1962年のテレビ (日本)

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1962年のテレビ(1962ねんのテレビ)では、1962年昭和37年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

できごと[編集]

開局[編集]

名古屋テレビ放送・旧本社
名古屋放送(4月1日開局)
広島テレビ放送・旧本社
広島テレビ放送(9月1日開局)

既存局のカラー放送開始[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ


子供向けドラマ[編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ

ニュース番組[編集]

ドキュメンタリー番組[編集]

バラエティ番組[編集]

クイズ番組[編集]

音楽番組[編集]

トーク番組[編集]

料理番組[編集]

教養・ドキュメンタリー番組[編集]

参考文献[編集]

など

注釈[編集]

  1. ^ 当時の親局であった北九州局のコールサインはJOHX-TV。1974年に本社・演奏所を北九州市八幡東区から福岡市南区高宮に移転(1996年に同市早良区百道浜に再移転)して現在に至る。なお北九州局のコールサインは2011年7月24日の地上アナログ放送終了まで使われた。
  2. ^ 高橋は前年(1961年)にNHKを退局しており、1年間は嘱託契約となっていた。
  3. ^ 当時は日本テレビ系列NETテレビ(現・テレビ朝日)系列のクロスネットであった(1973年まで。現在はテレビ朝日系列)。また、これにより、これまでフジテレビ・日本テレビ・NETの3局トリプルネット局だった東海テレビフジテレビ系列にネット一本化される。
  4. ^ なお、再放送はここから12時45分〜13時となり、現在まで60年に亘り続いている。
  5. ^ 当時は朝日放送のテレビ放送事業であり、2018年4月の放送持株会社制移行により朝日放送グループホールディングスとなり、現在の朝日放送テレビとなった。
  6. ^ NHK教育テレビはこの時未だ高規格化せずモノクロ回線のままであった為、同放送の大阪に於けるカラー番組は引き続き、ビデオテープを事前に送って、放送時にそれを同時再生していた。
  7. ^ 開局当初は日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットだったが、1975年にフジテレビ系列局としてテレビ新広島(TSS)が開局したのに伴い日本テレビ系列に一本化。
  8. ^ 開局当初はフジテレビ系列と日本テレビ系列のクロスネットだったが、1970年ミヤギテレビ(MTB→mm34→MMT)が日本テレビ系列とNETテレビ系列のクロスネット局(現在は日本テレビ単独系列局)として開局したのに伴いフジテレビ系列に一本化。
  9. ^ a b 番組開始当初から『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』として放送されてきたが、東京オリンピック閉幕とともに『日清ジェットショー~』と改め、1965年5月25日まで放送した。
  10. ^ 当時は中部日本放送のテレビ放送事業であったが、放送持株会社制移行に伴い、放送事業・免許は2014年4月1日に「株式会社CBCテレビ」が継承。
  11. ^ a b 日本テレビ版は翌1963年1月21日に開始した。
  12. ^ その後『中学生日記』へ引き継がれ、2012年3月まで続く。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本プロレス事件史 Vol.2』、P41
  2. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年、272頁。 
  3. ^ 日本放送協会総合技術研究所『五十年史』(1981.03) 90ページ (渋沢社史データベース)(2023年6月30日閲覧)
  4. ^ 「NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年」NHKテレビ番組年表 1960-1964
  5. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 38ページ (渋沢社史データベース)(2023年11月8日閲覧)
  6. ^ 日本テレビ50周年の物語「1960年代」 Archived 2010年09月25日, at the Wayback Machine.
  7. ^ 東芝土曜劇場
  8. ^ NHK nenkan - Google Books
  9. ^ NHK nenkan - Google Books
  10. ^ NHK nenkan - Google Books