放送、この年は春大会を一旦中断し、新たに夏大会を開催、そしてこの回から総合司会が土居まさるから玉置宏に変更、玉置は1984年の最終放送まで続く。また12月29日には冬大会も放送された。

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

  • 1日 - フジテレビ系の子供番組『ひらけ!ポンキッキ』が、この日より14:00から8:15に移動、昼の番組から朝の番組へと変更する。同時に関東地区では17:30より、当日放送分の再放送を開始した。なお枠移動に伴い、それまで月 - 土8:00 - 8:40で放送されていた『ママとあそぼう!ピンポンパン』は、平日放送が7:45 - 8:15に短縮繰り上げしたのに対し、土曜放送は8:00 - 8:30と短縮したのみ[注 20]、初めて平日と土曜の放送枠が異なった。この体制は1978年3月まで続く。
  • 4日
  • 5日
    • よみうりテレビ・日本テレビ系日曜19時台前半枠で、視聴者参加スポーツアトラクションバラエティ番組『びっくり日本新記録』放送開始( - 1985年10月。途中中断あり)。
    • 朝日放送・NET系『パネルクイズ アタック25』の放送時間がこの日から5分拡大(13:15 - 13:40→13:45に変更[注 23][注 24])。また新ルールとしてゲーム後半で正解者が他のパネルを1枚消せる「アタックチャンス」を採用、このルールは2021年の終了まで46年間続く番組名物となった。
  • 6日
    • NHK連続テレビ小説第16作『おはようさん』(NHK大阪放送局制作)放送開始。ここから年度後期の連続テレビ小説は大阪制作となる( - 1976年4月3日)。
    • 日本テレビ系の朝の子供番組『おはよう!こどもショー』が、この日より大リニューアル。平日版は2部に分け、第2部は今までと同じ「こどもショー」であったが、第1部は前日(5日)まで日曜で放送していた「コンちゃんのトンカチうたじまん」をリニューアルした「こどものどじまん」の曜日別戦となり、その曜日別のチャンピオンを、土曜日の「チャンピオン戦」で戦わせる内容に変更、そして日曜日は、子供の観客から参加者を募って歌わせる「とびいりのどじまん」だった。これに伴い「のどじまん」の司会は、大村崑石川牧子(当時:日本テレビアナウンサー)から横山やすし・西川きよし、審査員は山下毅雄(作曲家)から谷啓に、それぞれ変更[注 25]
    • TBSの平日18時台前半で、キー局で初のローカルワイドニュース番組『テレポートTBS6』が放送開始( - 1990年3月30日)。
  • 7日
  • 8日 - 日本テレビ系の『水曜ロードショー』で、1939年製作の米国映画風と共に去りぬ』が世界で初めてテレビ放映された(翌週(15日)にまたがり前・後篇で編成)。
  • 10日 - NET系金曜9時枠の千葉真一主演ドラマ第二弾『燃える捜査網』が始まる。
  • 15日 - NET系水曜19時30分枠で、東映動画(現・東映アニメーション)制作・日本船舶振興会(現・日本財団)提供のアニメ『一休さん』放送開始[注 27]1982年6月28日まで7年・全296回にわたって続く長寿アニメとなった。

11月[編集]

12月[編集]

その他テレビに関する話題[編集]

テレビ新広島(10月1日開局。写真は初代社屋)

開局[編集]

周年[編集]

番組[編集]

開局[編集]

記念回[編集]

視聴率[編集]

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

バラエティ・歌番組[編集]

  1. 第26回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)72.0%
  2. '75新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)43.1%
  3. 1975年度輝く!日本レコード大賞(TBS、12月31日)43.0%

ドラマ[編集]

  1. 連続テレビ小説 鳩子の海(NHK総合、3月22日)53.3%
  2. 連続テレビ小説 水色の時(NHK総合、5月9日)46.8%
  3. 連続テレビ小説 おはようさん(NHK総合、12月10日)43.3%
  4. 大河ドラマ 元禄太平記・最終回(NHK総合、12月14日)41.8%
  5. 水戸黄門 第6部(TBS、9月1日)- 37.2%
  6. 太陽にほえろ!(日本テレビ、9月26日)- 35.5%
  7. 時間ですよ・最終回(TBS、4月9日)- 31.4%

スポーツ[編集]

  1. 大相撲春場所・千秋楽(NHK総合、3月23日 17:03-18:00)50.6%
  2. 世界J・ミドル級タイトルマッチ「ショットガン・アルバラード×輪島功一」(フジテレビ、1月21日)47.7%
  3. 第57回全国高等学校野球選手権大会・決勝(NHK総合、8月24日)45.3%
  4. 大相撲秋場所・千秋楽(NHK総合、9月28日 17:05-18:00)41.4%
  5. 木曜スペシャル 世界ライト級タイトルマッチ「ガッツ石松×ケン・ブキャナン」(日本テレビ、2月27日)40.7%

ニュース・報道[編集]

  1. ローカルニュース・天気予報(NHK総合、5月7日 20:55-21:00)50.6%
  2. ニュース(NHK総合、12月31日 20:55-21:00)45.7%
  3. ニュース(NHK総合、8月23日 7:00-7:20)42.5%
  4. 首都圏交通スト情報(NHK総合、5月9日 8:04-8:12)41.1%
  5. ニュースセンター特集(NHK総合、5月7日)40.8%
  6. スタジオ102(NHK総合、2月21日)40.4%

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK[編集]

日本テレビ系[編集]

TBS系[編集]

廃枠
枠新設

フジテレビ系[編集]

枠移動

それまで火曜22時枠で放送されていた『どてらい男(ヤツ)』(関西テレビ制作。主演:西郷輝彦)が、4月改編で日曜21時枠へ移動した( - 1977年3月)。

NET系[編集]


子供向けドラマ[編集]

NHK[編集]

TBS系[編集]

廃枠


テレビアニメ[編集]

特撮番組[編集]

報道・情報番組[編集]

バラエティ番組[編集]

クイズ番組[編集]

音楽番組[編集]

教養・ドキュメンタリー番組[編集]

料理番組[編集]

スポーツ番組[編集]

紀行番組[編集]

単発特別番組枠[編集]

特別番組[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 当時は東京放送(現・TBSホールディングス)のテレビ放送事業だった(現・TBSテレビ)。
  2. ^ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなり、現在の朝日放送テレビとなった。
  3. ^ 舞台公演等により多忙となり、司会継続が困難となったため。
  4. ^ その後の『SMAP×SMAP』はロート製薬を含む複数社提供となり、2016年12月26日に番組終了するまで続く。
  5. ^ 1979年の第3作『バトルフィーバーJ』より八手三郎原作となる(ただし2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』のみ石ノ森章太郎プロとの共同原作となった)。
  6. ^ 2022年現在は『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』を放送中。
  7. ^ 放送当時、笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)が番組内でした行為により同局を出禁になった逸話が有名である(後年、出禁は解除され、『きらきらアフロTM』『チマタの噺』といった番組に出演のほか、2020年に開局55周年スペシャルドラマとして放送された『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜』では吉田茂役で主演を務めた)。
  8. ^ その後、協賛スポンサーの交代(アルインコ日興証券を経て東リが復帰、その後も複数社の一社として提供したのち降板)や増減を繰り返し、後年は複数社提供となった。
  9. ^ 番組終了半年後の2022年3月27日に開局したBS局BSJapanextで『パネルクイズ アタック25 NEXT』として復活。
  10. ^ 児玉は腸捻転解消直前まで毎日放送・NET系で放送されていた、事実上東洋リノリューム(現・東リ)一社提供の前番組である『東リクイズ・イエス・ノー』でも司会を務めていた。
  11. ^ 児玉清は2011年に死去するまで約36年間司会を務め、彼の没後は朝日放送テレビアナウンサーの浦川泰幸→俳優の谷原章介が司会を務めた。
  12. ^ 1978年には女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」宣伝のために、『土曜グランドスペシャル』での4月15日と『火曜ワイスペ』での11月21日の2回開催、またこの間の8月5日には『土曜グランドSP』で、女子限定のスペシャル大会『激突!!女子スター選抜バレーボール大会』も開催した。
  13. ^ 『夢の球宴』は1978年放送の第1期最終のみ3月で放送、一方の『大運動会』は、1978年にはニューヤンキースのため、春を特別開催、また1984年1985年には春限定に変更した。その後1994年 - 1996年に復活した時は春秋開催を復活した(1996年は春のみ)。
  14. ^ 橋田壽賀子脚本によるテレビドラマ宇津井健の代表作品。
  15. ^ いかりや長介の著書「だめだこりゃ」(新潮社)において、ドリフターズが合宿を行った当時のエピソードが記されている。
  16. ^ なお、これがきっかけとなりタモリは翌月の『13時ショー』の「珍芸スターお笑い大行進」に出演し[4]、翌年から放送開始し現在も続く『徹子の部屋』に1978年から36年間毎年年末の恒例ゲストとしての出演へとつながっていく[3]
  17. ^ 1年後の1976年9月27日より直前のJNNニュース(当時は『JNNニュースコール(第1期)』)と統合し、タイトルも『おはよう700』となった( - 1980年9月26日)。
  18. ^ 末期は『キンキンのこんにちは』に改名(ただし正式タイトルは不変)。
  19. ^ 後期は牛乳石鹸を含む複数社提供。
  20. ^ 8:00 - 8:30にドキュメンタリー番組『世界の先生たち』を設置したため(『ポンキッキ』は土曜日未放送)。
  21. ^ 1992年4月から『お昼の独占!女の60分』として平日昼の帯番組に昇格するが、同年9月で終了。
  22. ^ 末期はサントリーを含む複数社提供。
  23. ^ 吸収された5分枠は、1963年10月より水曜12:40に設置された「ガイド」枠。その後日曜16:10→同15:10→同14:25と変遷し、『アタック25』開始時には13:40に移動していたが、同日に歌謡番組『せんみつのJOYJOYスタジオ』が13:45 - 14:55枠で開始したため、14:55に移動した。
  24. ^ その後10分繰り下げとなり、13:25 - 13:55に変更。
  25. ^ 後に司会は青空球児・好児、審査員はハナ肇に変更した。
  26. ^ 久米降板後は小島一慶(当時TBSアナウンサー)→吉田照美文化放送出身のフリーアナウンサー、最末期)と交代。同時にタイトル表記も『元祖・ぴったし カン・カン』となった(詳細は同番組の項を参照)。
  27. ^ 途中からハウス食品に提供が変更された。
  28. ^ 5か月後、エバに代わって上岡龍太郎が登場。1978年4月より和田アキ子が加入。
  29. ^ オリエンタル一社提供で始まり、1972年から江崎グリコ・グリコグループの単独提供となった。
  30. ^ 青森朝日放送(ABA)が開局する前日の1991年9月30日まで。
  31. ^ TBS系列は7年後の1982年10月改編で実施に踏み切った。
  32. ^ 1973年10月に関西ローカルでスタートして以来の通算。
  33. ^ 直前まで土曜22時枠で放送された『土曜劇場 6羽のかもめ』の後継作で、『月曜劇場』という枠名が付いていた。だが後継作『土曜劇場 赤ちゃんがいっぱい』とは2ヶ月間重複していた。
  34. ^ 腸捻転解消、仮面ライダーシリーズのネット変更に伴う枠移動のため中断。1976年1月よりTBS系列で再開。
  35. ^ コント55号のなんでそうなるの?』の2度目の一時中断に伴うつなぎ番組
  36. ^ つなぎ番組。1981年4月に同枠(水曜22:00)で『激突!お笑いルーレット』として復活。

出典[編集]

  1. ^ 『NHK年鑑'76』, pp. 3.
  2. ^ 『ギャグゲリラ』のテレビ番組があった?”. 赤塚不二夫保存会/フジオNo.1 - gooブログ (2017年11月5日). 2021年12月1日閲覧。
  3. ^ a b 「『大タモリ年表』第2弾公開」タモリのデビューと『徹子の部屋』”. てれびのスキマ (2014年3月20日). 2021年10月15日閲覧。
  4. ^ タモリは無名時代に黒柳徹子に「徹子の部屋」に呼ばれていた!”. こいもうさぎのブログ. 2021年11月30日閲覧。
  5. ^ 美空ひばり | BS朝日
  6. ^ 『NHK年鑑'76』, pp. 4–5.
  7. ^ 参考資料:毎日新聞1975年7月7日夕刊芸能面「民放ニュースは5分か6分か CMからみ“1分紛争”中」
  8. ^ a b 読売新聞』(縮刷・関東版) 1975年(昭和50年)10月5日付朝刊、テレビ欄。
  9. ^ Nihon hōsō nenkan - Google Books