国鉄415系電車
国鉄415系電車 | |
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JR東日本415系500・700番台車 (2006年7月28日 我孫子駅) | |
基本情報 | |
製造所 |
汽車製造(401系のみ) 東急車輛製造(421系を除く) 日本車輌製造(401系・415系のみ) 近畿車輛(421系・415系のみ) 川崎車輛→川崎重工業(403系を除く) 帝国車輛工業(423系のみ) 日立製作所 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 |
直流1,500V(全系列共通) 交流20,000V 50Hz(401・403系、415系の一部) 交流20,000V 60Hz(421・423系) 交流20,000V 50Hz/60Hz(415系(一部を除く)) |
最高運転速度 | 100km/h |
起動加速度 | 1.6km/h/s(M:T=1:1時) |
減速度(常用) | 3.5 |
減速度(非常) | 5.0 |
全長 | 19,500mm(最大長20,000mm) |
全幅 |
普通鋼製車両2,900mm ステンレス鋼製車両2,950mm |
全高 |
普通鋼製車両3,654mm ステンレス鋼製車両3,670mm |
主電動機 |
MT46B(401・421系) MT54, MT54B(403・423系) MT54B, MT54D(415系) |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン撓み板継手方式 |
歯車比 | 17:82 (4.82) |
出力 |
100kW(401・421系) 120kW(403・423・415系) |
制御装置 |
シリコン整流器 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
備考 | 受賞車両 401系・421系 |
415系電車(415けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流両用近郊形電車。
国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)と九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたほか、JR東日本が製造発注した車両や西日本旅客鉄道(JR西日本)が113系から改造・編入した車両が存在する。
なお、本項では製造目的の共通する以下の車両系列についても表記する。
- 国鉄401系電車
- 国鉄403系電車
- 国鉄421系電車
- 国鉄423系電車
概要
50Hz | 60Hz | 電動機出力 |
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401系 | 421系 | 100kW (MT46) |
403系 | 423系 | 120kW (MT54) |
415系 |
国鉄のカルダン駆動方式の電車としては初の両開き3扉構造の近郊形電車であり、交流電化区間と直流電化区間の電源を車上での切換えで直通運転する交直両用電車の実用第1号として開発され1960年から製造開始された。
401系は直流/交流50Hz対応、421系は直流/交流60Hz対応による相違。403系は1966年から、423系は1965年から製造された401系・421系の出力増強形。415系は交流50Hz・60Hz両用とした系列で1971年から製造された。
- 本系列が設計・開発開始された1950年代末期は主変圧器・主整流器・主平滑リアクトルなどの50/60Hz両用交流機器がまだ開発されておらず、同一設計を採用しても機器に関する部分が統一できなかったことから、商用電源周波数の違いにより別系列とされた。
このため交流50Hz用の401・403系は電動車ユニットのみ形式が異なり、制御車のクハ401形は共通、交流60Hz用の421・423系も同様でこちらの制御車はクハ421形とされた。一方で415系は制御車の形式はクハ411形とされた[* 1]。
また基本設計については415系まで踏襲されている部分が多いが、運用線区の違いなどから行先標(サボ)受の位置が異なるなど外観等に多少の差異が見られる。
共通項目
401・403・415・421・423各系列共通する部分について解説を行う。
車体
車体は153系を基本とする軽量形鋼を溶接で組立てた全金属製セミモノコック構造で車体幅2.9mの裾絞り断面形状を採用しており、車体長も同様に中間車で19.5mとしているが、1500番台では、211系を基本としており、軽量スレンレス車体で車体幅は車両限界一杯の2.95mの裾絞り断面形状を採用しており、前頭部はFRP製の化粧キセで覆われている。近郊形として通勤使用を考慮し70系同様のデッキなし片側3ドアとした上で客用扉は新たに101系と同じ1.3m幅の両開き扉を採用した。また、側窓は101系と同じく2段上昇式となっているが、1500番台では1段降下窓としている。また。交流区間の絶縁距離を確保するため屋根上のパンタグラフ搭載部分は低屋根構造としている。
座席配置も70系のセミクロスシートを基本に改良を実施。中間車の扉間は戸袋部分を2人掛けロングシートとし、その4人掛けボックスシートを4組設置。車端部を3人掛けロングシートに4人掛けボックスシートが2組とし座席定員76名とした[* 2]。通路幅は153系の540mmから860mmと拡大。また4人掛けボックスシートの座席は幅が狭く窓側の肘掛けを省略[1]されたが、415系100番台以降は4人掛けボックスシートの寸法と形状を急行形電車と同一としたため、窓側の肘掛けが取付けられている。トイレは70系同様に制御車に設置され、粉砕式汚物処理装置を取付けていたが[* 3]、その後は循環式汚物処理装置が取付けられている。これらの構造は、以後長らく新性能近郊形電車の標準となった。
クハ401・421形の前面は、153系同様にパノラミックウインドウを採用し併結運転を考慮した貫通路を設置。初期製造車はクハ153形0番台同様に運転室のフロントガラスが大きい低運転台構造[* 4]とされたが、踏切事故対策から401系は1962年製造のクハ401-23から、421系は1961年11月製造のクハ421-17から、それぞれクハ153形500番台と同様の高運転台に変更。また、403系・423系用を含め屋上通風器など他の部分についても同時期に製造されたクハ111形に合せた改良が実施された。
機器
主回路機器は101系をベースに交流区間での脈流対策を施工。当初開発された401・421系では主電動機はMT46A形直巻整流子電動機を改良したMT46B形、主制御器も同様の電動カム軸式で401・421系はCS12B形を415系はCS12G形を搭載している。主抵抗器も同様の強制風冷式のMR61形を搭載している。
ブレーキ方式は発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用している。
パンタグラフは架線電圧交流20KVでの無加圧区間を250mm以上確保する必要から、PS16形の台枠・空気配管を変更したPS16B形とした。
- ただしモハ420-19以降は塩・塵害対策からステンレス製のPS16C形へ変更された。
台車は、枕ばねにコイルばねを使用した揺れ枕吊り台車を採用しており、電動車用が101系と同一のDT21B形、付随車用がDT21B形をベースに台車枠形状などを付随車用に変更した踏面ブレーキ式のTR64形を装着している。ただしクハ401-47・421-41以降はクハ111形同様のディスクブレーキを装備するTR62形とし、ブレーキ容量が増大された。1500番台では、211系と同一の枕ばねにダイヤフラム式の空気ばねを使用したボルスタレス台車を採用しており、電動車用がDT50C、付随車用がTR235Cを装着している。また、主電動機の冷却には、電動車の妻面(車体端部)に冷却風取入口を設けて、そこから冷却用空気をダクトを介して取込む方式としている。
電動車は2両で1ユニットのMM'ユニット方式を採用しており、M車には床下に主制御器・主抵抗器・電動発電機(MG)などの機器を、M'車には屋根上にパンタグラフ・交直切替器・交流遮断器などの機器と床下に主変圧器・主整流器・蓄電池・交直転換器などの機器を搭載する。
主変圧器は401系にTM2、421系にTM3、403系にTM9、423系にTM10、415系にTM14またはTM20を搭載しており、冷却方式は送油風冷式を採用している。TM2形とTM3形には、変圧器の冷却に使用される絶縁油にPCBを主とする不燃性油が使用されていたが、PCBによる環境汚染が社会問題化したため、TM20形には、絶縁油にシリコン油が使用されている。
主整流器は素子にシリコン整流子を採用した全波整流の単相ブリッジ式であり、401系にRS1・RS2、423系にRS3・RS4、415系にRS22Aを採用しており、シリコン整流子の冷却に電動送風機による強制冷却方式が採用されていたが、415系500番台の最終増備車・700番台・1500番台ではその冷却に走行風を利用した自然冷却式のRS49に変更されている。
塗装
先行試作車から1961年落成分まではローズピンク(赤13号)を基調に401系は制御車前面窓上にクリーム1号、421系は全車の側面裾部(ドア下)にクリーム2号の識別を兼ねた警戒色が入る国鉄交直流電車の標準色とされた。
1962年落成分から警戒色を401系は省略。421系はクリーム4号に変更し正面まで引かれるように改定され後に省略されたことから、その後415系500番台途中製造分までの国鉄交直流電車の標準色となった。
その後1985年のつくば万博開催に伴うイメージアップから常磐線用車両は、1983年8月から1985年3月16日にかけてはクリーム10号に[青20号]]の帯という新塗装へ変更[* 5]された。帯の色を緑にするつもりもあったようだが、上野で185系と紛らわしくなるため見送ったという。
1986年3月に常磐線新塗装の415系500番台が421系初期車置換え用として南福岡電車区に転属して以降、同年10月からは九州配置車もこれに倣った塗装を採用した。ただし白地は同じクリーム10号だが青帯は若干藍色がかった青23号を採用するほか、窓上にも帯が入る。これに先立ち1986年夏には比較検討が行われ、423系は白3号と青20号、713系はクリーム10号と青20号に塗色変更して出場し、勝田区からの転入車は、民営化後の1987年秋頃までは常磐線塗装とされていた。
401系・421系
401系は1961年(昭和36年)6月の常磐線取手 - 勝田間交流電化に、421系は山陽本線小郡(現・新山口) - 下関間直流電化[* 6]および鹿児島本線門司港 - 久留米間交流電化に対応する系列で、両系列とも1960年(昭和35年)に量産先行試作車4両編成x2本ずつ製造された。
- 401系は落成時に常磐線は電化が未完成だったことから宇都宮機関区(現・宇都宮運転所)に暫定配置され、試運転は東北本線で実施。電化設備完成後に松戸電車区(現・松戸車両センター)へ転属し常磐線での各種試験を行い、営業運転開始直前に完成した本来配置の勝田電車区(現・勝田車両センター)へ再転出という複雑な経緯がある。
- 421系は当初から南福岡電車区(現・南福岡車両区)配置とされたが、最初の試運転は既に交流20KV/60Hzで電化されていた北陸本線で実施後、九州での各種試験運転を実施した。しかし営業運転開始後に関門トンネルや海岸線沿いを走行した際に付着する海水の塩分や塵害による汚損などにより碍子の閃絡事故が相次いで発生したため一部列車を客車や気動車で代走させたケースがある。
1962年(昭和37年)には鉄道友の会から第2回ローレル賞を受賞。その後は増備が続き1966年(昭和41年)までに401系4両編成x25本計100両と421系4両編成x23本計92両が製造された。
車両形式
401系
- モハ401-1 - 26
- 中間電動車で主制御器の他に主抵抗器・誘導分流器・出力20kVAで出力電圧が単相交流100Vの電動発電機(MG)のなどの機器を搭載する。26のみモハ403形からの改造車。
- モハ400-1 - 25
- 中間電動車でパンタグラフのほかに主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載する。パンタグラフ取付部は絶縁確保を理由に低低屋根構造としたため室内側にファンデリアを2基、外気取入グリルを車体側面幕板上部に設置する。
- クハ401-1 - 90
- 制御車で3位側隅にトイレを設置する。電動車の床下ぎ装の関係から本形式に空気圧縮機(CP)を搭載する。制御回路の引き通しを両渡りとし、その栓受を車両の両側に設けた両栓としており、先頭車の奇数または偶数向きの両方を可能としている。
- 51 - 90は403系の制御車として製造された。
421系
各形式とも対応する交流商用周波数が60Hzである点が401系と異なる。
- モハ421-1 - 23
- 21 - 23はサヤ420形からの改造車とユニットを組むためにモハ423形製造開始後に製造。
- モハ420-1 - 23
- 21 - 23はサヤ420形からの改造車
- クハ421-1 - 106
- 41 - 60・67 - 106は423系の制御車として製造された。
サヤ420形
1964年に川崎車輌で151系電車の九州乗り入れ対応用電源車として3両が製造され南福岡電車区に配置された。
東海道新幹線の開業に伴うダイヤ改正で、東海道本線特急として運用されていた151系電車は山陽本線を主体にした新幹線連絡特急に転用されることになり、その一部が「つばめ・はと」の愛称で新大阪 - 博多間を運転する列車として設定された。
運転区間のうち門司駅構内デッドセクションを介在し、九州島内は交流電化区間であったため直流電車であった151系電車は下関 - 門司間はEF30形、門司 - 博多間はED73形で牽引による対応とされた。しかし、サービス用電源が確保できないという問題が発生したためにサシ151形に交流区間用電源装置搭載案・電源装置搭載交直流電気機関車新造案などと比較検討されたが、当初から151系の投入が暫定的かつ短期間とされたことからモハ420形をベースに必要な機器類を搭載したサヤ420形製造案が採用された。
そのため当初から421系として製造され以下の特徴を持つ。
- モハ420形への改造を前提にした車体構造の採用
- サービス電源用MGを床下に搭載
- 車内は通常通りに座席が設置されたほか通路やドア部床などに機器類を搭載
- 連結器は両エンドとも自動連結器を搭載
- 151系電車との間には補助回路用引き通し用ジャンパ連結器を装備
- 牽引機関車との間には非常時パンタグラフ下げ指令回路用ジャンパ連結器を装備
翌1965年10月1日に交直両用の481系に置換えられたことからサヤ420は不要となり、1966年に小倉工場でモハ420-21 - 23へ改造[* 7]。別途日立製作所で製造されたモハ421-21 - 23・クハ421-61 - 66と4両編成3本に組成された。
サヤ420車両番号 | 製造会社 | 落成日 | モハ420車両番号 | 改造施工 | 落成日 |
1 | 川崎車輌 | 1964.07.11 | 21 | 小倉工場 | 1966.02.10 |
2 | 1964.07.12 | 22 | |||
3 | 1964.09.25 | 23 | 1966.02.11 |
廃車
量産先行車は401系が1978年(昭和53年)に、421系が1979年(昭和54年)に、製造から20年を経ず廃車となった。量産低運転台車もJRに承継されず、1987年(昭和62年)までにすべて廃車[* 8]された。高運転台車は一部を除き401系はJR東日本に、421系はJR九州に承継されたが、401系は1991年(平成3年)までに、421系は811系・813系の増備により1996年(平成8年)までに全車廃車となった。
403系・423系
401系・421系に搭載していた定格出力100kWのMT46系主電動機を120kWに出力向上したMT54系に変更した系列で、主変圧器などの違いから交流50Hz対応の常磐線ならびに水戸線電化準備用で勝田区配置車は403系、交流60Hz対応の鹿児島本線熊本電化延長用で南福岡区配置車は423系とされた。
このため電動車ユニットは403系がモハ403・402形、423系がモハ423・422形となったが、制御車は前述のクハ401・421形が継続新製された[* 9]。車体および車内設備は401系・421系と同じであるが、主電動機の出力増大により、主制御器・主抵抗器の容量を増大しており、主変圧器と主平滑リアクトルの一体構造化により、モハ402・422の機器配置の変更が行われている。また、屋根上のパンタグラフ周りの機器配置は455・475系と共通化されている。401・403系と同じく4両編成で組成されており、403系が4両編成20本計80両、423系が4両編成30本計120両が1965年から1968年まで製造された。
なお最終増備車である403系第20編成・423系第29・30編成は、以下の改良が実施された。
- 屋上通風器をグローブ型から押し込み型に変更。
- 座席取手の変更。
- 客室側扉のステンレス化。
- 403系では行先標差しや急行札差しなどを423系の配置と同一のものに変更・統一。
車両形式
403系
- モハ403-1 - 20
- モハ402-1 - 20
423系
- モハ423-1 - 30
- モハ422-1 - 30
分割民営化後
事故廃車となったモハ402-1・クハ401-52・クハ421-43の3両を除いた全車両がJR東日本・JR九州に承継された。
- JR東日本承継車(403系)
冷房改造未施工車の一部は1990年 - 1992年に415系1500番台へ置換えられ廃車。1997年にはE501系2次車投入により13両が廃車。その後はE501系の増備が中止されたため廃車は見送られたが、2005年7月からE531系投入置換えにより再び廃車が開始され2007年3月18日のダイヤ改正で運用離脱[* 10]。2008年までに全車廃車となった。
- JR九州承継車(423系)
1996年から廃車が開始され2001年までにすべて廃車された。
415系
1971年(昭和46年)から製造が開始された。主変圧器が商用周波数50/60Hz両用となったTM14形を搭載する三電源対応形で交流50Hz用401・403系交流60Hz用421・423系を統一したグループである。0・500・700・1500番台の番台区分があるが、2014年現在で車籍を有する車両は本グループのみで以下の形態で運用される。
- JR東日本
分割民営化時には、常磐線原ノ町以南ならびに水戸線で運用されたが、2007年3月17日のダイヤ改正で上野口中距離電車運用を全面的にE531系電車への置換えを実施。これに伴い常磐線の運用区間が友部 - 原ノ町間に短縮されるとともに普通鋼製車は定期運用を離脱し2009年までに全車廃車となった[* 11]。
- 2007年3月24日には水戸 - いわき間で普通鋼製車さよなら運転が実施された。
2014年現在の在籍車はステンレス車体の1500番台のみである。
- JR九州
同社唯一の交直両用近郊形電車とし関門トンネルを通過するすべての普通列車[* 12]のほか、鹿児島本線や日豊本線を主に佐世保線・長崎本線への運用に充当される。
0・100番台車は大分鉄道事業部大分車両センター所属車を除きすべてロングシートに改造済のほか、後述する更新工事も施工された。
2009年にはJR東日本から運用短縮で余剰廃車となった4両編成x3本計12両が譲渡されたが、2012年より817系3000番台が運用開始したことに伴い南福岡配置車を中心に普通鋼製車から順次置換えが開始された。
- JR西日本
上述のようにJR九州所属車が下関まで運用されるとともに1991年からは七尾線で運用される800番台が在籍する。
車両形式
以下の形式が製造された。
- モハ415形
- モハ414形
- クハ411形
- クハ415形(1900番台)
- サハ411形
- クモハ415形・モハ414形・クハ415形(各800番台)
このうち800番台は他系列からの改造竣工(後述)、クハ415形はJR化後に改造もしくは設計されたための区分、サハ411形は常磐線の基本編成一部を7両編成化するために製造された[2]形式である。
また中間のMMユニットが415・414形、クハ411形が300番台で製造開始された理由は401・403系を411系へ、421・423系を413系[* 13]へ形式変更、クハ401形をクハ411形0番台(1 - 90)へ、クハ421形を100番台(101 - 206)へ改番する計画が存在したためである。
0・300番台
MM'ユニットが0番台、クハ411形が300番台に番台区分される。なおクハ411形は全車に電動空気圧縮機(CP)とトイレを装備しており、制御回路の引き通し線を両渡りとし、その栓受を車両の両側に設けた両栓としており、先頭車の奇数または偶数向きの両方を可能としている。また、モハ415に搭載されている電動発電機(MG)は同じく出力は20kVAだが出力電圧を単相交流100Vから3相交流440Vに変更されている。MM'ユニット19組38両とクハ411形39両の77両が製造された。
本グループ中1971年に東急車輛で製造されたモハ415・414-1 - 3/クハ411-301 - 306の12両は、403系最終増備車に順じた車体と非冷房で落成したが、1977年までに冷房化改造が施工された。
1974年以降の車両は当時製造されていた直流用113系・115系と同様に所謂「0'(ゼロダッシュ)番台」と呼ばれる以下のモデルチェンジを実施した車両である。
- AU75形集中式冷房装置搭載と天井に設けられていた扇風機の廃止
- 運転室に冷房装置からの冷風ダクトを通したため、先頭車の前頭部屋根上にあった箱型通風機の廃止
- 床材の難燃化と床下配管のダクト化による防火対策
- 側窓に隙間風防止と工作性の容易化のため、外付けユニットサッシ窓の採用
- ロングシート部の座席の改善
- クハ411形運転室の拡大ならびに運転台のユニット化
- 主変圧器は公害防止対策から冷却油(絶縁油)をPCB油からシリコン油にしたTM20形へ変更
- 冷房用電源は113系・115系とは異なり、偶数向きクハ411形に冷房・制御・補助電源の3つを兼ねる出力160kVA・3相交流440Vの補助電源装置(MG)を搭載、これによりモハ415に搭載されていた出力20kVA MGを廃止
- 冷房用三相交流引き通し線を追設したため、先頭車の低圧制御回路引き通しジャンパ連結器をKE58形2基の両渡りによる両栓から、冷房電源用の三相交流ジャンパ連結器のKE5形1基を含めたKE76形3基の片渡りによる片栓となり、先頭車の向きは奇数または偶数向きに固定された
- 荷重の増減によりブレーキ力を調整する応荷重装置の搭載[* 14]
- 南福岡電車区新製配置のクハ411形は常磐線用列車無線搭載準備工事を施工して落成
ただし、1975年製造のクハ411-335は脱線転覆事故で大破し廃車となったクハ421-43の代替として新製されたため冷房装置未搭載で本系列で唯一の冷房準備車で落成した。このため以降の奇数・偶数の車両番号の進番が逆転した。
- 同車は1983年に編成を組成するモハ423・422-2・クハ421-44とともに冷房化されたが、冷房準備車特有の最前部大型箱型通風器[* 15]や外キセをステンレス製としたAU75E形を搭載するなど外観に特徴を有した。2001年の423系全廃により415系で初の廃車となった。
2000年に南福岡所属FM5編成へミレニアム記念として、翌2001年には常磐線勝田電化40周年記念でK510編成へ旧塗装復元(リバイバル)が施工された。
- K510編成は後に一般塗装へ復元されたが、FM5編成は2011年現在も旧塗装のままで運用。2012年3月15日に運用離脱し廃車された[3]。
勝田車両センターの一部編成ならびに南福岡車両区・小倉総合車両センター門司港車両派出配置車はクハ411形トイレ対向部を除きロングシートにする改造が施工された。
JR東日本在籍車はE531系への置換えで全廃。またJR九州在籍車はセミクロスシート車が大分・鹿児島などに疎開留置を実施。2010年にFo-2・Fo-3編成が留置先の鹿児島総合車両所から小倉工場(現・小倉総合車両センター)へ廃車回送されたのを皮切にその後はロングシート化改造編成も含めて順次同様の措置が採られ、2014年8月27日に最後まで残存していたFj-7編成の回送[4]で、本番台区分は事実上消滅した。
- 上述したFo-3編成の大分側2両は解体されたが、門司港側2両のクハ411-336(赤一色に塗装)・モハ414-18(青一色に塗装)は『安全技能伝車』として小倉総合車両センターで保存され、同センターでの訓練等に使用される。
100・200番台
1978年より製造されたMMユニット28組56両・クハ411形52両・サハ411形4両計112両のグループで、4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系からの設計思想を継承し、座席幅930→1,040mm、間隔(シートピッチ)1,420→1,490mmとする従来の急行形車両並に拡大を行った所謂「シートピッチ改善車」である。このため客室扉間間隔の寸法と窓配置を変更したための番台区分である。
車体構造は同時期に製造されていた113系2000番台と基本的に同一である。制御車は奇数向きは100番台に、偶数向きは200番台に区分され、200番台には電動空気圧縮機(CP)と冷房・制御・補助電源の3つを兼ねる160kVAのMGを搭載している。車内においては、客室荷物棚棒・腰掛ヶ込板のスレンレス化などによる無塗装化を行い、車体中央部の通風器の取付位置を冷房装置から離れた位置に変更された。床下に搭載されている電磁弁などのブレーキ装置を集約してユニット化され、トイレはFRPユニット化とし、明かり窓の形状を特急車両と同型としている。
1984年には最終増備車としてモハ415・414-127・128とサハ411-1 - 4の8両が日立製作所で新造された。これらの増備車は、常磐線の一部編成を7両化することで、将来の15両編成化を考慮しており、当初より常磐線新塗装で落成したほか、屋上の押込式通風器・冷房装置キセ・室内化粧板が後述する500番台と同一となり、押込式通風器はFRP製となった。車内の室内色はクリーム色となりクロスシートの腰掛モケット色は713系電車と同様のロームブラウンを基調としたものに変更された。
- サハ411形は新規に起こされた中間付随車形式のため番台区分は1-となる。また電動空気圧縮機(CP)と冷房電源用の160KVAのMGは2・4が新製時から搭載されたが、1・3はMG搭載準備工事で落成。翌1985年の7両編成化時に搭載された。
2016年現在、JR東日本車は全廃されたが、JR九州車は4両編成x19本計76両全車が車籍を有し、全車両が大分車両センターに集約されている。
500・600番台
老朽化した401系の初期車の取替えと常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造された4両編成x24本計96両のロングシート車グループである。クハ411形偶数向き車にトイレを設置しており、その対向側はクロスシートが設置されたため600番台が区分がされた。
外観は運転室・窓配置・客室扉などの割付きは100番台から踏襲されたが、ロングシート化により定員は20%増加している。車体の経年劣化対策として屋根上の屋根材が絶縁屋根布からポリウレタン系樹脂系塗屋根材に変更され、腐食防止の観点から外板腰下部の約400mmにステンレスを使用したほか、客室扉部の連続溶接化などが実施されており、屋上通風器は箱型に変更されFRP製となった。また内装は当時増備されていた201系と同じくクリーム色を基調とし、腰掛モケットはロームブラウンを基調としており、落ち着いたイメージとしている。座席端部には袖仕切りを設置した。
ロングシートは105系新造車グループとほぼ同等の座面高400mm・奥行600mmとされた。また当初は禁煙区間が上野 - 土浦間のみとされたことから、各車両の出入台戸袋窓下と妻部に灰皿が設置された。
台車は従来車と同じだが、ロングシート化による定員増により荷重が増加したため、枕ばねと軸ばねのばね定数を変更している。
搭載されている電気機器とその配置は100番台を踏襲しているが、床下のブレーキユニットの箱を廃止して重量軽減を図っているほか、電動車の重量バランスを取るため、モハ414にあった蓄電池とその付属設備をモハ415に移設している。これは、モハ414の定員乗車時での車両重量が52tを超えてしまうための措置であり、100番台と比べて1tの軽量化が 図られている。
腐食防止の観点から車体裾部にステンレスを使用したほか、設計変更が数度実施された。
- 1982年製510・610 - 512・612以降は冷房装置外キセをステンレス化。
- 1984年製513・613 - 516・616以降は新塗装で落成
- 1985年製521・621 - 524・624は主整流器を後述の700番台と同様のRS49に変更したほか、床面高さを201系などの通勤電車と同じ1200mmに変更された[* 16]。また、車内の天井を平天井に変更している
またドアエンジン部分にも製造時期による相違があるほか、JR東日本車はシートをバケット化し座面が高くなった車両も存在する。
当初は全車が勝田電車区に配置されたが、国鉄時代の1986年3月に513・613 - 517・617の5編成が421系初期車置換えのため南福岡電車区へ転出した。その後はJR九州に継承されたが、2007年2月に513・613と517・617の2編成が、同年3月に514・614 - 516・616の3編成が457・475系を置換えるため鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)に転出した。
勝田残存のJR東日本車は2007年に運用離脱したが、507・607(K607編成)520・620(K620編成)の2編成8両は、後述の1500番台1編成とともに2008年12月24日付で廃車にされJR九州へ譲渡された[5]。旧K607編成は小倉工場で、旧K620編成は鹿児島総合車両所で整備を実施し、以下の形態 で車籍復活した。
- K620→FM520編成(2009年3月9日付)
- K607→FM507編成(2009年3月11日付)
南福岡電車区に配置され同月中に営業運転へ投入された[6]。その後は2012年に南福岡車両区への817系3000番台新製配置に伴い0・300番台置換えを目的に大分車両センターへ転出した[3]。
なお、鹿児島車両センター所属車は全て交直切替スイッチを交流側に固定しているため直流区間の走行は不可である。
700番台
1985年に開催されたつくば科学万博開催に向けた常磐線中電の輸送力増強から、他番台で組成される4両編成の一部を7両化して15両編成化するとともに、老朽化した401系の置換え用として、1984年から1985年にかけて日立製作所・日本車輌・東急車輛で製造されたMM'ユニット23組46両と付随車16両計62両のグループ。100番台最終増備車から一部設計変更がされたため新たな番台区分とされた。
- このため全車勝田配置とされたが、前述の500番台を含め落成時公式試運転では日立製作所製が九州地区、日本車輌製が北陸本線をそれぞれ走行した。
塗装は新製時よりクリーム10号に青20号帯。車内は車端部分をロングシートとしたセミクロスシート車で、床面高さを1985年製の500番台と同様の1200mmとしており、天井は201系と同様の平天井に変更された。室内色は100番台最終増備車や500番台同様の白とクリームを基調としたほか、主整流器は走行風を利用した自然冷却式のRS49に変更された。
搭載されている電気機器とその配置は100番台を踏襲しているが、500番台とは違い、蓄電池とその付属設備をモハ414に搭載している。また、サハ411には電動発電機(MG)と電動空気圧縮機(CP)を搭載している。
すべて中間車で製造されたが、サハ411形1両がクハ411形へ改造された。
- 詳細は#形式間改造車を参照。
2007年3月18日のダイヤ改正で定期営業運転を終了し運用離脱。2008年7月までに全車廃車。廃番台区分のほかサハ411形は廃形式となった。
800番台
1991年に七尾線が大阪・名古屋からの特急電車の直通運転によるスピードアップと普通列車の電車化・フリークエンシー向上のため、電化されることが決定されたが、七尾線は地方交通路線であり、沿線の駅跨線橋や跨線道路橋などは低空頭(車両の屋根と橋の間のスペースが狭い)が多いため、工事費の削減と建築限界が小さくできる、直流電化に決定された。そのため、既に交流電化されていた北陸本線(現・IRいしかわ鉄道線)金沢 - 津幡間へ直通運転を行うことから普通列車用交直流電車が必要となった。
これに対しJR西日本ではコスト削減の観点から、特急「北近畿」充当用福知山運転所(現・福知山電車区)配置の485系が直流区間のみの運用であったことから交流機器を撤去し183系化する一方で、捻出された交流機器を415系と車体がほぼ同一の113系に搭載し、七尾線運用への充当を計画。その結果、本系列への編入改造を施工したのが本区分番台である。
1990年から1991年にかけて福知山運転所ならびに向日町運転所[* 17]へ配置されていた800番台12両、網干電車区[* 18]ならびに日根野電車区[* 19]へ配置されていた0番台21両計33両の113系に吹田[* 20]・鷹取・松任の各工場で以下の改造工事を施工した。
- 3両固定編成化。このため本系列初の制御電動車クモハ415形が竣工した。
- 主変圧器などの交流機器を搭載するモハ414形は、台枠強化を実施、パンタグラフ周辺部の低屋根化を行い、そこにPS16H型パンタグラフへの換装や交流切替器・交流遮断器などの屋根上機器を設置、出力20kVAの補助電源装置(MG)ならびに電動空気圧縮機(CP)の撤去と交流電気機器の取付けを行った。
- モハ414形のパンタグラフ取付け位置を100mm車端寄りに移動させて設置[* 21]。
- クハ415形には、脈流対策としてMG・CP用のリアクトルを追加で取付けを実施。
- 七尾線の特殊車両限界に対応するため、パンタグラフ折畳みの高さを、一般の線区よりも20mm低くした4280mmとしている。
- 車体外板は塗装の全面剥離と鋼板張替のほか、ポリウレタン樹脂塗屋根化および雨樋のFRP化も行われている[7]。
- 非冷房車は冷房化も同時施工。冷房車にはAU75形集中式冷房装置が車体後位寄りに搭載される試作改造車が含まれており当該車はそのままの状態で本系列化された。
- 車体塗装は、車両腰部寄り下は能登の豊かな大地をイメージした「アスコットグレー」とし、上半分を先頭車は能登の海をイメージした「バイオレットブルー」、中間車は能登(向田)の火祭りをイメージした「ロイヤルピンク」とした[7]。上下の境は、波打ち際とさざ波をイメージした「オイスターホワイト」の帯を配している[7]。
- ただし早期落成車の一部は、クリームを基調とした福知山色で出場し一時的に福知山線で運用された[8]。
- 急行「能登路」での運用(詳細は後述)を考慮し、客用扉間クロスシートをバケット型へ交換。同時にシートピッチを1,700 mmまで拡大し、客用扉戸袋部の2人掛けロングシートを撤去。車端部分はクハ415形のトイレ前を除いてロングシートに変更。
- グローブ形通風器搭載車は押込形へ変更。
- 種車が113系0番台の場合は客用扉を半自動化ならびに床下機器へのカバー設置など寒冷地化対策を実施。
- 低圧制御回路用ジャンパ連結器をKE76形2基ならびにKE96形1基に変更。
- このため413系ならびに457・471・475系[* 22]などと併結運転も可能である。
- 側面行先表示器(方向幕)は準備工事にとどめ、未搭載である[9]。
また長期使用に伴い以下の工事も施工された。
- 屋根上通風器を撤去。
- 2000年から半自動扉をボタン操作式へ順次改造。2004年以降は通年で半自動扱いを実施。
- 2010年1月にコスト削減を目的に輪島塗をイメージした赤色へ塗装変更されることが報道された[10]。同年2月17日にC07編成が赤色で出場[11]。2012年11月5日に出場したC04編成への施工で完了した[12]。
改造後から引き続き金沢総合車両所に配置されており2015年現在も七尾線およびIR線で運用されているが、同年に入ると一部の編成が413系に置き換えられる形で運用を離脱している。なお2015年12月時点で、C02編成のモハ414-802が1964年製で、113系・115系を含めて現役最古参である。また、一部の編成には地域にちなんだラッピングが施される場合もある。
- クモハ415形
- 七尾向きの制御電動車で定員は142(座席49)名。種車は全車クモハ113形800番台であるが、801・802は非冷房車であったため冷房化工事を本系列化改造と同時施工していることからこの2両のみWAU102形集約分散式冷房装置を搭載する。
- 運転台はクモハ113形改造時に1973年以降製造の乗務員室運転士側面積拡大で乗務員室扉前に下降窓のあるタイプを接合したことから、クハ415形とは窓配置ならびに乗務員室の構造が異なる。
- モハ414形
- クモハ415形とユニットを組む中間電動車で定員は154(座席56)名。種車が非冷房車であっても本形式では屋根上機器の関係からAU75形集中式冷房装置で冷房化改造が施工された。
- クハ415形
- 金沢向きの制御車でトイレを装備するため定員は138(座席45)名。全車種車時代にAU75形で冷房改造が施工されたほか、容量110KVAのMGを搭載しており、制御電源に使用できるように改造された。CPはクハ111形300番台が種車の場合はそのまま流用されたが、0番台が種車の801は本形式化改造の際に搭載された。
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1500番台
国鉄分割民営化直前の1986年から製造されたモデルチェンジ車で、車体は軽量ステンレス製車体・台車はボルスタレス台車(DT50C形・TR235C形)・枕ばねはダイヤフラム式の空気ばねにそれぞれ変更され、運転台構造の変更など211系からフィードバックされた機構を採用する。また、曲線通過時の走行性向上のため、車輪の形状を円弧踏面形状としている。
機器類は、鋼製車と混結しての運転が考慮されたことから500・700番台に準するが、ステンレス構体を考慮してモハ414の主変圧器の取付け位置を後位寄りに変更している。補助電源装置(MG)はブラシレス化され出力は190kVAとしており、交流区間での脈流対策に補助平滑リアクトルを追設している。電動空気圧縮機(CP)は電動機を三相誘導電動機に変更して、三相交流による駆動化がなされており、鋼製車ではクハ411形に容量1000ℓのC1000形1基搭載からトイレ付の1600番台のみへ容量が大きいC2000形1基搭載となった。また軽量化により向上した加減速力は、主電動機の限流値を低く設定することで統一させている。
座席はトイレ対向部を除いてロングシートとしたほか、モハ414形前位側(パンタグラフ搭載側)は、機器室があるため1人分少ない4人掛け仕様となっており、側窓や側面行先表示器位置などに若干の相違点がある。また国鉄時代に製造されたグループは車内放送用スピーカーが鋼製車と同様の箱型を各車に2基設置する。また、車内の客室スペースをできるだけ広く取るため、運転室のレール方向の寸法を1600mmとし、運転室後方の背面窓の寸法を大きくして、客室からの見通しを改善している。
このため番台区分は、ロングシート鋼製車500・600番台のモデルチェンジという観点から1500・1600番台とされた。
- 唯一セミクロスシートで製造されたサハ411-1701は同様に700番台のモデルチェンジという解釈である[* 23]。
国鉄時代には4両編成x21本とサハ411形1両の計85両が製造された。当初は全車勝田電車区に新製配置予定であったが、南福岡電車区にも4両編成x13本(FM1509 - 1521編成)が配置された。
- これは勝田配置で捻出された100・500番台を南福岡に転属させ421系低運転台車などを置換える計画から、新車直接投入でイメージアップを行うほうが得策である事や、本州会社に比べ経営母体が脆弱な九州会社への配慮などの判断で変更された。オールロングシートでありながら、当時は喫煙車が当然で区間や時間で禁煙にしていたため、211系電車などと同様にロングシート部に灰皿が設置された。
分割民営化時には、鋼製車同様にJR東日本とJR九州に継承。さらにJR東日本では1991年までに4両編成x13本を増備した。
- JR化後の車両は行先標(サボ)受けの有無・運転室仕切窓の大きさなどの細部に差異があるほか、1989年製造のモハ414-1524以降は主変圧器が50Hz専用のTM24形に変更された[14]。
- 本来なら別系列もしくは番台区分がされる内容でありながら、広域転配を想定していないため続番となった。
- また最終製造ロット4両編成(1534・1634)は、2階建試作車クハ415-1901/サハ411-1601/モハ415・414-1535を組み込んだ変則8両固定のK880編成[15]を組成した。
総製造両数は、モハ415形+414形ユニット35組70両・クハ411形1500番台34両・同1600番台34両・サハ411形2両・クハ415形1両の計141両。2014年現在では勝田車両センター・南福岡車両区・小倉総合車両センター門司港車両派出に配置されるが、サハ411形とクハ415形は既に廃車されており、車籍を有する車両はすべて以下の編成を組成する。
415系1500番台編成表 | ||||
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← 上野(熊本) (門司港・下関)原ノ町 →
| ||||
形式 | クハ411-1600 | モハ414-1500 | モハ415-1500 | クハ411-1500 |
定員 ( )は座席 |
132(55) | 150(62) | 156(64) | 142(58) |
なお、JR東日本所属車とJR九州所属車には以下の差異がある。
- 帯色
- JR東日本車は鋼製車の青20号を踏襲するが、JR九州車は落成当初より帯色が明るい青24号である。
- 車内吊り革
- JR東日本車は客用扉前にもあるが、JR九州車は後の更新で撤去。
- 通風器
- JR九州車は撤去。
またJR東日本では鋼製車と共通で常磐線・水戸線で運用されるが、2007年3月18日ダイヤ改正での普通鋼製車をE531系への置換え実施。また上野口中距離電車を最高速度130km/hで運転するダイヤ構成に移行ならびにグリーン車を連結したE531系に統一したため常磐線での運用区間は友部 - 原ノ町間に短縮された。
- このための以下の車両が2009年度上半期までに余剰廃車となった[16]。
- クハ411-1501 - 1503・1601 - 1603
- モハ415・414-1501 - 1503・1522[* 24]
- サハ411-1601・1701
- このうち2008年12月24日付で廃車されたクハ411-1501+モハ415・414-1501+クハ411-1501の4両(K525編成)は、500番台2編成とともにJR九州へ譲渡[17]。小倉工場(現・小倉総合車両センター)で整備後[18]の2009年6月23日付でFM1501編成として車籍復活し、同年6月末より営業運転を開始[19]。2012年3月17日付で小倉総合車両センター門司港派出に転出し編成番号をFj1501へ変更。同編成は帯色を青24号に変更したが、連結部外幌部分のみ青20号のままである。
- 2014年12月よりE531系付属編成増備により以下の車両が廃車。
- クハ411-1504+モハ415・414-1504+クハ411-1504(K527編成):2014年12月17日 廃車
- クハ411-1522+モハ415・414-1535+クハ411-1522(K532編成):2015年2月10日 郡山総合車両センターへ廃車回送
- 2016年3月26日のダイヤ改正をもって、E531系3000番台の増備のため、常磐線及び水戸線での運用を終えた。これによりJR東日本での415系の定期運行は終了となった。[20][21]。
- サハ411-1601
1991年に近畿車輛で製造された付随車で補助電源装置(MG)と電動空気圧縮機(CP)を搭載。1701とは座席配置が異なるための番台区分で定員は156(座席64)名。後述する2階建普通車のクハ415-1901と同じK880編成に組成された。
2005年6月の編成変更[* 25]で500番台・700番台混結のK810編成に組み込まれたが、2007年の常磐線運用区間短縮で運用離脱。2008年5月12日付で廃車された。
- サハ411-1701
1986年に勝田所属車の編成見直しによる7両編成から4両編成2本への組替を実施する際に7両で残存する編成から中間封じ込み先頭車を充当転用で対処する措置が採られた。このため代替車が必要になり日本車輌製造で1両のみ製造されたMG・CPを搭載する付随車である。上述のサハ411-1601とは座席配置が異なるほか、外観の差異はサボ受の有無程度のみである。
当初は403系冷房改造車+415系700番台の混結、1988年以降は415系1500番台+700番台混結のK820編成に組み込まれたが、2005年7月18日に実施した組換で0番台+700番台混結のK918編成(元・K505編成)に組み込まれた。同編成は2007年の常磐線運用区間短縮で運用を離脱。同年11月11日に留置されていた高萩から鹿島臨海鉄道鹿島臨港線神栖駅へ回送され、翌12日付で廃車された。
- クハ415-1901
常磐線での着席機会向上のため1991年に日本車輌製造で1両のみが試験的に製造された2階建て普通制御車である。
座席は客用扉付近がロングシートとしたほかは、1階および車体後部が2+2配列、2階は2+3配列クロスシートとしており、定員は156(座席116)名。冷房装置はAU714形集約分散式を2基搭載。台車もTR235H形と本形式独自のものを装着する。
他の1500番台車とは異なり室内側を化粧板仕上げとした客用扉が片側2か所のみでラッシュ時の乗降に時間を要する欠点から、基本的に停車駅の少ない通勤快速に限定して運用された。このため増備は行われなかったが、運用成果は215系の設計に反映された。
2005年7月9日のダイヤ改正で定期運用から離脱。勝田車両センター内で留置後、2006年3月10日に郡山総合車両センターへ回送され、翌11日付で廃車。同年6月12日から14日にかけて解体された。
改造工事
本項目では、形式ならびに車両番号の変更を伴う改造および冷房化など大規模な工事について解説を行う。
形式間改造車
113系を種車にした415系800番台を除き以下の3両が存在する。
- クハ401-901→101
常磐線の基本編成組成変更により不足する先頭車を補充するため1986年11月に大宮工場(現・大宮総合車両センター)でクハ115-612へ施工した本系列化改造である。車番は当初901を付番されたが、1987年1月に101へ改番された。
同車は元々サハ115-2として製造され1984年にクハ115形1000番台とほぼ同一構造の運転台を接合する制御車化改造が施工されていたが、本系列化改造時には床下へCPを搭載したほか主幹制御器(マスコン)の取替え、交直切替スイッチの取付けが行われたが、種車が115系であることから以下の特徴がある。
- 屋根上通風器が押込式
- 乗降扉に半自動扱用の大型取手を装備
- 先頭部幌取り付け台座の構造が異なる
- タイフォンカバーが寒地仕様であるシャッター式
しかし冷房改造が未施工だったことから、401系・403系非冷房車などとともに415系1500番台に置換えられ、改造から5年後の1991年に廃車された。
- (サハ115-2)→クハ115-612→クハ411-901→クハ411-101
- モハ401-26
後述する1979年に発生した踏切事故でユニットの相手方を喪失したものの比較的損傷の少なかったモハ403-1が種車である。
同車はしばらくの間は保留車とされたが、1980年4月にモハ400-7とユニットを組成させることになり、主電動機の交換などを郡山工場で施工しモハ401形続番に編入。この際に403系時代から編成を組成していたクハ401-51、モハ400-7と編成を組成してたクハ401-14[* 26]と新たな4両編成を組成した[22]が、クハ401-51を除いた3両は冷房化改造も未施工のまま1987年2月5日付で廃車された。
- モハ403-1→モハ401-26
- クハ411-701
1989年に一部の7両編成を4両編成x2本へ組成変更を実施する際に先頭車が不足することから郡山工場(現・郡山総合車両センター)でサハ411形に運転台を接合する制御車化改造である。K522編成[* 27]の奇数向き(下り方)先頭車に組成されたことから、種車に搭載されていた冷房電源用MGは撤去されたが車体には冷却風取入ルーバーが残存する。2008年7月14日付で廃車。
- サハ411-707→クハ411-701
冷房化改造
1974年以降の新製車は、非冷房車と編成を組成するため準備工事で落成したクハ411-335を除き全車冷房装置を搭載して落成した。そのため同等のサービスレベル確保の観点から、1971年製の415系1次車は1977年に、403系・421系・423系は1979年から冷房改造工事が施工された。
ただし、403系は冷房化改造が施工されないまま廃車となった車両が存在するほか、401系電動車ユニットおよび同時に製造されたクハ401形のいずれも冷房改造の対象から外れ本工事は未施工で非冷房のまま廃車された。
本項目では、会社別で解説を行う。
国鉄
分割民営化直前に改造施工された423系の一部を除きAU75形集中式冷房装置を搭載し冷房化改造が施工されたが、工事内容を以下に示す。
- 各車両に冷房装置・送風ダクト・冷房配電盤の取付と後方車端部窓上に側面行先表示器設置準備工事施工ならびに冷房用の三相交流電源の引き通しを新設
- Tc車は偶数・奇数向きともに引き通しが両渡りから片渡りとなり、方向を固定した上で偶数向き車に冷房・制御回路電源用の出力160kVAの補助電源装置(MG)および付属装置の搭載・乗務員室背面に冷房総括制御盤を取付ならびに後部側窓を廃止しロングシートを2人掛けに変更
- M'車の主整流器をRS22A形に振替[* 28]
- M車の制御回路電源用の出力20kVAのMGを撤去して補助変圧器を新設
- ジャンパ連結器をKE58形2基から冷房電源用の三相交流ジャンパ連結器のKE5形を含めたKE76形3基に交換
- 先頭車の前面窓ガラスを熱線入りのガラスに交換、窓拭き器を助士席側に新設
また、施工内容に4系列ならびに改造時期などで以下に示す差異がある。
- Tc車最前部箱型通風器はクハ401形ではグローブ型に交換・統一 クハ421形およびクハ411形唯一の冷房準備車クハ411-335は箱型通風器のまま存置
また勝田配置車の一部は1985年に7両編成を組成することになった。この際に401・403・415系の混成ならびに冷房車と非冷房車の混結する編成が組成されることになったため以下の非冷房クハ401形に冷房電源用160VA MGの搭載ならびに運転席後位に配電盤を設置する工事が施工された。
- クハ401-51・54・58・66・76
- 51は偶数向け方向転換も同時施工
この6両はJR東日本承継後の1989年 - 1990年に車両更新と同時に冷房化改造が施工された。
JR東日本
分割民営化も1988年施工の403系第7編成[* 29]までは、国鉄時代同様のAU75形集中式冷房装置を搭載する改造工事が施工されたが、1989年の 403系第9編成(K552編成)以降の工事では工期短縮と経費削減の観点からAU712形集約分散式冷房装置搭載に変更された。ただし、冷房電源は偶数向き車に搭載された、冷房・制御回路電源用の出力160kVAの補助電源装置(MG)から給電される。また、モハ402形に限り車体構造上の都合からのAU75形を搭載する。
JR九州
従来の集中冷房装置での改造工事では、構体や屋根の補強が必要となり、工数やコストのかかる問題点があった、そのため国鉄末期には、423系を対象に安価で簡易な改造を実施しており、AU1X形分散式冷房装置4基搭載へ変更した[* 30]ほか、分割民営化後は、さらに安価で簡易な改造として、車端部座席2ボックス分のスペースにAU2X形床置式冷房装置を搭載する方式も採用された[* 31]なお本改造での冷房用電源は、主回路の主変圧器2次巻線で降圧された交流1500Vを、引き通し線を介して各車に搭載された補助変圧器で220Vで降圧してから供給する方式になったため、新たに冷房用の補助電源装置を取付ける必要が無くなったが、主変圧器からの交流電源により給電されるため、直流区間では冷房が使用不可である。このため末期には直流区間乗り入れ運用が下関までに限られる大分電車区に集中配置された。
- 床置型冷房装置搭載車は、車両の1・4位寄りの車端部に床置式の冷房装置を設置して、そこから車内天井に冷風が通るダクトを取付けており、側窓は冷房装置の凝縮器(コンデンサー)を冷却する凝縮風を取入れるルーバー状の外気取入口に改造され、冷房装置の設置部分の屋根上の通風器を撤去して、冷房装置の凝縮器を冷却した凝縮風を外気に排出する、特大のグローブ型屋上排風器が取付けられたのが外観上の特徴である。初期の車両は、車両の3・4位寄りの車端部に冷房装置が設置されていたが、天井の冷風が通るダクトが長く、反対側の車端部の冷房の効きが弱い問題が発生したため、車両の1・4位寄りの車端部の設置に変更となり[* 32]、その後の車両はそれで設置されている。
本工事により1987年中に421・423系とも冷房化を完了した[* 33]。
JR東日本前面強化改造
国鉄時代にも別工法で前面強化工事施工車は存在したが、JR東日本では成田線大菅踏切事故後に乗務員保護の観点から前面強化工事未施工車を対象にステンレス板(一部鉄板で施工した例もあり)による前面追加工事を積極的に推進した結果、本系列でも例外なくほぼすべてに施工された。
- JR東日本のステンレス板追加方式では、アンチクライマーが目立つのが特徴である。
- 前照灯のシールドビーム化も同時施工された車両も多いが、クハ401-83・84は国鉄時代に前面強化工事が試験的に施工されていたため廃車まで白熱灯のままで残存した。
- クハ401形低運転台車のうち大部分の車両が国鉄時代に前面強化工事と前照灯のシールドビーム化を同時施工した。
前照灯シールドビーム化
国鉄型電車では前照灯光源として長く白熱電球を標準採用してきた。しかし、フィラメントが後方に放つ光を反射し前方への投光量を増やすための反射板が必須で、灯具が大型かつ低照度で電球交換後は焦点調整を行わねばならないという欠点があった。このため、電球自体に反射板組み込み構造で、コンパクトかつ高照度で焦点調整不用のシールドビームが普及するにつれ、既存の白熱電球の保守性や保安性が問題となった。そこで保安性および保守性の向上を目的にシールドビーム化改造が1970年代以降順次施工された。
JR九州415系鋼製車更新工事
JR九州が長期使用を前提にした更新では以下の工事を施工した。
- 屋上通風器ならびにモハ414形パンタグラフ周辺低屋根構造部の外気取入グリルの撤去
- 車体連結面上端キャンバス(屋根布)押さえの完全撤去[* 34]
- 側面の行先表示器の使用開始に伴う行サボ受け撤去
- AU75BH形集中式冷房装置クレーンフックの一部埋め込み
- 常磐線用列車無線アンテナ台座および配管を撤去
- 車体更新時に側窓の一部を固定化
- クハ411形奇数向き車両一部のトイレを撤去
ただし、3両以下への短縮やワンマン運転に対応した改造は未施工である。
事故廃車
老朽化・余剰による廃車を除いた本系列の事故廃車は以下の3両が該当する。
- クハ421-43
1974年5月4日15時23分頃、鹿児島本線古賀 - 筑前新宮(現・福工大前)間(当時[* 35]の無番額踏切で大型トラックがエンストして立ち往生。そこに本系列8両編成で運転されていた南福岡発門司港行特別快速電車が衝突。先頭車のクハ421-43が脱線大破した。復旧際に車体を盛り土から転がして除去したこと、車体がくの字型に曲がっていたことから同年6月8日付で廃車。代替としてクハ411-335が製造された。
- モハ403-1・クハ401-52
1979年3月29日15時9分頃、常磐線土浦 - 神立間の鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーと本系列12両編成で運転されていた平(現・いわき)発上野行普通電車482Mが衝突。先頭車のクハ401-52が約70m走行した地点で脱線し左下に転落し大破。2両目に組成されていたモハ403-1が約130m走行した地点で脱線した。この事故でモハ403-1は同年4月14日付で、クハ401-52は同月19日付で廃車された。
その他
国鉄時代を中心として運用の都合から以下の急行列車(いわゆる遜色急行)へ投入された。
- 「ときわ」
-
- 1967年10月1日のダイヤ改正で上野 - 水戸間1往復に不定期の休日運転として設定。1968年10月1日のダイヤ改正後は定期列車化[* 36]。しかし、1971年4月20日からは再び不定期運転となり1978年10月2日のダイヤ改正で廃止。
- 「ゆのか」
-
- 1968年10月1日のダイヤ改正で博多 - 大分間に1往復設定。1972年3月15日のダイヤ改正で457・475系へ置換え。
- 「能登路」
側面行先表示器はJR東日本発足後に製造された1500番台の一部とクハ415-1901を除き準備工事で落成したが、JR東日本所属車は1991年までに、JR九州所属車は2000年までに当時在籍していた全車に搭載された。
一方前面行先表示器はJR東日本所属車では常磐線独自の理由で白幕[* 37]とされたが、JR西日本・JR九州所属車では行先表示を実施する。
- 九州地区では1980年代半ばより福岡・北九州都市圏周辺で運転されていた列車に「マイタウン電車」(分割民営化後は415系用デザインの「タウンシャトル[* 38])」のヘッドマークを掲出して運転した実績がある。
脚注
注釈
- ^ ただしJR化後に改造・設計された制御車にはクハ415形が竣工している。
- ^ 70系は車端部ロングシートのみで座席定員は72名。
- ^ 153系で現車実験を実施して上で採用されている
- ^ 愛好者の間では「デカ窓」と呼ばれる。
- ^ この塗色は1982年より広島地区に投入された115系3000番台の車体色(瀬戸内色・クリーム1号に青20号の帯)とは異なる。
- ^ 西宇部(現・宇部) - 厚狭間は1960年に先行開業。
- ^ 既にこの時期の製造はMT54系主電動機を搭載する423系に移行していたが、151系→181系改造で不要となったMT46を再利用するために421系とされた。
- ^ クハ421形低運転台車の1両が九州鉄道記念館に保存が検討されたが、実現していない。
- ^ この時に新製された制御車には、前位寄り(運転席側)の屋根上の通風器が箱型に変更されている
- ^ 3月17日の営業最終日まで運用された車両ははK903編成組込のモハ403・402-12のみ。
- ^ ただし保留車扱い中の2007年11月14日にE501系の運用にK516編成が代走で充当された。
- ^ 以前は山陰本線から直通するJR西日本の気動車列車も存在。JR九州とJR西日本の普通列車直通運転は2005年9月30日に終了し、現在のJR九州所属車は下関までの運用である。
- ^ 413系の形式は、1986年に471系・473系を車体更新した改造車に付与された。
- ^ これ以降の新造車に搭載されている
- ^ 小倉工場では冷房改造時に最前部の通風器を後ろ側と同じ物にする改造は未施工。
- ^ 床厚を70mmから45mmに変更している
- ^ 現在の吹田総合車両京都支所。
- ^ 現在の網干総合車両所。
- ^ 現在の吹田総合車両所日根野支所
- ^ 現在の吹田総合車両所
- ^ これは、種車の113系の台車中心距離が413系より200mm長く、このままの位置では、パンタグラフの偏位が大きくなるためである
- ^ ただし抑速ブレーキは使用不可。
- ^ なおサハ411形は、車番的には若番となる1601が1701よりも製造が5年も遅い。
- ^ 1522ユニットは車両状態不良のため廃車。残存したクハ411-1522・1622は組換で余剰となったモハ415・414-1535と編成を組成。
- ^ K880編成は2004年12月にモハ415・414-1535→523へ、2005年の組換ではサハ411-1601→713の組換を実施。
- ^ 低運転台クハで最も遅くまで運用された。
- ^ ←原ノ町クハ415-701 - モハ415-707 - モハ414-707 - クハ401-51→上野
- ^ 403系・423系の主整流器は当初RS22形・RS22A形を使用していたが、1969年から実施された451系・471系の普通車冷房化改造で両形式に搭載されているRS5形・RS5A形とRS7形・RS7A形では整流能力が不足するため、両形式との主整流器の振替工事を実施しており、モハ402にはモハ450・452で使用されていたRS5形・RS5A形を、モハ422にはモハ470で使用されていたRS7形・RS7A形に振替えていた。
- ^ 特別保全工事に代わった更新工事も同時施工。
- ^ 集中冷房装置での改造に比べて、改造費が2/3に節減となった
- ^ 集中冷房装置での改造に比べて、改造費が1/3に節減となった
- ^ 車端側の点対称に設置
- ^ この時点でJR九州は営業用電車完全冷房化を達成した。
- ^ 装着跡も元からの塗屋根車と見分けが付かない程の処理を施工。
- ^ ししぶ・新宮中央は未開業。
- ^ 下りは水戸以北は普通列車となり平(現・いわき)まで延長運転。
- ^ 電車特定区間の取手以南(常磐快速線)で運転される列車の種別が快速、本系列で土浦以遠まで運転される中距離電車は普通ならびに特別快速とされた上に上野・取手以外は同一ホームでの発着、停車駅も特別快速を除けばすべて同一であること。さらには複々線の別線(常磐緩行線)を走行し東京地下鉄千代田線にも直通する各駅停車も運転される。このため利用者にとっては紛らわしい状況であることから本系列の前面幕は白幕表示。
- ^ 後にシンプルなデザインへ変更。
出典
- ^ 浅原信彦『ガイドブック最盛期の国鉄車輌5交直流・交流電車 新性能直流郵便電車 』ネコ・パブリッシング、2008年、36頁。
- ^ 0番台の4両は、投入当初は403系・415系と共に8連を組成していた。
- ^ a b 鉄道ファン2012年7月号「JR車両ファイル2012」p.19
- ^ “415系Fj7編成が小倉総合車両センターへ”. 鉄道ファン鉄道ニュース (2014年8月29日). 2014年9月5日閲覧。
- ^ RMニュース 2008年12月24日付け掲載 「【JR東+JR九】JR東日本の415系12輌をJR九州へ譲渡」
- ^ もと勝田車両センターK620編成が営業運転を開始
- ^ a b c 『鉄道ファン』通巻362号、p.37
- ^ 『鉄道ファン2011年2月号』交友社、2010年、p.99頁。
- ^ 『鉄道ファン』通巻362号、p.36
- ^ ローカル線“一色二鳥”ご当地カラー JR西、塗装の経費削減 - MSN産経ニュース 2010年1月8日
- ^ 七尾線用415系C07編成が赤色塗装で出場 - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、2010年2月18日
- ^ RM News 415系800番台 単色化完了
- ^ ジェー・アール・アール 編『JR電車編成表 2011冬』交通新聞社、2010年、p.137頁。ISBN 9784330184104。
- ^ 「鉄道ファン」2011年1月号117頁
- ^ ←原ノ町クハ415-1901 - モハ415-1535 - モハ414-1535 - サハ411-1601 - クハ411-1534 - モハ415-1534 - モハ414-1534 - クハ411-1634→上野
- ^ 『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース. “415系1500番台K526編成,解体へ?”. 2009年6月30日閲覧。
- ^ RMニュース 2008年12月24日付け掲載 「【JR東+JR九】JR東日本の415系12輌をJR九州へ譲渡」
- ^ 2009年6月24日付け掲載「415系Fm1501編成小倉工場から出場」
- ^ 『JR電車編成表』2010冬。
- ^ 2016年3月ダイヤ改正について - JR東日本水戸支社 2015年12月18日
- ^ “JR東日本 常磐・水戸線415系電車が定期運用から引退”. 交通新聞 (交通新聞社). (2016年1月20日)
- ^ 本改造に伴う編成組換で余剰となったクハ401-13・モハ401-7は1980年9月26日付で廃車。
参考文献
- 亥田友輝夫(JR西日本金沢支社検修課)「415-800番台」『鉄道ファン』第362号、交友社、1991年6月、36 - 37頁。
- 福原俊一 「415系物語」JTBパブリッシング 2015年 ISBN 978-4-533-10592-0
外部リンク
- JR東日本:車両図鑑>在来線 415系 - 東日本旅客鉄道