「桐山清澄」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Botによる: {{Normdaten}}を追加
編集の要約なし
61行目: 61行目:


[[第33期竜王戦]]で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で[[井出隼平]]を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。
[[第33期竜王戦]]で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で[[井出隼平]]を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。

[[第34期竜王戦]]では前期に続いて5組残留決定戦に回ったが、2021年5月14日の[[上村亘]]戦に勝利して5組残留そして現役続行が決定した。なお、竜王戦5組残留で現役を続けられるという規定は2年間に限られるため、[[第35期竜王戦]]で4組に昇級することができなければ引退が決定する。


==棋風==
==棋風==

2021年5月14日 (金) 10:58時点における版

 桐山清澄 九段
第67期王座戦第3局大盤解説会にて(2019年10月)
名前 桐山清澄
生年月日 (1947-10-07) 1947年10月7日(76歳)
プロ入り年月日 1966年4月1日(18歳)
棋士番号 93
出身地 奈良県下市町
師匠 増田敏二六段
段位 九段
棋士DB 桐山清澄
戦績
タイトル獲得合計 4期
一般棋戦優勝回数 7回
2015年2月8日現在
テンプレートを表示

桐山 清澄(きりやま きよずみ、1947年10月7日 - )は、将棋棋士棋士番号は93。増田敏二六段門下。奈良県下市町出身。棋聖棋王のタイトルを獲得。竜王戦1組通算7期、名人戦A級通算14期。

棋歴

5歳ぐらいの頃、縁台将棋を見て将棋を覚える[1]

1957年4月、9歳で升田幸三門下となり上京して内弟子となるが、慣れない環境もありホームシックのために同年7月に帰郷する[2]

1958年、7級で増田敏二門下として再度、入門。旧制度の奨励会三段リーグに1964年前期から在籍。3期目に11勝1敗というずば抜けた成績で関西優勝をするが、中原誠との東西決戦で昇段を逃す。しかし、次期の1965年度後期で再び11勝1敗で1位となり、規定により東西決戦なしで四段昇段(プロ入り)を果たす。

順位戦では、第23期(1968年度)のC級2組で11勝1敗(1位)、第24期(1969年度)のC級1組で10勝2敗(2位)、第27期(1972年度)のB級2組で8勝2敗(1位)でそれぞれ昇級。そして、第29期(1974年度)のB級1組で12勝1敗で1位の成績を収め、1975年4月にA級八段となった。四段から八段までの昇段が、すべて順位戦の規定での昇段である。以降、12期連続でA級在籍。

1975年度、王座戦の決勝三番勝負で中原誠を2-0で破り、棋戦初優勝[3]

1976年度前期の棋聖戦でタイトル初挑戦。大山康晴に1-3で敗れ、奪取はならなかった。

1976年度前期の早指し選手権戦で優勝。同棋戦では、1983年度に2度目の優勝をしている。

1980年度の順位戦A級リーグにおいて7勝2敗で優勝し、1981年の名人戦の挑戦者となるが、中原との七番勝負は1-4で敗退。1983年度の第22期十段戦でも中原に挑戦したが、七番勝負は2-4で敗退。

1982年度、第1回全日本プロトーナメントにおいて、決勝三番勝負で青野照市に2-1で勝利し、初代優勝者となる。

1984年度、第10期棋王戦五番勝負で米長邦雄四冠王を3-1で破り、初のタイトル獲得。米長の永世棋王獲得(5連覇)を阻止した。翌年度、谷川浩司に0-3で奪われる。

1986年度から1987年度前半にかけては、大活躍する。第48期(1986年度前期)棋聖戦五番勝負で、またも米長邦雄からタイトル奪取し(3-1)、2度目のタイトル獲得。王座戦で中原誠に挑戦(0-3で敗退)。第49期(1986年度後期)棋聖戦で南芳一の挑戦を3-1で退け、タイトル初防衛。さらに、第50期(1987年度前期)棋聖戦で西村一義の挑戦を3-0のストレートで下し、棋聖3連覇(半年後に、南芳一に0-3で奪われる)。

1988年度、第1期竜王戦で1組優勝。

2007年8月9日、公式戦通算900勝を達成した。史上9人目で、59歳での達成は最年長記録[4]

還暦を超えてからも各棋戦において健闘し、3組在位で迎えた50代最後の竜王戦(2007年度、第20期)では決勝戦まで勝ち進み2組昇級を決めた[5]

2017年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントの予選で1回戦で井上慶太に、2回戦で小林健二に、決勝で増田裕司にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で飯島栄治に敗れ、本戦勝利はならなかった。

加藤一二三及び森雞二が規定により引退した2017年度以降は、桐山が最高齢かつ最古参、そして唯一の棋士番号2桁の現役棋士となっている。

2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、通算1000勝まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗[6]するほど大不振の年となり、第77期順位戦C級2組で2つ目の降級点を喫した。第32期竜王戦5組昇級者決定戦で伊奈祐介に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。

2019年度も公式戦で連敗が続き、2020年1月16日に行われた第78期順位戦C級2組8回戦で高見泰地に敗れ0勝8敗となり、この時点で3つ目の降級点が確定しフリークラスへ陥落。年齢制限により竜王戦を除く2020年度以降の公式戦の参加資格を失った。この年度も順位戦9回戦で近藤正和に勝利した1勝のみに終わった。

第33期竜王戦で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で井出隼平を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。

第34期竜王戦では前期に続いて5組残留決定戦に回ったが、2021年5月14日の上村亘戦に勝利して5組残留そして現役続行が決定した。なお、竜王戦5組残留で現役を続けられるという規定は2年間に限られるため、第35期竜王戦で4組に昇級することができなければ引退が決定する。

棋風

  • 攻めの棋風であるが、を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる。
  • 代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている[7]

人物

  • 名前の「清澄」は「きよずみ」と読むのが正しいが、長らく、周囲からも関係者からも「きよすみ」と誤読されていた[8]
  • 当初上京して升田幸三の下で内弟子となったが、ホームシックになって関西に帰って奨励会入りした。
  • プロとなった弟子に、矢倉規広豊島将之がいる。
  • 公益財団法人高槻市文化振興財団理事長を務めており、2018年より『桐山清澄杯将棋大会』(アマチュア将棋大会)が開催されている[9]

昇段履歴

主な成績

獲得タイトル

  • 棋聖 3期(第48期 - 50期)
  • 棋王 1期(第10期)
    登場回数10、獲得4

一般棋戦優勝

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第2回(1974年度) 勝率第一位賞
  • 第3回(1975年度) 殊勲賞
  • 第8回(1980年度) 敢闘賞
  • 第10回(1982年度) 敢闘賞
  • 第11回(1983年度) 最多勝利賞・技能賞
  • 第12回(1984年度) 殊勲賞

主な著書

関連項目

脚注

  1. ^ 将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^ 将棋世界」2020年5月号 P.8-P.11「師弟・2人の師匠」野澤亘伸
  3. ^ a b 当時の王座戦は、まだタイトル戦ではなく優勝棋戦であった(1983年度からタイトル戦となった)。
  4. ^ それまでの最年長記録は有吉道夫九段の57歳であった。
  5. ^ 決勝は久保利明に敗れ、本戦出場には至らなかった。
  6. ^ 公式戦の連敗記録では歴代2位となる。1位は野本虎次の31連敗で、3位は清野静男の25連敗。
  7. ^ 『将棋マガジン』1985年6月号「桐山清澄九段の燻し銀の芸(2018.04.16)」
  8. ^ 桐山がタイトル戦(2005年頃?の竜王戦か名人戦)の立会人としてNHKの生中継に出演した際、「きよずみ」が正しいけれども愛称として「きよすみ」と呼んでもらっている、という旨を、笑みを浮かべながら発言した。日本将棋連盟のサイトの棋士紹介ページで「清澄」の読みが訂正されたのは、そのすぐ後のことである。
  9. ^ 桐山清澄杯将棋大会/高槻市ホームページ”. www.city.takatsuki.osaka.jp. 2020年11月16日閲覧。

外部リンク