国鉄113系電車

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  1. 前面強化車の改造直後(無塗色)の画像
  2. サロ110形 0・900・1000番台の画像
  3. サロ110-301~303の画像
  4. サロ110-401の画像
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国鉄111系・113系電車
(共通事項)
JNR 113 series EMU 022 W.JPG
JR西日本湖西線113系
(2009年8月31日 おごと温泉駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
製造所 日本車輌製造川崎車輛/川崎重工業汽車製造近畿車輛帝國車輛工業東急車輛製造日立製作所
製造年 1963年[1] - 1982年、1989年
製造数 2,977両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
(架空電車線方式)
最高運転速度 100 km/h[2][注 2]
起動加速度 1.6 km/h/s (MT比1:1時)
減速度(常用) 3.0 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
自重 28.6 t (最小 サハ111-1000番台、非冷房車)[2]
44.0 t (最大 モハ112-2700番台、冷房車)[2]
長さ 20,000 mm(連結面間長さ)[注 1][2]
2,900 mm[2]
高さ 3,654 mm(屋根高さ)[注 5][2]
4,140 mm(パンタグラフ折りたたみ高さ)[2]
車体 普通鋼[2]
ステンレス(サロ124・125形)[2]
台車 DT21B(電動車)[2]
TR62(付随車[注 3][2]
主電動機 直流直巻電動機
MT46A形 100 kW×4基 / 両(111系)
MT54形 120 kW ×4基 / 両(113系)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式[2]
歯車比 4.82(17:82)[2]
定格速度 111系: 59.5 km/h (70 %界磁)
113系: 52.5 km/h (全界磁), 84.5 km/h(40 %界磁)
引張力 111系: 5,800 kgf (70 %界磁・電動車1組)
113系: 6,690 kgf (全界磁・電動車1組)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
制御装置 111系: CS12A形
113系: CS12G形[注 4][2]
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ[2]
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国鉄113系電車(こくてつ113けいでんしゃ)は、1963年に日本国有鉄道(国鉄)が開発した[1]直流近郊形電車

本項では、113系の設計のベースとなった国鉄111系電車についても解説する。

車両概説[編集]

111系[編集]

クハ111-1(佐久間レールパーク保存時代)
現在はリニア・鉄道館に保存されているクハ111-1車内。灰皿が備え付けられている所が時代の違いを物語る
JR四国で使用されていた111系
DT21B 形動力台車
DT21B 形動力台車
TR62 形付随台車
TR62 形付随台車

構造[編集]

湘南電車東海道本線東京地区普通列車)には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系153系が使用されていた[3]。しかし両形式は片開きの片側2ドア・デッキ付き構造でラッシュ時の客扱い能力に難があり、打開策として両開き片側3ドア・デッキなし構造の近郊形電車が投入されることになった[3]

1960年常磐線用に開発された交直流電車である401系と、その姉妹車で山陽本線鹿児島本線用の421系の直流専用型というべき位置付けである[4]。歯車比も同一の4.82であり、主電動機として1時間定格出力100 kWのMT46A形直巻電動機を搭載し、主制御器もCS12A形が採用されている[5]。車体構造や座席配置についてもほぼ同様であり、詳細は同系列の概要を参照のこと。

台車は空気バネ台車を使用する案もあったが、401系と同じくコストの面で有利なコイルばね台車が使用された[5]電動車用は401・421系用と同一のDT21B形であるが、付随車用台車はブレーキ頻度の高さを考慮して、修学旅行用の155系で実績のあるディスクブレーキ式のTR62形が採用された[6]

前面形状は、153系のうち1961年度以降製造された高運転台タイプと同じ構造である。先頭車前面の幌枠が70 mm突出しており、先頭車の車体長は153系や401系の19,570 mmに対し、111系では19,500 mmと短くなっている[5]前照灯は落成時点では大型タイプで、のちに前面強化工事と併施で小型のシールドビームに改造された車両もある。

車体塗装は、緑2号黄かん色のツートンカラーである湘南色が踏襲された[5]。遠方からでも153系との識別が可能なよう窓周りの黄かん色の範囲が広くなり、下部の緑2号は前頭部にも伸ばして前照灯の下方から貫通幌の下までV時に降ろす塗り分けとなった[5]

クハ111形のうち偶数向き静岡神戸方)に連結される車両は、床下に電動空気圧縮機 (CP) を搭載することから、300番台として区分されている[6]

相前後して1時間定格出力120 kWの強力型モーターMT54形が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年 - 1963年と短期間で終わっている。

111系の形式[編集]

記載順は過去からの慣例に準じる。

モハ111形 (M)
モハ110形とユニットを組む電動車で、主制御器主抵抗器、電動発電機 (MG) を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にMGが撤去された。
モハ110形 (M')
モハ111形とユニットを組む電動車で、パンタグラフ空気圧縮機 (CP) を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にサイリスタインバータ (SIV) が設置された。
クハ111形 (Tc)
111・113系を通しての制御車である。3位側隅にトイレがあり、300番台はCPを搭載している。同時期に登場した115系と異なり、奇数向き(東海道本線基準で東京方)が0番台 (Tc) 、偶数向き神戸方)が300番台 (Tc1) と区別されているが、非冷房車は奇数向き・偶数向き双方に使用が可能である(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339を除く)。初期車は、中間組み込み時に助士席側を折りたたみ、立席スペースとすることができる。
サロ111形 (Ts)

運用と改造[編集]

1962年6月より東海道本線東京口用として大船電車区(現・鎌倉車両センター)と静岡運転所(現・静岡車両区)に導入された[7]。1967年秋には横須賀線にも進出した[8]が、当初は東海道本線と同じ湘南色で使用されたため、誤乗防止の為前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。

登場当初の編成を以下に示す。基本編成中間に先頭車両(Tc)が組み込まれているが、これは新幹線が開通した際の編成短縮を見込んだためである[3]

登場当初の編成[3]
← 東京
神戸 →
クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc1)
+ クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
サロ111
(Ts)
サロ111
(Ts)
モハ111
(M)
モハ110
(M')
クハ111
(Tc1)
付属編成 + 基本編成

1974年以降、113系0'番台の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された時期が長い。なお、111系と同じ時期に製造されたクハ111形の一部は、鳳電車区(のちに日根野電車区)に転配され、関西本線湊町(現在のJR難波) - 奈良間や阪和線紀勢本線などで使用された。

(予讃線、観音寺-本山間、1996年4月7日)

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これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松 - 坂出多度津 - 観音寺間と土讃本線多度津 - 琴平間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36, クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年には、JR四国用として日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両(モハ111/110-3・4, クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活した。

瀬戸大橋線開業直後は岡山 - 高松間の臨時快速にも使用されたが、おもに瀬戸大橋線岡山 - 観音寺間と、ラッシュ時の高松 - 観音寺・琴平間の列車に使用されたほか、団体専用列車にも使用された。先述のように各部に改造がされていたが、老朽化のために1996年から2001年3月にかけて6000系や後述の113系改造車(→#JR四国)に置換えられ、全車が廃車となった[9]

なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314は後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番のうえ、2006年5月まで在籍していた[注 6]。また、台車・主電動機の一部は豊橋鉄道へ譲渡され、同社渥美線用の1900系の走行機器[10]として使用されたのち、さらに京福電気鉄道福井支社(現 えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ1101形(MC1101形)の走行機器[10]として2014年に同形式が全廃されるまで使用された。

旧静岡地区所属車のクハ111-1は佐久間レールパーク2009年11月まで保存されたのち、2011年3月に開館したリニア・鉄道館で保存されている。旧四国地区所属車のクハ111-3002は四国旅客鉄道多度津工場に保存されていたが、2011年12月に解体された[9]。モハ111/110-1が東海旅客鉄道浜松工場に保存されていたが、すでに解体されているものと思われる[注 7]。保存車はいずれも湘南色[注 8] である。

113系[編集]

JR東日本で使用されていた113系(湘南色)
(山陽本線、中庄 - 庭瀬間、2008年3月27日)

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1962年(昭和37年)に先行開発された111系をもとに、120 kWに出力が強化され新たに標準化されたMT54形主電動機を用いた形式が113系である[11]。これにともない主制御器、主抵抗器なども容量が増大された。1963年から1982年にかけて約2,943両(サロ124・125形を含めると2977両)が製造され、おもに本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。寒冷・急勾配路線用に並行製造された115系に対し、113系は平坦線用のため抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備しない[11]

JR移行に際しては、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社に引き継がれ、主に東海道本線山陽本線系統など平坦路線の普通・快速列車に運用されたが、後継形式への置き換えによって2007年にJR東海で、2011年にJR東日本[1]で、2019年にJR四国[12]で運用を終了した。2019年4月時点ではJR西日本に132両が在籍し、主に普通列車に運用されている。

113系の形式における新造車および改造車は以下のとおりである。なお、順番は過去からの慣例に準じる。

113系の新造形式[編集]

幕張車両センターマリ207編成のパンタグラフ

ここでは、113系の新造時から存在する形式を紹介する。製造区分によって違いがあるが、この点は下記の#新規製造車詳説を参照されたい。

モハ113形 (M)
モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む電動車で、主制御器と主抵抗器を搭載する。111系でM車が搭載していた電動発電機 (MG) は、主回路機器容量増大にともないM車に搭載するスペースがなくなったため、113系ではM'車に搭載されるよう変更された。
モハ112形 (M')
モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む電動車で、パンタグラフ、MGおよび空気圧縮器 (CP) を搭載する。
クハ111形
#111系の形式クハ111形参照。
サハ111形
付随車で、400・1500・2000・7000番台と5801以外はトイレを持つ。クハ111形と合わせて111が付番された。2000番台の登場時まで地上用のサハは5両しか製造されなかったため、車両数に対して数が少なく、1000番台初期製造車の地上転用やモハからの改造車、115系からの改造車、サハ代用のクハが多く存在した。長編成での運用の減少と共に廃車が進み、2007年5月28日にJR西日本で保留車となっていた最後の6両が吹田工場へ回送されて同年5月30日付けで廃車となり、形式消滅となった。
サロ113形 (Ts)
サロ111形 (Ts)
サロ110形 (T's)

113系の改造形式[編集]

ここでは、113系が改造された時に発生した形式を紹介する。

クモハ113形 (Mc)
モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む制御電動車である。改造車のみで、すべてモハ113形を種車とする。
クモハ112形 (M'c)
モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む制御電動車で、こちらも改造車のみである。すべてモハ112形を種車とする。
クハ113形 (Tc)
JR四国が購入したクハ111形0番台に付与した形式である。
クハ112形 (T'c)
JR四国が購入したクハ111形300番台に付与した形式である。

新規製造車解説[編集]

ここでは、新規に製造された113系の番台区分を解説する。改造車両の番台区分については次節を参照。

1962年に登場した111系の出力強化版として、113系の0番台が1963年に登場した[11]。1969年に登場した1000番台は、総武快速線の地下線乗り入れのため防火対策車として投入された[13]。1972年の1000番台増備車(通称1000'番台)は地下線でのATC導入に伴う設計変更車となり、ATCへの対応とともに冷房化(一部冷房準備工事)も実施されている[14]

1974年の湖西線開業に伴って、1000番台増備車の冷房化・防火構造をベースに耐寒耐雪構造を取り入れた700番台が投入された[15]。暖地用0番台の1974年以降の増備車(通称0'番台)においても、700番台や1000番台増備車と同様の冷房化・防火構造が取り入れられた[16]

1978年に登場した2000番台では、クロスシートのシートピッチ拡大が行われた[17]。1979年には1000番台のシートピッチ拡大版として1500番台が[18]、1980年には700番台のシートピッチ拡大版として2700番台が投入されている[19]

0番台[編集]

0番台・0'番台
Tc111-300 JRW aboshi.jpg
0番台グループのクハ111形(2002年)
基本情報
製造年 1963年-1969年、1974年-1977年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
座席53・立席 (オールロングシート先頭車)
座席64・立席 (オールロングシート中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW,ATS-ST
備考 111系も同一
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1963年(サハ111形のみ1969年)から製造された、113系最初の製造区分である[11]。当初は東海道本線東京地区および横須賀線に投入され、1964年には京阪神地区にも投入が始まった。横須賀線の0番台車については東京駅および新橋駅の地下ホーム乗入れにともなう難燃化対策の必要から、1970年代以降すべて後述の1000'番台に置換えられている。

機器類の標準化を図るため、主電動機は115系165系で採用されたMT54形が使用され、主電動機出力はMT46形の100 KWに対し120 kWに向上した[11]。外観は111系と比較して変化はなく、相互に連結も可能である。特に付随車および制御車には111系と同一構造で、形式および番号も111系の続番とされている。ただし、クハ111形の雨樋が乗務員室扉上まで延長されている。

設計上の母体となった401・421系および403・423系とともに、屋上のベンチレーター(通風器)の形状、配置が数回にわたって改良されている。大きな変化としては、1964年からクハ111形の運転台部分に乗務員への通風用の四角形の大型通風器が設置されるようになり、1968年からは雪対策として丸型(グローブ型)だった客室用通風器が、吸気調節のできる押込型に変更された[20]。サハ111形はすべて押込型での製造となっている。

クロスシート部の取手が従来は丸型であったが、1967年の増備車より角型に変更された[21]

1968年製造のモハ113-203は、当時便所・化粧室ユニットとして実用化されつつあったFRPを屋根構体に試用して製造された[22]。試用の結果、耐候性の点でFRPを構体に使用するには問題があることから試作にとどまり、1977年の冷房化改造の際、通常の鋼板屋根に変更された[23]

1964年2月に横須賀線・伊東線で営業運転が開始され、京阪神快速でも同年9月より営業運転を開始した[24]

1970年冷房試験車が京阪神地区に投入されている。103系に用意された冷房試験車と同様、AU73X、AU74X、AU75Xの3種の冷房装置と各種の風道方式が試験されたが、103系は試験用に新造された車両であったのに対し、113系は既存車の改造で賄われた。試験の結果は良好で、国鉄時代は一部車両に対しそのままの様式で冷房改造が進められた(→#冷房改造)。

ユニット窓 非ユニット窓
ユニット窓
非ユニット窓

1970年から1973年の間、1000番台の製造が重点的に行われたため、0番台の製造は中断した。その後、1975年3月のダイヤ改正で山陽本線の快速列車の運転と呉線の客車普通列車の電車化が実施され、首都圏の111系を山陽地区に転用するため首都圏に113系が1974年より新製投入されることとなった[16]。0番台の増備車であり、後述の700番台と同様に冷房車、防火対策が取り入れられている。

車体構造は後述の1000'番台・700番台の影響を受けており、窓別組立・後取付け(ユニット窓)で製造時からの冷房搭載車(新製冷房車)となり、前照灯も製造時からシールドビーム[注 9] となった。車輌番号は以前の車両の続番でモハユニット-233、クハ111-194・505、サハ111-5以降が付されたが、それらとは各部で形態が異なっていることから、非公式の呼称ではあるが「0'番台[16]」と区別されることが多いため、本稿でもその呼称を使用する[注 10]。なお、0'番台に相当する0番台のサハ111形は-5の1両のみであった。0’番台は首都圏と京阪神地区には大量に新製配置されたが、名古屋地区への新製配置はない。

各地で長きにわたって使用されており、老朽化により廃車が進行している中で1969年以前の車両でも運用されているものも存在する。JR東日本、JR西日本に承継された0'番台には延命目的で大規模なリニューアル改造(→#体質改善車)も実施された車両も存在したが、余命を考慮して2007年をもって新規施工は終了した。

1000番台[編集]

1000番台・1000'番台
JRE 113-SotobouLine.jpg
1000番台車で構成される幕張S221編成
基本情報
製造年 1969年-1973年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SN
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1000'番台(上)では乗務員室直後の窓配置が異なり、ATC機器室のため窓がない箇所がある。ATC非搭載車(下・2000番台)では乗務員室直後に2段窓がある
113系1000'番台(総武本線)

横須賀線総武快速線の地下区間(錦糸町 - 品川間、1972年錦糸町 - 東京間開業、1976年東京 - 品川間延伸)直通を目的に、1969年から製造された地下区間乗入対応車両グループである[25]0番台を基本に、運輸省(→国土交通省)制定のA-A基準に対応した難燃構造が採用された。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+300の「クハ111形1300番台」と区分されている。

パッキン材など一部の部品に使用されていた木材は廃され、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料も難燃性・不燃性材料に変更されたほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策がなされている。また、1972年以降に落成した先頭車(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339)は前照灯がシールドビームに変更されるとともに、方向転換不能とされ、主制御器もメンテナンスフリー化を図ったCS12Gに変更された。

しかし、開業間近の時期に地下区間の保安装置としてATCを導入することになったため、ATC装置を搭載し、あわせて冷房装置搭載など各部に大幅改良がなされた車両が1972年4月以降に新たに製造されることになった[13]。初期の209両は冷房準備車として落成しており、113系で唯一の冷房準備車となった[14]

従来の1000番台車両は、専ら房総地区(総武本線成田線鹿島線外房線東金線内房線)ローカル列車や0番台とともに東海道本線東京口で使用されることとなった。特に、サハ111形については東海道本線東京口に転用されたことから、0'番台での増備が1両にとどまることになった。このグループは「地上用1000番台」と通称されることもある。

新たに製造された車輌は先頭車の助士席後部にATC装置が搭載(一部は準備構造)され(助士席部分の折りたたみ構造は廃止された)、運転士側も後方に拡大されて急行形電車並みの広い構造に、従来車では前照灯と幌枠の間にあったタイフォン(警笛)が下方に移設され、ジャンパ栓がKE70形とされたほか、全車とも側面窓上に行先表示器が設置され、側窓は別組立・後取付けの「ユニット窓構造」が採用された[26]。車両番号は従来車に続いて、モハユニット-1055、クハ111-1026・1340、サハ111-1020以降が付番されているものの、従来の非ATC車両との区別のために、非公式の呼称ではあるが「1000'番台[13]」と区別されることが多く、本項目でもこの呼称を使用する。

また、トイレは設置位置、数は0番台や1000番台従来車と変化ないが、地下線の清浄化と保線作業者の影響を考慮して、循環式汚物処理装置が設置された(横須賀線向けに投入された車両は当初準備工事のみで後に設置)。また、主電動機もISO規格ネジを採用してメンテナンスフリー化を図ったMT54Dに変更された。後期の製造車は落成時から冷房装置を搭載した「新製冷房車」となり、MG容量は冷房・制御電源が一体化されて160 kVAとなった[26]。容量の増大にともない、搭載するモハ112形は側面中央扉の戸袋窓部分にMG冷却用冷却風取入口が設けられている。

この車体構造は以降の地上用の新製冷房車(0'番台)や700番台でも採用されたほか、115系300番台および415系0'番台でも採用されている。ただし、クハ111-1106・1419以前の車両は115系300番台以降の車両と異なり前面強化構造とはなっておらず、後年、前面強化工事が推進された。

地上用となった従来車は後に前照灯がシールドビーム化された車両もあるが、タイフォンが他番台と同じ前照灯と幌枠の間の配置となっているほか、窓構造や、ATCの装備がされていないために先頭車両の助士席後部の窓配置も異なっているなど、1000'番台との差異は大きい。冷房装置も、国鉄時代には1000'番台と同じAU75系が搭載されたが、民営化後にはJR東日本開発の集約分散式冷房装置AU712形2基/両を搭載した車両も存在する。中には非冷房のまま廃車となった車両も存在する。

国鉄時代にごく少数の初期非ATC車が中京圏・近畿圏に転用された他は[注 11]、当初の配置区所で使用され続けた。よって、国鉄の分割・民営化時にはほとんどがJR東日本に承継されている。

その後も長きにわたって横須賀・総武快速線および房総地区ローカル列車の主力車両として使用され、初期非ATC車を中心に更新工事、後期ATC車を中心にリニューアル工事も施工されたが、横須賀線・総武快速線では1999年にE217系への置き換えによって撤退する。一部の車両は小山電車区(現在の小山車両センター)に転出し、湘南色(塗り分けは115系と同様)に変更のうえ、E231系投入まで限定運用で使用された。房総地区でも2004年10月から状態の良い元東海道本線運用車(0'番台、2000番台)、2006年10月からはE231系の投入で余剰となった211系3000番台の転入があり、リニューアル車以外は消滅した。

このグループのサハ111形は、2005年に東海道線で更新工事施工のうえ使用されていた1両 (1015) が廃車されたのを最後に、形式消滅した。また、中京圏・近畿圏からJR東海・西日本に承継された車両も、阪和線で使用されていた1両(クハ111-6310・高速化工事で+元番号5000)が2004年に廃車となり、消滅している。

なお、横須賀・総武快速線からの撤退時には廃車となるゾロ目番号のクハ111-1111を含む編成が1999年(平成11年)11月11日にイベント列車として使用された。また、ATC付きの1000'番台は横須賀・総武快速線が禁煙区間とされたために灰皿は製造時から設置されていなかったが、ATC非搭載の1000番台では設置されていたため、房総地区では1997年3月のJR東日本管内普通列車全面禁煙化まで列車によって禁煙であったり喫煙可能であったりする現象が続いた。

700番台[編集]

700番台
JNR113-Kitoc13andC5-Green.JPG
5700番台車の京都C13編成
基本情報
製造年 1974年-1976年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席51(先頭車)
座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-S(新造時)
ATS-P,ATS-SW
備考 111系も同一
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1974年7月20日東海道本線山科駅北陸本線近江塩津駅を結ぶ湖西線が開業した[15]交流電化であった北陸本線と接続するため永原 - 近江塩津間に交流・直流のデッドセクションが設けられ、直流電化京都 - 永原間の普通列車に113系が使用されることとなった[15]。湖西線は寒冷地の降雪線区であることから、115系に準じた耐寒耐雪装備を持つグループとして1974年に登場したのが113系700番台である[15]

1974年から1976年にかけて、2M2Tの4両、4M2Tの6両、計84両が製造された。短編成のためサハ111形は製造されていない。クハ111形は奇数向き車が700番台、偶数向き車が750番台となり、10の位の数字で区分された[27]

1000'番台の車体をベースに客用扉の半自動(手動で開閉)対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造が取り入れられており[15]、115系300番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様であるといえる。運転台スペースも1000'番台と同様に広く取られたが、助士席側にあったATCの機器スペースはなく、窓配置と座席定員が変更されている[27]

1972年11月に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、以後の新製車は不燃性・難燃性を向上したA-A基準に準拠した構造となり[27]、700番台においても1000'番台と同様の防火対策が取り入れられている[28]。前面のタイフォン(空気笛)は、700番台以降では1000'番台と異なり、前照灯と同等の高さの位置に配置された[28]

新製時の配置は高槻電車区(現:網干総合車両所明石支所高槻派出所)で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区(現:網干総合車両所宮原支所)に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継された。JR発足後に吹田総合車両所京都支所(旧:向日町運転区 → 京都総合運転所)に転属している。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となり、一部は半自動扉の電動スイッチ化や体質改善工事も受けたが、2007年以降の新規施工は中止された。

登場以来、湖西線とその後電化された草津線で運用されているが、京都支所への転出後は山陰本線京都口(嵯峨野線)でも運用されている。嵯峨野線用は方向幕がLED化され電気連結器を持つ「C編成」、湖西・草津線用は電気連結器を持たない「L編成」とグループが分かれていたが、嵯峨野線における運用が終了したことに伴ってL・C編成とも湖西・草津線のみの運用に使用されている。このグループの中から、2003年電化開業の小浜線用として半自動開閉扉ボタン取付や座席改造が行われた2本が福知山運転所電車センター(現:福知山電車区)に転属したが、2006年の北陸線敦賀直流化に伴う125系増備により京都支所に復帰している。また、2005年福知山線で発生した脱線事故による117系の同線からの撤退を受け、補充用として宮原総合運転所に転用された車両も存在する。現在は電動車ユニット1組 (5768) が該当。

2008年から221系山陰本線京都口(嵯峨野線)転用に伴い、一部の車両は広島地区へ転用された。転用車の中には高速化の解除が行われ、原番号に復帰した車両も存在する。

2000番台[編集]

2000番台
JNR EC Tc111-2122.jpg
名古屋地区の113系2000番台(1988年)
基本情報
製造年 1978年-1982年
主要諸元
編成定員 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW,ATS-ST
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1955年より使用されていた東海道本線名古屋地区の80系は、1978年より113系の新製投入で置き換えられることとなり、115系1000番台で採用されたシートピッチ拡大などの設計変更も実施されることとなった[17]。0番台の後継に相当するグループとして、1978年から製造(サハ111形は1980年から)された地上温暖地向仕様の番台区分が2000番台である[17]

クロスシート部の座席間隔(シートピッチ)の拡大(1,420 mm → 1,490 mm[29])・座席幅の拡大(880 mm → 965 mm)、形状変更とこれに伴う窓の割付の変更、座席定員の減少などがなされたため、番号が区分された。CP付きの西(偶数)向き先頭車(クハ111形2000番台)は全車トイレ付きだが、CPなしの東(奇数)向き先頭車(クハ111形2100番台)は2145までがトイレなし、2146以降はトイレ付きと製造途中に仕様変更が行われた。

後期に製造された車両は屋根上冷房装置横のランボード(歩み板)などの構造が当時製造されていた201系量産車に準じたものとなっている。

サハ111形2000番台のうち、2001 - 2007・2009 - 2012・2025は1983年から2000年に大船電車区(現在の鎌倉車両センター)と幕張電車区(現在の幕張車両センター)に配置され、1000'番台に連結されて横須賀・総武快速線で使用されていた。1000'番台・1500番台との主たる相違点はジャンパ栓だけであり、0'番台以降、車両の耐火基準は地下用のA-A基準に沿って製造されているので、地下線区間走行に問題はなかった。

第一陣は80系の置き換え用として大垣電車区に、その後同じ1978年に高槻電車区、宮原電車区に投入された。関東地区においては1980年、国府津電車区への配属が最初である。現在、東海道本線からは撤退したが、比較的新しい本グループは他番台置き換えなどで温存される例が多く、近年までJR東日本・東海・西日本に多数在籍していた。例えば、国府津車両センターから幕張車両センターへの転属車は一部の先頭車を除いて2000番台が対象であった。しかし、状態の悪い老朽車や短編成で必要のないサハ111形は順次廃車・解体が進んだ。またJR東海所有の車両は313系3次車の投入に伴い、2006年8月から2007年3月にかけて廃車が行われ、定期運用が消滅した。

また、京都総合運転所「C編成」に組成されておもに山陰本線京都口(嵯峨野線)で使用されている車両は、特に番号区分などは行われないまま寒冷地対策でスイッチ式半自動扉への改造が行われている。これらは方向幕のLED化も行われた。

1500番台[編集]

1500番台
Kuha111 1505.jpg
113系1500番台
基本情報
製造年 1979年-1982年
主要諸元
編成定員 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SN
ATC-5
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1980年10月のダイヤ改正で、東海道本線横須賀線の分離(通称:SM分離)が行われるとともに、横須賀・総武快速線の直通運転が実施された[30]。この直通運転に伴う増備車として、1000'番台をベースに2000番台の車体構造を取り入れたシートピッチ拡大車として1979年から製造されたグループである[18]。CP付きの西(偶数)向き制御車は、基本番号+100の「クハ111形1600番台」と区分されている。また、6両製造された東(奇数)向き制御車のうち、1504までがトイレなし、1505と1506はトイレ付きと製造途中で変更がある。

他の番台と比べ、前照灯とタイフォンが若干高い場所に設置されている。

全車が大船電車区・幕張電車区に新製配置され、横須賀・総武快速線で使用された。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継された。E217系投入後は、房総地区ローカル用に幕張電車区配置となったほか、一部は車両需給の都合から国府津電車区に転出し東海道本線東京口で使用された。サハ111形は1両(1501 廃車)を除き国府津電車区に転出し、老朽化したサハを置き換えている。サハ111形は国府津車両センター(2004年に改称)へのE231系投入に伴い転用先がなく全車廃車となり形式消滅しているほか、国府津に転用された1500番台は幕張車両センター(2004年に改称)に再転属されず全車廃車となった。幕張車両センターに配置されている1500番台はほとんどの車両にリニューアル工事が施工された。しかし、モハ113・モハ112-1517・1520は未施工であったが、モハ112-1517は補助電源装置と空気圧縮機をリニューアル施工車と同一品に交換している。

クハ111形1500番台(1600番台)は、最後の2両(クハ111-1504・クハ111-1602)が幕張車両センターS224編成の両先頭車に組成されていたが、2011年8月30日に長野総合車両センターへ回送された[31]


2700番台[編集]

2700番台
JNR 113 series EMU 027 W.JPG
7700番台(元2700番台)の京都L14編成
基本情報
製造年 1980年
主要諸元
編成定員 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車)
座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW
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1980年3月に草津線草津駅 - 柘植駅間が電化され、湖西線との共通運用のための113系が増備されることとなった[19]。2000番台と同様のシートピッチ拡大を行い、700番台と同様の寒冷地対策が追加されたグループとして1980年に登場したのが113系2700番台である[19]。このグループも、115系1000番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様といえる。

先頭車のクハ111形は、奇数向き車が2700番台、トイレのある偶数向き車が7750番台に区分された[19]。700番台同様、サハ111形の製造はない。

1980年に4M2Tの6両編成2本が製造され、草津線電化開業時から湖西線用700番台と共通運用されてきた。1983年から1984年にかけて4両編成に組み直された際に不足した先頭車は、後述のクハ111形2000番台からの改造編入で賄われている。

全車がJR西日本に承継され、現在は全車が高速化改造されて番号に5000を加えた「7700番台」となり、体質改善工事を受けている。その後も湖西・草津線で運用されてきた。JR西日本では後述のとおり2002年から2003年にかけて追加で改造車が誕生している。

改造車[編集]

本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。

国鉄時代[編集]

特別保全工事[編集]

1960年代に製造された車両は1980年以降老朽化が進み置き換えの対象になったが、当時の国鉄の財政では新造車両への置き換えは困難だったため、製造から15 - 16年経過した車両に対して全般検査2回分の延命を図る延命工事を施工した。これが特別保全工事である。

おもな施工項目は

  • 屋根鋼板の補修
  • 雨樋補修
  • 外板補修(屋根・腰板部・窓周辺など)
  • 側窓枠取替
  • 空気配管取替
  • 主回路配線取替
  • 便所床鋼板取替

このほか、施行工場によっては、引戸の取替や内装更新(化粧板、シートモケットの配色交換)、塗屋根化なども追加で実施したほか、冷房改造や汚物処理装置取り付けも併せて行った車両も存在した。民営化後も引き続き各社で行われたが、延命工事に切り替えたため、施行車両は少ない。なおJR東海では平成に入ってから、施行の際に化粧板が211系同様のものに取り替えられた車両も存在した。

冷房改造[編集]

  • 試作冷房改造

0番台の項で触れたが、1970年に試作冷房編成が京阪神地区に投入された。改造されたのはサロ112形を含む以下の1編成8両である。

←東
クハ111-52+モハ113-55+モハ112-55+クハ111-360+サロ112-14+モハ113-15+モハ112-15+クハ111-369

冷房装置はクハ111-360とモハ112-15が東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369が日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55が三菱電機製AU75X形と集中式3種類が車体・台枠を補強のうえで搭載され、車内の意匠も冷房風道や吹き出し口の配置、扇風機の有無も数種類が存在した。冷房用電源装置は、製作期間の関係から急行用の110 kVAのMGを流用しクハ111形に搭載した。

一方、サロ112-14は同系の車体を持つ165系サロ165形455系サロ455形と同様の分散式AU13E形が搭載されたが、それらが5基搭載だったのに対して6基搭載とされた。 宮原電車区に配備されたサロ112-3についても同様の改造が行われた。

なお、同じサロ112でも、1, 13, 17, 19, 21 - 29, 51, 101 - 104は、サロ152・サロ163時代に冷房電源として、MH122A-DM76の20 kVAのMGを装備していた。
この編成は1972年2月、クハ111-369とサロ112-14を除き鳳電車区に転じて阪和線で使用された。1976年度以降冷房装置を量産タイプのAU75Bに載せ替えたが、クハのMGはそのままであり、モハ112もMGは設置されなかった。
クハ111-369は1986年に800番台に改造された。国鉄の分割・民営化時には7両全車がJR西日本に承継された。
0番台のままだった6両は1991年に800番台および415系800番台の種車となった。冷房電源が量産車と異なりやや特殊な存在ではあったが、415系改造時にクハ搭載のMGが上手く生かされた形になった。
番号の対照は以下のとおり
モハ113-15→モハ113-813→クモハ113-3813
モハ113-55→モハ113-819→クモハ113-3819
モハ112-15→モハ414-810
モハ112-55→モハ414-804
クハ111-52→クハ415-801
クハ111-360→クハ415-807
クハ111-369→クハ111-810

※クハ111-810は2005年、クモハ113-3813と3819は2008年に廃車され、現在は415系800番台に改造された4両が残る。

  • 1971年度冷房改造

試作冷房車の使用実績から、冷房装置は小型軽量化の点で勝るAU75X形が標準機種として選定され、扇風機が無いクハ111-52の方式を基本としたAU75系が上記3社の手で量産が開始された。この時の対象車は試作冷房改造車に続いて関西地区の配属車が選ばれ、当時113系で運転されていた新快速運用で並行私鉄(阪急京阪など)との対抗に利用された。このグループも試作冷房改造車同様、クハにMGが設置されている。また、冷房装置本体が後位寄りに設置されている。

番号は以下のとおり(両数が多いため、改造後の車番は割愛)
モハ113+モハ112
12・18・30・31・66・111・164・168
クハ111
66・68・151・172・338・339・340・342・351・352・382・417・458
これらのグループも、クハ111-340・351・417・458を除き、改造間もない1972年に鳳電車区に転じ、阪和線で使用された。(クハ111-351は1978年に鳳に転属)
JR移行後、試作冷房改造車同様に800番台や415系800番台の種車に転用された。
  • 量産形冷房改造

1973年以降、同年製造の1000'番台に準じて、冷房電源はモハ112形のMGを20 kVAから冷房電源兼用の160 kVAに交換して、自車を含む4両に給電する方式に変更された。また、同時に一部の車両(初期改造車)を除いて側面行先表示器の準備工事が施工され、競合する直下の窓は上段が固定化された。

名古屋工場改造車は、改造時に屋根上ベンチレーターが押込式であったものが、グローブ式に換装され、冷房本体の位置が後位寄りに設置された。
幡生工場改造車は、冷房装置前後の押し込み式ベンチレーターを、新製冷房車後期グループ同様に冷房本体から離れた位置に移設している(115系にも同様の改造が施工された)。

方向転換改造[編集]

  • クハ111形の方向転換

国鉄時代の1984年2月のダイヤ改正で、奇数向き先頭車が不足するため、網干電車区配置の偶数向きクハ8両が方転改造された[注 12]

番号の対象は以下のとおり
クハ111-357・367・481・436・457・462・449・455 → クハ111-263・264・265・266・267・268・269・270

このうちクハ111-263(旧357)と-264(旧367)は方転前に幕張電車区に転属し、正確には幕張区転属後に方転されている。この2両のみ非冷房で、1994年までに冷房改造されることなく廃車された。265 - 268は冷房改造車の方転、-269と-270は方転後にAU75による冷房改造がされた。JR化後には-268以外は後述の高速化対応工事が施工され+5000となった。

JR西日本になってからの1991年には上記と同様の理由で、同じ網干電車区配置の偶数向きクハ3両が方転改造された。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-347・374・411 → クハ111-276・277・278

-276と-278はWAU102形冷房改造車、277はAU75冷房改造車の方転であり、すべて後述の高速化対応工事が施工され+5000となったが、現在は全て廃車されている。

クハ111形は前述のとおり、非冷房車は除き奇数向き (Tc) ・偶数向き (Tc1) ともに両渡り構造のため、静岡地区では国鉄末期 - JR初期に伴い改番を伴わない方転改造車が存在した。これらは211系投入により非冷房、奇数向きのまま廃車された。

クハ111形の耐寒耐雪改造[編集]

1984年2月のダイヤ改正で、当時高槻電車区の700番台2700番台が短編成化により先頭車が不足するため、同じ高槻電車区配置のクハ111-2000番台8両[注 13]が改造された。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-2109 - 2112 → クハ111-2703 - 2706
クハ111-2009 - 2012 → クハ111-2753 - 2756

付番は新製車の追番。改造内容は側引戸の半自動化とシャッター付タイフォンカバーの取付(新製車とは異形状)と予備笛の追加である。JR化後に全車体質改善工事を受けている。またJR西日本でも中間車を含め追加改造車が誕生している。

電装解除車[編集]

  • サハ111形300番台

房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があったのと、クハ111-1307、モハ112-1027の事故廃車補充および伊東線用の4+7編成1本を11両編成1本に組み替えるために、1984年1985年にダイヤ改正で余剰となるサハ115形300番台4両を改造して登場した番台区分である。外観は115系と変わらず、115系の特徴である半自動扉対応の取手などもそのままであった。このため、当番台の側扉開口幅は他車より狭い1,100 mmとなっている。301 - 304が改造され、全車が国府津電車区(→国府津車両センター)に配置された。これにより同区のサハ111-2000台3両が大船電車区(→鎌倉車両センター)に転属し同区の編成中間のクハを捻出した。東海道本線東京口基本編成で運用されたが、横須賀・総武快速線へのE217系投入による同線からの1000・1500・2000番台の転入に伴い、1995年から1999年にかけて全車が廃車された。この中で302と303がトイレ対向部を除いてロングシート化改造を受けた。

  • サハ111形400番台

サハ111形300番台と同じ理由で1986年1988年にモハ113・112形を電装解除して登場した番台区分で、401 - 404が存在し、奇数号車がモハ113形(273・1058)、偶数号車がモハ112形(273・1058)からの改造車である。サハ111形0・1000番台との相違点は電動車からの改造のため、車体妻面の主電動機への冷却風取入口が存置されている他、モハ112形からの改造車は電動発電機冷却風取入口の存置やパンタグラフを撤去した跡が残っていた。403・404は、種車のモハ113・112-1058が冷房準備車だったために扇風機のスイッチ跡が残っていた。前述のサハ111形300番台と同様に東海道本線東京口で運用され、のちに403は全座席ロングシートに改造された。403以外は1998年に、403も2000年に廃車された。

  • クハ111形1200番台

脱線事故によりユニットの片方を失ったモハ113-1027を1983年に制御車に改造して登場した番台区分で、種車の前位に運転台を、後位にトイレを設置して奇数向き固定使用とされた。改造を施工した大井工場にクレーンが無かったため、台枠を切らずに運転台を構築する方法で改造されている。-1201の1両が存在し、幕張電車区(現在の幕張車両センター)に所属して房総地区で運用していたが、2001年に廃車されている。

800番台[編集]

クモハ113-811(大阪駅、1988年)
新福知山色へ変更後の800番台(道場 - 三田間、1991年)

1986年福知山線宝塚 - 福知山間および山陰本線福知山 - 城崎(現在の城崎温泉)間の電化開業に伴い、ローカル列車に113系が充当されることとなった[32]。国鉄が大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)で0番台に対してドアの半自動化(手動)など、700番台に準じた寒冷地対策を施工したグループが800番台である[32]。800番台を名乗るが、パンタグラフ取り付け部低屋根化改造は行われていない。

この時期には国鉄の財政事情も厳しくなっており、各地から集めた余剰車を改造することとなった。種車となる113系0番台の捻出は、京阪神の新快速への117系100番台の投入による113系の捻出、京阪神緩行線への205系の投入と103系の関西本線転出による113系の捻出、中央東線165系紀勢本線転用による113系の捻出を行うなど、複雑な転属により行われた[32]

編成は輸送需要を考慮して2M2Tの4両編成、2Mの2両編成が組成され、2両編成の先頭車化改造車はクモハ113形・クモハ112形に区分された[33]。国鉄時代には4両編成9本と2両編成14本の64両が改造された。2両編成はモハユニットに運転台を増設することで賄われている(#改造形式を参照)ほか、一部は冷房改造が併施された。

種車は大部分がグローブ型ベンチレーターを持つ最初期に製造された車両で、寒冷地には不向きであったが、冬季の雪や冷風の吸い込みを抑えるためのカバー取り付け(車両前後方向の吸気口が塞がれ、開口面積が半分程度にされた)が行われたのみで使用された。また、種車の関係で非冷房車の率が比較的高く、800番台化改造時に冷房搭載が行われた車両も電源用MGは廃車となった特急型電車の食堂車から70 kVAのMGが調達されている[33]。クハ111形の前面形状もバラバラであった。なお、非冷房で残された車両は後の分割民営化後に冷房改造され、車両毎の形態差が複雑化することになる(#簡易冷房改造車を参照)。

戸閉機械も本来半自動用でないTK4形の改造品を搭載しており、当初からの半自動対応車よりも開閉し難くなったことから、客用扉の取っ手は持ちやすいよう従来より大型の物が設置された(同様の工事を受けた103系仙石線用改造車や105系可部線用改造車に倣っている)。2両編成のクモハ112形にはトイレが新設され、汚物処理装置が全車に装備されたが、電動車で床下にスペースが無かったことから、水タンクは車内トイレ脇に設置された[33]

元番号とは関係なく、改造順に801 - の番号が付された。クハ111形は他番台のような向きによる番台区分はされず、CP無しの東(奇数)向き先頭車は奇数番号、CP付きの西(偶数)向き制御車は偶数番号とされた。福知山運転所に配置され、4両編成の一部は改造後、車両不足を補うため日根野電車区に貸出され紀勢本線を中心に運用されたこともある[34]。全車JR西日本に承継された。のちにJR西日本では七尾線電化関連で追加改造が行われている(#七尾線電化関連を参照)。

番号の対照は以下のとおり
  • 国鉄投入分
モハ113/112-69・48・146・82・63・101・54・83・86→モハ113/112-801 - 809
クハ111-129・384・148・396・114・445・118・376・78・369・112・398・50・467・94・334・95・390→クハ111-801 - 818
モハ113/112-135・134・81・80・163・175・169・160・72・115・145・148・219・230→クモハ113/112-801 - 814

JR東日本[編集]

国鉄から大量に継承したが、新形式の投入に伴い現在は全車両が定期運用を退いている。

AU712形による冷房改造車[編集]

国鉄時代、非冷房車は新造車と同じAU75系冷房装置によって冷房改造されていたが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため搭載には構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた。113系では幕張電車区に所属していた房総地区の車両には大量の非冷房車が残っており、対応が急がれた。1000'番台冷房準備車はAU75による冷房改造を実施したが、初期車は1988年以降、屋根上に複数の冷房装置を搭載し、重量を分散することで補強を不要とする集約分散式冷房装置を使用しての冷房改造に移行した。

最初に施行された3両(クハ111-1007・モハ113/112-1014)は、AU75形冷房車との混結となるため冷房電源はモハ112形のMG交換による容量増強で対応していたが、その他の車両は編成単位で改造が行われたため、工期・費用を削減するために屋上別取付のSC24形補助電源装置 (SIV) も同時に取付けたタイプで登場した。多くの車両は車両更新工事と同時に行われたが、一部の車両は車両更新工事または特別保全工事施行後に冷房改造が行われた。

1992年に対象車両の改造が完了したが、これらの車両は車齢が高い上にAU712形の冷却能力が低いのが欠点であり、特別保全工事車は1996年以降E217系の投入により早期に廃車され、その他の車両も2004年以降国府津区にE231系が投入されたことにより捻出された状態の良い113系で置き換えられ、2006年中に全車廃車となった。

オールロングシート車[編集]

1989年から1992年にかけて、混雑の激しい東海道本線横須賀総武快速線の一部車両において、クハ・サハ111形のトイレ対向部以外の座席をすべて撤去し、ロングシートに交換された。これにより床面積が大幅に増加し、輸送力が向上した。新設された座席は211系415系のロングシート車に準じたバケット構造(座席に体形にあった定員分の凹みを設け、より快適な着座感を期待するほか定員着席を誘導する構造)とされ、サービス維持と着席定員低下防止が図られた。改造時に車両更新を併施した車両も存在したが、シートピッチ拡大車は改造の対象からは除外された。

両線で対象とする号車が異なり、東海道本線の田町電車区(のちの田町車両センター、現在の東京総合車両センター田町センター)では11両編成中の普通車9両(7編成で計63両)が、横須賀・総武快速線の大船電車区(現在の鎌倉車両センター)では11両編成中のグリーン車前後各2両の4両(11編成で計44両)が改造された。なお、田町所属編成はのちに国府津電車区(現在の国府津車両センター)へ転属している。

E217系の増備により、大船電車区所属車のうち状態の良い車両更新車は国府津電車区に転じたほか、モハ113/112-1125、-1127は小山電車区に転属し、E231系投入まで使用されその後廃車された。国府津電車区でも廃車や編成替えによって徐々にロングシート統一編成が崩れていったが、追加改造はなされなかった。これらは他線転用の対象にもならず、本系列が東海道本線から撤退した2006年に消滅した。

対象は下記のとおり
車号太字は車両更新車
  • 国府津電車区配属車
クハ111-194・198・202・215・218・226・237、527・528・536・537・539・550・556
モハ113/112-236・252・253・256・260・262・266・267・268・274・278・279・281・285・287・289・300・315・316・319・321
サハ111-302・303・403・1001・1014・1015・1018
  • 大船電車区配属車
モハ113/112-1064・1065・1070107310811082・1125・1127・1130・1132・1146・1149・1157・1172・1176・1183・1206・1208・1210・1217・1228・1265

モヤ113形[編集]

異常時の対応や車両故障時の応急処置など、乗務員のための巡回訓練用車両としてモハ113形(#新造形式を参照)から改造された職用車。車内は後位側(東海道本線基準で熱海側)半分の座席が撤去されてミーティング用スペースと視聴覚教育用のAV機器が設置された。車外は側面に訓練車であることを示す白帯2本と「訓練車」の文字が追加された。

当初、1991年に0番台モハ113-68がモヤ113-1に改造されたが、1995年に同じく0番台で、経年の浅いモハ113-192改造のモヤ113-2と交代で廃車された。モヤ113-2は2005年まで使用されたが廃車され、形式消滅している。

前面強化車[編集]

1992年に113系のクハ111-1038が成田線で踏切事故に遭い、乗務していた運転士が変形した運転台に挟まれて殉職した(成田線大菅踏切事故)。JR東日本はこの事故を受け、衝突からの乗務員保護のために先頭部にステンレス板(一部鉄板の例もあり)を追加する工事を進めた。

この種の工事は国鉄時代から行われていたが、同事故以降はより耐性を高めるため、それ以前や他のJRよりも徹底した、独自のメニューに移行した。下部のアンチクライマー(板状の物体)は1枚から4枚(ジャンパ連結器収め部分は2枚)に増強され、窓下の手すりは撤去されて衝撃吸収板が設置された。本来、アンチクライマーは正面衝突時に噛み合うことで他車への乗り上げを防ぐものであるが、ここでは障害物に対する意味合いが強い。年内に全ての非施行車を強化するため、各電車区でも工事が行われた。このうち横須賀・総武快速線の大船電車区と幕張電車区(いずれも現在の鎌倉車両センター幕張車両センター)の両区での施行車には、塗装を省略してステンレス地に帯テープを貼付されたのみで出場した車両も存在したが、工場入場時に塗装が行われ、短期間で消滅した。

なお、前照灯白熱電球であった車両は改造と同時にシールドビームへの交換が行われたため、工事の完了によって白熱電球装備車も消滅している。

車両更新車[編集]

JR東日本では発足当初、国鉄時代から行われていた特別保全工事によって車両延命を行ってきたが、特別保全工事に代わり、一層徹底した施工内容による延命工事で、施工当初は1967年 - 1972年製の車両を対象に1988年から1993年まで実施されたが、後に1972年以降に製造された車両も追加された。113系では幕張区の0・1000番台初期車、幕張・大船区の1000'番台の一部、東海道本線で使用されるサハ111-1000番台が中心に施行され、のちに国府津区の113系0'番台も一部施行された。

おもな施工項目は

  • 屋根鋼板の補修とポリウレタン樹脂系塗屋根化
  • 雨樋取替
  • 外板取替(屋根・腰板部・窓周辺など)
  • 側窓枠取替
  • 外板塗装更新
  • 空気配管取替と除湿装置取付
  • 主回路配線引替
  • ジャンパ連結器の引替と片栓車の両栓化
  • 引戸の取替(上レール・下レール座・戸車取替)
  • 室内化粧板とカーテン取替
  • 腰掛脚台、蹴込

板とモケット取替(フットライン入り)

  • 握り棒、荷物棚のステンレス化吊手の取替
  • 各ゴム類の黒ゴム化(戸先、戸当り、Hゴム、押えゴム)
  • 側扉ガラス支持方法の変更(Hゴム方式から金属押えゴム方式:一部車両はドア自体を金属押え方式のものに交換)

これらは多くの工場が担当しており、化粧板の柄や腰掛モケットが微妙に異なるなど、仕様に差異が見られ、大井工場施工車の一部には袖仕切が設置されている。1994年にE217系が登場すると車両更新工事は中止され置き換えられた。

リニューアル車[編集]

幕張車両センター所属のリニューアル車の車内

1999年より、幕張電車区(現幕張車両センター)配置の1000'番台後期車・1500番台を対象にリニューアル工事が行われた。内容は、コンプレッサーをレシプロ式からスクリュー式へ交換、座席の交換および車椅子スペースの設置、台車の軸箱の密封コロ軸受への改造、補助電源装置のMGからSIVへの交換などが挙げられる。編成番号は、4両編成はS221 - S225、6両編成はS61 - 71が与えられた。これらの編成は後年に列車番号表示機がLED化された。なお、モハ112-1252と1517はリニューアル工事は施工されていないが、補助電源装置やコンプレッサーが変更されている。

幕張区の車両のみではクハ111が不足するため、以前から配置されていた0'番台先頭車 (-231, -249) もリニューアルが施行された。この他に、廃車対象ながら状態の良かった小山電車区所属(旧大船電車区所属)の-1138, -1455の2両を転属させた他、幕張区の1000'番台車両更新車と国府津電車区の未更新車 (-244, -552, -1602, -2146) との交換が行われた。-2146は2000番台として唯一リニューアル工事が施工された。

リニューアル工事は2001年まで実施された。

車両需給調整関連[編集]

  • クハ111形の方向転換

1988年、国府津電車区所属のクハ111-173が方転改造(偶数方)され幕張電車区に配属された[注 14]。1991年にクハ111-183が改造、1992年にクハ111-200が改造。予備車として国府津電車区所属のクハ111型ATS-P型取り付けによる代走を務め1993年に幕張電車区に転属。

クハ111-173・183・200→クハ111-569・575・576

このグループでは-576が早期に廃車になったが、-569は訓練車として国府津区に復帰し2005年まで活躍。-575は幕張区で訓練車扱いで2006年まで活躍。一時的に営業車として運用に入ったこともある。

  • クハ115形からの編入

1988年、房総地区の短編成化および列車増発に備え、JR東日本ではクハ115形からの改造編入(271 - 275・570 - 574)を行った。サハ111形300番台と同じく扉の半自動扱いのための取手などもそのままであった。これらの車両は車両更新工事や冷房改造が施行されることなく1994年までに全車廃車となった。

トイレ部分の側面方向幕撤去[編集]

1996年ごろから横須賀・総武快速線および東海道線で運用されているクハ111、サハ111のトイレ部分のみ方向幕が使用停止になった。これはトイレ部分の方向幕の盗難やいたずらが頻繁に起こったためである。施行後は幕部分は白、またはオレンジの紙が貼られ、機器裏蓋部分は残したものとステンレスの塞ぎ金物を詰めたものがあった。なお、対象車が房総ローカルに転用された場合は、方向幕は復元されている。

JR東海[編集]

後継形式の投入に伴い、2007年度中に全車廃車された。

車両需給調整関連[編集]

1988年3月改正で名古屋地区のフリークエントサービス充実化のため、短編成化で列車の増発を図ることになった。このため神領電車区(現在の神領車両区)、大垣電車区(現在の大垣車両区)に配置されている113系2000番台6両編成を3両編成×2本に改造する工事が1987年から1989年まで行われた。

転用にあたり、以下のように編成替えが行われた。

←東
クハ111+モハ113+モハ112+モハ113+モハ112+クハ111(8本)
クモハ113+モハ112+クハ111(8本) クモハ113+モハ112+クハ111(8本)
モハ113形の先頭車改造[編集]

3両での走行のため、モハ113形は奇数向きに運転台が設置され、クモハ113形2000番台に改造された。種車はすべて2000番台であるが、車両番号は改造順に2001から振られた。設置された運転台は既存の2000番台先頭車に準じて新造されたものであるが、接合部に干渉した運転台直後の窓は設置されていないため、側面の印象はATC搭載車に近い。助手席側のワイパーは手動式となった。

番号の対照は以下のとおり
モハ113-2001・2002・2004・2005・2048・2049・2009・2012・2050・2051・2011・2007・2121 - 2124→クモハ113-2001 - 2016
奇数向きクハ111形の方転改造[編集]

上記の改造により偶数向きクハが不足するため、奇数向きクハから8両が改造された(この書体のクハ111が8両)。種車にはCPが設置されず、方転改造時もCP設置が省略されたため、新区分番台「クハ111形2200番台」として区別された。改造内容は車間渡りの変更。種車の大半はトイレ無しだったが、トイレの設置は見送られた。なおクハ111-2165のみトイレ付きで汚物処理装置も装備していたため、改造後もそのままトイレは使用可能となった。車両番号は改造順に2201から振られた。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-2103・2105・2137・2104・2165・2108・2124・2125→クハ111-2201 - 2208

改造工事の最中の1988年夏に211系が投入されたことにより、一部は東海道本線静岡地区への転用が開始され、1989年3月時点では静岡運転所(現在の静岡車両区)と大垣電車区に8編成ずつが配置された。1990年3月には大垣電車区に311系が投入されたのに伴い大垣の8編成が静岡に移動し、以後全車が静岡地区での運用となった。

当初はトイレの有無により運用が分けられており、トイレ付き車は大垣駅米原駅までの長距離運用[注 15]にも充当されたほか、東海道線 - 身延線御殿場線への直通列車や御殿場線内の運用にも3連という身軽な編成を生かし使用された。しかし1999年12月のダイヤ改正で313系投入に伴い、豊橋駅以西での113系運用が廃止されたため大垣、米原乗り入れは消滅。東海道線 - 身延線、御殿場線への直通列車も313系ワンマン対応車投入に伴い捻出された115系によって置き換えられた(ただし、御殿場線内の運用は残存)。末期には長距離運用が無くなったためトイレの有無は関係なく一括で運用され、313系2000番台の投入に伴い、2007年までに全編成が廃車された。

偶数向きクハ111形の方転改造[編集]

1999年の313系投入に伴い、JR東海では多数の113系初期車が廃車となり、車齢の若い2000番台車の転配が行われた。この際静岡運転所では奇数向きクハが1両不足したため、大垣区から転属された2000番台偶数向きクハ1両を奇数向きに方向転換。新区分番台「2300番台」とした。なお車号の下2ケタは元番号から引き継がれた。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-2033→クハ111-2333

この車輌は1979年に静岡運転所に新製投入された2000番台車4両編成1本のうちの1両で1989年に大垣電車区に転属。10年ぶりに復帰し改造された。改造内容は車間渡りの変更。CPは残存(ただし、使用停止)。トイレは後述のとおり使用停止だったため、便所流し管が撤去された。

本車両も2007年に廃車されて区分消滅となっている。

C-AU711形による冷房改造車[編集]

非冷房車を数多く抱えていたJR東海では、1988年より冷房化率向上の早期実現のために所有の0番台非冷房車に国鉄時代より簡素な冷房改造を実施した。

搭載される冷房装置は従来の集中式AU75形1機/両から、集約分散式C-AU711形2機/両となり、重量の分散によって車体補強などの関連工事が簡略化された。冷房電源は、冷房付電動車と編成を組むクハ111形はモハ112形の大容量MGから給電。編成単位で非冷房であった場合は費用と重量がかさむモハ112形のMG交換は行われず、編成中のクハ111形1両に専用の直流600 V静止型コンバータ (SCV) 新設とされた。

冷房風道は、AU75形搭載車とは異なり、室内灯取付位置に沿って線路方向に2本入る形となり、既設の扇風機もそのまま使用された。蛍光灯は、冷房風道横の取付座に増設された。

改造にあたり、冷房付電動車と編成を組むクハ111形は元番号のまま、SCV搭載のクハ111形は元番号+6000、その他は元番号+5000と区分された。また、冷房機の外観は全て同じであるが、MGから給電を受けるものはC-AU711C形、SCVから給電を受けるものはC-AU711D形と区別されていた。また、側面行先方向幕は取り付けられなかった。運転台後部の通風器の取り替え(大型→通常の吸出式または押込式)も行われなかった。

SCV搭載車は全て大垣区に集められ、MG給電車のほとんどは静岡区に所属した。一部のクハ111形は汚物処理装置未取付のままトイレを使用していた。対象車は全車初期車であり、313系投入により2001年3月までに全車が廃車された。

ATS-P搭載車[編集]

静岡運転所配置の4両編成のうち、0'番台や2000番台で構成された17本がT編成と呼ばれ、国鉄末期の1986年11月から民営化後も東海道本線東京口でJR東日本車と併結運転を行ってきた。

1993年10月から東京 - 小田原でATS-Pが使用開始されるのに伴い、1992年から1994年にかけて、先頭車にはJR東日本と同様のATS-P取付改造が施工された。これに合わせて編成全車も110 km/h運転対応のブレーキ力向上が同時に施工されている。改造施工車は、早期に改造されたものは未改番だったが、1994年2月までに奇数向きクハ111形は700番台(2000番台車は2700番台)、それ以外の車両は600番台(2000番台車は2600番台)に改番されている。なお、車号は百の位を6、7に変更したのみなので元番号と順番が入れ替わる車両が発生している。

後述のとおり、トイレは偶数向きクハ111形のみの使用と改められ、奇数向きクハ111形のトイレは業務室扱いとして閉鎖された。一部の編成では東急車輛製造でATS-Pの取付が行われた。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-203・204・206・207・209・213・221・238・241・247・251・195・197・2107・2122・2133→703・704・706・707・709・713・721・738・741・747・751・795・797・2707・2722・2733
クハ111-508・509・510・511・512・513・514・519・524・530・531・542・544・546・2022・2032→608・609・610・611・612・613・614・619・624・630・631・642・644・646・2622・2632
モハ113/112-302・307・233・234・247・248・249・254・276・277・280・288・2075・2084・2087・2097・2098→602・607・633・634・647・648・649・654・676・677・680・688・2675・2684・2687・2697・2698
車号太字のみ改造・改番は1994年2月

改造内容はブレーキ力増強、焼結合制輪子・ライニングの使用。

上記のとおり他社管内での運用が主で、伊東線および伊豆急行線全線でも2本併結の8両で運用された。入庫は下り東京 - 静岡間(323M, のちに325M)、出庫は上り静岡 - 横浜間 (360M) とされ、横浜で折り返し伊東行き (537M) となり、翌日は伊東線・伊豆急行線で終日運用され、その翌日に熱海から東海道線運用に入っていた。なお、伊東線・伊豆急行線での運用の際は、方向幕に「伊豆急下田」が含まれていないため、「普通」表示となっていた。

1998年3月改正では、国府津電車区(現在の国府津車両センター)に横須賀・総武快速線からの転用車を使用して付属編成が増強されたことに伴い、捻出された一部は静岡地区内での運用が増加した。2000年には後述のように3本がT編成を解かれ、先頭車が元番号に戻された。

2002年12月改正では、伊豆急行200系増備に伴い伊東線・伊豆急行線内運用が消滅。出庫列車 (360M) の終着駅が国府津駅に変更された。

2004年10月改正ではE231系の投入により国府津の113系の置き換えが開始され、さらにJR東日本 - JR東海乗り入れ列車の大幅削減に伴い、東京口での運用が終了。一部編成は貸出扱いとして残ったが、12月までにすべて返却された。その後は列車番号表示機の撤去およびATS-P使用停止の小改造を受け(耐用年数の関係からブレーキ力戻しや元番号への復帰はせず)、ローカル用編成と共通運用で自社内で使用された。しかし、東京地区での過酷な運用のため老朽化が著しく、他の113系より一足早く2006年初旬から廃車が開始され、2007年までに全車廃車となった。

後年、偶数向きクハ111形のトイレ部分の行先表示器が、JR東日本車と同様に撤去され、その部分には当て板が施されている。

ATS-P撤去車[編集]

1999年以降、静岡運転所の113系で自社内ローカルで使用される編成は、上記の3両編成16本のほか、6両編成5本が誕生したが、4両編成が5本に減少した。不足分はT編成が補ってきたが、2000年になって神領電車区から6両編成1本が転属。これを4両2本に変更したが先頭車が不足するため、捻出されたT編成から先頭車を転用することになったが、ブレーキ力改造車は未改造車との編成内での混結はできないため、ブレーキ力を戻す改造が行われた。のちにさらに6両編成2本を4両編成4本に変更するため、T編成2本の先頭車が追加で改造された。

番号の対照は以下のとおり
クハ111-797・704・751、611・619・622→197・204・251、511・519・522

改造内容は、ブレーキ力戻しのほか、ATS-P車上子の撤去に伴い、元番号に復帰した。運転室内のATS-P表示灯、列車番号設定機は残されていたが、「ATS-P型使用停止」のシールが貼られた。この改造により余剰となった中間車(モハ113/112-633・634・647)は2001年4月に廃車となった。

小断面トンネル対応車[編集]

2001年に中央本線塩尻 - 中津川間へ臨時列車として入線するためにモハ112形2000番台4両が改造された。同区間には断面の小さなトンネルが存在し、通常のモハ112形の屋根高さではパンタグラフが接触してしまうため、折りたたみ高さの小さいC-PS24A形に交換された。この改造により元番号に6000が加えられて「8000番台」となった。2008年までに全車が廃車されている。

番号の対照は以下のとおり
モハ112-2031・2040・2041・2120→8031・8040・8041・8120

なお、一部文献で「身延線入線のため」とする資料が存在するが、誤りである。[注 16]

トイレ使用停止車[編集]

JR東海では1992年から113系は1編成にトイレは1箇所とした。このため以下のように変更した。

  • 偶数向き奇数向き関係なく汚物処理装置装備車のみトイレ使用可能とする
  • 静岡運転所T編成は、偶数向きクハ111形のみの使用と改め、奇数向きクハ111形のトイレは使用停止(汚物処理装置装備車の同装置は残存)。
  • 同装置未装備車のトイレは施錠して使用停止とする。(扉に「業務用」のステッカー貼付)
  • 使用停止車は便所使用知らせ灯も撤去(撤去後はカバーにて埋め込み)

これに伴い汚物処理装置装備車が不足する大垣区では、静岡区の同装置装備車との交換転配が行われた。静岡区ではトイレ使用可能車を捻出するため、トイレなし2100番台3両と汚物処理装置未装備車の0'番台1両をT編成に組み込み、奇数向きトイレ使用可能車を4両をローカル用に転用。同時に前述のATS-P型取り付けを考慮し、編成に含まれていた1000番台初期車を0'番台車に置き換えを実施した。なお、C-AU711D形搭載のクハ111の中で編成両方とも汚物処理装置未装備車が存在したが、偶数向きのみ使用可能とし、汚物処理装置は装備されなかった。

運転室背面窓拡大工事[編集]

クハ111-0'番台、2000番台は運転席、助手席部分の窓が小さく、客室からの前面展望および車掌乗務時の客室展望が良くなかった。このため1991年から1994年にかけて対象全車にこの工事が行われた。なお、Hゴム押さえだったガラス支持は拡大時に金属押さえに変更し、拡大時に支障となる機器は移設された。ATS-P取付車は設定器を助士席窓下部に取り付けたため、あわせて助士席の椅子が撤去された。なお、クモハ113は先頭車改造時に施行されている。窓面積はクハ111改造車より大きい。

延命工事[編集]

1994年から特別保全工事と同等の延命工事を2000番台車を対象に施行した。

目立つ部分では

  • 側扉ガラス支持方法の黒ゴム化
  • 化粧板が211系と同様の白系に交換
  • 客室内貫通引き戸が311系と同様の窓面積が大きなものに交換
  • 床敷物の交換(ベージュ)
  • 座席モケット、座布団の交換(色は紺色のまま)

1999年にかけて多数の車両で施行された。このうち静岡区所属の0'番台車クハ111-225、547にも同様の工事が施行されている。

その他[編集]

113系に限らずJR東海の車両と共通で行われた改造。

  • 床下機器のグレー塗装化
  • 固定窓を支持するHゴムの黒ゴム化
  • 床敷物の交換(ベージュ)※一部のみ
  • クロスシートへの枕カバー取り付け
  • 二段窓の下段部分固定化[注 17]
  • シルバーシートの設置(モケットはシルバーに変更)

JR西日本[編集]

京阪神地区で多く使用されていたが、後継形式の投入に伴い、廃車が進んでいる。また複雑な改造や転用も多い。2008年からは広島地区での運用も開始された。

延命N工事[編集]

特別保全工事に代わる延命工事。製造から30年の使用を目指し、特別保全工事時代の施工内容のほか、客室内のアコモデーションの改良が追加工事である。1972年までに製造された車両の大半が該当している。後年は1972年以降製造車も一部施行された。

おもな施工項目は

  • 化粧板の交換
  • 座席モケットの交換
  • 客室内貫通扉の交換
  • 荷物棚の焼付け塗装
  • 蛍光灯、吊革の増設

延命NA工事[編集]

国鉄時代に特別保全工事を受けた車両にアコモデーション改良のみを追加した工事。重複する部分は省略された。

簡易冷房改造車[編集]

JR西日本に継承された非冷房車は221系の投入とともに多くは廃車されたが、先頭車を中心に一部分散型冷房改造が実施された。以下下記に記す。

WAU102形搭載車[編集]

1988年より、JR東海のC-AU711形による冷房改造と同じ発想で、簡易的な冷房改造が実施された。編成によって給電方法が2通り用意された点も同一である。

JR西日本では集約分散式3機/両のものが採用され、冷房付電動車と編成を組むクハ111形はモハ112形の大容量MGから給電。編成単位で非冷房であった場合は編成中のクハ111形1両に三相交流440 V静止形インバータ (SIV) 新設とされた[注 18]。なお、非冷房時代に設置されていた扇風機は存置され、クハ111形の運転台後部の通風器の取り替え(大型→通常の吸出式または押込式)も行われなかった。

改造による車両番号の変更は無い。AU75系に比べて冷却能力が劣るなどの問題に加えて、老朽化のため廃車が進んでおり、最後に下関総合車両所に残ったクハ111形 (-811, -812) 2両も、2016年1月に廃車された[35]

WAU202形搭載車[編集]

非冷房車の割合が高く、早期の置き換え予定もなかった800番台を対象に、WAU102形と並行してバス用冷房を応用した冷房改造が実施された。1991年までにクモハ113形+クモハ112形2両編成3本(後の5800番台ワンマン車、800番台の項で解説)とクハ111形3両 (823 - 825) の9両が改造されている。

当初装置のほぼ全てが車内に搭載され、冷房電源は暖房と同様に架線の直流1,500 Vを直接取り込んで利用するものとされた。しかし車内の機器占有面積が多く、後期に施工されたクハ111形3両では室外機部分が屋根上搭載に変更され、クモハ113形+クモハ112形の3本も1992年から1993年にかけて室外機部分の移設がなされた。クハ111形3両は1999年と2001年に、5800番台となったクモハ113形+クモハ112形のうち-5807と-5809は2009年2月に、最後に残ったクモハ113-5803+クモハ112-5803は2010年度にそれぞれ廃車された。

高速対応車[編集]

1991年から最高速度120 km/hの221系が投入されたこともあって各線の快速・新快速がスピードアップするのに伴い、1992年より向日町運転所(のちの京都総合運転所、現在の吹田総合車両所京都支所)・宮原運転所(のちの宮原総合運転所、現在の網干総合車両所宮原支所)・網干電車区(現在の網干総合車両所)・日根野電車区(現在の吹田総合車両所日根野支所)に配置されていた全ての113系に対し、最高速度を100 km/hから110 km/hへ引き上げる工事が行われた[36]

モーターは継続使用され、高速域からの減速力を強化するために台車への増圧装置および応荷重装置の取付け(2000・2700番台は整備)、制輪子の交換などが行われた[36]。台車バネについては特に改造前と変化がない。

改造後は原番号に5000を足した番号が付与されたが、一部の電動車についてはブレーキ力増強のためブレーキてこ比が2.56から4.19に変更され、番号も6000・6500・7750番台に分けられている[36]

施工車は未施工車と区別するために以下のように改番された[37]

  • 改番方法
    • 元番台…改造内容→改番方法=結果
  • 0番台
    • 高速化→0+5000=5000番台
    • てこ比改造→5000+1000=6000番台
  • 700番台
    • 高速化→700+5000=5700番台
    • てこ比改造→5700+50=5750番台
  • 800番台
    • 高速化→800+5000=5800番台
  • 2000番台
    • 高速化→2000+5000=7000番台
    • てこ比改造→7000+500=7500番台
  • 2700番台
    • 高速化→2700+5000=7700番台
    • てこ比改造→7700+50=7750番台
※この他、1両だけ存在した1000番台が+5000の6000番台となっている。

七尾線電化関連[編集]

1991年3月、七尾線の電化による所要車両を113系から改造することとなった。転用にあたっては電動車のユニット組み替えを伴う編成変更、および形式間改造が1990年から行われた。

←東
クモハ113+クモハ112 クハ111+モハ113+モハ112+クハ111
クハ111(800番台化)+モハ113(800番台化)+クモハ112(800番台)
クモハ415(クモハ113-800→)+モハ414(モハ112→)+クハ415(クハ111→)(七尾線転出)
415系800番台への改造[編集]
415系800番台

改造後は3両編成となるためクモハ113、床下に交流機器を搭載するためMG非搭載車のモハ112(試作・1971年度冷房改造車およびモハ112-801)、110 kVAのMGを搭載しているクハ111(試作および1971年度冷房改造車)が種車に選ばれた。交流機器は直流電化区間のみで運用されていた福知山線・山陰本線の特急「北近畿」用の485系から転用された[37]

改造後は車両不足を補うため、一時的に新福知山色に塗装変更し、福知山線系統で使用された[37]。詳細は415系800番台を参照。

800番台改造関連[編集]

七尾線転用車の捻出で不足する800番台が追加改造されたほか、余剰車を活用しての追加改造も実施された。

800番台追加改造[編集]

上記の七尾線転用関連で、クモハ113を失ったクモハ112と編成を構成するため、415系改造対象から漏れたクハ111+モハ113は800番台に追加改造を施した上で3連化した。モハ、クハともに追番で付番されたため、モハ113-800番台の番号が増加したほか、クハ111は奇数向車が増加したため先頭車の偶数奇数の原則も守られなくなった。

対象車両は以下のとおり
モハ113-66・31・30・15・18・164・168・111・12・55→モハ113-810 - 819
クハ111-66・68・151・172・442・451・471・432・435・470→クハ111-819 - 822

クハ111-819は、1994年の一時期、元のライトの位置に103系のシールドビーム化のようなアダプターを取り付けてシールドビームが4灯取り付けられ、前面幕がLEDに改造された。しかし同年9月にシールドビーム2灯化改造され、前面幕も字幕式に戻された。このときのシールドビーム2灯化は、外見の違和感がなくなるように0’番台以降のものと同じ形状にするのではなく、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けてシールドビーム灯を設置する方式である。この改造は他にクハ111-808、820、821、806が施工された。なお、クハ111-806については高速化改造を受けてクハ111-5806に改番された。

1991年になると、2両編成で残った非冷房車3本は、前述のWAU202形冷房装置を搭載のうえ、さらに上り向きクハ111-800番台を追加改造のうえ、3両化した。

対象車両は以下のとおり
クハ111-442・451・471→クハ111-823 - 825

対象車はすべて偶数向きの非冷房だったことから奇数向きに方向転換のうえ、前述のWAU202形冷房装置を搭載。CPも撤去されたほかWAU202形冷房装置の機器室確保のためトイレとトイレ前の座席は撤去された。これらの転用の際、非冷房のままだったモハ112/113-802、クハ111-804は転用されず廃車となった。

1995年には当時奈良電車区に配置されていた113系が運用廃止により余剰となった。この中からクハ111形3両が800番台に転用された。

対象車両は以下のとおり
クハ111-432・435・470→クハ111-826 - 828

対象車は全て偶数向きでWAU102形冷房装置搭載。偶数向きでクモハ112形の前部に連結され4両編成化された。このためクハ111+モハ113+クモハ112+クハ111という編成が誕生した。改造されたクハ111はカセット式汚物処理装置装備車だったが、クモハ112形に循環式汚物処理装置が搭載されていたことからトイレは使用停止となった。

1996年山陰本線園部 - 福知山間の電化に伴い、クモハ113を含む3本がクハ111形の取り外しとワンマン運転対応改造、半自動ドアのスイッチ化(700番台と異なり、窓埋めはされず)、電気連結器の設置を受けて同線に投入(配置車庫は変わらず)された。直後、高速対応工事が行われ、800番台番号に5000が加えられて「5800番台」となって現存する。#山陰本線向けも参照。

前後して残った3両編成の一部が4両編成に組み換えられ、車両需給の都合でクモハ112を含む4連1本が一時的に広島地区に転用されたり、全電動車やクハ111+クハ111+モハ113+クモハ112といった編成も発生した。しばらくはこの状態で推移したが、2000年から2001年にかけて、モハ113+クモハ112が2両編成の再配置とワンマン運転のために3800番台に改造されて消滅。

この際クモハ112に組み込まれていたクハ111はモハ113形に運転台機器を提供し廃車となった。最終的には純粋な4両編成3本(クハ111-807+モハユニット-804+クハ111-808、クハ111-809+モハユニット-805+クハ111-810、クハ111-817+モハユニット-809+クハ111-818。全て国鉄時代に改造されて以来変化なし)と編成相手の電動車が3800番台に改造されたために保留車となったクハ111形2両(822・828)だけが残っていた。しかし、転用先が無く、車齢も高かったことから2004年に廃車され、当初の改造目的通りの使用がされていた車両とモハ113形、モハ112形の形式が消滅した。

本グループで最後まで残ったクハ111形は2両(811・812)で、いずれも2016年1月に廃車された。この2両は国鉄時代に4両編成として投入され、のちに湘南色に変更のうえ、京都総合運転所に転属。高速化改造されなかったため専ら草津線専用で運用していたが、1999年に編成単位で下関車両管理室に転属した車両で、編成を組んでいたモハユニット-806は2002年に115系0番台のモハユニットに置き換えられて廃車されている。後に115系0番台のモハユニットも廃車され、115系6000番台のモハユニットに置き換えられた。なおこのモハユニットは2008年に高速化解除が行われ、原番号に復帰した。

モハ113-800番台の電装解除[編集]

1991年、福知山線で発生した衝突事故でクモハ112-801が事故廃車されたのに伴い、ユニットを失った1両(モハ113-818)が1992年電装解除を受けて改造。本グループ初のサハ111形が発生した。

対象車両は以下のとおり
モハ113-818→サハ111-5801

改造時に高速対応工事が施工されたため、+5000の5800番台となった。網干電車区(現在の網干総合車両所)に配属された。サハ111形は全て押込型通風器で製造されたため、唯一のグローブ型通風器のサハ111となったが、半自動機能は使用されないため、800番台改造時に取り付けられたドアの取手は撤去された他、トイレも設置されていない。223系投入より2004年に廃車され、区分消滅している。

113系800番台の高速化改造[編集]

福知山地区で運用される113系は高速化改造の対象外とされた。しかし他線区で運用される800番台については上述の高速化改造の対象となった。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-808→モハ112/113-5808(→網干区へ転属 1992年改造)
モハ112/113-803→モハ112/113-5803(→京都所へ転属 1996年改造)
クハ111-806、816→クハ111-5806、5816(→京都所へ転属 1996年改造)

網干区に転用されたユニットは基本番台(→5000番台)に組み込まれ、東海道線系統で使用。半自動は使用しなかったが、ドアの取っ手はそのまま残された。 京都所へは4連1本が転用され、L編成として湖西線や草津線を中心に運用されていた。ともに223系投入に伴い廃車されている。

パンタグラフ増設車[編集]

JR西日本の113系は山陰本線嵯峨野線)、湖西線草津線福知山線での運用があり、冬季において架線に霜が付着することが問題になっていた。よって霜取用に同区間で運用される113系の一部のモハ112、クモハ112のパンタグラフを1基増設する工事が1992年から行われた。

対象車両は以下のとおり(車号は改造時のもの)
モハ112-5714・5717・5751・5752・5753・5755・5756・5757・7023・7028・7069・7081
クモハ112-802・803・805・811・3814
クモハ112-304・309(先頭車改造施行時

モハ112-7023・7028・7069・7081は嵯峨野線充当車両。のちに後述の嵯峨野線転用改造時にモハ112-5714・5717が施行。 モハ112-5751・5752・5753・5755・5756・5757が宮原総合運転所(現在の網干総合車両所宮原支所)配置時に、湖西線草津線運用のため改造。 のちに-5752・-5755が老朽化のため廃車。-5751・-5757ブレーキてこ比戻しで-50番のうえ、京都総合運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)に転属している。

クモハ112-802・803・805・811は福知山線運用のため改造。のちに803は山陰本線向けに転用。802・805・811は福知山線向けワンマン車として3800番台改造。3814は後述の福知山線転用時に改造。

現在では、モハ112が京都支所に配置され、上記の線区で運用。

クモハ112は3800番台が廃車。福知山電車区に5304(304→), 5309(309→)の2両が残る。

半自動設備装備車[編集]

嵯峨野線で運用される向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)の113系は冬季寒冷な亀岡盆地を走行するにも関わらず乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため1991年に、この区間で運用される113系2000番台(→7000番台)の全車に対して押しボタン式の半自動装置が設置され、同時に耐雪ブレーキの増設も実施された。

後年、後述する体質改善工事を開始した際に、湖西線系統で運用されている5700番台との運用持ち替えが行われ、嵯峨野線運用に加わった5700番台にも押しボタン式の半自動装置が設置された。5700番台車はドアボタン取り付け位置の関係から戸袋窓が狭巾または埋設され、外観の印象が変わった。

電気連結器取付と撤去による改番[編集]

山陰本線園部 - 福知山間電化開業(1996年3月)より、編成の増解結が園部駅で行われることになるため、京都配置の山陰線用車両に対して、1994年度から自動解結装置と電気連結器の取付がTc車に実施された。施工車は改番が行われ、7500番台が奇数向き(7100番台改造)、7600番台が偶数向き(7000番台改造)である。

番号の対象は以下のとおり
クハ111-7136・7115・7113・7116・7120・7114・7134・7142・7135・7140・7119・7118・7145・7143・7117・7148・7149・7150 → クハ111-7501 - 7518
クハ111-7042・7072・7014・7020・7017・7015・7018・7016・7013・7040・7019・7071・7039・7037・7046・7052・7053・7051 → クハ111-7601 - 7618

後年これらの編成に体質改善工事が実施されると、湖西線・草津線用5700番台との差し替えが行われた。山陰線用となった5700番台には自動解結装置と電気連結器の取付が実施されたが、改番は行われていない。一方でTc車7500・7600番台は約半数が装置の撤去を行われ、原番号に復帰した。装置撤去の対象車は以下のとおり。

クハ111-7502・7503・7507・7511・7512・7514・7516・7517
クハ111-7602・7603・7607・7611・7612・7614・7616・7617

トイレ撤去車[編集]

北陸本線東海道本線山陽本線京阪神地区(以下琵琶湖線JR京都線JR神戸線)と湖西線では、トイレは編成中西(偶数)向き先頭車のもののみが使用されるようになっていたため、1991年より東(奇数)向き先頭車の不要トイレが撤去された。

まず施行されたのがトイレ付きで製造されたクハ111-2100番台。その後カセット式汚物処理装置未装備の0'、700番台車のほか、初期車のクハ111-5177も改造された。当初はトイレを撤去した跡は客室とされ、窓と座席が設置された。なお、初期改造車に設置された窓は新たに製造されたユニット構造(別組立て・後取付け)のもので、位置も番台にかかわらず2000番台のトイレ無し車に準じた場所に設置されたため、車両によっては違和感の残る仕上がりとなっている。非ユニット窓のクハ111-5177は撤去跡のみユニット窓となり、異端車となった。なお、体質改善40Nリニューアル工事を受けた車両はトイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。

対象は下記のとおり
クハ111-5177・5257・5712・5713・5714・7148・7149・7150・7161・7162

1995年から内部の設備のみおよび汚物処理装置や便所流し管を撤去し、仕切りは「業務用室」として扉を施錠した状態で存置する方式に変更された車両も登場。その他は便所設備のみ封鎖した。サハ111-5000番台もトイレ使用が停止され、最終的に車内すべての奇数向先頭車がトイレ使用停止となり、偶数向のみ使用となった。同時に偶数向き車両で汚物処理装置未装備の車両は、併せて汚物処理装置の取り付けが実施された。また、内部の設備のみ撤去した車両、便所設備のみ封鎖した車両のうちクハ111-5253・5256・5260の3両は、体質改善40Nリニューアル工事を施行の際便所跡は客室に変更。トイレなしクハ111の体質改善車と同様の仕上がりとなった。

115系への改造[編集]

115系G02編成に組み込まれるクハ111-139の戸閉装置。

1984年2月1日の国鉄ダイヤ改正において、網干電車区の8両編成 (TcMM'Tc'TMM'Tc') を7両編成 (TcMM'TMM'Tc') に変更するため偶数向きのクハ111形300番台が余剰となる一方、岡山地区でモハ115形をクモハ115形に改造したため偶数向きのクハ115形が不足することから、クハ111形300番台6両をクハ115-601 - 606に改造して転用した。また、1994年には223系投入により余剰となった日根野区113系冷房車3編成のクハ111形5300番台をクハ115-620 - 622に改造し非冷房のクハ115形を置き換えた。さらに、京阪神地区で使用されていた115系編成を岡山地区に戻す際、所要となったサハ115形を、115系編成に組み込まれていたサハ111形を改造して充当した。詳細はクハ115形600番台サハ115形7000番台を参照。

またこれとは別に、下関区に在籍した115系と編成を組むクハ111形については、115系の制御車として使用するため、主幹制御器を抑速制動に対応したものに交換するなどの改造が行われ、実態としては115系の制御車となっていた[38]。客用扉の半自動制御には対応しない[注 19]

2012年より、下関区に在籍している0番台や115系0番台クハの老朽取替えを目的に広島区の2000番台に主幹制御器を抑速制動に対応したものに交換するなどの改造が行われている。

ワンマン運転対応車[編集]

山陰本線向け(5800番台・5300番台)[編集]

ワンマン対応化された5800番台。WAU202形冷房機を搭載している。
クモハ112-5303 黄かん色と緑2号の境に白線が入り、窓配置も一般車と異なる。
クモハ112-5304 パンタグラフが増設された体質改善車。

1996年の山陰本線園部 - 福知山間の電化に伴い、1995年から1996年にかけて改造されたグループである。先述した800(→5800)番台2両編成3本のほか、0'番台のモハ113+112形ユニットから2両編成6本が改造されて投入された(#改造形式を参照)。こちらの改造の方が時期的には先(全車1995年)である。

番号の対照は以下のとおり
モハ113/112-329 - 332・6335・6337→クモハ113/112-302 - 305・307・309→5302 - 5305・5307・5309

番号の下2ケタは新たに振り直されているものの、元番号がすべて300番台であったことから「300番台」と区分された。301・306・308が欠番となっているのは、本来300番台を9編成用意する計画だったが、阪神大震災の車両転配で6編成にとどまり、不足する3編成は5800番台で賄うように変更されたためである。

新設された運転台は廃車となったクハ111形から移植されたものであるが、前照灯は全車ともシールドビーム灯で統一されているなど、形態の差異は少ない。クモハ112形には800番台の改造と同様の手法でトイレが設置され、-304、309は車体前部にパンタグラフが増設された。電気連結器の設置や扉のスイッチ式半自動化は5800番台と同一であるが、改造時よりワンマン運転に使用されることから、運賃収受の利便性を考慮し、最前部の側扉を前方に移設して運転台 ― 運賃箱 ― 客用扉の距離を近づける改造がなされている。これにより車体前部の意匠が異なっており、特に、元の戸袋窓と新設された戸袋窓の2つが並んでいる点が外観の特徴となっている。寒冷地対策も、改造の時点では扉の半自動化以外なされていなかった。

5800番台とともに福知山電車区に配置されたが、改造が早かったため、電化完成までの間岡山地区で使用された実績もある。貸出は2編成で4両で使用されたがトイレ使用可能が2ヶ所になった為中間に連結されたクモハ112ではトイレの使用が停止扱いだった。また、307・309ユニットは改造の時点で施工されていた高速対応とブレーキのてこ比変更を解除されたが、1996年に非施工の4ユニットとともに再施工された[注 20]。これにより、全車番号に5000が加えられて「5300番台」となっている。

1999年から2000年にかけて、2本(順に304, 302)が体質改善40Nリニューアル工事が施工された。新設された方の戸袋窓が閉塞されるなど外部は大幅に改造されたが、内装は他番台と異なり原型のままとなっている。以降、大きな変化は無い。

先述のとおり、ワンマン改造後も6両生き残っていた5800番台のうち4両(-5807・-5809)が2009年2月に廃車となり、2両 (-5803) (国鉄時代の1986年に小倉工場でモハ112,113-81種車に改造)だけが福知山線全線電化により登場した800番台の"残党"として5300番台全車とともに現存していたが、6月25日に吹田工場に回送された[39] 後、7月13日に岡山へ回送された[40]

福知山線・山陰本線向け(3800番台)[編集]

クモハ113形3800番台。前照灯がガラス内に埋め込まれているタイプ (3814) 。
クモハ113形3800番台。前照灯が枠内に収められているタイプ (3811) 。
原形前面のクモハ112形。

福知山線篠山口 - 福知山間および山陰本線福知山 - 城崎(現在の城崎温泉)間の輸送力適正化と2001年3月からの一部列車のワンマン運転化のため、800番台のうちモハ113形+クモハ112形のユニットから再改造されたグループである[41]#改造形式を参照)。2両編成9本が改造された。

2両での走行ができるようにモハ113形には運転台が設置されてクモハ113形とされたが、経年車で長期間の運用は見込まれないことから、改造工程と経費を節約するため、従来のように廃車体から前頭部を移植・溶接するのではなく、編成に組まれていたクハ111から運転台機器のみ流用して、中間車時代の構体を活かした非常に簡易なものを新造するというバリューエンジニアリング的手法が採られた[42]。500万円という格安の改造費を目標としており、当初は乗務員室扉の省略まで検討されていたが、最終的には扉を設置、コストはやや上がったもののそれでも従来の正規運転台接合に比して半額程度の費用で工事できたという[42]。結果、3枚の平面窓が設置された非貫通の切妻形状で、前照灯は中央上部に2灯というオリジナルとは全く異なった形状となっている。腰部いっぱいに尾灯部分だけが切欠かれた補強板が取付けられているということも相まって独特の外観となり、さながら改造を重ねた往年の旧形国電の様相を呈した。さらに前面行先方向表示は室内からの行先表示板にて代用された。きわめて特異な外観から、ファンの間では「サンパチ君」の愛称で卑下され、かつ、親しまれた[43]

一方で従来から先頭車であったクモハ112形には、車内に運賃箱が設置された(もちろん、クモハ113形にも設置されている)以外特に大きな改造は行われていない。種車の関係でクモハ112-3802・3805・3811は改造時からパンタグラフ2基搭載で、3814は同時施工された。改造時期や種車の形状によって細部に形状の差が見られる。例えば冷房装置は1本(クモハ113-3801+クモハ112-3804)のみがJR西日本仕様のWAU102形[注 21]、残る8本も電源用MGの容量で2種類存在する。前照灯は設置方法が2種類存在したが、後年、枠内に収めるタイプに統一された。走行区間のほとんどの駅に自動券売機が設置されているために、整理券発行機は設置されていない。新番号は800番台番号+3000とされた[41]ため、800番台時代の組み換えでの番号の不整合がそのまま引き継がれている。

番号の対照は以下のとおり
モハ113/クモハ112-819+802・801+804・815+805・816+806・810+810・811+811・812+812・813+813・814+814→クモハ113/112-3819+3802・・・3814+3814

体質改善車でないにもかかわらず、車体の車号表示はJR西日本書体に変更された(一部国鉄書体)。 なお、クモハ112-808+モハ113-817については、クモハがWAU102型、モハがAU75型を装備しており、クハを外すことで冷房電源が使用できなくなることから3800番台に転用されることなく廃車になった。

2008年8月より223系5500番台の増備による置き換えが行われ[44]、8月11日の城崎温泉14時43分発各駅停車福知山行きをもって運用を終了した。8月から9月にかけて、福知山線経由で吹田工場に廃車回送されている[45]。2008年10月までに全車除籍。

紀勢線向け[編集]

2000番台 紀勢線ワンマン化リニューアル車

紀勢本線(きのくに線)御坊 - 紀伊田辺間のワンマン運転用として、2002年に2000番台のモハ113+112形ユニットから改造されたグループである[46]。2両編成2本が改造された。

番号の対照は以下のとおり
モハ113/112-7058・7060→クモハ113/112-2058・2060

全車高速対応工事が施工されていたが、改造時に解除され元番号に復帰している[46]。これがそのまま新番号の下4ケタとされたため、むしろ使用されている番号の方が少ない状況となっている。改造時に体質改善40Nリニューアル工事が施工されたが、内装は300(→5300)番台同様原形のまま(セミクロスシートのままであり、転換クロスシート化はなされていない)となっている。

改造は115系の伯備線用先頭化改造車と同様、新造した運転台ユニットを接合する手法が採られている[46]。運転台の機器は同時期に廃車されたクハ111形の廃車発生品を使用。前面形状は103系体質改善40Nリニューアル車を基本とした形状[注 22] とされ、種車の関係で編成両端が改造運転台となっていることもあって比較的整った外観となっている。またクモハ112形には車椅子対応のトイレを新設した。その後、2007年に阪和線日根野 - 和歌山間でATS-Pを使用することに伴い、助士席側客用扉後方のロングシートを撤去した上でATS-P車上装置を搭載している。また、車上装置後方のクロスシート上部の荷棚にも機器が搭載されている。

2本のみの在籍であるため、検査などで運用できない場合は日根野区の223系225系4両編成が代走する(この場合は車掌乗務)。

2020年3月13日をもって阪和線・紀勢本線での定期運用を終了した。

耐寒耐雪改造車[編集]

京都総合運転所で運用されている5700番台7700番台が、編成変更により先頭車が不足したため、2002年体質改善工事施行済の網干電車区(現在の網干総合車両所)のクハ111-7000番台が耐寒耐雪改造され、 7700番台に編入されたうえ、京都総合運転所に転属した。

対象車両は以下のとおり
クハ111-7121・7139→クハ111-7707・7708
クハ111-7021・7036→クハ111-7757・7758

改造内容は耐寒耐雪改造のみ、シャッター付きタイフォンカバーの取付は省略。外観でのクハ111-7000番台との見分けはつかない。

2003年になると下記の小浜線向けに、網干電車区の7000番台4両編成1本に体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、編入された。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-7054→7705
クハ111-7162→クハ111-7709
クハ111-7073→クハ111-7759

さらに同年、耐寒耐雪車が不足することから京都総合運転所所属の1編成がさらに追加改造された。

対象車両は以下のとおり
モハ112/113-7024→7706
クハ111-7134→クハ111-7710
クハ111-7018→クハ111-7760

元々は嵯峨野線運用車で、体質改善工事とともに先頭車は自動解結装置と電気連結器を撤去していた。この編成は数奇な運命を辿ることになる。ATS-Pを装備していたことから2005年に起きたJR福知山線脱線事故後に宮原総合運転所に転属、高速化改造が撤去され 以下の様に改番された。

モハ112/113-7706→2724
クハ111-7710→クハ111-2834
クハ111-7760→クハ111-2718

この改番は半年のみ。再度高速化改造を受け7700台の元番号に復帰した。現在は吹田総合車両所京都支所所属。

小浜線向け改造車[編集]

2003年3月 小浜線電化の際125系とともに小浜線で使用されるために福知山運転所電車センター(現在の福知山電車区)に転用された。外装も小浜色と呼ばれる塗色に変更された。 なお、現在この小浜色は、すべて体質改善車標準塗色に戻されたため、現存しない。

編成内容は以下のとおり。

 
← 敦賀
東舞鶴・福知山 →
W1 クハ111
-7702
モハ113
-7702
モハ112
-7702
クハ111
-7752
W2 クハ111
-7706
モハ113
-5719
モハ112
-5719
クハ111
-7756
W3 クハ111
-7709
モハ113
-7705
モハ112
-7705
クハ111
-7759

W1, W2編成は京都総合運転所で体質改善工事施行車を転用。転用時に外装変更およびシートモケットを125系と同様のものに変更。W3編成は網干電車区の車両を上記の体質改善工事および耐寒耐雪改造のうえ、転用。シート、およびシートモケットは125系と同様のものに変更。

2005年に起きたJR福知山線脱線事故の車両転配に関連し、W2編成はATS-P型装備であったことから、一時的に宮原総合運転所に貸出、小浜色のまま福知山線での運用もおこなった。2006年10月21日のダイヤ改正で125系3次車の導入に伴い小浜線での運用は消滅。W1, W2編成は体質改善車標準塗色に戻され京都総合運転所に復帰、その後シートモケットも、標準のものに取り替えられた。W3編成は、最後の予備車として電気連結器などの改造を受け続けながら残留していたが、2009年5月ごろに体質改善車標準塗色に戻されて小浜色は消滅した。

体質改善車[編集]

JR西日本 体質改善車
JNR 113 series EMU 023 W.JPG
クハ111形7700番台40N車
主要諸元
編成定員 132 (44) (トイレ付き先頭車)
132 (50) (トイレ無し先頭車)
140 (56) (中間車)
保安装置 ATS-P,ATS-SW
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国鉄時代から施工されていた特別保全工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として[47][48]1998年から施工が開始された。

体質改善40N(想定寿命40年)
車体
  • 外板は腐食対策から張り替えおよび一部ステンレス化を行い、側雨樋(一部ステンレス化)と外板を一体化[48]
  • 屋根布の全面ローン化(塗屋根化)[47]および通風器の撤去。
  • 側窓は下部固定上部上昇式ユニット窓とし、車端窓は固定式1枚窓に変更[47]
  • 側引き戸の窓は押え面方式、運転台および戸袋窓などのガラス支持方式も変更することでHゴム不使用化[47]
主要機器
  • 戸閉機械は小型化を図った直動式に変更[48]
  • 電気指令式半自動装置を搭載し、半自動時の扉扱いが容易となる構造[48]
  • 床下からの立ち上がり配管のステンレス化、老朽化した配線の引き直し[48]
乗務員室
  • 前面窓を1枚タイプのガラスに変更し、視認性を向上[48]
  • 運転台ワイパーを空気式から電気式に変更[48]
  • 放送装置の取り換えによる車内放送の容易化[48]
客室
  • 座席を223系に準じた転換クロスシート[注 23](シートピッチ910 mm[49])に変更[48]暖房器は腰掛け搭載とした[47]
  • 客室化粧板を223系に準じたデザイン・材質への更新。
  • パネル工法による室内天井の平面化、蛍光灯カバーの取り付けと直動式戸閉機械採用による鴨居の小型化[48]
  • 荷棚をパイプで構成されるものから前飾り付きに変更し、吊り革を車両全長にわたって増設[48]
  • 半自動での扉扱い時に使用する開閉用押しボタンを設置[48]
  • 妻引き戸にドアチェックを設け、開いた際には自動的に復位する構造[48]
  • トイレ対面の座席を撤去し、車いすスペースを設置[48]
  • 床面の主電動機点検蓋を廃止して騒音低減、床面隅にRを設けて清掃の容易化を図った[48]

種車による車端部の形状の違いがあるが、内装や定員、使用される部品は基本的に各車同じものである。また、リニューアル時に5700番台、7700番台以外の車両も含めてドアの電動式半自動化やタイフォンへのカバー設置などの寒冷地対策がいくつかなされており、非リニューアル車で行われたものと異なる、扉と戸袋窓の間に埋め込む方式でスイッチが設置された。このため、戸袋窓は若干の縮小に留まっている。これらのことから、リニューアルを機に各番台の仕様統一が図られたとも取れる。ただし、車端部の窓の埋め込み方には施工時期による差異が見られる。

体質改善30N(想定寿命30年)

改造費用の面や車両の使用期間(残耐用年数)の面から2002年以降は費用節約のため窓や雨樋の形状変更を省いて工事を簡略化した「体質改善30N」と呼ばれるメニューに移行し、対象車も経年の浅い7X00番台のみとなった。また、同時期にリニューアル対象外の先頭車は雨水の浸入などの対策として、前面窓支持のHゴムを金属板とコーキングで覆う工事がなされている。新車が大量に投入されたJR神戸・京都線と新車が全く存在しない嵯峨野線向けの工事であるが、これらの車両が所属する京都・宮原・網干の各総合車両所以外に、阪和線を管理する日根野電車区の一部の状態の良い車両が工事施工のうえで網干などの未更新車と交換となった例がある。また、京都所が比較的編成単位で大半の車両に行ったのに対し、宮原・網干所では初期車を多く保有していたこともあってごく一部の車両に限られ、編成中1 - 2両のみがリニューアル車ということも少なくなかった。

その後、JR神戸・京都線からの撤退に合わせ、網干車と宮原車は編成替えが行われ、F編成(4両×10本・日根野)とT編成(8両×3本・宮原)の統一リニューアル編成が組成された。このうちT編成に組み込まれる元網干車のサハ111形7000番台の6両は撤退後に唯一廃車を免れたJR西日本最後のサハ111形であったが、福知山線脱線事故後の車両使用方法変更に際して編成から外され、その後はほとんど使用されずに廃車処分された。また、阪和線・紀勢本線は比較的温暖であるため、F編成に組成された車両には半自動装置が撤去された車両もある。紀勢本線運用車に設置されている「きのくに線スイッチ」(ドアが閉まっても車掌が同スイッチを押さないと戸締灯が点灯しない)と半自動装置の併用ができないという説もある[要出典]

福知山線脱線事故関連[編集]

2005年に起きたJR福知山線脱線事故の運転再開に際しATS-Pの整備が求められ、ATS-P地上設備への改修とともに運用する車両もATS-P装備車が必要になった。そのため一旦は同線での運用から撤退していた113系のうちATS-P装備車が同線運用に復帰。福知山線入線のための改造・再改造、複雑な転配をすることになった。

当時福知山線に配属されていた117系はATS-P未装備であったため対応が注目されたが、117系にATS-Pを取り付けるのではなく、岡山に転出した元日根野区113系と交換のうえ、ATS-P装備車の確保を行った。113系は貸出→転用の形で宮原総合運転所に復帰。塗色変更は後回しにされ、阪和色や瀬戸内色のまま運用を開始されたほか、一部は検査入場時に湘南色に戻され、所属も宮原所属に変更された車両も存在した。このほか京都総合運転所所属の113系ATS-P装備車も宮原所に貸し出された。この関連で阪和色や瀬戸内色車が嵯峨野線や湖西線の運用に入ることもあった。また上記小浜線運用車の1本も貸出されていた。

ところが冬季を迎えるにあたり、元日根野区転用車は半自動設備が無いため改善が必要になった。今度は日根野電車区の体質改善車と交換されることになる。日根野区の体質改善車は紀勢スイッチ取り付けに伴い半自動設備が撤去されていたが、転用に際して同スイッチの撤去および半自動設備の再取付が実施された。このため元日根野車は再度日根野区に復帰することになった。また2パンタ車は京都所の嵯峨野線運用車のモハ112-5700番台や7000番台が転用された。福知山線で同系の運用が終了する2012年3月まで宮原所と京都所では車両の貸借を行いながら運用されていた。

JR四国[編集]

111系の保全工事・冷房化改造[編集]

クハ111-3002先頭の瀬戸大橋線 臨時快速(1988年)

四国の111系は使用開始にあたり塗装が独自のもの(四国色)に変更され、本四備讃線瀬戸大橋線)用の無線アンテナが設置された。継承された12両は車齢が高いため、構体の補修や側窓のユニット窓化、トイレ撤去などの保全工事が1987年度に施工された[50]

保全工事によりクハ111形のトイレは撤去(本州直通用とされた[51]クハ111-27・29のみトイレ未撤去)され、モハ110形には2両分しかホームがなかった無人駅で車掌が集札を行うために車掌用設備(放送装置や車掌スイッチなど)がある業務用スペースを設置した。新製導入された121系と同様に全車禁煙としたため全車両灰皿は撤去された。

1988年に車籍編入された8両のうち、クハ111形は上り向き用の0番台ばかりであったため、同年2両(10・11)が下り向きに方向転換され、クハ111形3000番台[50](3001・3002)となった。

1988年から翌1989年にかけて集約分散形AU101形を用いた冷房化改造が実施され、あわせて電源装置が電動発電機 (MG) から静止形インバータ (SIV) に変更された[52]。一部、窓サッシの交換や前照灯のシールドビーム化、前面方向幕のLED化[51]がされた車両も存在する。

113系改造車[編集]

113系(JR四国)
Jr-shikoku113.jpg
113系 JR四国譲受車
(2005年10月13日 / 予讃線 鬼無 - 香西)
基本情報
導入年 1999年
総数 12両
運用開始 2000年
運用終了 2019年3月16日
廃車 2019年8月31日
主要諸元
編成定員 座席48(転換クロス)・立席83(クハ112)
座席44(転換クロス)・立席85(クハ113)
座席52(転換クロス)・立席82(モハ112)
座席56(転換クロス)・立席87(モハ113)
保安装置 ATS-SS,ATS-SW
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ドア開閉時に鳴動するチャイム
(113系第1編成Tc113)

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JR四国の111系は老朽化が著しくなり、1996年度の6000系の投入により5編成中2編成が廃車となった[50]。残る3編成の老朽取替えにあたり、JR東日本より経年の浅い113系を購入してリニューアル工事を行うこととなった[50]。113系改造車は1999年度から2000年度にかけて3編成12両が投入され、111系は2001年3月に営業運転を終了し廃車となった[9]

1999年にJR東日本で廃車となった0'番台4両編成3本12両と、部品提供車として車籍の無い3両が譲渡された。譲渡車は、部品提供車1両(クハ111-507)が幕張電車区所属車である他はすべて東海道本線および伊東線で使用されていた国府津電車区の所属車であり、一部はロングシート改造車も含まれていた。

JR西日本の体質改善40Nリニューアル工事に準じたアコモデーションの更新が実施された。内装材の交換、座席の転換クロスシートへの交換などの内装関係と補助電源装置の静止形インバータ化とこれにともなうパンタグラフの2基化などの機器関係の更新、窓サッシの黒色化、雨樋形状の変更が行われている。塗装は編成ごとに異なるカラーリングとなった[9]

前面は前照灯の4灯への増設と前面強化が行われ、踏切事故対策が図られた[9]。前照灯・尾灯の形状変更とともに種別・行先表示器部分にも前照灯2灯が増設され、行先表示器は貫通扉下部に移設された。貫通扉上に前照灯2灯を配置したスタイルは、阪急電鉄の車両が参考にされたという[53]

また乗務員保護のために窓下の鉄板が厚くされ、内部に衝撃吸収材を埋込むと同時に、貫通路部分の窓が拡大されている。一方で、窓枠は種車のものが再利用されたため、銀枠とはなっていない。また、四国のモハ110形や6000系と同様の方式の中間車乗務員室がモハ112形に設置されたことなどもあり、座席数は西日本のリニューアル車より少ない。中間乗務員室は6000系よりも若干広く取られている。

1両に片側3箇所あるドアには1つずつ、合計で3つの、それぞれ違う音が3回鳴るドアチャイムが設置された。それぞれの音には、ずれがあるため、乗務員がドア操作をした場合は混ざってずれた音が3回鳴る。

従来111・113系の制御車はクハ111形であったが、新形式のクハ113形(元クハ111形0番台)・クハ112形(元クハ111形300番台)が与えられ、中間車のモハ113・112形も旧番を踏襲せず、それぞれ1番から付番された[9]。113系モハの1・2番ユニットはJR西日本に、モハの3番ユニットはJR東海にそれぞれ承継されていたが、1・2番ユニットは当時高速化改造を受け-5001と-5002に改番されており、また3番ユニットはすでに廃車となっていたため、車番の重複は発生していない。

第1・第2編成は2000年、第3編成は2001年から営業運転を開始した。全車が高松運転所に在籍し、高松近郊の予讃線土讃線を中心に運用された。かつては本四備讃線瀬戸大橋線)・宇野線でも運用され、JR西日本管内で運用された時はドアは季節に関わらず自動であった。

また、本系列は予備車を保有していないため、故障・検査時は121系4両(2両+2両)が代走した。ただしかつて運行されていた、岡山 - 観音寺間およびその列車の運用に絡む予讃線・土讃線の普通列車には必ず本系列が充てられていた。これは、121系はトイレが非設置かつ側窓が上昇式であることから、規定上、瀬戸大橋の海上区間では営業運転できないためである。

2013年3月より、第3編成が「瀬戸内国際芸術祭」の作品として荒木経惟による『エロス(生)とタナトス(死)の共存』をテーマとしたラッピング車両として運転され[54]2016年3月19日に運転を終了した[55]。この編成は2018年3月31日付けで廃車となった[56]

残る編成も2019年3月16日ダイヤ改正により定期運用を終了[57]。2019年3月31日付で第1編成が廃車された[58]。同年8月には第2編成も多度津に回送され8月31日付で廃車となり、JR四国の113系は全廃となった[12][59]。この結果。JR四国管内から直流直巻電動機を搭載した電車は完全に姿を消した。

車番対照は以下のとおり。[60]

 
← 観音寺・琴平
岡山・高松 →
 
編成番号 4号車 3号車 2号車 1号車
1 クハ113-1
クハ111-223
モハ113-1
モハ113-257
モハ112-1
モハ112-257
クハ112-1
クハ111-532
 
2 クハ113-2
クハ111-198
モハ113-2
モハ113-270
モハ112-2
モハ112-270
クハ112-2
クハ111-529
 
3 クハ113-3
クハ111-222
モハ113-3
モハ113-272
モハ112-3
モハ112-272
クハ112-3
クハ111-528
 
部品提供車(未入籍)   モハ113-285 モハ112-285 クハ111-507  

グリーン車[編集]

サロ110形1200番台に装備された簡易リクライニングシート

111・113系は、東海道本線東京口や横須賀線・総武快速線、京阪神地区など大都市近郊で使用されたことからグリーン車(一等車)が製造されたことも特徴となっている。使用線区の事情から設備の豪華さよりも定員が重視される傾向があり、特別二等車をベースとする特急急行用のグリーン車とも違った発展を遂げた。111・113系用として新製された車両のほか、数多くの改造編入車を含めて特に国鉄末期に改造編入された車両にはユニークなものが多かった。なお、京阪神地区は1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で運用消滅。静岡運転所所属車は1986年11月1日国鉄ダイヤ改正で国府津区に転属。JR東日本のみに引き継がれた。

なお、上記のとおり定員重視のため、シートピッチ(座席間隔)は原則として970 mm、特急・急行グリーン車からの改造車は1,160 mmである。

サロ111形 0・1000番台[編集]

サロ111形0番台

111・113系オリジナルのグリーン車(一等車)で、1962年 - 1964年に45両が製造された。形態はサロ153形に類似するが、車掌室がないため定員は4名多い64名である。座席はサロ110形0・900・1000番台とほぼ同様の回転式クロスシートだが、座席背面は化粧板で処理されており、台車もコイル(金属)バネのTR62形を履いている。新製時は非冷房であったが、1972年 - 1977年に全車冷房改造が実施された。冷房装置は分散形AU13E形を6基搭載している。また1972年から横須賀線の東京地下駅への乗入れのため18両が難燃化改造を実施されて1000番台に改番された。24両がJR東日本に承継されたが、老朽化のため1993年に全廃された。

0番台から1000番台への改番は以下の通り。

サロ111-17・20・33・35・13・14・15・36・37・38・7・39・22・23・24・40・43・44→サロ111-1001 - 1018

サロ110形 0・900・1000番台[編集]

153系のサロ153形からの改造車で、サロ165形の新造投入により捻出されたサロ152形による準急列車リクライニングシート化にともない111・113系用とされたものである。

1965年 - 1968年セミステンレス車体試作車の900番台(2両)を含めて63両全車が改造された。シートピッチは970 mmで車掌室付きのため定員はサロ111形より1列分少ない60名、台車は空気バネのTR59形である。東海道本線東京口と横須賀線のほかに京阪神地区でも使用された。側面塗分線は当初153系時代のままであったが、のちに111系に合せている。

1972年から冷房改造が開始されたが、全車には及ばなかった[注 24]。1972年改造車3両(43・46・49)は、伊東線伊豆急行線用として20 kVA MGを搭載して自車のみの給電とした。編成を組む普通車はこの時点では非冷房車のままである。

1973年から冷房化が本格的に推進されたが、同年以降の改造車は冷房電源をモハ112形から給電する方式に変更された。1972年改造車は1977年にモハ112形から給電する方式に変更され、その際にMGは撤去された。

サロ111形と同様に同年から東京地下駅乗入れ対応のため0番台車7両に難燃化改造が実施されて1000番台に改番された。このうちサロ110-1004・1005・1007は計画番号にとどまり、実際に改造工事は行われずに欠番となっている。1980年にセミステンレス車の900番台車が京阪神地区のグリーン車廃止時に東京に転出せずに廃車になったのを皮切りに廃車が進み、16両がJR東日本に承継されたが、これも老朽化のため1992年に全廃された。

0番台から1000番台への改番は以下の通り。

サロ110-2・13・14・26・39・16・58→1001 - 1003・1006・1008 - 1010

サロ112形[編集]

153系急行用一等車(グリーン車)からの改造で、1967年 - 1969年1975年にサロ152形30両全車(0・100番台)とサロ163形1両(7→サロ112-51)の計31両が改造された。種車のリクライニングシートをそのまま装備しており、定員は48名と少ない。

サロ152形・サロ163形→サロ112形の改造は3回に渡って施工された。

1回目(1967年 - 1968年)
  • 大垣電車区・下関運転所に配置されていた非冷房のサロ152-2 - 12・14・16・18・20の15両に吹田工場で改造施工。高槻電車区に配置され京阪神地区で運用された。
  • 後に3・14の2両のみが冷房改造された
2回目(1969年)
  • 大垣電車区に配置されていた冷房車サロ152-1・13・25・サロ163-7の4両に浜松工場での改造施工と併せて静岡運転所に転属。東海道本線東京口運用に投入されたが、1971年以降は高槻電車区に転用。
3回目(1975年
  • 下関運転所・田町電車区に配置されていた冷房車サロ152-21 - 24・26 - 29・101 - 104の12両に大船工場で施工。24のみが京阪神地区用に高槻配置となったが、他の車両は大船電車区(現・鎌倉車両センター)に配置され、東海道本線東京口・横須賀線で運用された。

下降窓という車体構造上、雨水が浸入しやすかったため車体の腐食が早く、1979年までに全廃された。

サロ113形[編集]

1973年 - 1974年に横須賀線・総武快速線用に17両が新造されたもので、全車が地下対応の1000番台(1001 - 1017)とされ、新製時からAU13EN形冷房装置を6基搭載している。急行用グリーン車に準じてリクライニングシート(サロ165形などで使用されたものと同タイプながらテーブル廃止・難燃化を図っている)を1,160 mm間隔で装備しているため、定員は48名と少ない。

計画では成田空港利用客を見込んでいたが、開港の遅れにより大船電車区配属車は横須賀線で、幕張電車区配属車は1000'番台冷房車と組んで1973年の房総夏季輸送(房総夏ダイヤ)期間に運転の臨時急行なぎさ」「みさき」、および臨時快速青い海」の一部列車に使用された。しかし幕張所属車は夏季輸送終了後は運転休止となり、1974年に横須賀線グリーン車の冷房化率向上のため大船電車区へ貸渡ののち転属している。

前述のとおり定員が少なく乗客の着席需要に応えられなかったため、1976年には全車が京阪神地区(高槻電車区・宮原運転所)に転出し、老朽化していたサロ112形を置き換えた。一部は宇野線で使用されたこともあるが、1980年の京阪神地区快速のグリーン車廃止および横須賀・総武快速線の直通運転開始によって再び関東(幕張電車区)に戻った。転入時に湘南色から横須賀色に塗り替えられたが、全車の塗り替えが間に合わなかったことから湘南色のままで横須賀・総武快速線で使用されたり、側面の緑帯が残っていたり、横須賀色でも「大ミハ」「大タツ」の標記になっているものもあった。1987年の国鉄分割民営化に際しては全車がJR東日本に承継されたが、1998年末に全廃された。

サロ110形 1200番台[編集]

サロ110-1259
サロ110-1259
車内
車内

1976年 - 1981年に88両が製造された。

定員が少なく不評であったサロ113形の反省から、シートは特急普通車並みの簡易リクライニングシートとし、定員を増加させて60名とされた。形式は新製時点で111・113系用の形式がすべて埋まっていたため、車掌室付きで定員が同じサロ110形の番台区分とされた。

客室側窓はサロ113形同様二段上昇式のユニット窓を採用。前位寄車端部は戸袋窓とした。トイレの汚物処理装置については準備工事とし、後に追加で装備されたほか、サボ受けが追加された。

1218 - はトイレの窓を小型化する設計変更を実施。1979年製造の1220 - は、1978年9月の車両塗装・標記規定変更により側面窓下グリーン帯を最初から省略し、在来車も工場入場時にグリーン帯を抹消した。

当初は横須賀線用として大船電車区に配置されたが、後に東海道線用として国府津電車区・田町電車区・幕張電車区にも配置。最終増備車の1285 - 1288は静岡運転所に新製配置された。

全車JR東日本に承継されたが、東海道本線での運用終了に伴い2006年までに全車廃車となった。

サロ110形 特急形改造車[編集]

国鉄末期の設備投資が抑制されていた折、老朽化したサロ110(0・1000番台)・111形の置換え用に新幹線開業や編成短縮によって余剰となった特急形グリーン車が転用された。これらは客用扉を増設し、非常時の換気のため片側2箇所ずつの窓上部を中折れ式に開閉可能にした程度で、車体はそのまま利用された。そのため車体断面形状が他車と全く異なっており、編成中で非常に目立っていた。

改造種車も181系183系485系・489系と多岐にわたり、定員や便所の有無など仕様もまちまちであったが、後述の急行形改造車とともにサロ110形(300・350・1300・1350番台)に編入された。また、定員や便所など設備上の問題から、これら特急形電車からの改造車は必ずサロ110形1200番台などの定員の多い車両とペアで編成が組まれていた。ただし、登場後しばらくの間、特急形からの改造車2両で組み込まれたことがあり、屋根高さが3段になっていることもあった。定員が少ないため、利用者が増える通勤時間帯に着席できなくなることから、グリーン定期券利用者などからは不評であった。

東海道本線東京口と横須賀・総武快速線で使用されてきたが、後者は地下線仕様として1000番台が付番されている。全車がJR東日本に承継されたが、横須賀・総武快速線のE217系置換えで余剰となった2階建グリーン車の東海道本線への転用により、1998年(平成10年)末までに全廃された。

301[編集]

1983年(昭和58年)に登場したサロ180-1001の改造車である。定員52名。種車の便所および洗面所部分に客用扉を増設したため、便所は設置されていない。また車体構造の都合により行先表示器も設置されなかった。オリジナルが181系であるため、他の特急形改造の車両と比べても一際低い車体が特徴的であったが、1990年(平成2年)に廃車された。

落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄時代最後となる全国規模のダイヤ改正昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。

302・303[編集]

1983年(昭和58年)に登場したサロ181形の改造車であるが、種車が元々サロ481形改造の1050番台車であったため、室内床面を含め車体全体が高く、形態的には後述の350・1350番台と変わらない。冷房装置はキノコ形キセ(カバー)のAU12形である。定員48名。便所・洗面所付き。落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄最後のダイヤ改正で国府津電車区に転属した。1991年に全廃された。番号の新旧対照は次の通り。

サロ181-1051・1052→サロ110-302・303

351 - 362・1351 - 1358[編集]

サロ110-1357

1983年(昭和58年)から1986年に登場したサロ489形およびサロ481形の改造車である。定員48名。350番台はトイレ付きだが、1350番台は改造時にトイレを閉鎖している。種車の製造時期の違いから冷房装置に差異がある。前述の302・303を含めてサロ481形およびサロ489形を出自とする車両の改造車は、元の出入台にあったステップを改造時に埋め込んでいる。

356・357・359・360は、サロ124形およびサロ125形と連結されるために方向転換され、引通し線の改造も実施[注 25]

351 - 358は静岡運転所に、359 - 362国府津電車区に配置されたが、351 - 358は国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。1997年(平成9年)までに全廃された。

1350番台の一部は改造当初、例えば横須賀色にもかかわらず塗り分け位置が湘南色のそれであったりと個々の車両ごとで差が生じていたものがあり、営業運転までの間に急ぎ修正が行われている(後述「塗装」の項にあるとおり、横須賀色と湘南色では塗り分け位置が違う)。

番号の新旧対照は次の通り。

サロ489-1・2・3・4・5・10・11・12・7・9・17・18→サロ110-351 - 362
サロ489-19・20・21・22・24・サロ481-93・95・96→サロ110-1351 - 1358

304 - 311・1301 - 1305[編集]

サロ110-309

1987年(昭和62年)に登場したサロ183形の改造車である[61]。0番台からの改造車が304 - 、1000番台からの改造車が1301 - をそれぞれ名乗る[61]。定員48名。種車の便所および洗面所部分に客用扉を増設したため、便所および行先表示器は設置されていない。またサロ183形時代の車内販売準備室および車販コーナーが撤去されずに残っていたのがこのグループの最大の特徴である。1300番台のうち1305のみは、1988年(昭和63年)の落成当初は湘南色に塗装して、田町電車区→国府津電車区に配属されて東海道本線で使用されたが、1991年(平成3年)に大船電車区に転属して横須賀線系統に使用された。304 - 307.1301 - 1304は国鉄時代に308 - 311.1305は分割民営化後に改造された。

305・306・307は、サロ125形と連結されるために方向転換され、引通し線の改造も実施(方向転換された車両は4号車から5号車に移動し、そのままの状態で連結すると車掌室が6号車寄りになるため)。

このグループの1302が1998年12月に廃車され、ユニークな特急形改造グリーン車は消滅した。

番号の新旧対照は次の通り。

サロ183-1・8・14・15・5・11・16・17→サロ110-304 - 311
サロ183-1003・1006・1007・1009・1002→サロ110-1301 - 1305

サロ110形 急行形改造車[編集]

サロ110-501

前述の特急形改造車と同様の事情によって165系から改造されたものであるが、2種2両のみの存在であった。

501[編集]

1983年にサハ165-7を改造したもので、塗分位置の変更(165系より橙色部分が天地に広い)と行先表示器の追加を除けば後述の401と同様外観は種車とほとんど変わらない。1200番台と同等の簡易リクライニングシートを装備している。座席と窓の間隔は合っていない。サロ110形であるにもかかわらず車掌室はないが、定員をオリジナルのサロ110形と合せたため、その分シートピッチは1,010 mmに拡大されている。定員60名。トイレ・洗面所付き。落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属した。1990年に廃車された。

401[編集]

1985年に登場したサロ165-130の改造車である。定員48名。トイレ・洗面所付き。塗分位置(改造当初は塗分がサロ165形時代のままであった。ちなみに、サロ112形も当初は同様であった)の変更と行先表示器の追加、自車用の冷房電源用MGと回送運転台の撤去を除けば外観は種車とほとんど変わらない。形態的には回送運転台用ライトの有無と2段式のユニット窓(165系時代に下降窓から改造)以外は前述のサロ112形と変わらないが、すでに廃形式であったため、サロ110形に編入された。1992年に廃車となった。改造時から廃車まで国府津電車区所属。

サロ124形・サロ125形[編集]

サロ124形東海道本線初期導入車両(東京駅)
サロ124形横須賀線導入車両(鎌倉駅)

国鉄分割民営化後に登場した2階建車両である。老朽化が進み、取替時期に来ていたサロ110形およびサロ111形の置換えにあたり、乗客の着席需要が旺盛なことから同時期に登場した211系の2階建グリーン車サロ212形およびサロ213形と同じ車体を採用して座席定員の増加を図ったものである。

これにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1988年から1990年に29両、トイレ付きのサロ125形が1990年に5両製造された。将来的には、車掌室とトイレを向かい合わせた形で2階建グリーン車を2両連結することとしていたが、投入当初は両形式とも4号車に組込まれ、2階建+平屋の組合せとした。このため、サロ125形は登場時点でサロ124形と同じ向き(方向転換し本来の向きと逆の状態)で組み込むため、引通しを両渡りとして使用していた。後述の211系への改造時に本来の向きに戻されサロ124形と組んでいる(逆にこの時は両数の多いサロ124形の一部が方向転換と引通しの改造を実施することになった)。

サロ212形などとの相違点は、連結相手が異なることからブレーキ装置など構造が異なる他、サロ124-1 - 8は485系などからの発生品であるTR69系空気バネ台車を改造して使用していることが挙げられる。なお、9以降は211系と同様の新造のボルスタレス台車のTR235形に変更されている。

サロ124形のうち横須賀・総武快速線に投入された9 - 14、25 - 29は東海道本線のサロ124形と異なり、成田空港利用者輸送に対応して後位出入台側の一列を荷物置場に変更しており、定員は4名少なかった。また前述のとおり台車がこのグループから新造のものに変更された。1994年から1999年のE217系投入時に全車が東海道本線に転属し、荷物置場を撤去して4名分の座席を増設した。また帯色が湘南色に変更されたが、東海道本線に新製投入されたサロ124形とカラーシートの貼り方が異なっているため、見分が付く。サロ125形は全5両が東海道本線に投入された。

なお、グリーン車独自の車両番号採番となったため、後に全く関係なくJR西日本125系が製造されたが、JR西日本車はクモハ125形のみのため車番の重複が生じなかった。

211系への改造[編集]

1996年以降は国府津車両センターに全車が在籍していたが、2004年から同センター配置の113系がE231系に置換えられることになり、捻出された2階建グリーン車はサロ212・213形100・1100番台に改造された。

  • 100番台車は田町車両センターの平屋+2階建グリーン車(サロ211形+サロ212形・サロ210形+サロ213形)を高崎車両センターに転用するために投入。側面行先表示器をLED化して、東海道本線東京口用に引き続き使用された。
  • 1100番台車は100番台と同じ改造に加え、寒冷地対応改造を施して東北本線宇都宮線)・高崎線上野口用に投入。高崎車両センター所属の211系に組み込まれて使用された。こちらも側面行先表示器がLED化されている。寒冷地仕様なので番台が(東京口用+1000)になっている。

車両需給の都合から、サロ124形のうち12両は、方向転換のうえ、車掌室をトイレ・洗面所に改造してサロ213形へと改造されている(100番台8両・1100番台4両)。また、本来の向きとは逆向きで使用されていたサロ125形も方向転換して本来の向きに戻し、サロ213形(100番台4両・1100番台1両)となった。その他のサロ124形17両は、サロ212形(100番台12両・1100番台5両)に改造されている。

また種車がサロ124-1 - 8のものは引き続きTR69系台車となり、サロ212形・サロ213形への改造後は両車ともTR69系台車を装備した車両同士で組合せて登場し、当初、総武快速・横須賀線に所属していた車両について、カラーシートは改造後も張り替えずそのままで登場した。

田町車両センターおよび高崎車両センター所属の211系のE233系3000番台への置き換えにより2012年から2014年にかけて廃車されている。

各社の運用[編集]

国鉄分割民営化後は多くの車両が承継された。また、オリジナルカラーに塗り替えられた車両もある。2019年現在、定期運用と在籍があるのはJR西日本のみとなっている。

国鉄時代[編集]

房総方面の臨時快速「白い砂」(錦糸町駅、1978年)
阪和線の新快速(鶴ヶ丘駅付近、1978年)
関西本線の大阪環状線直通快速列車(王寺駅、1980年)
関西本線のキハ58系と草津線の113系(柘植駅、1987年1月)

東海道本線東京口に投入された111系は、1962年6月より営業運転を開始し、当初は東京駅 - 沼津駅間を主体に運用された[7]。111系の投入で捻出された80系は、東海道本線名古屋口・大阪口の客車列車の電車化などに転用された[7]

111系は東海道線に続いて横須賀線にも投入され、1962年10月に営業運転を開始した[8]。当初の塗装は東海道線用と同じ湘南色であり、誤乗防止のため「横須賀線」のヘッドマークが掲出されていた[8]

1964年2月には出力強化型の113系が投入され、横須賀線・伊東線で営業運転が開始された[24]。捻出された70系は、横須賀線の編成数増加や新潟地区の普通列車用に転用された[24]

横須賀線では、増備途中より青15号クリーム1号の横須賀色(スカ色)が採用された[24]。当初の横須賀色は湘南色と同じ塗り分けであったが、窓部のクリーム色が目立ちすぎるとの意見から、以後の増備車よりクリーム色を狭くした塗り分けに変更されている[24]

京阪神快速にも1964年に113系51両が投入され、同年9月より営業運転を開始した[24]。当時快速に使用されていた80系では一部に一等車が連結されていたが、113系では一等車を含まないモノクラスの11両編成となった[62]山陽本線鷹取駅 - 西明石駅間の複々線化が完成した1965年3月時点で113系は114両まで増備され、80系は山陽地区の普通列車に転用された[62]

1966年10月のダイヤ改正より、京阪神快速の113系の一部に一等車が連結された[24]。従来の80系の一部編成に組み込まれていた一等車の置き換えが目的であり、サロ153形の改造車であるサロ110形が組み込まれた[22]。このダイヤ改正では113系による豊橋発東京行きの夜行列車(列車番号350M)も設定され、1968年10月のダイヤ改正(ヨンサントオ)で153系による144M列車(大垣夜行)となるまで運用された[22]

従来12両編成であった横須賀線は、混雑緩和のため15両編成化されることとなった[22]逗子駅より先は15両編成の入線が不可能であり、逗子駅で増解結を行うこととなったが、逗子駅での久里浜方にある留置線確保の観点から、下り方(久里浜寄り)に付属4両編成、上り方(東京寄り)に基本11両編成の組成となった[22]。1965年には久里浜方基本10両・東京方付属5両の暫定15両編成での運転が開始され、1968年までに付属4両+基本11両の編成への組成変更が完了した[22]

1968年7月に千葉駅 - 木更津駅間が電化された房総西線(後の内房線)は、翌1969年7月に千倉駅まで電化が延伸され、普通列車に113系1000番台が投入された[63]。113系は1969年 - 1971年の夏季輸送で臨時急行列車「うち房」にも使用され、いわゆる遜色急行となっていた[63]

1970年に大阪で開催される日本万国博覧会(大阪万博)の輸送に対応するため、113系1000番台が横須賀線に投入され、捻出された113系0番台が横須賀線から京阪神快速に転用された[63]。万博の開催期間中は、横須賀色の113系による臨時快速列車「万博号」が河瀬駅 - 茨木駅 - 姫路駅間で運転された[63]

万博輸送終了後の1970年10月のダイヤ改正では、京都駅 - 西明石駅間で「新快速」の運転が開始され、横須賀色の113系7両編成が投入された[63]。新快速の運転区間は1971年4月のダイヤ改正で京都駅 - 草津駅間が延長されたが、1972年に山陽新幹線岡山開業に伴うダイヤ改正による電車急行の廃止で余剰となった153系が転用され、113系による京阪神の新快速の運転は約1年半で終了となった[64]

新快速の153系への置き換えで捻出された113系は、東海道線静岡地区と阪和線に転用された[63]。阪和線ではグレー地に青帯を巻いた阪和線快速色(灰色9号青22号)に塗装変更され、1972年3月のダイヤ改正で運転を開始した新快速に使用された[64]。新快速は天王寺駅 - 和歌山駅間を所要時間45分で結び、途中停車駅は鳳駅のみであった[64]。阪和線の新快速は1978年10月まで運転された[64]

1972年7月のダイヤ改正により総武快速線の東京地下線が開業し、1000'番台が総武快速線で営業運転を開始した[65]。当初は東京駅 - 津田沼駅間での運転が主体で、一部が上総一ノ宮駅君津駅まで乗り入れた[65]。夏季の房総半島海水浴客輸送の臨時列車として、快速「白い砂」「青い海」が113系により運転された[66]

翌1973年には直通運転を考慮して横須賀線にも1000'番台が投入され、捻出された113系0番台が名古屋地区や関西、岡山地区に転用された[67]中央本線では1973年7月のダイヤ改正で中央西線中津川駅 - 塩尻駅間が電化され、名古屋駅 - 中津川駅間の快速列車に113系を投入し、捻出された80系などが中津川駅 - 長野駅間の普通列車に転用された[67]

1973年10月には関西本線湊町駅 - 奈良駅間が電化され、大阪環状線経由で大阪駅 - 奈良駅間を直通する快速列車が設定された[67]。この快速列車には113系0番台が使用され、阪和線快速色に対してグレーに赤帯の関西線快速色(灰色9号朱色3号)に変更して投入された[67]。また、1972年3月より153系で運転されていた宇野線の快速列車は、混雑への対応のため1973年10月に113系へ置き換えられ、捻出された153系は山陽本線の快速増発用などに転用された[68]

1974年7月より、湖西線で113系700番台の営業運転が開始された[69]。また、同年には首都圏に0'番台と1000'番台が投入され、捻出車は房総地区と山陽地区に転用された[70]。房総地区への転用は10月の総武本線佐倉駅 - 銚子駅間と成田線鹿島線の電化に伴うもので、山陽地区への転用は山陽本線の快速・呉線客車普通列車の置き換えに伴うものである[70]

房総地区に残っていた72系などの旧性能車は、東海道線東京口への113系0'番台の投入で捻出された0番台により置き換えられ、1977年9月に房総地区の新性能化が完了した[70]。1976年には阪和線の新性能化のため700番台が京阪神快速に投入され、捻出された0番台が阪和線に転用された[70]。阪和線ではこの時点で70系など旧性能車が残っていたが、103系の増備で1977年3月に新性能化が完了し、70系は福塩線に転用された[70]

1976年10月には、総武快速線の東京駅 - 品川駅間の地下線が延長開業した[71]。1978年の新東京国際空港(成田空港)の開港に伴い、総武快速線の一部列車が13両編成に増強され、混雑の緩和が図られた[71]

1977年3月より東海道線静岡地区への113系0'番台の投入で80系が置き換えられ、80系の東京駅への乗り入れも終了となった[71]。続いて京阪神快速にも1977年9月より113系0'番台が投入され、捻出された113系0番台が東海道線名古屋地区の80系置き換えに転用された[71]

1978年3月よりシートピッチ拡大車の113系2000番台が東海道線名古屋地区に新製投入され、同地区の新性能化が完了した[71]。東海道線静岡・名古屋地区の80系は消滅し、全金属車の300番台が飯田線に転用された[71]。続いて1978年7月より中央西線の普通列車と岡多線(後の愛知環状鉄道線)に2000番台が投入され、両線区の70系が置き換えられた[72]

1978年10月のダイヤ改正では紀勢本線の和歌山駅 - 新宮駅間が電化され、普通列車には113系2000番台の新製車、および京阪神快速への113系新製投入に伴う113系転入車が投入された[72]。阪和線の新快速はこの改正で消滅したが、同線の快速列車の2本に1本が紀勢本線へ直通運転するようになった[72]

1980年3月のダイヤ改正では、草津線桜井線和歌山線王寺駅 - 五条駅間)が電化された[73]。草津線電化用には2700番台が新製投入され[73]、湖西線の700番台と共通運用された。桜井線・和歌山線電化用には、2000番台の京阪神快速への投入や宇野線快速への115系1000番台の投入で捻出された113系在来車が転用されている[73]

中央西線と信越地区に残存していた80系は、113系2000番台と115系1000番台の新製投入により置き換えられ、1980年3月に両地区での営業運転を終了した[73]

1980年10月のダイヤ改正で東海道本線と横須賀線の線路が分離され、横須賀線と総武快速線は横須賀・総武快速線として直通運転を開始した[30]。これに伴って2000番台と1500番台が新製投入され、総武快速線はグリーン車を含む15両編成に増強された[30]。一方、京阪神快速のグリーン車は利用客が少なく、この改正までにグリーン車の連結は終了となった[30]

1981年7月に総武快速線の津田沼駅 - 千葉駅間の複々線化が完成し、同年10月のダイヤ改正で1500番台が増備された[74]。東海道線東京口では2000番台が投入され、グリーン車はサロ110形0番台の老朽化による代替として1200番台が増備された[74]。また、急行「伊豆」と朝夕の通勤輸送に使用されていた153系の老朽置き換えのため、113系2000番台と185系が投入された[74]

1982年7月の関西本線名古屋駅 - 亀山駅間の電化に伴い、1982年3月に113系2000番台が投入された[74]。この亀山電化用の2000番台の増備をもって、113系普通車の新造は終了となった[74]。1982年11月のダイヤ改正では、広島地区で4両編成15分間隔の短編成高頻度運転が開始され、これに合わせて投入された115系3000番台に111系のモハ111・110形のユニットを組み込んだ4両編成も登場している[74]

1984年2月のダイヤ改正では、短編成高頻度運転を行う「シティ電車」が各地の都市圏に拡大された[75]。一例として静岡都市圏では「するがシャトル」の愛称が付与され、当初は113系にヘッドマークが掲出されて運用された(後に119系も投入)[75]。京阪神快速や房総地区、湖西線や草津線では、短編成化で不足する先頭車を補うため、先頭車の方向転換改造も実施されている[76]

短編成化により余剰となった111系の電動車ユニットは、可部線の新性能化用に先頭車化改造される計画[77]もあったが、可部線には105系の103系改造編入車が投入されたため、クモハ111・クモハ110の2両編成は登場しなかった[77]

1985年12月には、近郊型直流電車の後継となる211系が登場し、東海道線東京口では1986年3月のダイヤ改正より運用を開始した[78]。211系の投入により、老朽化の進んでいた111系の置き換えも開始されている[78]

1980年に大阪駅 - 宝塚駅間で電化されていた福知山線は、1986年11月のダイヤ改正で宝塚駅 - 福知山駅間が山陰本線の福知山駅 - 城崎駅間とともに電化され、113系の耐寒耐雪改造車である800番台が投入された[78]。この1986年11月の改正では、東海道線名古屋地区にも211系と117系100番台が投入され、同地区の111系が廃車となった[78]

1987年4月1日の国鉄分割民営化により、111・113系は東日本旅客鉄道(JR東日本)に1566両、東海旅客鉄道(JR東海)に438両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に772両、四国旅客鉄道(JR四国)に12両が継承された[78]

JR東日本[編集]

JR東日本では、発足当時に以下の線区で用いられた。

総武快速線と横須賀線については1994年から1999年にかけてE217系に置き換えられ、一部編成が房総地区や東海道本線東京口のほか、E231系が投入されるまで暫定的に小山電車区に転属し東北本線宇都宮線)でも使用されたことがあった。この置き換え時期に廃車された一部の車両は四国旅客鉄道(JR四国113系)と伊豆急行200系)に譲渡されている。このうち、伊豆急行譲渡車については東京急行電鉄からの8000系譲渡に伴い、2007年(平成19年)までに全車廃車されている。

房総各線からの撤退に伴いさよならヘッドマークを掲げて走る113系(佐倉 - 物井間、2011年8月30日)
東海道本線からの撤退に伴いさよならヘッドマークを掲げて走る113系(品川 - 川崎間)
湘南色に塗り替えられた幕張車両センター所属の113系(S62編成)

東海道本線については、1987年当時は最長で浜松駅まで直通したが、その後静岡駅までに短縮され、2004年10月改正で沼津までの直通となった。

国府津車両センターに所属する東海道本線東京口の車両は2004年10月から2006年3月17日にかけてE231系に置き換えられ、多くは廃車されたが、車歴が浅い一部の車両(94両)は幕張車両センターに転属された。また、その際に捻出された2階建グリーン車は東海道本線用のサロ212・213形100番台、宇都宮線・高崎線用のサロ212・213形1100番台へ改造され、211系に順次連結された。なお、最後まで運用されたのは基本編成4本(K47・51・57・69編成)と付属編成5本(S81・96・102 - 104編成)の計64両であった。最後まで残ったS96編成は同年4月26日に長野総合車両センターへ廃車回送され、JR東日本の113系湘南色車はいったんは消滅した。その後、2009年6月に幕張車両センター所属の2編成が湘南色に塗り替えられ、JR東日本の113系湘南色車が約3年ぶりに復活した。

末期まで113系が使われていたのは全て千葉支社管轄の千葉県内の総武本線(千葉以東)・成田線(成田 - 我孫子間を除く)・内房線・外房線であった。総武快速線の両国 - 千葉間では客扱いはしないものの新聞電車として走行しており、東京都内へ乗り入れる唯一の113系運用となっていたが、2010年3月のダイヤ改正で廃止された。

初期車に関しては、国府津車両センターからの車歴の若い車両によって置き換えられた他、E231系の増備で捻出された211系3000番台が高崎車両センターから転入し、2006年10月21日から運用を開始したため、既に全廃されている。その後、京浜東北線から転用された209系2000番台・2100番台により、211系よりも先に置き換えられ[79]、営業運転は2011年9月1日に終了した[80]。同月23日と24日にマリ116編成とマリ217編成を用いたさよなら運転が行われ[81][82]、10月15日には緊急企画として同車の長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた団体臨時列車が、JR東日本で最後まで残ったマリ116編成を用いて運転された[83]

JR東海[編集]

JR東海の113系は静岡車両区神領車両区に所属していたが、いずれも313系などへの置き換えが進み、2007年3月17日をもって定期運用を終了した。その後、神領所属車は同年11月までに、静岡所属車は12月までに全車が廃車・解体され、同社の113系は消滅した。以下では2007年5月現在の状況について述べる。

静岡車両区
最末期には4両編成1本(4両)と3両編成2本(6両)の計10両が在籍していた。
東海道線(熱海 - 豊橋間)と御殿場線(御殿場 - 沼津間)で運用されていた。最後までオリジナルの113系が多く残っていた地区だったが、2006年10月から大垣車両区より転属された211系5000番台や新たに投入された313系により順次置き換えが行われ、2007年3月17日を最後に定期運用を終了した。同年12月末ごろ、最後まで残っていた4両編成1本(L21編成)が廃車された。また、かつて東海道本線東京口で付属編成として、また伊東線・伊豆急行線内の普通列車として使用された静岡車両区T100編成(旧T編成)は2005年10月から廃車が始まり、2007年5月現在全車が廃車となっている。T100編成は、2004年10月のダイヤ改正までは、早朝にあったJR東海車での単独運用である東京発静岡行1本を除き、JR東日本の基本編成と併結して東京駅まで乗り入れていたが、JR東日本のE231系の新製によって余剰となった113系基本編成を4両に組み替えの上でT100編成を置き換えている。この改正と同時に211系を含めて沼津 - 島田間からグリーン車連結編成による運用が消滅した。なお、2003年のGWに臨時大垣夜行」として8両編成で東京・品川 - 大垣間を営業運転した経歴がある。
2005年愛知万博開催時は万博輸送のために211系の大半が神領に転属または貸し出ししたため、一時的に113系の運用は大幅に増えた。また、静岡所属の一部の113系も神領に応援に入った。
神領車両区
最末期には6両編成3本(18両)と4両編成1本(4両)の計22両が在籍していた。いずれも2000番台であり、1999年のダイヤ改正において大垣車両区より転属となった車両である。なお、これらの車両のほとんどは70系の置き換え用として新製され、新製時の1978年には神領電車区(現在の神領車両区)に配置されていた。中央本線(名古屋 - 中津川間)でラッシュ時を中心に使用されたが、2006年11月10日をもって定期運用を終了し、313系増備車に置き換えられた。その後は臨時列車としての運用のみで行われていたが、2007年11月に最後まで残っていた4両編成1本(N4編成)が廃車された。
ATS-P形を装備しない車両であったが、2001年夏に臨時列車として品川 - 大垣間を営業運転した経歴がある。この時、JR東日本管内では併設しているATS-SN形を使用して運行された[注 26]。1999年までは大垣電車区(現在の大垣車両区)に所属し、東海道本線(米原 - 静岡間)での運用が中心で、中央本線はラッシュ時のみ入線した。

JR西日本[編集]

2020年(令和2年)4月1日現在、福知山電車区吹田総合車両所(京都・日根野支所)・岡山電車区に配置されている。2005年4月25日福知山線脱線事故の影響で、ATS-P対応・非対応車の転配属が頻繁に行われていた時期があった。なお、京阪神地区(アーバンネットワーク)では221系223系225系・323系などの投入で兵庫県の姫路駅以西での運用となっている。

JR西日本ではほとんどの車両に最高速度を110 km/hにする高速化工事を行い、一時は車番が5000 - 7000台になった車両が大半を占めていた。福知山線(JR宝塚線)での運用ではブレーキてこ比改造の関連で高速仕様を外された車両が発生している。また、編成の組み換えが頻繁に行われるため、様々な塗装や仕様の車両を連結した編成が見られていたが、2009年から始まった塗装の単色化や113系自体の減少により、現在ではこのような編成は見られなくなっている。

福知山電車区(福フチ)[編集]

S編成(2両編成)
ワンマン運転と寒冷地運転に対応した、山陰本線園部 - 福知山間の電化に伴い改造された車両(300 → 5300番台)が12両所属する[84]。全編成とも地域色(抹茶色)に塗装変更されている。そのうち、S2・S4編成は40N体質改善工事施行済み、S4・S9編成はクモハ112形に集電装置を2基搭載となっている[84]
115系R編成と共通で舞鶴線と山陰本線(綾部 - 城崎温泉間)を中心に運用しており、2編成連結した4両での運用も見られる。京都丹後鉄道宮福線への乗り入れ運用にも充当されている。
当電車区に113系が配置されたのは1986年11月の福知山線(宝塚 - 福知山間)と山陰本線(福知山 - 城崎)電化開業からである。耐寒耐雪改造を施工した800番台とし、4両K編成と2両S編成が配置された。1991年の七尾線電化開業で必要となる車両として2両編成のクモハ113形が使用されたため、余ったクモハ112形はモハ113形およびクハ111形を連結して3連化されてY編成を名乗った。
1996年の山陰本線(園部 - 福知山間)電化開業に際して、5300番台車両を使用したS編成が組成されたほか、Y編成の一部が再び2連化され、S編成を名乗った。前者の編成番号が一桁(S2 - S5・S7・S9)であるのに対し、後者は二桁(S33・S77・S99)とすることで区別された。
2001年の福知山線篠山口以北でワンマン運転および輸送量の適正化が行われることとなり、残ったY編成の大半が2両化された。
S33・S77・S99編成は、嵯峨野線での運用が2010年3月13日のダイヤ改正で221系と223系5500番台に置き換えられ、運用区間が園部 - 城崎温泉間とされた際に余剰となり、廃車となった。その後、2012年3月17日ダイヤ改正で山陰本線園部 - 綾部間を運行する普通列車のすべてを223系5500番台または221系に統一させる旨が福知山支社から公式発表され[85]、園部駅 - 綾部駅間の運行からは完全に撤退した。
小浜線電化開業時に京都所属の車両を抜き取る形で小浜線専用の4両編成(W編成3本)が用意され、ラッシュ時を中心に運用されていたが、2006年10月に北陸本線の敦賀駅までの直流化に伴う521系の増備により小浜線から撤退、3編成とも京都総合運転所へ転属し、塗装も従来のものに変更されている。

吹田総合車両所京都支所(近キト)[編集]

C・L編成(4両編成)
湖西線電化用の700番台、草津線電化用の2700番台高速化改造を施工した5700・7700番台64両(C編成20両、L編成44両)が所属する[86]。そのうち、C08・C10・L03・L07・L09・L15編成はモハ112形に集電装置を2基搭載している[86]。体質改善車で組成された編成も多いが、先頭車両のみもしくは中間車両のみを改造した編成も在籍する。
現在、湖西線および草津線における主力車両として、また草津線直通運用などとして東海道本線(京都 - 草津)でも運用されている。
かつては、C編成(電気連結器を装備)が山陰本線京都 - 園部間(嵯峨野線)、L編成(電気連結器を未装備)が湖西線・草津線を主体に運用されており、C編成と福知山電車区113系S編成との併結運用も見られたが、221系・223系の投入により2010年3月13日のダイヤ改正で運用を失った。その後、L編成も電気連結器の設置が行われている[87]。余剰となった車両のうち、3編成(湘南色)が岡山電車区に2012年10月まで貸し出され[88]、2008年から2010年にかけて17編成が広島運転所に転属している。なお、米子支社管内の「通勤ライナー」用としてL08編成が後藤総合車両所に貸し出されていたが、2010年3月13日のダイヤ改正で返却された。

吹田総合車両所日根野支所(近ヒネ)[編集]

HG編成(2両編成)
最末期には4両(2両編成2本)が在籍していた。[89]
前身である日根野電車区時代に遡ると、国鉄時代の1986年11月1日時点で68両(6両編成7本、4両編成6本、MM'ユニット2両)が配置されており、阪和快速色の他に関西線快速色を纏う車両が存在した[90]。なお、関西本線で運用された車両は1985年に奈良電車区に転属した。
2011年12月10日に4両編成が撤退した後も、2両編成のみ日根野 - 紀伊田辺間で運用を続けていたが、2020年3月14日のダイヤ改正で227系に置き換えられ、定期運用を終了した[91]
紀勢本線(きのくに線)で運用される4両編成(阪和快速色)
2004年8月28日、海南駅
JR西日本発足後、配置車両は阪和快速色を纏う4両編成に統一され、阪和線紀勢本線、和歌山線(和歌山 - 五条)[注 27] で主に運用された。2002年にはワンマン用2000番台2両編成が配属され、2004年以降、4両編成は網干所への223系投入による車両転配によって網干と京都から転入してきた体質改善車に置き換えられた。その後、福知山脱線事故に関係する車両転配により(#福知山線脱線事故関連を参照)再び阪和快速色を纏う体質改善工事未施工車が復帰した。
2010年4月1日時点では36両(4両編成8本、2両編成2本)が配置され、12両(4両編成3本)が阪和快速色であった[92]。大阪環状線・阪和線・紀勢本線(きのくに線)で運用され、4両編成を2本使用した8両での運用も存在した[92]。4両編成は225系5000番台の増備により2011年12月をもって運用から離脱した[93]。阪和快速色編成(12両、4両編成3本)は岡山電車区に転属したが、MM'ユニットは廃車となり、先頭車は下関総合車両所広島支所から捻出されたMM'ユニットと編成を組んだ[注 28]。体質改善車編成(20両、4両編成5本)は下関総合車両所広島支所に転属してP編成を名乗り、113系F編成のうち体質改善未施工車置き換え用とされた。

岡山電車区(岡オカ)[編集]

京都総合車両所から貸し出されたB-01編成(元L13編成)2009年5月16日
B編成(4両編成)
52両(4両編成13本)が所属する[94]。2015年度までは非体質改善車も配置されていたが、現在は全て下関総合車両所広島支所から捻出された0'番台・2000番台の30Nまたは40N体質改善車で組成される。全編成濃黄色に塗装変更されている。そのうち、B09・13編成はモハ112形に集電装置を2基搭載している[94]。運用範囲は、山陽本線姫路 - 三原間、伯備線倉敷 - 新見間、赤穂線全線(相生 - 播州赤穂間は1往復のみ)、宇野線全線である。また、105系F編成が検査入場で編成が不足する場合は、福塩線福山 - 府中間を代走することがある。
それ以前の113系は全て他所からの借用車であった。日根野電車区の余剰車が配置されていた時期があったが、ATS-P形を装備していたために全車がアーバンネットワークに再転用され、2005年6月19日から福知山線(JR宝塚線)の運用に入ったのち、2006年10月までに全車が日根野電車区に返却された。2007年以降、湖西線・草津線への223系投入に伴い余剰となった京都総合運転所に所属していた5700番台3編成(湘南色)が貸し出され、再びB編成(B01・02・05)として運用されていた。2012年に先述のB-07 - 09編成に置き換えられて全車廃車された。B02編成は2012年10月20日に滋賀県野洲市において爆破テロの救助訓練に使用するため、網干総合車両所宮原支所野洲派出所に回送され、爆破ラッピングが施された[95]。訓練終了後、ラッピングは外され、吹田総合車両所へ回送された[96]
2015年5月・7月に下関総合車両所広島支所から体質改善車の4両編成1本と先頭車2両が転入[97]。4両編成はB10編成となり、先頭車はB09編成の非体質改善先頭車を置き換えた[98]
2015年10月から2016年2月にかけて下関総合車両所広島支所から体質改善車の4両編成2本(旧P04・10)、先頭車6両とMM'ユニット2両が転入した[99]。旧P04・10編成はB11・13編成となり、旧P09の先頭車と旧F10のMM'ユニットでB12編成を組成。残る先頭車4両は、吹田総合車両所日根野支所から転属してきた非体質改善車であったB07・08の先頭車を置き換えた[100][35]
側面方向幕が自動巻き取りなのに対し前面方向幕は手動巻き取りであり、作業簡易化のため2018年4月から全編成の前面方向幕が撤去された。
2018年10月から2019年2月にかけて下関総合車両所広島支所から体質改善車の4両編成6本が転入した[101]。編成番号の変更は次の通り。旧P01→B15、旧P03→B14、旧P05→B17、旧P07→B18、旧P08→B16、旧P14→B19。

かつての配置[編集]

網干総合車両所[編集]
リバイバル新快速(2004年10月10日)
F・K編成(4・7両編成)
国鉄分割民営化時は422両が在籍していた。
初期車をベースとした5000番台が多数所属し、主に東海道・山陽本線の快速で運用されていた。
1990年代から221系と223系の増備により徐々に数を減らしていき、2004年10月のダイヤ改正で最後まで残っていた網干駅 - 大垣駅間の2府3県にまたがる長距離運用とそれに使用されていた網干総合車両所所属の7両編成+4両編成および4両編成+7両編成の11両運用が消滅した。
東海道・山陽本線での運用撤退前の2004年10月10日、鉄道の日を記念して「新快速」がリバイバル運転され、117系と初代新快速の充当形式であった113系が使用された[102]。充当されたのは網干総合車両所のK8編成7両で、新快速新設時の区間となる大阪→京都→西明石→大阪間で運転された(117系は大阪→草津→姫路→大阪間で運転)[102]。運用にあたって、新快速運用時代の種別プレートの掲示、車体のJRマークの消去、トップナンバー車の連結のほか、運転士車掌が国鉄時代の制服を着用して乗務するなど、可能な限り国鉄時代への復元がなされていた。
宮原総合運転所(近ミハ)[編集]
福知山線で運用されている宮原所属の6両編成
(2011年4月18日、川西池田駅)
S編成(4・6両編成)
国鉄分割民営化直前となる1986年11月1日に、700・2700番台104両(6両編成6本、4両編成17本)が配置され、湖西線・草津線・東海道本線・山陽本線で運用されていた[103]。1992年には、京阪神地区で余剰となった117系が岡山・広島地区に転属し、同地区の115系が網干に、そして玉突きの形で網干から本形式が転入した。1995年4月20日ダイヤ改正では、700・2700番台4両編成が向日町所に転属し、6両編成のみ配置されるようになった。その後223系の網干への配置に伴い、運用を網干所属の221系に置き換えられる形で2004年10月16日ダイヤ改正で定期運用を失い、残った車両も他区所に転属した。
その後、福知山線脱線事故に関係する車両転配により(#福知山線脱線事故関連を参照)再び運用が復活した。2005年6月19日以降、体質改善車・湘南・阪和・小浜・瀬戸内といった各色の車両が当時ATS-P未搭載の117系に代わって運用されることになった。さらに2006年春以降は冬季の半自動扉扱いの必要性から日根野電車区から体質改善車が転入した。2011年時点では全て体質改善車となっていた。
2011年10月現在で42両(6両編成5本、4両編成3本)が所属していた[104]。4両編成はモハ112形に集電装置を2基搭載している[104]。全車が体質改善工事施工済み(S34・37編成の中間車のみが30N車で、他は40N車)であった。日中の運用は基本的に篠山口駅以南のみであったが、朝・夜の快速列車を中心に新三田駅までの普通や、午後の篠山口駅 - 福知山駅間の区間運転に運用された。2012年3月17日ダイヤ改正後をもって221系と共に福知山線の運用から撤退し、下関総合車両所広島支所に転属してP編成を名乗り、113系F編成のうち体質改善未施工車置き換え用とされたが、一部の余剰車は廃車となった。
下関総合車両所広島支所(広ヒロ)[編集]
呉線で運用されるP02編成(2012年5月8日)
F・P編成(4両編成)
2018年10月1日時点では28両(4両編成7本)が配置されていた[105]。全編成がアーバンネットワーク地区からの転入車であるが、6本は2012年に転入してきたグループでP編成を、1本は2008年から2010年にかけて転入したグループでF編成を名乗っていた[105]。山陽本線の海田市 - 岩国間、呉線安浦 - 海田市間と可部線の全線で運用された。広島支社では高速対応は不必要であるため、検査時などに車番を原番へと復帰させている。
前身である広島運転所にまで遡ると、当初に本形式が初めて配置されたのは2008年である。103系の置き換えを目的として、京都総合運転所、日根野電車区から転入してF編成を名乗り[注 29]、2011年4月1日現在で68両(4両編成17本)が在籍していた[106]。このうち36両(9編成)は体質改善工事施工済みで、32両(8編成)未施工車である[106]。F編成は関西更新色、広島更新色、湘南色、瀬戸内色の4種類の車体塗装が存在した[注 30]
2011年12月以降、225系投入によって余剰となった日根野電車区および宮原総合運転所所属の113系体質改善工事編成62両(6両編成5本、4両編成8本)が転入した。その内54両(4両編成13本、MM'ユニット2両)が転用され、残るMM'ユニット8両[注 31] は廃車となった。F編成体質改善車36両のうち14両(4両編成3本、先頭車2両)が当支所にて継続使用となった[注 32]。そのほかの車両に関しては、体質改善車のうちMM'ユニット6両は岡山区に、先頭車10両が下関所運用検修センターに転属となった。残る体質改善未施工車32両および体質改善車MM'ユニット6両は廃車となった。P編成は2012年2月末から順次運用入りした[107]
2015年4月1日時点ではP編成14本(P01 - P14)、F編成3本(F08・F10・F13)が配置されていたが、227系の配置により、2015年上期はP編成6本(P01-03・12-14)が余剰となり、3本(P01・03・14)は2015年4月・7月に下関所運用検修センターへ転属。P02・12の先頭車4両とP13のMM'ユニットの計6両(P02の先頭車とP13のMM'ユニットで4両編成を組成)は2015年5月・7月に岡山電車区に転属した[97]。残る6両は2015年4月・6月に廃車された[108]。さらに2015年10月から2016年2月にかけてP編成2本(P04・10)、P06・09・11の先頭車計6両とF10のMM'ユニット2両が岡山電車区に転属[99]、P06・09・11のMM'ユニット計6両とF10の先頭車2両は廃車された[35]。2016年3月に入り下関所運用検修センターへ転出していたP編成3本(P01・03・14)が復帰した[99]。同年7月にはF08編成が廃車された[109]。2018年10月から2019年2月にかけてP編成6本は岡山電車区へ転出し[101]、F編成1本は2019年1月18日付で廃車され[58]、配置が無くなった。
下関総合車両所運用検修センター(広セキ)[編集]
P編成(4両編成)
広島支所から2015年4月・7月に4両編成3本12両(P01・03・14)が転入し配置された[110]が、2016年3月にいずれも広島支所に再転出した[99]
H編成(4両編成)
2015年10月時点ではクハ111-811・812の2両が在籍していた[110]。これら2両は主幹制御器がクハ115形と同型の勾配抑速ブレーキ対応のものに換装されており、実質的に115系として運用されていた。800番台として現存する最後の車両でもあったが、2016年1月にいずれも廃車された[35]。主幹制御器を交換した先頭車は他にも3両(クハ111-91・139・268)存在していたが、2012年に全車廃車された。

2004年から2007年にかけて4両編成3本の113系統一編成を借用していたことがあり、2004年には網干総合車両所から1本、2005年には同所と岡山電車区から1本ずつ貸し入れた。2006年に117系の借り入れ車が転入してきたために先頭車2両と中間車4両が宮原総合運転所へ貸出先を変更した。余剰となった先頭車2両は同年5月に、最後まで残った1本は2007年12月に廃車された。

JR四国[編集]

JR四国では民営化後にJR東日本から3編成12両が譲渡され、以下の路線で使用されていた。

  • 予讃線 高松 - 伊予西条間(観音寺 - 伊予西条間は1日1往復のみ)
  • 土讃線 多度津 - 琴平間(ただし2017年11月時点で同区間での定期運行は無い)

伊豆急行[編集]

伊豆急行で使用されていた100系の老朽化に伴う置換え用として、2000年より113系1000'番台の4両編成2本が伊豆急行に譲渡され、同社の200系となった[111]。これ以降の200系の増備車は115系の譲渡車が投入されている[112]

2004年より東京急行電鉄8000系の譲渡車である8000系の投入に伴い、200系のうち元113系の2編成は2005年3月に営業運転を終了し、同年末に全車が廃車となった[111]

塗装[編集]

111・113系の登場当初の塗色は投入路線の在来車両のそれを踏襲したものであった。したがって東海道本線用には緑とオレンジ塗分の「湘南色」、横須賀線用には青とクリームの「横須賀色(スカ色)」を採用した。その後運用範囲が拡大するにつれ、カラーバリエーションも増えてきており、特に民営化後のJR西日本エリアで顕著であったが、2000年代後半以降は廃車および塗装の合理化に伴い縮小傾向にある。

現在見られる塗装[編集]

京都・北近畿地区地域統一色[編集]

塗色:

113系京都・北近畿地区地域色

JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、抹茶・和をイメージして、深緑色の塗装が施されている。2010年には吹田工場に入場していた京都総合運転所のC13編成が深緑色の単色塗装に変更され、同年7月17日に出場した[113]。同年11月17日には宮原総合運転所のS34編成が深緑色の単色塗装に変更された[114]。なお体質改善40N工事を受けた車両の単色化は今回が初めてのことである。さらに2011年1月7日には福知山電車区のS3編成が深緑色の単色塗装に変更され[115]、5月18日に京都総合運転所所属のL12編成が深緑色の単色塗装に変更された[116]。京都総合運転所に所属するL編成の単色化はこれが初となった。

瀬戸内地区地域統一色[編集]

瀬戸内地域濃黄色
(2016年8月7日 三原駅)

塗色:

JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージして、濃黄色の塗装が施されている。登場した当初は「幸福の黄色い電車」と呼ばれていたが[117]、車体が黄色であることと、単色による合理化が国鉄末期(気動車の朱色5号塗り替え)を髣髴させる点をかけて、愛好者の間ではインターネットを中心に「末期色」と呼ばれている[118]。2010年6月に、下関総合車両所に所属していたG-02編成のクハ111-139が本系列で初めてこの塗装を纏ったが、2年後の8月に廃車解体された。113系統一編成では、2012年5月26日に出場した岡山電車区所属のB-07編成が初めてこの塗装を纏っている[119]

過去に見られた塗装[編集]

湘南色[編集]

113系湘南色
2017年まで残った最後の113系湘南色(C10編成)

塗色:

111・113系にとって最初の塗色で、80系153系に準じ、緑(緑2号)に窓周りをオレンジ(黄かん色)とした。国鉄の分割・民営化後は緑はJR東日本、オレンジはJR東海のコーポレートカラーにもなった。なお、JR東日本所属車とJR東海所属車とでは色調に若干の違いがあるほか、JR東海所属車は1995年(平成7年)ごろより床下の機器・台車などの塗装を灰色に変更していた。JR東日本所属車のうち、小山電車区に所属していた車両は1000'番台の項において記述した通り115系と同様の塗り分けとしていた、

JR東日本では2006年(平成18年)3月17日限りで東海道線での運用を終了し、JR東海でも313系増備車への置換えで115系とともに2007年(平成19年)3月17日限りで運用を終了した。その後、2009年6月から幕張車両センター所属のマリ117編成が湘南色に塗り替えられていたが[120]、当該編成は2011年7月7日に長野総合車両センターへ回送された[121]

その後もJR西日本では草津線や湖西線などで運行されていたが、2010年以降は京都支社管内の電車塗色統一に伴い、深緑色一色への塗装変更が開始された[122]。全車湘南色の編成が吹田総合車両所京都支所に4両(4両編成1本)が残っていた[123]が、2017年2月23日に吹田工場へ入場し、同年4月5日に深緑色一色で出場したため、113系の湘南色は消滅した[124]

横須賀色[編集]

113系横須賀色(総武本線物井 - 佐倉

塗色:

当初横須賀線系統の113系も湘南色であったが、誤乗が多く、また70系に塗っていた青(青15号)+クリーム(クリーム1号)の塗装が好評であったことから、1965年から113系にも引継ぐこととなった。横須賀色は当初塗分線を湘南色と同じにしていたが、クリーム色の面積が多くなりすぎ、締りがないという意見が国鉄内外で多くあったため、現在の青比率が高い塗分に変更されている[注 33]愛好者の間ではスカ色ともいわれている。

横須賀線・総武快速線からは1994年からE217系に置き換えられ、1999年には撤退したものの、千葉支社管内の総武本線(千葉 - 銚子間)・我孫子 - 成田間を除く成田線外房線内房線東金線では2011年まで運転されていた[注 34]

関西リニューアル色[編集]

関西リニューアル色

塗色:

JR西日本で体質改善工事を受けた車両の塗色。小浜線紀勢本線(きのくに線)ワンマン車を除いて、標準塗色として線区・配置箇所に関わらず、薄茶に窓周り灰茶とその下に同社のコーポレートカラーの青色が入るもので統一されている。なお、愛好者の間でカフェオレ色と呼ばれている。2010年以降、電車塗色の統一により順々単色化され、最後まで残った下関総合車両所所属のP-07編成が2017年11月8日に濃黄色で出場し消滅した[126]

広島リニューアル色[編集]

体質改善車広島色
(2010年10月10日 広島駅)

塗色:

広島支社に配属される体質改善車の塗色。関西リニューアル色と似ているが、ベージュの部分が白色となっており、車体裾部にも茶色の帯が回っているのが相違点。体質改善色より色が薄いため、「ミルクオレ」または「広島カフェオレ」と呼ばれる。また、広島支社管内では113系P編成が転属するまでは、「カフェオレ」といえばこの色だった。2008年から広島運転所の103系置き換えのため京都総合車両所の113系の転属が始まった。これにより、広島支社に113系体質改善車が配置されることとなった。濃黄色への塗り替えや廃車により、2016年7月に113系の広島リニューアル色は消滅した。最後までこの塗装で残った編成は廃車後、福知山電車区の訓練車となっている。

阪和快速色[編集]

塗色:

国鉄の数少ない地域色で、153系ブルーライナーにならった灰色(灰色9号)にスカイブルー(青22号帯用特色)の帯を巻く。1972年阪和線新快速が設定されたのと同時に登場し、新快速が快速に統一された1978年10月以降もそのままの色で使用されていた。なお新快速のヘッドマークは前述の153系のものではなく、専用のものを装備していた。

上記153系共々、青22号帯用特色塗装車は限られた線区のみに配備されてきたため、国鉄時代から検修を担当してきた吹田工場以外の工場で[注 35] 塗装された車両は、通常の青22号の帯色で代用されていた。

長年阪和線の快速電車・紀勢本線和歌山線の一部区間で使用されてきたが、221系223系の増備で余剰となった他所の体質改善車との玉突きで2005年4月をもっていったん同線からは撤退となり、一部のみ廃車されずに岡山電車区に貸出されてそのままの塗装で使用された。

なお、国鉄末期に阪和快速色のまま日根野電車区から幕張電車区へと転配された車両[注 36]があり、一部は転配直後も塗装を変更しなかったため、ごく僅かの期間ながら千葉地区でも見る事が出来た。これらは早々に塗り替えられたが、JR化後まで残った車両も存在した。

2005年6月にはJR福知山線脱線事故の影響で阪和線や大阪環状線での運行に必要だったATS-P形保安装置を装備していたことで残存車は関西地区に戻され、京都・滋賀地区や福知山線を経て翌年6月より阪和線・紀勢本線に復帰した。なお、京都・滋賀地区での運用の際は、国鉄時代に天王寺鉄道管理局管轄の電化路線で唯一、離れ小島的位置づけであるがゆえ入線していなかった草津線でも使用された。

2008年3月ダイヤ改正時に223系2500番台、2011年3月ダイヤ改正時に225系5000番台が多数増備されたことで阪和線では早朝・朝ラッシュ各1往復(土休日は早朝1往復のみ)まで運用が縮小した。

2011年12月10日をもって紀勢本線も223系に置き換えられ、体質改善車とともに運用から離脱した[93]。先頭車は岡山電車区に転属して濃黄色に塗装変更され、中間車は廃車となったため消滅した。

関西線快速色[編集]

関西線快速色(1989年4月10日 和歌山駅)

塗色:

阪和色の色違いで、こちらは朱色(朱色3号)の帯を巻く。奈良市春日大社の柱の色にちなんで「春日塗り」とも呼ばれた。名前の由来は、1973年に関西本線の湊町 - 奈良間が電化された際に快速電車で使用されたことによる。大和路快速の原型となる大阪環状線直通の快速電車には先頭車の前面に特製のヘッドマークを掲出して運転していた[注 37]

1984年に奈良電車区が開設され、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正の際に転属するまで、阪和線を管轄する電車区が関西線の車両を管理していた。

1973年 - 1978年:鳳電車区
1978年 - 1985年:日根野電車区
1985年 - 1994年:奈良電車区

初めは阪和線の車両と配置が同じだったので、車両運用の都合上、阪和線・紀勢本線でも運行されていたが、冷房化が進んでいた阪和線向けの車両に比べると、関西線向けの車両は非冷房の初期型が多く、サービスの面では見劣りしていた(冷房車は0番台の改造車と2000番台が配置されていた)。1980年から桜井線和歌山線王寺 - 五条)、1984年9月からは奈良電車区所轄の奈良線や和歌山線(五条 - 和歌山間)、紀勢本線和歌山 - 和歌山市間でも使用された。

1989年3月11日のダイヤ改正で、大阪環状線から関西本線(大和路線)加茂までを直通する「大和路快速」が登場。使用車両も新型の221系(1989年)へと交代したが、改正後も113系による大和路快速が運転されていた。1991年には大和路線で、1994年3月に奈良線・和歌山線での営業運転を終了する。その後は同年9月の関西国際空港開港までの期間、特急「はるか」運転に携わる線見のための乗務員訓練列車として使用された。

1995年1月の阪神大震災発生に伴い、JR神戸線の完全復旧までの間、迂回路となる福知山線での列車本数増発のため再度営業運転に抜擢され、6両編成で使用された。その後は運転休止中の2両を復活させて4両編成2本が組成され、山陰本線京都 - 園部間で使用された。現在は103系・105系・117系・221系に置換えられたか、他地域色に塗装変更されたため現存しない。

なお、大和路線と大和路快速の愛称が制定される以前の大阪環状線 - 奈良直通列車にはこの写真の先頭部に「快速 奈良 - 大阪(環状線)」というヘッドマークを取り付けていた。愛称制定後は「奈良」を「大和路」に修正したヘッドマークも製作されたが、221系の増備後はヘッドマークの取り付けを省略したため、短期間使用されただけで終わった。

関西本線への投入当初は鳳電車区、のちに日根野電車区に配置され、関西本線への出入りは当時存在した阪和貨物線を介して行っていたほか、前述のとおり阪和線・紀勢本線でも運行されていたため、阪和線内で車両の向きが揃えられていた。そのため、天王寺駅では阪和線向けの車両と向きが逆になっていた(同じ理由で、103系も阪和線と関西本線で向きが逆になっていた)。

旧福知山色[編集]

初代福知山色

塗色:

1986年11月1日の福知山線全線電化開業と同時に登場し、雪中でも容易に識別できるように、黄5号青20号のライン(福塩線105系と同色)を巻いていた。事業用車とまぎらわしく不評だったのか、4年足らずで下記の新福知山色に塗替えられている。

新福知山色[編集]

塗色:

クリーム地に茶と緑のラインが入る。宮原総合運転所所属の117系原色編成の塗装に同系300番台福知山色編成で採用された帯色を組合わせたものである。転属や廃車により急速に数を減らし、2004年をもって福知山線(JR宝塚線)から撤退している。その後もクハ3両が吹田工場に留置されていたが、脱線関連の運用増加時も使用されずに解体された。同線での運用当時に共通運用であった115系4連(福知山運転所電車センターK13編成)がこの色のまま下関車両管理室へ転属、C-43編成として運用を続けていたが2007年3月に瀬戸内色に塗替えられ消滅した。

福知山ワンマン色[編集]

福知山ワンマン色

塗色:

JR西日本の3800番台専用色。前述の新旧福知山色と体質改善色の折衷的な塗装で、クリーム地に窓周りが茶色、その下に黄と青の2本の帯が入る。

2008年8月より223系5500番台の増備に伴う置き換えにより8月11日に全車運用を離脱した。[要出典]

小浜色[編集]

小浜色(2005年4月1日 北陸本線敦賀駅

小浜線のラッシュ輸送用に体質改善車の専用色である。体質改善色と同一の塗り分けに、茶の部分にエメラルドグリーンが、青帯の部分にやや細い白帯が配されている。ベージュも若干淡い。また、車内の意匠も通常の体質改善車と異なっている(体質改善車の項を参照)。こちらは体質改善色の『カフェオレ』になぞらえ、『クリームソーダ色』と呼ばれていた。

福知山運転所電車センター(現在の福知山電車区)に配備された4両編成3本12両(#2700番台および700番台の記述を参照)のみが塗装され、毎年2月の高校入試シーズンには福知山線篠山口 - 福知山間での増車運用にも使用された。

2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の影響で尼崎 - 宝塚が運休となると同線宝塚 - 福知山間で運用。復旧後も2005年秋までと2006年10月からATS-P形搭載の1編成(クハ111-7706以下4両)が宮原総合運転所に貸出され、いわゆるJR宝塚線区間を中心に使用された。

2006年10月21日ダイヤ改正で小浜線の運用が125系に置き換えられると、1編成(クハ111-7709以下4両)を残して京都総合運転所へ転用。同色で初の8両編成を組成し、播但線貸出などの穴埋めとして嵯峨野線京都 - 園部間に投入された。

その後、京都へ転用された2本は他の4両編成と共通運用されるようになり、塗装も一般の体質改善色に変更された。車内意匠も検査時などに通常の体質改善車と同じ物へ変更されている。

嵯峨野ワンマン色[編集]

塗色:

JR西日本の5800番台・5300番台専用色。湘南色を基本に窓下のオレンジと緑の境目にクリームの帯が入る。ただし、5300番台の体質改善車は工事時に体質改善色に変更された。2012年7月12日までに全編成が深緑色に塗装変更されたためにこの塗装は消滅した[127]

和歌山オーシャン色[編集]

和歌山オーシャン色

塗色:

2000番台 (II) に塗られた和歌山支社の新しい標準色で、オーシャングリーンにラベンダーの帯が入る。紀勢本線御坊 - 紀伊田辺間におけるワンマン運転用の車両である。ただし、所属は吹田総合車両所日根野支所であるため早朝深夜には阪和線日根野 - 紀勢本線御坊間でもその姿が見られる。この他の日根野所属の車両はリニューアル色のままのため、同系列で唯一の存在であったが、2013年12月にHG202編成が単色化され、この塗装は消滅した。

和歌山地区地域統一色[編集]

113系和歌山地区地域統一色

塗色:

JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、太平洋の鮮やかさをイメージして、青緑色の塗装が施されている。2012年には吹田工場に入場していたHG201編成が青緑色の単色塗装に変更され、同年8月25日に出場した[128]227系による置き換えの影響で、2020年3月14日のダイヤ改正をもって運用を終了、後日2編成が廃車のため吹田総合車両所本所へ回送された[129]

四国色[編集]

111系がJR四国に譲渡された時に施された塗色である。アイボリーホワイト(クリーム10号)にJR四国のコーポレートカラーの水色(青26号)の帯を巻いていた。また5編成のうち4編成がユニット窓に改造された。運用終了時には1編成が湘南色に戻されて111系としての最後を飾っている。現在1両が多度津工場で保管されており、同工場での事故復旧訓練などに使用されている。

JR四国リニューアル色[編集]

111系の代替としてJR東日本からJR四国に譲渡された車両に施された塗色である。編成毎に配色が変えられており、黄色+オレンジの編成は2018年3月31日付で、空色+緑の編成は2019年3月31日付で、ピンク+赤の編成は2019年8月31日付でそれぞれ廃車となって消滅した。

白浜パンダ色[編集]

白浜パンダ色(2004年1月27日 天王寺駅)

紀勢本線沿線にある「アドベンチャーワールド」(和歌山県白浜町)のパンダをPRするために、それまで運行されていた105系に代わり、2002年から2004年に当時の日根野電車区F402編成(クハ111-5176以下4両)に施された塗色である。車体全体をピンク塗装にすると共にパンダのイラストが多数貼付されていた。同編成は元の塗装に戻ることなく、2004年8月17日付で廃車となった。その後、阪和線・きのくに線系統において、パンダ関連のラッピング列車は運行されていなかったが、2017年より特急くろしおに使用される287系にパンダくろしお 「smileアドベンチャートレイン」のラッピングが施された。

伊豆急行色[編集]

伊豆急行200系として活躍した元113系に施された塗色で、青ベース(元115系には赤ベースもあり)に白の斜めストライプである。ストライプの入り方は先頭車と中間車では異なっている。元115系に施されたものも含め2006年までに廃車となっている。

ぶどう色[編集]

塗色:

営業運転において使われたことはなかったが、1999年に品川駅で開催された「アニメドリームトレイン1999」の会場用として2両のクハ111形(1060・1375)がこの色に塗装された。これは松本零士漫画銀河鉄道999」に登場の旧形客車に似せるための措置で、同時に内装もロングシート部分を撤去した。習志野電車区(当時)で廃車予定であった103系を同色に塗替えて中間車としたものと、JR西日本から借入れたC62 2と組合せた。車両の展示目的より、アニメ関連イベントの実施会場を目的としたため走行は一切考慮せず、連結器形状の異なる機関車とは連結しないままであった。イベント終了後は廃車予定だったこともあり、103系と共に解体されている。

瀬戸内色[編集]

113系瀬戸内色
(2005年6月2日 草津線柘植駅)

塗色:

広島支社に所属する車両のうち、おもに体質改善工事を受けていない車両で見られる塗色である。クリーム1号をベースに青20号の帯を纏う塗色である[130]。元々は落成当初の115系3000番台に塗られていた塗色で、後に広島支社管内の115系のほぼ全車に浸透した。2005年までは編成単位で113系へ塗られたことはなかった。ただし、115系と混結されているクハ111形が2両はこの塗装を纏っていた。

2005年に日根野電車区から岡山電車区電車センターへ転属した車両の一部がこの塗装に塗替えられた。これらの車両が初めての編成単位で瀬戸内色を纏った113系となった。しかし、これらの編成は福知山線脱線事故に起因する車両不足を補うため2005年6月に関西地区に戻された。これらの車両が岡山へ戻ることはなく、宮原総合運転所配置を経て2006年10月までに日根野電車区に戻った。組成変更により他の塗装と混色編成となったものもあったが、検査などで湘南色や阪和色に変更された。

2008年から広島運転所の103系置き換えのため、113系が編成単位で配置されるようになった。このうちF-09・12・15編成がこの塗装を纏ったが、P編成の投入に伴って廃車が進み、同編成も115系化改造および廃車された[131]

115系のうち、下関総合車両所運用研修センター(広セキ)所属車両の一部の編成に残っていた。しかし、広島支所(広ヒロ)に投入され、2015年3月14日から運用開始された227系の影響で最後まで残っていたC41編成が同年6月に廃車され消滅。

保存車[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ サロ110の特急形転用車及びサロ124・サロ125は20,500 mm。
  2. ^ 高速化改造車は110 km/h。
  3. ^ サロ111以外のグリーン車は除く。
  4. ^ 0番台(0'番台除く)はCS12D、1000番台はCS12F。
  5. ^ サロ124・サロ125は4,070 mm。
  6. ^ 京阪神快速のみならず、JR東海エリア(大垣駅)への直通運転に当てられることもあった。
  7. ^ 例年、浜松工場公開時に展示されていたが、現在は展示されていない上に他所での保存や目撃例が無いことと、2012年9月30日発行の『国鉄&JR保存車大全』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-617-5 には保存(保管)車として掲載されていたが、2014年11月25日発行の『国鉄&JR保存車大全2015-2016』 笹田昌宏 イカロス出版 ISBN 978-4-86320-928-2 には掲載されていないことからも、解体された可能性が濃厚である。
  8. ^ クハ111-3002は廃車前にイベントで塗装変更。
  9. ^ 初期車にものちにシールドビームに交換された車両が存在するが、それらとは内側隣のタイフォンとの位置関係が若干異なっている。初期車は前照灯に対してタイフォンが斜め下に位置しているのに対し、0'番台では両者が同じ高さとなっている。
  10. ^ 0ダッシュ番台というのは非公式であり正式に使われたことのない俗称である。
  11. ^ クハ111-1311は、一時期広島・下関地区に転属して111系と組んで使用されたこともあったが、JR化前に関東に戻り、その後は房総地区ローカル運用で使用された。
  12. ^ 京阪神地区で中間に入っていたクハ111は、1980年の京阪神地区のグリーン車廃止の際にサロをクハに置き換えたものであった。
  13. ^ 改造直前の1983年に大垣電車区から高槻電車区に転属した車両。
  14. ^ この見返りにモハ112/113-1058がサハ111-403、404に改造され国府津電車区に転属した。
  15. ^ JR東海の東海道本線全区間を走破する米原発熱海行という列車も、1999年12月ダイヤ改正まで存在した。
  16. ^ 身延線内トンネルに対応するにはパンタグラフをPS23・24に交換するだけでは規定の絶縁離隔に40 mm足りず、パンタグラフ台を20 mm背の低いものへの交換、更には当該部分の屋根自体を平にして20 mm低下させて合計40 mm下げる必要がある。国鉄115系電車#モハ114形2600番台参照。
  17. ^ 側面行先表示機を後付していた初期車は当該箇所の上段窓も既に固定しており、この部分については外観上二段窓のままであるが、全く開けることができない状態となった。
  18. ^ 福知山運転所(→福知山電車区)の800番台の施工編成には、七尾線電化関連による編成組替に伴い冷房付電動車が組み込まれたものも存在していた。ただし冷房付電源車には編成内全車への給電が可能な冷房電源が備わっていなかったため「編成単位で非冷房」と同様の扱いとされた。
  19. ^ かつて同様の車両が網干区にも存在した。
  20. ^ てこ比は変わらず。
  21. ^ クモハ112-3804には改造時に冷房電源用のSIVが新設。
  22. ^ 115系では2001年改造の1000番台ですでに採用。ただし、ヘッドライトの意匠が異なる。
  23. ^ ただし223系と違い、補助席は設置されていない。
  24. ^ 0番台の非冷房車は1980年までに廃車になっている。また、900番台・1000番台は全車冷房改造されている。
  25. ^ そのままの状態で連結するとトイレと車掌室が6号車寄りになるため方向転換された車両は4号車から5号車に移動。
  26. ^ ATS-P非装備車がP導入済み線区に残置してあるSN地上子を用いて走行する営業運転は、2011年7月1日の鉄道に関する技術上の基準を定める省令の改正(禁止)以前であれば法的には問題がない。
  27. ^ 和歌山線での運用は2002年3月23日ダイヤ改正で終了。
  28. ^ ATS-P保安装置の必要性から阪和快速色のクハが、体質改善工事施工の観点から広島支所のMM'ユニットが使用され、両者が編成を組んだ。
  29. ^ 宮原所に223系を新製配置して福知山線における網干所221系の運用の一部を置き換えた。余剰となった網干所221系を京都所に転属させ、運用を置き換えられた同所の113系が広島所に転入してきた。
  30. ^ 内訳は関西更新色:1編成4両、広島更新色:8編成32両、湘南色:5編成20両、瀬戸内色:3編成12両。
  31. ^ 転用に当たり6両編成は4両編成に短縮されたため、余剰MM'ユニットが発生した。
  32. ^ 先頭車2両は宮原所のMM'ユニットを組み込みP編成に編入。
  33. ^ 当初は軌条面上、1,750 mmと3,165 mmで塗り分けられていたが、軌条面上、1,900 mmと3,045 mmに変更された[125]
  34. ^ ただ、2005年以降に東海道本線から撤退した車両、2006年秋以降に東北本線宇都宮線)・高崎線から211系への置換えがそれぞれ行われたため、初期車は入替に廃車された。また定期列車として総武快速線両国 - 千葉間で内房・外房線方面への新聞輸送列車(2331M)が夕刊新聞の発行される平日土曜日に運転されていたが、廃止となった。千葉駅到着後は外房線方面14時11分発安房鴨川行き、内房線方面14時28分発安房鴨川行き(いずれも4両×2の8両編成)に分割されていた。なお、夕刊の発行されない日曜日祝日年末年始は運休し、このような場合は幕張車両センター - 千葉間の回送列車(列車番号:回8269M)として運転され分割されていた。なお、いずれにしても千葉駅は外房線ホームに到着し、内房線用車両は切り離された後すぐに回送列車となり、一度稲毛駅付近の黒砂信号場に回送後、改めて内房線ホームに入線していた。
  35. ^ 鷹取工場(のちに網干総合車両所へ移管)、後藤工場)などの例がある。
  36. ^ クハ111-86・407が該当。転配前は紀勢本線紀伊田辺~新宮で使用されていた。
  37. ^ 当初は折りたたみ式の大型のものであったが、1978年10月以降は着脱が簡単な小形のものに変更された(阪和線新快速も廃止直前に小型に変更)。

出典[編集]

  1. ^ a b c “さらば113系電車 惜しまれながらラストラン(11/10/15)”. ANNニュースYouTube (ANN). (2011年10月15日). https://www.youtube.com/watch?v=afT2RoxB-3Y 2017年7月22日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 111・113系物語 p.26-27・50-51・64-65・69・72-73・82・86-87・92-93・96・106-107・114-115・137・167 各諸元表
  3. ^ a b c d 『最近10年の国鉄車両』p.154
  4. ^ 福原俊一『111・113系物語』p.2
  5. ^ a b c d e 福原俊一『111・113系物語』p.19
  6. ^ a b 福原俊一『111・113系物語』p.30
  7. ^ a b c 福原俊一『111・113系物語』p.34
  8. ^ a b c 福原俊一『111・113系物語』p.35
  9. ^ a b c d e f g 福原俊一『111・113系物語』p.167
  10. ^ a b 寺田裕一 ローカル私鉄車輌20年 西日本編 巻末車両諸元表
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外部リンク[編集]