小沢グループ

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小沢グループ
Ichiro Ozawa cropped 2 Yoshitaka Kimoto and Ichiro Ozawa 20010718 colorized.png
設立年 旧自由党グループ:2003年(平成15年)
一新会:2004年(平成16年)
北辰会:2005年(平成17年)
木曜会:2010年(平成22年)
新しい政策研究会2011年(平成23年)
設立者 小沢一郎
種類 民主党グループ
メンバー 民主党所属国会議員
事務総長 新しい政策研究会東祥三
会長 一新会:鈴木克昌
木曜会:田中直紀
新しい政策研究会小沢一郎
重要人物 小沢一郎
主要機関 旧自由党グループ
一新会
北辰会
木曜会
新しい政策研究会
関連組織 小沢一郎政治塾
自由党
予算 一新会:8,633,922円[1]
北辰会:650,000円[2]
ウェブサイト 新しい政策研究会
過去名 北辰会:一新会倶楽部
  1. ^ 一新会平成22年分政治資金収支報告書参照
  2. ^ 北辰会平成22年分政治資金収支報告書参照

小沢グループ(おざわグループ)は、民主党グループ。かつて小沢一郎を支持した複数のグループの呼称である。小沢一郎の民主党離党により民主党内のグループとしては事実上消滅したと見られている。

概要[編集]

2003年(平成15年)の民由合併によって解散した旧自由党出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年(平成16年)6月に当時当選1〜2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、2005年(平成17年)秋、第44回衆議院議員総選挙の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。2006年(平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙第45回衆議院議員総選挙でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。

第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに国民新党出身の議員も参加することとなった。2010年(平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした[1]

政策的には旧自由党時代は右派的、新自由主義的なものが多かったが、小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。旧自由党出身で当初小沢グループと見られていた議員の中でも、渡辺秀央大江康弘のように小沢と対立し離党した議員や藤井裕久平野達男のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。小沢同様、選挙に向けて自民党との対立軸を鮮明にする傾向があり、対案路線を掲げる前原グループ野田グループとは対立することが多かった。

ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に小沢チルドレンとマスメディアで呼ばれた。

鳩山政権下では、前原グループや野田グループ出身の松本剛明細野豪志原口一博横路グループ高嶋良充などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。

2011年(平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「新しい政策研究会」を発足させた[2]。2011年12月、小沢を支持する内山晃ら9人の民主党所属の議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。さらに2012年(平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「国民の生活が第一」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは事実上消滅したとされる。

その後、相次ぐ国政選挙で小沢系の議員が多数落選するなど小沢の求心力の衰えが指摘されている。

2011年(平成23年)に発足した21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。

主な集団[編集]

各グループの概要、所属議員の2016年現在の状況等を以下に記す。先述のとおり、領袖の小沢の離党により民主党のグループとして消滅しているため、いずれも民進党のグループとしては存在していない。

旧自由党グループ[編集]

自由党に所属、または自由党公認で立候補した経験がある国会議員より成るグループ。自由民主党羽田派新生党新進党との連続性から、いわゆる保守本流田中派)の流れを汲む。

所属国会議員一覧[編集]

民進党の現職議員[編集]

衆議院議員・計1名。

小宮山泰子
(5回、比例北関東ブロック埼玉7区
離党、脱会した議員[編集]

一新会[編集]

2004年(平成16年)6月16日に小沢を支持する1期〜3期の衆議院議員を中心に結成された。菅政権の時代には代表幹事に鈴木克昌、会長代行に奥村展三が就任し事務を取り仕切っていた[3]。グループ名は自由党のスローガンであった「日本一新」に由来する。国会会期中は毎週木曜日に定例会を開催し、それ以外でも多くの勉強会を開催した。民主党の他のグループ同様、緩やかな繋がりにすぎず、議員によって小沢との距離に大きな差があるが、マスコミには他の小沢グループと一括して扱われることがあった。川端グループ鳩山グループに所属する議員も多かった。

2004年(平成16年)9月と2006年(平成18年)9月に、箱根で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。

第44回衆議院議員総選挙後、一新会は党内最大派閥となり、小沢が幹事長に就任した。副幹事長を側近議員で固め、鳩山政権の政策決定においても影響力を利かせるようになった。

しかし、小沢の献金問題などの不祥事で内閣支持率が激減して内閣は総辞職し、小沢も幹事長の離任を余儀なくされる。その後の代表選では小沢が事実上支援した樽床伸二が敗北し、代表選後の役員人事改造では国会対策委員長に樽床が起用された他は軒並み小沢と距離を置く議員で固められ、一新会は反主流派に転落した。

参加議員は月1万円の会費を徴収される。

所属国会議員一覧[編集]

民進党の現職議員[編集]

計10名。

  • 衆議院議員
武正公一
(6回、比例北関東ブロック埼玉1区
松原仁
(6回、比例東京ブロック東京3区
菊田真紀子
(5回、比例北陸信越ブロック新潟4区
小宮山泰子
(5回、比例北関東ブロック埼玉7区
篠原孝
(5回、長野1区
鈴木克昌
(5回、比例東海ブロック愛知14区
田嶋要
(5回、千葉1区
吉田泉
(5回、比例東北ブロック福島5区
吉良州司
(4回、大分1区
福田昭夫
(4回、栃木2区
  • 参議院議員
田名部匡代
(1回・衆院3回、比例東北青森3区
離党、脱会した議員[編集]
政治資金収支報告書の記載[編集]

「党費又は会費を納入した人の数」は、平成17年分政治資金収支報告書には31人、平成18年分政治資金収支報告書には33人、平成19年分政治資金収支報告書には33人、平成20年分政治資金収支報告書には33人、平成21年分政治資金収支報告書には46人、平成22年分政治資金収支報告書には45人と記載されている[4]


北辰会[編集]

2010年(平成22年)11月25日に小沢を支持する当選1回の衆議院議員を中心に結成された。既に存在していた一新会倶楽部を改編した組織で、一新会と同じく毎週木曜日に定例会を開いた。

所属国会議員一覧[編集]

民主党の現職議員[編集]
離党、脱会した議員[編集]
政治資金収支報告書の記載[編集]

「党費又は会費を納入した人の数」は、平成22年分政治資金収支報告書には24人と記載されている[5]


木曜会[編集]

2010年(平成22年)11月11日に小沢を支持する参議院議員を中心に結成された。

所属国会議員一覧[編集]

離党、脱会した議員[編集]

新しい政策研究会[編集]

一新会、北辰会、木曜会の3派合同の勉強会として発足。複数の政党の議員が参加する超党派の形となった。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙と2013年7月の第23回参議院議員通常選挙でほとんどの所属議員が落選し、以降目立った活動は見られない。

2011年(平成23年)12月21日の初会合には以下の106名が出席した[6]

役員、所属議員の一覧などは当該項目を参照のこと。

その他[編集]

以上に掲げた者の他、2010年9月民主党代表選挙における言動などから、以下に掲げる者も小沢グループとされる場合がある。

脚注[編集]

関連項目[編集]