宮崎県
みやざきけん 宮崎県 | |||
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| |||
国 | 日本 | ||
地方 | 九州地方 | ||
団体コード | 45000-6 | ||
ISO 3166-2:JP | JP-45 | ||
面積 |
7,734.16km2 (境界未定部分あり) | ||
総人口 |
1,034,230人[編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||
人口密度 | 134人/km2 | ||
隣接都道府県 | 大分県、熊本県、鹿児島県 | ||
県の木 |
フェニックス 1966年9月3日制定 ヤマザクラ 2003年2月6日制定 オビスギ 2003年2月6日制定 | ||
県の花 | ハマユウ 1964年12月22日制定 | ||
県の鳥 | コシジロヤマドリ 1964年12月22日制定 | ||
他のシンボル | 宮崎県民歌 | ||
宮崎県庁 | |||
知事 | 河野俊嗣 | ||
法人番号 | 4000020450006 | ||
所在地 |
〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東2丁目10番1号 | ||
外部リンク | http://www.pref.miyazaki.lg.jp/ 宮崎県 | ||
ウィキポータル | 日本の都道府県/宮崎県 | ||
ウィキプロジェクト |
宮崎県(みやざきけん)は九州南東部に位置する日本の県。県庁所在地は宮崎市。
県木「フェニックス」に代表される南国情緒豊かな気候から、1960年代には日南地区を中心に新婚旅行のメッカとして栄えた。現在も春季のプロ野球などのキャンプ地として知られる。
地理
九州の東南端を占め、東経130度42分から131度53分、北緯31度21分から32度50分の間に位置する。
- 地域: 日本、九州地方
- 隣接都道府県: 鹿児島県 - 熊本県 - 大分県
- 主な山地: 九州山地、国見山地、鰐塚山地
- 主な山: 霧島山(韓国岳、新燃岳、高千穂峰など)、祖母山、傾山、国見岳、市房山、尾鈴山、鰐塚山
- 主な平野: 宮崎平野
- 主な盆地: 小林盆地、都城盆地、加久藤盆地
- 主な川: 五ヶ瀬川、五十鈴川、耳川、小丸川、一ツ瀬川、大淀川、広渡川、福島川
- 海域: 太平洋、フィリピン海、日向灘
- 主な岬: 都井岬、日向岬
- 主な台地: シラス台地
- 主な島: 島浦島、青島、大島、幸島、築島
自然公園
- 国立公園: 霧島錦江湾国立公園
- 国定公園: 日南海岸国定公園、祖母傾国定公園、日豊海岸国定公園、九州中央山地国定公園
- 県立自然公園: 祖母傾県立自然公園、尾鈴県立自然公園、西都原杉安峡県立自然公園、母智丘・関之尾県立自然公園、わにつか県立自然公園、矢岳高原県立自然公園
気候
全体的に日照時間・降水量ともに全国で上位で、特にえびの高原、鰐塚山の降水量は日本有数となっている。平野部での降雪・積雪は稀であり、宮崎市の気象台では初雪が観測されない年がある一方、九州山地では積雪する地域があり、日本最南端の天然スキー場もある。標高1150mにあるえびの高原は九州屈指の寒冷地とされ、1968年2月26日には-20.2℃という九州地方における最低気温を記録している[1]。夏は季節風の南東風により蒸し暑い状態が続くものの、海風であるためそれほど高温にはならない。むしろ九州山地などを吹き降ろす南西風が多くなる梅雨末期の方が高温である。夏から秋にかけては台風が襲うが、台風本体が接近していない段階から湿った東風により長期間雨に見舞われることが多いため、被害がさらに拡大することもある。冬は乾いた西風が卓越し、快晴の日が多い。国内で冬に多照となる地域では最も暖かいこの気候を利用し、スポーツチームのキャンプやゴルフ客が多数訪れる。宮崎市以南の日向灘沿岸には無霜地帯が存在する。
平年値 (月単位) |
北部沿岸部 | 北部内陸部 | 南部沿岸部 | 南部内陸部 | ||||||||||||||
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延岡市 古江 |
延岡 | 日向 | 高鍋 | 西都 | 高千穂 | 五ヶ瀬町 鞍岡 |
美郷町 神門 |
西米良 | 宮崎 | 宮崎市 赤江 |
宮崎市 青島 |
日南市 油津 |
串間 | 都城 | 小林 | えびの市 加久藤 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 26.7 (8月) |
26.4 (8月) |
26.7 (8月) |
26.8 (8月) |
27.0 (8月) |
24.7 (8月) |
22.8 (8月) |
24.8 (8月) |
24.9 (8月) |
27.0 (8月) |
26.7 (8月) |
27.2 (8月) |
26.7 (8月) |
26.3 (8月) |
25.6 (8月) | ||
最寒月 | 7.3 (1月) |
6.5 (1月) |
7.0 (1月) |
7.2 (1月) |
6.7 (1月) |
3.6 (1月) |
1.6 (1月) |
3.4 (1月) |
4.6 (1月) |
7.6 (1月) |
8.1 (1月) |
8.5 (1月) |
7.5 (1月) |
5.6 (1月) |
4.7 (1月) | |||
降水量 (mm) |
最多月 | 369.6 (6月) |
374.0 (6月) |
375.9 (6月) |
406.6 (6月) |
437.8 (6月) |
402.0 (7月) |
408.5 (6月) |
566.7 (8月) |
506.8 (6月) |
315.8 (6月) |
457.6 (6月) |
449.7 (6月) |
382.0 (6月) |
455.1 (6月) |
539.2 (6月) | ||
最少月 | 34.5 (12月) |
40.8 (12月) |
45.0 (12月) |
37.5 (12月) |
42.0 (12月) |
36.0 (12月) |
66.2 (12月) |
40.8 (12月) |
50.2 (12月) |
51.8 (12月) |
53.6 (12月) |
63.7 (12月) |
52.3 (12月) |
51.1 (12月) |
49.9 (12月) |
歴史
宮崎県に人々が住み始めたのは、中期旧石器時代の終わり頃の約5万年前頃からである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している[2]。
神話
『古事記』に「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふる嶺に天降りまさしめき」とあり、天照大神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が降り立った国(天孫降臨神話)。この神の曾孫カムヤマトイワレヒコが、東征して大和橿原宮にて、天皇に即位し初代天皇神武天皇となったとの神話がある(神武東征神話)。
廃藩置県前
廃藩置県以降
廃藩置県当初(1871年)、延岡県・高鍋県・佐土原県・飫肥県が設置されるが、1871年の府県合併によって美々津県・都城県に再編。その後1873年に旧日向国の領域をもって宮崎県(初代)が設置された。県政のため、県庁を県の中央部に設置する必要が認められた結果、当時は寒村であった宮崎郡上別府村(現在地)に県庁が移された。1876年8月21日に宮崎県は鹿児島県に合併され、宮崎県庁は支庁へ格下げされた。
- 1873年1月15日 - 美々津県と都城県の東半分が合併し、ほぼ旧日向国の領域に宮崎県が置かれる。県名は、県庁の置かれた宮崎郡による。
- 1876年8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に合併され、宮崎支庁が置かれる。
- 1877年 - 西南戦争により当時鹿児島県であった宮崎県域も戦場となる。
- 1879年 - 宮崎支所管内に宮崎、那珂、諸県、児湯、臼杵の五郡が置かれ、宮崎支所が廃止される。郡役所は、宮崎と那珂は上別府(宮崎支庁の位置)、諸県は上長飯(現在の都城市)、児湯は高鍋、臼杵は岡富(現在の延岡市)に置かれる。
- 1881年 - 児湯郡役所を廃止し、宮崎郡役所へ統合。
宮崎県再置
1883年5月9日 - 川越進[3]などによる分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷[4]を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した(宮崎県再置[5])。なお、同日に富山県・佐賀県も再置されている(「明治16年太政官布告第15号 富山佐賀宮崎三縣設置」参照)。
分県運動は西南戦争の敗北により、鹿児島県および宮崎支庁での薩摩士族の影響が少なくなった時点で「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識を背景に興り、1880年に徳島県が高知県から分離したことで活発になる。旧薩摩藩領であり、西南戦争後日向国最大の都市であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動には反対しない」との立場を採った[6]ことは分県運動への大きな弾みとなった。
1882年に宮崎県再置の案が鹿児島県会に提出されたがこのときは否決。川越進が県議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した[7]。
江戸時代の日向国は複数の藩(延岡藩・高鍋藩・飫肥藩・薩摩藩・佐土原藩)が分立していた。このため住民の「日向国」としての意識は従来希薄であり、分県運動は日向国として一体となって行動した初めての出来事でもあった。当時、日向は薩摩よりも人口密度が低く、県庁が遠いために何かにつけ不便であった。分県運動が最高潮となった1881年は、金融が逼迫し、自由民権運動も盛んだった時期で、鹿児島県による宮崎支庁への支出が徴収される地方税よりも少ないという悲憤もあった[8]。
宮崎県再置後
- 1884年 - 九郡・八郡役所設置(西臼杵郡、東臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、北那珂郡、南那珂郡、北諸県郡、西諸県郡、東諸県郡 宮崎郡と北那珂郡は同一の郡役所)。
- 1889年 - 町村制実施され、5町(宮崎、細島、都城、油津、延岡)95村に統合される。
- 1907年 - 黒北発電所の完成により商用電力供給開始。都城に陸軍歩兵連隊設置。
- 1912年 - 宮崎県き章を制定[9]。
- 1913年 - 国鉄宮崎線(現吉都線)都城まで開通。宮崎県営鉄道(妻線・飫肥線)および宮崎軽便鉄道(後の日南線)営業開始。
- 1916年 - 国鉄宮崎線 宮崎まで開通。
- 1917年 - 宮崎県営鉄道(妻線)国有化。
- 1923年 - 日本窒素肥料(現・チッソ)延岡工場開業(旭化成の前身)。日豊本線開通。
- 1924年 - 宮崎市及び都城市、市制施行。
- 1926年 - 岩切章太郎、宮崎交通の前身である宮崎市街自動車を設立。
- 1932年 - 宮崎県庁本館(宮崎県庁舎)竣工。
- 1934年 - 霧島国立公園指定。
- 1935年 - 宮崎県営鉄道(飫肥線)国有化。国鉄日ノ影線(後の高千穂鉄道高千穂線)開業。
- 1939年 - 「こどものくに」開園。
- 1940年 - 皇紀2600年に伴う紀元二千六百年記念行事を実施。宮崎神宮の拡張や八紘之基柱(あめつちのもとはしら、現・平和台公園)が整備される。八紘之基柱の完成日となった11月25日に日向日日新聞(現・宮崎日日新聞)が創刊。この頃は「聖地」として宮崎を宣伝していた[10]。
- 1943年 - 戦時企業統合政策により宮崎鉄道・宮崎バス・都城自動車が合併、宮崎交通1社となる。
第二次世界大戦後
- 1946年 - 第1回民選知事選挙。
- 1949年 - 宮崎大学設立。
- 1954年 - 宮崎空港開港。隣接して航空大学校が運輸省の附属機関として開校。
- 1960年 - 島津久永・貴子夫妻新婚旅行。この頃、観光宮崎ブーム。
- 1964年 - 宮崎県再置80年を記念して宮崎県旗、県の花としてハマユウ、県の鳥としてコシジロヤマドリを制定[9][11]。
- 1965年 - NHKの連続テレビ小説第5作で放映された川端康成原作の『たまゆら』で、橘公園や青島、こどものくに等が紹介され、観光宮崎が広く行き渡る。
- 1966年 - 県の木としてフェニックスを制定[9][11]。
- 1968年 - えびの地震。
- 1973年 - 小林市霧島山麓夷守台にて全国植樹祭開催。
- 1974年 - 宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)設立。
- 1975年 - 日本最初のサファリパーク『宮崎サファリパーク』開園(1986年閉園)。
- 1975年 - 当時、地場資本最大の百貨店であった橘百貨店倒産(後にジャスコの資本が入り再建、現・ボンベルタ橘)。
- 1976年 - 九州縦貫自動車道えびのIC・高原IC間開通。
- 1979年 - 当時の現職知事である黒木博が、受託収賄の疑いで逮捕され辞職(後に無罪確定)。
- 1979年 - 第34回国民体育大会『日本のふるさと宮崎国体』開催。
- 1981年 - 九州縦貫自動車道(宮崎自動車道)宮崎市まで全通。
- 1986年 - 小林市霧島山麓夷守台にて全国育樹祭開催。
- 1993年 - 総合保養地域整備法適用第1号シーガイアオープン。
- 2000年 - サミット外相会合。県内の農家より家畜の口蹄疫感染を確認する。
- 2001年 - 東九州自動車道西都IC開通。シーガイアが会社更生法の適用を申請(直後にリップルウッド・ホールディングスが買収)。
- 2003年 - 2004年に開催された全国植樹祭を記念して県の木に飫肥杉・ヤマザクラを追加[9][11]。
- 2004年 - 西都市にて全国植樹祭開催。
- 2005年 - 宮崎交通に対し、産業再生機構による支援決定。
- 2006年 - 現職知事安藤忠恕が宮崎県官製談合事件関与の疑いで辞職、直後に逮捕(最高裁上告中に死去)。
- 2007年 - 宮崎県知事選挙で東国原英夫当選。
- 2010年 - 口蹄疫の流行。東九州自動車道高鍋IC・日向IC開通。全国高等学校総合文化祭開催。
- 2011年 - 宮崎県知事に河野俊嗣が就任。
文化
県民性
宮崎県の典型的男性を表す言葉として「いもがらぼくと」、女性を表す言葉として「日向かぼちゃ」がある。前者は「芋がらで作った木刀」の意であり、見掛けは立派だが芯のないお人よしであることを意味し、後者は、見た目は黒く小ぶりだが味はしっかりしているということを意味しており、民謡(但し、近年の作によるもの)にも歌われる。
そもそも、「県民性」というものがステレオタイプのものであり、多くの例外を含んでいるものであるが、宮崎県は歴史的に明治以前は一体性を欠いていたのに加え、風土も地域によってかなり異なる(例えば、冬季における温暖のイメージは、県西部においては当てはまらない)ことから、単一のイメージには当てはまらない例も多い。
- 「日向時間」
日向(ひゅうが)時間とは、宮崎県人が良くも悪くものんびり屋で、時間にルーズでありながらも寛大に受け止める言葉。集合の予定時間に自宅を出発する人がいるなど、時間設定の個人間のずれを指す。この習慣から、時間のずれをあらかじめ見込んで、集合時間などを早めに設定する事もある。なお、類似例は南四国や鹿児島・沖縄などの太平洋側に広範囲で見受けられる。
食文化
- 郷土料理
- その他
- レタス巻き - 発祥地とされる。
文化財
重要伝統的建造物群保存地区
宮崎県内では重要伝統的建造物群保存地区が3か所選定されている。
方言
宮崎県の大部分では豊日方言に分類される宮崎弁が話されているが、かつて薩摩藩領だった諸県地方では薩隅方言に分類される諸県弁が話される。流行語にもなった「どげんかせんといかん」は宮崎弁に直せば「どんげかせんといかん」であり、東国原の出身が鹿児島県と隣接する都城市であることから宮崎県全体では「どんげかせんといかん」の方が通じる。
県のシンボル
詳細は宮崎県公式ウェブサイト[9]を参照。
- 宮崎県き章
- 1912年制定。
- 宮崎県旗
- 宮崎県再置80年を記念して1964年に制定。
- 県の木
- 「緑のニッポン全国運動」の一環として1966年に県民の投票をもとにフェニックスが県緑化推進委員会で決定され[9]、2003年に全国植樹祭開催を記念して飫肥杉・ヤマザクラがそれぞれ制定された。
- 県の花
- 宮崎県再置80年を記念してハマユウが1964年に制定。
- 県の鳥
- 宮崎県再置80年を記念してコシジロヤマドリが1964年に制定。県内では双石山・霧島山に生息する。
- 宮崎県民歌
- 宮崎県再置80年を記念して1964年に制定。飯田信夫作曲・酒井祐春作詞。
- キャラクター
- 2011年11月11日にシンボルキャラクターとして3匹のみやざき犬(みやざきけん)が設定された。それぞれ「ひぃ」「むぅ」「かぁ」と名付けられている。寺島愛子の作品を元にデザイン化された[12]。
人口
宮崎県の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
政治
国政
衆議院の小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。(2011年現在)
県政
財政
2009年度(平成21年度)
- 財政力指数 0.31 (47都道府県平均 0.52)
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中9位
- 標準財政規模 3147億9000万円
- 経常収支比率 94.0% (47都道府県平均 95.9%)
- 将来負担比率 185.4% (47都道府県平均 229.2%)
- 実質公債費比率 14.5% (47都道府県平均 13.0%)
- 人口100,000人当たり職員数 1411.26人 (47都道府県平均 1138.41人)
- 宮崎行財政改革2007に基づき2011年度までに、普通会計ベースで864人(総職員数1000人)の削減に努める。
- ラスパイレス指数 98.8 (47都道府県平均 98.9 )
- ラスパイレス指数に表れない諸手当についても特殊勤務手当や通勤手当の引き下げなど大幅な見直しをすすめており、総人件費の抑制をすすめていく。
地方債残高
- 普通会計分の債務 9271億2300万円
- 上記以外の特別会計(公営企業会計)の債務 485億5700万円
2008年度(平成20年度)
- 財政力指数 0.31 (47都道府県平均 0.52)
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位
県内の主な施設
- 宮崎県庁舎(宮崎市)
- 宮崎県警察本部(宮崎市)
- 宮崎運転免許センター(宮崎市)
- 宮崎県立芸術劇場(メディキット県民文化センター)
- 宮崎県立図書館
- 宮崎県立美術館
- 宮崎県総合博物館
- 宮崎県総合運動公園(宮崎市熊野)
- 宮崎県立西都原考古博物館(西都市)
- 宮崎県埋蔵文化財センター
国の機関など
裁判所
- 福岡高等裁判所宮崎支部
- 宮崎地方裁判所・宮崎家庭裁判所
- 日南支部
- 延岡支部
- 都城支部
- 宮崎家庭裁判所日向出張所
- 宮崎家庭裁判所高千穂出張所
- 宮崎
- 延岡
- 都城
防衛
経済
総県民所得 約3兆16億円(全国第36位 国民所得に占める割合0.77% 2000年度調べ。本項目において、以下同じ)、1人当たり県民所得 約256万円(全国第37位 全国平均約308万円の約83% 国内最高である東京都約440万円と比較すると約58%)と低所得の自治体に位置するが、物価水準もそれに伴って低い[13]ため、所得格差ほどの生活水準の低さはない。
県民所得に占める第一次産業の比率が国内で最も高い(5.6% 全国平均は1.2%)。
第一次産業
農業
日本有数の農業県であり、農業産出額(2007年)は全国6位(九州2位)。温暖な気候を利用し、稲作においては超早場米の生産地として有名であり、また、野菜・果実等の促成栽培、葉たばこ・サツマイモ等の商品性作物の生産が盛ん。また、牧畜業は乳牛・肉牛・豚・鶏の全てにおいて日本有数の生産高を誇る。以前はそれほど知名度が高くなかった農畜産物も、2007年に知事に就任した東国原英夫の全国規模のマスメディア露出により急速に知名度を上げている。
県中央部に広がる宮崎平野では、冬季の日照に恵まれた温暖な気候を利用して様々な野菜が栽培されている[14]。1953年から1960年にかけてビニールハウスが普及した[15]。
ダイコンの作付け面積は日本国内3位であり、特に秋冬物の生産量は日本一である。切り干し大根は古くから作られていたが、1906年、愛知県から宮崎郡住吉村(現在の住吉地域自治区)へ移住した長谷川弥七らによって本格的な生産が始められた。大正時代に鉄道や港湾が整備されると北部九州方面あるいは東京方面へも出荷されるようになった。初期の産地は宮崎市周辺であったが、後に周辺部へ移り、現在は国富町と清武町が主要産地となっている。作付面積は1,000ヘクタール以上、生産量5,500トン、生産額23億円は日本一である[16]。
キュウリは1895年、宮崎市上野町(現在は小戸地域自治区に属する)で栽培が始まった。現在では宮崎市、西都市、国富町、新富町、綾町が主要産地であり大阪、東京、福岡県へ出荷される。2007年における生産量は60,700トン、生産額は185億円で群馬県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である[17]。
ピーマンは昭和初期、高知県からの移住者により本格的な生産が始められ、昭和40年代以降に普及した[18]。現在では西都市、宮崎市、新富町、日南市、国富町が主要産地であり大阪、東京、名古屋へ出荷される。2007年における生産量は29,400トン、生産額は110億円で茨城県に次いで日本国内2位、特に冬春物は1位である[19]。
漁業
油津港や細島港等を本拠とした沖合・遠洋漁業が盛んであり、近海カツオ一本釣り・沿岸まぐろはえ縄・ウルメイワシについては漁獲量日本一を誇るが、大消費地に近い漁港で水揚げを行うため、県内の漁港の水揚げ量は少ない。近年では鹿児島県と共に九州産のウナギの養殖でも知られるようになってきている。
林業
国産建築材料の共有基地としての役割を担っている。県木に指定されている飫肥杉はシロアリの殺蟻活性成分をもち、生産高は全国一の生産高を占める。
第二次産業
- 農産品加工業
- 焼酎、木工家具、ワイン、乳製品など
- 化学工業
- 延岡市には古くから旭化成の延岡工場があり、いわゆる企業城下町が形成されているが、近年、同社の製造拠点海外化等の影響を受け生産量は下降気味である。
- その他
- 宮崎市郊外・東諸県郡では、空港への至近性と純度の高い水資源を活かした半導体・PDP・ソーラーパネル・医薬品等の先端産業が立地している。
主な企業
県内に本社または拠点事業所を置く主な企業を挙げる。
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第三次産業
商業
県の経済規模が小さいほか、交通の便などの事情もあり商圏が県内一円にほぼ限られるため、地域商業の域を出ていない。有力な地元百貨店がなく、顧客の鹿児島・熊本・福岡への流出が見られる。また、地元のスーパーチェーンも有力なものがなく、イオングループ等進出に対する地元商業の状況は非常に厳しい。
観光業
1960年代には新婚旅行のメッカとして全国的に有名であり、「観光宮崎」として地域経済に貢献したが、日本人の余暇や観光に対する価値観の変化に対してその魅力を必ずしも提供できず低迷している。また、本県の観光はいわゆる「南国情緒」が売りものであったが、1972年の沖縄返還以降は同様のイメージでは沖縄県と競合しているが同県は沖縄振興特別措置法に基づく税制面での特例[20][21]が適用されることから、本県の競争力は相対的に低下した。さらに、1990年代以降は円高などにより相対的に格安となった海外旅行との競合もある。これらの悪条件に対し、1990年代末までは個人消費の拡大などによって乗り切ったが、ITバブル期を経た2000年代初頭には県内の大型リゾート施設であるシーガイアが会社更生法の適用を申請したほか、県内最大の交通企業である宮崎交通が産業再生機構の支援を仰ぐことになった。
また、有力な観光資源である温泉については、隣県の大分県・熊本県・鹿児島県とは異なり、本県は西日本火山帯の火山フロント[22]より東側にあることから、火山性温泉にあまり恵まれていない。
観光業復活の鍵として、プロ野球(巨人・広島・ソフトバンク・西武・東京ヤクルト(ファームのみ)5球団)・サッカーのキャンプ地巡るツアーや、宿泊を含めたゴルフプランが主催されているほか、近隣国(韓国・中国・台湾)からの顧客開拓を図っている。
宮崎県は、サーフィンに好適で空港や高速道路からのアクセスの良い海岸に恵まれた日本最南端の県である[23]。このことは、国内の主要サーフィン大会は5月に行われる本県での国際大会(WQS 4-starランク)から始まることや、日本サーフィン連盟協力サーフショップの数が九州で1番多いことからもうかがえる。ただし、一般的にサーフィンは特段の施設を利用しない(天然の海を利用する)余暇であることから、観光業にとっては宿泊と最低限の飲食費以外の経済効果が薄いという見方もある[要出典]。
地域
以下の9市6郡14町3村がある。宮崎県では、町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。
合併済みの市町村
平成の大合併
- 田野町・佐土原町・高岡町を宮崎市へ編入(2006年1月1日)
- 都城市・山之口町・高城町・山田町・高崎町→都城市(2006年1月1日) ※新市制
- 南郷村・西郷村・北郷村→美郷町(2006年1月1日)
- 北方町・北浦町を延岡市へ編入(2006年2月20日)
- 東郷町を日向市へ編入(2006年2月25日)
- 小林市・須木村→小林市(2006年3月20日) ※新市制
- 北川町を延岡市へ編入(2007年3月31日)
- 日南市・北郷町・南郷町→日南市(2009年3月30日) ※新市制
- 清武町を宮崎市へ編入(2010年3月23日)
- 野尻町を小林市へ編入(2010年3月23日)
全国的に行われている市町村合併による新規市制の発足に於いて、新しい名称の市が誕生しなかった数少ない都府県(他に東京都、大阪府、神奈川県、山形県、鳥取県)のひとつである。
交通
空港
宮崎市に宮崎空港が所在する。なお、高千穂町など北部山間部では熊本空港、えびの市などでは鹿児島空港のほうが至近である。
営業路線
国内線
- 日本航空[24]
- 日本エアコミューター
- 大阪国際空港、広島西飛行場
- 全日本空輸[25]
- スカイネットアジア航空・全日本空輸
- 東京国際空港
- オリエンタルエアブリッジ
国際線
鉄道路線
鉄道はJR線5路線があるが、北に隣接する大分県とともにJR線(旧国鉄)以外の普通鉄道がない。なお、2007年まで延岡駅から第三セクター鉄道の高千穂鉄道高千穂線が分岐していた。
- 九州旅客鉄道(JR九州)
以上の路線は全区間単線となっており、徳島県と並んで単線のみの県となっている。ただし、徳島県の佐古駅〜徳島駅間は単線並列区間であるため、広義での複線区間がない県は宮崎県のみである。
過去の鉄道路線
バス事業者
宮崎県に事業拠点を置く路線バス事業者。ほぼ宮崎交通の独占となる。
- 宮崎交通 - 県内の大半のバス路線を運行。
- 三州自動車 - いわさきグループ。都城市が拠点であるが、路線は鹿児島県大隅半島が中心。
- ジェイアール九州バス - 定期路線は高速バスのみ。かつては日肥線・宮林線などの一般路線を運行していた。
高速バス・特急バス路線
- おひさま号(宮崎 - 関西方面、夜行)
- フェニックス号(昼行・夜行)
- ごかせ号(延岡 - 福岡)
- ブルーロマン号(宮崎 - 長崎)
- なんぷう号(宮崎 - 熊本)
- たかちほ号・あそ号(延岡 - 熊本)
- B&Sみやざき号(宮崎 - 新八代駅)
- はまゆう号(宮崎 - 鹿児島)
道路
宮崎県は九州で最も道路改良率の低い県となっている[26]。高規格幹線道路の供用率は42パーセント(2008年4月時点)で、これも九州平均(64パーセント)を下回る[27]。
一般国道
県内には18の一般国道が通過しているが、そのうち国が管理する路線(指定区間)は国道10号・国道220号の2路線のみである。改良率は79.1パーセント。全路線舗装済みであるが、そのうち24.9パーセントは簡易舗装となる[28]。
- 国道10号 - 延岡・宮崎・都城の3市を結び、大分・鹿児島とも連絡する。
- 国道218号 - 延岡市から熊本へ向かう。県北を横断。
- 国道219号 - 宮崎市から西都・西米良を経由し、熊本県球磨地方へ向かう。
- 国道220号 - 宮崎市から日南・串間を経由し、鹿児島県大隅地方へ向かう。
- 国道221号 - 都城市から小林・えびのを経由し熊本県人吉市へ向かう。
- 国道222号 - 日南市と都城市を結ぶ。
- 国道223号 - 高原町から霧島山を経由し鹿児島県霧島市へ向かう。
- 国道265号 - 小林市から西米良・椎葉を経由し熊本県阿蘇地方へ向かう、九州山地縦断ルート。
- 国道268号 - 宮崎市と小林・えびのを結ぶ。
- 国道269号 - 宮崎市と都城市を結び、鹿児島県大隅地方へ向かう。
- 国道325号 - 高千穂町と熊本県阿蘇地方を最短距離で結ぶ。
- 国道326号 - 延岡市と大分を最短距離で結ぶ。
- 国道327号 - 日向市と椎葉村を結ぶ。
- 国道388号 - 九州山地横断ルートと延岡市以北の日豊海岸に沿うルートがある。
- 国道446号 - 日向市東郷町と美郷町南郷区を結ぶ。
- 国道447号 - えびのから鹿児島県伊佐市へ向かう。
- 国道448号 - 日南・串間の海岸線を通る。
- 国道503号 - 五ヶ瀬・諸塚を飯干峠で結ぶ。
県道
県は195の県道を指定しており、そのうち48路線が主要地方道(路線番号が1から54)、147路線が一般県道(路線番号が102から454)である[29]。改良率は56.1パーセント。路線名については宮崎県の県道一覧を参照。また、宮崎県道路公社が管理する有料道路として一ツ葉有料道路と小倉ヶ浜有料道路がある。
海運
港湾
重要港湾の一覧。
定期就航路線
マスメディア
新聞
宮崎県全域を対象とする地方紙として宮崎日日新聞があり、県北部(延岡・日向)を中心に夕刊紙の夕刊デイリー新聞が発刊されている。
読売・朝日・毎日は宮崎版、西日本新聞は南九州ワイド(宮崎・鹿児島の2県)内で県内の記事を扱う。南日本新聞は鹿児島県の地方紙であるが県西部(諸県)においても販売されており、宮崎県政・県西部の話題についても「鹿児島県内のニュース」と同様に扱うことがある。
テレビ
本県は、他県で多くの放送局(平成新局)が開局しチャンネル数が増加した後も、放送対象地域とする民間放送はフジテレビ系列がメインのテレビ宮崎(UMK)とTBS系列の宮崎放送(MRT)の2局のみである。なお、民放が2局しかない他県(福井県・山梨県)では共聴設備・ケーブルテレビ(CATV)または直接の地域外受信により隣県の放送局が視聴可能な地域が大半であるため、日本国内の相対的には情報格差があるとされている。なお、民放が2局しかないため、テレビをつけているときは視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶことがある[30]。地域外受信についてはえびの市・都城市・串間市・三股町などの一部では鹿児島県を放送対象地域とする民放が[31]、五ヶ瀬町などの一部では熊本県を放送対象地域とする民放が視聴できる。[32]
本県は民放が2局しかない県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低い[33][34]が、その一方で衛星放送加入率が高い。[35][36]
ビデオリサーチによる通常の視聴率調査が行われていない都道府県のひとつとなっている。[37]
親局がある鰐塚山は、標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)を含めて広範囲をカバーしている。
1960年7月のNHK宮崎放送局開局までは、宮崎市内においては鹿児島局を、鹿児島局開局以前は広島局を電離層反射を利用して受信していた[38]ほか、五ヶ瀬町や椎葉村では熊本局が視聴されていた[39]。五ヶ瀬町の事情については五ヶ瀬中継局を参照。
3局目の民間放送局構想
1990年に民放第3局の割り当て(宮崎21ch)がなされ、約400件の免許申請があった[40]。その中でも日本テレビは沖縄とともに放送局設置計画を掲げていた(沖縄については南西放送を参照)が、バブル景気崩壊後の不況による影響や衛星放送へ資金を注入する必要があったことから、1993年4月までに「番組は無償で提供するが、開局支援はせずネット補償金は一切与えない」(スポンサーを自ら探さなければならないことを意味する)としてキー局としての宮崎への進出を断念した[41][42]。そのため、後にテレビ朝日をキー局とする案も出されたが、テレビ朝日側は難色を示したため、[要出典]第3局の設置構想は暗礁に乗り上げたかたちとなり、2000年9月6日には電波割り当てが取り消された[43]。なお、宮崎新局のために確保されていた用地は、のちに駐車場となっている。
なお、東国原前知事もマニフェストにテレビ局の増設を掲載していた[44]が、これは必ずしも地上波民放のことではなく、インターネットテレビのようなものもイメージしていたという[45]。これに対し、早稲田大学マニフェスト研究所はこのマニフェストを「かなり遅れている、または方針転換」にあたるC評価(A・B・Cの3段階で最低)と判断している[46]。
地上デジタル放送
地上デジタル放送は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月の飯野・真幸中継局開局によりすべての市で、2009年10月までに西米良村(ほぼ全域が共同受信)を除く全市町村で直接受信が可能となった[47]。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴可能である。
テレビ局の送信所
宮崎県内のテレビ局は鰐塚山に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の中継局が設置されているが、送信出力や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。プラン局以外[48]は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを宮崎方式と呼称する。後述)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。
プラン局[49]と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共建となる)。宮崎県内では延岡・高千穂・串間・飯野(えびの市)が該当し、放送局によっては日向・青島・日之影も追加される。
微小局はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・真幸は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では重要中継局とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。
ミニサテライト局はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では美々津に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。
宮崎方式
テレビ送信所の宮崎方式とは、中継局の設置費用の一部を受益者となる地元自治体が負担することである。
民間放送局としてはプラン局の設置だけで県内カバー率はほぼ100パーセントとなることから、山間部への中継局設置は費用対効果が見込めないものであった。これが設置の方向となったのは1973年に入郷地区(現在の美郷町・日向市東郷町・諸塚村・椎葉村)の自治体が設置費用の一部の負担を放送局側に申し入れたことによる。これにより入郷・日向西郷・東郷(1973年度)、北諸塚・南諸塚・椎葉(1974年度)に中継局が設置された。以後宮崎県内で設置された中継局に対しては基本的にこの方式が採用されている。
ケーブルテレビ
宮崎県におけるケーブルテレビは情報格差の是正(不足している系列局の補充)が主な目的である[50]。
デジタル放送における区域外再送信は椎葉村・諸塚村を除いて実施されている。
- ケーブルメディアワイワイ - 旧・テレビネットワーク延岡。延岡市・日向市・門川町をサービスエリアとする。熊本県の民放局のうち熊本県民テレビと熊本朝日放送を再送信。セットトップボックス (STB) が必要[51]。後述する高千穂町・日之影町・美郷町も事実上エリアに含まれる。
- 美郷町ケーブルテレビネットワーク - 旧・きららビジョン。美郷町をサービスエリアとする。熊本県民テレビと熊本朝日放送を再送信。旧北郷村(北郷区)による村営のケーブルテレビ局が前身[52]。2010年度にエリアを美郷町全域(西郷区・南郷区)に拡大。宮崎県の地上波放送・BSデジタル放送は美郷町が、熊本民放2波・CSデジタル放送はオプションとしてケーブルメディアワイワイが実施している[53]。
- ひのかげケーブルネットワーク (HCN) - 日之影町の全世帯を対象とした「ひのかげケーブルネットワーク整備事業」により、光ファイバーを活用したケーブルテレビ局を2011年5月に設置[54][55][56]。「チャンネルリース」としてケーブルメディアワイワイが県内地上波を除く(熊本県民テレビ・熊本朝日放送を含む)サービスを提供する。
- 高千穂町光ケーブルネットワーク(テレビ高千穂) - 高千穂町の全世帯を対象とし、光ファイバーを活用したケーブルテレビ局を2011年6月に設置[57][58]。「チャンネルリース」としてケーブルメディアワイワイが県内地上波を除く(熊本県民テレビ・熊本朝日放送を含む)サービスを提供する。
- 宮崎ケーブルテレビ (MCN) - 宮崎市・国富町・綾町をサービスエリアとする。鹿児島県の民放局のうち鹿児島放送と鹿児島讀賣テレビを再送信。STBが必要。2012年中に西都市街地への進出計画あり[59]。
- ビィーティーヴィーケーブルテレビ - 旧・都城ケーブルテレビ。都城局・日南局・西諸局が設置されている。都城局は都城市・三股町・鹿児島県曽於市財部町、日南局は日南市、西諸局は高原町・小林市のうち旧野尻町をサービスエリアとする。鹿児島県の民放局すべて(南日本放送・鹿児島テレビ放送・鹿児島放送・鹿児島讀賣テレビ、日南局・西諸局は後者2局のみ)を再送信[60]。STBは不要(地上デジタル放送に対応したテレビのみで視聴可能)[61]。
- 椎葉村(かてーりネット) - 地上波放送のデジタル化に伴う難視聴対策として、光ファイバーを活用し2010年4月に設置[62]。全世帯が対象。区域外再送信は実施されない[63]。
諸塚村については九州総合通信局からケーブルテレビ局の設置許可が出されているものの、その後の動向を公式ウェブサイト上に公表していない。
ラジオ
- NHK宮崎放送局(AM・FM)
- 宮崎放送 (MRT)(JRN・NRN系列)
- エフエム宮崎 (JOY FM) (JFN系列、テレビ宮崎の関連企業)
- 宮崎サンシャインエフエム(コミュニティ放送)- 宮崎市
- シティエフエム都城(コミュニティ放送)- 都城市
- FMのべおか(コミュニティ放送) - 延岡市
- 宮崎市にはコミュニティFM局・宮崎シティエフエム (City FM77) があったが、2005年10月31日をもって閉局された。
ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目)と比較的早いほうであった。ただ、MRTラジオについては、宮崎に電波割り当てがなされながらも開局の動きがなかったために、南日本放送(MBC、鹿児島県の放送局)が宮崎への中継局設置を計画していたところに、これを阻止するいう目的で開局している。
県境周辺では隣接県のラジオ局も受信できることがある。一例として、高千穂・えびの方面では熊本放送[64]が聴取することができる。
また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、鹿児島県の地方紙・南日本新聞ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。
スポーツ
宮崎県にホームタウンを置くスポーツチーム
宮崎県で開催されるスポーツイベント
- ビーチバレー:「ファイテンJBVツアー 霧島酒造オープン」。
- ゴルフ:「ダンロップフェニックストーナメント」(フェニックスカントリークラブ)
- 女子ゴルフ「LPGAツアーチャンピオンシップ」( 宮崎カントリークラブ)
- プロ野球教育リーグ「フェニックスリーグ」
参考文献
- 『宮崎の野菜史』 宮崎の野菜史編集委員会編・発行、2006年
- 『宮崎の野菜2009』 宮崎県農産園芸課野菜担当、2009年
- 『テレビ宮崎10年のあゆみ』 テレビ宮崎、1981年
- 『宮崎放送三十年史』 宮崎放送、1984年
脚注
- ^ 気象庁「観測所気象年報」「宮崎の気象100年」p155
- ^ 長津宗重「文化の曙」 坂上康俊・長津宗重・福島金治・大賀郁夫・西川誠『宮崎県の歴史』山川出版社 1999年 10-11ページ
- ^ みやざきの101人 - 宮崎県
- ^ 諸県郡から南諸県郡として分離。現在の志布志市・大崎町など。
- ^ 『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社、1983年)など。
- ^ 西南戦争時に鹿児島が都城を格下扱いとしたことへの反感が背景にある。
- ^ 県議会のあゆみ - 鹿児島県議会
- ^ 宮崎県企画局『宮崎県経済史』1954年
- ^ a b c d e f 宮崎県の紹介 - 宮崎県
- ^ 67年前の観光案内冊子発見 - 宮崎日日新聞(2007年11月25日付)
- ^ a b c みやざきゲンキTV - テレビ宮崎(2009年8月16日放送分)
- ^ 宮崎県の新しいシンボルキャラクターの愛称及びデザインを発表します! - 宮崎県、2011年11月11日。
- ^ 総務省統計局『平成21年平均消費者物価地域差指数の概況』等
- ^ 宮崎の野菜史 p.28
- ^ 宮崎の野菜2009 pp.66
- ^ 宮崎の野菜史 p.5, 8, 82, 141
- ^ 宮崎の野菜2009 p.3,66
- ^ 宮崎の野菜史編集委員会編・発行 『宮崎の野菜史』 p.58、2006年
- ^ 宮崎の野菜2009 p.4
- ^ 沖縄の観光戻税制度や、航空機燃料税の50%減額など。
- ^ 沖縄県と他県を結ぶ空路の航空運賃については、国内他県相互間の同一距離路線に比べて5,000円程度安い。 ※参考:平成19年度税制改正に関する要望 - 定期航空協会
- ^ [1] - 静岡県[リンク切れ]
- ^ 沖縄県はサンゴ礁によって波が減衰しない満潮時に限ってかろうじて波乗り可能であるが、砂が流失しないよう沖に沈められた消波ブロックによって波がない人工砂浜が多い。鹿児島県は、夏季に波が大きい太平洋に面したサーフスポットまでのアクセスが悪い。
- ^ JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり。
- ^ エアーニッポン、エアーネクストの機材・乗務員で運航する便あり。
- ^ 「目次・道路交通の現況 (PDF) 」『みやざきの道路2008』 宮崎県県土整備部、1頁。
- ^ 「高規格幹線道路 (PDF) 」『みやざきの道路2008』 9-10頁。
- ^ 「第3章 道路 (PDF) 」 - 県土整備行政概要(2008年6月) - 宮崎県県土整備部
- ^ 「地方道の整備 (PDF) 」『みやざきの道路2008』 15-16頁。
- ^ 宮崎日日新聞(2006年1月1日付)
- ^ 宮崎日日新聞の番組表は、2011年7月23日付まで(KTS 串間・三股 33)のようにアナログテレビ放送のチャンネル番号を掲載していた(えびの市は吉松中継局、都城市は末吉中継局、串間市と三股町は鹿屋中継局)。
- ^ 『五ヶ瀬町史』(1981年)。なお、宮崎日日新聞の番組表にはケーブルテレビで再送信されていないテレビ熊本が掲載されている。
- ^ ケーブルテレビを取り巻く現状 (PDF) 総務省、2007年10月5日。有線放送による放送の再送信に関する研究会第1回の配布資料。
- ^ 九州におけるケーブルテレビの普及状況(2009年6月24日) (PDF) 九州総合通信局。
- ^ CAB-J MEDIA DATA 2007 (PDF) 衛星テレビ広告協議会(公式サイト)。ただし、ケーブルテレビ・IP放送の合算。
- ^ 朝日新聞(1997年10月26日付、宮崎版)。同記事では、1997年9月末時点でパーフェクTV!(現・スカパー!)の加入率が2.09%で1位(2位は福井県で1.69%)であり、NHK-BSやWOWOWの加入率も上位に位置しているとしている。
- ^ 他には、福井県・山梨県・徳島県・佐賀県。なお、本県を含むこれらの県は放送局数が少ないことから、視聴率調査が行われる場合は統計学上、民放が3局以上ある地域と比較して高い数値が出ることになる。一例として、『世界まるごとHOWマッチ!!』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%だった(クイズ・ゲーム 高世帯視聴率番組 - ビデオリサーチ)が、宮崎地区においては1985年2月の調査(宮崎放送三十年史を参照)で47.9%であった。
- ^ 宮崎放送三十年史
- ^ 『五ヶ瀬町史』(1981年)および『椎葉村史』(1994年)。いずれも周縁地域であったため受信は困難であったが五ヶ瀬町では「熊本県知事の名前は知っていても、宮崎県知事の名前は知らない」時期がしばらく続いたという。椎葉村では西部で直接受信されており、中心部の上椎葉では1959年に熊本放送を受信するための共同受信組合が設立された。
- ^ 朝日新聞(1997年8月8日付、宮崎版)
- ^ 宮崎日日新聞(1993年4月21日付、1頁)
- ^ 朝日新聞(1993年4月21日付、夕刊8頁、西部本社版)
- ^ 宮崎県における一般放送事業者のテレビジョン放送用周波数の変更 - 郵政省(当時)、2000年9月6日
- ^ 東国原英夫のマニフェスト - 「宮崎どげんかせんないかんが」宣言!「今」の暮らしの充実化 - 東国原英夫後援会
- ^ 【宮崎県知事 東国原氏に聞く】 情報産業の振興、誘致に取り組む宮崎県 ソフトバンク ビジネス+IT(2008年3月27日)
- ^ 早大研究所、知事マニフェスト84点 「出来レース」と批判も - 宮崎日日新聞(2009年1月19日付) ※紙面記事では「テレビ局の増設」がC評価であることが記載されている。
- ^ 宮崎県諸塚地区、美郷地区及び椎葉地区の地上デジタルテレビジョン放送局に予備免許 - 九州総合通信局(2009年8月28日付)
- ^ 微小局の大部分とミニサテライト局。
- ^ 地上デジタル放送の置局計画では大規模中継局。
- ^ 朝日新聞(1997年11月21日付、宮崎版)に掲載の県情報システム課高度情報係の発言による。
- ^ ケーブルメディアワイワイのチャンネルガイド
- ^ 北郷村の有線テレビジョン放送施設に設置許可 - 九州総合通信局(1999年12月16日付)
- ^ サービス内容について - 美郷町公式ウェブサイト。
- ^ 夕刊デイリー新聞(2009年9月4日付、3面)
- ^ 有線テレビジョン放送施設の設置許可 九州総合通信局、2010年11月24日。
- ^ 広報ひのかげ (PDF) 2011年5月号、4頁。
- ^ 有線テレビジョン放送施設の設置許可 九州総合通信局、2010年12月3日。
- ^ 町広報高千穂 (PDF) 2011年6月号、12頁。
- ^ 『宮崎日日新聞』(2012年1月1日付の社長あいさつ)
- ^ BTV都城局における南日本放送・鹿児島テレビの再送信開始については、番組表『ピッキーちゃんねる』内で2010年に告知されている。
- ^ 『鹿児島地上デジタル放送及びデジタル市民チャンネル』放送開始のご案内(都城・日南エリアのみ) 2008年9月30日。「地上デジタルチューナー内蔵のテレビで視聴する場合は再スキャンが必要」とある。
- ^ 広報しいば2009年3月号 (PDF) 8頁。
- ^ 有線テレビジョン放送施設の設置許可 九州総合通信局、2009年9月30日。
- ^ サービスエリアと放送開始日 - 熊本放送
関連項目
外部リンク
先代 美々津県 都城県の一部(日向国) |
行政区の変遷 1873年 - 1876年 (第1次宮崎県) |
次代 鹿児島県 |
先代 鹿児島県の一部(日向国) |
行政区の変遷 1883年 - (第2次宮崎県) |
次代 ----- |