野村沙知代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
のむら さちよ
野村 沙知代
別名義 伊東 芳枝(出生名)
生年月日 (1932-03-26) 1932年3月26日
没年月日 (2017-12-08) 2017年12月8日(85歳没)
出生地 福島県西白河郡西郷村
死没地 日本の旗 日本 東京都目黒区
血液型 B型
職業 タレント
配偶者 アーヴィン・エンゲル (1957年 - 1976年
野村克也1978年 - 2017年
著名な家族 ダン野村(長男)
ケニー野村(次男)
野村克則(三男)

野村 沙知代(のむら さちよ、1932年昭和7年)3月26日 - 2017年平成29年)12月8日)は、日本タレント。夫(後夫)は元プロ野球選手プロ野球監督野村克也。出生名は伊東 芳枝(いとう よしえ)であり、沙知代に改名したのは1976年だが、本記事では便宜上、改名前の事項も「沙知代」と表記する。

愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で中居正広と共演した際に中居から「サッチー」と名付けられたという。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京都千駄ヶ谷[1]血液型はB型。

人物[編集]

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1932年3月26日、福島県西白河郡西郷村で伊東巳之吉の長女として生まれる。父の巳之吉は都営バス運転手で、一家は東京都荒川区南千住に住んでおり、沙知代もこの地で幼少期を過ごした[2]1944年に第二瑞光国民学校初等科(現:荒川区立第二瑞光小学校)を修了したが、1945年2月25日の空襲で自宅が焼失したため、一家は東京を離れて西郷村の隣の白河町(現:白河市)に移り住み、終戦後も白河で生活した[3]

白河第一国民学校高等科を卒業後、電電公社に電話交換手として就職。しかし、この仕事をしていた時にミスコンに出場し、「ミス白河」に抜擢され優勝した事をきっかけに地元新聞に写真入りで紹介されているという。これを機に電話交換手の職を退職し、東京へと舞い戻り、しばらくは実家と音信不通の日々を送るようになる。その後しばらくしてから、家族に手紙を送ったり、妹や弟を第一ホテルに呼び寄せては米兵からもらったチョコレートコーラを与えたり、学費の援助もしていた。東京での住まいや生活の子細などは家族に明かさなかったというが、弟の信義によれば、沙知代の服装や化粧、持ち物、更にその収入を見ればパンパンをしていることは明らかであり、米兵に肩を抱かれてホテルの周りを闊歩する沙知代に遭遇することもあったという。

1957年4月、米軍将校として来日していた東欧ユダヤ系アメリカ人のアーヴィン・エンゲルと結婚し、同年5月に長男・ダン (野村克晃)、1959年2月に次男・ケニー (野村克彦)を産んだ。

野村克也との出会い[編集]

1970年8月、南海ホークスの選手兼監督であった野村克也は、18日から20日に後楽園球場で開催される対東映フライヤーズ戦のために上京。宿泊先の原宿のホテルに程近い行きつけの高級中華料理店を訪れた際に、沙知代と相席になり一緒に食事を取りながら談笑した。これが二人の出会いであるという[4]。それからしばらくして沙知代は克也と愛人関係になり、1972年頃には克也は本妻と別居状態になった。後に沙知代は衆議院議員に立候補した際に自身の経歴について虚偽の内容を公表していたとして東京地方検察庁に告発されたが、その際の調査では克也との「事実婚」の状態が1972年には既に認められるとされた。この時点では克也の婚姻関係のみならず、沙知代自身のアルヴィンとの婚姻関係も解消されていなかったことから、両者はダブル不倫の状態であった。

克也はこの愛人関係について、自分が沙知代と知り合った1970年の時点で、既に本妻の方が他の男と不倫をしており、さらにはお嬢様育ちで浪費癖が酷かったため、本妻に対して離婚を要求し別居していたと主張しているが[5]、これに対して克也の長男(本妻との間の子)は、父の克也が突然自宅に帰ってこなくなったのは1973年頃であること、母(本妻)は大人しく家庭的な人で料理等の家事もきちんとこなしていたと証言しており[6]、沙知代の実弟・信義もこの長男の証言内容を全面的に認めている[7]

克也が自宅へ戻らなくなった頃、克也のチームメイトであり親友でもあった広瀬叔功が忠告したが、克也は広瀬の忠告を聞き入れず、逆にこれ以降広瀬を疎んじるようになった。広瀬は自著で沙知代について「球場へ出入りするなどしたことも私は快く思っていなかった。以心伝心というものか、彼女も私が嫌いだったのだろう。用兵にまで口出したかどうかは知らないが、73年頃から私の出番は確実に減っていった」と述べている[8]

1973年7月23日には、克也との間に男児(克則)が誕生したが、克也は当初、克則を認知しなかったため、沙知代は克則を実父・巳之吉の養子にしようとしたという[9](翌1974年6月に克也は克則を認知)。この頃から、後の沙知代は、愛人という立場から克也が監督を務めるプロ野球球団・南海ホークスのチーム運営に口を出すなどの行為が目立つようになり、選手たちからは不満が渦巻くようになった[10]門田博光には「野村の方針に文句を言うな。文句を言うなら試合で使わないわよ」と電話で言ったという[11]大阪球場(南海の本拠地)に電話かけてきて「なんであんな選手を使ってるの!」、「コーチを出しなさい」などと怒鳴り、「選手起用が悪いからバッティング・コーチを電話口に呼び出せと」と言い[12]、「えらいこと言うオバハンやな」、「公私混同でひっかきまわないでくれや」と選手もウンザリしていたという[12]。1975年シーズン終了後沙知代の公私混同っぷりに不満に拍車がかかっていた選手達が選手会で緊急会合をもち「野村監督に忠告しよう」と決議し最後まで残った江本孟紀西岡三四郎藤原満の3人が大阪のホテルで克也に直談判したという[12]。江本は、「ちょうどサッチーがグラウンド内の事にも口出すようになった頃で、僕が「監督、ちょっと頼みますよ」って進言したんです。その時は「気をつけるわ」って言ってくれたんですけど、(1975年の)オフにトレードに出されちゃった。」と話している[13]

1976年5月にアルヴィンとの離婚が成立。8月には「芳枝」から「沙知代」へと改名した。沙知代は監督室に出入りしたり、コーチ会議に口をはさんだり、自らがつくった私的な会に選手夫人の参加を強要したりするなどし、克也は1977年シーズン2試合残して公私混同を理由に解任された[14]。沙知代の死後、克也は「結婚したら采配に口出して来て、私がいない間にコーチや結果を残せない選手にしっかりしなさいと言っていたみたい。私も止められなかった」と沙知代の介入があったことを認めた[15]

1978年1月に克也と本妻の離婚が成立すると、同年4月19日に克也と再婚。ダンとケニーの二人も沙知代と共に克也の籍に入り、野村姓を名乗るようになった。克也と南海時代から師弟関係にあった高畠康真は、後に克也のヤクルト監督就任に伴ってコーチに就任したが、1年で辞任し、「相変わらず夫人の介入もありましたし」と語っていた[16]。また、古田敦也について「(夫が)ヤクルトの監督を辞める時、古田くんは『お世話になりました』の一言だけ。(略)古田くんを夫は愛弟子のように育てていましたが、息子(カツノリ)は育てられないのかと非常に不満でした。やっぱり古田くんは殺してやりたい[17]」と発言したり、1998年1月には、ハワイで神田うの(以前に石井一久と交際していた)を殴打する騒動を起こすなど[18]、ヤクルト時代も沙知代の行状は改まらなかった。

衆院選立候補と詐称容疑[編集]

1996年平成8年)、沙知代は第41回衆院選に、新進党公認候補として、東京5区比例東京ブロックから重複立候補した。

選挙結果は落選(小選挙区で次々点、比例で次点)であったが、選挙後の1999年(平成11年)7月、選挙公報などに虚偽の経歴を公表していたとして、沙知代について公職選挙法違反(虚偽事実公表罪)で、計7件の告発が東京地方検察庁にされた。虚偽とされた内容は、「コロンビア大学留学」、「1972年に野村克也と結婚」などの記載で、告発者は女優・浅香光代らであった。検察若狭勝検事と捜査員が、現地コロンビア大学で調査したところ、大学の事務当局には当時の留学生の学籍原簿や単位認定記録等自体が残っておらず、経歴詐称の証拠は得られなかった。また、婚姻歴については、息子・克則の誕生日から逆算し、1972年当時には克也と事実婚の状態であったと認定された。これらの事実を受け、本件は全件7件のすべてが、嫌疑不十分により不起訴とされた[19]。しかしながら沙知代はその後、選挙結果に伴って生じていた繰上げ当選の権利を辞退する意向を示した。

この学歴詐称の疑いについては先に、テレビ番組 『ザ・ワイド』(日本テレビ・読売テレビ)が取材し、同大学の同窓会による卒業生名簿に、該当する名前がないことが判明していた。また、週刊誌の取材を受けた沙知代は、「読売読売ジャイアンツ)の陰謀」、「コロンビア大学ではなく、コロラド大学に留学した。間違えたのは編集部のミス」などと答えるなど[20]、曖昧で非合理な対応に終始していた。英語を流暢に喋る沙知代に克也が「どこで英語覚えたの?」と質問すると「コロンビア大学」と答え、親は社長していると発言していたが克也によると実家は農家で両親を克也に一度も合わせなかった[21]

サッチー騒動[編集]

1999年(平成11年)、共演した舞台における確執に始まる女優浅香光代とのバトル、批判合戦が、長期に渡ってワイドショーなどで繰り広げられた。これには、「アンチ野村沙知代派」、「野村沙知代擁護派」などとして、複数の芸能人、著名人らが連日の舌戦に参加、マスメディアは格好のネタを提供することとなった。

脱税事件[編集]

沙知代は2001年(平成13年)12月、約5億6800万円の所得を隠し、法人税所得税、合計 2億1300万円を脱税したとして、法人税法違反(脱税)などの疑いで東京地検特捜部に逮捕された[22]。沙知代の勾留期間は、起訴される後までの23日間に及んだ。当時プロ野球・阪神タイガースの監督を務めていた夫・克也は翌シーズンも続投が決まっていたが、この事件の発生を受けて沙知代の逮捕直後に監督を辞任した[23][24]。克也は「嫁の問題で監督を2度もクビになっているのは世界中探しても私ぐらいだろう」と述べている[25]。また、沙知代のこの逮捕を受け、先述の「ミッチー・サッチー騒動」は世間的には浅香側の勝利という形で収束した。

翌年3月に行われた初公判で、沙知代は起訴事実を全面的に認め[26]、沙知代本人に対しては懲役2年・執行猶予4年、罰金2100万円(求刑・懲役2年、罰金2600万円)、経営していたノムラとディーアンドケイーの2社に対しては、罰金3200万円(求刑・罰金3900万円)(罰金総計5300万円)の、それぞれ有罪判決が出された[27]

この公判の中で沙知代は「今後、芸能活動はしない」と語ったが、その後芸能界復帰を果たしている。

この事件の発覚には、前夫とのあいだの二男ケニー(克彦)が大きな役割を演じていた。母親の逮捕・起訴前にケニーは、本件について母親から自分にかかってきた口止めを求める電話の録音テープなどを捜査当局やマスメディアに提供、これが事件の立件に繋がったのである[28]。母親の有罪判決を受けてケニーは、自分の執筆した告発本[29]が母(野村沙知代)を追いつめたことに寄与したとして、「正義が勝った」との感想を述べた[30]

少年野球チーム[編集]

沙知代はかつて、少年野球チームリトルシニア)「港東ムース」(後に解散)のオーナーを務めていた[31]。このチームにはG.G.佐藤、ごく短い期間だが井端弘和が在籍していた。佐藤について沙知代は「日本一になったときのメンバーですから、そりゃあもう、かわいがりましたよ。張り飛ばして、ぶっ飛ばして育てたんですから」と語っている[32]

ケニーは、後に自身の妻となった女性の息子がかつて同チームを退団し、その後の野球人生を沙知代に潰されたことを自著で明らかにしており[29]、これはその後の親子絶縁の一因ともなった。また、2001年(平成13年)に発覚した脱税事件では、沙知代が親らから集めた金を所得申告していなかったことも指摘されている[28]

晩年[編集]

有罪判決の翌年となる2003年(平成15年)1月、それまでメディア出演が無くなっていた沙知代は、『サンデージャポン新春SP』(TBS)で、テレビ出演に復帰した。翌年11月には、『クイズ!ヘキサゴン』(フジテレビ)に出演、また、『世界絶叫グランプリ』(同)では、全米の超恐怖と言われる4大マシーンを、表情変えずに完全制覇する姿が放送された。

2005年(平成17年)8月3日、20歳若返り美容整形手術を、同年10月末に行うとの記者会見を開いた。

週刊新潮』は2010年(平成22年)6月、同年の大相撲夏場所4日目に、沙知代が「砂かぶり」席で暴力団組長の妻と談笑しながら観戦していたことを報じた。これに対して沙知代は「隣にいた女性は全く見知らぬ人であり、記事は暴力団と密接な関係にあるとのイメージを与え著しく名誉を傷付けた」として、同誌の発行元である新潮社を相手取って、3300万円の損害賠償請求訴訟東京地方裁判所に提訴した[33][34]

その後、体力の衰えや話す内容がまとまらなくなるなど徐々に老化が始まり、2011年(平成23年)以降沙知代は死去するまで公の場に姿を現すことはなかった。晩年まで沙知代の介護をしていたのは克則の妻・有紀子で、「日本一勇気ある嫁」と揶揄されたものの沙知代と共著2冊を出すなど関係は良かったという[35]

2017年12月8日、沙知代はこの日朝食を一口しか食べなかった。その後、夫・克也の呼びかけにも反応しなくなり、14時30分頃に心肺停止の状態で目黒区内の病院に緊急搬送されたが、同日16時9分に虚血性心不全のため死去した。克也によると、死去前日の12月7日には東京都内のホテルに出掛け、夫婦で夕食を共にしていたという[36]。85歳だった。[37][38][39]。 戒名は「惠光院愛絆咲沙大姉」[40]

没後[編集]

2018年1月25日王貞治高須克弥らを発起人として都内のホテルでお別れの会が開かれ、克也のかつての部下である古田敦也をはじめとする球界関係者をはじめ、萩本欽一中村玉緒など著名人およそ1000人が参列した[41]。克也の悲しみは深く[42]、報道陣の前で涙を見せる様子もあったが、多くの参列者が集まったことに感謝の意を示した[43]

克也は同年2月16日放送のTBSテレビ情報バラエティ番組爆報! THE フライデー」に出演し、沙知代死去直前の様子などを語った[44]。その中で克也は、沙知代が自分に語った過去の経歴や家庭環境などの「履歴は100%、全部ウソでした」と告白[45][46]、沙知代が自分に全部嘘を言っていた、と明かした。克也はまた「ウソをついてでも自分と結婚したかったのだろう。愛情の変換でそうなったんじゃないのかな、と取った」と語った。克也の証言により、沙知代の実弟信義や前夫との子ダンとケニー、浅香光代らを巻き込んだ沙知代の経歴に関する騒動は一応の決着を見ることになった。

家族[編集]

前夫との間にもうけたダンケニーは、1978年に後夫の克也と再婚した際に沙知代の子供として共に克也の戸籍に入ったものの、両名共に沙知代と確執があり一時絶縁関係となった(ただし、義父の野村克也とは絶縁していない)。前夫のアーヴィンは1979年自殺した[47]。父の巳之吉はアーヴィンの為に戒名をもらってその位牌を自家の仏壇に安置し、日々供養を欠かさなかったという[48]

次男のケニーは2001年(平成13年)、母・沙知代との決別の書たる暴露本を著したが[29]、2005年に克也立会いのもとで和解した[49]

ダン、ケニー、克則の3人はその後結婚して子供も授かったため、沙知代には孫が数人いる。このうち、ケニーの娘と克則の息子は野球界に携わっており、前者はロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム球団職員の野村沙亜也[50]、後者は星槎国際高等学校湘南学習センターの野球部に所属している野村忠克である[51]

著作[編集]

  • 『きのう雨降り今日は曇りあした晴れるか』 (潮出版社1985年
  • 『叱ってしつける ほめて育てる - 野村沙知代の親子塾』 (海竜社1991年
  • 『女は賢く妻は可愛く』 (海竜社、1993年
  • 『猛母猛妻』 (扶桑社1996年
  • 『あなた、男の鑑定できますか - チェックポイントは、この17カ所』 (クレスト社、1997年
  • 『夫婦をみがく33の秘訣 - 夫婦のあり方、この組み合わせの妙』 (成美文庫1999年
  • 写真集 『Stay Young Forever - 野村沙知代』 (ナイタイ2000年)プロデュースは高須基仁。高須曰く「返品率が9割を超え、今まで412冊の写真集を作ったがワーストワン。私の人生最大の汚点と言ってもいい」[52]
  • 『I am サッチー - 挑発~沈黙の200日』 (バウハウス、2000年)
  • 『どうすれば、言いたいことが言える自分になれるか?』(アスキー2001年)※テリー伊藤との共著
  • 『サッチーの母親学 - 母稚園』 (ぴいぷる社、2001年)
  • 『悪妻こそ、良妻』 (廣済堂出版、2001年)※野村有紀子(克則の妻)との共著
  • 『日本一勇気ある嫁』 (モッツ出版、2001年)※野村有紀子との共著
  • 『あなたに伝えたい - 眞由ちゃんは見ていた』 (北水、2001年)※絵:ほんままさえ
  • 『NORA - 老犬は去り行くべきか…野良たちの選択』 (東邦出版2004年)※絵:優亞
  • 『野村セオリー - 絆』 (海竜社、2006年)※野村克也との共著
  • 『老疼の雫』 (文藝春秋2008年
  • 『新・冠婚葬祭入門』 (祥伝社新書、2009年
  • 『夫の転がし方』 (角川書店2011年
  • 『女が人生を前向きに生きるための「明日じたく」』(大和書房2014年

参考文献[編集]

  • 伊東信義『姉野村沙知代』(ラインブックス、1999年)
  • ケニー野村『グッバイ・マミー 母・野村沙知代の真実』(新潮社、2001年)
  • 広瀬叔功『南海ホークス ナンバ栄光と哀しみの故郷』(ベースボール・マガジン社、2014年)
  • 野村克也『ありがとうが言えなくて』(講談社、2019年)

メディア出演[編集]

テレビ番組[編集]

その他ゲスト出演多数。

CM[編集]

過去に出演したのも含む。

  • 高須クリニック - 沙知代逝去後の2017年12月末には、彼女の出演していたCM映像の最後に「野村沙知代さんのご冥福をお祈りいたします」という追悼テロップが挿入されたCMが放送された
  • KINCHO「タンスにゴン」
  • 永谷園あさげ
  • としまえん(水着姿を披露して話題になった)
ほか多数。

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://fenterprise.jp/company.html
  2. ^ 『姉野村沙知代』29頁
  3. ^ 『姉野村沙知代』33-34頁
  4. ^ 『プロ野球「毎日が名勝負」読本』(彩流社)
  5. ^ 『ありがとうを言えなくて』61-63頁
  6. ^ 『週刊文春』1999年6月3日号、26-30頁
  7. ^ 『姉野村沙知代』153-155頁
  8. ^ 『南海ホークス ナンバ栄光と哀しみの故郷』73-74頁
  9. ^ 『姉野村沙知代』142頁
  10. ^ 偉大なる月見草・野村克也の人生 - 圧倒的な才覚で野球と向き合った波乱の54年 『週刊ベースボール・タイムズ』 株式会社スクワッド Vol.033 2008年12月3日/10日合併号 p40
  11. ^ 実の息子からも恨み節、写真集は“返本率9割” 「野村沙知代さん」猛女伝説,週刊新潮 2017年12月21日号掲載
  12. ^ a b c 江本孟紀著、野球バカは死なず、文藝春秋、P156-P158、2018年
  13. ^ 週刊文春2018年6月28日号『阿川佐和子のこの人に会いたい』第1216回、プロ野球解説者、江本孟紀、138頁
  14. ^ 波乱万丈 野村克也【4】監督解任、南海を去る 時事通信
  15. ^ 週刊現代2019年4月13日号、169頁、野村克也、亡き妻の墓前にて-最愛のサッチーを忘れられず・・・
  16. ^ 門田隆将著、甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 (講談社文庫)、2008年、P304
  17. ^ 経歴詐称の野村沙知代「古田を殺してやりたい」との暴言も,90チョベリー,2016年3月24日
  18. ^ 野村沙知代さん急死 98年には「うのビンタ騒動」デイリースポーツ、2017.12.09.
  19. ^ 平成11年10月1日
  20. ^ 週刊誌『フォーカス』の取材
  21. ^ 週刊現代2018年11月10日号、140頁、野村克也「沙知代よ、君がいない毎日はつまらなくて」
  22. ^ 平成13年12月5日 逮捕
  23. ^ 野崎勝義著、ダメ虎を変えた! ぬるま湯組織に挑んだ、反骨の11年、朝日新聞出版、2011年、P88
  24. ^ 2014年3月29日スポーツニッポン広澤克実の我が道29」より
  25. ^ 週刊ベースボール 2017年12月25日号、P96
  26. ^ 東京地方裁判所 平成14年3月19日 即日結審
  27. ^ 東京地方裁判所 平成14年5月1日
  28. ^ a b Sachiyo Nomura arrested in tax probe Japan Times Online Dec-6-2001, Retrieved on Aug-27-2010
  29. ^ a b c ケニー野村 『グッバイ・マミー - 母・野村沙知代の真実』 新潮社 2001年
  30. ^ スーパーJチャンネル』 テレビ朝日 報道
  31. ^ 赤坂、恩師・野村監督との再会に気持ち新た 中日スポーツ 2009年6月23日
  32. ^ スポーツ報知、2008年8月24日
  33. ^ 『「極道」&「極道の妻」と砂かぶりで相撲を観戦した参院候補「エモヤン」と昔の衆院候補「野村サッチー」』 週刊新潮 2010年6月10日号
  34. ^ 野村沙知代さん、週刊新潮を提訴 名誉棄損で 共同通信 2010年6月11日[リンク切れ]
  35. ^ フライデー2018年4月27日号ノムさんボヤいた、野村克則日テレ美人ディレクターとバンキシャ!不倫、23頁
  36. ^ 野村沙知代さん、病院検査で心臓の強さに太鼓判押された翌月の心不全急逝だった2018年2月16日 スポーツ報知
  37. ^ 野村沙知代さんの死因は「虚血性心不全」家族で密葬へ、後日に「お別れ会」 - デイリースポーツonline 2017年12月9日
  38. ^ サッチー急死 ノムさん焦燥「俺の方が先に逝くだろうと…」 - スポーツニッポン 2017年12月9日
  39. ^ 野村沙知代さんが死去 昼過ぎに意識不明で病院搬送 ホウドウキョク(フジテレビ)2017年12月8日
  40. ^ 野村沙知代さん 25日にお別れの会 王貞治さん、高須院長らが発起人デイリースポーツ
  41. ^ ノムさん涙のボヤキ サッチーお別れの会に1000人「俺が死んだらこんなに集まるかな」スポーツニッポン
  42. ^ 野村克也「話し相手がいない」発言に“球界復帰”希望する声2018年02月28日 WEB女性自身 克也は2018年2月8日に放送されたフジテレビ系トークバラエティ番組「アウト×デラックス」、同年2月16日放送のTBSテレビ情報バラエティ番組爆報! THE フライデー」、同年2月28日放送のフジテレビ系生活情報番組「ノンストップ!」に立て続けに出演し、気持ちの整理がつかない日々を語っている。
  43. ^ 野村克也氏「うちの宝」 妻・沙知代さん思い涙…「残された人生どうなるのかな」2018年1月25日 ORICON NEWS
  44. ^ 野村沙知代さん、病院検査で心臓の強さに太鼓判押された翌月の心不全急逝だった2018年2月16日 スポーツ報知
  45. ^ 野村克也氏 沙知代さんが語った「履歴は100%、全部ウソでした」2018年2月16日 スポーツニッポン
  46. ^ ノムさん、沙知代さんの経歴「100%全部嘘でした。俺に全部嘘を言っていた」2018年2月16日 スポーツ報知
  47. ^ 『グッバイ・マミー』57頁
  48. ^ 『姉野村沙知代』174-175頁
  49. ^ 次男ケニー氏が2週間前振り返り「元気だった」日刊スポーツ 2017年12月9日
  50. ^ エンゼルス、野村沙知代さん孫の沙亜也さんを表彰 - 日刊スポーツ。2018年9月29日12時53分発信、同年11月1日閲覧。
  51. ^ 【野球】ノムさん孫・忠克 高校野球激戦区・神奈川で奮闘中 - デイリースポーツ。2018年10月31日発信、同年11月1日閲覧。
  52. ^ 週刊新潮2017年12月21日号、32頁

外部リンク[編集]