ジャイアントパンダ
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| ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca
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| 保全状況評価[1][2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 危急 (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| Ailuropoda melanoleuca (David, 1869)[2][3] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| シノニム | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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Ursus melanoleucus David, 1869 |
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| 和名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| ジャイアントパンダ[3][4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 英名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| Giant panda[2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャイアントパンダ(Ailuropoda melanoleuca)は、食肉目クマ科ジャイアントパンダ属に分類される食肉類。白と黒にはっきりと分かれた体毛が際立った特徴である。
ジャイアントパンダ属の、唯一現生する1種。四川と秦嶺の2亜種が知られる(後記「#分類」を参照)。
中国大陸で進化し、アバ・チベット族チャン族自治州域内が主たる生息地である。現在では中華人民共和国のごく限られた地域(四川省・陝西省など)にわずかな頭数が残存する[注釈 1]、竹食などの草食傾向が比較的高い雑食性の大型哺乳類。
目次
分布[編集]
中華人民共和国(甘粛省、四川省、陝西省の秦嶺山脈・岷山山脈)[2]。湖北省、湖南省では絶滅[2]。
化石記録から古くは北京周辺からベトナム北部、ミャンマー北部にかけて分布していたと考えられている[2]。
呼称[編集]
学名[編集]
属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。
世界の通用名(大小のパンダ)[編集]
今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり[注釈 2]、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。
「panda」という呼び名の由来については、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する[5][リンク切れ][6]「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」(cf. レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり[注釈 3][注釈 4]、論拠に疑問がある[注釈 5]。
中国語名[編集]
爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が貘として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた[7]。これは竹を食べる→矢の原料になる竹を食べる→矢を食べる→時代が進んで金属矢を食べる…と変化していったと考える説もある[7]。白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、唐以前にはそれ以外の特徴が無くなったと推定されている[7]。加えて唐時代に本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混同したと推定されている[7]。説文解字注から、清時代でも貘は金属を食べる生物とされている[7]。中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある[7]。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない1934年初版の辞海においても既に熊猫は記述されている[7]。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は後述するDavidなどについては触れているものの、「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」との内容が記述されており本種とは結びついていない、およびにこの時点では本種を猫熊とする名称は定着していなかったと考えられている[7]。例としてDavidが発見時における、本種の現地での呼称は「白熊」とされている[7]。
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標準名は「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; ターシュンマオ)。 亜種レベルでは、模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫、Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫、Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。
中国語で言う「熊猫」(繁体字: 熊貓、簡体字: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない[8]。
中国語ではパンダは「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; シュンマオ)と呼ぶが、台湾では「大猫熊」(大貓熊 / 大猫熊、dàmāoxióng; マオシュン)が一般的である。ジャイアントパンダはそれに大をつけた大熊猫である。同「パンダ」、本来「熊猫」はレッサーパンダを指す、奥地に棲むジャイアント・パンダの存在は、近代まで地元民以外には知られていなかった。
日本語名[編集]
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日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、古くは「白黒熊(シロクロクマ、シロクログマ)」「色分熊(イロワケクマ、イロワケグマ)」とも呼ばれていた。これら異称としての和名は今ではほとんど用いられないが、消えたわけでもない。全ての生物名に漢字表記を当てることを旨としていた近代の博物学および生物学では、これらの名のいずれかが標準和名であった。
分類[編集]
1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った[9][10][11][12][13]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[14][15]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。
2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から秦嶺山脈の個体群を亜種とする説が提唱された[16]。
仮にこの亜種を認めた場合は以下のようになる。
- Ailuropoda melanoleuca melanoleuca (David, 1869)
- Ailuropoda melanoleuca qinlingensis Wan, Wu et Fang, 2005
形態[編集]
- 体長・体重
- 体長は約120-150センチメートルで、立ち上がると170cm程度になる。オスの体重は約100-150キログラム、メスは約80- 120kgである。生まれた子供の体重は通常100- 200グラム程度と大人の約1000分の1しかない。
- 体毛
- 眼の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である[17][18]。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている[19][20]」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた[21]」等と考えられている。
- 尾
- 尾の長さは約13- 20cmであるが、尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない[17]。ジャイアントパンダのぬいぐるみ・人形・キャラクターグッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である[17][18]。
- 幼少期
- 生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている[22]。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める[18][22]。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う[22]。ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い[18][22]。毛皮は、硬くて脂ぎっている[18]。
- 手
- 通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している[14]。第一中手骨(親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている[18][22]。
- ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、遠藤秀紀ら (1999) [23]によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」[24]と紹介されている。
- 眼
- 眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである[22][25]。視力はあまりよくないと考えられていたが、研究によって2000年代、灰色と様々な色合いを区別できることが確認された[26]。
- 内臓
- 消化器官や歯の構造はクマやアザラシ等、他の肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさである[18][22]。腸や盲腸は草食性としては短い構造がデメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている[18][22]。また、陜西省仏坪県の自然保護業務関係者は、三官廟一帯で秦嶺の野生のパンダが牛の足の骨をかじった跡を確認している。
生態[編集]
- 食事
- 現在は竹林に棲み、竹食のほか、小型哺乳類・魚・昆虫等の小動物、果物を食べることもあり[18][25][27]、他のクマ類と同様に肉食を含む雑食性の特徴も微少であるが残っている。
- 氷期の到来による気候変動がもたらす食糧不足から偏食を余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている[27]。しかしながら現在は、中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられ、竹食中心とは言いがたいのが現状である。野生下でも、稀に人里に降りて家畜を食い殺す事件が発生するなど[28]、機会があれば生肉を拒まない。
- 行動
- 群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。他のクマ科動物と異なり、冬眠はしない。
- 繁殖
- 繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、マーキング(territorial marking)が行われることもある[18][19]。メスの受胎が可能な期間は数日ほど。妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子供を出産する。繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある[18]。近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している[15]。
- クマ科の気性
- 外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が、過去には何件か発生している[25]。
人間との関係[編集]
竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した[2][4]。2016年現在は生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている[2]。1963年に保護区が設置され、1995年現在は13か所、5,827平方キロメートルが保護区に指定されている[4]。1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている[29]。
中華人民共和国では40か所のパンダ保護区を設けてジャイアントパンダを保護しており、最大のものは四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州にある臥龍自然保護区(en. 約2,000平方キロメートル)である。また、国家一級重点保護野生動物にも指定されている。臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となった臥龍のセンターは放棄され、近隣の耿達郷にセンターを再建する計画がある。臥龍自然保護区の野生パンダの生息環境も破壊が激しく、多くの野生パンダが死滅するという予測がある。そのため、野生パンダを広州のサファリパークに移送する案も出ているが実現に至っていない。
中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている[15]。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている[15][注釈 6]。1985 - 1991年に278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている[4]。また中国では熊の肉、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある[30]。
経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある[21]。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる[15][27]。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている[15]。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている[2][29]。
1994年における生息数は1,200頭と推定されている(保護区内の生息数は800頭)[4]。2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40%増えている。
飼育[編集]
北京動物園が1978年には初めて人工授精での繁殖に成功した[31]。1990年現在では1980年にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、1982年にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している[31]。1983年にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している[31]。
日本では1972年に恩賜上野動物園で初めて飼育された(カンカン、ランラン)が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している[31]。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している[31]。ホァンホァンとフェイフェイのペアは1986年に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて1988年にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)[31]。
現在、日本国内で飼育されているジャイアントパンダはすべて中華人民共和国から借り入れている。日本国内で誕生したパンダについては、中国との取り決めによりおおむね性成熟に達する4歳になった時点で中国に譲渡しなければならない。
- 神戸市立王子動物園:兵庫県神戸市 (旦旦[タンタン]、メス)
- アドベンチャーワールド:和歌山県白浜町 (永明:オス、良浜:メス、桜浜:メス、桃浜:メス、結浜:メス)
- 良浜の母である梅梅(2008年10月15日死亡)は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。良浜の父は中華人民共和国にいる哈藍(哈蘭とも書く。2006年成都動物園にて死去)であり、永明と良浜の間に血縁関係はない。
- 成都にいる雄浜、隆浜、秋浜、幸浜、愛浜、明浜は永明と梅梅の間の子である。
- 海浜、陽浜、優浜、桜浜、桃浜(および、成都にいる梅浜と永浜)は永明と良浜の間の子である。
- 永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。
- 2008年9月13日に良浜が、メスとオスの双子(梅浜:メス、永浜:オス。2008年11月13日命名)を出産した。これらは日本初の3世代目のジャイアントパンダである。なお、父親は永明。
- 2010年8月11日に永明と良浜の間に、オスとメスの双子(海浜:オス、陽浜:メス。2010年10月8日命名)が誕生した。9月4日より、一日2回、20分間一般公開されている。
- 2012年8月10日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生したが、1頭は死産だった。生き残った方は優浜という名が付いている。
- 2014年12月2日にも永明と良浜の間に、メスの双子が誕生し、2頭とも生育中である(桜浜:メス、桃浜:メス。2015年2月6日命名)。
- 2016年9月18日にも永明と良浜の間に、メスの子供が誕生し、生育中である(結浜。2016年12月6日命名)[32]。
- 東京都恩賜上野動物園[33][34]:東京都台東区 (リーリー:オス、シンシン:メスの2頭、2011年4月1日より公開[35])
- 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、東京都恩賜上野動物園からパンダが居なくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった[注釈 7]。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
- 2011年2月21日に上野動物園へ力力(リーリー)と真真(シンシン)が到着した。公開は2011年3月22日からを予定していたが、東日本大震災の影響で4月1日からとなった。
- 2012年7月5日に力力と真真の間に、オスの子供が誕生したが7月11日に死亡した。
- 2017年6月12日にも力力と真真の間に、メスの子供が誕生し、生育中である。
| カナ名 | 漢字名 (英語名) |
性 別 |
出生日 ※推定 |
来日日/ 日本で生誕 |
死亡日/ 現住地 |
日本出国日 | 居住地 (滞在地) |
父母 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| カンカン | 康康(Kang Kang) | オス | 1970年 11月※ |
1972年10月28日 | 1980年 6月30日 |
東京都恩賜上野動物園 | ||
| ランラン | 蘭蘭(Lan Lan) | メス | 1968年 11月※ |
1972年10月28日 | 1979年 9月4日 |
東京都恩賜上野動物園 | ||
| フェイ フェイ |
飛飛(Fei Fei) | オス | 1967年 ※ |
1982年11月9日 | 1994年 12月14日 |
東京都恩賜上野動物園 | ||
| ホアン ホアン |
歓歓(Huan Huan) | メス | 1972年 ※ |
1980年1月29日 | 1997年 9月21日 |
東京都恩賜上野動物園 | ||
| チュチュ | 初初(Chu Chu) | オス | 1985年 6月27日 |
1985年 6月29日 |
東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 | ||
| トントン | 童童(Tong Tong) | メス | 1986年 6月1日 |
2000年 7月8日 |
東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 | ||
| ユウユウ | 悠悠(You You) | オス | 1988年 6月23日 |
2004年 3月4日 |
1992年11月13日 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 | |
| リンリン | 陵陵(Ling Ling) | オス | 1985年 9月5日 |
1992年11月5日 2001年4月25日 2002年4月24日 2003年4月26日 |
2008年 4月30日 |
東京都恩賜上野動物園 | ||
| シュアン シュアン |
双双(Shuan Shuan) | メス | 1987年 6月15日 |
2003年12月3日 | 2005年9月26日 | 東京都恩賜上野動物園 | ||
| シャン シャン |
珊珊(Shan Shan) | オス | 1955年 | 1980年3月23日 | 1985年 6月 |
1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
| パオリン | 宝玲 (Bao Ling) |
メス | 1963年 | 1980年3月23日 | 1988年 12月 |
1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
| ウェイ ウェイ |
偉偉(Wei Wei) | オス | 1973年 | 1981年1月6日 | 1992年 3月 |
1981年 | 上海雑技団 (日本巡回) |
|
| サイサイ | 寨寨(Zhai Zhai) | オス | 1975年 | 1981年3月10日 | 1999年 2月 |
1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
| ロンロン | 蓉蓉(Rong Rong) | メス | 1964年 | 1981年3月10日 | 1993年 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
| トントン | 東東(Dong Dong) | オス | 不明 | 1989年9月15日 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | ||
| ビンビン | 冰冰(Bing Bing) | メス | 1986年 8月6日 |
1989年9月15日 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | ||
| コウコウ (初代) |
興興(Xing Xing) | メス | 1996年 8月12日 |
2000年7月16日 | 2002年12月5日 | 神戸市立王子動物園 | ||
| タンタン | 旦旦(Tan Tan) | メス | 1995年 9月16日 |
2000年7月16日 | 神戸市立王子動物園 | 神戸市立王子動物園 | ||
| コウコウ (2代目) |
興興(Xing Xing) | オス | 1995年 9月14日 |
2002年12月9日 | 2010年 9月9日 |
神戸市立王子動物園 | ||
| ※名前なし | ※名前なし | 不明 | 2008年 8月26日 |
2008年 8月29日 |
神戸市立王子動物園 | 興興/旦旦 | ||
| シンシン | 辰辰(Shen Shen) 申申? |
オス | 不明 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) |
(1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 |
池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド |
||
| ケイケイ | 慶慶(Qing Qing) | メス | 1984年 9月9日 |
1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) |
(1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 |
池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド |
||
| エイメイ | 永明(Yong Ming) | オス | 1992年 9月14日 |
1994年9月6日 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | ||
| ヨウヒン | 蓉浜(Rong Bin) | メス | 1992年 9月4日 |
1994年9月6日 | 1997年 7月17日 |
アドベンチャーワールド | ||
| メイメイ | 梅梅(Mei Mei) | メス | 1994年 8月31日 |
2000年7月7日 | 2008年 10月15日 |
アドベンチャーワールド | ||
| ラウヒン | 良浜(Liang Bin) | メス | 2000年 9月6日 |
アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 母: 梅梅 | ||
| ユウヒン | 雄浜(Xiong Bin) | オス | 2001年 12月17日 |
2004年6月21日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| リュウヒン | 隆浜(Long Bin) | オス | 2003年 9月8日 |
2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| シュウヒン | 秋浜(Qiu Bin) | オス | 2003年 9月8日 |
2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| コウヒン | 幸浜(Xing Bin) | オス | 2005年 8月23日 |
2010年3月15日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| ※名前なし | ※名前なし | オス | 2005年 8月24日 |
2005年 8月25日 |
アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| アイヒン | 愛浜(Ai Bin) | メス | 2006年 12月23日 |
2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| メイヒン | 明浜(Ming Bin) | オス | 2006年 12月23日 |
2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 | ||
| メイヒン | 梅浜(Mei Bin) | メス | 2008年 9月13日 |
2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| エイヒン | 永浜(Yong Bin) | オス | 2008年 9月13日 |
2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| カイヒン | 海浜(Hai Bin) | オス | 2010年 8月11日 |
2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| ヨウヒン | 陽浜(Yang Bin) | メス | 2010年 8月11日 |
2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| リーリー | 力力(Li Li) | オス | 2005年 8月16日 |
2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | ||
| シンシン | 真真(Zhen Zhen) | メス | 2005年 7月5日 |
2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | ||
| ※名前なし | ※名前なし | オス | 2012年 7月5日 |
2012年 7月11日 |
東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 | ||
| ユウヒン | 優浜(You Bin) | メス | 2012年 8月10日 |
2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| オウヒン | 桜浜(Ying Bin) | メス | 2014年 12月2日 |
アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| トウヒン | 桃浜(Tao Bin) | メス | 2014年 12月2日 |
アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| ユイヒン | 結浜(Jie Bin) | メス | 2016年 9月18日 |
アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | ||
| ※名前なし | ※名前なし | メス | 2017年 6月12日 |
東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 |
その他の事項[編集]
パンダ外交[編集]
- 1900年代
- 中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる「パンダ外交」を展開してきた。これが転じて、アメリカなどでは親中派が「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。
- 中華人民共和国政府から西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年にアメリカに贈られたリンリンとシンシンが最初で、以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈された。
- 日本においては[注釈 8]、1970年代にジャイアントパンダの大ファンである黒柳徹子が紹介し、その後日中国交正常化により上野動物園に中国から2頭贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。
- 2000年代
- 2005年に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国(台湾)の比較的親中的な野党である中国国民党および親民党代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。
- これに対して民主進歩党出身の陳水扁政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。
- しかし2008年の馬英九政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。
- ワシントン条約によりレンタル扱い
- 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で学術研究目的以外での取引は難しいため[38]、外交としてパンダが贈られることはなくすべて「中国籍」でレンタルとなっている[38][39][40][41]。
- 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、しかし、片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となり、課金対象になってしまう[40][41]。また、そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている[40][42]。その資金は本種の研究費や生息地保護資金に充てられている[15][38][41]。
- このような事情から、資金難から本種を返還した国もあり[40]、本種はもはや外交ではなく、ビジネスであるとも言われている[38][39][40]。
客寄せパンダ[編集]
日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。
- 神戸ポートアイランド博覧会(開期・1981年3月20日〜9月15日)においてジャイアントパンダ(「サイサイ」(雄6歳)「ロンロン」(雌17歳))が展示されたが、この博覧会は「新しい“海の文化都市”の創造」をメインテーマに海洋文化や港湾建設など海に関する物事をテーマに開催された博覧会だったにも関わらず、当時は東京の上野動物園へ行かなければ見ることが出来なかったジャイアントパンダを関西圏で見られるとあって、海とは特に関係のないジャイアントパンダが博覧会における展示の中でも特に人気の的となってしまった。この出来事を当時のマスコミが「パンダ来たおかけで博覧会の入場者が増加した」などと報じた事から転じて「客寄せパンダ」の名称が発生し、以後その言葉が汎く定着したという説。
- 1981年6月の田中角栄による東京都議選応援演説における「人寄せパンダ」[43][44][45][46]発言の「人寄せ」部分が変化した という説。
「白黒のもの」を意味する表現[編集]
また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカー[47]や、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE80系)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。 また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目のコリドラスの一種にも、その体色からCorydoras panda(Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 飼育個体は世界各地に存在するが、極めて少数。
- ^ イギリス人の冒険家によってに発見された。
- ^ 例えば、Krämer, Karl-Heinz. Nepli-English Dictionary.
- ^ 同様に、"A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)".
- ^ 別資料の表現では、ヒマラヤ南東部のチベット・ビルマ語派言語に起源あり。→“panda” (en). Dictionary.com. 2010年5月3日閲覧。
- ^ 一部の地域では「パンダの毛皮で作った物は魔除けになる」「パンダの毛皮で作った寝具で眠ると夢を通して未来を予知できる」等の民間信仰が行われており、高い需要があるとされる。(2009年8月31日時点のアーカイブ)
- ^ 上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、トントン、ホァンホァンの3頭の剥製は同じく上野恩賜公園内にある国立科学博物館で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は多摩動物公園で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは液浸標本)の標本が集められ、公開された。
- ^ 歴史的史料において、日本書紀巻廿十六、斉明紀四年に「是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚」との記述があり、これを元に解釈した本(『おおパンダ!!』 翠楊社、1972年。 『パンダ』 中央公論社〈自然選書〉、1976年。 R&D・モリス著 『世界動物発見史』 根津真幸訳訳、平凡社、1988年。 中国パンダ保護研究センター、斉鳴著 『パンダ育児日記』 日本パンダ保護協会編、二見書房、2007年2月25日。ISBN 978-4-576-07001-8。等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:日中パンダ交流史試論、TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日)
出典[編集]
- ^ Appendices I, II and III<http://www.cites.org/>(accessed September 5, 2016)
- ^ a b c d e f g h i Swaisgood, R., Wang, D. & Wei, F. 2016. Ailuropoda melanoleuca. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T712A45033386. Downloaded on 05 September 2016.
- ^ a b 中里竜二 「ジャイアントパンダ」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、68-69頁。
- ^ a b c d e 小原秀雄 「ジャイアントパンダ」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、16-18、144頁。
- ^ パンダ【panda】 Yahoo!辞書(情報元:大辞泉)[リンク切れ]
- ^ panda - Online Etymoligy Dictionary.
- ^ a b c d e f g h i 荒木達雄 「中国古文献中のパンダ」『東京大学中国語中国文学室紀要』第9号、東京大学文学部中国語中国文学研究室、2006年、1-22頁。
- ^ 井上純一[中国嫁日記web版 http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51475634.html]
- ^ R&D・モリス著 『パンダ 自然選書』 根津真幸訳訳、中央公論社、1976年1月。ISBN 978-4-12-000620-3。
- ^ 3月11日はパンダ発見の日(2013年7月30日時点のアーカイブ) OCN TODAY 2008年3月11日
- ^ 【 熊猫 】(2008年5月12日時点のアーカイブ) 中国語学習ノート 2007年2月2日
- ^ 「パンダ」はどこからやってきた?(2009年6月20日時点のアーカイブ) 辞引網 2003年5月30日
- ^ じゃいあんとぱんだ【ジャイアントパンダ】(百科辞書)(2008年5月8日時点のアーカイブ)
- ^ a b 遠藤秀紀 「ジャイアントパンダの分類学的位置と形態学的適応」『脊椎動物の多様性と系統』 松井正文、裳華房、2006年、336-337頁。ISBN 4785358300。
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- ^ a b c d e f g h i j k パンダ館「パンダに関する基礎知識」
- ^ a b パンダ村「パンダのコミュニケーション」
- ^ ジョージ・B・シャラー、播文石、胡錦矗、朱靖ほか 『野生のパンダ』 どうぶつ社〈自然誌選書〉、1989年3月。ISBN 978-4-88622-246-6。
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- ^ “パンダがヤギを喰らう、中国農村部”. Sputnik日本 (2017年3月4日). 2017年3月4日閲覧。
- ^ a b 永戸豊野 「混迷するパンダ救出作戦」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、19頁。
- ^ “中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発”. CNN. (2015年5月14日) 2015年5月16日閲覧。
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- ^ GIANT PANDA FAMILY Site | -アドベンチャーワールドで暮らすジャイアントパンダの特設サイトです。 日々の成長写真や動画、ジャイアントパンダの全てがわかります。- パンダの赤ちゃん 名前募集
- ^ 歴代のパンダたち|上野動物園のパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」
- ^ 国立科学博物館
- ^ ジャイアントパンダ、4月1日から公開します - 2011/03/29 上野動物園
- ^ “米動物園のパンダが高齢出産、6回目で過去最多記録に”. エキサイトニュース. ロイター (エキサイト). (2012年7月31日). オリジナルの2012年8月3日時点によるアーカイブ。
- ^ PANDA CAMサンディエゴ動物園のパンダのライブ映像
- ^ a b c d 特集:パンダ貸します ナショナルジオグラフィック日本版 2006年7月号
- ^ a b とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本 J-CAST 2008年4月30日
- ^ a b c d e パンダを借りる日本とパンダに会えない中国の子供 中国情報局 2006年10月7日
- ^ a b c なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか エキサイトニュース 2005年10月4日
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- ^ 榊原昭二 『昭和語―60年世相史』 朝日新聞社〈朝日文庫〉、1986年4月20日。ISBN 978-4-02-260370-8。
- ^ 榊原昭二 『'80年代 世相語ガイド〈下〉』 朝日新聞出版〈朝日ブックレット〉、1983年10月。ISBN 978-4-02-268016-7。
- ^ 鷹橋信夫 『昭和世相流行語辞典』 旺文社、1986年11月10日。ISBN 978-4-01-070753-1。
- ^ ガンジーさん。「244.安物の言葉。」 ほぼ日刊イトイ新聞 2001年4月26日
- ^ 日本語俗語辞書 パンダ
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- NHKアーカイブス パンダブーム - 日本放送協会(NHK)