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塚田泰明

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 塚田泰明 九段
名前 塚田泰明
生年月日 (1964-11-16) 1964年11月16日(59歳)
プロ入り年月日 1981年3月5日(16歳)
棋士番号 148
出身地 東京都
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 大内延介九段
弟子 藤森哲也塚田恵梨花
段位 九段
棋士DB 塚田泰明
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 3回
順位戦クラス A級(7期)
2024年4月11日現在
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塚田 泰明(つかだ やすあき、1964年11月16日 - )は大内延介九段門下の将棋棋士。(棋士番号148)。東京都出身。1980年度(昭和55年度)にプロ入り(四段に昇段)した強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。

棋歴

プロ入り~A級昇級まで

  • 中学2年時の1978年に第32回アマ名人戦に出場し準優勝。同年11月に4級で奨励会に入会。そこからわずか2年4ヶ月後の1981年3月5日に四段に昇段するという記録的なスピードでのプロ入りを果たした。
  • 順位戦では参加2年目の第41期(1982年度)から好成績を連発し、当期C級2組順位戦を10戦全勝しC級1組へ昇級。翌第42期(1983年度)C級1組順位戦では8勝2敗で4位。第43期(1984年度)C級1組順位戦では10戦全勝でB級2組へ昇級。第44期(1985年度)B級2組順位戦では、トップと同星の8勝2敗で4位。第45期(1986年度)B級2組順位戦では、8勝2敗で2位となりB級1組へ昇級。そして、第46期(1987年度)B級1組順位戦では10勝2敗で1位となり、2年連続昇級でA級八段となる。
  • この間は順位戦以外においても目まぐるしい活躍を遂げ、若手の登竜門の棋戦でも3回優勝した。第2回(1983年度)早指し新鋭戦で棋戦初優勝(決勝の相手は高橋道雄)。同棋戦では4年後の第6回でも優勝(決勝の相手は森下卓)。新人王戦でも第17回(1986年度)で脇謙二との三番勝負を2連勝で制し優勝。
  • 1986年度に、相掛かりの先手番の超急戦戦法である「塚田スペシャル」を開発し、公式戦22連勝という前人未到の記録を樹立[注 1]するなど活躍した[注 2]。この連勝には、第17回新人王戦(前述)の準々決勝から決勝三番勝負までの白星の他、中原誠からの2勝、米長邦雄羽生善治森雞二からの1勝も含まれていた。尚、この連勝記録は、神谷広志が1987年2月から8月まで28連勝を達成したことによって半年程度で塗り替えられ、2022年3月現在は藤井聡太(29連勝)・神谷広志(28連勝)・丸山忠久(24連勝)に次ぐ歴代4位の記録となっている。

タイトル戦などでの活躍

  • 王将戦では第35期(1985年度)一次予選から勝ち抜き棋界屈指の難関とされる王将リーグ入り、4勝2敗で4位残留。翌第36期(1986年度)は5回戦で谷川浩司に負けただけの5勝1敗で中原誠とのプレーオフに進出(敗北しタイトル挑戦ならず)。第37期(1987年度)は前半で4連敗するなど振るわず2勝4敗で高橋道雄との残留決定戦に敗れリーグ陥落。
  • 1987年第35期王座戦でタイトル初挑戦。中原誠王座とのフルセットの戦いの末に3-2で奪取(1987年10月21日)。「55年組」の中で、高橋道雄中村修に次ぐ3人目のタイトルホルダーとなった[注 3]。塚田が中原の二冠の一角を崩したことにより、この時点で、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、珍しい状態が発生した[注 4]。この年度は、A級昇級(前述)を決めた年度でもある。
1987年10月21日時点のタイトルホルダー
名人 十段 棋聖 王位 王座 棋王 王将
中原誠 福崎文吾 桐山清澄 谷川浩司 (中原誠)

塚田泰明
高橋道雄 中村修
  • 第36期、王座の防衛戦では中原の返り討ちに遭い3連敗で防衛失敗、1期で王座のタイトルを失った。
  • 前期のリーグ成績不振により二次予選から出直しとなった第38期(1988年度)王将戦では即リーグ復帰も2勝4敗で陥落となった。
  • 棋聖戦では第53期(1988年度後期)から第56期(1990年度前期)まで4期連続でベスト4に進出。第56期では大山康晴島朗・高橋道雄を破り屋敷伸之との挑戦者決定戦に進出(敗北しタイトル挑戦ならず)。
  • 王座戦では失冠から2期後の第38期(1990年)でもベスト4に進出(準決勝で谷川浩司に敗北)。
  • 第41回NHK杯戦(1991年度)で森下卓郷田真隆・高橋道雄らを破り準優勝[注 5]
  • 第8回天王戦(1992年度)で羽生善治・南芳一らを破り準優勝[注 6]
  • 第61期棋聖戦(1992年度後期)棋聖戦でも2次予選を勝ち抜き本戦出場。本戦でも阿部隆・高橋道雄・南芳一を破り2度目の挑戦者決定戦進出(郷田真隆に敗北しタイトル挑戦ならず)。
  • 第44期王将戦(1994年度)で二次予選を勝ち抜き6期振りの王将リーグ入り(リーグは6回戦で有吉道夫に勝っただけの1勝5敗で陥落)。
  • 1997年第10期竜王戦で1組優勝(本戦では初戦3回戦で当期挑戦者となった真田圭一に敗退)。

九段昇段からフリークラス転出まで

棋風

  • 攻め100%」「昇天流」といわれる豪快な攻めの棋風で知られる。その攻めは「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と評されたほどである。
  • 電王戦での二つ名は「攻め十割の昇天流」。

人物

  • 左利きであり、左手で駒を持つ。
  • 妻は女流棋士高群佐知子、娘は女流棋士かつ弟子の塚田恵梨花。娘の恵梨花からみて両親が棋士と女流棋士というのは、将棋界初で唯一である[4]。恵梨花は2023年10月開始の第4期より女流順位戦A級に在籍しているが、父と娘が揃って順位戦(女流順位戦)A級在籍経験者となるのも将棋界初である。高群との結婚の前、二人で極秘に沖縄旅行に行ったが台風で久米島から帰れなくなり、テレビ収録の仕事を二人ともキャンセルした[5]。交際が公になっていなかったため二人は連盟に別々に連絡し、高群が電話で沖縄にいる旨を伝えた一方、塚田は沖縄と言うとバレてしまうので「いま南の島にいます」と電話したが、結局交際が発覚した。この一連の出来事は「南の島事件」と呼ばれ、棋界の人間を招いた結婚式でも披露された。
  • 師匠の大内にはNHKテレビテキスト将棋講座2012年5月号で「おしゃれな子だった」と入門時の第一印象を述べられていた。

弟子

棋士となった弟子

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
藤森哲也 2011年10月1日 五段

(2017年3月24日現在)

女流棋士となった弟子

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
塚田恵梨花 2014年10月1日 女流二段、A級在籍1期

(2023年7月3日現在)

対局・解説に関する逸話

  • 弟子の藤森哲也が、2011年10月1日付で四段に昇段。それから1年8ヶ月後に行われた第85期棋聖戦一次予選2回戦で藤森との「師弟対決」が実現、128手で後手の塚田が勝ち、師匠としての貫禄を示した。
  • 師匠の大内とは1985年から1999年まで延べ8回対戦し、3回“恩返し”を遂げた。
  • 2004年6月20日にNHK教育テレビ(現Eテレ)で放送された第54回NHK杯1回戦で豊川孝弘六段と田村康介五段(段位はいずれも当時)の対戦を解説。聞き手の女流棋士千葉涼子と大盤で今後の戦術を話していた最中、豊川が二歩の禁じ手を犯してしまった。塚田はその着手を確認するや否や「打っちゃったよ、打っちゃった」と困惑した口調で発言した。尚、当対局は「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」や「マツコ&有吉の怒り新党」という、将棋をテーマとしないテレビ番組でも取り上げられ、当該映像では塚田の声も確認できる。

昇段履歴

  • 1978年11月01日 : 4級 = 奨励会入会
  • 1979年12月01日 : 3級
  • 1979年03月01日 : 2級
  • 1979年06月01日 : 1級
  • 1979年08月01日 : 初段
  • 1979年11月01日 : 二段
  • 1980年09月01日 : 三段
  • 1981年03月05日 : 四段 = プロ入り
  • 1983年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1985年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1987年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1988年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)
  • 2000年12月15日 : 九段(勝数規定 /八段昇段後公式戦250勝

主な成績

獲得タイトル

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照。

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
竜王 0
名人 0
叡王 0
王位 0
王座 1987 2回 1期
棋王 0
王将 0
棋聖 0
旧タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
十段 0
登場回数2、獲得合計1期
タイトル戦登場
  • 王座:2回(1987年度=第35期 - 1988年度)
登場回数 合計2回

一般棋戦優勝

優勝合計 3回

将棋大賞

  • 第13回(1985年度) 技能賞
  • 第14回(1986年度) 連勝賞・技能賞
  • 第15回(1987年度) 技能賞
  • 第42回(2014年度) 升田幸三賞特別賞(塚田スペシャル[6]

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[7]
(出典)竜王戦
出典[8]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1981 40 C230 5-5
1982 41 C219 10-0
1983 42 C118 8-2
1984 43 C103 10-0
1985 44 B219 8-2
1986 45 B203 8-2 棋戦創設前
1987 46 B113 10-2 1 1組 -- 0-3
1988 47 A 09 4-5 2 2組 -- 1-2
1989 48 A 07 4-5 3 2組 0-1 4-0
1990 49 A 07 6-3 4 1組 1-1 3-1
1991 50 A 03 3-6 5 1組 -- 0-2
1992 51 A 08 4-5 6 2組 1-1 4-0
1993 52 A 08 4-5 7 1組 -- 2-2
1994 53 A 06 3-6 8 1組 -- 1-2
1995 54 B101 5-7 9 1組 -- 2-2
1996 55 B107 3-9 10 1組 0-1 4-0
1997 56 B202 7-3 11 1組 -- 3-2
1998 57 B204 6-4 12 1組 -- 1-3
1999 58 B206 4-6 13 2組 -- 2-2
2000 59 B211 8-2 14 2組 -- 0-3
2001 60 B203 5-5 15 3組 -- 2-2
2002 61 B208x 3-7 16 3組 -- 0-3
2003 62 B220*x 3-7 17 4組 -- 4-1
2004 63 C102 7-3 18 3組 0-1 4-0
2005 64 C104 5-5 19 2組 -- 1-2
2006 65 C115 4-6 20 2組 -- 0-2
2007 66 C119 5-5 21 3組 -- 0-2
2008 67 C113 7-3 22 4組 -- 1-2
2009 68 C106 8-2 23 4組 -- 2-2
2010 69 C13x 1-9 24 4組 -- 2-2
2011 70 C133*+ 7-3 25 4組 -- 1-2
2012 71 C108 6-4 26 4組 -- 1-2
2013 72 C111 3-7 27 4組 -- 1-2
2014 73 C128x 2-8 28 4組 -- 2-2
2015 74 C133* 4-6 29 4組 -- 4-1
2016 75 C128* 4-6 30 3組 -- 0-2
2017 76 C125* 3-7 31 4組 -- 3-2
2018 77 C130* 4-6 32 4組 -- 2-2
2019 78 C126*x 3-7 33 4組 -- 0-3
2020 79 C201x 2-8 34 5組 -- 0-3
2021 80 C247*x 2-8 35 6組 -- 0-2
2022 81 F宣 36 6組 -- 3-2
2023 82 F宣 37 6組 -- 0-2
2024 83 F宣 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1981 33 19 14 0.5758 [9]
1982 51 37 14 0.7255 [10]
1983 51 35 16 0.6863 [11]
1984 48 33 15 0.6875 [12]
1985 57 41 16 0.7193 [13]
1986 52 37 15 0.7115 [14]
1987 51 31 20 0.6078 [15]
1988 45 21 24 0.4667 [16]
1989 40 22 18 0.5500 [17]
1990 36 20 16 0.5556 [18]
1981-1990
(小計)
464 296 168
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1991 46 24 22 0.5217 [19]
1992 38 21 17 0.5526 [20]
1993 36 19 17 0.5278 [21]
1994 44 20 24 0.4545 [22]
1995 35 16 19 0.4571 [23]
1996 27 9 18 0.3333 [24]
1997 30 16 14 0.5333 [25]
1998 33 17 16 0.5152 [26]
1999 37 22 15 0.5946 [27]
2000 48 33 15 0.6875 [28]
1991-2000
(小計)
374 197 177
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 38 21 17 0.5526 [29]
2002 32 11 21 0.3438 [30]
2003 25 9 16 0.3600 [31]
2004 29 17 12 0.5862 [32]
2005 32 18 14 0.5625 [33]
2006 30 13 17 0.4333 [34]
2007 25 9 16 0.3600 [35]
2008 23 10 13 0.4348 [36]
2009 28 18 10 0.6429 [37]
2010 30 11 19 0.3667 [38]
2001-2010
(小計)
291 137 154
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 28 12 16 0.4286 [39]
2012 25 12 13 0.4800 [40]
2013 27 12 15 0.4444 [41]
2014 37 19 18 0.5135 [42]
2015 35 18 17 0.5143 [43]
2016 34 17 17 0.5000 [44]
2017 35 17 18 0.4857 [45]
2018 27 9 18 0.3333 [46]
2019 30 13 17 0.4333 [47]
2020 26 5 21 0.1923 [48]
2011-2020
(小計)
304 134 170
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2021 24 4 20 0.1667 [49]
2022 19 8 11 0.4211 [50]
2023 22 10 12 0.4545 [51]
2021-2023
(小計)
65 22 43
通算 1499 786 713 0.5243 [52]
2023年度まで

その他表彰

著書

出演

ゲーム

  • 将棋風林火山(スーパーファミコン用ソフト、1993年10月発売、ポニーキャニオン)5名の連名で監修

脚注

注釈

  1. ^ 塚田の連勝を止めたのは、谷川浩司である。
  2. ^ その後研究が進み有力な対抗策が現れたため、現在では塚田スペシャルが採用される対局はほとんどない。詳しくは、塚田スペシャルを参照。
  3. ^ その後、間もなく、南芳一島朗もタイトルを獲得して、55年組のタイトル経験者は5名となる。
  4. ^ 同年11月25日に、高橋が福崎から十段位を奪取して二冠となったため、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月で終わる。
  5. ^ 優勝者は羽生善治。
  6. ^ 優勝者は高橋道雄。
  7. ^ 優勝者は南芳一。
  8. ^ 田丸は既に降級点が確定していた。
  9. ^ 第63期で7勝3敗・第67期で7勝3敗・第68期で8勝2敗・第70期で7勝3敗。

出典

  1. ^ a b 塚田泰明九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月13日閲覧。
  2. ^ 「棋士に聞く本音対談 塚田泰明九段×中村修九段 55年組とは何だったのか?」『将棋世界』、日本将棋連盟、2013年8月、100頁。 
  3. ^ 昇段・引退・休場棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2022年4月1日閲覧。
  4. ^ 両親がともに棋士ってどんな家庭? 「父とは指したことがない」という塚田恵梨花女流初段に聞いてみた”. 文春オンライン (2020年3月13日). 2021年11月17日閲覧。
  5. ^ コラムの森 早指し将棋妙手奇手・アナウンサー島田良夫氏(2012年7月12日付アーカイブ)”. NIKKEI NET 将棋王国 (2003年3月20日). 2012年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月17日閲覧。
  6. ^ 第42回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月13日閲覧。
  7. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  8. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
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関連項目

外部リンク