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2020年2月14日 (金) 22:19時点における版

両国駅
リニューアル後のJR西口(2016年12月)
りょうごく
Ryōgoku
地図
所在地 東京都墨田区横網一丁目
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細
東京都交通局駅詳細
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両国駅(りょうごくえき)は、東京都墨田区横網一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局都営地下鉄)のである。墨田区最西端の駅。

乗り入れ路線

JR東日本の総武本線支線、東京都交通局の都営地下鉄大江戸線が乗り入れ、接続駅となっているが、一番近い出口同士でも300メートル余り離れている。ちなみにJR線と大江戸線の乗換では御徒町駅上野御徒町駅浜松町駅大門駅の方が近接している。

  • JR東日本:JB 中央・総武線(各駅停車) - 駅番号「JB 21
  • 東京都交通局:E 都営大江戸線 - 駅番号「E 12

JR東日本総武本線の駅は、定期列車は緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車する。この他、千葉方面の快速線に接続している列車ホーム(後述)が存在するが、現在は臨時列車のみに使用される。

また、特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。

歴史

当駅は、千葉県方面への鉄道を建設した私鉄であった総武鉄道が1904年4月5日に「両国橋駅」として開業させた。総武鉄道は市川駅より東側の区間を先に開業させており、そこから西へ東京へ向かって順次建設を進めてきた。そして、本所駅(後の錦糸町駅)から両国橋駅までの区間が都心側で最後に開業した。この当時、本所から両国橋までの沿線はすでに市街地になっており、高架線とすることを条件に免許が出された。会社側は建設費のかかる高架線を避けようと、地上の線路に変更しようとする工作をしたが、結局煉瓦造りの橋脚の上に鉄桁を載せた形状の高架橋を約1.5 kmに渡って建設して開業することになった。これは日本の鉄道で最初の高架区間であった。当初は単線で開業したが、最初から橋脚は複線用に準備されており、1906年8月19日に複線化された。この高架橋の関係で、垂れ流し式のトイレからの汚物が沿線に被害を及ぼすことを避けるために、本所より西側ではトイレの使用が禁止されていた。

総武鉄道の力では隅田川を渡る橋を建設することが難しかったこともあり、両国橋駅は総武鉄道の都心側のターミナルとして機能するようになった。当初の駅舎建物は駅の西側に建てられており、木造2階建てで面積170坪(約562平方メートル)、建設費は約9,000円であった。また、脇に同じく木造2階建ての総武鉄道本社も建てられていた。プラットホームは全長212 mあり、その先の東側にも地下道を通じて亀沢町方面への出口が造られていた。隅田川からの運河が構内に掘られ、水運との連絡が行われるようになっていた。貨物営業は1904年9月1日に開始された。

また、吾妻橋駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)をターミナルとしていた東武鉄道亀戸線を建設して総武鉄道に乗り入れるようになり、両国橋駅は開業と同時に房総方面だけではなく北関東方面へのターミナルとしても機能するようになった。このために吾妻橋駅は一時廃止されるが、1907年9月1日に総武鉄道が国有化されて国鉄となったこともあり、1910年3月1日に吾妻橋駅を浅草駅に改称して旅客営業が再開され、3月27日に両国橋駅への東武鉄道の列車の乗り入れが廃止された。ただし、貨物列車については、1926年7月1日に小岩駅金町駅を結ぶ新金貨物線が開通するまで、東武亀戸線を経由して北千住駅で常磐線と連絡する運転が継続された。

1923年9月1日、関東大震災が発生した。駅舎は倒壊しなかったが、駅構内の機関車5両、客車94両、貨車48両が延焼により焼失した。[1]高架橋も大きな被害を受けて、復旧して運転を再開したのは10月9日のこととなった。バラック立ての仮駅舎を建設して暫定的に営業を行っていたが、増大する旅客・貨物需要を捌ききれなくなったため、1929年12月30日に新駅舎が営業を開始した。これは2012年現在供用されている駅舎である。この時点で行き止まり式の2面4線の構造となった。駅舎の面積は3,034坪(約10,030平方メートル)であった。当時は乗車口と降車口が分離されており、外から駅舎に向かって左側に乗車口、右側に降車口があった。内部には出札口、2等待合室、3等待合室、手荷物カウンターなどが設置されていた。

元々隅田川の両岸を両国(17世紀まで隅田川が武蔵国下総国の境界であったため)と称し、そこに架かる橋を両国橋と呼んでいたことから、橋の近くにある駅を両国橋と名付けたものであったが、次第に隅田川東岸のことを両国と称するようになった。駅名もまた、一般には単に両国駅と呼ばれることが多くなっていた。そこで、1931年10月1日に正式に「両国駅」へ改称した。

この頃、房総方面にあった全部で94の駅の中では、東京側のターミナルであった両国駅は乗降客数と収入の面ではぬきんでた1位であり、貨物取扱量も第2位であった。東京の鉄道駅の中では東京、上野、新宿、横浜、新橋に次ぐ第6位の取扱収入で、当時は渋谷や池袋などよりも収入の大きな駅であった。しかし、両国駅より西側の総武本線の建設が行われると、このターミナルとしての繁栄は次第に凋落していくことになった。

関東大震災で焼失した市街地の区画整理が行われたことで線路用地の捻出が可能となり、1932年7月1日に御茶ノ水までの線路が完成し、総武本線の起点が御茶ノ水に変更された。これにより両国は孤立したターミナルの状態を脱することになった。御茶ノ水と両国の間は電化されて電車が折り返し運転を行うようになり、房総方面への列車の乗換駅となった。これに合わせて、現在も使用されている1・2番線のプラットホームが整備された。地下道で従来の列車用ホームとの連絡がなされ、また電車用のプラットホームへ直接出入りできる改札口が高架下に設けられた。当初は両国より東側はまだ電化されていなかったので、房総方面へは両国駅での乗換を必要としていたが、それでも乗り換えだけの乗客は改札口を通過しないため両国駅の乗降客数や収入は大きく減じることになった。さらに電化が東へ進展して1935年7月1日に千葉駅まで完成すると、房総方面の列車が同駅で折り返すものが増え、次第に両国駅の列車ホームで発着する列車は減少していくことになった。特に第二次世界大戦後の石炭不足による蒸気機関車牽引列車の減少と房総方面が気動車化の重点線区とされたことで、当駅を始発・終着とする房総方面の列車は2往復まで減少することになった。

しかし外房線・内房線とも千葉から先はまだ非電化であり、1958年7月10日から気動車準急「犬吠」の運転が開始され、その始発・終着駅となった。さらに房総方面の準急・急行は増発され、一部総武緩行線経由で新宿方面へ乗り入れる列車もあったものの、多くの優等列車は当駅始発・終着とされた。これにより再び房総方面へのターミナル駅としての地位が高まることになった。特に毎年夏には房総への海水浴客を輸送するための臨時列車が多数設定されて両国駅の列車ホームは賑わった。後に列車ホームは電化された。

次の大きな転機となったのは、1972年7月15日の総武本線複々線化である。東京駅から錦糸町駅までの地下線で総武快速線が建設され、総武線の快速列車が東京駅へ直通するようになった。183系の特急がこの時より完成した東京地下駅から総武線、内房線、外房線に乗り入れを開始する。この線路は当駅構内の北側を通過してはいるが、地下から地上へ出てくるところにあり、また急カーブでもあることから、当駅にホームは設けられなかった。これにより総武快速線の列車は当駅に停まらなくなった。貨物営業も近隣の越中島駅などへ集約されることになり、物流拠点としての役目を終えた。この時点ではまだ房総方面への急行列車の一部など両国駅発着で残存していた[注釈 1]が、1982年11月15日のダイヤ改正により房総方面の急行列車は全廃され、特急「しおさい「あやめ」「すいごう」が1日1往復だけ当駅に発着する状態となった。1988年3月13日のダイヤ改正でこれらの発着も終了し、当駅は総武線各駅停車のみが停車する駅となって、現在に至っている。

一方、東京で進んでいた地下鉄網整備の中で、両国地域を通る路線は長く開業していなかったが[注釈 2]、2000年に都営大江戸線の駅が開業し、両国から地下鉄の利用が可能となった。

年表

  • 1904年明治37年)
    • 4月5日:総武鉄道のターミナル駅として開業[2]。当時は両国橋駅(りょうごくばしえき)と称す[2]。また、東武鉄道の列車も亀戸線経由で当駅に乗り入れ、東京側のターミナルとした[2]
    • 9月1日:貨物営業開始。
  • 1906年(明治39年)8月19日:本所までの区間が複線化。
  • 1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道の鉄道国有法に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる[2]
  • 1910年(明治43年)3月27日:東武鉄道の浅草駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)の営業再開により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止[2]
  • 1923年大正12年)
    • 9月1日:関東大震災で被災、駅舎焼失[2]
    • 10月9日:震災の被害を復旧し、運転を再開[2]
  • 1929年昭和4年)12月30日:新駅舎使用開始。
  • 1931年(昭和6年)10月1日両国駅に改称[2]
  • 1932年(昭和7年)7月1日:御茶ノ水駅までの電車線開業[2]
  • 1958年(昭和33年)7月10日:準急「犬吠」運転開始[2]
  • 1969年(昭和44年)
    • 8月20日:当駅発勝浦行き客221レ蒸気機関車による最終運用。これを最後に東京都23区内発着の蒸気機関車牽引による客車列車が全廃。(その後も貨物列車は翌年度まで存続)
    • 10月1日:貨物配達取扱を廃止。
  • 1970年(昭和45年)7月1日:貨物営業廃止。
  • 1972年(昭和47年)7月15日総武本線複々線化および東京 - 錦糸町間開業により総武快速線の運転開始[2]
  • 1982年(昭和57年)11月15日:この日のダイヤ改正により房総方面の急行が全廃され[2]、当駅列車ホームを発車する列車が激減する。特急「しおさい「あやめ」「すいごう」の各1往復が設定される。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[2]
  • 1988年(昭和63年)3月13日特急「あやめ」「すいごう」の乗り入れ終了。これにより、定期旅客列車では総武線各駅停車のみが停車する駅となる。
  • 1998年平成10年):「関東の駅百選」に選定される。選定理由は「鉄筋2階建ての駅舎で相撲とともに歩んだ下町の代表となる駅」。
  • 2000年(平成12年)12月12日:都営大江戸線の駅が開業。
  • 2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカードSuica」の利用が可能となる[広報 1]
  • 2007年(平成19年)3月18日:東京都交通局でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
  • 2008年(平成20年)11月29日:列車ホーム(3番線)の改修完了による使用開始。
  • 2010年(平成22年)3月12日:この日をもって新聞輸送列車の乗り入れ終了。3番線ホームの定期列車の発着がなくなる。
  • 2016年(平成28年)11月25日:両国駅旧駅舎を改装し、複合飲食施設「-両国-江戸NOREN」が開業。
  • 2018年(平成30年)1月6日:当駅発着のサイクルトレインBOSO BICYCLE BASE」が運行開始。同時に道路から改札を通らずに当駅3番線へ直接向かえる「B.B.BASE」専用通路の使用を開始[3]

駅名の由来

元来、両国とは両国橋を挟んだ隅田川の両岸を指す地名であった(隅田川西岸は日本橋両国)。しかし、総武鉄道は当初隅田川の東岸までの開通に留まったため、両国橋の東、東両国に両国橋駅を開業し、後に両国駅と改称した。駅名の影響に両国国技館の開設も加わり、現在では両国という地名は専ら両国橋の東の地域に対して用いられる。

駅構造

JRの駅は東西に出入口があり(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)、駅舎は高架下にある。ホーム横にはターミナル駅の面影を残す駅舎とホームが残されている。この旧駅舎コンコースを利用し、居酒屋チェーン「はなの舞」の独自業態「大江戸八百八町・花の舞 両国国技館前店」が営業していたが閉店(後に清澄通り沿い錦糸町方の高架下に「両国八百八町・花の舞 江戸東京博物館前店」として移転)。閉店後の旧駅舎を改装して2016年11月25日に複合飲食施設「-両国- 江戸NOREN」が開業した[4][5]

都営大江戸線の駅はJR駅の東側を通る清澄通り東京都道463号上野月島線)の地下に建設され、出口もその両側に設置されている。JR総武線と都営大江戸線の乗り換えはJR駅の東口から乗り換えるが、駅間がかなり離れている。

JR東日本

JR 両国駅*
3番線ホーム(2007年4月)
りょうごく
Ryōgoku
JB 20 浅草橋 (0.8 km)
(1.5 km) 錦糸町 JB 22
所在地 東京都墨田区横網一丁目3-20
北緯35度41分46秒 東経139度47分33秒 / 北緯35.69611度 東経139.79250度 / 35.69611; 139.79250 (JR 両国駅)座標: 北緯35度41分46秒 東経139度47分33秒 / 北緯35.69611度 東経139.79250度 / 35.69611; 139.79250 (JR 両国駅)
駅番号 JB 21
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 総武線(各駅停車)
(正式には総武本線支線)
キロ程 1.5km(錦糸町起点)
千葉から35.9 km
電報略号 レウ
駅構造 高架駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
39,862人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1904年明治37年)4月5日[2]
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
区 東京都区内
* 1931年に両国橋駅から改称。
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総武線各駅停車用の島式ホーム1面2線の電車ホームと、単式ホーム1面1線の列車ホームを有する高架駅である。電車ホームから一段低い高さに列車ホームがある。

千葉支社管轄の直営駅で管理駅として浅草橋駅を管理する。

近くに大相撲興行などが開催される両国国技館があることにちなみ、西口の駅入口にある駅名表示は根岸流の書体で「両国駅」と書かれ、西口改札横には優勝額が展示されている。また、西口改札を入ってすぐの所にはタイルの色が違う所があり、これはよく見ると土俵の形になっている[6]

のりば

番線 路線 方向 行先
1 JB 総武線(各駅停車) 西行 浅草橋秋葉原新宿方面[7]
2 東行 錦糸町市川西船橋方面[7]
3 団体・臨時ホーム(総武快速線千葉方面と接続)

1番線の案内の一部には、物理的に直通していない東京駅上野駅の表記があるが、両駅へ行く場合は秋葉原駅での乗り換えが必要となる。

3番線は「幻のホーム」とも呼ばれ、発着予定がない時期に飲食などのイベント会場とされることもある[注釈 3]。 なお、2018年1月にはサイクルトレインB.B.BASE」専用通路が整備され、道路から直接ホームにアクセスすることが可能となった[3]

当駅北側には、総武快速線・総武トンネルの入口がある。

列車ホームは、総武快速線東京駅(総武トンネル)開業前、長らく総武本線、成田鹿島線内房外房線などへの中・長距離列車の発着ホームで、東京都心のターミナル駅の一つとして機能していた。列車ホームへは西口または1・2番線ホーム中央にある乗り換え通路からしか入れず、通常は閉鎖されている。現在は定期列車としては回送列車が1日1本乗り入れる[注釈 4]のみで、その他は臨時列車が使用するのみとなっている。

列車ホームは当初は3-6番線の2面4線の櫛型形状であり、その北側に広大な留置線と貨物設備を有していた。総武快速線の建設に伴い6番線と留置線・貨物設備は廃止され、駅敷地も大幅に縮小された。この縮小部分には後に両国国技館および江戸東京博物館が建設されている。

JR発足当初は 特急あやめ」「すいごう」の発着があり、総武快速線の団体列車がここで折り返すことも多かった。また2010年3月12日までは、旅客以外の定期列車として内房・外房線沿線の新聞販売店や主要駅のキヨスク向けに夕刊を発送する新聞輸送列車が1日1本、3番線ホームから発車していた[8][9]。その後1988年(昭和63年)3月13日に特急列車の乗り入れが終了し、団体列車も東京トンネルの入線制限が緩和されたためにほとんどの列車が東京駅まで直通できるようになるなど、使用頻度は大きく減少した。

これらの利用縮小により1991年頃に5番線ホームが廃止され、1998年頃には4番線ホームも廃止、現在では3番線ホームのみとなっている。旧4・5番線は現在は保線基地となり、架線が撤去され列車が入線することができなくなった。なお、3番線ホームは2008年秋の観光キャンペーン「ぐるっと ゆめ半島ちば」を機に全面リニューアルされ、同年11月29日発の「快速 ぐるっと ゆめ半島1号」より使用が開始された[10]

なお、新宿方面から総武線千葉方面に乗り入れる特急などはすべて当駅の電車ホームを通過する。

2008年9月2日発車メロディとスピーカーが変更された。発車メロディは現在当駅のみで使用されている。

西口には、バリアフリー施設としてエスカレーターエレベーターなどを併設している。

東京都交通局

東京都交通局 両国駅
りょうごく
Ryogoku
(江戸東京博物館前)
E 11 蔵前 (1.2 km)
(1.0 km) 森下 E 13
所在地 東京都墨田区横網一丁目4-29
駅番号 E12[11]
所属事業者 東京都交通局都営地下鉄
所属路線 [11]大江戸線
キロ程 11.7 km(都庁前起点)
電報略号 両(駅名略称)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度-
35,313人/日
-2018年-
開業年月日 2000年平成12年)12月12日
備考 業務委託駅
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島式ホーム1面2線を有する地下駅である。副駅名は江戸東京博物館

のりば

番線 路線 行先
1 E 都営大江戸線 飯田橋新宿西口都庁前方面
2 門前仲町大門六本木方面

利用状況

  • JR東日本 - 2018年度の1日平均乗車人員39,862人である[利用客数 1]
  • 都営地下鉄 - 2018年度の1日平均乗降人員35,313人(乗車人員:17,698人、降車人員:17,615人)である[利用客数 2]
    • 開業前は1日あたり約5,000人の乗車人員が見込まれていたが、当初から予想を上回っており、2013年度には14,000人を越えた。

年度別1日平均乗降人員

近年の1日平均乗降人員は下表の通りである(JRを除く)。

各年度の1日平均乗降人員[統計 1][統計 2]
年度 都営地下鉄
1日平均
乗降人員
増加率
2003年(平成15年) 20,722 2.6%
2004年(平成16年) 21,192 2.3%
2005年(平成17年) 22,097 4.3%
2006年(平成18年) 23,955 8.6%
2007年(平成19年) 25,894 8.1%
2008年(平成20年) 26,789 3.5%
2009年(平成21年) 26,788 0.0%
2010年(平成22年) 27,318 2.0%
2011年(平成23年) 26,616 −2.6%
2012年(平成24年) 27,812 4.5%
2013年(平成25年) 28,702 3.2%
2014年(平成26年) 29,556 3.0%
2015年(平成27年) 31,472 6.5%
2016年(平成28年) 32,739 4.0%
2017年(平成29年) 33,839 3.4%
2018年(平成30年) 35,313 4.4%

年度別1日平均乗車人員(1900年代 - 1930年代)

各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。

年度別1日平均乗車人員
年度 総武鉄道 /
国鉄
出典
1904年(明治37年) [備考 1]1,785 [東京府統計 1]
1905年(明治38年) 2,230 [東京府統計 2]
1907年(明治40年) 1,773 [東京府統計 3]
1908年(明治41年) 3,247 [東京府統計 4]
1909年(明治42年) 3,127 [東京府統計 5]
1911年(明治44年) 2,936 [東京府統計 6]
1912年(大正元年) 2,699 [東京府統計 7]
1913年(大正02年) 2,511 [東京府統計 8]
1914年(大正03年) 2,548 [東京府統計 9]
1915年(大正04年) 2,381 [東京府統計 10]
1916年(大正05年) 2,534 [東京府統計 11]
1919年(大正08年) 4,437 [東京府統計 12]
1920年(大正09年) 5,310 [東京府統計 13]
1922年(大正11年) 7,052 [東京府統計 14]
1923年(大正12年) 7,990 [東京府統計 15]
1924年(大正13年) 9,020 [東京府統計 16]
1925年(大正14年) 9,224 [東京府統計 17]
1926年(昭和元年) 9,559 [東京府統計 18]
1927年(昭和02年) 10,163 [東京府統計 19]
1928年(昭和03年) 10,646 [東京府統計 20]
1929年(昭和04年) 10,448 [東京府統計 21]
1930年(昭和05年) 19,616 [東京府統計 22]
1931年(昭和06年) 10,624 [東京府統計 23]
1932年(昭和07年) 12,552 [東京府統計 24]
1933年(昭和08年) 13,480 [東京府統計 25]
1934年(昭和09年) 14,215 [東京府統計 26]
1935年(昭和10年) 15,128 [東京府統計 27]

年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)

年度別1日平均乗車人員
年度 国鉄 /
JR東日本
都営地下鉄 出典
1953年(昭和28年) 24,022

[東京都統計 1]
1954年(昭和29年) 24,265 [東京都統計 2]
1955年(昭和30年) 25,753 [東京都統計 3]
1956年(昭和31年) 28,268 [東京都統計 4]
1957年(昭和32年) 28,435 [東京都統計 5]
1958年(昭和33年) 29,172 [東京都統計 6]
1959年(昭和34年) 30,871 [東京都統計 7]
1960年(昭和35年) 32,745 [東京都統計 8]
1961年(昭和36年) 33,997 [東京都統計 9]
1962年(昭和37年) 36,707 [東京都統計 10]
1963年(昭和38年) 38,700 [東京都統計 11]
1964年(昭和39年) 41,081 [東京都統計 12]
1965年(昭和40年) 42,595 [東京都統計 13]
1966年(昭和41年) 42,470 [東京都統計 14]
1967年(昭和42年) 45,386 [東京都統計 15]
1968年(昭和43年) 45,838 [東京都統計 16]
1969年(昭和44年) 40,540 [東京都統計 17]
1970年(昭和45年) 39,638 [東京都統計 18]
1971年(昭和46年) 39,456 [東京都統計 19]
1972年(昭和47年) 38,584 [東京都統計 20]
1973年(昭和48年) 37,121 [東京都統計 21]
1974年(昭和49年) 37,775 [東京都統計 22]
1975年(昭和50年) 36,986 [東京都統計 23]
1976年(昭和51年) 38,282 [東京都統計 24]
1977年(昭和52年) 38,129 [東京都統計 25]
1978年(昭和53年) 36,795 [東京都統計 26]
1979年(昭和54年) 35,970 [東京都統計 27]
1980年(昭和55年) 34,715 [東京都統計 28]
1981年(昭和56年) 33,934 [東京都統計 29]
1982年(昭和57年) 33,156 [東京都統計 30]
1983年(昭和58年) 32,664 [東京都統計 31]
1984年(昭和59年) 33,326 [東京都統計 32]
1985年(昭和60年) 34,830 [東京都統計 33]
1986年(昭和61年) 34,877 [東京都統計 34]
1987年(昭和62年) 34,995 [東京都統計 35]
1988年(昭和63年) 35,833 [東京都統計 36]
1989年(平成元年) 36,488 [東京都統計 37]
1990年(平成02年) 38,641 [東京都統計 38]
1991年(平成03年) 40,956 [東京都統計 39]
1992年(平成04年) 43,721 [東京都統計 40]
1993年(平成05年) 47,441 [東京都統計 41]
1994年(平成06年) 44,649 [東京都統計 42]
1995年(平成07年) 43,639 [東京都統計 43]
1996年(平成08年) 43,386 [東京都統計 44]
1997年(平成09年) 42,041 [東京都統計 45]
1998年(平成10年) 41,619 [東京都統計 46]
1999年(平成11年) [JR 1]40,977 [東京都統計 47]
2000年(平成12年) [JR 2]40,892 [備考 2]7,518 [東京都統計 48]

年度別1日平均乗車人員(2001年以降)

年度別1日平均乗車人員[統計 2]
年度 JR東日本 都営地下鉄 出典
2001年(平成13年) [JR 3]39,106 9,403 [東京都統計 49]
2002年(平成14年) [JR 4]39,078 10,438 [東京都統計 50]
2003年(平成15年) [JR 5]38,826 10,667 [東京都統計 51]
2004年(平成16年) [JR 6]38,548 10,909 [東京都統計 52]
2005年(平成17年) [JR 7]38,047 11,288 [東京都統計 53]
2006年(平成18年) [JR 8]39,406 12,254 [東京都統計 54]
2007年(平成19年) [JR 9]39,811 13,106 [東京都統計 55]
2008年(平成20年) [JR 10]39,969 13,538 [東京都統計 56]
2009年(平成21年) [JR 11]39,371 13,488 [東京都統計 57]
2010年(平成22年) [JR 12]38,733 13,735 [東京都統計 58]
2011年(平成23年) [JR 13]37,926 13,384 [東京都統計 59]
2012年(平成24年) [JR 14]37,961 13,957 [東京都統計 60]
2013年(平成25年) [JR 15]37,996 14,384 [東京都統計 61]
2014年(平成26年) [JR 16]37,813 14,800 [東京都統計 62]
2015年(平成27年) [JR 17]38,901 15,769 [東京都統計 63]
2016年(平成28年) [JR 18]39,902 16,398 [東京都統計 64]
2017年(平成29年) [JR 19]39,768 16,949 [東京都統計 65]
2018年(平成30年) [JR 20]39,862 17,698
備考
  1. ^ 1904年4月5日開業。開業日から翌年3月31日までの計361日間を集計したデータ。
  2. ^ 2000年12月12日開業。開業日から翌年3月31日までの計110日間を集計したデータ。

駅周辺

大相撲の興行施設である両国国技館(上の写真の緑の屋根の建物)が駅の近くにあるほか、江戸時代には勧進相撲が執り行われた両国回向院が駅の南側にあり、相撲部屋や力士サイズの服を取り扱う洋品店などがあるなど相撲の街として全国に知られている。1909年竣工の旧・両国国技館[注釈 5]は回向院の境内にあったが、第二次大戦後の蔵前国技館使用期を挟んで、1985年に竣工した現・両国国技館は駅の北側に位置している。

駅北側には、国技館に隣接して東京都江戸東京博物館がある(江戸東京博物館にはJR駅より都営地下鉄駅の方が近い)。前述の通り、かつては貨物駅があり、総武快速線建設に伴い貨物駅が閉鎖された後には国鉄バスの東京自動車営業所(後のジェイアールバス関東東京支店)があったが、現在は江東区塩浜越中島貨物駅周辺に移転し、その跡地に両国国技館が建設されている。

国技館の北隣には旧安田庭園および刀剣博物館がある。庭園の西側には隅田川が流れ、川岸に首都高速6号向島線の高架が建設されている。同高速はほぼ南北に伸び、JR駅の西側で総武線の上を通る。

旧安田庭園の東側、江戸東京博物館の北側には2004年NTTドコモ墨田ビルという超高層ビルが竣工した。ここには「NTTドコモ歴史展示スクエア」というショールームがあり、過去のNTTドコモなどの携帯電話端末などを一堂に見ることができる。

旧安田庭園の北東側、NTTドコモ墨田ビルの北側、清澄通りと蔵前橋通りに面した角の一角には都立横網町公園がある。ここには関東大震災で多数の犠牲者を出した陸軍本所被服廠跡地で(震災当時は既に「跡地」であった)、都立公園の中でも慰霊を目的とした特異な存在である。敷地内には震災犠牲者や東京大空襲犠牲者などを祀る東京都慰霊堂や震災復興記念館、東京空襲犠牲者追悼碑などが建てられており、毎年3月10日(東京大空襲忌日)と9月1日(関東大震災忌日)には慰霊法要が営まれる。この横網町公園へはJR駅より都営地下鉄の駅の方が近い。

JR東口から南に向かって京葉道路国道14号)を越え、さらに南に少々入った辺りに本所松坂町公園吉良上野介の屋敷跡・忠臣蔵の討ち入りの舞台)がある。さらにその近くの両国公園には「勝海舟生誕の地」碑がある他、附近には江戸から明治期の著名人の足跡(芥川龍之介生育の地など)が数多くある。また、駅南東側一帯は池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」の主要な舞台になったことでも知られている。

JR西口から南側に向かうと、京葉道路との交点(両国二丁目交差点)の南側に再開発地域の複合ビル「両国シティコア」があり、内部に劇場「シアターΧ」(シアターカイ)が運営されている。旧・両国国技館はここに位置していた。シティコアの南側に両国回向院があり、そこからさらに南に進むと竪川首都高速7号小松川線の高架橋が東西方向へ伸びる。同高速は隅田川岸に作られた両国ジャンクションで6号向島線から分離しているが、当駅近辺には両路線とも出入口は設置されていない。

横網(駅北側)

両国(駅南側)

バス路線

最寄りのバス停留所は、JR西口、両国ビューホテル前付近の「両国駅前」、京葉道路沿いの「両国駅入口」、都営大江戸線の駅近辺、清澄通り上の「都営両国駅前」の3箇所であり、都営バス京成バス東武バスセントラル、セグラスツーリズムエージェンシーによって運行されている。都営バスの詳細は江東営業所江戸川営業所臨海支所の記事を参照のこと。

JR両国駅にバスが乗り入れたのは平23乙系統(現在の上23系統)の頃からである。その後、門33・錦27系統の両国駅行設定(その後錦27系統は全便が当駅までに短縮)墨38系統(東京都リハビリテーション病院行)の新設などによって様々な系統が乗り入れて来るようになる。しかし、ターミナルとしては中途半端であったことも影響して、平23乙系統は1990年11月には上37系統と経路交換のうえ上野松坂屋へ向かうこととなって当駅には来なくなり(上37系統は当駅ではなく隣の錦糸町駅に向かう錦37系統となる)、また、門33系統には豊海水産埠頭からの両国駅前折り返し便が設定され、草28系統も神田駅まで運行していたが、いずれも都営大江戸線の開業により廃止、草28系統も当駅までに短縮、両28系統となった。錦27系統はかつて京成バスと共同で運行していた。

一方、「都営両国駅前」停留所は都営大江戸線の開業に伴って改称されたものである。大江戸線の駅が開業する前までは「横網一丁目」、さらに墨田区役所が横網一丁目(現在の国際ファッションセンタービル一帯)から現在地(リバーピア吾妻橋)に移転するまでは「墨田区役所前」を名乗っていた。また、移動も頻繁に行われており、「横網一丁目」時代の停留所の位置は亀戸駅方面が国際ファッションセンター前(現在郵便ポストがある場所)、豊海水産埠頭前方面はそのほぼ向かい(たい焼き屋の斜め前)と、現在の場所よりもかなり北方にあった。

なお、「両国駅前」停留所はJRの駅よりさらに西にある。京葉道路を経由する両28・錦27両系統の錦糸町駅方面行へ都営大江戸線から乗り換える場合、「両国駅前」よりもA5出口から左に歩いて交差点を左折したところにある「緑一丁目」停留所が最寄りとなる。

2008年4月26日から2012年3月19日までは、観光路線バス「東京→夢の下町」(S-1系統)が乗り入れていた。

墨38系統は2015年3月31日をもって廃止され、墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」南部ルート が「国技館・水上バス乗り場」や「両国駅西口(回向院入口)」に停車するようになった。

両国駅前

両国駅入口

  • 錦27 - 小岩駅前行
  • 両28 - 葛西橋・臨海車庫行

都営両国駅前(京成バスは「都営両国駅(江戸東京博物館前)」)

国技館・水上バス乗り場

  • 墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」南部ルート - 弥勒寺前・墨田区役所方面

両国駅西口(回向院入口)

  • 墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」南部ルート - 弥勒寺前・墨田区役所方面

両国駅入口<京葉道路沿い>[注釈 6]

水上バス

その他

当駅周辺には国技館や相撲部屋等、相撲関連の施設が多いためか、駅の所在地名を「よこづな(横)」と誤解しやすいが、正しくは「よこあみ(横)」である。

隣の駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
JB 総武線(各駅停車)
浅草橋駅 (JB 20) - 両国駅 (JB 21) - 錦糸町駅 (JB 22)
東京都交通局(都営地下鉄)
E 都営大江戸線
蔵前駅 (E 11) - 両国駅 (E 12) - 森下駅 (E 13)

脚注

記事本文

注釈

  1. ^ 急行列車に使われる車両は165系急行用電車などの非ATC搭載車だったため、当時保安装置がATCだった総武快速線地下区間(東京方面)に入線することができなかった。
  2. ^ 隣駅の浅草橋駅には1960年に都営地下鉄浅草線(当時は都営1号線)が開業したが、城東地区の南北交通整備は優先度が下げられていた。
  3. ^ 例えば味の素冷凍食品が2017年7月14~28日に「ギョーザステーション」を開業。出典:「幻のホーム」JR両国駅3番線 期間限定のギョーザ店 味の素冷食、きょうから『日本経済新聞』朝刊2017年7月14日(東京面)
  4. ^ この列車は、津田沼駅方面から回送で当駅に乗り入れ、当駅で方向転換して錦糸町駅の留置線へ引き上げて留置される。
  5. ^ 戦後に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が接収し、その後は1982年まで日本大学講堂として使用されたが、翌1983年に解体された。
  6. ^ 最寄りの路線バス停留所は「両国駅入口」ではなく、「両国4丁目」となる。羽田空港 ⇔ 錦糸町駅・東京スカイツリータウン線の停留所新設について - 京浜急行バス(2019年3月12日リリース・これに大まかな地図が載っている)

出典

  1. ^ 内田宗治『関東大震災と鉄道』新潮社、2012年7月25日。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 26号 総武本線・成田線・鹿島線・東金線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月17日、16-19頁。 
  3. ^ a b "両国駅にあのB.B.BASEが登場!B.B.BASE車両展示イベントのお知らせ" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道千葉支社. 2017-12-22. 2018-1-6閲覧 {{cite press release2}}: |accessdate=の日付が不正です。 (説明) (PDF)
  4. ^ 『JR両国駅旧駅舎に「-両国- 江戸 NOREN」が誕生します! 』 - JR東日本千葉支社 2016年10月28日 (PDF)
  5. ^ 朝日新聞「日本酒 飲むなら東京産でしょ」売り込みの動き盛ん、「酒造」-オフィス街のビルで醸造(東京港醸造)、「小売」-都内10ヵ所の酒がずらり(都内にある酒造10ヵ所の酒を販売する「東京商店」が、JR両国駅舎内の商業施設「-両国-江戸NOREN」に2016年(平成28年)11月にオープンした)、「行政」-「酒どころ多摩」PR、2017年4月14日。
  6. ^ 「鉄道ファン」1991年8月号141ページより。
  7. ^ a b 駅構内図(両国駅)”. 東日本旅客鉄道. 2019年8月3日閲覧。
  8. ^ 『新聞専用列車、3月で幕 経費削減「時代の流れ」』 - 千葉日報、2010年2月9日
  9. ^ 『両国からの新聞輸送列車が廃止に』 - 交友社鉄道ファン』・railf.jp 2010年3月14日
  10. ^ 『両国駅臨時列車用ホームをリニューアルします!』 - JR東日本千葉支社 2008年11月10日 (PDF)
  11. ^ a b 東京地下鉄 公式サイトから抽出(2019年05月26日閲覧)
広報資料・プレスリリースなど一次資料

利用状況

JR・地下鉄の1日平均利用客数
  1. ^ 各駅の乗車人員 - JR東日本
  2. ^ 各駅乗降人員一覧 - 東京都交通局
JR東日本の1999年度以降の乗車人員
JR・地下鉄の統計データ
  1. ^ レポート - 関東交通広告協議会
  2. ^ a b 行政基礎資料集 - 墨田区
東京府統計書
東京都統計年鑑

参考文献

関連項目

外部リンク