鉄道の電化
鉄道の電化(てつどうのでんか)とは、鉄道の動力を電気にすることである。
概要
電化された路線では、動力に電気を使用する電気機関車や電車が用いられる。そのため、燃料を車両に積載する必要がない。電化方式は世界でいくつかの種類が存在する。鉄道において電気動力は、蒸気機関や内燃機関に比べエネルギー消費率で優れ、速度向上や快適性の向上といった輸送サービスの改善にも向くが、地上側に電気設備が必要となる。
方式
車両の外から電気を取り入れるものが一般的であるが、車両に蓄電池などの電源を搭載するものも存在する。車両の外から電気を送ることを「饋電」(きでん)と呼び、車両側でその電気を取り入れることを「集電」(しゅうでん)と呼ぶ[1]。集電方式は架空電車線方式と第三軌条方式の2つに大別される。また、電源の電流は直流を用いるものと交流を用いるものの2種類に分かれる。
外部から取り入れた電力は、主電動機の種類に応じて車両内で変換した上で使用される。
直流饋電・交流饋電
- 直流饋電
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- 長所
- 複数の鉄道変電所から同時に並列して給電できるので、事故や工事などでも冗長性がある
- 最近まで主流であった直流モーターがそのまま使用できた
- 短所
- 車両側で変圧するには向かないので、モーターの電圧に合わせることが求められるため、高電圧/小電流にはできず、低電圧/大電流では送電ロスが大きくなる[2]。また、送電ロスを減らすために鉄道変電所を多く設ける必要がある
- 大電力を供給できないので、高速鉄道や重貨物列車を走らせる路線には不向き
- 直流に変換する鉄道変電所は機器が割高になる
- 交流饋電
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- 長所
- 変圧器を用いて、主電動機に加える電圧を容易にロス無く制御できる
- 高電圧/小電流にできるので送電ロスが少なく、変電所も少なくてすむ
- 短所
- 直接き電方式という単純なき交流き電では、電線からの電磁波によって周囲の通信線へ障害を及ぼす「通信誘導障害」と呼ばれる現象が起きやすい。BTき電やATき電などの工夫が行われる[1]
- 車両に設置する機器のコストが高額となりやすい。また維持コストも高額となる。そのため直流化した時よりも総コストは大きくなる傾向にある。
歴史
鉄道は蒸気機関を動力としてスタートした。馬の牽引力使った馬車による輸送から、部分的に軌道と電気動力へと切り替わっていき、この流れの中で鉄道の電化が進んだ。
- 1879年:ドイツのシーメンス社がベルリン工業博覧会において試作した電気機関車を披露した[3]。
- 1881年:ドイツのベルリン郊外で世界初の電車の営業運転が開始された。
- 1883年8月:Magnus VolkによってVolk's電気鉄道がイギリスの保養地であるブライトンで開通した。同年10月にはオーストリアのウィーンで世界初の架線集電によるMödling and Hinterbrühl路面電車が運行を開始した。
- 1887年:米国人フランク・スプレイグが考案した電気軌道が敷設された。
- 1890年:上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で日本初の電車の運転が披露された
- 1895年:京都で日本初の電車による営業運転が開始された。
- 19世紀末:スイスの登山鉄道で交流電化による鉄道が出現した。
- 1911年:碓氷峠が電化された。
- 1923年:ハンガリーのブダペスト-ニュガッティ/アラグ間で16kv50Hzの商用周波数による単相交流で運行された。
- 1936年:ドイツ南部のヘレンタール線で試験を進め、第二次世界大戦後、フランスがこれらの機関車と設備を接収して国内の交流電化を進める。交流電化ではBT饋電方式からAT饋電方式が主流になる。
各国の事例
国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、オランダといった国々が90%を越え、ドイツ、ロシア、日本が50%を越える比率なのに対し、アジア・太平洋地域は全体で3割程度である。2000年代以降は韓国・中国が鉄道電化比率を急速に上げている。
日本国外の例
スイスでは電化費用が安価なことから鉄道路線はほぼ全線が電化されている。アメリカやオーストラリアなどの大陸横断鉄道は電化されていない区間がほとんどであるが、ロシアを横断するシベリア鉄道は電化されている。
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日本
電気軌道では、1895年(明治28年)に京都市で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年(明治37年)に飯田町 - 中野間を電化したのが始まりである。当時の電化には、600Vの直流き電が採用されていた[1]。甲武鉄道は1906年(明治39年)に国有化され国有鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。
幹線鉄道では東海道本線の東京 - 国府津間(1925年(大正14年)までに電化)を除けば、碓氷峠(1912年(明治45年)。先述の甲武鉄道を除けば国有鉄道初)や清水トンネル(1931年(昭和6年))、関門トンネル(1941年(昭和16年))、朝鮮総督府鉄道京元本線の福渓 - 高山間(1944年(昭和19年))など、山岳地帯や長大トンネルで局地的に実施されていたに過ぎない[4][5][6]。1925年電化の横浜 - 国府津間から1500Vの直流き電が一般的に採用されるようになった[1]。
私有鉄道では、甲武に続き南海鉄道が難波 - 浜寺公園間を1907年(明治40年)に電化した。その後の一般鉄道の電化は低調であったが、名古屋鉄道など電気軌道系の路線が郊外へ延び大規模な路線網を形成してゆく。アメリカのインターアーバンの影響を受けたもので、後に一般鉄道並の施設になった路線も多い。そして、大正末期から昭和初期にかけて、東武鉄道・大阪鉄道・豊川鉄道など一般鉄道の電化が進むほか、目黒蒲田電鉄・宮城電気鉄道・富山電気鉄道など当初より電気軌道の利便性を兼ね備えた電気鉄道の開業が相次いだ。結果、1930年代には全国的に電気軌道系・鉄道系問わず、電化路線が散見されるようになる。中には、大阪電気軌道・参宮急行電鉄の上本町(大阪) - 宇治山田(伊勢)や東武鉄道の浅草(東京) - 日光、金剛山電気鉄道の鉄原 - 内金剛など、全長100kmを越える路線も出現した。
太平洋戦争の敗戦後、石炭の価格が高騰した。これにより非電化私鉄は燃料の確保に支障をきたし、1950年(昭和25年)前後に淡路交通、十和田観光電鉄などの多くの路線が電化を実施することになる。しかし、その後は燃料事情が好転、また石油類の安定供給ならびにディーゼル動車の普及に伴い、非電化路線の電化事例は1954年(昭和29年)の三岐鉄道を最後に、約20社程度に留まった。直流き電は多くの地上設備が必要でありコスト高となるため、電化が遅れていた東北、北陸、九州、北海道の電化を今後進めることも見越して、1954年から東北の仙山線から交流饋電による試験が始められ、1957年には仙台 - 作並間 (50Hz) と、田村 - 敦賀間 (60Hz) での営業運転がはじまった[1]。
国鉄でも前述の石炭事情の悪化、および輸送力増強が叫ばれたことから、1950年代以降、逆に多くの路線が電化されていった。東海道本線については、1956年(昭和31年)11月19日、米原 - 京都間を最後に、支線を除く全線の電化が完了した。これを記念し、1964年(昭和39年)に鉄道電化協会がこの日を「鉄道電化の日」に制定した(→日本の鉄道史・1956年11月19日国鉄ダイヤ改正も参照)。
また、1955年(昭和30年)から商用周波数による交流電化の試験が開始され、1957年(昭和32年)に北陸本線で実用化された。戦後の電化は東海道本線を皮切りに、山陰地方を除く本州と九州で進められて行くが、一方で北海道と四国の電化区間は短区間に留まった。特に四国では国鉄分割民営化直前に本四備讃線開業に合わせて香川県内の一部区間で実施されたに過ぎない。分割民営化後も引き続き電化区間の延長が実施されているが、内燃動車の性能改良により必ずしも電化の必要はなくなっている。2011年現在ではJRの在来線のうち、東北、北陸、九州、北海道では交流2万V饋電が、その他のJR在来線では直流1500V饋電が行われており、新幹線はすべて交流2万5千Vである[1]。
旅客線の電化
輸送量の多い都市圏では電化の進捗率が高く、都府県単位では既に全ての旅客線が電化された地域もある。しかし、電化工事には変電所の増設や架線設備の設置をはじめ、歴史が古く建築限界が小さい区間ではトンネル改修を要するなど多額の費用がかかる。そのため国鉄では、大都市近郊や都市間路線でも非電化の路線が長らくそのままにされていた。特に並走する私鉄がある区間では近距離輸送でも積極的な競争を行わないため、比較すると旧態依然としていたほか、電化した路線でも特急列車以外は内燃動車を継続して用いる例が見られるなど、消極的な経営が批判されることもあった。もっとも、民営化と前後して大都市近郊の路線の電化も少し行われた。
一方、閑散路線でも急勾配路線は高速化のため電化することがあった。しかし財政難などから北海道・四国の主要幹線や宗谷本線・高山本線などでは国鉄時代に工事が中止された (宗谷本線は、旭川運転所移転に伴う回送電車走行の目的で、2003年(平成15年)3月に一部区間のみ電化された)。その後気動車の性能が電車並に向上し、電化するよりも新製気動車を購入するほうが低廉となったため、これらの路線では非電化のまま路線の高速化工事を実施し、出力を強化した気動車を投入して近代化を進めている。また、沿線の地方自治体が費用を負担した一部の路線で、簡易方式による電化が行われた(播但線・加古川線・小浜線・土讃線の一部など)。
旅客線が完全電化されている都府県
- 奈良県 - 1984年(昭和59年)、関西本線・和歌山線を最後に全線電化。2006年(平成18年)の急行「かすが」廃止で定期気動車列車も消滅。但し、主に天理教の祭事が行われる時は、気動車による団体臨時列車が多数運行される。
- 大阪府 - 1989年(平成元年)、片町線を最後に全線電化。但し1973年(昭和48年)に関西本線の大阪府内区間が電化されたことで、片町線長尾駅から京都府境までの区間を除いて全線電化されていた。なお、非電化区間へ直通する特急列車があるため、府内を走行する気動車列車が存在する。
- 神奈川県 - 1991年(平成3年)、相模線を最後に全線電化。
- 東京都 - 1996年(平成8年)、八高線を最後に全線電化。
- 沖縄県 - 唯一の鉄道である沖縄都市モノレール線は2003年(平成15年)の開通当初から電化されている。
旅客線がほぼ電化されている県
- 和歌山県 - 紀勢本線の東海旅客鉄道の区間のうち新宮駅から三重県との県境に当たる熊野川橋梁までの区間と紀州鉄道線を除いた残りの線・区間は電化。
- 静岡県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化されている。非電化路線は、天竜浜名湖鉄道線と大井川鐵道井川線(アプト区間のアプトいちしろ駅 - 長島ダム駅を除く)のみである。
- 滋賀県 - JRの旅客鉄道路線は全線電化されている。非電化路線は、信楽高原鐵道信楽線のみである。一時期、全線電化の近江鉄道がレールバスを使用したことがあったが、電車運転に戻された。
- 石川県 - JRが旅客列車を運行する鉄道路線は全線電化されている。非電化路線は、のと鉄道七尾線のみである。
- 埼玉県 - 非電化路線は八高線の高麗川駅以北の区間のみで、私鉄とその他JR線は電化されている。
- 群馬県 - 非電化路線は八高線の倉賀野駅以南の区間とわたらせ渓谷鉄道のみで、私鉄とその他JR線は電化されている。
- 山梨県 - 非電化路線は小海線のみである。
- 愛知県 - 非電化路線は武豊線と東海交通事業城北線、軌道路線を含めると名古屋ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)のみである。2015年を目処に武豊線が電化される予定であり、同年以降は県内のJRの旅客鉄道路線は全線電化されることになる。
- 千葉県 - 非電化路線は久留里線と小湊鉄道線といすみ鉄道いすみ線のみで、その他のJR線と私鉄は電化されている。
旅客線がほぼ非電化の県
- 島根県 - 一畑電車全線と、西日本旅客鉄道の山陰本線・安来駅(鳥取県の伯耆大山駅から電化) - 西出雲駅(後藤総合車両所出雲支所)間は電化されているが、それ以外(山陰本線の西出雲駅以西と、木次線、三江線、山口線)は非電化。
- 鳥取県 - 電化区間は山陰本線の伯耆大山駅 - 米子駅間(県境の安来駅まで電化)や境線の米子駅 - 後藤駅(後藤総合車両所後藤地区までの回送と、試運転で走行するのみ)間と、伯備線(陰陽連絡路線では初の全線電化)のみ。それ以外の山陰本線・伯耆大山駅以東と、因美線・智頭急行・若桜鉄道は非電化。日ノ丸自動車法勝寺電鉄線が廃線になった1967年(昭和42年)から伯備線電化の1982年(昭和57年)の間は、電化された旅客線がなかった。なお、鳥取駅へ乗り入れる路線が電化されていないため、鳥取市は徳島市と並んで電車が走らない県庁所在地である。
- 高知県 - 高知市を中心とする路面電車である土佐電気鉄道は電化されているが、それ以外(四国旅客鉄道・土佐くろしお鉄道線・阿佐海岸鉄道)は全区間非電化。現在の電化線は軌道法準拠の路線(=路面電車)のみであるが、過去には地方鉄道法準拠の電化路線である土佐電気鉄道安芸線が存在した。『JTB時刻表』で都道府県代表駅として記載されているJRの駅が電化されていない県庁所在地は高知市以外に鳥取市・徳島市・津市[7]・旧山口市のみである。
- 宮崎県 - 幹線級の日豊本線と日南線・宮崎空港線の南宮崎駅 - 宮崎空港駅間の電化が完了しているが、1974年(昭和49年)の日豊本線南宮崎電化まで電化路線が一切存在せず、電車が走ったのは全国で46番目ともっとも遅かった[8](徳島県はまだ電車が走ったことがない)。なお、かつて存在した宮崎交通線では旅客列車では珍しい蓄電池機関車・電車を使用しており、電化以前に蓄電池式の旅客列車を走らせた点は特筆される。
旅客線が非電化の県
- 徳島県 - 索道以外の鉄道(四国旅客鉄道・阿佐海岸鉄道)には電化区間がなく、全国で唯一電車が自走しない。なお、過去にも一切電化された路線が存在しないため、歴史的にみても電車が自走したことのない唯一の県である。
電化・非電化区間が混在する路線
旅客需要の差から、一部区間のみが電化された路線もある。このほとんどは運転系統が分断されるため、別路線のようになっている(交流・直流のデッドセクションを挟む場合も同様)。電化・非電化が混在する路線の中には、可部線のように広島市近郊の電化区間を残して非電化区間のみが廃止された例もある。
以下に電化区間を記す。太字になっている駅は電化・非電化の境界となっているものである。なお、入出庫用に電化された区間は除く。
- JR
- 函館本線 函館 - 五稜郭、小樽 - 旭川。電化区間は江差線や千歳線と一体化
- 室蘭本線 室蘭 - 東室蘭 - 沼ノ端。電化区間は千歳線と一体化
- 江差線 五稜郭 - 木古内。電化区間は海峡線と一体化
- 津軽線 青森 - 中小国。電化区間は海峡線と一体化
- 磐越西線 郡山 - 喜多方
- 八高線 八王子 - 高麗川。電化区間は川越線西部と一体化
- 大糸線 松本 - 南小谷。南小谷でJR東日本とJR西日本に分断
- 関西本線 名古屋 - 亀山、加茂 - JR難波。亀山でJR東海とJR西日本に分断
- 紀勢本線 新宮 - 和歌山市。新宮でJR東海とJR西日本に分断
- 山陰本線 京都 - 城崎温泉、伯耆大山 - 西出雲。後者の電化区間は伯備線と一体化
- 播但線 姫路 - 寺前
- 福塩線 福山 - 府中
- 予讃線 高松 - 伊予市
- 土讃線 多度津 - 琴平。電化区間は予讃線と一体化
- 筑豊本線 折尾 - 桂川。電化区間は鹿児島本線・篠栗線と一体化
- 豊肥本線 熊本 - 肥後大津
- 長崎本線 鳥栖 - 喜々津 - 市布 - 浦上 - 長崎。旧線区間(喜々津 - 長与 - 浦上)は非電化
- 大村線 早岐 - ハウステンボス。電化区間は佐世保線と一体化
- 筑肥線 姪浜 - 唐津。電化区間は福岡市地下鉄空港線や唐津線と一体化。電化時の路線変更により分断、唐津 - 山本は唐津線に
- 唐津線 唐津 - 西唐津。電化区間は筑肥線と一体化。
- 日南線 南宮崎 - 田吉。電化区間は宮崎空港線と一体化
- 私鉄・第三セクター
電化路線のディーゼル化
電化は初期投資を要するが、輸送量の大きい路線では輸送単位あたりの維持費用は一般に低い。このため、一度電化が行われた路線の電化設備が撤去されることはまれである。
しかしながら内燃動力が一般的でなかった時代には、急勾配と長大トンネルにおける蒸気機関車の煤煙問題を解決するために行われた電化の場合、ディーゼル機関車と強力な換気装置が登場することで電化が必ずしも経済的に有利でないケースが生じてくる。アメリカのカスケード山脈越えの路線は蒸気機関車時代に電化されていたが、このような理由からディーゼル化が行われている。
このほかにインターアーバンが貨物鉄道に転換された際、電車による頻発運転の旅客列車の消滅により電化が不要になり、電化設備が撤去された事例も多い。
日本での類似事例としては、以下の路線で経費節減のために電車を気動車に置き換えた事例がある。一部を除いて電化施設は撤去している。なお、こういった事例の路線のほとんどはもともと不採算路線だったため路線の大半が廃線に追い込まれてしまっている。
- ★印は2012年4月現在で現存している路線。
- 池田鉄道(1936年から、1938年6月6日廃止)
- 小坂製錬小坂線(1962年10月1日から改軌と同時に内燃化。2009年4月1日廃止)
- 玉野市営電気鉄道(1964年12月24日から。1972年4月1日廃止)
- 羽後交通雄勝線 (1971年7月26日、同社羽後交通横荘線の廃止で捻出された気動車で内燃化。1973年4月1日廃止)
- ★福塩線(府中 - 下川辺、1962年4月1日から)
- 名鉄八百津線(1984年9月23日から。2001年10月1日廃止)
- 名鉄三河線(猿投 - 西中金が1985年3月14日から、碧南 - 吉良吉田が1990年7月1日から。両区間とも2004年4月1日廃止)
- ★近江鉄道本線(八日市 - 貴生川、1986年から1996年の間。電化設備は残っており、1日1往復は電車列車が設定されていた。1996年で気動車使用中止)
- くりはら田園鉄道(1995年4月1日から。2007年4月1日廃止)
- 富山港線(JR時代末期の2001年から2006年まで日中の列車を気動車で運行。富山ライトレールへの移行で廃止)
- ★仙石線(陸前小野 - 石巻間。東日本大震災による電化設備損壊のため、暫定的に気動車のみで運行)
普通列車のみ非電化としたケース
下記の区間では電化設備を有し特急列車・貨物列車は電車・電気機関車での運行を継続しているものの、普通列車は全列車電車・電気機関車から気動車に置き換えられている(過去のケースも含む)。
- 田沢湖線(狭軌時代は特急列車のみが電車で運行されていた。秋田新幹線運行に伴う改軌で電車に移行)
- 羽越本線(村上 - 酒田、1993年(平成5年)から。それ以前は電気機関車牽引の客車列車であった。この区間には交流・直流デッドセクションが存在する[9])
- 肥薩おれんじ鉄道線(2004年3月13日の第三セクター転換時から。貨物列車及び臨時列車直通のために電化設備は残されている)
- 日豊本線(佐伯 - 延岡、2009年10月1日から)
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f 宮本昌幸著、『鉄道の科学』、講談社、2006年6月20日初版第1刷発行、ISBN 4062575205
- ^ 直流饋電では3000V程度が上限である。
- ^ 直流150Vの電気機関車が18人乗りの客車を12km/hで牽引した。
- ^ これには当時の軍部が国有鉄道を建設・運営する鉄道院・鉄道省に対し、戦時に変電所を攻撃されると運転不能になることを理由に、基本的には非電化とすることを主張していたことも影響している。
- ^ 東海道全線即時電化論者の内田信也は鉄道大臣時代に東海道本線の電化を目論み、東久邇宮稔彦王に陸軍を押さえるよう頼んだが、押さえることはできなかった。『喜安健次郎を語る』1959年、34-36頁
- ^ 例えば、後に東海道新幹線として帰結する「弾丸列車計画」でも静岡以西は非電化による蒸気機関車牽引で計画されている。
- ^ ただし津駅に乗り入れる近畿日本鉄道名古屋線は電化されている。
- ^ 沖縄県には戦前に路面電車が存在した。
- ^ ただし鶴岡 - 酒田の普通列車は1往復のみだが、近年になって電車での運行となっている。