ぎんざNOW!
ぎんざNOW! | |
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ジャンル | 情報バラエティ番組 |
監督 | 居作中一(ディレクター) |
出演者 |
せんだみつお 阿部敏郎 清水健太郎 ザ・ハンダース ラビット関根 小堺一機 近田春夫 ほか(こちらも参照) |
製作 | |
プロデューサー |
梅沢汎 青柳脩 |
制作 |
TBS オフィス・トゥー・ワン(一曜日担当) |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1972年10月2日 - 1979年9月28日 |
放送時間 | 後述参照 |
(30分枠時代第1期) | |
放送期間 | 1972年10月2日 - 1974年6月28日 |
放送時間 | 月 - 金曜 17:00 - 17:30 |
放送分 | 30分 |
(40分枠時代) | |
放送期間 | 1974年7月1日 - 1977年4月1日 |
放送時間 | 月 - 金曜 17:00 - 17:40 |
放送分 | 40分 |
(45分枠時代) | |
放送期間 | 1977年4月4日 - 1978年9月29日 |
放送時間 | 月 - 金曜 17:15 - 18:00 |
放送分 | 45分 |
(30分枠時代第2期) | |
放送期間 | 1978年10月2日 - 1979年9月28日 |
放送時間 | 月 - 金曜 17:30 - 18:00 |
放送分 | 30分 |
『ぎんざNOW!』(ぎんざナウ)は、1972年10月2日から1979年9月28日までTBSテレビ(以下、TBS)で生放送された、素人参加型の情報バラエティ番組である。司会のせんだみつおが大人気となったほか、後に著名となったお笑いタレントやミュージシャンが無名・素人時代に度々出演していたことでも知られている。
番組概要[編集]
関西のテレビ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)が深夜ラジオのテレビ化とも言われ、従来のバラエティ番組のスタイルを打ち破って高視聴率を得ていたことから、TBSも同様に若く勢いのある司会・出演者と素人を取り込んだ番組を企画した[注 1]。
番組名にもあるように、放送は東京都中央区銀座のサテライトスタジオ銀座テレサ(三越銀座店別館)[1][注 2]からの観客参加型番組で、初代司会も当時深夜ラジオのDJで人気のあったせんだみつおを起用した。番組開始時のアシスタントにはキャシー中島がいた。
番組開始当時は平日夕方は高視聴率が望めない時間枠であるとされていたが、中学生や高校生が帰宅後に見る番組としてヒットした。後に放送時間も拡大されたが、番組最晩年は『夕やけロンちゃん』のために再び30分に縮小された。
人気コーナーに「しろうとコメディアン道場」(以下、コメディアン道場)があり、ザ・ハンダースや関根勤に竹中直人、小堺一機などがデビューするきっかけともなった。
番組では、花王石鹸による「モコのラブヘアーインタビュー[注 3]」という生CMが有った。これは銀座テレサ近くを通る一般女性に、高橋基子[注 4]が毛髪に関するインタビューをし、最後に花王石鹸のヘアケア製品をプレゼントするものだった。
基本的に関東ローカルであったが、一時期、一部系列局[注 5]や秋田テレビ・山形テレビ・テレビ愛媛(いずれもフジテレビ系列[注 6])でも放送されていた。
2005年4月30日の24時から24時40分には、TBSテレビ開局50周年記念企画としてTBS系列のCS放送であるTBSチャンネルにおいて、単発の再放送が行われた[2][3][4]。また、2006年3月24日の26時から26時40分にも、TBSチャンネルで単発の再放送が行われた[5]。内容は、1977年の放送回で、サブタイトルは「しろうとコメディアン道場」。小堺一機が出演した「しろうとコメディアン道場チャンピオン大会」や同コーナーチャンピオンで結成されたグループ「ザ・ハンダース」のコントなどで構成された。
歴代放送時刻[編集]
期間 | 放送曜日 | 放送時間(日本時間) | 放送分数 | |
---|---|---|---|---|
1972.10.2 | 1974.6.28 | 月 - 金曜日 | 17:00 - 17:30 | 30分(第1期) |
1974.7.1 | 1977.4.1 | 17:00 - 17:40 | 40分 | |
1977.4.4 | 1978.9.29 | 17:15 - 18:00 | 45分 | |
1978.10.2 | 1979.9.28 | 17:30 - 18:00 | 30分(第2期) |
歴代出演者[編集]
司会[編集]
- せんだみつお(初代司会者。全曜日→1976年10月より月・水・金曜総合司会。1978年12月に体調不良により降板)
- 小清水勇(音楽評論家。洋楽・音楽情報コーナー担当を経て、1977年11月から1978年3月まで木曜(「ポップティーンPOPS」)総合司会)
- 近田春夫(木曜レギュラーを経て、1976年10月から1977年9月まで火曜(主に「フォークソングコンテスト」)パーソナリティーを担当)
- 松宮一彦(当時TBSアナウンサー。1976年10月から1979年9月まで火曜総合司会を担当)
- 吉村明宏(「素人コメディアン道場」出身。コーナー司会を経て、1976年10月から1977年10月まで木曜総合司会、1977年11月より金曜パーソナリティー→1978年12月より金曜総合司会を担当)
- ラビット関根(現在の関根勤)(「素人コメディアン道場」初代チャンピオン。コーナー司会を経て、1977年10月から火曜→月曜(主に「素人コメディアン道場」)パーソナリティー、1978年12月から1979年9月まで月曜総合司会を担当)
- 阿部敏郎(レギュラーを経て、1978年4月から1979年9月まで木曜総合司会を担当)
- 小堺一機(「素人コメディアン道場」出身。コーナー司会→金曜(のち水曜)パーソナリティーを経て、1978年12月から1979年9月まで水曜総合司会を担当)
アシスタント[編集]
- キャシー中島(初代アシスタント)
- ジェネミス(初代アシスタント。ブラジル育ちの双子姉妹)
- 荻野順子
- 太田裕美
- 長谷直美
- 三木聖子
- 北村優子
- 讃岐裕子
- 大場久美子
- 榊原郁恵
- 久我直子
- 岸本加世子
- 水野三紀(洋楽・ヒット情報(木曜)、「フォークソングコンテスト」(木曜)担当)
- ダンディー2(「コメディアン道場」出身の漫才コンビ、木曜「ポップティーンPOPS」の進行役)
- 小山セリノ
- ルーシー・ケント
- ほか
レギュラー[編集]
ラブヘアーインタビュー[編集]
その他[編集]
- ピピ&コット(木曜レギュラー)
- 生田敬太郎(木曜レギュラー)
- ALFIE(木曜レギュラー)
- キャロル(木曜レギュラー)
- リトル・ギャング(火曜レギュラー)
- 星正人(火曜レギュラー)withファンシーハウス
- 清水健太郎(木曜レギュラー)
- フィンガー5(月曜レギュラー)
- ずうとるび(月曜レギュラー)
- ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
- 豊川誕(木曜レギュラー)
- ザ・ハンダース(「コメディアン道場」チャンピオンで結成されたお笑いグループ。メンバーは3代の清水アキラ、5代の佐藤金造、7代のアゴ勇[注 7]、4代のアパッチけん、3代の鈴木末吉、小林まさひろ[注 8])
- 清水善三
- 田島真吾(木曜レギュラー)
- 川崎麻世
- 松岡憲治(木曜レギュラー)
- 浅井良二(浅井企画社長。「コメディアン道場」審査員)
- 小池聡行(オリコン創業者、ヒットチャート情報担当)
- MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ。メンバーの渡辺茂樹が一時番組の音楽監修を担当)
- オレンジペコ
- ハリマオ
- ほか
ゲスト[編集]
- 桑名正博(「哀愁トゥナイト」「サードレディー」などをバンド仲間とともに出演、熱唱)
- 竹中直人(素人時代、「コメディアン道場」に出場。第18代チャンピオン)
- 宇崎竜童
- キャンディーズ
- シャネルズ(デビュー前)
- サザンオールスターズ(「勝手にシンドバッド」を歌唱、この出演がテレビ初登場となる)
- ザ大和撫子(「コメディアン道場」第9代チャンピオン)
- 柳沢慎吾(素人時代、お笑いコンビ「てっちゃん・しんちゃん」を組んで「コメディアン道場」に出場。第19代チャンピオンとなる)
- 桂雀々(中学3年の頃、「花より団子」の芸名で「コメディアン道場」に出場。6代チャンピオンとなる[注 7])
- とんねるず(素人時代、「コメディアン道場」に出場)
- 宇都宮隆(高校生時代)
- 木根尚登(高校生時代)
- 片平なぎさ
- ジューク・ボックス
- 木之内みどり
- Alfie(シングル「夏しぐれ」でデビューして間も無く出演。後に「THE ALFEE」として大成する)
- メル・テイラー&ザ・ダイナミックス(ベンチャーズを一時離れていたメル・テイラーがジェリー・マギー、ボブ・スポルディングらと結成したバンド。当時「二つのベンチャーズが来日」と話題を呼んだ)
- BOWWOW(メンバーの斉藤光浩と新美俊宏は前身バンドDo.T.Doll時代も出演)
- つのだ☆ひろ(スペースバンド)
- 浅野ゆう子
- 団しん也
- 沢たまき
- ほか
制作スタッフ[編集]
- 構成(番組構成):リバーサイドウェイ(前期)、前川宏司(後期)
- プロデューサー:梅沢汎(TBS)[6]、青柳脩(TBS)、川越博、吉村隆一
- ディレクター:佐藤木生、居作中一[6]
- 制作協力:ホリ企画制作(前期)、映像企画(後期)
- 技術協力:東通
- スタジオ:銀座テレサ(三越銀座スタジオ)
- 制作:TBS、オフィス・トゥー・ワン(開始年より、一曜日担当)[7]
- 製作著作:TBS
備考[編集]
- この番組が生放送されていた「銀座テレサ」は、一時期『ロッテ 歌のアルバム』の収録や、テレビ東京『レディス4』の生放送などでも使用された。また次のTBS土曜正午枠バラエティ番組の生放送も行われた事がある[8](アナは当時)。
タイトル 放送期間 司会 その他の出演者 レッツゴー銀座 1976.10.09 1977.03.26 レツゴー三匹 ハッスル銀座 1977.04.02 1979.03.31 西田敏行、松崎しげる、林美雄アナ ハッスル夫婦 1979.04.21 1979.09.29 江利チエミ、佐野稔 実況:山田二郎アナ
アシスタント:キューピット、杉田美由紀
- オフィス・トゥー・ワンとしては、初めてテレビ番組制作に進出した番組である。
脚注[編集]
※一部、インターネットアーカイブへのリンクも含む。
注釈[編集]
- ^ なお、関西地区では腸捻転時代の朝日放送はもとより、1975年4月の腸捻転解消後も、毎日放送では一切放送されなかった。
- ^ 銀座三越の駐車場に隣接した三越別館2階にあった。TBSが同所の優先使用契約を結んでいたことから、基本的にTBSの番組で使われることが多かったが、一部東京12チャンネルの番組収録に使われることもあった。
- ^ 「ラブヘアー」は、当時花王石鹸のヘアケア製品「カオーフェザー」のCM最後のジングル「♪ラブヘアー カオーフェザー」から流用(1975年まで一部製品を除き使用していた)。
- ^ ニッポン放送『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』の初代パンチガール。
- ^ テレビ高知・テレビ山梨や放送当時フジテレビ系列・NET→テレビ朝日系列(後者は1978年9月まで)とのクロスネット局だったテレビ山口でも放送。
- ^ 山形テレビは放送当時、NET→テレビ朝日系列(1975年4月 - 1980年3月)とのクロスネット局だった。
- ^ a b 『コサキン漫画 ヤギ』(#関連書籍参照)ではアゴ勇が6代として明記されたが、アゴの公式プロフィールでは7代となっている。また、ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』2002年5月8日放送分で桂雀々(「コメディアン道場」では「花より団子」として出演)がゲスト出演した際に雀々が「6代チャンピオン」として紹介された。
- 参考リンク(雀々が出演した『コサキンDEワァオ!』2002年5月8日放送分について記述)…『帰ってきたコサキン年表』(2002年4月から6月放送分) Archived 2010年9月16日, at the Wayback Machine. ※リンク先作者は、同番組公式書籍『コサキンのシュポ本』(2002年11月、興陽館発売。ISBN 4877231382)にも制作協力しており、同書籍内「コサキン年表」でも掲載している。
- ^ 『コサキン漫画 ヤギ』掲載の「素人コメディアン道場歴代チャンピオン一覧」では、番外として扱われている(「ありがとうの小林クン」と明記)。
出典[編集]
- ^ 『月刊民放』1972年12月号(19)、コーケン出版、23頁、NDLJP:3470881/13。
- ^ 4月のイチ押し番組(2005年) ※インターネットアーカイブ2005年3月28日付保存キャッシュ
- ^ TBSチャンネル2005年4月番組表(PDFファイル) ※インターネットアーカイブ2005年11月11日付保存キャッシュ
- ^ TBSチャンネル週間番組表(2005年4月25日 - 5月1日) ※インターネットアーカイブ2005年4月19日付保存キャッシュ
- ^ 放送を告知していた当時のTBSチャンネルウェブサイト内番組情報ページ ※インターネットアーカイブ2006年2月19日付保存キャッシュ
- ^ a b 外部リンク(TBSチャンネルの番組情報ページ)を参照。
- ^ オフィス・トゥー・ワン沿革 ※オフィス・トゥー・ワンのウェブサイトより。
- ^ 『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1976年10月9日 - 1979年9月29日。ラジオ・テレビ欄
関連書籍[編集]
- せんだみつお『ナハ』 東京書籍、2002年 ISBN 4487797144
参考書籍[編集]
- TBSラジオ「スーパーギャング」編『コサキン漫画 ヤギ』(日音、1989年9月15日 ISBN 4543025253) - P122に「ぎんざNOW 素人コメディアン道場 歴代チャンピオン一覧表」を掲載(28代まで。ただし、資料が残っていないため、初代 - 6代・9代・17代以外はアゴの7代・竹中の18代・柳沢の19代を含め空白となっている。また、6代が花より団子ではなくアゴ勇となっており、小林は番外に「ありがとうの小林クン」として明記された)。プロデューサーを務めた青柳(発行当時、TBSラジオ情報制作局長)の写真・名前も掲載。
外部リンク[編集]
TBS 平日 17:00 - 17:15枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ぎんざNOW!
(1972年10月 - 1977年4月) |
||
TBS 平日 17:15 - 17:30枠 | ||
再放送枠
(17:00 - 17:30) ※直前は『サスケ』 |
ぎんざNOW!
(1972年10月 - 1978年9月) |
|
TBS 平日 17:30 - 17:40枠 | ||
ぎんざNOW!
(1974年7月 - 1979年9月) |
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TBS 平日 17:40 - 18:00枠 | ||
ぎんざNOW!
(1977年4月 - 1979年9月) |
再放送枠
(17:30 - 18:00) 【最初は『コメットさん(新)』】 |